先に断っておくが私は『愛国者』などではない。愛国者なのは金岡かがみや石積彩花、他の幽霊狩りの連中であって、私は蚊も殺せないような情けない金岡かがみの仕事を代行しているに過ぎない。

 使命、思想、宗教、私情、そのどれでも無い。

 真性の雇われ殺人者。

 寝床と餌をくれる飼い主、石積彩花が国の平和を望んだから、愛国者の真似事をしてみただけだ。
 私は針鼠だが、愛国者でも無ければ幽霊でも無いし、ましてや金岡かがみ本人ではない。
 かと言って、私が何なのかと問われれば「金岡かがみである」と答えざるをえない。

 今は金岡かがみ以外の名前を持っていないからな。

 金岡かがみには自己の在り方、趣味嗜好、これまでの人生、確固としたパーソナリティが存在する。
 だからこそ、私は金岡かがみの名前を堂々と名乗れるわけだが、それは金岡かがみが築いた物であって、ポっと出の私はそれを借りているに過ぎない。

 「金岡かがみならこうするはず」を実行する芯の無い上っ面だけの被膜、それが私だ。

 まぁ、こんなのでも私達は結構上手くやってるんだぜ?

 たまに蟹を食べに行くのだって、楽しみの一つさ。




 東京都港区芝公園敷地内、高さ333メートルの紅白に彩られた電波塔と言えば、日本で名前を知らない者は殆どいないであろう東京都のシンボル的存在『東京タワー』である。
 荒れに荒れた待ち合わせ掲示板。三人の自称ジャック・ザ・リッパー、ビックマウスのガールズトーク、そして二人の自称口口。

 挑発文によりこの鉄塔へ招かれた自称本物口口は、展望台へと鼻息荒く上り詰めている途中である。

 ピカピカの赤いランドセルを背負った三十路の女、偽口口……針鼠は戦闘開始の第一夜、そのずっと前からこの東京タワーを第一拠点に据えると決定していた。
 理由はいくつかある、能力のリソースである鉄が豊富であること、高さがあり観測に適していること、最悪全損させても上司が許してくれること、などなど。

 恩師である石積彩花の片腕を喰った殺人鬼、口口が今回の戦闘に参加していると聞いた時は思わず笑みが溢れた。仕事の傍、個人的な事情から死ぬまでに殺さなくてはならない人物リストに記載された殺人鬼だ。北海道旅行が溶けた分の二割は回収できたと言っても過言ではない。

 三年前、私が居なかった場所に今夜は並び立てる。

 しかし、今回予定と大きく異なったことがある。石積彩花から聞かされていた話、そして上司から渡されていた殺人鬼のリストに記載されていた名前、容貌、能力から想像できなかった要素。

「……思ったよりデカい」

 身長2メートル、さぞやすらりと伸びた長身の女なのだろうと思っていたが、そのシルエットはもはや女性というより人間の服を着た灰色熊、筋繊維の防弾装甲を着たゆふるわ系ジャガーノート。
 二本の腕で首から頭頂部までを覆い、開けた敷地のど真ん中を堂々と歩いてくる「襲い掛かれるものならやってみろ」と言わぬばかりの強気さは、並の不意打ちの一度くらい受けて返せる余力があるのだろう。

 挑発に易々と乗って、仕留め損ねた後に近距離でのゴリ押し合戦などは間違っても避けたいところ。

 早々に長距離狙撃を諦め、鉄骨に固定した安全帯を伝って垂直降下を開始。能力の発動圏内である距離15メートルへの接近を試みる。
 距離15メートルとは、能力の起動が可能な最低限の距離であり、速さ、精密さは距離と反比例の関係にある。故に零距離への接近が望ましい、が。

「ずいぶん好き放題やってくれたね、偽物の方の私」

 距離25メートル時点の彼女の直上、口口の後頭部はこちらを見つめ返していた。人間では到底感知不可能な些細な音、匂いの変化、そして極めて野性的な直感が口口を針鼠へと導く。

「悪いね、君の名前を借りたのは、血気盛んな殺人鬼達に出来るだけ一度に潰しあってもらうためだったんだけれど、怒った?」

「散々煽っておいて、怒ってないわけないっしょ」

「ま、さておき初めまして綿塚翠くん……いや、『ろろ』くん?」

「私を『ろろ』と略すなよ針鼠、私は『マウストゥーマウス』で通してんだ」

「あぁ……リストには『口口』って書いてあったけれど、そんなややこしいルビ振られても読めるわけないじゃあないか、気取らず片仮名表記でそう書いておけよ、恥をかいたぞ」

「それはリストを作った上司の問題じゃないの」

「それはそうかもしれない」

 しかし依然、環境や能力のアドバンテージはこちらにある、はず。降下速度を緩めながら15メートルすれすれまで慎重に接近する。

「良いねぇ身軽そうで、スパイダーマンみたい」

「次に会う時には赤の全身タイツを揃えとくよ」

 口を動かすのは緊張しないためだ、緩く張った縄の様に。しかし目は逸らすこと無く、そしてお互いに一切手の内を見せず、一歩ずつ着実にその距離は縮まっていく。

「私の身体を見ると多くの人間はこう考える、重そう、鈍そう、距離を取れば問題無い、力が強いだけだ、と」

「そう見える」

「でも、実際にはそうではない」

 この時はわたしが先に動いた。口口の足場を昇華して消失、落下から逃れるために掴んだ鉄柵を有刺鉄線で編んだ網へと変える。上下の直線距離10メートル、退路を断ち最適距離に釘付けにする作戦だった。

 しかし、足場を失った口口の初動の読みを私は外していた。昇華の開始と同時に全力の跳躍、コートの内側から姿を現した四本の剛腕は階段外周の鉄骨へと伸び、ほぼ垂直の鉄柱を易々と登りこちらへ迫る。

「うぉ!? キングコングか君は!」

「だぁれが『監督の悪ふざけでアクシーズファムの服を無理やり着せられた、パシフィック・リムの後半に香港で二体同時に登場する怪獣の子持ちトカゲじゃない方、カテゴリー4・レザーバック』みたいだってぇぇ!?」

 そこまでは言ってない。

 進行方向を遮る、鉄筋の一部を馬防柵へと変換して勢いを殺す。インファイターであろう口口と、物理的な距離を稼ぐことはそのままアドバンテージに直結する。
 初動こそ透かされて遅れを取ったが、やることは変わらない。適度に相手の進路と退路を破壊し、とにかく距離を保ち続ける。
 初手を見た限り効果範囲内ギリギリを昇華させて足場を奪う速度より、口口の跳躍による回避は速い。

 ではどうするか。

 まず、能力の効果範囲内にある鉄骨の表面を軽い衝撃で折れる、胴径2ミリ長さ3センチの鉄釘へ変換。それを出来るだけ多く踏み抜かせる。
 ライフル弾数発では倒れないタフネスを有しているとしても口口の肉体は鉱物ではなく有機物、即ち肉である。
 貫いて致命傷にはならずとも、鉄釘で刺せば刺さる。

「痛かないねぇこんなの!」

 その巨体が釘を踏んで痛がるなどとは考えてない。

 さておき、口口の戦い方は正しい。圧倒的なフィジカルと野生動物並みの感覚器官で相手より先に見つけて素早く接近、何もさせずに殺す。極めてシンプルだが、一番強い正攻法である。

 ただ強いことは最も恵まれた強さだ。

 私も職業柄、何度も苦い想いをさせられてきた。

 だが、生き残ったのは私の方だ。

 これからも、この先も。

「頼むぞ相棒」

 ランドセルの下部に接続された大振りなガンホルスターから抜かれたのは、銃身銃床を切り詰めたイタリア製散弾銃、Benelli M3 Shorty。
 後退しつつ三発、常人の二倍の前方投影面積を有する彼女を狙って外すことはない。

「無駄だっつーのそれ!!」

 ライフル弾が貫通するかも怪しい肉の塊に散弾が有効かと問われれば、言うまでもなく無意味である。
 近接戦を補完するならば拳銃で十分なものを、敢えて大柄な散弾銃を選択している理由。

「ん〜〜!?」

「結構深く刺さるでしょ、それ」

 防弾装備を貫通させる目的で作られた、小さな鉄の矢を装填した散弾実包、『フレシェット弾』と呼ばれるそれは私の能力と非常に相性が良い。

 本来は貫通させる用途で使われるが、今回のような対面の場合『そこそこの深さに到達して除去が困難』であることに大きな意味がある。
 体内に残った弾頭をちょうど矢尻の様に返しのある形へ変換し、足場から編み上げた鉄線は四肢ならぬ六腕三脚の九肢を鉄骨へ繋ぎ止める。それはさながら、小人の国に訪れたガリバーの如く。

「ブスッと行くぞ、大捕物だ」

 ランドセルに収められた鉄塊は最長射程の鉄槍へと変換される。無論、私がこれを振り回すことは不可能だ。
 しかし、擬華の瞬間のみ誤魔化される重量、それを利用した加速、そして慣性から発生する一度限りの『突き』。ノーガードで受ければ、流石の口口も即死は免れないはず。

 いや、そうでなくては困る。

「流石にそれは受けきれないよ」

 ニヤリと笑うその口元、私は決着を急いたことを後悔する。

 それは能力の起動が開始した後での理解であり、自分の一手が無駄に終わると知りながら、鉄槍の鉾先が彼女の心臓へ目掛けて伸びて行くのをただ見守ることしかできない。

 自切。

 トカゲが鳥に食われないために尻尾を切り離すかのように、瞬時に九肢は切断された。

 鉄槍は胴のあった虚空を突き、自重で落下する。

 そして達磨状態の彼女は腹部に増設された口で切り離したパーツを丸呑みにすると、真新しい新品の肢体を生やす。

 距離があったのはこちらにも幸い、ランドセルに鉄塊を補充する時間くらいは確保できた。

 しかし、想像していたより再生のサイクルが早い。その焦りを感じ取ってか口口は意地の悪い顔でケラケラと笑って見せる。

 ごうと一際強く風が吹き抜けた。

「なぁ、見てよこの腕、誰のだか分かる?」

「さぁね」

「わかんだろ、ホレ、上司の石積彩花の腕だよ」

「……あぁ、なるほど」

 六本の腕の一本は確かに鋭利な結晶を纏い、非常に悪趣味な煌びやかさを放っている。しかし見るに能力の全てを模倣するわけではない、食ったのが一部なら顕現する能力も一部、か。

「それでさぁ、これの反対側に……金岡かがみ、あなたの腕くっつけたら凄い可愛いと思うんだよね」

「……は?」

「あの事件でぶち殺した石積彩花の部下、最後の生き残りだ。あなたを殺して、最後に石積彩花も殺す」

 何故この女は私の名前を知っている?

 私があの事件の時に同行していた? それはおかしい。口口の事件の当時、私は昏睡状態にあった。目覚めたのはそのもっと後で、現場に同行した石積彩花の部下は全滅して……

 この齟齬はなんだ?

「……君、過去の私を知っているね?」

「いいや?全然」




 知らないわけがなかった。

 あれは間違いなく私の姉だ。

 それが過去の記憶を喪失し「針鼠の金岡かがみ」などと名乗って私の前に現れたのかは皆目見当がつかないけれど。

 少し察しが良ければ、あの二人羽織の様な歪さに気がつくと思う。そして、それは私から見れば明白であった。
 確かに記憶にある通りの姉の顔と口調で話すが、声色は姉のものでは無い。それは金岡かがみの声ではあるが、金岡かがみの喋り方や考え方では全くない。そして、時に姉が絶対にしない様な乱れが混じり、それは金岡かがみの物と理解できる。

 簡潔に言えば頭部は私の姉だが、その身体は金岡かがみという別の女性のものである。

 なぜそんな歪な人間がいるのか。

 それは私の生い立ちから語らなければならない。




 田舎育ちの私は、小学校に入学するまで散歩道にある近所の送電塔を東京タワーだと思い込んでいたから、学校で大恥をかいた思い出がある。写真で見ればまぁ似ているではないか、電波塔も送電塔も。

「みどり、あれは送電塔って言って、日本中の電線を繋いでる一つなんだ」

 ふとした時に思い出す幼い記憶の中には、いつも頼りになる六歳上の姉がいて、私はピカピカの赤いランドセルをいつだって追いかけている。

 綿塚朱音、姉は名前通り赤や情熱と言った言葉が似合う女性だった。

 少々荒っぽいところもあるけれど、そんなものは余りある魅力に比べれば微々たるものだ。
 歳の離れた姉妹なんて、お下がりを押し付けられて嫌なだけだと友人は言うけれど。憧れの姉のお下がりはなんだって嬉しかった。入学式の時から既に六年分の年季が入ったランドセルも、クタクタの制服や体操服も、全て姉との繋がりだ。

 そんな幸せな世界が壊れたのは三年前。

「綿塚翠、私はあんたを哀れに思うよ」

 私の前に現れた石積彩花はそう言い放った。

 彼女は『始末屋』だった。警視庁所属の刑事であると同時に、逮捕や裁判の過程をすっ飛ばしてでも処理する必要のある凶悪犯を狩る猟犬。

 猟犬の標的にされた理由は一つ。

 虚弱体質だった私が余命数年と宣告されてからというもの、外科医だった父は、非合法なルートから仕入れた臓器を移植して私の命を繋いだ。何度も繰り返される移植手術とその結果として得られた能力が『摸喰』であり、私は他人の臓器を奪って我が物とすることで生きながらえてきた。

 だから『人を喰って生きながらえる怪物』として国に認定された。だからその関係者ごと全て葬り去る。そう言って目の前で両親は殴り殺された。
 迫りくる金剛の手刀は私を庇った姉の頭蓋を砕き、跳ね飛ばした。永遠にも感じられる一瞬の静寂の後、次の瞬間には私は姉の頭を抱えて走り出した。

 父は戦わなければならない日が来ると予見していた。与えられるがまま人肉を喰らい、私は生まれついての小柄で肉の薄い身体に、次々と他人の身体を継ぎ接ぎしていった。
 今や私の身長は二メートル。その巨躯を支える逞しい健脚は圧倒的速さで地面を蹴る。トップスピードに加速した前傾姿勢を長い尾の様に伸びる三本目の足が支える。問題無い、この速さなら確実に逃げ切れる。

 私には一つのヴィジョンがあった。

 身体や臓器を喰らって奪い、自分の身体の一部とすることが可能である。ならば、人間一人分の部品を再現するとどうなるのか。
 しかしそれは薄い望みだった。仮に姉の死体から姉を復元したとして、それは元の通り姉として生きられるのか、そもそも他者の生命を自分の中に作り出した時、自分は無事で済むのか。

 私は姉を助けるために必死だった。出来の悪い頭で一生懸命考えた。悍しいこの身体を隠せる林の中へ逃げ込み、周囲に誰もいないことを確認し、西瓜のように無残に叩き割られた姉の顔を見た。

 倫理や道徳などの綺麗事では救えない人間がいる。もしそれが本当に大切な人間だとしたら、如何なる悪行ですら厭わない。父は私にそう言い聞かせていた。

 いや、実際のところは私ではなく父自身に言い聞かせていた様にも取れる。ならばそう、私も父に倣ってそうする。

 そうした。

 私はその時、初めて自分の意思で人間を喰らった。今までの通り生きる為にそうせざるを得ず、泣きながら肉を胃に流し込む様な消極的な捕食ではない。

「世界で一番大好きなお姉ちゃんが、不味いわけないよ」

 動物の肉など視界に入れるだけで吐き気を催す程にトラウマを負っていた私が、親密な人間に関してのみ例外的に、脳を騙すことができた。

 できてしまった。

 愛する家族を不味いと思うわけがない等という非常に都合の良い刷り込みを行うことで私はひとまず姉の死体を胃に収める事に成功した。しかしそれは同時に人間として外してはいけない掛金の一つを破壊している。

 皮肉にも、私はそこで自分自身の性を自覚してしまった。

 特別な間柄にある人間を喰い殺すことにより快感を感じることができるのだと、知ってしまった。

「綿塚翠、追いかけっこは終わりだ」

 そんな感傷的な余韻に浸る間もなく、宝石女の石積彩花とその部下は私を取り囲んでいて、見上げる夕焼けの空には一機のヘリコプターが林の周りを旋回している。

 当然の如く、この過疎地域で身長二メートルの大女は見逃されるはずがなかった。

「お姉ちゃん、絶対に助けるからね」

 後のことは以前語った通り。私は石積の部下達を一人一人喰い殺し、その右腕を喰いちぎるところまで追い詰める。

 殺した部下の一人が、確かに金岡かがみという女だった。

 初めに姉の頭部を自分の背中に生やした。そして最も損壊が少なく済んだ姉と同じB型の血液を持つ金岡かがみという女の身体を継ぎ合わせ、私は姉の肉体を作り上げた。

 しかし、私本体から切り離すと、それはどうにもならないただの冷えた肉塊となった。

 殺人鬼『口口』はやがて人間を求めて都心へと向かい、終いには海外へと出て行くこととなる。

 結局、形ばかり綺麗に復元されてついには目を覚さなかった姉の肉体を父の知り合いに預け、何か救う手は無いかと世界を巡った。

 そしてとうとう、どうやらその旅が無意味だったのだと理解し、医者が姉の身体を生かし続ける刻限である三年は経過した。

 話は石積彩花との二度目の邂逅まで進む。

 せめて、最期はきちんと自分の手で埋葬してあげなければと、私は東京へ帰ってきた。




「名前は偶々知ってただけだよ金岡かがみ。その他は本当に何も知らないんだ」

「あっそ」

 口口は針鼠の過去を知らない、了解した。

 些末なことに気を取られて命を落とすくらいなら、それらは一切考えるべきではない。
 考えるべきは如何にして口口を絶命させるかのみであり、仕切り直しに入った今がその絶好の機会である。

 さて。

 今回はリソースである鉄が豊富だったのが、大技を雑に切らせる心の隙となってしまった。

 もっと手っ取り早く、鉄を磁力なんかで浮かせて振り回せる能力なら良かったのだけれど、生憎そこまで便利な能力では無い。
 やはり私に向かってゆっくり手繰り寄せるか、無軌道に放射するのが関の山だ。

 二秒、呼吸を止めて大きく息を吐く。

 「無いものねだりなんてのは針鼠らしくない」と自分に言い聞かせ、思考をリセットする。

 私の得意とするローコストに削りを入れてトドメを刺す作戦は口口の疑似的な再生能力と非常に相性が悪い。だからまずは、基本方針を変更する。

 不本意だが、今回は泥臭くやらざるを得ないだろう。

「握りなよ、不細工肉ダルマ」

「馴染みの肉切り包丁があればもっと格好ついたんだけどさぁ、本当に手癖の悪い鼠だね」

 向かい合う殺人鬼。月明かりをギラリと写しとる六振りの刃物、相対するは掌に収まるほどの粗末で小さな二つの鉄の礫とそれを繋ぐ鉄の縄。

 ボーラという武器だ。

「あーん?」

 口口の怪訝な眼差しは理解に苦しくない。槍や鉈か、もしくは盾でも作った方が、幾分か勝ち目はあるだろう。
 だが、『棒』で遠ざけられる脅威には限りがある。それは銃や爆弾でも変わりない、私は外に押し出す力で口口に勝つ事はできない。
 この針鼠の身体は『棒』に囲まれているから、誰よりもよく知っている。

 だからこそ、今持つべきなのは引き寄せる『縄』だ。

「私は針鼠、国民の命を脅かす敵を討つ」

「目の前に立つ者を喰って殺す、私は口口」

 どんな相手にも臆しないことは、それだけで一つの才能である。間合いに入った瞬間、こちらの手の内などお構い無しに打ってきたのは口口の気質であり、彼女の持つ強さの本質。

「うららららららァァ!!!」

 乱打、滅多打ち。およそ技と呼べるものではないその刃捌きが、しかし六つも重なれば純粋な数の暴力となる。
 しかし、それは切先の軌跡が届く範囲の中での話であり。ボーラは原初の投擲武器であり、射程距離に関して当然優っている。

 腕が何本に増えようと、体軸の捻りによる遠心力から腕の先に威力を生み出すという人体の運動力学の基本からは逃れられない。
 前後、もしくは左右の動作は必ず交互であり、右側の腕が動作している間に反対の左側の腕を十分に動作することは不可能、それこそ無理をすれば脊椎が死ぬ。
 「ただ雑に振っている時」と「当てるつもりで振っている時」の差が目で分かれば、見切りは容易である。
 そして、片側三本の腕を一本に束ねる程度の技量が私にはある。

「右側、貰うよ」

 目論見通り右腕の自由は奪えた、しかしそれでも口口は止まらない。所詮小細工は小細工だと嘲笑う。
 肩から自重の重さを活かした体当たり。直撃の瞬間、飛び退いて衝撃を殺さなければ内臓は破裂していた。
 畳み掛ける左の大振り、身体を逸らせる余裕は、もう無い。

「黒曜石のナイフだ!よく切れるよコレは!」

 しかし、咄嗟に一つ武器を作る程度の余裕はあった。盾などを用意せず二つ目のボーラを編んだのは、盾の重みで機動力を損ね、上から蹴られて落下するのを防ぐため。だからと言って、腕で受けるなど愚策も良いところだが。

 例え、骨格を鋼鉄の被膜で覆っていたとしても。

「ひゅ〜、石積彩花そっくり!」

 予想通り黒曜石は、肉を断ち骨の表面に到達した時点で、接触の衝撃に耐えられず破砕された。しかし、こんな物は鉄を操って見せた時点で明かしているようなものだ。口口にとっては確認作業の一つでしかない。

「そいでこっちはモリブデン鋼、絶対に砕けない」

 鈍い金属音、人骨の砕ける音が身体に響く。

 続け様に打ち込まれた左からの二撃目、宣言通りモリブデン鋼の鉈は砕けなかった。しかし受けた私の左腕も橈骨の断裂、尺骨の不全骨折で済んだ。

 果たして、砕けたのは振り下ろされた口口の左腕である。

「どうした?鉄分とカルシウムが足りてないんじゃあ無いのか」

 その煽りは言葉通りの意味で、再生力の由来が『巻き戻し』ではなく『再生成』である点に、私は賭けた。
 彼女の圧倒的な筋力で振るえば、並の物体は砕け散る。だがステンレス鋼やモリブデン鋼の様な硬質な鋼材が衝突する時、撃ち合って反発した力は手首や肘などの関節へ還っていく。
 無論、私も各関節部を鉄の固定具で補強していなければただでは済まなかったが。

「……曲芸師かと思ったけど、そういうのもできるのね」

 思惑通り、口口が自身の能力で再生させたばかりの腕だけが『若さ』故に衝撃を受け切れず砕けた。

 そして距離を取ろうとする口口を私は逃さない。退いてゆく抜き足を踏みつけ、足場の鉄骨から生成した鉄杭を踏み抜かせる。
 引いた半身の先、砕けた腕には二度目の打ち込みの反動で縄が巻き付けられており、焦って自切した瞬間に容易に手繰り寄せられた。

 まずは一本。

 奪った腕は縄を引く勢いで放り捨てる。砕けかけた、しかし鋼のフレームで覆われた左腕の肘が、鉄杭で固定した彼女の膝を叩き割る。

 そして二本。

 前傾を支える関節が砕け、口口の上体が大きく揺らぐ。

 類人猿が四足歩行なのは、上半身の筋肉とのバランスが取れないからだ。
 仮にその太い腕を三脚で無理やり補完したとしても、六本腕は多い。それが二脚となれば尚更言うまでもなく。

 一本でも脚を折れば、腰を入れて腕を振るう事など到底不可能である。

「脚も入れてまだ七本も残ってらぁな!!」

「もう七本しか無いんだよ」

 振りかぶる三つの刃を退いて避ければ、体幹が保たず勝手に転ぶ。返す手でランドセルから尾の様に繰り出した特大の鉈は三本の右腕を落とした。
 ボーラでひとまとめにされた腕を先ほどと同様に縄で絡め取り、自食による再生を許さない。

 三本、四本、五本。

 引き寄せる腕の一本が異様な膨れ方、わずかな金属音、手の平に見える「口」の様な器官。無いという前提を立てさせた上での小細工ほど恐ろしい物は無い。

「盗っ人に天誅!」

 だが倒れ込む口口は、いけすかないニヤけ顔を崩さなかった。二度目は無い、前提を崩した二度目だから、零コンマ数秒の遅れの内に回避行動ができた。

 爆ぜる腕。

 皮肉なことに、その人肉手榴弾に詰められていた鉄片はフレシェットの弾頭と鉄釘である。

 そして一瞬の怯みは見逃されない。残る最後の左腕二本で私の脚を掴む。折れた脚を引き摺って、這ってでも喰らいついて脚を奪うつもりだ。
 全神経を動員して足場の鉄骨を昇華させるが、あと一歩、間に合わなかった。

「は?」

 宙吊りになる巨体は、すんでのところで私の脚に手が届いていた。腕を切断したとは言え、ゆうに100kgを超える肉塊を片脚で支えるなど、到底無理だ。

 脚が千切れるか、諸共に落ちる。

「寄越せ!その脚寄越せェ!!!」

「オイ!やめろ馬鹿!落ちろ!落ちろ!落ちろ!」

 最早それは第一級の殺人鬼同士の優雅な闘争とは程遠い、文字通りの泥塗れの蹴落とし合戦。

 鉄骨に手をかけたまま片手で散弾銃を撃ち放つが、まるで当たらない。引き金を弾く程度には回復したとはいえ、疲労と先ほどの骨折で追った損傷が大きな障害となる。

「分かった!分かったよ口口!一度引き揚げてやるからせめて下半身を自切して軽くなれ!」

「嘘つけ!仮に本当だとしても左腕二本じゃあんたに嬲り殺しにされて死ぬ!」

「そうだよ分かってんじゃあねぇか!なら死ね!落ちて死ね!私と石積さんと日本国民のためにお前一人が落ちて死ね!!!不細工肉ダルマ!!!!」

「なんっ!なんで!お姉ちゃんいつもそうやってすぐ私に暴言吐くんだよぉ!!!」

「しょうがねえだろ!いくら能力で身体改造しても、みどりの生まれ持ってのぽっちゃり気質には逆らえねぇんだから!!」

「うわぁぁぁぁぁ!!!お姉ちゃんの馬鹿ァァァァ!!!!」

 なんで当然の様に「お姉ちゃん」と呼ばれたのか、何故口口を「みどり」と呼んだのか。金岡かがみの被膜でしかない私には分からなかった。

 だから、こんなものは一瞬脳に生じたノイズに過ぎない。

 ただ、キレると口が悪くなるのは『血のせい』なのだろうなぁとぼんやり思った。

 ぼんやり思って、夜空に舞った。




 落下の瞬間、避けようの無い明確な死が脳裏を焦がし、私は姉から手を離してしまった。

 ちゃっかり鉄骨と身体を縄で繋いでいた姉が、数十メートルの落下で停止していたのを見送り、あんなに近かった雲と星空が遠のいて行くのを感じた。

 打ち付けられた身体は全く動かすことができなかったが、分厚い肉のお陰で背骨と脳は守れた。辛うじて意識だけはある。

 そうは言っても内臓はボロボロだ、時期に死ぬ。

「まだ息あるのか、口口」

「……針鼠」

 姉は折れた腕と鬱血した片脚を引きずって、東京タワー裏手の駐車場へと落下した私の元へやってきた。

「そのままじゃ苦しいだろう、何か言い残すことがあるなら、聞いとくけど」

「駅のロッカーに……荷物があるんだよ、鍵渡すから、適当に捨てておいて」

「……良いよ、やっておく」

 元より石積彩花と決着をつけ、姉の脳死体が焼き終わったら自殺する腹づもりだった。仮に姉が蘇っていたとしても、私はその隣を歩むことなど許されないのだ。

 何故なら、私は殺人鬼「マウストゥーマウス」であって、あの頃の綿塚翠ではないのだから。

 だからこれで良い、今姉に殺されておくことが最も良い終わり方のはずだ。

 見上げる懐かしい顔、吐息は白く浮かんでは消え、首に当てられた暖かな刃は熱の篭った身体を冷やしていく。

 それは穏やかな眠りにつく前の様にとても充足した終末で、望んだ通りの結末だと。

 そう、言い聞かせた。







「おやすみ、みどり」

「おやすみ、お姉ちゃん」

 そんな幻聴が、聞こえた気がした。






 綿塚翠は推定二百人強の人間を喰い殺した筋金入りのシリアルキラーだが、そんなものは私がこれまでに殺した人間の数から比べたら微々たるものだ。
 反社会的思想家、新興宗教信者、在日活動家、密猟者、軍人、警官、政治家、市民、老人から赤児まで。

 次から次へと現れる火種を潰すためには、両の手では足りなかった。コネのある上司の手を借り、私の代わりに殺しを遂行する法の外側に立つ狩人として『幽霊』を育てた。

 針鼠、金岡かがみはその一人だ。

 彼女の気質は少々、いやかなりこの仕事に向いていなかったが、その能力と志しを確かな物と見込んで部下に率いれた。

 そして三年前、綿塚翠という魔人を処理する仕事が回ってきた。

 語るまでもないが。田舎に偶然発生した、少々危険な能力を持った市民一人を制圧するために、大掛かりな武装など必要無いとたかを括った私は、直属の部下数人と多くの警官を死なせ、片腕を失った。
 愛国心などという綿菓子の様な世迷言を流布して、多くの若者を殺人の螺旋へと煽動し、挙句がこの様だ。

 笑えるな。

 そして数ヶ月後、頭部だけが綿塚翠の姉、綿塚朱音に挿げ替えられた植物状態の金岡かがみの身体が届けられた。

『目を逸らすな、これがお前の行ってきた愛国活動の末路だ』

 黙れ、そんなものわざわざ見せられなくても毎日他所で見てる。

 蘇生は思ったよりも簡単に成功した。無論一般には公開されていない非合法の手段だが、とにかく彼女は目を覚ました。

 なんとも都合がいいことに彼女は自分が綿塚朱音である事や、自分の頭と身体が別々の人間である事、そうなった経緯、私の過去の行い、全ての記憶を喪失していた。
 そして何より、新しい人格は金岡かがみより狩人としての適性があった。

 私は止まれなかった。これまでに犠牲にした部下の損失を取り戻すためには、もっと多くの流血が必要だった。愛国心に酔ったこの馬鹿を止める者など誰も居ない。
 歩みを止めればすぐにでも過去が私を殺しにくる、そう思うと引っ込みもつかなくなっていた。いつしか国を守る為の殺しなのか、降りかかる過去のツケから逃げ続ける為の殺しなのか、自分にも分からなくなっていた。

 毎晩そんな事を堂々巡りに考え、気絶する頃には朝が来る。そして毎朝人を殺すために家を出る。

 玄関で鏡を見れば、いつだってそこに映っているのは醜い悪魔だ。




 うぃっく、と低音のしゃっくりを鳴らすのは背格好に似合わないピカピカの赤ランドセルを背負った長身の女。今宵も労働に身を窶し、酒を飲まずにはやっていられない勤め人は、猫のように丸まった背中から気の抜けた声を出す。

「すんません、ビールおかわり」

 豪快な大ジョッキに並々と注がれた黄金色のアルコール飲料をすすれば鼻の下にサンタクロースよろしく立派な髭が付き、諸人を優勝へと導く音が頭に鳴り響く。
 女は恩師と会うためにこの場所へやってきたわけだが、気の早まりから一時間も早く到着し、きっかり一時間で優勝していた。

 そして約束の時間通りに、約束していた人間はやってきた。

「らっしゃい」

 店主の愛想の無い声を受けて暖簾をくぐった女は、すっかり出来上がった女の隣へと座った。

「熱燗出汁割り。玉子、大根、あとちくわぶ」

 泥酔した女の介抱を後回しにし、まずはすっかり空になった胃袋に温かい食事とアルコールを流し込む。

 一方の女は半ば気絶に近い状態にあり、屋台の卓に顔面を突っ伏したままマリアナ海溝より深い溜息を吐き出すと、姿勢良く背筋を伸ばして約束していた女と向き直る。

「お久しぶりです、石積さん」

「全くお前は……禁酒したんじゃなかったのか?」

「……本当はビールなんて嫌いなのです、しかし飲まねば生きてゆけぬので、飲むことを悪しきビール会社から強いられているのです」

「そうか」

「石積さんが前に仰っていた『口口』、この間の仕事で遭遇しまして」

「……あぁ、聞いてるよ。死んだ部下達も天国で喜んでいるはずだ」

「でしょうね」

「それで……その、奴は何か言ってなかったか?」

「石積さんに、よろしくと」

 その狼の様に鋭い眼光は、物理的な痛みへと変化してゆく。肺に水が満ちて呼吸を遮られる感覚の後、咥内に赤い鉄の味が広がった。

「私の頭蓋骨、まだ鉄板で補っているんですよ」

「……全部、聞いたみたいだな」

 金岡かがみに脅されたおでん屋の店主は、言われるがままに料理に鉄粉を混入させた。
 そしてそれは胃を突き破り、血中の鉄分を吸収して肺へと侵入。肺や心臓を胃液で浸すパイプとなって、石積彩花の体内を侵食していた。

 この無体で暗殺めいた殺害方法を可能としたのは三つの幸運な条件が揃っていたからだ。
 金岡かがみと石積彩花が親しい関係にあったこと。体内で鉄塊を育てる時間と精神的な余裕があったこと。そして石積彩花の体表を覆い尽くす金剛の鎧が、内臓までは守れなかったこと。

 金岡かがみは、何も迷わずこれを実行できた。

「お前は優秀な後継になってくれると……思っていたんだけれどな」

「そのつもりでしたよ、ついこの前まで」

「……怒っているか?」

「怒ってるよ」

「……怒ってるよ!!だって私は本当に尊敬していたから!貴女の理想や在り方に憧れたから!その背中を追いかけて『針鼠』になったのだから!」

「そうか」

「こんな結末になるくらいなら……無力なまま貴女に殺されていた方がずっと良かった……!」

「そうか」

「貴女のせいで私の人生めちゃくちゃだ」

「そうか」

「謝れよ」

「悪かった」

 正直に言えば、謝って欲しくなかった。

 私と妹の人生を破滅させた挙句、過去を隠蔽して素知らぬ顔で私の師匠面をしていた悪魔のような女が、志高く仲間想いな人格者であると私は知っているから。死に際ぐらい、もっと無様に醜く在ってくれなければ。

 この私だけが、身勝手な悪者みたいではないか。

 ボロボロと大粒の涙を流す女は、上着から取り出した拳銃を己の顎下に突き付ける。

「こんな世界!!!もう嫌だァァァ!!!!!!」

 その叫びは金岡かがみ本人のものであり、同時に被膜である綿塚朱音のものでもあった。
 こんなにも世界が愛さなかった自分達を、どうやって愛せるというのか。関わった人間に片端から不幸と死を振り撒く疫病神は、どこで生きることを許されるというのか。

 見上げる冷たい夜空はのし掛かるように重く煌めいていて、迷いなく引き金を絞れる程度には冷静さを取り戻させてくれた。




 キン、と発砲音が轟く。




 果たして、弾丸が頭蓋を貫く事はなかった。

 石積彩花がとっさに腕を伸ばした反動で諸共地面へ転げ落ち、金岡かがみは石畳に体の熱を吸われながら、いつもの冷静な方の自分へと切り替わっていくのを感じていた。
 覆い被さるように乗った女の身体から金剛の礫が剥がれ落ち、血に濡れた紅色を乱反射する。


「_________」


 見慣れた凛々しい顔は、すっかり青冷めていた。微かに震えた唇から伝わるはずの声、しかし引き金の残響は金岡かがみから全ての音を奪い去っていた。

 次第に穏やかな窒息が、石積彩花の息の根を止める。



 金岡かがみはいつも通り、吐き戻しそうなほどの陰鬱な気分で仕事を終えた。





 金岡かがみです。どちらかと言うと愛国者で、蟹と北海道が好きな方の金岡かがみです。

 今宵、針鼠が口口さんを殺したのは彼女なりの後始末のつもりだったのでしょう。
三年前の私や石積さん達の仇であり、もはや居場所も目的も見失った怪物と化してしまった口口さんを終わらせられるのは、彼女以外にいなかったでしょうから。

 私は……どちらでも良かったと言えば、嘘になりますけれど。

 結局はなるようになってしまうので、石積さんへの復讐を止められなかったのも、同じ理由です。口口さんにはどちらかと言うと死んでもらいたかったし、石積さんにはどちらかと言うと死んでもらいたくなかったです。

 しかし私はどこまで行っても、身体を貸している傍観者に過ぎませんから。たまにわがままを聞き入れて、旅行先でのんびり寛いでもらえれば、私はそれで良いのです。

 この夢日記染みた手記も、いつまで続くかは分かりませんが、続きを書ける機会があればまた筆を取りたいと思います。

 それでは、またどこか別のページで会いましょう。




 金岡かがみ



最終更新:2020年07月03日 20:43