拒絶された。


 その光景が、今も目に焼き付いて――





 次の朝日を迎えても、里実の気持ちは晴れなかった。毎日欠かさず取っていた朝食も抜き、母親に心配されながらも、学校に向かう。植物の世話に冬休みも不調も関係ない。そう思っていたが、

「ぶちょー、大丈夫ですか?」
「今日ぐらい私たち後輩に任せて、さとみん先輩は気分転換にお出かけでもしてください!」

 周りには割と深刻に見えていたらしい。里実は少し渋ったが、最終的にはその言葉に甘えさせてもらうこととなった。

 そういうわけで里実は同級生のミキ、双葉と共に三人で秋葉原に来たのであった。
 文化部は運動部に比べて比較的オタク率が高い。里実達の園芸部もその例に漏れなかった。何を隠そうミキと双葉も腐女子である。里実はそうではないが彼女たちの会話を聞いているのは楽しかった。例えば「種付け」とかいう単語がたまに彼女たちの口から出てくる。よく分からないけど、種を植えるのは里実も好きだ。そんな感じ。
 本当は距離も近く目的のブツも多い池袋に行きたかったのだが、“昨夜の事件”のせいで行けなくなり、わざわざ秋葉原まで足を運ぶはめになった。

「よし、新刊ゲットー」
「ミキミキ、そろそろお腹空かない?」
「そうだね。さとみん、何か食べたいものある?」
「ん、私は別に……」
「そうだ! あそこは? こないだテレビで見たカレー屋さん!」

 里実の肩がビクッと震える。何か言おうとしたが、何を言うべきか、それとも何も言わない方がいいのか、悩んでいるうちに目的の場所に着いてしまった。
 シャッターの閉まった店の前に人集りができている。看板に記された名前は「MUGUET(ミュゲ)」。昨晩里実が出会った相馬親子の店だ。テレビに出ていたことはあの後ふと思い出した。
 そのとき同じ場にいたもう一人、一番早アルティエは“樹”を、里実を、拒絶した。相馬朔也の方は、どう思っていたのだろう。

「閉店っぽいよ。残念だね」
「えーっ! もうカレーの舌だよー」
「もう、双葉はしょうがないなぁ。じゃあゴーゴーカレー行く?」
「うんっ! ゴーゴー!」
「……」

 今まで感じたことのなかった、人との距離を感じる。隣の友人二人に対してもそうだ。それに、通りすがりの白髪交じりの男がすぐそばにまで近づいていたことにも気付かなかった。

「貴様あああああああ! 肩がぶつかっとろうがああああああああ!!」
「あ、ご、ごめんなさい!」

 反射的に謝罪をしたが、里実は男の罵声すらどこか遠く聞こえていた。失礼な態度を取ってないかな、と里実は心配したが、男は何かを思い出したように急に冷静になった。

「いや……間違いは誰にでもある。そうだな、人目もあることだしな、昼間は……」

 そう言って別れた男は、しばらくの間立ち止まったまま、見えないものを見ようとするように、目を細めて里実の後姿を眺めていた。

「しかし、全くのゼロ……というわけではなさそうだが、薄すぎんか? 最近の若者はこうなのだろうか。……どちらにしろ、私には関係のない話か」

 呟き、男もまた雑踏の中に紛れていった。



 夜。結局もやもやは晴れないまま。しかし居ても立ってもいられず、今夜も里実はあてもなく大都会を彷徨う。少し遠出してみたい気分だった。
 歩き回った末にたどり着いたのは一つの女子学園。彼女は知らないが、前日、或る少女達の闘いが繰り広げられた舞台であった。
 暗くて中の様子は分からないが、校門にはちょうど人間一人分サイズの大きな穴が開いていた。明らかに破壊された跡だ。誰かいるのだろうか。ふらふらと、吸い込まれるように入っていく。

「む……なんだ、昼間の少女か」

 校庭に立っていたのは、秋葉原で出会った男だった。

「ここの生徒だったのか?」
「いえ、たまたま寄っただけです。おじいさんは?」
「そうだな、私は殺人鬼を求めて来たのだ」
「殺人鬼……ですか」
「うむ、この学園には“英雄”に裁きを受けるほどの殺人鬼がいた。ならば他にもまだ眠っているのではないだろうか、とな」

 男はヨレヨレのコートのポケットに手を突っ込み、数秒の間、寮を見つめていた。
 その後、ゆっくりと里実の方に目を向ける。

「だが、殺人鬼を殺る前に準備運動というのも良さそうだ。どうだ? 私と殺り合わんか?」
「私、そういうのはちょっと苦手で……」
「ふむ。見たところ何か悩んでいるようだが、そういう時は体を動かすのが一番だぞ。私に殺されれば悩みも吹っ飛ぶ」
「でも……」
「ええぃじれったい! さっさと殺る気を出さんかあぁぁぁぁっ!!」

 男はいきなりキレて、里実の鼻を平手で打った。それを機に、里実の中から湧き上がる強い意志。殺意。

「あ……あ……」

 里実は男の足元に目を向けた。男の非道な行為に気付き、涙が浮かんでくる。この男を生かしてはおけない。そして拳を振った。

「ハマスゲ(*1)さんを踏みつけるなんて……死んでくださぁい!」

 ドスっと鈍い音がする。里実の拳は……完全に男の腹筋に止められていた。
 どうしよう! めちゃくちゃ弱い!
 いや、確かにその威力は一般成人男性パンチくらいあり、普段の里実には到底出せない力ではある。
 しかし、いくら非魔人の少女だろうと、殺る気を出したなら普通はプロボクサー程度のストレートは撃てるはずなのだ。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 しかも消耗もめちゃくちゃ早い!
 殺る気を出してものの十秒も経たないうちに既に里実は肩で息をしはじめ……その場に倒れてしまった。

「いやいやいや、いくらなんでも殺る気無さすぎだろ!」

 男はさすがにボケだと思ってツッコミを入れてみたが、里実が反応する様子は無い。どうやらマジらしい。

「はぁ、もういいや、死ね」

 殺る気を使うまでもない。男は手刀を作り、里実に飛び掛か……ろうとした足を、バックステップに変えた。
 里実の身体から、十本ほどの蔓が一斉に生えてきたのだ。

「何だと!」

 その蔓たちは各々の先端を地面に着けると、気絶したままの里実の身体を浮き上がらせた。
 すなわち、里実の身体を“胴”、蔓を“脚”とした、蜘蛛のような姿になったのだ。
 男はその里実の姿を見て、ラジオのニュースで聞いたある殺人鬼の二つ名を連想する。曰く、「遺体から植物が生えている」ことが被害者の共通点。

「“強欲の宿り木”! まさかこんな形で出会うことになろうとはな!」

 その“宿り木”が男に向け蔓を振り下ろす。先ほどの里実のパンチとは比べ物にならない衝撃が地面を揺るがしたが、男はこれを易々と跳び避けた。

「いいだろう、この“殺る王”榊原光太郎が相手になろう!」

 男――榊原は、手招きをした。ならば遠慮なくとばかりに“宿り木”は下ろした蔓を逆側に払おうとする。しかしその勢いは、榊原が握る赤黒い刃に殺された。

「殺る気ブレード!」

 反動でしびれる手の感触に、しかし榊原は興奮していた。

「これこれ! これだよ私が求めていたものは! ああ、物理存在万歳!!」

 “宿り木”のほうはというと、一本の蔓では敵わないと悟ったのか、数本の蔓を振り回し始める。

「おっと」

 さすがに接近戦は無理そうだと榊原は大きく後ろに下がる。すると“宿り木”は種鉄砲を放ってきた。

「このっ、殺る気シールド!」

 広げた殺る気に種は勢いを失う。榊原は一呼吸ついた。多少冷静になった頭に、榊原はある違和感を覚えていた。

(なぜだ?)

 それを隙と見たか、“宿り木”はさらに大量の枝をミサイルのように飛ばしてきた。

「や、殺る気避けえッ!!」

 身体に薄くまとった殺る気に身を任せ、飛び交う枝の間を縫うように避ける。が、途中で一本だけかすってしまう。

「ク、やはりこいつ……」

 しかし、かすったことで違和感は確信に変わる。

「殺る気が……無い!!!」

 “殺る気避け”は、相手の攻撃に込められた殺る気を自分の殺る気と反発させることでその回避率を極限まで高める技である。つまり、相手に殺る気が無ければ逆に本来の力を発揮できないのだ。なぜここまで激しい攻撃を行いながらも殺る気が感じられないのだろうか。相手が植物だからなのか。どちらにしろ、殺る気も無い者に榊原は殺せないだろう。そう思うと彼は急に馬鹿らしくなってきた。

「あー、アレだ。貴様は特大の殺る気キャノンであっけなく死ね」

 そう言って殺る気の塊を練る。“宿り木”の種や枝の攻撃をも物ともしない、人間大の赤黒いエネルギー。この学園の校門に大穴を開けたのも、この技である。

「殺る気……キャノンっ!!!」

 剛速球が“宿り木”を襲う。それに対し、“宿り木”は使える限りの蔓を束ね、真正面から受け止めた。“脚”の役割を担う蔓が、吹き飛ばされまいと踏ん張る。そして、ついにはその球体を、押し返した!

「来るなああああああああああ!!!!」

 榊原は完全に殺った気でいたのでその先を考えていなかった。弾は撃った以上に速度を増して帰ってくる。考えている暇など……その時ふと校庭の隅にあるバレーコートが目に入った。

「これだァアアアアアア!!!」

 両腕を体の前で揃えて伸ばす。

「殺る気レシーーーーーーーーッブ!!」

 赤黒い塊がわずかに浮かび上がる。そこにすかさず掌を差し出す。

「殺る気トーーーーーース!!! かーらーのー」

 老体が宙高くへと舞う。

「殺る気アターーーーーーーーーーーック!!!」 

 さらに速さを増した殺る気キャノン。それは“宿り木”の一本の“脚”を破壊した。バランスが崩れる。とどめを刺すなら今だ。

「殺る気! ランス!!」

 榊原は自身の落下を利用し、殺る気の槍を突き刺した。その先は、里実の心臓。蔓は、見る見るうちに縮んでいく。

「ふう、殺る気が無いのは残念だったが、最後のはなかなか焦ったぞ、“強欲の宿り木”よ。今度生まれてくるときは、殺る気を持って私の元に来るんだな」

 一応、街を跋扈する殺人鬼の一人を殺せたわけか。榊原は少し消化不良を感じつつも、服を整え、この場を去ろうとした。



 そのとき、背中にかすかな殺る気を感じた。







 このおじいさん、私を殺そうとした。


 また、拒絶されたんだ。







 振り返ると、里実が立ち上がっていて、怒りと悲しみが入り混じった目を榊原に向けていた。

「なぜだ、確かに心臓を貫いたはず」

 突然だが、あなたは世界一高い樹をご存知だろうか? アメリカ西海岸のレッドウッド国立公園にある「ハイペリオン」という個体名が与えられたセコイアの樹だ。その高さは百十五メートルを超えるという。それほど高い樹でも、上の方まで葉が生い茂っている。つまり根から水を、養分を、地上百メートルまで吸い上げているのだ。植物にはそれほどの力がある。心臓に代わってたった一メートル六十センチ程度の人体に血液を送り込むことなど、容易い。

「いや、理由はどうでもいい。少女よ、貴様が殺る気を出してくれたことがなにより喜ばしい」

 たとえそれがすぐに消えてしまう一時の感情だったとしても、殺る気スイッチはそれを何万倍にも増幅する。榊原は里実に駆け寄り、再び鼻のスイッチを押した。途端、里実の体が震える。

「私を……拒絶、しないで……そんな……だったら、いっそ……こっちから………………殺すのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 叫びながら里実は、右腕を丸太で固めて力任せに振り回す。榊原はすぐに後退し、距離を取る。

「ようやく殺る気になってくれたか。それでこそ殺人鬼! そして私も、全力の殺る気で応えよう」

 榊原は自らの後頭部に手を伸ばした。カチリ、という音が響いて、殺る気が満ちる。

「うおおおおおおおおお死ねェええええええええええええええい!!!!!」

 殺る気ブレードを携え、間合いを詰める。里実は左手から蔓の鞭を出し、一薙ぎする。榊原が殺る気避けで避け、一気に懐へ、殺る気ブレードを振るう。里実は体表を硬い樹皮で覆って守り、口から種を吐き出す。榊原、殺る気フルフェイスヘルメットで防ぐ。

「甘いっ!!」

 榊原が、構えた殺る気ブレードに力を籠める。里実が退く様子は無い。振り下ろす。それを遮るのは丸太の右腕。だが、

「殺る気――」

 途中で榊原の持つ殺る気ブレードが姿を変える。もちろんそれは、丸太を斬ることに最適化された形状。

「――ノコギリィィィイィィィィィィ!!!」

 中にある里実の腕もろとも、丸太が落とされる。里実は苦痛に顔をゆがめた。今こそ、とどめを刺すときだと考えた。里実が(・・・)

「後ろォォォ!」

 叫ぶ榊原は振り返り、その手に何かを掴む。それは根だった。地下を通って密かに背後に回り込んでいたのである。里実が退かなかったのは足から根を張っていたからだ。これを突き刺して榊原を殺すために。だがあいにく、榊原にはその殺る気が見えていた。

「ハッハッハ! 楽しいなあ! だがこれで貴様も……」

 根を斬って捨て、再び里実に向き合った。今度は復活されないよう、この距離から殺る気キャノンでバラバラに吹き飛ばしてやろう。そう思いながら。しかしそのとき、榊原は信じられないものを目撃した。榊原は殺る気の道を究めた男。これほどまでに至近距離で殺り合えば、相手の行動など手に取るように分かるはずだった。そう、それが殺る気からの行動であれば(・・・・・・・・・・・・・・・)

「なに……をした?」

 里実の左手から伸びた蔓が、榊原の腰の辺りに接続されていた。信じられないことに、里実の目はすっかり殺る気を失っていた。それ故に、榊原は警戒できなかったのだ。

「おじいさんは今『楽しい』って言ってくれました。私を拒絶したわけじゃない。むしろ認めてくれて、だからこそ熱い命のやり取りを交わしてくれていた。それが分かったんです。だから私も、“熱い命”をあなたに贈りたい。どうか……私の家族になってください!」

 里実から殺る気を失わせたのは、榊原の一言だった。蔓を通して、榊原の体内に得体の知れないものが流れてくる。それはすぐに成長を始め、皮膚から小さな芽を出す。

「コホッ……まさか……植えたのか?」

 ニュースの情報を思い出す。枯れた“樹”に覆いつくされた憐れな被害者たち。だが、榊原はそうはならない。榊原には殺る気がある。

「ふんっ!」

 殺る気を練り上げ、体内に向けて放つ。殺る気を浴びたその苗は死滅した。

「種は……殺したぞ……」

 里実は少し驚いた顔をしたが、しかし彼女に殺る気が蘇ることはない。そう、彼女も“樹”も、目的は殺すことではない。むしろ榊原に生きてほしいのだ。

「おじいさんはまだ、私をよく知らないだけなんです。受け入れてもらえるまで、私はもう……迷いません!」
「は? ちょっ……」

 右手を“接ぎ木”して元に戻した里実は、四方八方から蔓を伸ばす。

 そこから榊原にできることは、もう死を引き延ばすことだけだった。“樹”が体力を奪ったことに加え、自らの殺る気による体内へのダメージもあるのだ。それは種を植えられるごとに、どんどん積み重なっていく。

「やめろ! 私にそのキラキラした目を向けるなァッ!!!」

 東京に巣食う数多の殺人鬼達。それを聞いたとき榊原は、もちろん殺す気ではいたが、殺されるならばそれはそれでいいと思っていた。殺人鬼同士の闘いの果てに命を落とすならば、どんなにひっそり殺されようと、どんなに凄惨に殺されようと。だが、これは違う。こんなものは殺人ではない。それなのに自分は殺されようとしている。屈辱だった。どんなに里実の鼻のスイッチを叩いても、殺意は“希望”にかき消されてしまう。

「私を憎め! 私を憐れめ! 私をゴミのように思え! 私のはらわたを見て楽しめ! 私を裁け! 私を口封じしろ! 私を救済しろ! ただ単に意味もなく気のまぐれで私を殺せえぇっ!」

 里実にはそのどれも無い。共に生きたいと願った行為が、結果的に死に結びついただけである。里実の意識では、里実は殺人などしていないのだ。



 種を植え続けられた榊原は、三百十二回目にしてついに動けなくなった。

「なぜ……そこまで……“生きる希望”に満ちておるんだ……」
「私、夢があるんです。世界中をお花畑にして、たくさんの家族と一緒に暮らしたいの」

 榊原の質問に、里実は笑顔で答える。

「は、は……」

 小学生のような無邪気な夢。それを彼女は本気で、たくさんの命を無自覚に踏みにじって、叶えようとしている。“強欲の宿り木”とは、被害者の養分を欲し過ぎたあまりに自滅する“樹”の様子から名付けられた二つ名だ。しかしその“強欲”の称号は、由来とは別に、森本里実という人間に対してもぴったり当てはまるものだった。
 昨日、榊原は言った。

『悲惨な話だ……殺る気もないのに人を殺めてしまうとは……殺る気が無い人間が人を殺してしまう位なら、殺る気がある我々が人を殺す方が余程健全だろう。全く嘆かわしい……』

 そう思えば、この“強欲の宿り木”という殺人鬼は、最悪だ。これからも人を生かす気で、人を殺し続けるのだ。

「誰か……こいつを……殺して、くれ……」

 自らの手で殺すことのみを目的に人を殺し続けた“殺る王”。その最期の台詞は、情けなくも、他人に殺しを委ねる言葉だった。



“殺る王”榊原光太郎
――死亡(死因:殺る気を体内に受け続け内臓破裂)

“強欲の宿り木”森本里実
――生存


第二夜『イかすキ』 終
最終更新:2020年07月03日 21:00

*1 草の名前だよ