英雄には、英雄らしき死を。
伝説には、伝説らしき死を。
人外には、人外らしき死を。
捕食者には、捕食者らしき死を。
全てのものに、相応しき死を。

◇◇◇

警視庁、凶悪魔人殺人鬼緊急特別対策本部。
それは、昨今の東京で急増中の魔人殺人鬼による殺人事件――それに対抗するために設立された、部署を超えた殺人鬼情報の特設共有部門である。

「……君が、蘆屋道満か」

時は明朝、暗い大部屋の中。一人の男性が、蘆屋道満と呼ばれた男の肩を叩く。
彼は、警視庁捜査一課、魔人犯罪対策室の刑事にして、ある殺人鬼を追う男――本田李仁。『慈愛のお迎え天使』の事件を担当する、一介の刑事である。

「愚問だと思うけどねぇ、それ。確信はあるんだろう?」

警官の服装でありながら、しかし妙な雰囲気を醸す男性。
警視庁内に存在が確認されていながら、あらゆる文書に記録を残さない者。
そこにいながら、どこにもいない者――99代目・蘆屋道満。
彼はくるりと反転しつつ、本田を見据えてそう応えた。

「…………」

……食えないやつだ。
ハァ、と一つ溜め息をつくと、本田がポケットから煙草を取り出し――道満の細い手が、それを止める。

「ここ禁煙だ、やめときな」

諌めるでもなく、淡々と事実を述べる声色。おそらく、当の本人は気にしているわけではないのだろう。あくまで、ルールは守るタイプなのだろうか。
――蘆屋道満。かつての歴史で晴明と相対する悪役陰陽師の名を継いでおきながら、まさか刑事とは。いったい何の風の吹き回しが起こったのやら。

「で? 呼び止めた以上は何かあるんだろ?」
「……これを」

はらり、と一枚の便箋が本田の手から渡される。

「うちの部下が、不審な老人から渡された物だ。君に取り次いでくれと」
「へぇ。俺に。どんなラブレターかな……って、何だこりゃ」

道満が何ら警戒なく便箋を開くと、単純にして純粋な、たった3行の文章が二人の目に映り込む。

『夜の遊園地というのはとても素敵だ。キラキラしている。一人でというのも乙だけど、やはり素敵なデート相手が欲しいね。』

『中華街で大暴れした殺人鬼の方。刺激的な夜を過ごさないかい?振られないことを祈っているよ』

『――ラブ・ファントム』

それは――ある殺人鬼からの、『ジャック・ザ・リッパー』への挑戦状(ラブレター)だった。

◇◇◇

「おー、本田のおじさんだ、おはようございまーす」

殺人鬼による殺人鬼殺しが頻発し始めた、その翌日。
夜の殺伐とは打って変わり、いつもの平凡がやってきた朝。
街の正義――紅眼莉音が、見知った背中に呼びかけた。

「わ……隻腕の、真紅眼……」

くるりと、本田と呼ばれた男が嫌な顔で振り返る。
本部で昨日の事件の処理を終え、今から家へ帰ろうとした道筋の途中である。
……昨日の仕事が朝までかかってただでさえ忙しかったというのに。さっきは道満、次にこいつとエンカウントとは。変な奴に会う運でも引いてしまったのだろうか。ついてないにも程がある。

「やだなー、莉音ちゃんでいいですよ? ご近所さんですし、本田さんには良くして貰ってるんですから」
「そう言いたいのは山々なんだが……はいそうですね、とはいかないのが仕事でね」

今日も元気な莉音の様子を見ながら、がりがり、とボサついた頭を掻く本田。
……こちとら徹夜明けなんだってのに、よくそんなテンションで居られるもんだ。

「で? 要件があるんなら言ってくれ。俺は帰って寝るんだ、これから」

ふぁぁ、と本田が欠伸を漏らす。
しかし、警視庁の善なる協力者――コードネーム:隻腕の真紅眼はそんなことは御構い無しである。

「そうですねー。私は何か手伝えないかなって」
「手伝うったって、お前なぁ……」

はぁ、とため息をつきながらも、本田は既に薄々理解している。
こういう時、彼女に情報を渡せば、翌日にはすべては解決しているものであると。
絶対なる正義にして、迅速なる正義。それが、隻腕の真紅眼なのだから。
――故に、俺はこの選択をするしかないのだ。

「……遊園地。今晩、そこに殺人鬼が出る」
「遊園地?」
「あぁ。ある筋からの情報だ。多分、間違いはない」

目を伏せながら、本田は言葉を噛み締める。
……これが、警察か。これが、刑事か。魔人犯罪を、外に頼らなければ解決できないだなんて。
そんな本田を見ながら、紅眼莉音はぽつりと溢す。

「……辛いですよね、こんな風に頼るしかないのは」
「いや、そこまでは――」
「いえ、大丈夫です。父が……もうほとんど覚えてませんけど、父は言ってました。この世界には、善を為したくても為せなかった人間がいるって。そういう人のために、私は正義を為せばいいんだって。だから、大丈夫です。本田さんの仕事は、私がちゃんと解決しますから」

微笑を浮かべながら、紅眼莉音は本田を見つめる。
善。何の裏もない、善の、そして正の感情。
そんな莉音を見ると、本田は小さく息を吐く。

「……はは。そういう子だから、頼ってるんだよ。いつも。ありがとう」
「いいんですいいんです、私は正義なんですから」
「だったな、そうだそうだ。じゃ、行って来な。”隻腕の真紅眼“ちゃんよ」
「ふふん。それじゃ、吉報を楽しみにしててくださいね!」

隻腕の真紅眼――紅眼莉音は踵を返し走り出す。
……まずは、遅刻しそうな今日――出校日の、一時間目に向かって。

◇◇◇

冬休みの平日の、とある昼下がり。
黒猫ヤットは、橋の下。

(……おなか、すいたな)

未だ消えぬ心と眼の蒼い炎をチラつかせながら、黒猫ヤットは周囲を見渡す。

「おやおや、こんな所に野良猫とは。随分と珍しいのを見つけちゃったね?」

ヤットの背後で、声が響く。
ヤットが振り返ると、そこにいたのは――女子高生。人間の言葉で言うならそう形容すればいいのだろう服飾の人間が、こちらを見ながら屈み込んで微笑んでいるのが見える。

「おいで〜、ネコチャン、おいで〜」

うざい。態度というか、全体的に。
向こうとしてみればそういう感情はないんだろうけれど。

「フシュゥゥゥゥ……」
「うわっ、ちょっ、えっ、何がまずかったかな!?」

ヤットが分かりやすく警戒を見せると、女子高生はびくりと飛び退く。
うーん、とあからさまに思考を巡らせている様子の女子高生を見ながら、ヤットはふと、己のママを思い出す。

(…………どこで、間違えたんだろう。一体、どこで)

眼を細めて思い出そうとはするものの、もはやその記憶の中の暖かかった過去は薄れかかって消え始めている。もはや今、かつての可愛いヤットはいない。己がサツジンキだから。アイツと同じ、あの蒼い……。

「……いや、待った。飼い猫じゃないかこの子。首輪がある」

――はっと、己の首に目をやるヤット。思い出した。真っ赤な首輪。銀翼のチャームがついた、赤い首輪。
ぎり、と歯を強く噛み締める。
こんなもの。もう戻れないというのに。アイツを殺したとて、ママの所には――

「ふむ、となれば届けてあげるのが紳士というもの……ん?」

無理矢理にでもと抱え上げようとすると、ぴりり、ぴりり、と着信音。
女子高生が、手慣れぬ手つきであたふたとスマホを操作し、電話を取る。

「僕だけど。……遊園地へのラブレター? ごめん、何の話?」

露骨に、女子高生が何の話かわからないといった表情をする。
相手側の声は聞こえないが、ヤットもまた、興味なさげに欠伸を漏らす。
だが、次の一言は、ヤットの精神をまた、その女子高生の方に引き込んだ。

「あぁ、なるほど。――ジャック・ザ・リッパーかもしれないのか」

ぴくり、とヤットの耳が跳ねる。
――ジャック・ザ・リッパー。ニンゲンたちの中でも有名な、サツジンキの一派。
アイツも、名乗っていた。ジャック・ザ・リッパー。間違いない。あの日、あの時。

「分かった、行くよ。いつもの場所で落ち合おう。それじゃ」

電話を切り、女子高生がヤットの方を見る。
――蒼い眼。間違いない。こいつも、アイツと同じ、サツジンキだ。
黒猫ヤットが、己の中の黒い邪悪を滾らせる。
だが、女子高生はそんなヤットを見つつも、何ら警戒を持たずヤットを見つめたまま。

「……残念。キミは一旦後になっちゃいそうだ。また来てはみるけど、飼い主に会えるといいね」

女子高生が慈悲のような、慈愛のような微笑を浮かべると、周囲に霧が立ち込める。
――逃がさない。
ヤットが地を蹴る。
女子高生の姿が消える。――霧の中へ、溶ける。
ヤットの爪が宙を切る。

(ッ……!!?)

すたり、と再び黒猫が地に降りる。
もはや、周りの霧は消え去っていた。

(……遊園地。今のヤツはそう言った。それなら、もしかしたら。アイツも、そこに)

脇目も振らず、ヤットは駆け出す。その蒼い炎を燃やしながら。
――海岸線沿い。かつてご主人と一度だけ行った、あの懐かしい遊園地へと。

◇◇◇

夕刻。白百合高校、下足箱。
今日もいつものように入っていた恋文を鞄に仕舞うと、西条なつみは歩き出す。

「……残念。今日は先客がいるんだ」

ポツリと、言葉をこぼす。
獲物を狩る獣の眼。捕食者の眼。
パチン、とスイッチが切り替わる。
下足箱の電気が消える。
ふと、今朝のニュースを思い出す。
ジャック・ザ・リッパー。そう報じられた、中華街の殺人鬼。
『新宿の』でも、『殺人嬢』でも、『一八八八代目』でもない。
『初代』ジャック・ザ・リッパー。英国に伝わる、伝説の殺人鬼。
一体、どんな味がするんだろう。どんな背徳が味わえるんだろうか。

「嗚呼、楽しみだ。本当に楽しみだよ――ジャック・ザ・リッパー!」

西条なつみ――ラブ・ファントムは高々に笑う。
心の底から嬉しそうに。玩具を貰った子供のように。

今宵の戦場は、遊園地。ハプニングだって構わない。昨日は楽しかった。今日はどんな輝きが見られるのだろう。どれだけ美しい、食物に出会えるのだろう。――あぁ。今日は、本当に良い日になりそうだ。

◇◇◇

東京、湾岸、深夜。
客足が消え、ライトも消され、暗闇に巨大なオブジェクトが立ち並ぶ、不気味な夜の遊園地。
そんな場所に。そんな場所の、観覧車の上に。99代目・蘆屋道満は立っていた。

「心の準備は出来たかい。ジャック・ザ・リッパー」

周囲に、霧が立ち込める。
霧はやがて集合し、一つのヒトの姿を映す。

「うーん。怖いなぁここ。カッコつけるのはいいけど何でここなのかなぁ、君!」
「戦況把握。そうだな、うん。戦況把握とやらだ。高い所は視線が通る」
「だからってわざわざゴンドラの上に登ることはないと思うんだけどね僕は!! いやまあ、僕は落ちたって怖くはないんだけどさ!!」

そう言いながら、道満にしがみつく人影。
ジャック・スプレンジッド――『元祖』ジャック・ザ・リッパーである。

「……怖いなら、下で連絡を待ってればよかったんじゃ?」
「い、いや。いい。ここから格好良く登場するのも乙なものだからね! 怖くない!」
「ハァ……」

頭を軽く捻りつつ、道満が大きくため息を吐く。

「……ほら、もういいから行ってきな」

げし、とジャックの背を蹴り飛ばす道満――そのまま、ジャックは落下する。

「ちょーっと無理やりすぎやしないかなぁぁぁぁぁ!!」

落下していき、地面に衝突――する瞬間、遊園地全体に霧が立ち込める。

「……さぁ。挑戦状は受け取った。ラブ・ファントム……どう来る?」

にやり、と笑う蘆屋道満。
今宵の戦が、始まった。

◇◇◇

「……霧?」

メリーゴーラウンドに腰掛けながら、ラブ・ファントムは言葉を漏らす。

「雰囲気が出てくるじゃないか。ジャック・ザ・リッパー。あるいは、これが君の能力なのかな? ふふ、だとすれば面白い味がしそうだね」

ラブ・ファントムが木馬の上で、くるりと棒に沿って回転する。
――と。

「――ッ!?」

刹那。鎌首のような斬撃が、ラブ・ファントムの顔を掠める。
鎌鼬。疾風。そう例えるのが早いような、青い輝きを纏った黒い斬撃の影。
崩した姿勢を抑えるように、ぐるりと回りつつ木馬から飛び退く。

「……リッパー……? いや、聞いていた話とは少し……」

捕食者の眼を凝らし、暗闇を見つめる。
――近くの暗がりから、蒼い炎がこちらを見ていた。

「……猫?」

猫。黒猫。蒼い眼で、真っ赤な首輪の綺麗な猫。
殺意が篭った、蒼炎。

「猫使いのジャック・ザ・リッパー……ではないみたいだけれど」

そう言いながら、ラブ・ファントムは懐からナイフを構える。

「久しぶりに食物以外を殺すことになりそうだ」

ラブ・ファントムが己の頬に触れる。
戦闘態勢の、合図。

――刹那、黒猫の方へ向け、投擲ナイフが放たれる。
蒼い炎は、それを易々と見切り、ラブ・ファントムへと駆け出でる。

「……甘かったね、猫は猫か」

――その動きを想定した二撃目が、ヤットの身体を貫いた。

◇◇◇

黒猫ヤットは、血を吐いた。

(そんな、何が――?)

血の滴る己の身体を飛び退かせ、傷口を見る。
――夜目の効く猫には、それが何かを理解できた。

(黒く塗られた――針!?)

痛みを堪え、敵を見る。
蒼い、目が見える。殺意に輝く、殺人鬼の目。
否。それはもはや、ヒトのものではなく。

(――こいつは、本当にヒトなのか?)

捕食者。ヤットの持つ語彙で言うならば、それが最も的確だ。
小動物を襲う鷹のような。
烏賊を喰らう鮫のような。
鼠に狙いを済ます、猫のような。
――捕食者の、研ぎ澄まされた眼。

……まずい。この黒い杭を見るに、相手は『このフィールドを予見している』。いくら夜目の効く、種族差というものがあるとはいえ――チューンナップされた人間は、それを遥かに上回る。
退くか――否。そんな選択は、もはやない。彼女は捕食者だ。背を見せれば、もはや狩られる以外の未来はない。
『捉える』か――いや、それを選ぶにしては相手が冷静すぎる。少しでも、その精神を掻き乱せれば。

「あれ、今のだけで来なくなってしまったかな。どうしたんだい?」

ラブ・ファントムが、ゆらりと、しかし警戒は崩さぬまま、ヤットへと歩みを進める。
――まずい。

「じゃあ、食事以外にかける時間は減らしたいから……早めにトドメを刺してしまおうか」

ラブ・ファントムが、ポーチから投擲用の小刀を取り出し、投げる。
今のヤットに、避けられる余裕はない。

――その、刹那である。

「悪い人だなー、猫は大事にしなくちゃ」

血に濡れた少女が、すたりとヤットの前に降り立ち、小刀を右手で受け止める。
だらりと下がる左腕。夜に輝く真紅の眼光。
己の眼光である蒼とは真逆の、真っ赤に燃える紅蓮の炎。
隻腕の――真紅眼。

「噂の殺人鬼さんだよね? さぁて、正義を見せてあげようか」

――闇夜に、正義が降り立った。

◇◇◇

『元祖』ジャック・ザ・リッパーは焦っていた。

(…………どれ、どれがラブ・ファントム!?)

そう。誰が挑戦者――ラブ・ファントムなのか、全くわからないのである。

(カッコよく霧になったはいいけどさぁ! 猫と女の子が二人って!)

霧になったまま、うねりと頭を抱えるように蠢くジャック。
どうするべきか。どうするべきなのだろうか。
と、頭の中に道満の声を思い出す。

「俺がいる。恐れるな、お前は世界一のジャック・ザ・リッパーだろ?」

そうだけどさぁ!!
頭の中でツッコミを入れつつも、ぱんぱん、と頭の中で頬を叩くジャック。
心は決まった。3対1だろうとも、僕は全力で仕事をするだけだ。

――霧が、晴れる。

一人の男が、姿を現した。

◇◇◇

「……アレは、まさか!?」

観覧車の上。蘆屋道満は焦っていた。

「……いや、想定はしていた。アレは確かにまだ動いていると。だが」

道満が、深呼吸を挟む。

「しかし――」

アレが――俺がかつて作ったアレが、何故今ここに現れた。
アレは、俺がこの立場に、この状態になるために必要だったもの。必要なくなって、新たな役目を持たせて、壊して海に捨てたもの。
俺が、過去を――『己、蘆屋道満がヒトに味方する正義の英雄である、という過去を作る』ために必要だったもの。
陰陽術による記憶操作を通すことで、過去を書き換える人型装置。式神。あるいは人形。
隻腕の真紅眼――百目の鬼から取ったその名が、今になって俺の前に立つのか。

「何故このタイミングなんだ、俺の最初の『道具』……ッ!」

血管を顳顬に浮かばせ、99代目・蘆屋道満は跳ぶ。
アイツは。アイツは、今ここで再び破壊しなければ。
そうでなければ。俺は――!

◇◇◇

黒猫ヤットが、異変に気付く。

(霧が……晴れた?)

霧が、晴れている。先程まで、薄く立ち込めていた霧が。
ヤットが、少女二人の方を見る。
紅蓮の少女と捕食者の少女は、先程から一進一退、ギリギリの戦闘を続けている。
捕食者がナイフを翳せば紅蓮がへし折り、紅蓮が蹴りを入れれば捕食者はその脚に刃を突き立てる。
ヒト同士の、本気の殺し合い。

「あなた……何か変なことしてるよね? 速くなったり硬くなったり……」
「おや、そこまでは気がついたのかい。随分と勘が鋭い」
「……魔人?」
「はてさて。そこはノーコメントにさせてもらおうかな」

隻腕が、滑り込むように足払いを入れる。
その足を、ラブ・ファントムが踏みつける。
身体能力は、ほぼ互角。しかし、ラブ・ファントムはそこを、的確に能力で2倍にチューンしている。
故に、紅眼莉音は押されていた。
皮膚は削られ、骨にはヒビが入り、腕には複数の釘や金具が食い込んでいる。

「はぁ、はぁ……っ」
「ふふ。もう息が上がっているのかい? 当然だろうね、君は今、『2倍疲れやすい』んだから」
「……2倍、ね。それがあなたの?」
「もう一度言おうか。ノーコメントだよ。好きに想像するといい」

ラブ・ファントムが、右手に持ったナイフをくるくると回す。
何度も身体を切り刻み、その刃は真紅に濡れている。
刃が、振り上がる。
そのまま、それを斬れ味2倍で振り下ろ――せなかった。

「おっと、待った。君の狙いは僕じゃないのかな。ラブ・ファントム」

――ジャック・ザ・リッパーが、その手を掴む。

「ジャック・ザ・リッパー。……遅かったじゃないか。道にでも迷ったかい?」
「いやぁ、どっちかというと人に……うん、その話はやめようか」
「そうだね。プライベートには踏み込まないよ。ましてや伝説の殺人鬼ともなれば」

それに、どうせ食べる相手のプライベートなんて、興味はないからね――。
ラブ・ファントムは、その一言を飲み込んだ。いけないいけない。これは最後のお楽しみなんだ。言ってしまっては楽しみが薄れてしまう。

「それと、そこの少女くん。正義の味方ごっこはいいが、相手は選ぶべきだと思うよ? こいつは危険だ、ここは僕が――へぶっ!?」

鈍い痛みの一撃が、ジャックの背中に叩き込まれる。
――黒猫ヤットの、体当たりだ。
受け身を取り、傷だらけの身体を起こすヤット。
勢いのままぶっ飛ばされるジャックとラブ・ファントム。

「いった……え、ネコチャン!? 昼間の!? やだ全然気づかなかったよ僕!?」

いたた、と背中をさすりながら、ヤットに向かって立ち上がるジャック。一拍おいて、ラブ・ファントムもまた立ち上がる。

「……ジャック。やはり君の知り合い……知り猫? というわけでもないのかな」
「あぁ、うん、この子は僕が昼間に初めて見た猫だとも」
「そうか。……正義の味方ちゃんは?」
「味方じゃなくて、正義そのものなんだけど。……知らないよ、私は」

ヤットが、全員を見て警戒を強める。
……殺人鬼が、揃った。

「おやおやぁ。もしかして勢揃いか。俺はお邪魔になっちゃうかな?」

すたり、と4人の中央に、一人の男が降り立つ。
警官の服装。軽薄な、飄々とした男性。99代目・蘆屋道満。
殺人鬼は、揃った。
そう、この場に。『5人』全員が――。

◇◇◇

「道満!? 状況把握は!? アレだけカッコつけてたのに!?」
「状況が変わった。俺はそこの朱眼のヤツに用がある」

道満が、薄気味悪い微笑を浮かべて莉音の方を指し示す。

「久し振りだな。もっとも、お前はもう覚えてないだろうが」
「……誰?」
「創造者。とでも言えばいいか?」

はは。と笑い、莉音に向かって道満が歩き出す。

「……まあ、いい。これで思い出す」

道満が、莉音の額に触れる。
刹那、莉音の頭にスパークのように、様々な記憶が流れ込む。
己が、彼に作られた式神人形であること。
今の記憶が、彼によって造られた偽物の記憶であること。
自分が、彼の目的のためだけにあるのだということ。
――自分が、過去を書き換えていたということ。

「ぁ、え……?」

すとん、と莉音が膝から崩れ落ちる。
その目から、光が消えていく。

「良し。あとは、もう一度……今度こそ、破壊すればいいだけか」

ふっ、と手を離すと、くるりと見返る蘆屋道満。

「邪魔したな。俺はこれで失礼し――」
「失礼、させると思うかい?」

ひゅん。と眼前を刃が擦り抜ける。
ラブ・ファントムが、立っていた。

「獲物の横取りは感心しないな。誰であろうと」
「……面倒な」

道満が、呟きつつ手を少女に翳す。

「いい『道具』にはなりそうもないな……残念だ」

スン、と手をスライドさせると、ラブ・ファントムの姿が消えていく。
消えていき――消滅する。

「道――満?」

ジャックが、唖然な顔で道満を見る。
だが、道満の姿勢は変わることなく、ただただ軽く飄々としている。

「陰陽道だよ、ジャック・ザ・リッパー。世界を騙し、世界を改変する術。かつて、これが魔人能力と呼ばれる前。これはそう呼ばれていた」
「そうじゃない! 彼女は『ジャック・ザ・リッパーではなかった』!」
「まだそれを……細かいことを気にするな、方便に過ぎないことだよ」
「ッ……」

ジャック・ザ・リッパーが、蒼い炎の黒猫に目をやる。
――いない。

「――ぐぁっ!?」

蘆屋道満の脚を、何かが切り裂く。
黒い影。蒼い炎。
――『慈愛のお迎え天使』。

「くそ、猫が……獣ごときが……今のを見てなお恐怖しないか! これだからタチが悪い!」

道満の眼が、ヤットを『捉える』。

「だが、動物なら話が早い。お前は――死ね」

ばつん、と音がする。
黒猫ヤットが、地に伏せる。
目から、光が消えていく。身体の力がなくなっていく。
――死を、迎える。

「……面白くもなんともない。俺は手を下すのが大嫌いでね」

蘆屋道満が吐き捨て、紅眼莉音の方を向く。
――ジャック・ザ・リッパーが、その前に立つ。

「何だ。邪魔だ、退け」
「退かない。悪人の……君の言うことを聞く気は無い」
「……お前もか。これだから、自分でやりたくはなかったが」

――ずぶりと、ジャックの腹に手が刺さる。

「うぐ……っ!」
「何がしたい。そいつは俺の模造品だ。俺がどうしようと構わんだろう」
「構わなくはない。彼女は善人だ――なあ、少女」

ジャックが、後ろを慈愛に満ちた目で振り返る。

「君は――これで終わっていいのか? これで。僕は見ていた。あのネコチャンを守った君を。僕は尊敬するよ。僕は、何も守れない人間だ。……君は、正義を諦めるのか?」
「……黙れ。もうそいつは止まっている。……いや。言うだけ無駄か」

ぐしゃり、と臓器が潰れる音がする。
ジャック『だったもの』が、地面に倒れ伏せる。

「……手を掛けさせるな。あとは――お前を」

殺せばいい。ゲームエンドだ。
蘆屋道満は――変わらぬまま、紅眼莉音に手を翳した。

◇◇◇

――英雄呪縛。
99代目・蘆屋道満の創り出した――『究極の呪縛』。
道満の扱う現実改変を応用した、『過去の書き換え』。

「君の正義を、諦めるのか?」

彼の、声が聞こえた。
嫌だ。
私は、正義だ。
諦めたくはない。
だけど。
それを今は。
今だけは。
己のためだけに――『己の信じる正義の為だけに使う』。
決めたんだ。私は。たとえ造られた正義だろうと。
私は、正義として――この悪を、倒さなきゃいけないんだ!

「力を貸して。ジャックさん――いや、みんな!」

莉音の眼に、光が灯る。
莉音が、がしりと立ち上がる。
莉音の動かぬ左腕に、ばちり、ばちりと稲妻が走る。
辺りに、霧が立ち込める。
捕食者の少女の影が、地に降り立つ。
宙に浮き出す蒼い炎が、小さな黒い影に灯る。

「何だ――殺したさっきの奴らか!? どうやって――何故、立ち上がれる!?」
「どうも何もない、決まってる! 私は正義だ、正義を為すんだ! 私は、絶対に間違えない!」

過去を、書き換える。
それは、何であっても例外なく。
すなわち――『ヒトの死』さえも、書き換える。

「思い出したんだ。お父さんの言葉を――私のこの手は、人を殺すための手なんかじゃない。みんなと、仲良く繋ぐための手だって!」
「そんな筈があるか! お前に父はいない! お前は、俺が――」
「違う、違う、違う! 私は正義だ! 正義は! 絶対に! 間違えない!!」

紅蓮の炎が、眼に灯る。

左の腕が、ゆるりと動く。

「馬鹿な――その手を動かす機構は――」
「つけなかった? そんな過去は『ない』、あった過去じゃない! 私は人だ! 紅眼莉音だ! これだけは、間違いようのない真実なんだっ!!」
「ッ……!?」

――あぁ、そうだ。俺は、こいつを創ってなどいない。
こいつは、俺の――何でも、ない――
過去が、書き換わっていく。己の、過去が、為した全てが――

「が、ッ……違う、巫山戯るな、ふざけるなァ! 創造主に逆らうだと……万死ッ! 俺は、俺が、俺こそがッ!」
「もう――何も言わない方がいいよ。蘆屋道満。私が、正義。あなたは悪。言ったよね。あなたは。悪人は変わらないって。だから、もう、これでおしまい」

紅眼莉音が、左手をかざす。
捕食者の影が、道満に触れる。
今の莉音は、一心同体。英雄呪縛――己を英雄にする能力。故に。
――全ての能力を、成果を、英雄自身に『繋げる』能力でもある。
正義には。英雄には。仲間が――絆が必要なのだ。
それがたとえ、『過去を捻じ曲げて造られたものだとしても』。
捻じ曲げた過去は、絆を生む。
捻じ曲げた過去は、協力関係を生む。
捻じ曲げて過去は、信頼を生む。
――例えば。このように。

「「『バイ・クイーン』」」

刹那。道満の心の臓が高鳴りをあげる。
心拍数を、二倍にした。
――故に、次の手は一つ。

「な――」
「それじゃ、さよなら」

小さな蒼い炎は、その鼓動を逃さなかった。

「———『捉えた』!」

———ばつん。

◇◇◇

夜が、明ける。
立っているのは、一人の少女と、3つの影。
足元には、一人の、『だれでもない』男の死体。

「…………君は満足なのか、これで」

影の一つ――霧の男が少女に語る。

「いいんだ、これで。私は、正義だから」
「…………そう、か」

霧の男が、霞と消える。
もはや、この世に繋ぎ止める楔はない。あとは死の国へと戻るのみ。

「おっと、最後に頼み事がある。――僕が為せなかった、ジャック・ザ・リッパーの後始末を頼むよ」
「……正義。承ったよ、ジャックさん」

霧の影が、世界から消えた。

「ふふ、君は面白いね。私がもう君を食べられそうにないのが悔しいよ」

捕食者の影が、少女に語る。

「そんなこと言うと、罰ですよ」
「そうか。君は正義で私は悪。そうだったね」

微笑を浮かべ、捕食者が消えていく。

「……ご馳走様。いい食事だった。次があるなら、君と共に」

捕食者の影が、世界から消える。

「……猫ちゃん、ごめんね、巻き込んで」

黒猫の影に、莉音が手を伸ばす。
にゃぁあ、と小さくなく影は、警戒もなくそれを受け入れる。

「私さ、守るって……正義なのに……守れなくって……」

にゃぁ。蒼い眼を、黒猫の影は莉音に向ける。

(いいんだ。これで。ボクは悪い猫だから。……ちょっぴり、ママのことが心配だけど。……でも、キミがいるなら、アイツにもきっと罰を与えてくれると思うから)

にゃぁ、にゃぁ。何度も泣きそうな莉音に、猫の影は鳴きかける。

猫の影が、莉音の手から――世界から消える。

正義は、一人。
正義は、英雄は、想いを託される。
……この世界には、まだ英雄が必要なのだ。
――たとえ、それが人を殺すことしか出来ない、殺人鬼だったとしても。

涙を拭い、莉音は立ち上がる。
まだ、悪は終わりではない。
呪縛を抱え、正義を為すために。
――紅眼莉音は、まだ終われないのだから。
最終更新:2020年07月03日 21:03