Part 0【Overture…?】


 最初に山乃端一人が殺された。

 事の起こりはそうだったと記憶している。ドミノ倒し、バタフライエフェクト、殺人者の周りには殺人者が現れ、殺し殺され血で血を洗い、それでも足りない者は連鎖的に殺人鬼となっていく。

 『殺人鬼の夜』、私はそう呼んでいた。

 この赤い螺旋は先にゆくほど深く黒ずんで行き、第三の夜にして終幕を迎える。
 しかし物語は三幕構成と相場がきまっている、キリが良くて何よりだ。

 ……して、殺人鬼の夜は果たして一体誰が始めたのだろうか?

 まさかとは思うが「そういう催しだから」なんて馬鹿な解答で納得しないでくれよ?

 ちゃーんと考えて物語を追うことだ。

 さてさて、お待ちかねの第三夜は間も無く開演。

 心ゆくまで楽しんでいってくれたまえ。



Part 1 【Trio JAM】



 The next station is Ueno〜 Ueno〜

 お降りの際は足元にお気をつけ下さい〜

「この停車駅で流れる何とも言えないメロディは妙にクセになるよな、出張で色んなところ行くから余計にそう思うんだけどさ」

 穏やかな朝日の昇る午前八時、自動運転技術の賜物である無人運行電車達は連日の大量殺人事件の影響で人気のなくなった東京を誰を乗せるでもなく回り続け、JR山手線外回りの電車内も例外なくガラリと空いていた。
 故に、それは私を除けば唯一の乗客。シートのど真ん中に大股を開いて無作法に座る、似合わない赤いランドセルを背負った狼の様に目つきの鋭い女。

「なんなの、あなた」

「ただの無職のお姉さんだよ」

「あは、こんな昼間からやりあおうってワケ?」

「いいや? 仕事が終わったから東京を出るところさ、東京に残った殺人鬼は君を含めても残り数人、どれも正義の執行者気取りで善良な市民への大きな害は無し、私の出る幕ではなくなった」

「……なら、どうして私の前に現れた」

 彼女は返事の代わりに紙飛行機を投げて寄越す。開くと、そこに書かれていたのは私や能力に関する詳細な情報と人相の覚え書き、そして私が関わった一昨日からの連続殺人に関する詳細な情報、そして私の地下室に監禁した玩具達まで。

 一切の誤り無く記されていた。

「君が筋弛緩剤等の薬剤を用いる事や、手で接触した物体の特性を二倍にする能力を持つ事も知っている。人を欺く演技が得意な事も、これまでの戦績も、殺害方法も、全部だ。私が君の前に現れたのは、『情報を把握された自分には全く一切の勝ち目が無い』ことを自覚させる為さ」

「君が自分より強い相手に無策で挑める程の度胸が無いことは二日間の行動から把握済みだ、よって君はどれだけ私に煽られても飛びかかっては来ない」

「大したビッグマウスだねぇ!オバっ……」

 遮るように喉元へ突き出されたのは杖、というよりは無骨な鉄の棒。勿論先ほどまでは手元に何もなかった。

 やはりこいつ、針鼠の金岡かがみか。

「口の利き方がなっていないな、お嬢さん。私のことを『オバさん』呼ばわりすることはティーンエイジャーの特権として今回に限り特例的に目を瞑ることにするが目上の人間にはきちんと語尾を『ですます』に揃えた『敬語』を遣わないと親の教育を疑われるぞ」

「……分かりました」

 素性は分かっている、鉄を操る防衛省所属の軍人くずれ。私の素性を言い当てて見せたトリックも一八八八代目ジャック・ザ・リッパーの『献身的な新聞社』を獲得しているとしたら妥当、驚くほどのことではない。

 しかし、ここまで完璧な前準備をした上で、待ち伏せして不意打ちなぞいくらでもできるであろう状態で牽制をしに来ただけ?

 大きな違和感がある。

 考えられるのは二通り。

 推論一、奇特な殺人鬼。本当に仕事が終わって帰る途中で、この後に起こす行動に対して私が茶々入れをしない様に牽制をかけてきた。

 推論二、狡猾な殺人鬼。私を油断させることで何か別の目的を狙っている。

「ま、趣味殺人も大概にしなさいよ。お姉さんからは以上だ」

 大きくあくびをした彼女は、大胆にも目の前で寝始めた。

「東京駅で起こしてくれ」


 The next station is Akihabara〜 Akihabara〜


 お降りの際は足元にお気をつけ下さい〜


 ガタンゴトン、線路を追う車輪の音だけが響く。


 ふぅと息を吐く、膝を二度パタパタと叩く。


 ガタンゴトン、電車は駅へ向かって走る。


 すぅと息を吸い込む、まぶたを撫でる。


 ガタンゴトン、朝焼けがビルの隙間を縫って電車を照らす。


「黒星」

 呟く声に呼応した黒フードの『殺人器』は、ランドセル女の直上の虚空から忽然と現れる。両の手にはオーストリア製自動拳銃GLOCK18c 33連ロングマガジン装填。セレクターは無論フルオート、直線距離80cm遮蔽物無し、回避は絶対的に不可能。

「せっかちさんめ」

 そう言い残して彼女は忽然と姿を消した、否。

 車両の壁を一瞬のうちにくり抜き、通り抜けながら壁を再結合させ、外へと逃げおおせた。

「追って!」

「知道了」

 黒星とは早朝、東京駅で合流していた。

 第一夜開始以前から交渉可能な何人かの殺人鬼とは事前に接触しており、上手くぶつからないように事を進めていた。

 最も、その殆どは私の知らぬ間に死んだようだが。

 第二夜までに当たった理性の無い狂人や警察関係者、殺人趣味の素人などの雑魚は単騎でもなんとか処理が可能であった。
 しかし、第三夜以降で生き残るであろう職業殺人者や一部のシリアルキラーを狩る為には、優秀で従順な駒で自分を守らせることが必要だった。
 何せ私はこの通りか弱い乙女だ、並の成人男性を殴り倒す筋力も技量もありはしない。

 今回手を組んだ黒星は非常に優秀な殺人鬼だ。卓越した戦闘技術を持ち、どれだけ強い人間と対面しようと臆することは無い。
 しかし、この子は容姿相応に幼い。その殺しに明確な意思や目的は無く、殺しそのものを目的としている為、目的を与える側として報酬を出せばそこに何の疑問も抱かない。
 その上義務教育も受けずに殺人に明け暮れていたと聞く。目先の欲に踊らされやすく、甘党で、大人の殺意以外の悪意に弱い。

 言葉を選ばず評するなら『扱いやすい馬鹿』だ。

 買収方法は至ってシンプル。彼女の求める呪い子の情報を匂わせ(勿論知るわけはないが)、そして懇願、なるべく下手に出て守る側と守られる側を意識させる、あとは年相応の純朴な正義感や頼りにされることへの優越感と承認欲求を煽り、自販機で買い与えたチョコミントアイスでとどめ。

 一番丸め込みやすい奴が生き残ってくれて、本当に私は運が良い。

「しかし……あの女」

 馬鹿でも黒星は強い。あのスカした態度のランドセル女とやりあって十分勝ち目はある、はず。

 乗り降り口のドアを蹴破り、車両の上へと躍り出た黒星はランドセル女との攻防を繰り広げる。舞い散る薬莢とガラス片、残弾など気にせず火力と物量で押し込む黒星、逃げる女はどこからともなく取り出された大盾で弾丸を弾く。詰まらない距離、車両の屋根を覆う鉄の棘が黒星の機動力を奪っている。

 相当の手練れ、しかしこちらは二人。

 次の手を……そう思った時、太陽は陰った。

 朝日煌く秋葉原に影を落としたのは、それはそれは山の様に大きく、目に優しい緑を基調とした自然色の、おそらくそれは人体に近しい造形で、頭部と思しき場所には耳や顔面は無く大穴が抜けており、時代が時代であれば『神』と名付けられるに相応しいほどの威圧感を放つ、枝葉や蔓で編まれた……

「でいだらぼっち!?」

「盤古」

「巨神兵ッ!?」

 ……なるべく誰にでも伝わる言葉を選ぶなら『緑の巨人』が、大都会のど真ん中に現れた。


Part 2 【Neat Neat Neat】



「……ひとまず一時休戦、良いね?」

 秋葉原駅で降車した我々三人が何となく気まずいのはご察いただけるかと思うが、そんなことを気にしている場合ではなくなった。

 山帰りの針鼠、遊園地帰りのラブ・ファントム、新宿帰りの黒星。これだけ連日連夜睡眠時間を削って殺人活動に勤しめば、溜まった疲労が顔と姿勢に出始める。

「ところであなた、一方的に私達のことはご存知のようですけれど、そろそろご自分の身分を明かしてもよろしいのでは?」

「あー、すまない。それは完全に失念していた」

「私の名前は綿塚朱音、つい一昨日まで防衛省に勤めていた掃除屋さ。よろしく」

「綿塚……ふーん」

 電気街口から出て通りを行く横一列の女殺人鬼三人は、サブカルチャーの街秋葉原と言えど誰がどう見たって珍妙そのものの組み合わせ。しかし、本日はそんな我々の他には誰もいないのであった。

 「……コンビニ、明かりがついてるな」

 そういえば昨日の山荘での戦闘から都心に戻ってくるまで何も口にしていなかったことを思い出し、閉鎖されたコンビニエンスストアから適当に食料と飲料を調達し、仲良く三人並んで朝食を取ることになった。

「はーい、レンジであっためる人〜」

「あ、私の奴もお願いします」

「是的」

 三人前のコンビニ弁当を乱雑に電子レンジへ突っ込み、温めボタンを押す。

 チーーン。

 代わり映えしない普段通りのサラダチキン、カロリーメイト。

 土建屋のおっさんが昼に食うような大盛りのナポリタンとチルドの牛飯。

 冷蔵設備が稼働していたおかげで難を逃れたチョコミントアイス、チーズブリトー。

「なんだか、疲れのせいか舌が馬鹿になっている気がしますね」

「そんな馬鹿が食うカロリーの塊食って舌が馬鹿もクソも無いだろう」

「ホワイトカラーは糖分がたくさん必要なんです」

 左様か。

「……それから君たちね、人間の生肉とかじゃなく火を通した普通の飯を喰いなさいよ。内臓に優しくないから、生肉」

「無問題」

「余計なお世話ですよオバさん、ていうかどうして知ってるんですか」

「良い質問だ、演劇ではババアが何でも知っている人物だと相場がきまっている」

「あっそ」

 若いなぁ、ティーンエイジャー。

 しかし、呑気に飯を食ってる遥か向こうでは太陽を覆う緑の巨人。空腹と寝不足で脳がやられているのではないかと思い休息を取ったが……依然として巨人は直立不動を貫いていた。

 電車の上から観測した時点では立ち上がる動作のために稼働していたが、駅から街に出た時点で停止を確認、以降はご覧の有り様である。

「西条なつみ、黒星、まず確認なんだけれど、アレとは無関係だと考えて良いんだよな?」

「完全不知道」

「違います。逆にお尋ねしますが、あなたこそアレを操る予定が暴走してしまって困っている……なんてことはありませんよね」

「無い……出せる証拠無いが、それは無い」

「ちなみに黒星は『全然知りません』と言っています」

「翻訳どうも、でも中国語は分かるから訳さなくていい」

「あら、それはごめんあそばせ」

 さて、現時点での仮説。

 一、事態収束を行うために投入された国側の兵器。しかしこれは新聞が探知できるはずなので除外。

 二、何者かの能力による産物。有力説、しかしアレが大量殺戮兵器だとしたらここまで人が減ったタイミングで投入されたことに関して疑問が残る。また人が多かった第一夜で札を切ってこなかった理由が分からない、もしくは切れない理由があったか。

 三、神話生物や超常の類い。私はそれらが実在することを知っている……故に無いと言い切れない。しかし発生の理由や個体名が不明、候補の一つに留まる。

「確かにアレが何かを考えるのは大切かもしれませんが、まず考察すべきなのはアレに害意はあるのか、そして今後活動可能な状態にあるのか、では?」

「それもそうだ、さすが秀才」

「褒めても何も出ませんよ」

「謙遜しなくていい、その歳で大したものだよ。流石に趣味で殺人と食人を繰り返してきただけの事はある」

「それはどうもMs.綿塚」

「……雑談はさておき、攻撃性の有無を確かめる為に一度は接触してみる必要があるか。都内一帯がゴーストタウンと化している今、動けるのは我々殺人鬼くらいだろうからね」

 ガジガジと頭を掻き毟り、食事を終えた殺人鬼二人へ向き直る。

 いつかの石積彩花のように。

「さて諸君、捜査開始だ」

「あ、その前に御手洗い行ってもよろしいですか」

 は?

「あぁ!? お前……この野郎ッ! 章代わりのッ……キリが良いところに蛇足挟むんじゃありませんよッ!!!」

 や、キレてないですよ、ギリギリ。


Part 3【Don't forget me】



 徒歩1km圏内、相変わらずの臭いヘドロの臭いを漂わせる神田川を跨ぐ秋葉原の巨人は、静かにそこに在った。
 そしてその背後、北北西から続く踏み潰されたアスファルトや民家などを見るに発生現場は秋葉原ではなく、何処かから歩いて来たと見える。

「植物が水を求める、まぁ当然と言えば当然ですが」

「よく眠る、よく育つ」

「言うとる場合か」

 観測当初、我々の視点では彼が太陽を覆い隠したように見えていたが、足元まで辿り着いてみれば違った視野が手に入った。

 その顔の無い頭が見つめるのは陽の照る方角。

 水を吸い上げ太陽に向かって立つ、やはりその行動原理は動物より植物寄りに見える。

 そして具に観察すると、太く編まれた植物製の筋繊維の隙間隙間には『植物ではない物』も観測できた。

「……人間、それも十人百人で済む数ではないな、たまたま巻き込んだにしては数が多過ぎる」

「人間を呑んで養分とし、動いていると仮定するならば……アレはもう害意を持って人類を侵略する敵として見做して良いのではないですか、宇宙人か妖怪かは知りませんが」

「同意」

「うーむ、それはそうなんだけれども」

「取り敢えず燃やしてみますか、ガソリンで」

「それはダメだろ……アレが燃え尽きて倒れたら東京が焼け野原になるぞ、燃やすのは禁止で」

「……ではどうでしょう、ここは一つ黒星の武装で攻撃してみるというのは、小規模な爆撃で足を壊せば膝をつかせて歩行を妨げる程度の損壊は与えられるかもしれない」

「対象即時攻撃可能、指示を待つ」

「うーむ、もう少し調べてからでも……」

「黒星、やって」

「知道了」

 爆風、無反動砲の噴射が大地を揺らし四連装の小型ロケット弾が意気揚々と巨人の膝を目掛けて飛んでゆく。

 着弾確認、命中箇所の損傷……軽微。

「せっかちさんめ」

 ……いやしかし、爆破までの時間が少々早くはなかっただろうか。損傷箇所は焼けたというより繊維が解けて修復される途中のように見える……例えば戦闘機のフレアのように接近する物体を弾く反射機能がある、とか。
 もう一度くらい確認したいところだが、あまり無闇な攻撃でこちらの身を危険に晒すのはよろしくない。

「謎を解き明かす事そのものを愉しむのは探偵のエゴイズムですよMs.綿塚、目的と手段の優先順位を混ぜこぜにしないでください」

「良い観点だ西条なつみ、だが今回はよろしくなかったかもしれない」

「何が」

「上を見ろ」

 その高さ約100mにも迫るのではないかという緑の巨体は唸り、軋み、顔の無い頭でこちらをはっきりと見返していた。

「……見てる?」

「見てるな」

「在看呢」

 アレに視力があるかはさておき、何かしらの感覚器官は有していると見える。少なくとも痛覚があり、自身の肉体を把握して反射的に損傷部位を確認する程度の知性はある。

「……動くぞ」

 そして巨人は非常にゆっくりと川から足を上げ、地を踏み、歩行を開始した。進行方向は方位西南西、現在時刻九時半、東に登る太陽に背を向けてどこへ向かうのか。

「目標は西日本の大都市でしょうか」

「いいや、人口密集地を狙うなら東京から一番近い千葉埼玉神奈川の三県に疎開している連中の方が手近なはず、それこそさいたま市が真北にあるから西に向かうのはおかしい、目標は養分にしている人間ではない……だとすればなんだ、今アレが求めていて足りない物は……」

「へぶしッ」

 黒星の不意のくしゃみにより頭脳担当二人の思考は一旦リセットされる。三マス戻る。

「こら黒星、パーカーの袖で鼻水を拭くな、ちり紙があるからこれを使いなさい」

「谢谢」

 西条なつみ、やっぱり育ちが良いね。

「そんなニヨニヨした顔で私をみるな」

「敬語」

「……見ないでくださいますか」

「よろしい」

 さておき、歩き出してしまったアレを放置するわけにもいかない。どこへ向かうか知れずとも、歩けば建造物は破壊され、その倒壊に巻き込まれれば人間が死ぬ。

 あまり悠長はしていられない。

「……少し整理するか」

 巨人は光合成や汲水等の行動から植物としての特性を強く持ち、養分として土ではなく都民の死体から栄養を摂取しているものと推察される。高さは約100m弱、進行方向は北北西から秋葉原、そして西南西へ。

 仮説の整理、積極的な攻撃性は無く、兵器とは考え難い。国の兵器説、能力者による大規模無差別攻撃説、どれも違うように感じる。

「……やはり、神話生物の類」

「まぁ、認めたくないですけれど……そう考えるのが自然ですか」

「神話生物?」

「あぁ……神話生物ってのは人間の常識が及ばないすごい強い能力を持ったやつのことで」

「これ、人……でしょ?」

「いや、人の形はしているんだけど……」

「そうでは、なくて」

「人間に、種を植える、魔人」

「「……あ」」

 西条なつみと綿塚朱音の両名は顎が外れて泡をジョッキで流し込まれ、両耳に放水車からありったけ水を注ぎ込まれながら目から鱗が一生分噴き出すとその勢いで椅子から転げ落ちて腰が抜けると心臓が幾つか潰れた。

 そうだ、その三日間で素材が揃ってしまった。

 謎掛の『箱人間』。死ぬでも無く生きるでもない、しかしあれは決して死亡していない。宿り木の寄生先にはもってこいだ。それも数千数万単位の規模で誰に拾われるでも無く放置されている。

 放置された殺人鬼。

 放置された行方不明者。

「新宿で発生、池袋で更に規模を拡大……しかし日光不足でダウン、コントロール不能のまま東へ直進して秋葉原へ、朝日を浴びて再起動、神田川で水分を補給の後、生まれの地である富士の樹海へ。理由はおそらく地熱や温泉、どこでも良いが本人がパッと思いついたのがそこだったのだろう。真冬のこの寒さであの大きさだ、頭のてっぺんは相当寒いに違いない」

「えっ……嘘、森本里実!? まだ生き残ってるの!? アレってツル伸ばして雑魚相手に種植えるくらいしかできないはずだろう!? 本体だって虫も殺せないようなただの高校生で……」

 口悪いな、西条なつみ。

「黒星はなぜそう思った? その根拠は」

「縄張りを見回る時、たまに、見ていた。それと、昨日、新宿で見かけた」

「……」

 黒星は武器商人専門の狩人であって、決して自警団でも警察組織でもない。夜な夜な一般人を殺して回っている殺人鬼を見つけたところで「あぁ、やってるな」程度にしか思わない。理解はできる、気に留めもしない存在には違いなかったのだろう。
 西条なつみが「優先度低し、放置して問題ない」と判断し、私が新聞で残存する殺人鬼の情報を精査する中で「最優先で西条&黒星組を処理しに行かねば」と考えていたように……この数日間、誰もが脅威となり得る殺人鬼の情報をいち早く集め、対処する事で手一杯であった。

 池袋及び新宿で災害規模の殺人を実行した謎掛のような危険性も無く、渦中のジャック・ザ・リッパーのように倒したところで武勲になるわけで無し、まして西条なつみのように富豪の娘でもないから捕まえても金にはならない。

 故に、誰もがこう思っていた。

「ま、あいつは後で良いや……」

 かくして、森本里実は第三夜まで生き延びることが叶ったのだろう。鶴も鳴かねばナントやらに倣って、それは見事に。

 それらを踏まえた上でも、自分たちを棚に上げて、黒星には一言だけ言っておかなければならない事がある。

 ……言えや、一番最初に。

「二人とも、使う言葉、難しい。私、日本語苦手」

「それはごめんね!!!」

「推理パートに置いて黒星の有用性は、精々膝上のマスコットくらいの物とタカを括っていた私の落ち度です……ご存知でしょうが、彼女は義務教育を受けていません」

「对不起」

「仕方ない、この世の理不尽は大体において貧困と資本主義経済が悪い」

「子供の前で偏った政治的な発言は控えてください」

 閑話休題。

「まぁ……辻褄は合うんだよな、だとすると」

 埋まったピースから導き出される第二夜から今朝にかけての緑の巨人発生の経緯を推理するなら、おそらくこうなる。


Part 4 【Blown Out of Proportion #1】



 現在時刻午前三時、第二夜の夜明け前。


 植物には当然、目も耳も鼻も無いのですけれど、茎と葉は陽当たりの良い場所へ向かって自然と伸びてゆくものです。
 だとするならば、半ば植物である私が学園からの帰り道に何の目的も無しに池袋へ立ち寄ったことは必然的な導きだったのでしょう。

「わぁ……人がいっぱい」

 亡くなっていました。

 遺体を見るのは勿論初めてではありませんけれど、それはとてもとても凄惨な有り様で、言葉を失い茫然自失としてしまいました。

 だって私も女の子ですから……

 あるところでは爆散した肉片がそこら中に飛び散り、あるところではまるで車輪に轢き潰されたような肉と血溜まりの山があり、あるところでは喰い散らかされた四肢の無い女性、あるところでは……下半身を中心に少々刺激が強い容態の男性が。

 それはそれはそれは、酷い有り様でした。

 そして、至る所に見える珍妙な光景。黒い箱に頭部が黒い箱にすっぽりと覆われている方々。

 脈もあるし、呼吸もありました。

 良かった良かった、生きている人もいました。

 人間、どんな状況でもやる気と命があればなんとかなります。

「………あぁ、これ良いですね」

 そして、ショッキングな出来事で生存反応が刺激された私は妙案を思い付きました。今夜は妙に頭の回転が良い気がします、何某スイッチのおかげでしょうか?

 お巡りさん、カレー屋のお二人、殺る気のおじいさん、彼らが私を拒絶したのはやはり『正気を保っているから』なのだと、薄々気づいていました。

 つまり『疑似脳死状態の人間』を最初から探していれば良かったんです!

 ……なんで今まで気がつかなかったんでしょうか。

 さておき、今夜は念願の家族記念日となりそうです。

 数千、数万単位の大家族!

 夢が広がりますね〜!



Part 5【It's All Right】




 三人揃えば文殊の知恵。

 鍛冶屋、富豪、軍人。

 三つ揃えば戦争ができる。

「……本当にこれでいくのか」

「行きます、時間ありませんから」

「無問題」

 東京都港区芝公園敷地内、高さ333mの紅白に彩られた電波塔と言えば、日本で名前を知らない者は殆どいないであろう東京都のシンボル的存在東京タワー……であるが、残念ながら東京タワーはもう存在しない。

「目標『緑の巨人』!発進してください!!」

 激しい金属の摩擦音が轟き、踏み締めた大地を砕き、静まりかえった無人の東京を震わせる。

 西条なつみの号令と共に立ち上がるのは、鋼鉄の巨人。

「作戦は奇を以て良しとすべし……我々三人の合同作戦で実行可能な最大火力を見込める方法、そして相手が巨人ならば尚更、巨人を以て制します」

 西条なつみの発案による能力『バイ・クイーン』を中心に組み立てられた作戦案。

 その一、規格外の体躯を持つ緑の巨人の無力化に当たって通常の兵器では火力不足である。本作戦では目標の構成物質が植物であることを踏まえ、最も近い東京湾へ沈めることで巨人を『脱水』させる。これを作戦の最終目標とする(尚、強欲の宿り木の親は内陸である富士の樹海で生育した個体であるため、塩害への耐性は無いものと考える)。

 その二、目標の進行方向には明確な意思があり小規模な誘導作戦は困難と思われる。故に海へ沈める方法は数万トンの重量を牽引可能な武装による強襲作戦とする。

 その三、上記の作戦要項を実行するため、針鼠の『鉄導徹毗』を用いた武装作成能力を西条なつみの『バイ・クイーン』により拡張、組み上げた武装(呼称を鋼鉄の巨人とする)を運用する。
 西条なつみは観測手として頭部へ、針鼠は操縦手として下腹部へ、黒星は射手として頸付近で待機。

 上記三項を作戦要綱とした対森本里実討伐作戦。

「『ワイルド・ハント作戦』……状況開始です」

 歩行、成功。

 どこぞの決戦兵器のように二歩目ですっ転ぶ事もなく順調に進行を開始した鋼鉄の巨人は新宿御苑前へと急ぐ。秋葉原からのんびり足で歩いてきたとしても、あの地点で待ち受ければ接触は可能なはず。

「見えた……前方1km、来ます」

「まさか、本当に大捕物をする羽目になるとは思わなんだな……」

 身をかがめ、腰の高さに腕を構える。

「行くぞ」

 処理能力を二倍にドーピングされた脳細胞にパルスが走る。高さ約60mの鉄の肉体が、その末端まで自身の肉体のように自由に動く。

 ビル群の狭間に立つ緑の巨人は数100m圏内に接近した時点でようやくこちらを見た。

 認識する、この大地に立つ巨人が一人ではなくなったことを。

「黒星!」

 合図、アレに目があるかどうかはさておき、物体を電磁波や音の反射などの何かしかで探知、観測していることは確かだ。

 であれば、想定し得る全てをぶつけてその目を潰す。

 爆炎と共にEMP、スモーク、ロケット弾、現代戦におけるあらゆる撹乱兵器が、肩の簡易砲台から射出される。砲塔の角度は十分、緑の巨人の頭部周辺へ命中。

「多分……効いてる……様には見えるが」

「オイ! もう『掴み』に入って良いか!?」

「あ……良い! 今が絶好のチャンスだ!!」

 自信無さげなタメがあったが聞かなかったことにする、どっちにしろここで抑えられなければどうにもならない。

 緑の巨人の『腰』へ目掛けて掬い上げるように潜る、自重の時点でかなりヤバいが……数十秒、新宿御苑から東京湾までの直線距離を走り抜けるまでは保つ計算で組んだ、大丈夫。

「取った!」

 緑の巨人を肩の上へ担ぎ上げ、深く前傾をかける。

「走るぞ! 対ショック姿勢!!」

 駆ける、地球上最速となった決戦兵器を遮る物はどこにも存在しない。

 突っ切る、東京湾までの最短ルートを。

 果たして二倍程度で足りるかは分からないが『三半規管』などの耐久力は上げた。本作戦では戦闘機並みの速度に加速する事が想定される為、鋼鉄の巨人より先に我々がGに耐えられず気絶する可能性もなきにしもあらず……というか数値の上では絶対気絶する……だが、我々は魔人である。

 「何とかなるさ」と思い込んでおく事が、一番重要だ。

「突っ込むぞォォォーーーー!!!!!!」

 周囲の景色が急激に開き、黒く深い海面が視界に入る。

 間に合ったーーー

「私の……家族」

 声、十代の幼い少女。

 担ぎ上げからの数秒、走る事に全神経を費やしていた私は気がつかなかった。
 いや、そもそも緑の巨人が人間を模した形状に組み上がっていた事から勝手に『そういう形状の生物と考えて良い』と断定的に捉え、森本里実が有していた本来の能力の特性を考慮していなかった。

 『はっぴー・らいふぷらんと』体中から樹の一部を生やすことができ、引っ込めることもできる。

 決して『植物を人体の様に編み上げる能力』ではない。その形状は本来変幻自在、人型に固定しておかなければならない道理は……無い。

「家族をッ! 守ります……ッ!!」

 緑の巨人はうねる巨大な蔓の塊となり、既に鋼鉄の巨人へ乗り移る途中にあった。


Part 6【Blown Out of Proportion #2】



 皆さん、ご家族とは仲良くされていますか?

 昨今は不仲な家庭も多いと聞きますが、我が家は両親も私も妹も仲良しです。暖かで円満な家庭、一般的には理想とされる家族関係。

 そう見えるのではないでしょうか、きっと。

 いえ、裏で私が両親に暴行されているとか、妹にいじめられているとかそういったことはもちろんないんですけれどね、仲良しというのは言葉通りに本当に仲良しなのです。

 ただ、それは客観的な視点からの『円満な家庭』であって、私という主観からの評価は異なります。

『私、“家族”が欲しいだけなんです』

 よくそう言っています、これが現在の私の原理的欲求を一行で言い表せる言葉なので。

 『家族が欲しい』って、一見微笑ましく何でもない欲求に聞こえるかもしれませんけれど。一般的な家庭で両親の扶養下にある女子高生が言いますかね。

 言わないですよ、普通。

 夜中に街を出歩いて、種を植えて回っているのは何故でしょう。危険を冒してまで魔人能力者、ましてや殺人鬼に挑み続けるのは何故でしょう。そのある意味では破滅願望や自傷行為とも取れる過程を経てまで『家族が欲しい』と思うのは何故でしょう。

 私には種を植え付けられたあの日から、強い焦りがありました。自分の感覚と世間の感覚のズレ、周りの方々は『天然だね』『マイペースだね』と肯定的な捉え方をして私を許容してくださいます。
 しかし、人間は通常、植物に対して食物や鑑賞物としての愛情を抱くことはあっても、性的対象や血縁者としての愛情は抱けないと言ったら分かりますかね?
 あの日以来、私は私以外の人間が『別の種族の生き物』という認識に書き換えられてしまっているので、私の主観においては、もう既にこの地球上には人間が私一人しかいないんですよ。

 状況、分かってもらえました?

 ありがとうございます。

『私、夢があるんです。世界中をお花畑にして、たくさんの家族と一緒に暮らしたいの』

 昨日そんなことを言いましたね。

 これが私の切実な願いですよ。

 どれだけ言葉が通じて私に優しくしてくれる人々だとしても、私にとって地上の六十億人の人類は『他種族』でしかなく、何もしなければこの孤独に永遠に苛まれ続けるんですよ。

 それはまぁ、誰だって焦りますよね。

 なので、私は必死に種を植えました。

 ですが、必死の形相で思いつめ続けると心が壊れてしまいそうだったので、出来るだけ楽しく楽観的に種を植えました。

 しかし、世間の風当たりは強まる一方。

『お前は化け物だ』『近寄るな化け物』『誰かこいつを殺してくれ』『人を傷付けて楽しいか?』『その生き方は辛くないか?』

 などなど。

 知ってますよ、わざわざ言われなくても。

 そんな暴言で心が傷つくのを無理やり誤魔化した反動が『幼児退行』や『人格剥離』として現れ始め、楽観的で天然な方の私は叫んだり、喚いたり、感情的になりやすくなりました。

 辛かったです、死んだ方がマシでした。

 私は殺人鬼騒動が起こり始める少し前、頭を整理する意味も込めて自分の能力に『はっぴー・らいふぷらんと』と名前をつけてみました。

 少しでも幸せになりたかったからです。

 私は幸せになりたいです。

 そして、そんな私にも家族ができました。

 楽観的な方の私考案、約五万人弱の口が聞けない家族。

 家族が五万人増えても、私は孤独でした。

 なんでこんなの作ったんですか?

 そんなやり場のない感情と共に日光浴をしていると現れたのはもう一人の巨人。

「あぁ、この人達も私を殺しに来たんだ」

 何度も向けられたその感情はよく知っていました。

 知っていたからこそ、今朝できたばかりの五万人の家族が東京湾に沈めて溺れて枯れさせられるのを思うと、身体は自然に動いてしまうのでした。

 吹いたら消えるような、些細な独り言ですが。

 意思だけは、本物ですよ。


Part 7【BLACK OPS】



 コントロールが、奪われる。

 どうする?

 いや、どうにかなるのか?

 処理能力倍化の恩恵で伸びた体感時間の中で考える。

 西条なつみ、頭部にて蔓に阻まれ行動不能状態。

 黒星、視認不能。

 森本里実、蔓を用いて鋼鉄の巨人を侵食中。

 綿塚朱音、鋼鉄の巨人の姿勢制御で手一杯。

 集中を切らせば、全員東京湾に沈む。

「無問題」

 黒星……視認不能?

「みんな、難しく、考えすぎ」

 ……?

「魔人の、基本原則」

 …………あぁ。

「魔人の死亡、即ち、能力も終了」


 非常に簡潔な等式。

 そして、最も我々が得意とする手法。

 如何に無体で強力な魔人能力者であろうとこの一点においては、全く問題が無い。


「殺せば、死ぬ」

 勝利を確信し、その半身を剥き出しにした森本里実を殺害することなど赤子の手を捻るより易い。
 まして相手は新宿最強、吸血鬼の呪い子。

 一介の女子高生の太刀打ちできる相手ではない。

「来ないでぇぇぇーーーーッッッ!!!!!!」

 瞬間的に開花した蕾から撒き散らかされる花粉流が視野と呼吸へダメージを与え、鋼鉄の巨人は取り憑いていた蔓は森本里実の守りを固めるべく離れ始める。そして怯んだ一瞬に伸びるイバラが黒星の四肢を……

「――不要先出示殺手鐗」

 ……捕らえられるはずも無く、虚空を切る。

 『灰色の武器庫』の応用、自身を武器と認識する異常者の例外的な外法。

 人を傷つけ、殺す。

 その機械的な存在理由を貫くためならば自己の生命なぞ、喜んで差し出せる。

 そんな黒星の接近を対処できなかった森本里実の、詰み。

「うぇぐっ!?」

 彼女の喉元に突きつけられたのは。

 安全装置のない。

 どんな過酷な環境でも人を殺せる。

 そのためだけのもの。

 生産国、中国。使用弾丸、7.62×25mm。

 シングルアクション、ショートリコイル。

 その拳銃の名は――


Part 8【 ASH 】



 最後の最後、彼女の悲痛な顔に怯んだ。

 しくじったな、と思った時には私と彼女を取り囲む蔓は中途半端に防御に回した為に千切れ、宙を舞い、離脱を許さない状況へ陥っていた。

 しかし引き金を引きとどめを刺すに依然問題は無く、ただ私の生存の可能性が潰えたと言うだけのこと。

 零距離で銃を突きつけられた彼女に抵抗する度胸は無かった。彼女は年相応の少女のように震え、涙を流し、迫りくる死の恐怖に怯えていた。

 だから、少しだけ話をした。

「家族って、どこ?」

「さっき家族って言いましたけど……本当は私に家族なんて一人もいないんです、私一人しかいないんです。この地球上の六十億人の人類全て、家族にはならない人しかいないんです」

「私も、家族いない」

「家族って……なんなんでしょうね」

 森本里実は呟く、彼女が生涯かけて納得のいく解答にたどりつかなかった疑問を。

「家族は、婚約者、血の繋がり、経済的、宗教的、生物的な同種である事ーー」

「……そんな機械的な答えは要らないです」

「ーーなどの、客観的要素を超越した、人と人との繋がり、そう在って良い、と、友人が言っていた」

 今朝の朝食後の雑談、綿塚という背の大きい女が語っていた他愛無い話の引用。

「家族の定義、広い。あなたは、きっと、家族足り得る人、まだ見つけて無いだけ」

「……何でそう言い切れるんですか」

「あなた、六十億人、全員のこと、一人一人、理解しているのか?」

「して……ませんけど」

「仮説を優先すると、事実捻じ曲がる。居ないと決めつけた時、本当に居ないことに、なる」

「詭弁です」

「なら、私が、証人になる」

 抱きしめた、強く。

 人を殺すことしかできないその両手で。

 その飢えを、私も良く知っているから。

 居場所を失い、ずっと孤独が怖くて、自分は道具だと言い聞かせて誤魔化してきたから。


 あなたは――なに?

 ―― 本当に、『殺人器』?


 美藤羊子の問いで思い出した。

 私も森本里実と同じく、その寂しさに黙って蓋をしただけの、泣き虫で弱い子供だ。

「あなた、名前はなんて?」

「黒星、職業殺人者、あなたを殺しに来た」

「私は森本里実、家族になってくれる人を探しているの」

 怯えは消え、しずくの残る顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。

「私の、家族になってもらえませんか?」

「好啊」

 それはいつかの苦い腐肉の味、それはいつかの甘美な女の味、そしてこれは純朴で清廉な彼女の味。

 咥内を濡らす血の味が、私にとっての家族の証だ。

「眼を、瞑って」

 果たして、落ちる撃鉄に華は紅く咲き、少女と少女の辿々しい口づけを刻み付けたまま、蕾は冷え切った灰色の海原へざぶんと呑み込まれ、奪い、流れ、消えてゆく。

 抱き合った彼女の感覚を、確かに指先に感じる。おびた熱が冷めないうちに、このままで、安らかに。

 遠くに鯨の唄声を聞いた。

 私の、私の名前はね。





Part 9【裏切りの夕焼け】



 黒星を信じて鋼鉄の巨人が海へ飛び込む前に全力でブレーキをかけ始めたのが功を奏し、海溝に突っ込む前、海上にて停止が叶った。
 内臓が口から全て飛び出さなかったのは最早奇跡という他ない。
 鋼鉄の巨人は陸地まで辿り着くと、役目を終えた事を悟る様に崩壊した。

 芝浦埠頭に上陸できた生存者は、私と西条なつみの二人。

「……黒星は」

「慣性で吹っ飛ぶツルの塊の中で、森本里実の殺害に成功したところまでは見届けたが……まぁ、多分生きてはいないだろう」

「……あっそ」

 夕暮れの空、水平線に赤焼けは沈み冷たい海風が吹き抜ける。萎れた青菜と潮の香りが鼻腔をくすぐり、疲労がどっと押し寄せる。

「お疲れ様」

「あぁ、そうですね、本当に」

 プスリ、そんな間抜けな音で太ももに突き立てられた注射器に充填された薬剤は、事前に知り得た知識に照らし合わせるのならば十中八九。

「みんなだーいすき、筋弛緩剤さ♡」

 下半身の感覚が麻痺、膝から崩れ落ち肉体の自由が徐々に奪われていく。

「あはっあははははっ♡ ヤバ、ウケる……金岡かがみィ、クッソ無様でございますね♡」

 下品な笑い声と恍惚とした表情を私へ向ける西条なつみはその瞳を真紅に輝かせ、語る。

「だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだ〜〜〜めだって、最後まで油断したらだめだよ♡」

「私達は殺人鬼だぜ? 出会ったが最期、一人しか生き残らない様にできているんだってば♡」

「それを……何? 絆? 友情? 努力と勝利? あんたは週刊少年ジャンプで倫理観を勉強したタイプのお馬鹿さんってワケかな? ん? 言ってみろよ週刊少年ジャンプで倫理観を勉強しましたってさァ〜〜〜!!!」

 それはそれは楽しそうに、勿体付けて勝ち誇った。

 焦りは無かった。

 何故ならそんな事、全て折り込み済みだったから。

 情報で上手を取られ、わざわざ敬語で呼ばせて先輩風を吹かせてストレスをかけられた相手に対して、この女が黙って機械的に殺人を遂行するわけがなかった。

 故に、それは十分すぎる時間稼ぎとして機能する。

「チェックメイト、君の正体は吸血鬼『無体』だ」

 「……は?」

 西条なつみの腹部を無数の鉄針が貫く。

 古来より決まりきった事だ。

 嘘吐きは針を千本呑まされる。

 診断、針に貫かれた腹部からの大量出血、主要な臓器の損壊により絶命まで数分。

「悪逆非道な殺人行為や食人行為を見逃すような言動で、私が君に気を許したフリをした時に少しは裏があると読むべきだったな。嘘つきは誰よりも相手の嘘に疑い深くならなければ役職が成り立たない」

「君のような腐れ外道を私が許すわけないだろ」

 意識の混濁、嗚咽、倒れ込む。出血性ショックによる虚脱症状と呼吸不全、現段階で私の体に血を植え付ける余力は残っていない。

「これ……何、だって、鉄を浮かせたり瞬間移動はさせられないはずじゃ……ッ!?」

「良い質問だ西条なつみ。ではまず、一つ目のトリックを明かそう、本日午前九時に我々がコンビニから拝借した食料で朝食をとったことは覚えているね」

「……ッ!」

 流石頭脳派、ヒントを与えれば気づく。

 毒殺に毒だとあからさまに判別可能な物を持ち込むなんぞ下策も良いところ、今回コンビニ弁当に混入させた鉄粉を用いた殺害の方法については観客諸君には語るまでも無いが思い出せないのなら『東京タワー戦』にて、今は亡き東京タワーに想いを馳せながら読み返すと良いだろう。

「で、でもっ……なんでっ……私誰にも名前教えて……」

「殺人鬼ラブ・ファントムと吸血鬼『無体』が同一人物であることはおそらく誰も知り得なかっただろうね、君は非常に頭の良い子供だ、その気になれば本物の吸血鬼であることを何年も隠すことはそれほど難しくなかっただろう。そしてそれは呪い子達も同様、自身の親となる二千年も生きた吸血鬼がこんな一介のなんでもない殺人趣味の女子高生に乗り移っているなどとは考えない」

「じゃあなんで!!!!」

「良い質問だ、では次に二つ目のトリック、これは少々複雑な推理を経て確信に至った」

 北海道旅行が中断された時からずっと考えていた『これは一体誰が巻き起こしている?』の疑問に対する回答が見つかったのは今朝だ。

 第一容疑者は一八八八代目ジャック・ザ・リッパーこと波佐見・ペーパーストン。殺し合いに優美さや崇高さを見出していたタイプの馬鹿だというのを知っているから、実行可能なタイミングでなるべく早く接触した。

 個人的な約束もあったから、尚更に。

 昨日の時点では波佐見の死亡により自然崩壊すると思い込んでいたが、あの女の残した『新聞』が余計な記事を記載したまま手渡されたものだから、事態が面倒な方向へ転がった。

『殺人鬼の夜の首謀者は別に居るぞワトソン君、ホームズを脱落させたのは君なのだから、責任を取って責務を全うしたまえ』

 私が目の前に転がった仕事を無視できない性格と知った上で、ワザとそんな記事を載せて寄こしやがった。

 まず最初に『新聞』から洗ったのは殺人鬼の夜に関わった殺人鬼達の情報、その中でも『偶発的に巻き込まれた人間』。

 例えばそれは第一被害者山乃端一人、彼は一体誰に殺された?

 例えばそれは殺人鬼達の行き先を示す匿名掲示板、ここに虚実入り混じる情報を書き殴り、殺人鬼同士での殺し合いを焚きつけていたのは誰?

 例えばそれはシャーロキアン探偵クラブの剣竹刀、彼をジャック・ザ・リッパーにけしかけさせて、この祭りへの招待状とも言える捨て台詞を吐かせたのは誰?

 例えばそれは有象無象の犯罪者達、彼らの性欲や殺意を増幅させたのは誰?

 そして決定的だったのは、黒星の情報提供。


★★★


 以下、回想。

「あの女からは、呪い子の臭いがする。機を狙っているけど……あの臭いの強さは、もしかしたら、本体の方かもしれない」

 曰く、その名を『無体』。殺人鬼に寄生する精神のみの存在となった吸血鬼の慣れの果て。

 曰く、その者は己が血を注がれた『適合者』に復讐させる事で新たな身体へと乗り移り続ける。

 ……であれば、君がその殺人を実行すれば、君もまた『無体』となるのでは?

「そう、終わらせるには……呪い子以外の、協力、不可欠」

 ではどうだろう、ここは一つ。君の復讐が成就した暁には、お姉さんに身を委ねてサクッと死んでおくのは。

「考えて、おく」

 まぁ状況が状況だ、もし君が途中で脱落する様なことがあれば、続きは任せたまえよ。

「……ありが、とう」

 なぁに、仕事は最後までやりきる主義だ、お互い頑張ろうぜ。


★★★


 ……それは昼食後、西条なつみが便所へ向かったタイミングでの密談だ。

 鉄粉に気づかなかった奴に利尿剤を盛ることくらいワケなかったさ。

 そして一つの結論が導き出される。

 殺人鬼の夜において、最も殺し合いを望むであろう特性を持つ吸血鬼の慣れの果て『無体』。そしてこの夜に集った殺人鬼の中で『最も多く殺人鬼を殺害している殺人鬼』、それも職業殺人者や一部の強力な能力を有するシリアルキラー連中とまるで異なる存在。

 開戦前夜から向こう、意味不明な裏工作に徹して誰よりもこの祭りを楽しみにしていた存在。

 森本里実と同じような、素人の女子高生の中にたった一人だけ混じった異物。

 殺人鬼の夜の首謀者。

 ラブ・ファントム、西条なつみ。

「この三夜を通して言える君のミスは『他人をナメすぎた』だよ。レイプ魔をワザと引っかけてみたり、拷問趣味の為に殺人鬼を生け捕りにしてみたり、姿を見せずに裏工作で殺しを演出したり……そして黒星を安く買い叩いた」

「あっは……そう、だな……扱いやすい馬鹿だったよ」

「その馬鹿に鼻っから正体見抜かれてたんだから、君の演技力もタカが知れている」

「かもね」

 なんとか舌と肺が麻痺する前に言いたいことは言い終えたが、連日の疲労と睡眠不足も相まって気絶寸前だ、一瞬でも気を抜いたら一週間くらいは寝続ける気がする。

「念願の自分の血液の味は、どうだね」

「飲めたものではないな……あのレイプ魔の方がまだ美味かった」

 その言葉を最期に、吸血鬼『無体』はこと切れた。

 全盛期ならまだしも、もはやあれは腐りかけの賞味期限切れ。

 多くの吸血鬼がとるに足らないと鼻で笑うであろうたかが失血が、致命的となった。

 呪いの血は海へと還り、ゆっくりと黒に溶けてゆく。

「一人でもちゃんとやれただろ? 波佐見」

 最期に残った赤は、ボロボロのランドセルだった。


Part 10【Beautiful One Day】



 北海道、某所。

 いつだったか、昔の女と訪れた民泊で朝から無心で蟹を剥く女が一人。

 誰も座るはずの無い向かいの席に置かれた茶碗には箸が突き立てられ、その白飯はすっかり冷めていた。

「おねーーーちゃ!!」

 蟹を剥く女にトテトテと歩み寄る十歳にも満たない幼い女児は誰であろうか。

「おー、みどりの分も剥いといたからな、食え食え」

「かに!!!」

 例えばそれは綿塚翠の死体。あの腹に空いた口に散らばった肉片を突っ込んだらどうなるのかという知的好奇心の産物。

 例えばそれは西条邸の地下室に監禁された陰陽術師、金岡かがみの蘇生に関わった者が誰かは『新聞』が教えてくれた。完成品の『肉体』がある状態での精神の降霊、勿論快く承諾してくれた。

 では出来上がったこれがなんなのかと問われれば、綿塚翠ではない何か、強いて言うなら私の心残りが生み出した何でもないただの無垢な子供。

「あちゅっ! いっ!」

「おいおい、火傷してないか? 焦らずタレで一旦身を休ませれば良いんだよ、タレでな」

 幸せな朝食。

 いつだったかの記憶にある彼女と同じような台詞が出た事に思わず笑みが溢れる。

 血で血を洗う、赤と黒が入り乱れた最低の三日間を生き延びた報酬にしては……まぁ、マシなものが手に入ったのではないだろうか。

 愛国者でもなければ、雇われ殺人者でもなくなって、針鼠でもなくなった、まして金岡かがみでもなくなった。

 何でもない女の末路としては、悪くないだろう。

 私の物語が綴られるのは、ここまでで良いだろう。














Part 1888【That's Life】



 なーにが「一人でもちゃんとやれただろ? 波佐見(キリッ)」じゃ!

 ヴァカめ!!!

 私の方が君より上手く事件を解決できたに決まっているだろうが!

 ヴァーーーーカめ!!!

 さーーて、待たせたね諸君!

 殺人鬼の波佐見・ペーパーストンだ!!!

 舞台の幕が閉まるからやっと名乗れるよ!!!

 おやおやおやおや諸君ら完全に油断していたな?

 油断していただろ!

 油断していたと言え! 

 第三夜冒頭から長らくお待たせしているが勿論今回もある、毎回恒例のエピローグの時間だ。
 なんだなんだ、死体が喋るなって顔だな? 細かいことを気にするな観客諸君、どうせ最終回なんだから何でもアリなんだよ。
 もしかしたら、第二夜の終わりに私の死体を綿塚翠の出来損ないに食わせていたかも知れないだろう?

 この私に『かも知れないの詭弁論法』を許してしまった時点で諸君らの『負け』なのだよ、分かったら大人しくこの寸劇を最後まで見届けたまえ。

 さて、かくして幽霊殺しの幽霊こと針鼠はその名前に恥じない活躍によって吸血鬼の幽霊を屠るに至った。三夜にわたって繰り広げられた殺人譚も綺麗にオチがついたというわけだ。

 いやはや、めでたしめでたし。

 面倒な仕事は彼女に押し付けておけば大抵うまく転がってくれる。
 そして、なんと言っても私の貸したシャーロックホームズ全集を読み進めたおかげで頭も冴えて、西条なつみを追い詰めるに至ったと見える。

 ……いや嘘だよ、第二夜から夜明けまでは新聞と睨めっこでそんな時間は残念ながら無かった。

 そのかわり『波佐見・ペーパーストン流思考ロジック術』は新聞を通して彼女へ託すことができたみたいだがね。

 今回、ちょっと喋り方おかしかったろ?

 やれやれ、実は針鼠と私がすり替わっているなんていう波佐見・ペーパーストンファン向けのファンサービスを期待していた者がいたなら申し訳ないが、原則的に脱落者は顔出しNGなのさ。

 ん?

 西条なつみに『無体』が乗り移った理由がまだ説明されていないだと?

 まーたそんな重箱の隅をつつくようなことを言って、そんな事では女にモテないぞ。

 よろしい、では私の推理で良ければ聞かせよう。

 その理由は『ハードモードで遊びたかったから』さ。
 初歩的な事だよ、二千年も殺し合いという名の同じタイトルのゲームを遊んでいるような重篤なゲーム中毒者だ、戦えば勝つチートキャラなんて握っても全然面白くない。
 どうせ握るなら縛りのある物が良い、例えば肉弾戦が不得手な女子供、能力はおまけ程度のシンプルな物『触れた物体の特性を二倍にする』など、それを誰もがあっと驚くような方法で運用して華麗に殺人を実行したらとても格好が良い、だろ?

 ま、推論に過ぎんがね。

 はー、喋った喋った。

 とまぁ、これ以上は締まりが悪い。

 私もこの辺で切り上げる事にするよ

 願わくば、我が愛しの彼女の活躍が正史となって世に残りますように。

 なんてね。



 波佐見・ペーパーストン








最終更新:2020年07月03日 21:04