『お前は……化け物だ……ガハッ!!』
 お腹のあちこちから蔓を生やしたアルさんは、私を見ながらそう言いました。血を吐いて、とても、とても苦しそうな様子で。
『近寄るな! 化け物!』
 心配して声をかけた私にそう吐き捨て、アルさんはマスクを脱ぎ捨てました。その顔面は青白くて、だけどその目は激しい憎悪に燃えていた様な、そんな気がしました。
 そしてアルさんは手にした包丁を自分の首にあてがいました。その光景に私は驚いて、だけど止める暇も無くって。
『これが……『私』だ!!』
 震える声でそう叫び、自分の首を斬り落としたアルさん。私は、ただ見ている事しか出来ませんでした。
 アルさんは、私の『家族』になれたかもしれないあの人は、自分で自分を殺しました。
「……どうして、なんだろう……」
『強欲の宿り木』こと森本里実は、自室の片隅で膝を抱え、誰に言うでもなくそう呟いた。
 冥土の案内人、ポークカレー、そして強欲の宿り木。3人の殺人鬼が一堂に会し、いくつもの死体が生まれたあの夜から、まだ十数時間ほどしか立っていない。
 未だショックから抜け出しきれてはおらず、いつもの学校の庭の手入れを終え家に帰ってきてからというものの、ずっとこんな様子だった。
「はぁ…………」
 追い求めて追い求めて、ようやく会えたと思ったのに。これからもっともっと『家族』を増やして、皆で幸せに生きていけると思ったのに。なのに。
「なのに、死んじゃった……」
『樹』に適応出来なかったなら、分かる。それで死んじゃうのは、仕方ない。そう、仕方がない。仕方がない。仕方がない……仕方がない? うん、そう。仕方がない。
 だけどアルさんは違う。いや、もしかしたら最期の様子を見るに、完全には適応できていなかったのかもしれないけど。
 でもアルさんは自分で。自分の意志で、死を選んだ。私にはその事がどうしても理解できませんでした。
『お前は……化け物だ……ガハッ!!』
『近寄るな! 化け物!』
『これが……『私』だ!!』
 なぜアルさんは私に憎悪の念をぶつけたのか。なぜ自分で自分を殺してしまったのか。私にはなにひとつ分かりません。
 と、そんな事を延々と考えていると。私の部屋のドアがコンコンとノックされました。
「お姉ちゃん、大丈夫ー? なんか元気無いってお母さんが言ってたんだけどー」
「……え? ああ、うん、大丈夫……ありがとう」
「もうすぐご飯できるよー? 今日はお姉ちゃんが好きなカレーだって、カレー!! お父さんももうすぐ帰ってくるってー!!」
「うん、分かった……」
 トタトタと食卓の方へ走っていく妹の足音を聞きながら、里実は深く溜息を吐いた。
「ご飯、食べなきゃ……カレーかぁ……そういえば、昨日の夜もアルさんがカレーを使って戦ってたっけ……ハァ。流石に今日の夜は外に出るのやめよっかなぁ……」
 『家族』候補が目の前で自殺した事は、里美にとってかなり大きな出来事であった。これまで毎日の様に行っていた『家族探し』のやる気が出ない程度には。
「そもそも魔人さんが適合しやすいっていうのも正しいかどうか分からないし……夜に出歩いたらまた怖い殺人鬼さんに出会………………」
 ……。
「えっと……」
 …………。
「そう、だから今日は外には……」
 ………………。
「えっと、あれ、あれ?」
 ……………………。
「あれ? 私、何を悩んでたんだっけ?」
 そう。確か昨日の事でうんうん悩んでたんだ、私。折角樹に適合できたアルさんが自分で死んじゃって、それで。
「……でも、よくよく考えてみればしょうがないよね。アルさんが死んじゃったのは残念だけど、実際魔人さんのアルさんが樹に適合しかけたんだし……これって大きな前進だよね!!」
 里実は思わず笑みを零した。そして、一つの疑問が里美の頭に浮かび上がってきた。
「そういえば、結局アルさんって何者だったんだろう……メイド服の人は殺人鬼さんだったけど、ちゃんと思い返してみたら、アルさんも包丁持ってたんだよね……もしかしてアルさんも殺人鬼? だったら、もしかして!」
 里実はパンと両手を叩き合わせた。
「もしかしたら、殺人鬼さんな魔人さんなら、樹に適合しやすいのかも!! うんうん、これは良い線いってるんじゃない? また殺人鬼さんと出会うのはちょっと怖いけど、さっそく試してみないと!!」
 そうと決まれば、まずやらなきゃやらない事がある。それは。
「お母さーん!! カレーって何カレー? あ、ハンバーグカレーだ! やったあ!!」
 お母さんの美味しい料理をたくさん食べて、腹ごしらえをする事だ。

 美味しいカレーに、美味しいサラダ。仕事は大変みたいだけど、今日もお父さんは早く帰ってきていて。とっても楽しい家族団欒の食事。
 なぜかさっきまで元気が無かった私だけど、今の私は元気いっぱい。お母さんも妹もだいぶ心配してくれてたたみたいで、ほっとした様子を見せてくれた。
 ああ、やっぱりいいなあ。こうして一緒に家族と過ごしているだけで感じる小さな幸せは、きっとかけがえのないものなんだろう。
 そう、家族と一緒に……家族……家族……『家族』?
 家族。『家族』。家族。『家族』。
 私の家族は、お母さんとお父さんと妹の3人。まあ他にも親戚はいるけど、家に一緒にいるのはこの3人だ。
『家族』。それは私の中に住む『樹』に適合し、私と一緒の道を末永く歩んでくれる人。
 家族。『家族』。家族。『家族』。私の家族は、『家族』じゃない。
 あれ、どうしてだろう。『家族』が増えるのはとっても嬉しいことなのに。それなのに私は家族を『家族』にしようとしていない。
 みんな一緒に『家族』になれれば、これほど嬉しいことはないのに。なのにどうして。
 根拠はない。根拠はないけど、私が樹に適合出来た以上、私と直接血の繋がりがある私の家族は、『家族』になれる確率が高い。気がする。そう考えるのは不自然な事じゃない。だって『樹』に適合出来た私に近しい存在だから。
 でも私はそれを試さない。なんでだろう。
 それはだって、そう。だって『家族』になれなかった人は死んじゃうから。もし違ったら死んじゃうから。
 いやでも、それはさっきしょうがない事だって……でも……。
 でもそれって、それは、それはつまり、殺………………。
 ……。
 …………。
 ………………。
 ……………………。
 あれ、私今、何を考えてたんだっけ? 

 深夜。秋葉原の片隅を、一台の車が走っていた。 扉が歪みシートベルトは壊れ、全てのライトは付かず、フロントガラスはヒビだらけ。なんか焦げ臭いしよく見れば小さく煙も上がっている。そんなボロボロな車が。
『池袋……被害甚……消防……警さ……人手不……ており……他地区においても……多数の殺人……ており……速やかな解……』
「おい! しっかりしろラジオ!! 俺のラジオ!! 全然ちゃんと聞き取れないぞラジオ!! がんばれお前なら出来るラジオ!! ラジオッッ!! ラジオォォォオオオオ!!!!」
 車に備え付けられたカーラジオをバンバンと叩き、雄たけびを上げるこの男の名は榊原光太郎。本人もほぼ忘れているが一応『殺る王』という異名も持っている、クソジジイ殺人鬼である。今日は飲酒運転はしていない。
「なんだ!? おい、池袋で何があったんだ!? 殺しか!? 派手で面白い殺しか!? おい!! ……クソッ!! 昨日のあのびっくりドッキリ大事故のせいでラジオまでイかれてしまった!! あそこまでの殺る気を見せられた以上、昨日の少女に私は敬意を払ってはいるが、あの一件は未だにムカつく!! 殺せて良かった!!」
 榊原はとにかく殺人鬼と出会いたがっていた。昨日の夜、よく分からないけどなんか滅茶苦茶凄い透明少女と出くわし殺し合ったが、榊原的にはまだまだ足りない。もっと殺したい。
「チッ……どうする。このまま池袋に向かうか? それとも当初の予定通り姫代学園へ向かうか? 魔人が多く在籍する学園……非常に興味は惹かれるが……この時間に誰か居るか? それになにやら凄い事が起こってるらしい池袋も捨て難い……ううむ……」
 榊原は道路のど真ん中で車を停止させ、腕を組んで考え込む。
「池袋か、姫代か……うーむ、うーーむ、うーーーー……ん?」
 なんとなく前方を眺めていた榊原だったが、その視界の片隅、遠く離れた地点に、何やら人影が在る事に気が付いた。
「……警察か? いや、違うか……?」
 咄嗟にエンジンを切り、じっとその人影を見る。かなりの距離がありはっきりとは見えないが、どうやら女らしい。警察には見えない。
「ふむ……こちらには気づいていない、か? ライトが壊れていて良かった」
 榊原は車を降りた。わざわざ気にする必要もないかもしれないが、何故か榊原はその女が気になった。
 なにやら面白い予感がしたのだ。殺人鬼の勘とでも呼べばいいだろうか。
「このご時世に女1人で散歩、ではないだろうが……もしそうなら唯のアホだな。アホに時間をかけたくはないが……まぁアホならアホでさくっと殺して姫代学園に行くか……」
 榊原は足音を抑え、なるべく物陰を利用しながら慎重に女に近づいていく。
 と、その時。突然路地裏から姿を現した赤ら顔の男が、千鳥足で女に近づいて行った。
「酔っぱらいか…………あれは不用心なただのアホだな。後で殺すか……まぁ別にいいか。いややっぱ殺そう」
 榊原は建物の陰にサッと身を潜め、女がどう対応するか観察する事にした。
「うぃうぇぁ~~おじょうちゃんこんなじかんになにすげうべぇあぁ~……」
「わ、わ、大丈夫ですかおじさん!! フラフラですよ!!」
 女は近づいてくる酔っぱらいに嫌な顔一つせず、倒れないよう身体を両手で支えた。
「ぼぉれはもぉだめげばぁ~……!! いうぇじゃぁむすめもかぁちゃんもどぅぁれっもあいてにしてぇくれなさばけらばぁ~……がぼじゃごのんののるれらべじゃんじゃかじゃ~ん……」
「なるほど、それは大変ですね!! 分かります!!」
 嘘つけ。
「うぇっ、うぇっぐ、うべぇ~~」
「な、泣かないで下さいおじさん!! 大丈夫です!、なんだか凄い辛いみたいですけど……」
 優しく語り掛ける女の身体から蔓が伸びる。あまりに自然な流れだった為に、榊原はその異常性に一瞬気づく事が出来なかった。
「うぇ……あ、あっ?」
「新しく『家族』が増えることで、きっと、少しは楽になりますから」
 蔓が酔っぱらいの男の口へ種を運び。男は何が起きているのかを理解する暇もなく。
 凄まじい速度で命の全てを吸い尽くされ、そして死んだ。
 後に残ったのは、小さな樹と、干からびていく男の無惨な死体だけだった。
「はぁ、まただめだったか……残念だなぁ」

「ほう……見事なものじゃぁないか」
 榊原は目の前で繰り広げられた斬新かつ面白い殺しに素直に感心した。そしてゆっくりと拍手しながら女、『強欲の宿り木』森本里実の前に姿を現した。
「あ、えっと……こんばん、は?」
 背後から不意に声をかけられ里実は少し驚いた様であったが、とりあえずペコリとお辞儀した。
「あぁこんばんは。ちょっとこれをもう少し近くで見てもいいかな?」
「……え? ああ、はい、どうぞ」
「すまんな」
 榊原は樹に覆いつくされた男の死体に近づき、まじまじと観察する。
「なるほど……樹に栄養を吸い尽くされたのか……あぁ、だがすぐに枯れてしまった。中々面白い能力だ……種を植える能力? いや、この娘は蔓を操っていた……樹を操る能力か? ふぅむ……」
 榊原は所在なさげに立っている里実にチラリと目をやった。そして疑問に思った。実に見事な殺しだが、この娘には決定的に足りないものがある。
 それはもちろん、殺意。榊原風に言うなら殺る気だ。里実には一切の殺る気が無い。何故なら里実の行為は『殺し』ではないからだ。少なくとも里実にとっては。
「…………気味が悪いな」
「あの……おじい……おじさん。1つ聞きたいんですけど……もしかして魔人さんですか?」
「あ? あぁ、まぁそうだな。それがどうした」
「あ、そうなんですか! えっと、だったらもう1つ……こんな事聞くのはとっても失礼かもしれないんですけど、その……もしかして殺人鬼さん、だったりしますか?」
「フ……愚問だな。私こそ殺人鬼の中の殺人鬼。殺人鬼オブ殺人鬼榊原光太郎だ!! 君の手口は十分見せて貰った!! 感謝する!! そういう訳で私は今から君を殺……あ」
 油断。榊原は油断していた。あまりに里実から殺る気を感じられないが故、無意識に油断してしまっていた。
「ヌ……やるな貴様!! まさかこの私が二日連続で不意打ちを喰らうとはなぁ!!」
 里実は榊原に気づかれぬ内に足元から地中を通して根を伸ばし、榊原の足に絡みつけたのだ。
「おじさん、私お願いがあるんです……」
 里実は再身体から蔓を伸ばし、榊原の口元に近づけていく。そして優しい声色で、これまで何度も繰り返してきたセリフを紡いだ。
「私の、『家族』になってください」
「よく分からんがなんか気色悪いから断る!! 死ね!!!!」
 榊原は両腕に殺る気の刃を纏わせた。そして右腕で眼前に迫る蔓を切り飛ばし、左腕で自身の足元をグルリと円を描くように斬りつけた。榊原の足元に絡みついていた根はコンクリートごと切り離され、榊原はすぐさま里実と距離を取る。
「殺る気キャノン!!」
「きゃっ!!」
 後方に退きながら、榊原は両腕から殺る気の塊を放出する。だが里実は蔓を使った伸縮移動を用い、ギリギリの所でこれを回避する。
「殺る気キャノンガトリングッ!!」
 だが、榊原は負けじと両腕を高速で何度も突き出す。拳が突き出されるたび放たれる殺る気の塊が、弾幕の様に里実に迫る。
「うっ、うぅ……やっぱり怖い……でも、頑張らなきゃ……!!」
 里実もまた伸縮移動を繰り返しながら辛うじてこれを避けていたが、これではジリ貧だ。里実は恐ろしい殺人鬼への恐怖を抑えながらも、反撃に出る。
「お願い、当たってッ!!」
 種鉄砲。種子を弾丸の様に放つ便利な技だ。里実は回避しながらも、同時に榊原に対し遠距離攻撃を仕掛けていった。
「グオッ!! 殺る気、ウォール!!」
 跳び回りながらの射撃精度の低さが幸いし、最初の一発は外れた。しかしコンクリートを派手に砕いた様子を見るに、当たり所が悪ければそれだけで致命傷になりかねない。榊原はすぐさま眼前に殺る気の壁を出現させる。
 ガキン!! ガキン!! と、種子の弾丸は硬化した殺る気の壁に衝突して止まる。
「思ったより応用の幅が利く能力の様だ……だがまあ、なんだ……」
 榊原はコキコキと首を鳴らし、小さく溜息を吐いた。ひどくがっかりした様子で。
「弱いな、この女」
 榊原は自らの後頭部に手を回し、カチリと自身の『殺る気スイッチ』を押した。内から湧き出す無尽蔵の殺る気が、榊原の力を滅茶苦茶に高めていく。
「10秒だ」
 榊原は殺る気ウォールを解除し、殺る気の盾を構えながら駆け出した。凄まじいスピードで。
「く……来るっ!!」
 里実は種鉄砲を何発を放った。しかしいずれも殺る気の盾に弾かれ、榊原には当たらない。
 直後、宿主の危機を察知していた『樹』が、里実と榊原の間に無数の蔓の柵を展開した。
「関係あるかぁああああああ!!」
 しかし榊原は止まらない。殺る気で作り上げた巨大な剣を投げると、立ちふさがる蔓の柵を軽々と斬り裂き、『樹』がそれを修復するよりも早く柵を突破する。
「殺る気もない、技術もない、期待外れにも程があるぞ女ぁあああ!! 死ねぇえええええ!!」
 そして榊原は殺る気の盾をも投げ飛ばす。それは里実の身体を強かに打ち、大きくよろめかせた。榊原はその隙に里実の至近距離まで接近し、
「あっ……」
 殺る気の赤黒い二振りの剣で、里実の腹と、心臓を貫いた。
「ァ……カ……アァ……」
 里実は声にもならない音を漏れ出し、呆然とした様子で自らの身体を貫通する剣に手をやった。榊原がそのまま剣を引き抜くと、噴水の様な勢いで大量の血が辺りに撒き散らされた。
 そして里実は、声もなくバタリと地面に倒れた。
「ふん」
 里実の顔には深い絶望が宿っていたが、榊原にはそんなことは既にどうでも良かった。
「19秒……倍近くかかってるじゃないか……誰か若返り薬でも開発してくれないものか……今度闇医者に聞いてみよう」
 榊原は既に里実への興味を失くした様子で、パンパンと手を払う。そして倒れた里実には目もくれず、スタスタと車の元へ歩きだした。
 殺る気スイッチの稼働時間が短かった事もあり、ほとんど疲労感もない。
「まったく無駄な時間を使った。うぅむ、どうしたもんか。今からでも池袋か姫代に……」
 ……。
 …………。
 ………………。
 ……………………。
「オ……カア……サ……オ……トウ……サ……」
「……は?」
 掠れる様な声が聞こえ、榊原は振り向いた。そして目の前の光景に驚愕する。
 里実は立っていた。いや、その表現は正確ではないかもしれない。
 里実の身体から伸びた無数の蔓が、無理やり里実を立たせていたのだ。
「おいおい……殺る気もなんにも通じない女の次は、心臓刺しても死なない女か? まったく最近の若いのはどいつもこいつも……」
 冗談めいた口調だが、榊原の目は真剣な物に戻っていた。そして観察する。
 榊原は先ほど、里実の腹と胸、心臓を刺した。だがその傷口は今や塞がっている、細かく張り巡らされた、無数の蔓で。
「(だが心臓は? 私は確かに心臓を破壊した。なのにこいつはなぜまだ生きている? ……樹か? 樹が無理やり、この女の生命活動を維持させている? そいつは随分……無理やりな方法だ。激痛は免れまい)」
「ア、ァ……ダメ……ソレ、ソレ、ダケハ……」
 里実は虚ろな表情で何かを呟いている。焦点が合っていない目から、涙が流れていた。生きてはいるが、それだけで精一杯という様子だ。 
「(この女には殺る気がない。全くない。死ぬ間際にこんな方法で命を長らえさせる様な機転がある様にも、死よりも辛い激痛を耐えながら立ち上がる根性がある様にも見えない。そもそも、人を進んで殺す人格を持ち合わせている風にも見えない)」
 榊原は思わず鼻を鳴らした。
「ハン、そうか。貴様は唯の道具という訳か……哀れだな。同情はしないが」
 どうやら自分が殺すべき相手は目の前の少女だけではなく、少女の中に潜む正体不明の『樹』も含むらしい。そう榊原が結論を出すと、ゆっくりと顔を上げた里実と目があった。
 その目は、榊原が里実と出会ってから一度も見せなかった、力強い目だった。
「お……おじさん……お願いが……あるの……」
「……なんだ。家族とやらにはならんぞ。気色悪い」
「ふ、ふふ……違う、違うの……わた、わ、私を……」
 里実は震える声を絞り出した。榊原の目を見据えながら。
「私を……殺して……」
「…………ハッ、何を馬鹿な事を」
 早く苦しみから解放されたい為か。あるいは他に理由があるのか。そんな事は榊原は知らないし別に知りたくもない。
「そんな事言われるまでもないわ!! 私が殺すと決めた以上、貴様が望もうが望むまいが、貴様は今夜死ぬのだ!!!!」
 榊原は再び拳を構えた。目の前の少女と、『樹』を今度こそ殺しきる為に。

 榊原にあっけなく剣で貫かれた里実の心は、絶望に染まり切っていた。
 それは、自らが死に瀕しているからでも、余りの激痛に耐え切れないからでも、ましてや『家族』を増やせないからでもなかった。
 気づいたからだ。全てに。過度の激痛とショックは、一時的に里実に施されていた『樹』の洗脳作用をかき消した。
 これまで多くの人を殺してきた罪悪感も、『家族』に成れたかもしれないポークカレー、一番早アルティエが目の前で自殺したショックも、里実の精神に悪影響を及ぼすような些末事を、『樹』は上手く中和していた。それもまた、洗脳の一部であった。
 里実は罪もない警官を殺した。酔っぱらいを殺した。相馬朔也を殺した。他にも沢山の人を殺した。いっぱいいっぱい殺した。
 里実の行ってきた行為は殺人で、それは誰の目から見ても明らかで、それに気が付いていないのは里実本人だけだった。
 むしろ里実は自らの行いを親切とすら思っていた。だって『家族』になれば幸せになれるから。
 それすらもまた『樹』による認識の書き換えで、だからこそ里実は自ら進んで『家族』を増やそうと頑張っていた。里実は心優しい少女なのだ。今も昔も。
 だが里実は全てに気が付いた。全てに。色んな感情が心の内でごちゃ混ぜになり、もうどうしていいのかも分からなくなった。
「オ……カア……サ……オ……トウ……サ……」
 ふと、里実の心に浮かび上がる光景があった。それはつい数時間前。家族と過ごした幸せな食事の風景だ。 
 そう。里実は何かを考えて、でもそれを忘れてしまった。
 樹に適合できた私に近しい、血の繋がりがある私の家族は、『家族』に適合しやすいのかもしれない――そんな考えを。
 これは結局推論に過ぎない。だが『樹』もまた、同じ考えを持っていた。
 しかし里実にとって家族はかけがえのない存在。それを殺すかもしれないという恐怖と罪悪感を打ち消すのは、簡単な事ではない。下手をすれば、里実の心が壊れてしまうかもしれない。
 そうなってしまえば宿主の肉体にも悪影響が表れる。『樹』の繁殖にも大きな影響が出る。それは『樹』にとって不都合だった。
 だから『樹』はじっくりと事を進めた。里実の心のもっと奥底深くまで浸食し、家族を『家族』にしても、あるいは殺してしまっても心が壊れない様になるまで、じっと待っていた。
 里実は、その事にも気づいてしまったのだ。
「ア、ァ……ダメ……ソレ、ソレ、ダケハ……」
 里実は沢山人を殺した。彼らにも家族がいた。それぞれの人生があり、未来があった。だが、里実はそれらを粉々に打ち砕いた。
 その事実は消えない。だけど。それでも。里実は家族を死なせたくはなかった。再び精神を『樹』に侵されれば、いずれそうなってしまうかもしれない。あるいは、自分と一緒に人を殺して廻る殺人鬼になってしまうかも。
 自分勝手な考えかもしれない。だけど絶対に嫌だった。けど、今の自分には何も出来ない。指一本自分の意志では動かせず、勝手に身体から生えた蔓が自分の身体を生き永らえさせている。
 最後の望みは唯1つ。望みを託すにはありえない位に最低最悪な相手だけど、今更高望みを出来る身分でもない。
「お……おじさん……お願いが……あるの……」
「……なんだ。家族とやらにはならんぞ。気色悪い」
「ふ、ふふ……違う、違うの……わた、わ、私を……」
 里実の頭に霧がかかる。薄く息が詰まるような感覚が脳を、精神を支配し、全てを忘れ元に戻ろうとしている。
 それでも力を振り絞り、里実はなんとか言葉を絞り出した。
「私を……殺して……」
「…………ハッ、何を馬鹿な事を」
 目の前の殺人鬼は、心底里実を馬鹿にする様に鼻を鳴らした。だがそれでいい。優しいだけの相手にはこんな望みは託せない。
「そんな事言われるまでもないわ!! 私が殺すと決めた以上、貴様が望もうが望むまいが、貴様は今夜死ぬのだ!!!!」
 お願いね。最低で最悪な、人殺しのおじいさん。

「ウォラアアアアアアアア!!! 死ねぇええええええ!! 植物如きが私に逆らうなぁああああああ!!! 勝手に光合成でも蒸散でもしながら肥溜めにでも生えてろやぁああああああ!!」
 樹は再び里実の精神を侵食し、肉体とシンクロした『樹』は榊原に猛攻を仕掛けた。里実の肉体が憔悴している分、肉体の主導権もほぼ『樹』が握っている様で、むしろ攻撃の激しさは増していた。
 次々と放たれる種鉄砲。縦横無尽に張り巡らされ、榊原を捉えんと伸びる無数の蔓。榊原は持てる限りの殺る気を駆使し、それらをはねのける。
「殺る気ブレード!! 殺る気ウォール!! 殺る気百列脚!!」
 纏わりつく蔓を切り落とし、壁で種を受け止め、自らを取り囲む蔓の柵を蹴り破る。
「お……おじさん……私と、か、『家族』、に……」
「ならんと言ってるだろう!! また気色悪くなってるぞ貴様!! 殺してと言ったんだからもう少し大人しくしろ!! そうすりゃあ秒で殺してやる!!」
 蔓に引きずり回される様に動く里実の身体。しかしその動きは榊原の攻撃を避けるには的確で、なかなか致命傷を与えられない。
 地中に生えた根はアスファルトを引き裂き、里実の身体から伸びた蔓は周囲の建物も見境なしに取り込み、ミシミシと締め上げる。
「……ふん、凄まじい力じゃぁないか。なんだ、さっきまでは私に手加減でもしてたというのか? 舐めた真似を」
 実際、里実と榊原の周囲は既に荒れ放題だった。もはや災害といっていいレベルで『樹』は伸び、周囲を破壊していた。心根が優しい里実が『樹』をコントロールするのと、『樹』自身が本能のまま暴れまわるのでは全く訳が違うという事だろう。
「うおっ!!」
 突如背後から倒れてきた街灯を、ギリギリの所で回避する榊原。当然偶然ではない。『樹』の仕業だ。
 榊原がほっと息を吐いた直後、榊原の足元がグラグラと揺れだす。アスファルトを砕き剥きだしになった根が、榊原の上半身を縛り持ち上げ、更に首元にも根を巻き付き締め上げ始めた。
「グェッ、グギギ……グガガガガ、ガァッ!!」
 榊原はブンブンと身体を揺らし、殺る気の刃を纏わせた足を振るい上半身を縛る根を切り離す。そしてすぐに殺る気の手刀で首の根っこを斬り落とした。
「ガフ、ゲホッ……ハッハハァ!! 捕らえたと思ったか馬鹿め!! 死ね!!」
 榊原は駆け出した。目の前の少女、否、『樹』は、際限なく成長を続けている。長期戦は不利だ。遠距離攻撃も当たらない。なら結局やる事はさっきと変わらない。
 どうにか近づいて、どうにか殺す。それだけだ。
「……1分、いや1分15秒だ!!」
 カチリ。再び榊原は殺る気スイッチを押す。これで仕留められなければ自分が死ぬ。だがそれに何の問題がある?
「お……じ、さん……お願い……『家族』……私と『家族』に……おね、が……」
「私に家族などいらん!! 私は私の為だけに生き、そして死ぬんだ!! 邪魔をするな!!」
 榊原は両手に殺る気を収束させる。殺す。殺す。絶対殺す。その一心だけを込めて。
「殺る気キャノンスーパーダイナミックオメガァアアアアアア!!!!」
 榊原は超かっこいい技名を叫び、冗談みたいに巨大な殺る気の塊を、とあるビル目掛けぶち当てる。
『樹』が無差別に伸ばした根のせいで地盤が崩れ、既に傾いていたそのビルは、榊原の一撃が引き金となり、一気に倒れていく。
 榊原の狙い通り、里実目掛けて。
「……ッ!!」
 さすがに咄嗟の対処で倒れるビルを受け止める事は出来ない。『樹』はビルを避けざるをえない。
 だが逃げ場は限られていた。具体的には、殺る気塗れの殺人鬼の方向しかなかった。
 蔓を伸ばし、『樹』は里実の身体を無理やり運び上げる。そしてどうにか倒壊するビルから逃げおおせるが、
「これで終わりだぁあああああ!!」
 全速力で里実に接近した榊原が、殺る気を纏わせた腕を振りぬいた。
 それで、勝負は決した。

 ポン、と小気味良い音を立てて、里実の首が斬り飛ばされた。ボトリと湿った音を立てアスファルトに転がった
 だが、里実の身体は生きていた。痙攣するような動きをしていたが、それでも生きていた。
 しかし頭は動いていなかった。頭から蔓が勝手に生えたりもしていない。
 ならばこの薄気味悪いクソ植物の本体はこっちに在るのだろう。そう考え、榊原は再び刃を振るった。
 里実の両腕が斬り落とされた。身体は生きていた。ならばまだここに在る。
 今度は上半身を斬り飛ばした。上半身は動かなくなった。だが下半身から蔓が伸びる。ならこっちに在る。
 右足と左足を切り分ける。右足から生える。こっちだ。
 足首を斬った。そこから上は動かない。ならこっちだ。
 残った足を切り刻む。するとようやく姿が見えた。
 それは足に埋まりこんだ小さな種子だった。こんなものを相手にしていたのかと思うと、榊原は思わずゲンナリした。
 宿主たる里実の身体から切り離された種子は、既にその力の大半を失っていた。あれ程豪快に伸びていた蔓や根も既に枯れ果て、瓦礫の山には静寂が漂っていた。
 最期に種子は残された微かな力で、弱弱しく小さな蔓を伸ばした。小さな小さな別の種子を乗せて。
「下らんあがきだ」
 榊原は指を鉄砲の形にして、種子に向けた。
「バーン」
 ふざけた口調でそう言うと、指先から放たれた小さな殺る気の塊が、蔓も種子も粉々に吹き飛ばした。
 森本里実は死んだ。彼女に宿る種子もまた、ゴミの様に消え去った。
「1分……47秒……か……」
 殺る気スイッチを切った榊原は、凄まじい疲労感と共にその場に仰向けに倒れこんだ。砕けたアスファルトが全身に刺さって鬱陶しかったが、勝利の味はやはり格別なものだった。
「殺る気のない少女に宿った殺る気塗れの『樹』か……ふん、宿主が違えばもっと凄まじい存在になっていただろうに……もったいない」
 少女にとっても『樹』にとっても、不幸な巡り合わせだったのだろうと榊原は1人納得する。実際それが里実にとって、『樹』にとて不幸だったかは分からない。
「ハァ……だが、私にとっては幸運な巡り合わせだったな……結果的には。楽しかった」
 榊原はそう言って笑みを零す。2日連続で巡り合った強敵との戦いに、榊原は満足感を覚えていた。
「だが、足りん……まだ足りん……もっと、もっともっと殺したい…………!! やはり殺しは最高だなぁ!! ハッハッハッハッハ!! 来て良かった、秋葉原!!」
 榊原の高笑いが、深夜の秋葉原に響き渡っていた。
最終更新:2020年07月03日 21:00