――――穏やかで、優しい父だった。
◆ ◆ ◆
金岡かがみは舌打ちした。
舌打ちして、大きく息を吸った。それから吐く。2秒。
別に怒ってはいなかった。
当然だ。金岡かがみは優秀な愛国者であり、自分の感情を完全に制御できている。
幽霊には感情など必要ないし、不要なものを抱えておく必要もない。
だから金岡かがみは至って冷静だったし、決してキレてなんていなかった。
「随分と不機嫌そうじゃないか」
「いやキレてはないですね」
キレてなんていなかった。
……前略。
公務員に休みなんてなかった。
いや、かがみは防衛省直属の私兵部隊に籍を置いているだけで、そもそも公務員ではないのだが――――ともかくはたらく幽霊に休みは与えられなかった。
殺人鬼の被害は増加する一方だ。
少なくなった獲物を奪い合い、あるいは奪い合う獲物すらいなくなって潰しあう殺人鬼も少なくないようだが、被害は反比例するように増え続けている。
池袋は――――否、これについては語るまい。
あそこの被害は、もはや語ることすら憚られる。
昨日、危険な殺人鬼である“口口”を殺害した“針鼠”だったが、防衛省はさらなる殺人鬼の処理を要求した。
仕事である。
仕事であるからには、やるしかない。
泣き言は言えない。
針鼠は泣き言を言わない。
……どうせ、一連の仕事で最後になる。
石積彩花を殺害した金岡かがみは、もう防衛省にはいられない。
上司を殺害したことはまだ上層部には知られていないが、時間の問題だろう。
石積彩花は父と母の仇であり、自分と妹の人生をメチャクチャにした女だったが、尊敬のできる上司だった。
憧れていた。信頼していた。
せめて、最後の仕事ぐらいは完遂したかった。くだらない感傷。
最低限の応急手当以上のことはできなかったが、手当をしたかがみは次なる戦場へと向かった。
“自称ジャック・ザ・リッパー”と“一八八八代目ジャック・ザ・リッパー”が、襲名をかけて東京郊外の山荘で戦うという情報を彼女は掴んでいた。
勝った方を始末するなり、まとめて始末するなりした方が手間が少ないから、彼女はそこへと向かった。
山荘付近に到着したかがみは、樹上で狙撃銃を構えていた。
東京の山なんてなにが楽しいのか、山荘は宿泊客でそれなりに賑わっていた。
どれがジャック・ザ・リッパーたちなのかはわからない。
けれど、戦い始めた奴らがいれば、あとはそいつらを全員始末すればいい。
スコープ越しに山荘を観察する。
距離は十分に離れており、さして大きくもない山荘を完全に捉えている。
ふと、スコープ越しにひとりの女と目が合う。
……目が合う?
ありえない。数百mは離れている。
だというのに、その赤茶の髪の女は、しっかりとかがみを見据えていた。
微笑を浮かべ、クイ、と指で手招きする。
かかってこい? 見えているぞ?
――――――――撃つか。
一瞬の逡巡。
女が両手でピースサインを作る姿がスコープ越しに見えた。
かがみは狙撃銃を取り落とした。
「――――――――――――――――!?」
ありえない。
これはもっと、ありえない!
かがみは、針鼠は、防衛省の私兵として数多の犯罪者や魔人と渡り合ってきたプロの始末屋だ。
そのかがみが愛用の狙撃銃を取り落とすなど、ありえるはずがない!
がしゃん。狙撃銃が音を立てて落下した。
――――なんらかの、魔人能力。
詳細は不明だが、武装解除を強いられた。
どうする。
退くか。乗り込むか。
逡巡する。逡巡して、ふと気づく。
空を見上げる。白い結晶が風に揺られながら落ちてきている。
それも、無数に。
……それも、徐々に勢いよく。
雪が降り始めた――――山の天気は移ろいやすい。
マズい。
恐らく吹雪になる。
いつまでも外にいれば著しい体力の低下は免れなかろうし、最悪遭難する。
退くか。乗り込むか。
判断を求められた。
答えは決まっていた。
かがみは陰鬱な気分になった。
針鼠は任務を遂行する。そういう死者だ。彼女自身が己をそう定義付けていた。
しんしんと雪は降り積もり、その勢いは徐々に徐々に強まっていた。
それで意を決して、しかし用心深く山荘まで乗り込んでみれば、件の女は鷹揚に挨拶をすると、ロビーでお茶を勧めてきた。
は? みたいな顔をすると、女は愉快げにニヤリと笑った。
かがみは舌打ちをし、大きく息を吸って、大きく吐いた。二秒。
当然、キレてなどいない。幽霊に感情などない。
「随分と不機嫌そうじゃないか」
「いやキレてはないですね」
キレてなんていなかった。
冒頭に戻る。
「……毒入りの紅茶を飲む趣味は無い。他を当たってくれよ」
「酷いな。私は純粋にキミと話がしたいだけなんだが」
「なら一個だけ聞くけど、どっち?」
「当代。波佐見・ペーパーストンだ」
「…………わざわざ名前を出すのは、確実に私を殺せるって余裕?」
「答えは部分的にYes。ところで今のは二個目の質問だね」
「………………………………」
間。
二秒。
「…………じゃあついでに三個目聞くけど、挑戦者の方は?」
「先に別の殺人鬼に殺されてしまったようだ。いやぁ、キミが来てくれて助かったよ。危うく孤独に夜を明かすところだった」
なんということだ。
それでは、漁夫の利を狙ってのこのこやってきたかがみは道化ではないか。
愕然と顎を落とし、深く深くため息をつく。
女――――ジャック・ザ・リッパーはくつくつと笑い、それがまたかがみの神経を逆撫でする。
「……夜勤続きなんだ。さっさと終わらせてさっさと帰って寝たい」
「つれないな。ああまぁ、でも、そうだね」
周辺には、幾人かの宿泊客がいた。
すぐ傍で人殺しが会話しているなんて微塵も思っていない人々だ。殺人鬼は都市部に出るもので、こんな山奥には現れないとでも考えているのだろう。
なんの罪もない、善良な人々……と、予想される人々。
今ここで戦端を開けば、彼らの犠牲は免れないだろう。
それはかがみにとって心苦しいことであり、考慮に値しない事柄である。
愛国者でありながら善良すぎる金岡かがみならまだしも、その皮膜である彼女にそのような葛藤は無い。
針鼠として、国家を脅かす殺人鬼を始末する。それだけだ。
――――――――だというのに。
「翠のことはお悔み申し上げるよ、朱音」
……世間は狭くて、彼女はどこまでも陰鬱な気分になった。
◆ ◆ ◆
――――穏やかで、優しい父だった。
温厚で物腰柔らか、誰にでも好かれる町のお医者さん。
聴診にせよ問診にせよ、とにかく診察の名手で、どんな些細な不調でも即座に言い当てると評判の医者だった。
「理解は快楽なんですよ、波佐見」
訓練の合間、父が語っていたことを思い出す。
「古代ギリシャの数学者アルキメデスが難問の理解に喜ぶあまり全裸で駆け出したように、理解は快楽を伴います。だから私は殺人をやめられません。理解に必要な工程だからです」
狂人の理屈であった。
一八八七代目ジャック・ザ・リッパーの名を持つ男の、穏やかな狂気であった。
「そして同様に――――理解されることも、また快楽です。少なくとも、私たち夫婦にとっては」
「夫婦で共通の趣味があるのは、いいことだけれど」
「相互理解は素晴らしいことですよ」
「それで殺される方はたまったものではなさそうだ」
“観察に限り時間を操れる”――――そんな魔人能力を持つ男の哲学なのだから、堂に入った狂気であった。
いつか貴女とも相互理解が果たせればいいですね、と父は言った。
後に波佐見は父を殺害したが、今だって父のことを真に理解できたという気はあまりしていない。
そんな父には親友がいて、あるいは母と同じぐらいに、互いのことを理解しているように波佐見には見えた。
医大生だったころからの親友だというその人物について語る時の父が、随分と嬉しそうで、随分と誇らしげで、随分と印象深かった。
少し離れたところに住んでいたから、そう頻繁にではなかったが、それでも時折家族を連れて会いに行っていた。もちろん、向こうの方から来ることもあった。彼も穏やかな人物で、なるほど似た者同士だと納得した覚えがある。
あちらにも歳の近い娘がいて、親が楽しげに語るのを邪魔はすまいとよく一緒に遊んでいた。
「私はみどり! あなたより二歳も年上なんだよ!」
「……私は波佐見。じゃあ、みどりの方がお姉ちゃんなんだね」
「………………! うん! 私の方がはさみちゃんよりお姉ちゃんなんだから、困ったことがあったらなんでも言ってね!」
まぁ、幼いころから生意気なぐらい聡明だった波佐見に対して翠は年相応……あるいは平均よりもややどんくさいぐらいで、あっという間に立場は逆転したのだが。
「あのね! あれはソーデントウって言って、東京タワーじゃないんだよ!」
「え、うん。東京はもっと遠いもんね」
「日本じゅーの……えーっと、ベンゼン? をつないでるんだって!」
「ベンゼンは芳香族炭化水素の一種じゃないかな。もしかして電線のこと?」
「………………………………………うわぁーんおねえちゃぁぁぁぁぁんん!!!!」
「えっなんで!?」
そうして何事かとすっ飛んできたのが、綿塚朱音と波佐見・ペーパーストンの出会いだった。
最初は妹がいじめられているのかと思った朱音だったが、すぐに翠の自爆だと理解して逆に頭を下げた。翠は姉にはたかれてもっと泣いた。
八歳上の朱音からしても波佐見は聡明で大人びていたが、好奇心旺盛な波佐見と会話していると話題が尽きることはなく、中々飽きなかった。
翠もいつの間にか機嫌を直し、こんなにも頭のいい妹分ができたことを誇らしく思っている様子だった。それを見て朱音は呆れたし、波佐見はくつくつとおかしそうに笑った。帰る時に一番ぐずったのも当然のように翠で、とうとう泣き始める始末であった。
このような交流が幾度かあった。
すらりとした朱音と波佐見が並ぶと中々絵になり、これと並んで歩く翠は随分と嬉しそうだった。
虚弱体質だった翠は会えないこともあったし、朱音が成人して就職するとこちらも会えないことがままあったが、不思議と三人に連絡先を交換するという発想は無かった。
たまに会っては遊んで帰るこの関係が、三人とも好きだったのだと思う。
「なんかさー。重い病気らしいんだわ」
だから、翠がそんな話を始めた時も、不思議と暗さや悲しさは無かった。
「わざわざ口にするぐらいなんだから、よほどかい」
「うん、そんなに。余命数年って診断出た」
「それはまた……随分と短いな」
「笑えるよね。でもちゃんと治療すれば、時間はかかるけどきっと治るんだって。それどころか、前よりずっと健康になるんだとさ」
「それはよかった。けれど、しばらく会えなくなるね」
「別に元々そんな頻繁に会ってるわけでもないじゃんか」
「まぁそうだけど。じゃあ、キミがいない間は朱音と遊ぶよ」
「仲間はずれかよぉ」
特に気負うでもなく、そんな会話をした。
それが、波佐見と翠の最後の会話になった。
しばらくすると、波佐見は己の父と母を殺害して行方をくらました。
ややあってから綿塚家は防衛省に始末され、翠は口口として海を渡った。
同時に朱音も石積彩花に殺害され、針鼠として金岡かがみの皮膜になった。
――――翠に与えるための人肉を綿塚家に提供していたのが父であったということを、波佐見は後に知ることになる。
己が父を殺害したことで、安定した死体の供給ルートを失った綿塚父は防衛省に尻尾を掴まれ、始末されたのだった。世の中知らないことばかりだ。
そのことを悔いることはなかったが、申し訳ないことをしてしまったな、と波佐見は思っていた。
そして今、三人は二人になって再会した。
◆ ◆ ◆
「……なんのことかな」
蘇生の代償に綿塚朱音としての記憶を失っていた針鼠だが、昨日の妹との戦いの中でいくらかの記憶を取り戻していた。
そして今また、生前の友人との出会いでいくらかの記憶を取り戻す。
あまりに陰鬱で、今すぐ蒸しパンになりたい気持ちだった。朱音はこれから彼女を殺すのだ。
……けど、妹を殺し、師を殺した針鼠はもう止まらない。止まる理由が無い。止まるなら、止まるべき場所がもっと前にいくつもあった。
だから咄嗟にすっとぼけたが、波佐見の浮かべるニヤニヤとした笑みを見るに、はぐらかせていないのは明白だった。
「残念だよ。もう一度ぐらい、翠に会ってみたかった」
「多分キミが殺した一般人の皆さんも似たようなことを考えてたよ」
「だろうとも。そこはお互い様だね、朱音。この場合は針鼠って呼ぶべきかな?」
金岡かがみは家族がいる人間をたくさん殺してきた。
当たり前だ。悪人だって家族ぐらいいるし、家族がいたって悪人だ。
そんなことは当たり前で、彼女の言葉はかがみを僅かに苛立たせただけだ。
もう止まらないのだ。お互いに。止まる気がない。
当然、周囲になんの罪もない民間人がいようとも。
それは針鼠を止める理由には、まったくもってなれないのだ。
「実のところ……興味深いよ。キミは朱音でもあり、金岡かがみでもあるはずだ。どんな感覚なんだい?」
「あんまりベラベラ喋る奴は嫌われるぞ」
二人の会話に耳を澄ませているものはいない。
この山荘に存在する十数人の人々は、これが危険な殺人者の会話だということに気付けない。
「……もういいよ。さっさとやろう。早く終わらせて蟹が食べたいんだ」
「蟹はおいしいけど面倒くさいから微妙、って昔言ってなかったかい?」
「面倒くさいけどおいしいからいいんだよ」
「興味深いね」
それでも――――気付けた者も、いるのだろうか。
向かい合う二人の女の間に漂う、異様な雰囲気に。
収束する、収束する。
収束した殺気は臨界に届かんとし、針鼠は銃を――――――――
「――――――――――――見つけたぞ、“一八八八代目ジャック・ザ・リッパー”ッ!!!」
波佐見がかがみに対し、指を突き付けて叫んだ。
困惑。微笑。
一瞬遅れて察する。
マズい。
「「「「お前かぁぁぁぁぁーーーーーーーーッ!!!!!」」」」
狂喜の表情を浮かべた連中が、勢いよくかがみへと視線を向けた。
爛々と火を灯すその瞳は、夢と希望にキラキラと輝いている。
「お前……ッ!」
「使えるものはなんでも使う主義で、ね?」
波佐見は悪戯っぽく人差し指を唇に当てると、スッとかがみから距離を取った。
マズい。マズい。マズい。
周辺の民間人が、何事かと不安げにかがみたちを見ている。
それはいい。
それはいいが、問題は!
「この“鉄パイプのジャック・ザ・リッパー”様が一八八九代目の名を貰ったァァァァーーーーーッ!!!」
この場に居合わせた殺人鬼たちが襲ってくるッ!
流していたのだ、情報を!
一八八八代目ジャック・ザ・リッパーがこの場に来ると、そういう餌を撒いていた!
その名を狙う殺人鬼がひっそりと集まることを見越してッ!
舌打ち。怒ってはいない。怒ってはいないが、してやられた。
都民の十人に一人がジャック・ザ・リッパーだなんて与太話が流布しているが、だからこそ本家の名を求める者は多いのだ。
鉄パイプを手に殴り掛かってきた大男を、その鉄パイプを鉄条網へと変換して即座に拘束する。
こいつはどうでもいい。鉄条網内部へと無数の針が展開し、鉄パイプのジャック・ザ・リッパーは悲鳴を上げる間も無く絶命した。刃物使え。
同時に、かがみは素早く周囲へと視線を向ける。
見える限り、あと三名。
あと三名の殺人鬼が、意気揚々と襲い掛かってくる。
「やってくれたな、あのクソアマ……ッ!」
金岡かがみは冷静である。冷静だ。本当だ。
ようやく事態を理解した民間人が、悲鳴を上げた。
腰を抜かすもの、逃げようとする者。
「あ、あかない! あかないよ!?」
「なんで!? なんで扉が開かないんだよォ!?」
……正面玄関以外の出入り口が全て、封鎖されている。
そして正面玄関の前には、あの波佐見・ペーパーストンがにこやかに立ちはだかっていた。
「おいあんた、そこをど」
波佐見を押しのけようとした男の首が180°回転した。
女はにこやかに立ちはだかっている。
誰もが理解した。
逃げられない。
悲鳴。
狂乱。
「見ててください榊原さん……俺、ビッグな殺人鬼になるんだ! 殺る気ショットッ!」
青年殺人鬼が真紅の気弾をかがみに向けて放つ。
当たり前だが気弾は鉄ではないので操作できない。あまりにも直球な技名を前にかがみは本気で怒鳴りそうになった。
「もうちょっと頭使った技名にしろや!!!!」
怒鳴った。
ランドセル内の鉄塊をバリケードに変換し、気弾を防ぐ。
同時に暗殺者風の殺人鬼が拳銃弾を乱射したが、それも防ぐ。
跳ね返った気弾と弾丸が周辺の民間人に直撃し、彼らは死んだ。隣では錯乱したご婦人が殺人鬼の一人に殴り掛かり、あっさりと返り討ちにあって殺されていた。
「あっ、全員は殺さないでよね! 目撃者残しておかないと、あたしの雄姿が語り継がれないじゃないの!」
「興味無し」
「もーっ! あたしはここで実績作って刃離鬱怒に行くのッ! 日本人じゃまだ誰も行ってないんだからね!? 有力株は昨日死んだらしいし、あたしが第一号になるチャンスなのよ!」
「うるさい! 俺だって榊原さんみたいなすごい殺人鬼になるんだ!」
喧嘩するならそのまま殺し合ってくれないかな、とかがみは思った。
でも彼ら三人の意識はしっかりとかがみをロックオンしていたので、かがみは怒りのあまり口の端をヒクヒクさせつつ、ガンホルスターから散弾銃を抜き放つ。
「じゃーんけーん」
まとめて始末してやろう。引き金に指をかけ、
「ぽん!」
取り落とした。
波佐見がピースサインで二ヤついている。
かがみと、それから他の殺人鬼たちの手は平手になっていて、暗殺者風の男も拳銃を取り落としていた。
「どういう精神構造してたらジャンケンの能力なんか目覚めるんだよテメェ!? 昔四個入りアイス争奪戦で不敗だったのはこれが原因か!」
「これぐらいでしか父さんを負かせられなくてねぇ」
「ファザコン!!!!!」
ジャンケンで相手を負かす能力。
バリケードに用いた鉄を回収しつつ、先にあちらを始末するか、という思考が脳裏を過ぎる。
「殺る気ソニックブーム!」
真空波で思考を中断された。
無理だ。波佐見ほどの実力者となると、無力化までに時間がかかりすぎる。
今は様子見に徹しているようだが、この三下殺人鬼トリオとまとめてこられると厄介だ。
真空波を軽くかわし、後方で巻き添えになった老人を無視して接近する。まずは拳銃を取り落とした暗殺者から。
暗殺者は呼応するように拳を構えた。
が、ベルトに鉄のバックルを用いていたのが致命的だった。
接近と共にそれは針へと変わって暗殺者の腰に刺さり、一瞬怯んだ。
怯んだ隙にかがみは回し蹴りを叩き込む。その靴はスケート靴のように刃が足裏に生成されており、暗殺者の首をごとりと落とした。鮮血。
「ホアッチャ!」
同時に女殺人鬼が手刀を振りかざして襲い掛かってくる。
かがみは冷静に、ランドセルの鉄塊を杭に変えて女に向けた。手で保持しなくてもいいようにホルスターもセットで。
「あっちょっ」
勢いを殺せなかった女は自分から杭に突き刺さった。なんでこんな三下に手間をかけなきゃいけないんだろう、と本当に悲しくなった。
「殺る気ネット!」
最後に、青年殺人鬼が気で編まれた投網を投擲してきた。アリかそれ。
杭を今度は鉄条網に変えてこれを防ぐ。
「殺る気、バズーカッ!」
その鉄条網を破るべく打ち出された気弾は先ほどよりも幾分か大きい。
あ、これは破壊されるな――――そう確信して、かがみは回避に方針をシフトした。
外れた気弾がロビーに設置された自販機を破壊した。三下連中の中だと、この青年が恐らく一番強い。
だが、三下は三下だ。既にここまでの攻撃でそこそこに消耗しているらしく、青年は肩で息をしていた。未熟の印。
このまま押し切れば問題なく殺せるは――――殺気。
「!」
本能的に、反射的に、かがみは己の周囲を鉄の壁で覆った。
ほとんど同時に数発の発砲音と、壁に弾丸が当たる音。
「おっと、いい反応じゃないか」
壁に隙間を作って様子を伺えば、いつの間にやら拳銃を構えた波佐見が背面方向に立っていた。
暗殺者が取り落とした拳銃を拾ったのか。油断も隙も無い。
気付けば狂乱していた民間人は、あらかた死んでいた。
合成樹脂フレームのグロック。
即座に発砲音が鳴った回数を数える――――弾切れのはず。まだ手にしているのはただのブラフ。
「こっすいなぁ。ジャック・ザ・リッパーがそんなんで恥ずかしくないのか」
「私は戦士じゃなくて殺人鬼だからね。これでいいのさ」
鉄壁を解除し、かがみは腕を籠手状の金属で覆った。
一体化するように刃もつけて、これでジャンケンなど関係ない。
……視線を僅かに、体力を回復させつつ油断なく(というか必死に)様子を見ている青年に向ける。
「……そこの気弾使いのキミ! 本物のジャック・ザ・リッパーはあっちだぞ!」
「えっ!?」
「騙されるなよ。彼女は私たちを潰し合わせようとしているんだ」
「えっ!?」
「それはお前だろうファザコン」
「別の争点を持ち込むのはよくないなぁミス・ランドセル」
「えっ!? えっ!?」
青年は困惑し、交互に二人を見る。
…………殺人鬼の癖に純粋な青年であった。幸運の壺とかを買うタイプだ。
「………………いや! 両方殺せば問題ない! 殺る気があればなんでもできるんだ!」
「あ、正解」
「ちっ」
青年の両手を、真紅のオーラが鎧う。
殺意を闘気として自在に操る技術、殺る気道。
その習得者である青年の胸の内には、純粋な殺意が満ち満ちていた。
両足でしっかりと床を踏みしめ、丹田で練り上げた殺意を全身に浸透させ――――
「……まぁ、時間は稼げたよ」
踏みしめたはずの足が激痛を訴え、思わず殺意が霧散した。
「ぎあっ……!」
足元を見た。床を貫き、鉄杭が突き出している。
それも一本や二本ではなく――――山荘の床を覆うように、一面!
山荘内の鉄製品、地下15m以内の鉱山資源……そしてロビーに散乱する血液が内包する、鉄分。
それらをかき集めて展開した、針の筵だ。ほとんど文字通りに。
回避不能、防御不能。
この場の全ては、金岡かがみ以外はこの鉄杭に刺し貫かれる――――はずだったのだが。
「…………で、いつの間に雑技団に入ったの?」
「ふふ、初歩だよ」
波佐見・ペーパーストンは、器用にもつま先で鉄杭の上に立っていた。
……靴にチタンが仕込んである。
だけでは、ない。
「バリツの源流は東洋でね。あちらで言うところの軽功という奴さ」
とん、とん、とつま先立ちのままに鉄杭の上を跳び移り、波佐見はかがみから距離を取る。
ふざけた身軽さだ。
が、まずは串刺しにした青年にトドメを刺すべくかがみは杭の形を変形させ……
「…………そろそろかな」
「……は?」
波佐見の呟きに、かがみは猛烈に嫌な予感がした。
なにか、なんだ。なにかを見落としている。見落としている?
違う。なにか、なにか致命的なものが迫ってきているような……迫る。
「あっ」
轟音が聞こえてきて、わかった。
ダメだ。
外は吹雪だった。
マズい。
壁が分厚いからわからなkった。
振動。
迫ってきている。
轟音。
察知する。察知できる。
鉄だ!
『鉄導徹毗』で干渉できる。
質量がわかる。
鉄球。デカい。ふざけてやがる。
だが鉄である以上、これはむしろ針鼠にとっての朗報だ。
これを全て武器に変えれば、あのムカつくニヤケ面をグチャグチャにできる。
衝撃。
壁がブチ破られる。
青年の驚愕の表情。
クレーン車と、それに吊られた鉄球。
即座にこれを変換して、
がつん、と。
かがみの頭に何かが当たった。
なんだろう。拳銃だった。
波佐見が投擲したのだ。
集中が乱れた。
マズい。
変換が間に合わない。
回避か防御か。
「ぽん」
波佐見が脚を開いた。
かがみの足が閉じた。
ついでに青年が脚を閉じようとして悲鳴を上げていた。杭刺さってるもんね。
足ジャンケン。昔やったな、というのを思い出した。
間に合わなかった。
ぐしゃっ。
◆ ◆ ◆
「……これで、これで本当に娘を助けてくれるんですね……!?」
「もちろん。報酬は既にキミの家に届けてある。安心したまえ」
「そう、ですか……ありがとうございます。これで、安心して死ねます」
そんな会話をしてから、波佐見が男性の首を折る姿をかがみはぼんやりと見た。
全身の骨と肉がグチャグチャで、これで即死できないんだから魔人は損だな、と思った。
あの青年殺人鬼の方は即死していたんだから、なおさらやってられない。
「ほんとはもっと、キミと話をしたかったんだけどね」
びゅうびゅうと、破壊された壁から雪が吹き込んでいた。
体の感覚がほとんどないから寒くも無いのが幸いか。いやまったく幸いではないが。
「…………あの人は?」
「娘さんが重病だそうだ。治る病気だが、治療費がね」
「……外道」
「使えるものはなんでも使う主義さ。彼も納得済みだよ」
苛立ちと納得が同居したような奇妙な感覚の中に、金岡かがみは揺蕩っていた。
「…………重病か」
「うん、重病」
数拍、間があった。
「…………………なぁ。私たちは、どこで間違えたんだろう。翠も、私も……」
「さて……どうだろうね。どこかで間違えたのかもしれないし、最初から間違えていたのかも」
「……こんな世界、だいっきらいだよ」
「そうかい」
それきりまた、二秒の間。
「……別に未練とか、無いけどさ」
「私に腹が立つ以外には、かい?」
「……よくわかったね」
「朱音の考える事なんて手に取るようにわかる」
「…………ほんとに性格悪いな、波佐見は」
「みんな言うんだ。酷い話さ」
「重症だよ」
「重症か」
「……重症かぁ」
かがみの体の上に、雪が降り積もっていく。
「…………………父さんは、なんであんなことしたのかな……」
意味のない問いが、口をついた。
「……父の心子知らず、かな。お互いに」
「波佐見もかよ。……マジ?」
「マジ。ずっと探してるよ。こう見えて、わからないことだらけさ」
「…………蟹、食べたかったな」
「代わりに食べておくよ」
「最低だ」
波佐見は、柳刃包丁を拾い上げていた。
妹を殺して、師を殺した。
金岡かがみとしても、綿塚朱音としても破綻した女は、もう随分と疲れ果てた。
「…………なんで、私だったんだ?」
「疲れてそうだったから、かな」
「……気持ち悪い気遣いどころじゃないぞ、それ」
「はは」
そんな会話をしながら――――ふと、クレーン車を運転していた男性の死体と目が合った。
誰かの父。だったもの。
世の中は不条理でいっぱいで、今自分を殺そうとしている女は大悪党で。
自分の人生は最悪で、この世界にロクなものはない。
……ああ、でも、多分。
――――穏やかで、優しい父だった。