「こんばんわ。だからここは夜よ。早速だけど、ルールを追加させてもらうわ。私が知ってるルールが8で打ち止めなんてそんな理屈はないもの。

 ルール9:人殺しに意味なんてないし、価値もない。
 どうしてあんたは単なる行為に高尚なものを求めようとするの?
 え、私は誰かって?

 ルール10:『私』は名乗りはしないし、名前もないし、名付けられもしない。
 どうして『私』に意味を求めようとするの? 『私』に価値なんてないのに。
 私のことについて無駄な思考割いたあんたにはご愁傷様!
 いったい何年無駄にしたの? 何年? それとも何十年?
 多ければ多いほど、不愉快ね。

 ルール自体は他にもあるんだけど。
 まぁ、ゆっくりさらっていけばいいわ。だって、あんたは頭が悪いんだから。だから。
 死ね」



 そして、ここは工場よ。使われなくなって久しい廃工場なんて、実に都合のいいところね。うず高く重ねられたタイヤ、ドラム缶にたっぷり溜められた廃油と打ち棄てられて塗装の剥げかかった車がいくつか。
 天井には吊り下がった可動式のクレーン、そのいずれにもほこりが分厚く積もっているわ。

 この自動車工場に、足を踏み入れる人間なんてあんた以外いないと思っていたら、そうでもないみたい。ほんとうは順序が逆なんだけどね。
 あんたは、狩場とわかっていて、ここにやってきた。

 チカチカと明滅するランタンのような頼りない灯りだったけど、電気系統はかろうじて生きているみたい。あんたは足元に転がる南京錠を見る、十数メートルある天井の半ばまで巻き上げられたシャッターを見る、こぶしの握りを解く。
 夜の寒風が頬をなぜる。あごに親指を当てる。あんたはごちる。するりと工場に入りこむ。

 ねぇ、新雪を足跡で踏み荒らす趣のない人間なんていうには意味も価値もない連中だけど、ここで赤錆を浮かせて朽ち果てて逝くしかない機械を別の形であれ活かしてくれるのなら歓迎されるべきなの?
 もっとも、本来の用途なんて私も知らないんだけど。だからきっと報われないことこの上ないのかも。
 どの道、意味も価値もないそんな戦いなんだから、きっと誰にもその答えはわからない。

 ところでルールを追加よ。もっとも、これは言わずとも察した連中のほうが多いみたいだけど。
 ルール11:『私』は一名以上の人間を殺した人間のことを固有名詞では呼ばない。

 では。あんたの他にこの場にいる連中を――わかりやすくするために仮にAくん、小早川光さん、早川文さん、それとBさんとしましょうか。
 連中のことを私は知ってる。この間の廃公民館のくだりで話を聞いていた中にいたもの。と、ここでおさらいよ。

 ルール1:まず私は幽霊のようなものらしい。ただし自分でも正体不明。
 ルール2:よって触れられないし、こちらから触ることもできない。
 ルール4:見た目より軽いみたいだからどこにでも歩いていける。飛ばされることはない。
 ルール7:一度行ったところならどこにでもすぐに行ける。

 私のからだ(らしきもの)は物質を透過するし、俗にいうテレポーテーション能力も持っているわ。
 この数十年で都内――東京二十三区はすべて踏破したし、尾行に苦労することはないとだけ言っときましょう。鍵だろうと番犬だろうと無視できる、だからおうち訪問もたやすいことなのね。

 もっとも、あんたに向けて口で説明してやる義理なんてないのだけど。だからこのつぶやきはけして、けっしてあんたには届かない。
 「あんたに言わせれば叫び(シャウト)も重要な要素なのだろうけど。まぁ、奇襲で叫ぶバカもいない。みんな死んでほしいからバカになってくれるのが一番でしょうね」

 ところで三者のうち小早川さんは、うず高くタイヤが積まれたところに身を隠している。
 何かをぶつぶつとつぶやいている。Aくんの指さす方向を見た。すると、途端にタイヤが転がりだす。ぎゅん、ぎゅんと、動力もないのに、見えない巨人の手に押されたように動き出す。
 魔人能力というやつだろう。ミニカーのおもちゃを与えられた子ども、タイヤだけを与えられた子どもがはじめに何をするかと言えばすることはひとつしかない。

 発想としてはありふれたもの。
 だけど、不意を打つには十分だろう。だから言いたい。

 「バカみたい」
 自動車に付いていたとしたらあり得ないウィリーを繰り返しつつ、タイヤは空中に留められ続ける。
 まるで階段か飛び石みたいに、飛びタイヤが出来上がっていく。もっとも重力に従ってすぐに落ちるのだろうけど。その一瞬だけでバカには十分らしい。
 その上を駆け上がっていくのは三者のうちAくんだ。

 ルール4:見た目より軽いみたいだからどこにでも歩いていける。飛ばされることはない。
 だから私はこの工場のすべてを俯瞰できる地点にいる。具体的には高い高いところに浮いている。

 だからAくんは小早川さんの力を借りて私のところにまでやってこようとしたのね。
 だけどAくん掴みかかろうとしてすり抜けた。すっぽ抜けた。からぶって、おっこちる!
 「死ね」 

 バカバカし過ぎて思わずため息が出るわ。
 あのね、懇切丁寧に説明したわけでもないから不親切かもしれないけど、なんで私を狙うの?
 霊能力を持っていただかどうか知らないけど、十中八九そう。ルールを確認しておくわ。

 ルール1:まず私は幽霊のようなものらしい。ただし自分でも正体不明。
 ルール6:人殺しの目にはあまり好ましくないものにも見えるらしい。
 だから、私は殺人鬼たちにとって決して触れられないターゲットになることを望むの。このからだが殺人鬼をいら立たせ引き寄せるからこそ、狙ってできることもあるのだから。

 「私、確かに自分が幽霊のようなものだと言ったけど、幽霊そのものとは一度も言ってないよね? ちなみに霊能力者だとか、除霊できる魔人とか、寺生まれのTさんだとか、累計さんじゅうよん回私にトライしたけれど、一度たりともかすりさえしなかったわ。
 ……幽霊自体はこの世にいるんだけどね。神様だってこの世にいるわ。死後の世界はどうか知らない」

 私がしゃべっている間にもAくんは落下中だわ。
 Aくんは悪態を付きながら体勢を立て直そうとするわ。その詳しい内容を言うのは面倒くさいし、意義がないのでしない。
 だって私は見ているだけ、だって私は話しかけるだけ。

 空中だと座標を合わせるのも大変だし、小早川さんの能力はそんなに都合のいいものでもないらしい。

 タイヤがいくつも少し鈍い音をさせながら地面に転がった。
 少しずつの時間差をつけながら、ごろん、ごろんと残像を描きつつ元の静止状態に戻ろうとする。いくつかは地面ではねてから本来の役目を思い出したように転がっていこうとする。
 だけど、いつかは止まって横たわってしまうんだろうか。

 「ねぇ、確かに連日連夜、夜寝る暇もないように、がなり立てたのは悪いと思ってないけどさ。なんで殺人鬼が私を狙うの?
殺人鬼は殺人鬼を殺そうとするのがこの世のルールじゃないの?

 ……選手交代みたい」

 ここで受け身を取ろうとするAくんの首元を、廃車の影から飛び出したあんたが貫手で縫い留めようとした。Aくんはさっと、身を引いてかわす。かろうじて風を切る音がした。

 爪先が引っ掛かったのか首筋に線が引かれ、赤くぷくりとした血の珠が湧き出してくるのが見えた。
 Aくんは、それを見もせずに指先でそれをぬぐうと、舌で舐め取った。
 顎に親指を当てると、少し考えたふり。やがてニッと笑う。

 ところであんたは手先足先に赤黒い靄(もや)のようなものをまとっている。
 人間だれしもが持つ「殺る気」というものらしい。もっとも私はあんたに会うまで一度も見たことなんてなかったんだけど。
 再び風切る音、二度三度、徒手空拳、現実として形になった「殺る気」に頼らない、自らの殺意を確かめてみたい、そう言わんとする顔をしていた。

 ああそう、殺人鬼の演出というわけね。あんたもAくんもここに来るまでに母親を殺してきているのですもの、そんなところで自己主張しなくてもわかっているつもりよ。
 片や声変わりも迎えていないような少年Aくん、それから比べると孫と祖父くらいに年が離れたあんた。亀の甲より年の功、どことなく面立ちの似た二人、もちろんこの二人の間に会話はあったわ。
 それは通俗的な雑誌だったり、ありふれたティーン向けのノベルにとっては、格好の題材だったのかもしれない。もちろんそれは記録に残ることはないのだろうけど。

 そうね、最初のターゲットである「私」なんてどこ吹く風だったわ。
 いくつになろうと男ってのはバカな生き物らしい。もっとも、とっとと本題に入ってくれて私としても助かるけど。なんだったらもうどっかに行っちゃおうかと思ったけど、さすがにそれはやめた。

 小早川さんは殺人鬼ではない早川文さんを羽交い絞めにしながら、そろそろと距離を取ったわ。
 Bさんはそれからもっと距離を取ったところで沈黙を保っている。
 沈黙が伝播したかのように、それまで饒舌に語っていたふたりはピタリとおしゃべりを止めるとお互いの「殺る気」を高めはじめた。

 お互い、少しでも漏らしてなるものか。そんな無言の気迫が周囲を揺らし、三、五、十、と秒数を重ねていった。
 唾を飲み込む音さえ周囲に響く、そんな錯覚をおぼえだしたのかもしれない。忘れてはいけないのは早川さん、彼女、歯の鳴る音、足の震える音を抑えるのに必死だったもの。
 カチカチとした音はひょっとしたら、あんたがスイッチを押す音? まぁいいわ、カウントダウンははじまった。

 それでも――この一同の中で一番にこらえ性の無かったのはAくんの方だったわ。
 三十二秒目、私にとってはいい加減飽きのきたころあいだった。

 一呼吸、一間合い、複数の工程を踏まないと届かないだろうこぶしをあんたに届かせたのは、やはり「殺る気」だった。これでふたり目、嫌になっちゃうわ。
 ただし、赤黒いあんたに比べてそれは青白かった。
 それはAくんの未熟さを示す一方で、老練さを増すと同時に熱意を失いつつあったあんたに明白な衰えを突き付ける色だった。

 やる気のない技名を叫ぶあんたの前に赤黒い壁がそそり立つ。エネルギーの総量で言うならAくんをたしかに凌駕するでしょうね。
 けれど、一点突破なら話は別らしい。
 全身に熱傷に似た裂傷を走らせながらもBくんの青白いこぶしはあんたの顎下にたどり着き、衝撃がしたたかにあんたの脳を揺らす。

 膝をつこうとするあんたの肉体を、叱咤するかのように力強くあんたは地面を打ち鳴らす。歯噛みしたあんたは唸り声のような咆哮を上げた。

 だけどね、人間はどこまで行っても人間なのよ。
 野生動物になにか気高いものを錯覚して人間に当てはめないこと、すべては現象に過ぎないのだから。

 精神は肉体を凌駕する、病は気から、健全なる精神は健全なる肉体に宿る。
 ありふれた精神論に頼るしかなかった弱者があんただ。再度振りかぶるAくん。
 いいえ、あんたの孫を抱きとめるわけでなく、「殺る気」を円形に展開させて弾き飛ばすことしかできなかったのがあんただ。併せて繰り出した掌打は届かなかった。

 「そうね、あんたは自分が永遠に生き続けて人を殺し続けることができればよかったんでしょう。
 けれど、それができないのが老いであり、現実よ。日を追うごとにあんたは年を取る。過ぎ去る時間は確実にからだを軋ませて、往年の技のキレはたった三分間にまで縮まった。
 そう、このカウントがゼロになった時があんたの死だ! もう少しだ、この日が来るまで三十四年待った。そんな悟った顔をしても無駄よ無駄。

 殺人鬼が跋扈する夜というのは周期があるらしい。今みたいな乱痴気騒ぎに乗っかって母親を包丁で刺し殺したとき、あんたは何も言わなかった。
 おしゃべりな爺になった今では信じられないことに、ただ無言で後片付けをするだけだったのよ。

 ルール12:殺人鬼の語る言葉なんて語るに値しない、よって私の言葉からは語らない。
 こんなルールがあるとしても、私には何も言わなかったから何も語りようのない、それは屈辱だったわ。
 至近距離で何の罪も犯していない女の死を目撃させられた私の身にもなってほしい。
 よって、私は前にも増してあんたの死を望むようになったわ。

 ルール8:私はあんたが大嫌い。
 だって私はあんたが大嫌いなんだから。だから私はあんたを罵倒する。

 五十一秒経過。三分もすればあんたは動けなくなる。残り百二十九秒であんたはここにいる三者を殺せるというの?」

 あんたは答えない。いつだってそうだ、私を無視して、見ないようにしてずっと生きてきた。ずっと殺してきた。今もこうやってAくんを殺そうとしているけれど、彼女がそれを許さないみたい。
 小早川さんは浮足立って早川さんの拘束を解き、とっさにタイヤを操ってAくん用のクッションをあつらえるわ。衝撃を殺したAくんは立ち上がる。

 あんたは追いうちはしない。こめかみの血管に少し違和があるかのようにもみほぐすだけだった。
 そうね、今までに数多くの人間の人生を閉じてきたあんただけど、Aくんに関しては「あんた」がこの世に誕生していなかったら確実に存在しなかった「実の孫」だもの。

 あんたはこれまでの人生を振り返っていることでしょう。もしかしたら悔いているのかも。
 大した意味もなく人殺しを繰り返してきたのに、人殺しという単なる行為自体に価値を見出そうなんて甘えだけど、さすがに殺人鬼としての「死」が近づきだしたら心境にも変化が生まれたんでしょうね。

 後進を育てるなんてらしくない行為をはじめたのに、一方では連中を糧にするようなこともしてる。
 そんな矛盾を突き付けてもあんたは微動だにしない。言われて揺らぐようなあんたじゃないからもとより口には出さないけれど。
 ただひとつ私が思うことがあるとすれば。矛盾すら楽しんでいる最低なあんたは、今度は素直に楽しんでいいのか少し悩んでいるようだった。

 私は空中にいるのをやめて地に下りた。工場の床は積もった埃に得体のしれない溶剤や廃油が染みこむことで、よくわからない層を形成していたけど、どうせ私はなににも干渉できないからだ、気にしないことにしたわ。

 意味がないとわかっていて、あんた目掛けてパンチとキックを繰り出しても当然そのすべてはすり抜けて意味をなさない。
 でも、あんたは私を見ないようにしている。目は開いても見ていない、それだけで十分だった。

 六十七秒経過。

 Bさんが首根っこを捕まえた早川さんのからだをAくんの方に押しつけ、途端に身を伏せたわ。
 私があんたに注目している間に何が起こったのか、早川さんはおなかを押さえていた。そうね、あんたも講義でいっていたもの『殺る気があれば女子供であろうとスプーン一本で人は殺せる!!』って。

 そして、ここは工場よ。スプーンどころじゃなくてスパナやペンチ、バールのようなものにいたるまで、人を傷つける道具にはみちあふれている。
 思わぬ逆襲を食ったBさんはそれはそれは醜い顔をしていたのだけれど、早川さんは輪にかけて悲惨だったわ。続くAくんは抜き手を彼女に胸に挿し込むと、遠心力を使って投じた。

 時に、因縁の相手の顔を見に行ったAくんと、その年上の彼女なBさん、物見遊山の気分で行ってみたら本物の殺人鬼に捕まってしまった早川さん、誰が悪いのかまでは知らないけど、その教えはあさっての方向で跳ね返ってきたことになるんでしょうね。

 『殺る気があれば女子供であろうとスプーン一本で人は殺せる!!』
 「だったら――スプーン一本さえもなければ人は殺せない」
 わけもないみたいね、あんたがそんな学生の浅知恵を見抜けないわけもなく、仮にそう問われた時には「殺る気」を概念的なオーラであると実演してみせる。

 よってこれが予想できなかったかといえばウソになるわ。けれど、殺る気のユーザーとしては先達している分、自分とは似て非なる能力への対応は遅れたという理屈は立つのかもしれない。

 結論から言えば、早川文さんは爆ぜた、爆発した。
 Aくんに生死を問わずに残った体内の「殺る気」とかいう胡乱なエネルギーを暴走させられて死んだ。故人の名誉のために綺麗めなことばだけを選ぶと、青白い閃光が工場内を満たしたわ。

 もちろん、これで勝負は終わらないのだけどあんたは爆発の衝撃を殺しきれなかった。
 爆発の炎熱と飛び散った破片はなんとかってバリアーで殺しきれても要は限度があるわ。
 終わりよければすべて良し、という言葉もあるわ。だから、あんたはこれで終わってもいいかなと茶目っ気を出して思うの。そんな顔をしているから私にはわかるわ。

 「ふざけんな、死ね」

 だって人一人の人生を勝手に閉じるというのは、その人の人生を勝手に定義して完成させるということに他ならない。だからあんたが殺してきた人たちを差し置いて、身勝手にあきらめてみせるあんたは唯一満足してあんた自身を殺すことになるんだ。

 自分が殺したものに敬意を払う、「いただきます」と「ごちそうさま」というあいさつはあんたでも三食忘れずにしている。
 あんたにとって殺人とは自分が生きるための糧だ。若いころは食事や呼吸と同じカテゴリに入っていた生理現象だ。

 そこに意味はあるとあんたは思いこんだ。
 意味のない殺人なんて言っても結局は人間のやること、意味を見つけないではいられないんだから。

 そして、年老いたあんたは殺した相手がどんなクズで、醜悪な理念を抱えていても高邁な道を求め、そこに見出しはじめたんですもの。殺される一方の善良で無力な人にはそれほどに感慨を抱いていないのに。
 はぁ? 意味も「価値」もあるとでも思っているの? そんなもの結局は自己満足よ。

 だからね、あんたはあきらめきれないの。だからこそ自分の死に方には妥協したくないと思うの。
 そう、あんたは死に場所を選ぶという、綺麗な自己満足を捨てなければいけない。
 たとえそれがおのれの血族を滅ぼして、自分が生きた証を後世には何も残せない愚かな所業だとしても。自分の技と業を受け継ぐべき次世代を殺しながら殺人のすばらしさを今際までさけんでしまえ。

 百七秒経過。

 濛々と立ち込めるほこりが収まって、力なく外壁に寄りかかるあんたがいたわ。傍目から見れば死んでいるようにも、生きているようにも見える。

 「死ね」

 その前に立ちふさがる私を前にして、Aくんが怪訝な顔をするわ。
 当然私の罵声はAくんにも届いているもの、庇い立てするような行動に何か思うことがあっても当然よ。
 けれど、Aくんは私を払いのけるようなしぐさをして前へ前へ進んでいく。
 私の接し方に早くも慣れてきたらしい。おじいさんに似てよろこばしいこと!

 「死ね」
 Aくんが結局なんとかというオーラを使って、距離を取ってからあんたのとどめを刺そうとしないのは結局のところ感傷ね。だからこれも感傷ってことでおあいこ。

 決着は体幹からかかとの先まで一直線に伸びる蹴撃だった、すべての力を外壁に委ねたはずの無力なあんたはそこから跳ね起きるや、姿勢をどう持っていったのか?
 その過程をすべて早回しするかのような、あり得ない姿勢からのあり得ないキック。受けたのはAくん、放ったのはあんた、それで話はおしまい。

 体をくの字に折ってもがき苦しむ年若い孫の首をあんたは冷徹に踏み折った。
 「死んだ」
 いくら殺人鬼になってから日が浅いとはいえ、あんたの血がなす業かAくんは殺る気には敏感だった。それを感じ取れなかったのは、あんたの中で殺すべきか殺さざるべきか、そして自分が死ぬか相手が死ぬかという葛藤が渦巻いていたからよ。

 ちなみにあんたの人生哲学のきっかけになったテーブルナイフの子どもは人殺しとは無縁で平穏な暮らしを送っていて特筆すべきことはないの。あんたにとってはご愁傷様ね。

 そして、今度は私は地面に立っていたから、満身創痍のあんたは四方八方から転がってくるタイヤを最小限の動きでかわせても、最後のひとつ――私の背後から迫ってきたそれには轢かれる形になる。
 致命傷に至らずとも、今度こそ膝をつくには十分な衝撃がやってきて――、あんたはすべてを成し遂げたとでもいうような満足げな笑顔と、一方では取り返しのつかないことをしてしまったと言いたげな悲しそうな顔を一つの顔に同居させていたわ。

 百三十七秒経過。
 その時になってようやくスイッチを切るしぐさをしたあんたは大の字になって横たわる。

 そして、Bさんは自分が近くにいながらAくんを殺してしまったという喪失感から手に持ったタイヤによってあんたの頭を殴打しようとし――、唐突に鳴り響いた銃声によってその動きを永遠に中断させられることになったわ。

 タイヤが車なしにぎゅんぎゅんと転がるのは別にそんなに面白い光景じゃなかったから、これで見納めになって本当に良かったと思うわ。

 「死んだ」
 そう、Bさんも死んだ。ルールを抜きにしても早川さんを殺してしまった時点でBさんの元の名前を呼ぶことはしないけど、BさんあらためCさんに射殺された。
 彼女、ずうっと、離れた位置から殺人鬼同士の殺し合いを見ていたのね。
 別に私、ここにいた連中がひとまとまりになって動いていたなんて一度も言っていないもの。

 そして、もう一発。
 あんたが自分自身に押し付けたタイムリミットとは全く関係のない命のカウントダウンがやってこようとしていた。
 かろうじて急所はズレているものの、ここまでに負った傷と消耗を考えればもう余命わずかね。

 「死ね」
 この言葉もそこにいるあんたに対しては言い納めと思うと清々したかと言えばそうでもなくて、私はずっとタイヤが通った後のわだちのようなひっかかりを感じている。

 「あんたの目からは私はどう見えているの?」
 少しの好奇心だ、ここ数十年あんたにかかりきりというわけではなかったけれど、会うたびに巧みに私から視線を外して逃れようとしていたのは確かだ。
 視線は合っても心ここにあらずで逃げられたことも二度や三度ではなく。

 「なんか言え、そして死ね」
 私の言葉にあんたは答えない、もうその力もないだろうから。
 代わりにあんたは目を閉じ、目を開き、その両方をしてみせた。つまり、下手なウィンクをしてみせた。

 ああそう、やっぱり。
 「殺人鬼の見る『私』はいつもそうね」
三度目の銃声が「私」の映る水晶体を粉みじんに打ち砕き、思いを描く脳も瞳もなくなったことで私は嫌な思いをすっかり振り切りることができた。

 よって振り返る。するとそこには――新しい「あんた」が立っていた。
 私は、もう二度と人を殺すことのない骸、かつて「榊原光太郎」と名乗っていた男の死体のことをさっぱり忘れると、今も昔も変わることのない思いを言い切ることにした。

 「『あんた』は死ね」

 ルール1:まず私は幽霊のようなものらしい。ただし自分でも正体不明。
 ルール2:よって触れられないし、こちらから触ることもできない。
 ルール3:ただし人殺しには見えるし、聞こえる。
 ルール4:見た目より軽いみたいだからどこにでも歩いていける。飛ばされるこ とはない。
 ルール5:普通の鏡には映らないからよくわからないけど、いわゆる女子高生の姿らしい。
 ルール6:人殺しの目にはあまり好ましくないものにも見えるらしい。
 ルール7:一度行ったところならどこにでもすぐに行ける。
 ルール8:私はあんたが大嫌い。
 ルール9:人殺しに意味なんてないし、価値もない。
 ルール10:私は名乗りはしないし、名前もないし、名付けられもしない。
 ルール11:私は一名以上の人間を殺した人間のことを固有名詞では呼ばない。
 ルール12:殺人鬼の語る言葉なんて語るに値しない、よって私の言葉からは語らない。
 ルール13:「あんた」とは不特定多数の殺人鬼のうち一人を指す、誰でもいいが同時期に一人。
最終更新:2020年07月03日 20:47