本は好きだ。
 人と体を重ねる事ほど好きではないけれど、一人でいることは嫌いではない。
 夜の図書館内でいくつかのパソコンのディスプレイが光を放っていた。
 通電しているはずなのに施設には夜の帳が降りている。
 窓から入る月明かりのためか漆黒ではなかったけれど、普段は日当たりの悪いであろう場所であったり柱の陰などはひと際暗い。
 美藤羊子は図書館の二階にある視聴覚コーナーにいた。
 仕切られてはいるが外からの視線を遮るための扉はない。
 プライバシーは守られないが、元々ここは公的な空間である。
 不愛想なソファーと目の前に壁掛けの薄型テレビ。
 充電用に使えるコンセントの類はない。
 美藤は足を伸ばしてテレビに自分のそれをくっつけていた。
 行儀の悪い格好だったがこの体勢はなんだか落ち着ける。
 視聴覚コーナーだが流すべき映像はなく、暗闇を払いのける様に画面がただただ光を発しているだけであった。

「……」

 言葉もなく、ページをめくる。
 脳内は快楽の信号が埋めていたが、それとは別に自分が読み解いている本への思考もあった。
 ゆるゆると思考がほどけていく。
 それに合わせる様に読み進める度に頬が緩む。
 普段は強烈なほどの刺激の中で生きて、現実と空想がくっついたり離れたりするのが美藤羊子という人間である。
 ソロバンを使わずに計算を出来る様になるように、あるいは調味料を目分量で混ぜるように、ある一定の場所までたどり着くことが出来れば人はその行動をする際に伴う道具などを必要としなくなる。
 美藤はもはや快楽を得るのに相手を必要とはしなくてもいい。
 なのになぜ、神は今夜も相手を寄越してくれるのだろうか。

「なに、してる」
「読書。貴方も読む?」

 声をかけた相手に視線を向ける。
 ついでに足も下ろして立ち上がってみる。
 何かを警戒したのか声をかけてきた少女は構えた。
 窓から差し込む月明かり、その光を反射するのは銃である。
 無論、少女が握っている。

「あら、怖い」
「お前も仲間か?」
「……要領を得ない、という言葉をご存じかしら」

 歩こうと思った。
 この本は読んでしまったから棚に返そうとしたのだ。
 しかしそれを許してはくれなかった。
 引き金が引かれる。
 自分の眉間に向かって銃弾が放たれてきていた。
 自身を殺すために現れた弾丸、だが美藤に命中はしなかった。
 弾丸が到達する前に美藤の背中が弓なりに反ったのだ。
 体内に強烈な電気を流すことによって起きる絶頂、それを利用して回避を行う。

(この子……)

 妙な雰囲気。
 手応えともいえる不思議な感覚。
 前髪の隙間から赤い瞳が彼女のことを見ていた。
 黒いパーカーの少女、その姿を捉え続けている。
 少女の眉が動く。
 しわによって小さな山を作りながら、美藤に接近。
 首を掴まれ、元居たソファーに向かって押し込まれる。
 いつの間にか拳銃を手放していて、今はナイフを握っている。
 そういう能力なのだろう。
 取り出すところもしっかりと見えていた。

「……動くな」
「強引ね」

 きゅうきゅうと首に指が食い込んでいく。
 息が苦しい。
 ついこの間の男は幼児退行こそすれ首を絞めてはこなかった。
 血の巡りが悪くなっているのがよく分かる。
 気道を潰すような乱暴な絞め方。
 口の端から息が漏れる。
 下からえぐるように刃物が振れる。
 美藤の服を切り裂き、左胸の下、肋骨の隙間から心臓を狙っていた。

「最期に聞く。お前も仲間か」
「わた、し……は……わたし」

 スパーク。
 自己発光するかの如き放電。
 至近距離にいる少女もただでは済まない。
 当然、美藤もだが。

「目くらま……し……?」
「……ふぅ……は……ん……」

 脱力感と気怠さ。
 思わずソファから体が滑り落ちるほどのそれ。
 少女は動かなかった。
 当然、死んでいるわけではない。
 放電を受けてから美藤に離れ、それからそのまま進みも戻りもしない。
 瞳が揺れている。
 月明かりに浮かぶシルエットはただ茫然としていた。

(……なるほど)

「誤解よ」
「……!」

 ゆっくりと立ち上がる。
 その姿に相手が反応するがどこかぎこちない。

「話を聞かせてもらえるかしら。どうせ殺人鬼関係でしょうけど」

 床に置いていたカバンを拾い上げ、美藤が歩み寄る。
 攻撃はなかった。
 いや、正しくは『構えてはいたが実行はされなかった』

「とりあえずお名前と経緯から」

 少女の名前は黒星というらしい。
 その由来についてや彼女の出自については聞かなかった。
 そんなことに興味はなかったし、重要なことでもなかった。
 ただの行きずりの関係であるから。
 見過ごせないのはこの図書館にいるらしい殺人鬼だ。
 しかも、一人ではないらしい。
 非常にややこしい話だ。

「相手は複数人、それで新宿からここへ?」
「あぁ……誘い込まれたようにも思うけれど」
「……まぁ、こういう場所の方がいいこともあるかもね」

 よく分からないが、相手も何か狙って動いているのだろうか。
 だとすると美藤の存在がノイズとなる。
 間違いなく。

「協力しましょう黒星さん」
「……だが」
「優先順位をつけるだけよ。どうせ、私も殺すんでしょう? だったら先に難しい方からしてしまった方がいいんじゃなくて?」

 こうして、一夜の繋がりが生まれる。
 愛人形、黒星の共同戦線。
 狙うは謎の三人組だ。

―――――――――――

 パチン、と音が聞こえて電気がつく。
 一階のほとんどは消灯時間にも関わらず光が満ちていた。
 美藤のせいではない、別の誰かがつけなおしている。
 黒星ではない。
 その敵は今、美藤の目の前。
 美藤は相手の背後に回れていた。
 曲がり角の向こう、電気のスイッチに触れた人間は茶髪のメイド。
 近くには車いすの男。
 ……車いす?

「……」

 しゃがんでみると足首から先が現世からお別れしているようだ。
 茶髪は車椅子を押して移動している。
 もう一人いると聞いていたがそいつは上の階にいるのだろうか。
 だとしたら鉢合わせにならなくて良かったというところだが。
 閑話休題。
 電気をつけて回っているとはいえ、スイッチにたどり着くまでは部屋の中が暗いままだ。
 対策として車椅子の男がスマートフォンか懐中電灯で闇の中を照らしている。

(次の曲がり角)

 本棚から本棚へと歩いていく。
 気付かれないように見つからないように。
 敵が暗闇の中にいる間なら大丈夫。
 仕掛けるまで三、二……

(今)

 茶髪が壁にくっついた電灯のスイッチに触れる数瞬前。
 美藤の電気が壁を伝う。
 壁に埋め込まれている電灯の回路に直接電気を叩き込む。
 スイッチに触れる前に点灯し、スイッチに触れると同時にそこから電流が流れ込む。
 まだスイッチは完全には押し込まれていない。

「っ!」

 茶髪の動きが止まる。
 強烈な電流によって彼女の体は絶頂した。
 生物である以上避けられない快楽の波。
 スイッチから指が離れていく。
 美藤からの電力の供給がなくなり、電気が消える。
 周囲は再び闇。
 自分の進む道を指し示すように美藤の左腕からいくつもの電撃が筋となって進む。
 闇を切り裂く電気の槍が車椅子の男諸共に茶髪メイドの体を貫いた。
 女は再びの絶頂を迎えただろう。
 だから、接近を許すのだ。

「おま―――――ひゅ」

 こちらを向こうと振り返った。
 だから、死ぬことになる。
 美藤の電気を纏ったカッターナイフの刃が光の軌跡を残して女の首を切り裂いた。
 吹き出す血液、それを浴びながら美藤は電気のスイッチに手を伸ばす。
 闇が払われてそこには男と美藤だけが生きている。
 慣れた動きでスマートフォンを起動し、カメラを立ち上げる。
 うつ伏せに倒れた体をごろりと足でひっくり返す。
 なかなかいい顔だ、写真をパシャリ。

「か、かぎ……!」
「残念、そこまで」

 車椅子に触れる。
 それを伝って男に電流。
 声にもならないような声が聞こえた。
 か細い音だったけれども、確かに消えたのだ。
 逃げようと車椅子の車輪を掴もうとするが美藤が手の甲にカッターナイフを刺してしまった。
 そこからもまた電流。

「辛そうね」
「ふっ……ふーっ……ふっー……」

 男のベルトを無理やり外し、ズボンを下ろす。
 あっという間の動きだった。
 そこには屹立したモノがある。

「あなた、好きな人は?」
「あ……はー……え……? す、き……?」
「いるなら、ごめんなさいね」

 男のモノをあっさりと飲み込んだ。
 先端を美藤の唇が包み込み、舌先が割れ目に沿って男を弄ぶ。
 一旦離れて、今度は舌先で形を確認するかのように触れていく。
 その動きに合わせて頭の上から息が聞こえる。
 大声を出さないのはいいことだ。
 無駄に喋らないのも気分がいい。

「……ちゅ、る……んっ……ふふ……んぁ、れ……」

 舌先に感じる味わいは、先ほど食らった電撃の槍による興奮のせいだろう。
 苦くて、えぐい。
 丹念に舐めとってもまだ溢れてくる。
 それが楽しくて美藤はわざと強い刺激を与え過ぎないようにコントロールする。
 触れて、吸って、なめて、それから……

「んっ」

 戯れに口内の比較的深いところまで一気に男を潜り込ませるとどくどくと熱いものが流れ出た。
 ゆっくりと口から引き抜いて、喉から口の中まで白濁を戻してくる。
 飲み込み切っていなければ美藤はそれが出来た。
 男を悦ばせる技術というものだった。

「ま、よい……さ……」
「?」

 思わず見せる前に飲み込んでしまった。
 まよいさん、そういう人物がいるのだろう。
 思い人だろうか、健気なことだ。
 美藤がしぼみ始めたそこに唇を落とすと、ゆるりとかまくびをもたげ始める。
 口の中に含めると頬を内側から抉ろうとまた膨らんできた。
 美藤の口内を満たしているのは唾液だけではない。
 唾液が運ぶ電気があった。
 エレクトロなエレクトを実現する強烈な媚薬である。
 もう少ししぼってみようかと思ったものの、それは途中で遮られる。
 天井が、抜けた。 
 ガラガラと瓦礫が落ちてきて、その上に立つ人影が二つ。

「何をどうしたらそうなるのかしら」
「……うるさい」

 片方は黒星、もう片方は初めて見る顔だ残りの一人……あぁ、なるほどと納得した。 
 あれが『まよいさん』か。
 どうだって、いいのだけれど。
 彼女は黒い長方形を握りこんでいた。
 嫌な予感。
 美藤はただの女だ。
 ただのイカれた女なのだ。
 だから目の前の『謎』の答えなど分かろうはずもない。

「っ!」

 脇腹に痛み。
 敵は距離があるのにこちらに攻撃を届けてきていた。
 電流を使っての肉体操作がワンテンポ遅れた。
 余計なことを考えるからだ。

「ご主人様、詰丸様」
「あら、ごめんあそばせ。先に味見をさせてもらったかしら?」

 美藤には殺しが分からない。
 快楽しか分からない。

「迷言さん、自分は……!」
「静粛に。ねぇ旦那様」

 挑発する様な笑み。
 黒髪のメイドはニコリともせずに受け流す。
 それでは気持ちよくない。
 床伝いに流している快楽の電気に反応している様子もない。
 よほど忍耐強いのか、何かカラクリがあるのか、謎だ。

(……そうね)

 車椅子に触れる。
 強烈な放電によってそこに座る男を何度目かの絶頂へと導いていく。
 水鉄砲のように飛び出たそれはメイドに向かって放たれるが届きはしない。
 指先で絡めとり、舌先にそれを乗せる。
 ……その時になって、やっと美藤は自分の電撃がメイドに対して有効だったことを確認した。

「……その手に持っているものは何かしら」
「謎、です。美藤羊子さん。貴方もいずれそうなります」
「……」

 謎、そう呟いた。

(謎)

「謎」

《痛かった》


 声が聞こえた。

《血も沢山出たわ》

 謎になったものがある。

《あの人、何度も殴ったのよ》

 謎にされた過去がある。

「どうして」
「……?」
「どうしてそんなことするの?」

 愛人形は謎を抱えている。

「うちは」

 涙が流れていた。
 美藤の急激な変化に一瞬だけ時が止まる。
 明らかな異物。
 そんな人らしい反応を脈絡もなく示す事が異常。
 それを隠すかのように美藤は男の手からカッターナイフを抜き取り、そのまま首に突き立てた。

「かっ……」

 カッターナイフが光る。
 傷口から直接流し込むことで強制的な絶頂と殺害の実現。
 行為なしに出来る簡易的な優しき死の形。
 それでも、その心は戻らない。

「あ」

 メイドが急速に接近。
 凶器となる謎の黒い長方形が向けられている。
 美藤は愛おしそうに笑った。

 たん。

 そんな音がして、メイドの頭にいくつかの穴が開く。
 美藤への意識が最高潮に達した瞬間を黒星は逃さない。
 だから、謎は謎のままメイドは死んでいく。
 銃口が今度はこっちを向いた。
 黒星の目にある意識。
 それを赤い瞳が覗き込んでいる。

「おいで」

 光。
 それは美藤の電気。
 物を伝う凶器の媚薬。

―――――――――――

「……ちゅ……っ……っん……」

 湿っぽい音が図書館内に響いている。
 普段ならば咎められるような発声も今では黙認されてしまう。
 二つは一つになっていた。
 黒星はメイドを撃ち殺した銃を美藤の頭に押し付けていたが引き金は引けていない。
 美藤は黒星のなだらかな胸に顔をうずめていた。
 既に赤く硬直している胸の頂きに軽く歯を這わせる。

「んん……っ! と……れ……」

 きゅっと力を入れてみると、軽い痛みが刺激になって黒星の息が跳ねる。
 小さく上がる声に黒星が忌々しそうに口元を歪めていた。
 美藤がそれに気付いたのは、彼女が自分を撃った時であった。
 背を反らして避けながら、床を伝って電気を流した。
 その反応が悪くて、引っかかっていた。
 疑惑。
 確信に切り替わるきっかけはその後の放電。
 一瞬で低い場所から
 テッペンまで昇る快楽の乱気流。
 戸惑うような顔。
 黒星は殺しに精通していたが、色には疎い。
 それが美藤の結論。
 奇跡的な確率。
 神のよこした不思議な相手。

「……そ……こぉ……ぐっ……く……ぅ……!」

 彼女の中に潜り込んだ美藤の指に伝わる力。
 まるで自分の首を絞めていた時のような力強さすら感じてしまう。
 しかし電気と共に三本の指が黒星の秘所を抉っている。
 腰が浮き上がり、まるでもっととねだっているようだ。

「ふ……っ……ふ、ん……あ……ぃ……あ、あ……あ……あ……」

 引き金を引けば美藤は簡単に殺せてしまう。
 未知の快楽に打ち勝てばすぐにでも。
 だが美藤のしている事はスピリタスを無理やり飲ませ続けるのに似ている。
 過ぎた快楽を慣れぬ体に送り続ける。
 メイドに電気を届けた時、黒星にもそれは届いていただろう。
 蓄積された興奮が時限爆弾のように彼女の中で破裂し続ける。
 手を組む提案に乗ったのも、きっと無意識下で快楽を与えた美藤に期待していたのだろう。

「可愛い子」
「閉嘴」
「照れ隠し?」

 空いていた手が相手の手首を軽く握り、美藤の唇は胸から黒星の口へ。
 舌先が彼女の閉じた歯に当たると、ゆっくりと黒星が口を開けるのが分かった。
 中に入りこみ、絡め合い、そして別れの時が来た。

「!」

 体の内部から一気に放電する。
 触れている場所から絶頂へと誘う暴力的な快楽が襲う。
 今までよりも一際強いその感覚。
 黒星が目を見開く。
 快楽ではなく痛みのために。
 美藤は、愛人形は相手の舌を噛み切った。
 引き金にかけられた指に力がこもる。
 しかし弾丸を撃ち出すよりも早く、黒星の脳はある処理を行った。
 気絶である。
 連続した強烈な絶頂と、舌を噛み切られた痛み。
 強過ぎる外部からの感覚の入力により脳は焼ききれ、それ以上の損傷を避けるために暗転を選んだ。

「……ま、だ……」

 力の入らない体で何とか這いずり、事切れた男の血に塗れたカッターナイフを引きずり出す。
 倒れた黒星のそれに刃を押し付け、喉の中に食い込んだのを確認して一気に切り裂く。

「ごめんなさいね……こんな……初体験で……」

 他人同士後が混ざりあったカッターナイフを投げ捨てる。
 これで終わりだ。
 今日は疲れた。
 だが、まだ燻る熱があるのも事実だ。

「……ん」

 むせ返るような血の海の中で、美藤は自分の秘所に触れた。
最終更新:2020年07月03日 21:01