ふやけるものは、
「なによ!!」
「だからな!」
とある寮の一室で二人の大声が響く。普段なら、二人ともこんな大声は出さないのだが、状況が状況であった。
美琴は上条に詰め寄るように、上条を睨んでいる。ともかく自分の言い分を彼に納得させようと必死だ。
一方の上条はというと近すぎる美琴に心臓を鼓動させながら、美琴に抗議している。いくらなんでもそれはないだろうと。
二人はどちらとも譲らない。
そう、二人は喧嘩をしていた。
議題はズバリお泊り。美琴が急に上条の部屋に泊まりたいと言い出したのだ。
最近、美琴は上条の『彼女』として上条の部屋に入り浸りになっていたが、泊まるなんてことは上条が許さなかった。
第一に彼女が中学生ということもあるし、第二に上条の理性が耐えられるかどうか不安であったからだ。
しかし今回、美琴は絶対にと一歩も譲らない体勢を取った。上条はこの固くなに主張を続ける美琴と対立してしまう。
そして、今のこの状況になってしまったのだ。
「いいじゃない別に!!」
「いや、それでもな?」
「私のことき、嫌い……なの!?」
「そうじゃなくて!」
しかし、どのご時勢も口喧嘩といえば女が強いのほとんどであろう。それは上条と美琴にも当てはまった。
上条はじりじりと追い詰められる感覚を味わう。まるで熟練魔術師と戦っている気分、いやそれ以上だ。
そして、ついに上条は折れる。白旗を上げ、美琴に降参した。
「あー、もう! わかった、わかった。泊めるよ、泊めてやるよ!」
「え? ほんと?」
「上条さんに二言はたぶんありません!!」
「じゃあ泊まってもいいの?」
「いいですよ」
「やった♪」
美琴は無意識なのかどうか知らないが、上条に飛び移るように抱きつく。上条は慌てて美琴を剥がそうとするが、本能がそれを静止させ代わりに美琴を抱きしめさせる。
美琴は一瞬『ふにゃ!』という声を上げるが、右手があるからなのか漏電はしない。さっきとは打って変わって、甘い雰囲気が二人の周りを漂う。
「ねえ」
「ん?」
「もう少しこのままでいさせて」
上条はその美琴の甘い声に答えようとするが、
「わかっ………あ」
上条は何かを思い出したように、声を零した。そして段々と目は泳ぎ始め、焦りが彼の雰囲気から感じ取れる。
美琴はそんな上条を不審に思って、彼の顔を覗きこんだ。
「どうしたの?」
「カップ…」
「? 何か飲むつもりだったの?」
「いや違う」
「じゃあ何?」
「カップラーメンを忘れていた」
時は数十分前に遡る。
上条は初め、美琴を自分の寮に帰すつもりでいた。なので、時計を見てそろそろ夕食時だなと思い、美琴を帰す時間を考えながらカップラーメンをあらかじめ用意していたのである。
上条は元々家事は出来るが、美琴との僅かな時間を大切にしたかったのでカップラーメンという策を取った。なるべくギリギリという意識から、美琴を帰す前にお湯を入れてしまうほど。
そして現在に戻ると、美琴と喧嘩してから数十分が過ぎている。カップラーメンが、麺が、どうなっているかは言うまでもないだろう。
上条は美琴から離れて急いで台所、カップラーメンのあるところへと無駄と知りながら向かった。そして着いたころには現実に絶望するのであった。
美琴が後から上条を追いかけてくる。上条の背中を避け、上条の背中に隠されていたカップラーメンを見てこう言葉を漏らす。
「あっちゃー、これは完全に伸びてるわね」
上条は若干、半泣きになりながら答える。
「やっぱり、そう思います?」
「思うとかいうレベルではないわね」
「うぅ」
涙を零すまいと上条は努力するが、心の涙までは押さえきれない。今日の夕飯、今日の夕飯と心の声が上条の頭に響く。
しかし、そう上条は絶望していると、美琴がモジモジしながらこんな提案を出してきた。
「えっと……」
「ん?」
「私がさ…………料理作ってあげよっか?」
「え!? つ、作ってくれるんですか!?」
「だ、ダメ?」
「いや、ダメとかそう言う問題でなくて、何というか嬉しいというか」
カップラーメンを失った上条には、精神的に藁にでもすがりたい気分だ。そこに彼女の手料理が食べれるというイベントが目の前にぶら下がっていたら、迷わず飛びつくしかない。少なくとも上条はそうする。
だから上条は、
「できればお願いしたいです」
と言った。
そして美琴は、
「そ、そう? えへ、えへへ♪」
と明らかに喜んでしまうのであった。
「~♪」
リビングにいる上条からでも、台所にいるであろう美琴の鼻歌が聞こえてくる。上条はその鼻歌を聞いて、先ほど見てしまった美琴のエプロン姿を思い出し、悶絶する。
邪念を打ち払うように、机に頭をゴツン、ゴツンとぶつける。しかし、そんなことで邪念が打ち払えれば苦労はしない。そうだ今までだって、上条は美琴の無意識の誘惑に何度負けそうになったことか。
辛うじて全勝零敗であるが、今日はお泊りというイベントがこの先待ち受けている。今、こんなところで負けてしまってては大変だ。
上条は唸るように、声を出す。
「うおおおおお!」
「何やってんのよ当麻」
「うわ! 美琴、そんなところで何をしている!?」
「そんなところって、もう出来たんですけど?」
「え?」
いつの間にか上条が見えない何かと戦っていたら、料理はもう既に出来てしまったようだ。美琴は手にいくつかの皿を持っている。そこから漂う香りは、香りだけで腹を満たしてくれそうなほどの香りだった。
上条は今までそんな香りを嗅いだことはないわけではないが、それは舞夏の料理以外はそんなものはなかった。
カチャン、カチャンと音が鳴りながら、食事が並べられていく。見た目は、普通。けれど、いつも上条が作る料理とは何かが違った。
上条はポーッとそれを見つめ続ける。
「当麻、聞いてるの?」
「え? いや、ごめん」
「もう、せっかく作ったんだから反応くらいしなさいよね!」
「こう、あれですか? 美琴さんはプロですか?」
「へ? いや、別に常盤台じゃこんなの普通なんだけど…」
上条は常盤台の普通がどんなものなのかは知らないがこれは一般的に普通とは言えないだろう。
美琴は話を続ける。
「あ、でも……えっと、これは当麻のために、つぅ! 作ったものだから……その」
「その?」
「ああ! それはもういいから、早く食べなさいよね!!」
「あのー」
「食べて!!」
「?」
上条は変な美琴の反応に戸惑いながらも、言われたとおり食べるため、まずスプーンを手にする。そして、目の前の手料理を見つめ、高鳴る心臓を押さえながら、ゆっくりとその手料理を口へと運んだ。
すると口へ運んだ瞬間、上条は固まった。ただしそれはまずかったとかいう展開ではない。そう、上条が何故固まってしまったかというと、言葉に言い表せないくらいにうまかったからである。
上条は口をモグモグさせながら、頬に一滴のしずくを流す。美琴はそれを見て『あ、あれ!?』と慌てているが、美琴の懸念が間違っているのはお分かりであろう。
上条は涙を拭きながら、その料理を感嘆する。
「うぅ、上条さんこんなにうまいものを食べたのは初めてです」
「え、お、おいしかったの?」
「これはもうおいしいとか言うレベルじゃありません」
「よ、良かった…」
美琴は胸を撫で下ろし安心すると同時に、上条のベタ褒めに顔を真っ赤に染める。
上条は暫く美琴の手料理を食べ続けていたが、ふと一つ疑問が浮かんだ。
「なんでこんな……バク………にうまいので…………バク…………せうか?」
上条は料理を口に運びながら美琴にそう訊く。
これは舞夏の料理をはるかに超していると上条は思っていた。しかし舞夏は超一流のプロである。簡単に、どころか何をやっても上条では舞夏の料理を越せるきはしない。では何故、美琴はこんな素晴らしいものを作れるのだろうか。上条には答えが浮かばない。
そんな上条に、美琴はモジモジしながらも答えを教えてくれた。
「えっとね……そ、それは……」
「それは?」
一瞬、空気の流れが止まると、
「あ、……ぁぃ……を込めたから……」
と美琴は小さい声で、しかし上条には聞こえる声で言った。
「(ドキンッ!?)」
そして、美琴のとんでもない言葉に、上条は思わず心臓を飛び跳ねさせてしまう。一瞬頭の中が真っ白になる。そして、ドキドキする胸を押せながら、『あ、そうか』と上条は納得した。
何故、この料理がこんなにもうまいのか、理屈では説明できないのか。それはきっと、この料理には気持ちが込められていたからだと上条は思った。美琴の上条に対する、それもトンデモないほどの感情が。
上条は少し、美琴の言葉でやっと気づいた自分に悔しさを感じる。上条の体の中から、何か熱いものがこみ上げてきた。顔が熱くなる。
ふと目の前を見てみると、美琴は顔を真っ赤にしながら俯いていた。
美琴からの思い、それをダイレクトに受け取ってしまった上条はこみ上げてきた感情にどうすることも出来ない。
もはや上条の鉄壁の理性は崩壊寸前だった。
(ヤベェ、これは……これは……)
上条は台所にひっそりと置いてあるカップラーメンのことを思い出す。そして、今の自分と当てはめてみると、ぴったり当てはまる。
もう上条の心は美琴の愛情と言う名の甘い水分により、ふにゃふにゃにふやけていた。これはもうダメだ。
今日は美琴と最後まで一緒である。だから今日はまだまだ続く。続くのだ…