とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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だから……だから……



 それはほんの些細なことがきっかけだった。
 いつもの私なら、気にも留めずにそのまま聞き流してしまうようなこと。

 でもその日は、なぜか私の沸点が、妙に低かった。

 アイツの部屋は蒸し暑いし、ここまで走ってきた私の制服は汗に濡れて、肌にピッタリくっついて気分が悪い。
 私の不快指数は右肩上がりに高騰中。

 だけど途中で買ってきた昼食の食材を冷蔵庫に片付けて、課題に取り組んでいるアイツの隣に座り込んだ時には、そんな気分は消え去った……はずなのに。
 はず……だったのに……。
 だからという訳ではないけれど……。
 八つ当たりなんてしたつもりもないんだけど……。

 気が付いた時には、私はアイツに、そのイライラを電撃のようにぶつけてしまってた。

「バカッ!もうたくさんよッ!!アンタのことなんか知らないッ!!!」

 そう吐き捨てるや、アイツに向かって電撃を放つと、私はアイツの部屋から飛び出した。
 いつのまにか降りだした、土砂降りの夕立の中へと。

~ ☆ ~

 それはちょっとした言葉の行き違いだった。
 いつもの俺なら、全く気にもしないし、あっさりスルーしてただろう。

 だがその日の俺は、朝からなぜだか妙に沸点が低かった。

 朝食用に残しておいた食材が、ほとんど傷んでいて、同居人の分で全てなくなった。
 おまけにエアコンの調子が悪くて、部屋の中がなんだか蒸し暑い。
 空腹と蒸し暑さで最悪な気分の俺は、不快指数が赤丸急上昇。

 だけど今日は、いつものようにあいつが、課題の手伝いに来てくれる上に、俺らのために昼食も作ってくれる。

 あいつが俺の部屋にやってきて、課題に取り組んでいる俺の隣に腰を下ろした時には、そんなイライラ気分も消え去る……はずだった。
 はず……だったのだが……。
 だからという訳ではないのだが……。
 八つ当たりなんてしたつもりもないのだが……。

 イライラが治まらなかった俺は、気が付けばあいつにそれをぶつけてしまっていた。

「うるさいッ!俺だってなッ!!お前のことなんか知るかよッ!!!」

 あいつが放ってきた電撃を、慣れた右手でかき消すと、そう怒鳴りつけて、俺はそっぽを向いた。
 いつのまにか降りだした、土砂降りの夕立の中へ飛び出していく、あいつの背中に目もくれずに。

~ ☆ ~

 それは2人のちょっとした勘違いというか、ボタンの掛け違いみたいなものなんだと思うんだよ。
 どちらが悪いとか、どちらの責任とか言うものでもなくて、まぁ、ちょっとした不幸と不運が重なったのかも?

 それはともかく、私は今、その光景をベッドの上から見ていたんだよね。
 目の前で2人が、それぞれイライラを募らせて、互いに八つ当たりでケンカを始めちゃったんだよ。
 まるで突然降りだした、土砂降りの夕立のように。
 うん、ちゃんと落雷と雷鳴まで再現されてるし。

 部屋から飛び出していったみことに、そっぽを向いたままのとうま。
 これは……その、まあ、なんというか。

――私の出番、なのかも。

 だから……だから……。

「とうま。みことを追いかけないの?」

 私にはわかっていた。
 とうまの心に、今は誰がいるのかってこと。
 とうまが今、その目で追っているのは、誰なのかってこと。
 とうまには、今、誰が必要なのかってことを。
 完全記憶能力の私には、とうまのちょっとした表情の違いとか、目線の動きとか、すべてまるっとお見通しなんだよ?

 だって私は、とうまのことを……。

 うん。本当にわかってるんだ。
 私はイギリス清教のシスターで、10万3千冊の魔道書を持つ魔術師で、とうまとは違う世界に生きている人間だってことぐらい。
 とうまを、魔術の世界に巻き込みたくなかったってことぐらい。

 あの時も、そして今だって、インデックスはとうまのことが大好き……だったんだよ。
 とうまが記憶を失ったのは、私を助けたその代償だってことを知っちゃってるから。
 いっそ知らなかったらとか、もっと早くに知っていればって思うことだってあったけど、結局その事実は変わらないわけで。

 だから……だから……。

 私はとうまが幸せなら、そうなってくれたら、私は救われるのかも。
 なによりとうま自身に苦しんで欲しくない。私の罪まで背負って欲しくない。
 罰を受けるのは、私だけの権利、のはずなのだから。

――あのね、スフィンクス。私の罪は、どうしたら償えるのかな?

 私はいつも、そうやってスフィンクスに問いかける。
 そうやって、自分の心に問いかける。
 答えなんて、分かりきってるはずなのにね。

 だから……だから……。

「ねぇ、とうま。私の話、聞いてるのかな?」

~ ☆ ~

 私は土砂降りの雨の中、夢中で走っていた。

(なんでアイツにあんなこと言ってしまったんだろう)

 傘も差さず、濡れながら街中を駆けていく私は、いつの間にか涙を流していた。

(あんなこと、言うつもりなんてなかったのに)

 時折響く雷鳴と、降りしきる雨音が、私の足音をかき消していく。

(やっと素直になれたのに……私のバカ……)

 気がつけば、ずぶ濡れの姿で、私はいつもの公園にいた。
 いつもの自販機の前に立ち尽くしていた。
 空を見上げれば、遠くのビルの避雷針に、青白色の稲妻が天に向って立ち昇っていくのが見える。
 温かみも優しさも感じられない、冷たさと厳しさだけのような稲妻だった。
 その光景を目にした私は、これまでアイツに向けていた、自分の態度に気付かされたんだ。
 会うたびに、そして照れるたびに放ち続けた電撃。
 さっきの部屋を出る前に放ったアイツへの電撃。
 ついついやってしまってたことだけど、アイツにはこんな風に見えていたんだろうな。
 そういえば私の電撃を受ける度に、アイツは一瞬、困ったような、戸惑ったような顔をしてたっけ。
 やっとここまでアイツとの距離を縮めてこれたというのに。
 勉強を教えたり、料理をしたり、他愛のないお喋りに興じたり、やっとアイツの隣に寄り添えるかと思っていたのに。
 何もかも今日で全て、ぶち壊しにしてしまったんだと思っただけで、私はどうして良いかわからなくなって、自販機にもたれて涙を流し続けていた。

――こんなケンカしちゃったら、アイツだって、追いかけては……来ないよね。

 そもそもアイツがあんな大声で怒鳴るなんて、これまで全く無かったことだ。

「もう、ダメなのかな……。ダメ……なんだよね」

 いまさら戻って、ごめんなさいなんて言えるはずもなく、アイツだってこんな私には愛想も尽きたに違いない。
 そう思ったら、ますます涙が溢れてきた。
 もはや雨か涙かわからないくらい、私の顔はぐちゃぐちゃに濡れている。

「ごめんなさい……」

 あの時、その一言が言えたなら……。
 今からでも遅くない、と思ったけれど、アイツは底抜けに優しいから、笑って水に流してくれるに違いない。
 でも彼のそんな優しさに訴えることを、私は自分に許さない。
 これは、アイツにしてきたことの罰なんだと。
 私に、そんな権利はもう……。

 だから……だから……。

「当麻ぁ……」

 私は雨の中で、両手で顔を覆って、泣くことしかできなかった。

「お願いだから……」

 胸が……痛いよう……。

「助けてよ……当麻ぁ……」

~ ☆ ~

 あいつが出て行った後で、俺はふと我に帰ったように気が付いた。
 なんだって俺は、あいつに大声で怒鳴ってしまったんだろう。
 そう、あいつはいつも俺のことを気遣って、俺のためにいろいろしてくれている。
 ああ、そもそも今回のことだって、悪いのは俺の方だってことぐらいわかってるんだ。

――くそっ……くそッ!!

 あいつを泣かせるつもりなんて無くて。あいつを泣かせるくらいなら、俺は……。
 俺はいったいにをやってるんだよッ!!。
 噛み締めた唇が痛い。でもあいつの心の方が、もっと痛かったはずなんだ。
 ちきしょう。

――御坂……。

 いまさら追いかけたって、あいつを傷つけてしまったことには変わりはねぇ。
 どの面下げてあいつに会えばいいんだよッ!
 追いかけて行けば、あいつは許してくれるのか?
 ああ、あいつは優しいから、きっと許してくれるだろう。
 だけど俺は、そんなあいつの優しさに訴えるようなことなんてしたくない。
 だからわかってるよ……。わかってるんだ、けど……。
 だからこれは、俺への罰なんだと、何度も何度も自分に言い聞かせてみたけれど、たとえ罰だとしても、あいつだけは失いたくないって思ってる。

 だから……だから……。

――それでも俺は、自分を許せるのか。

 なあ、俺はどうしたら良いんだよ……。
 御坂……教えてくれよ……。
 俺は……お前に……なんて言ったらいいんだ?

「――ねぇ、とうま。私の話、聞いてるのかな?」

「――え?あ、あぁ……」

~ ☆ ~

 はっきり言って、私はみことのことが『苦手』だ。
 彼女がどうして、度々とうまの家に来るのか、私は気付いてるんだよ。
 もしかして、気付いてないのはとうまだけなのかも。
 でもとうまがみことのことを、意識しはじめたってことは、気付くとか関係無しに……やっぱりそういうことなんだよね。
 このままだと、たぶん、ね。
 そして、それを嬉しく思う自分と、悲しく思う自分とがいて。
 だから私はいつも、どうするのが良いのかわからなくて、とりあえずとうまの頭に噛み付いてみるんだけど、もうそれも出来なくなるよね。
 だって、人のものに手を出すわけにいかなくなるから。
 そうすると、私がとうまと一緒にいるためには、自分の立ち位置を変えるしかないわけで。

 だから……だから……。

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 みことは、とうまの勉強を教えるだけじゃなくて、私にもいろんな機械の使い方も教えてくれた。
 携帯電話から始まって、電子レンジ、洗濯機などなど。
 おまけに掃除、洗濯、お風呂掃除にお片付けまでみっちりと。

「アンタ、居候なら、もう少しアイツの手伝いをしたらどうなの」
「私、機械の使い方がよくわからないんだよ」
「じゃあさ、私が教えてあげるから、ちゃんと覚えるのよ。そうしたらアイツの負担だって減るんだし」

 そう。とうまのことを持ち出されたら、私は何も言えないよ。

「そもそもアンタってさ、完全記憶能力の持ち主じゃなかったっけ。そんな能力持ってるのに、こんな機械の使い方一つ覚えられないなんて、ね?」

 みことがにやりとした。できるものならやってみろと言わんばかりな顔をして。
 そんな挑発をされたら、私だって、意地にも受けて立つしかないんだからね。

「よおぉぉし、わかったんだよ、短髪ぅ!! 完璧に使いこなしてみせるからねっ!! この私の記憶力の前に、平伏すがいいんだよぉぉ!!」

 あの直後に、みことがしてやったりって表情をしたのは、はっきりと覚えてる。
 というか、私のうしろでとうまが――GJ! ってやってたのもわかってるんだよ。ちきしょう。

 あー、でもみことの説明は、とうまに教えてもらうより、ずっとずっと分かりやすかったのかも。
 おかげで私は、1回教えてもらっただけで、完璧に覚えられたんだよ。
 後は応用次第……ってのは、まだちょっと難しいけどね。

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 うん。だからやっぱり私は、みことに勝てないんだよ。
 私はとうまに守ってもらう立場の人間なんだ。
 それは私の魔法名からして明らかなのかも。
 『献身的な子羊は強者の知識を守る(dedicatus545)』なんて、私が支える強者あってこそ、なのだから。

 だから……だから……。

――とうまを守って戦えるのは、みことだけなんだよね。くやしいけれど。

 ずっと私は、とうまとみことの関係には立ち入らないことにしてた。
 私だって、私だって、恋する乙女なんだから。
 だけどやっぱり、私はとうまには幸せになってほしい。

 だから……だから……。

 とうまの恋人にふさわしいのは、みことなんだってこと。
 それだけは認めたくなかったのかも。

 でもね、みことが作るご飯は、どれもやさしい味がして、とてもおいしい。
 なんていうか、ふんわりして、ほっこりして、心が満たされるっていうのかな?
 これは、人柄が出てる、って言うんだよね。
 だから、とうまが作るより、だんっぜんおいしいんだよ。テヘッ。

 わかってる。みことはとうまのことだけじゃなく、私のこともちゃんと気に掛けてくれてるってことを。
 汝の敵を愛せよとは、主の教えなんだよ。
 だから主の教えなら、私だって素直に従うのは、やぶさかではないんだよ。
 みことのこと、愛するぐらい、シスターとしての私には簡単なこと。
 だって本当は、私もみことのことが大好きになっちゃったんだもの。
 だから私は、とうまもみことも、私が支えるんだって思っちゃった。

 だから……だから……。

 これで私の罪が償えるとは思わないけど、それでもとうまとみことのために何かしなければ、私はこの先、自分を許せなくなるかも。

 だから……だから……。

「とうま!!だからなんで、みことを追いかけないのかな?」

~ ☆ ~

 私は自販機にもたれて、ずっと雨に打たれるままでいた。
 雨に濡れた髪の毛が、額にぴったり引っ付いて、ちょっとうっとおしく感じられてきた。
 まるで頭からシャワーを浴びたようになってて、服なんて上から下まですっかり、洗濯機から取り出したかのように、下着までずぶ濡れの状態。
 スカートを絞れば、ぼたぼたと水が垂れてしまうくらいに。
 とはいえ、空気は蒸し暑くとも、雨に濡れた私の身体はすっかり冷えてしまっている。
 エレクトロマスターの私は、体内電流を操って体温調節するぐらいのことなら、至極簡単なことだけど、今の私には、そうしないことでなんだか自分へ罰を与えているように感じていた。
 だからその冷たさを、身をもって実感することで、少しは自分のことを許せるような気がしてたんだと思う。

「当麻……ごめん……」

 そうして私は、何度目かの呟きを漏らしてた。
 その時だった。
 私の耳に、聞きたくて聞きたくて仕方がなかった声が聞こえてきたのは。

「――御坂。頭……冷えたのか?」

「――ッ!」

 もうそれだけで私には十分だったんだ。
 いつのまにか隣には、アイツが傘も差さずに立っていた。
 髪の毛からぽたぽたと滴を垂らしながら、私と同じようにずぶ濡れになって、ここまで走ってきたのか、はぁはぁと肩で息をしながら。

――もしかして……今の……聞かれた?

 アイツが来てくれたことが嬉しくて、顔が火照って、頬に赤みが差してくるのが、自分でもわかる。
 あの呟きを聞かれてしまったら……どうしよう。

 だから……だから……。

「アンタは……何しに来たのよ……」

 私にはアイツの言葉を素直に喜ぶことは、自分がなんだか、何かに負けたような気になって、また同じ間違いを犯してしまいそうなる。
 だけどそんな私に、アイツが言った言葉が……。

「頭、冷やしに来たんだ……。すまん! 御坂……」

「――ッ!」

 その言葉に私は、思わず声がした方へ顔を向けた。
 私が目にしたのは、本当に辛そうで、すまなそうな顔をしたアイツだった。

~ ☆ ~

 俺はインデックスに追い出されるようにして部屋を飛び出した。

「とうま!みことを連れ帰ってこなかったら、とうまの頭蓋骨、全部カミクダイテやるからね!!」

 そんなこと言われなくても、俺にはもう、あいつを追いかけることしか頭になかった。
 土砂降りの雨の中を、ひたすらあいつを探して走る。あいつを追いかけて走る。
 それは間違いなくここにいる、という確信を持って、俺はいつもの公園にやってきた。
 案の定、あいつはあの自販機にもたれながら、雨に打たれていた。
 そういえば、いつもはあいつが俺を追いかけていたっけ。
 電撃を放たれながら、俺はいつもあいつから逃げ回ってた。
 右手のおかげで、俺はあいつの電撃なんて、苦にもしない。
 俺はあいつが向けてくるものなら、電撃でもなんでも受け止めてやるって思ってるんだ。
 だから、別に悪意だって構わねえから、たまには電撃以外のものも、俺にぶつけて来いって思うことだってある。
 そりゃあ、まあ、なんだ。悪意よりは好意のほうが当然嬉しいわけで。
 それが告白だったりしたら……って、ええっ!?

――そうか。俺はあいつのことが、好きになっていたんだ。

 だったら尚更、さっきの事も合わせて、俺は素直に自分の気持ちを伝えよう。
 ここまで走ってきた息を整えながら、俺はゆっくりあいつに近付いていく。
 両手で顔を覆って泣いているあいつの姿に、俺は心が抉られそうになった。いや、本当は抉られた。かなり。
 当然だと思う。好きな女の子が、自分の所為で泣いてたら、誰だってそう思うよな?

 だから……だから……。

 俺はあいつのために、今、出来ることをするしかない。
 とにかく俺の方から頭を下げて、許しを乞うのが俺のするべきことなんだろうと思う。
 頭から全てずぶ濡れのあいつは、寒さからなのか、僅かに身体が震えているのが分かる。
 蒸し暑い日とはいえ、土砂降りの雨に打たれ続けば、誰だって身体が冷え切ってしまう。
 そっと近付いたとき、聞こえてきたのは、今にも消え入りそうなあいつの呟きだった。

「――当麻……ごめん……」

 あいつの声は、俺の胸の奥に、なぜだかストンと収まった。まるでパズルのピースがはまるように。
 それだけでなんだか、俺はあいつのためなら何でもしてやりたいって思えたんだ。
 あいつのことが愛しくて、可愛くて、大切にしたい、一緒にいたいって思えたんだ。

――ああ、そうか。俺は……そうなんだ。

 2人ともイライラして、2人とも頭に血が上って、そして勝手に2人とも噴火して。
 まったく。お互いに変な意地さえ張らなければよかったんだ。
 そうすればこんな思いをせずに済んだというのに。

 だから……だから……。

「――御坂。頭……冷えたのか?」

 急に声を掛けられたからか、あいつの肩が大きくビクッと動いた。
 すぐにあいつの声が返ってくる。

「アンタは……何しに来たのよ……」

 どうやら俺は、ちょっとツカミに失敗してしまったようで、さっきまでのしおらしいあいつを、また怒らせてしまったようだ。
 なんにせよ、とにかくこちらから謝るしかない、というか俺はもう、素直に自分の気持ちを伝えると決めていたんだっけ。

「頭、冷やしに来た……。すまん! 御坂……」
「――ッ!」

 俺の方へ向けたあいつの顔は、雨と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
 そんな顔を見せられて、俺は心臓をぎゅっと鷲づかみされたような苦しさに襲われる。
 俺は御坂にそんな顔をさせてしまったのかと思うと、情けなくて自分で自分を殴りつけたくなる。

――なにが『御坂美琴とその周りの世界を守る』だ。あいつの笑顔ひとつ守れねえで、そんな誓い、守れるわけねえだろうがよ。ちきしょう!

 そう思ったとき、それまで堪えていた気持ちを、俺は止めることが出来なくなっていた。

「お前を泣かせるつもりなんてなくて。すまん、全部、俺が悪かった。
許してくれなんて今更言えたもんじゃないのはわかってるし、許してくれなくても仕方ないと思う。
それでも俺は、お前の泣き顔じゃなくて、笑った顔が見たいんだ。
俺はいまさらお前にこんなこと言えないし、全部俺の勝手な言い分だし、こんな俺のこと嫌ったっていい。
わがままだってわかってるけど、俺、好きな人には笑顔でいて欲しいんだ……」

 だから……だから……

「――頼むから、お願いだから……笑ってくれよ。御坂!」

~ ☆ ~

 とうまが部屋から飛び出していったとき、私は黙ってその後姿を見送った。
 とうまなら、必ずみことを連れ帰ってくるだろうって、なんの心配もなく、素直にそう思えた。
 相変わらず私の気持ちはもやもやしてたけど、現実はそんな私にお構いなく、先へ先へと進んでいくのだから。

「行っちゃったね、とうま……」

 これでよかったのだと、無理やり自分にそう言い聞かせても、やっぱり何かしらこみ上げてくるものがあるわけで。
 視界がじわりと滲んだかと思った瞬間、頬に生温かいものが、伝い落ちるのを、私は感じていたんだ。

「ね、これでよかった……んだよね? スフィンクス」

 懐に抱かれた三毛猫は、私の顔も見ずに、にゃあとだけ短く答えた。

「ありがとね、スフィンクス。いまはちょっと、誰にも顔を見て欲しくないかなって思うんだよ」

 とはいうものの、止められない涙の言い訳を考えないと、私は、その想いに耐えられそうになくて。

「うん、これはね、お腹がすいてるから、空腹に耐えられなくて、泣けてくるんだよ。もうすぐお昼なのにね」

 きっとそうだと思い込むことで、今にも壊れそうな堤防を支えることが出来そうだ。

「とうまもみことも、いつ帰ってくるかわからないから、こもえかあいさのところへ行くんだよ」

 2人には、こんな私の顔を見せたくない。意地にでも、見せてやるもんか。
 だってこれは失恋じゃないんだもの。シスターインデックスに、そういうことはありえないから。
 なんにせよ、私が望んでいることは、とうまとみことが幸せであってくれること、なのだから。

 だから……だから……。

 おそらくずぶ濡れで戻ってくる2人のために、着替えの準備でもしておいてあげよう。
 私は2人分の着替えと、タオル類を用意する。
 そうそう、お風呂の用意をしておかなくちゃ。

「お風呂の掃除は、どうしたって濡れちゃうんだよね。頭から濡れることだってあるんだからね。そうでしょ? スフィンクス」

 私はそう独り言のようにつぶやくと、飼い猫を床に下ろすと、着替えを持ってお風呂場へ向かう。
 濡れてもいいように、白い修道服を脱衣所で脱ぎ、バスタオルだけ体に巻いてお風呂へ入っていった。
 敷いてあるとうまの布団はベッドの上へ放り出し、シャワーから水を出しながら、私は浴槽の掃除を始めた。
 冷たい水が、頭からかかると、私の涙も一緒に流れていく。

「みそぎって、こういう感じなのかも……」

 そう思いながら浴槽をスポンジでごしごし洗い、頭から冷たいシャワーを浴びていると、ふと自分の胸の奥底で何かがびりびりと震えているのに気がついた。
 その震えが徐々に大きくなってくるのを抑えようにも抑えきれず、いつしか嗚咽を漏らし、手で顔を覆ったまま、浴槽の中に座り込んでしまった。
 次から次へとあふれ出る涙を零し、咽喉の奥からこぼれそうな声を押し殺し、洟をすすり上げる。
 浴室内に響くシャワーの音が、押さえ切れない声を消してくれるのはありがたいよね。

――誰にも気付かれないなら、心ゆくまで泣いたっていいよね。

 掃除が終わったら、ここを出てあいさのところへ行こう。なぜだかあいさなら、私の気持ちをわかってくれるように思えるから。
 いっそ2人で、ハンバーガーでも食いだおれてみようかな。あいさ、まだチケットを持っていたはずだし。

 だから……だから……。

「それまで……グスッ……もう少し……こう……エグッ……してたって……ヒグッ……いいよね……、スフィンクス……」

~ ☆ ~

「――頼むから、笑ってくれよ……。御坂!」

 その言葉を聞いたとたんに、私はアイツの腕に飛び込んでいた。
 アイツの声が聞きたくて、アイツの優しさが愛しくて、もうどうしようもなくアイツのことが大好きで。
 そんな私の何もかも全て、アイツは受けとめてくれそうな気がしてる。
 だから何も考えずに、アイツの腕の中に飛び込んでいた。
 ずぶ濡れになった服を通して、アイツの体温と、ドキドキいう鼓動が伝わってくる。
 気がつけばいつのまにか、アイツの腕が私の背中に廻されてて、ぎゅっと抱きしめられていた。
 もちろん私もアイツの背中に腕を廻していた。

「ごめん……なさい……」

 無意識のうちに言葉が出ていた。
 意地とか強がりとか、恥ずかしさなんて、もうどうだってよくなってた。
 言いたいことも言えないなんてのは、もうこりごりだ。
 こんな辛い惨めな思いなんて、二度としたくない。

 だから……だから……。

「ごめんなさい……」

 やっと、言えた。言いたかったことが、やっと、言えた。本当にやっと、だけれど。
 この一言を言うために、私はなんでこんなに遠回りをしたのだろう。
 でも、だからこそ私は、こうしてアイツのことが、こんなに愛しく思えているのだから。
 私はこうして、回り道をして辛い思いをしなければ、アイツへの思いを告げることが出来ないんだろう。
 でもこうやって一歩踏み出せたなら、次ももう一歩踏み出せるはず。
 だからあと一言だけ……あと一言だけ、言わなければ。
 それが言えなければ、私はまた同じ間違いを繰り返す。
 そんなことは、もう絶対にいやだ。

 だから……だから……。

「私も……好きなの……」

 どれだけこの時を待ちわびただろう。
 何度も何度も頭の中でシミュレートをして、それでも何も出来なくて。
 だけど今こうして、やっとこの思いを伝えることが出来たんだ。

「――だから、そんなに辛そうな顔しないで。お願いだから」

 抱きついたまま、耳元でそう囁いたとき、アイツの身体がびくってしたのがわかる。
 お互い顔は見えないけれど、多分真っ赤になってるんだろうな。私だって、自分でもわかるぐらいに顔が火照ってるもの。
 ほんと、雨の中でよかったと思う。でなければ、私の頭はとっくにオーバーヒートしてたかもしれないから。
 冷えた身体も、それだけで十分に温まっていたんだもの。

 いったいどのくらい私たちは、そうして抱き合っていたのだろう。
 アイツがごそごそとズボンのポケットを探り出したかと思ったら、抱きしめていた身体を離して、私にハンカチを差し出してきた。

「ひどい顔だな。これで拭けよ」
「お互い様でしょ。アンタだって、鏡見てみなさいよ」

 だいたいそんな湿ったハンカチ出して、どうしようって言うのかしら、このバカは。
 もうちょっと乙女心を……って、危ない危ない。
 私の方こそ、もうちょっと修行が必要だ。

「ありがとう……」

 私は、精一杯の笑顔を、アイツに向ける。
 向けられた好意には素直に返していかないと、また同じことの繰り返し。

「――借りて、いいかな?」

 うん、よく出来ました、私。
 そうしてアイツから借りた湿ったハンカチで、雨だか涙だかでぐしゃぐしゃになった顔を拭った。

「これ、ちゃんと洗って返すから、ね。それよりも……」

 やられたら、やり返すのが女の道、ではないけれど、私だって心得ぐらいは持っている。

「アンタだってひどい顔してるわよ。これで拭いたら?」

 そう言って、私もスカートのポケットから、湿ったハンカチを取り出すと、アイツに差し出した。
 アイツはちょっと戸惑ったような顔をしていたけれど、すぐになにやら吹っ切ったような、さばさばした表情に変わる。
 そういう気持ちがきちんと前を向いている時のアイツって、私が好きなアイツのひとつだ。

「ありがとう。借りて、いいよな?」

 とは言うものの、もちろん同じようなやり取りなんて、この私がさせるはずがない。

「どうぞ。これと一緒に洗っちゃうから、そのまま返してくれればいいわ」

 そのとたんにアイツは、ニコッと笑うと、参ったとばかりに私の頭をわしゃわしゃと撫ぜてきた。

「お前にゃ勝てねーよ、御坂」
「あーもう。せっかく顔拭いたのに雫が垂れるじゃないのよ。バカ」

 こうして私たちはお互いに、笑顔を見せ合えるようになった。

~ ☆ ~

「なあ御坂、そろそろ戻らないか?」

 気がつけばさっきまでの土砂降りの夕立も、いつの間にか上がっていた。
 時折吹き過ぎる風に乗って、木々の葉に溜まった雫がこちらの方に飛ばされてくる。
 真っ暗だった空も、今は晴れ間が覗いて、頭上にはきれいな虹が架かっていた。
 俺は部屋を飛び出した御坂を追いかけてここまでやってきて、無事にと言うか、仲直り以上の展開があった。
 もちろんインデックスに背中を押されてというか、脅されてというか、まあ、彼女の後押しがあったからこそなのだが。
 いずれにせよひとり置いて飛び出してきちまったわけだし、早く戻ってやらないと悪いしな。

「インデックスのやつ、多分腹ペコで待ってると思うし……」

 そう言って先に立って歩き出そうとしたとき、俺は腕をつかまれて引き戻された。
 何事かと思い、振り返った俺が見たのは、もじもじと何か言いたそうにしている、顔を赤くした俯き加減のあいつだった。
 その表情が、いかにも一生懸命勇気を振り絞っているように見えたから、俺はゆっくりとあいつの言葉を待つことにした。
 多分今まで何度も言おうとして、言えなかったことがあるのだろう。
 ここで急かすなんて野暮なことはしたくないし、何よりあいつが勇気を出して俺に何かを告げようとしているんだ。
 ゆっくり待つのも男の甲斐性ってやつなんだと思うぞ。
 あいつもなかなか踏ん切りがつかないのか、緊張しているのか、俺の腕をつかむ手にぎゅっと力が入っている。
 視線はあちこち泳ぎ、顔はますます赤くなり、口はもぐもぐとして、わずかに肩も震えている。
 それを見ているだけで、俺は本当にあいつのことが可愛く思えていた。
 普段は竹を割ったような性格のあいつも、こんな時はほんとに初心で、純情で、儚くて、それこそ抱き締めてやらないと、どこかへ消えてしまいそうに思えて仕方がない。
 俺は今更ながら改めて気付かされたんだ。
 俺が好きな女の子は、こんな可愛い一面を持っていたなんて。
 俺のことをこんなに一生懸命、勇気を振り絞って追いかけていたなんて。

 だから……だから……。

 俺は、腕の中にあいつを、もう一度抱き締めていた。

「御坂、ゆっくりでいいから。俺はお前の言葉は何でも受け止めてやるから。俺に出来ることなら何でもするから。大丈夫だから。安心していいから。――だから俺のことを信じろ」

 俺の腕の中で、あいつの震えが止まったのがわかる。
 あいつの胸の鼓動が俺にも伝わってくる。
 そうしてあいつが、小さな声でゆっくりと思いを伝えてきた。

「あの……アンタを名前で……呼びたいんだけど……いいかな?」

 そういえば俺は、御坂に名前を呼ばれた記憶がないことに気付いた。
 いつも「アンタ」か、「バカ」か、「ちょっと」だけしか呼ばれていない。
 俺はあいつのことを普段は「お前」か、「御坂」だし、妹達と一緒の時は「美琴」と呼ぶことだってあった。
 やっぱり下の名前で呼び合うってことは、御坂にとっては特別な意味があるんだろうと思う。
 確か白井のことは黒子って呼んでたし。

 だから……だから……。

「おう、いいぜ、当麻って呼んでくれよ。俺は大歓迎だからさ――美琴」

 そうしたら美琴は俺の背中へ腕を廻してきた。しばらくそうしていたが、やがて大きく息を吐くと、小さく呟いた。

「――と……と、と、とう……ま………当麻、当麻、当麻!」

 美琴が腕にぎゅっと力を入れてきた。

「やっと……言えたんだ、当麻って。ずっと名前で呼びたかったんだ、当麻って。嬉しいよ……当麻」

 本当に嬉しそうな声だった。それだけで俺は、幸せな気分になれた。

「俺も名前で呼んでくれて嬉しいよ、美琴……」

 俺はそんな美琴のことが、今は本当に可愛く、そして愛しく思えて仕方がない。
 この感情が恋だというのなら、俺は本当に美琴に恋をしたんだと思う。
 ――当麻……ごめん……って言われて、ストンと胸の奥に何かが収まったとき、俺は美琴への恋を自覚したんだ。

 だから……だから……

「――出来ればずっと、名前で呼んでほしい。俺もずっとお前のことを、美琴って呼ぶからさ」

 俺の腕の中で、美琴がこくん、と頷いた。言葉になってなくても、俺にはそれで十分だった。
 美琴とはもっと、言葉だけじゃなくて、心でも、そして身体でも繋がりたいと思ったのは、その時が初めてだった。
 だからもう少し、このまま抱き合っているのもいいな、と思った。

~ ☆ ~

 お風呂の掃除が終わった頃には、私の気持ちもすっかり落ち着いた。
 まだ完全に吹っ切れたわけではないけれど、それでも自分の気持ちに、終止符を打てそうなんだよ。

 だから……だから……

 これでよかったんだよね?スフィンクス。
 私はこの街でたくさんの人と関わりを持ってきた。
 イギリス清教のシスターだけれど、私の帰る場所はロンドンではなくてここ、学園都市の当麻の部屋だ。
 だから私はずっと、この街で生きていきたい。
 とうまとみことと、そしてこもえやあいさやひょうかにまいか、たくさんの友達と暮らしていくのが私の願い。

 だから……だから……

 私はこれからもみんなと一緒に暮らしていくんだよ。
 とうまはこれからもずっと私と一緒に暮らそうと言うに違いないし、みことだって、私と一緒に暮らすことを望むだろう。
 とうまとは家族として、そしてとうまとみことが結婚したら、みこととも家族になれる。
 天涯孤独だった私に、家族が出来るって、なんて幸せなことだろう。これこそ主のお導きってことだよね。
 だからこそ私は、家族に幸せになって欲しいんだよ。
 私は聖職者として、みんなの幸せを神に祈る。
 私はこの学園都市で、みんなの幸せのために、神に祈りながら暮らしたいんだよ。
 でもその前に……

――お昼ごはんを食べないと、お腹が空いて死んでしまうかも。

「そうだ、あいさに電話しなくっちゃ……」

 とうまとみことが戻ってくる前に、この部屋を出て、ご飯を食べに行くと決めている。
 そうして戻ってきたら、とうまに恋する私でなくて、とうまの家族としての私になろう。
 もちろんそう簡単に割り切れるものではないけれど、こういうことは世の中には沢山転がっているんだから。

 あいさとはすぐに連絡がついた。せいりも一緒に誘ってくれるらしい。
 がーるずとーくをしようって言ってくれた。
 女の子だけ3人で集まって、お茶をしながら他愛もない雑談にふけることだそうだ。
 そんな暮らしが出来るなんて、『1年前』なら考えもしなかった。

 今日は『7月28日』だ。
 1年前のこの日は上条当麻が記憶を失った日。
 そして私が記憶を失わなくてもよくなった日。
 それは私にとって、本当に大切な日なんだよ。

 だから……だから……

 さようなら、上条当麻。あなたに会えて幸せでした。
 こんにちは、上条当麻。これからもどうぞよろしく。
 さようなら、インデックス。あなたに会えて幸せでした。
 こんにちは、インデックス。これからもどうぞよろしく。

 私、『Index-Librorum-Prohibitorum』は、今日を限りに生まれ変わります。
 上条当麻に恋した私は、これからは家族として上条当麻を支えます。
 みことだけがとうまを幸せに出来るんじゃないんだよ。
 インデックスだって、とうまを幸せに出来るんだよ。
 とうまにだって、いろんな幸せがあったって良いよね?スフィンクス。

 だから……だから……

 やっぱりみことは私のライバルにして同士なんだ。
 とうまを幸せにするために、私たちはこれからも、一緒に助け合えると思うんだよ。
 みこと、とうまのことをよろしくね。そしてインデックスのこともよろしく、なんだよ。
 そう思ったら、私はなんだか楽しくなってきた。
 さあ、気分を変えて、お出かけしよう。
 あ、とうまとみことに置手紙を書いておかなきゃね。

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 とうまへ。
 お腹が空いたので、あいさとせいりとご飯を食べに行って来ます。
 晩御飯までには帰ってきます。
 みことを泣かしたらダメなんだからね。

 みことへ。
 晩御飯、楽しみにしてるから。
 それと、とうまのこと、よろしく。

 2人へ
 お風呂が沸いてます。着替えもタオルも用意しておきました。
 風邪をひかないように、ちゃんと身体を温めてね。

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 とうまの部屋から出て空を見上げたら、さっきまでの土砂降りの夕立もすっかり上がって、空には晴れ間が広がっていた。
 頭上には、大きな七色の架け橋が見えて、私にはその虹が、いつになくきれいだと思えたんだよ。
 3人3様の幸せがあるならば、3人3様の支え方があっていいんだと思う。
 私はその虹に向かって簡単に祈りの言葉を捧げると、あいさたちとの待ち合わせ場所へ向けて、足取りも軽く歩き出した。

~~ Fin ~~


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