【04:00 とある山荘】
“一八八八代目”から頂戴した『献身的な新聞社』更新の時間が来た。“針鼠”金岡かがみは、待ってましたとばかりに勢いよく紙面を開く。
「分かってはいたけど、手が早いったら」
幽霊部隊の追っ手はすぐそこまで迫っている。一昨日、金岡は上司の石積彩花を殺害したことでそれまでの所属組織と対立した。今朝には東京を脱出しようと目論んでいたが、そうは問屋が卸さないようだ。金岡は下山ルートを吟味する。
この新聞は「誰かが誰かに伝えたい情報」を傍受するものだ。幽霊部隊が互いに連絡を取り合ってくれていれば、その動きは筒抜けだ。真面目に仕事をこなしてきてよかった、と思う。複数の追っ手が連携するということは「金岡かがみに対し、追っ手は一人では足りない」と判断されたわけだ。そのおかげで『献身的な新聞社』で向こうの動きを把握できるのだから。
思案しつつ、ページをめくる。読むべきものは幽霊部隊の動向だけではない。情報は力だ。あればあるほどいい。
「へえ、西条の娘さんがねぇ」
そのページには大きく二人の殺人鬼の姿が写されていた。一人は名家・西条家の跡取り娘、西条なつみ。二つ名は“ラブ・ファントム”。当主であり父である直影の献身的な工作のおかげか、元・闇の公権力たる金岡にもその所業は届いていなかった。直影に限らず、西条家に仕える者は全て“ラブ・ファントム”の協力者だ。ならば誰がその情報を伝えたい、と思ったのか。
『いやだ…いやだ!いやだぁぁぁ!俺は!こんなところで死んでいい存在じゃない!誰か!誰か助けてぇぇぇぇ!』
その叫びを聞くものは、どこにもいなかった。だが“読む”者はいた。叫びの主は、未だ地下に捕らえられている。“『元祖』ジャック・ザ・リッパー”をこの世に蘇らせた、九十九代目・芦谷道満である。
「ま、別にこいつを助けるつもりは微塵も無いけどね。興味も無いし」
哀れな情報提供者を無視し、金岡はなつみの情報を紙面から拾う。彼女が食人鬼であること。『バイ・クイーン』、ものの性質を二倍にする能力。今のところ、金岡の逃亡に役立つかどうかは分からない。だが、人生万事塞翁が馬。可能な限りを頭に詰め込む。
「それで、こっちは、と」
そのページに載ったもう一人の少女は、どこにでもいるようなごく普通の女子高生・森本里実だった。人呼んで“強欲の宿り木”。その正体を知った男“殺る王”榊原光太郎の遺言を、『献身的な新聞社』が拾ったのだ。
『誰か……こいつを……殺して、くれ……』
得られた情報、彼女の目的は殺人ではなく“樹”の繁殖にあること。“樹”の圧倒的な再生力と破壊力。そして、
「ん? この能力、なんか……」
【05:06 森本家】
まだ空にほんのり明るさが差し始めてきた程度の時間、里実の父は非常識なチャイムの音に目を覚ました。
「一体誰だ? こんな時間に……」
ぼやきつつも、玄関のドアを開ける。外には青い制服を纏った男が数人立っていた。
「朝早くにすみません。警視庁です。お宅の娘さん、里実さんについて話があって参りました。」
思ってもみなかった展開に父は頭が真っ白になった。思考が戻ってきたとき、最初に浮かんだのは、里実と話した殺人鬼の噂だった。
「里実! 里実ーーっ!」
父は叫んでいた。この時間のチャイムの音を非常識と思ったことも忘れていた。それだけ気が動転していたようだ。
その声に、里実だけでなく母、妹と、一家全員が玄関に集まってくる。
「なにー? こんな朝早くから」
「ちょっとお父さん、うるさいよぉ」
寝ぼけまなこな娘たちの文句にかまっている暇は無い。父は血走った目で里実の肩を掴んだ。
「里実! 大丈夫か! 殺人鬼とかに何かされてないか!?」
「うん? 大丈夫、何ともないよ」
「何ともない」ということは、「殺人鬼に遭いはした」という意味だ。だが、そのことに、このときの彼らが気付く余裕は無かった。
「落ち着いてください。里実さんは何も“されて”いません。ただ少しお話を伺いたいのです」
警察官の言葉に安心し、父は娘を送り出した。警察官の一人が里実の手を引く。その瞬間、彼らの目の色が変わった。
「森本里実! 殺人の疑いで逮捕する!」
「里実!」
目の前で手錠を掛けられる娘。父は足元が崩れそうになる気分だった。同じようによろめいた母を支えることで、なんとか気を保つ。
「大丈夫だよ、きっと何かの間違いだから。すぐ帰ってくるね」
里実は無邪気な笑顔を返した。そうだ、この娘が殺人なんて犯すはずがない。言われたとおり、明日にでもなれば解放されるさ。そう信じて、彼らは待つことにした。
里実がこの家に帰ってくることは二度となかった。
【09:11 神田明神】
御茶ノ水駅から徒歩五分、秋葉原駅からなら徒歩七分、鮮やかな朱が目を引く神田明神。
“冥土の案内人”相馬朔也に振り払われた平将門の怨霊は、一日を経て再びこの地に戻っていた。
もはや鎮める者のいない将門公の怒りが、神田一帯を震わせる。
――トウキョウヲ アラス スベテノモノニ ワザワイヲ!
依代を失った身では、物理的に何ができるわけでもない。ただ、その怒りは、ある一人の殺人鬼の狂気に届き、火を点けた。
【09:34 西条家】
「なつみ、本当にやるのかい?」
「お父様、私はもう我慢できないのです!」
父・直影の不安を吹き飛ばす勢いで西条なつみは机を叩いた。
「この東京に今“何か”が起きているのは間違いありません。いえ、その“何か”自体は関係ない。私の興味は、その“何か”によって――」
はしたない笑いを抑えきれず、端整な顔が歪む。
「――フフ、罪深い人たちが集まってきていることです」
なつみはスマホを掲げ、ブラウザを起動した。なぜか警察に捕捉されていない、アンダーグラウンドの掲示板。そこに、同業者達に向けたメッセージを書き込む。
“最後の地”を決めたのは、直感。なつみの頭にどこからか飛んできたイメージだった。
運命がカードを混ぜた
最高の夜に皆は何を賭ける?地位?名誉?金?
オールイン!オールインだ!
命も誇りも!何もかも!ここまで勝ち抜いた一切合切を賭けようじゃあないか!
さあ、全てを賭けて溶け合おう
最高にキラキラした夜にしよう
秋葉原で待つ
ラブ・ファントム
【12:36 築地】
お昼である。
金岡が一時的な逃亡先に選んだのは築地だった。
「んんー! 蟹うまー! でもやっぱり北海道のがいーいー!」
本当に逃亡中だよ?
【13:52 警察署】
「それで、この男性を殺害したんだな?」
「違います。私は種を植えたんです」
「……それで亡くなられたんだろ?」
「はい、悲しかったです」
担当の警察官が頭を抱えた。取り調べは順調だった。里実は素直に洗いざらい喋ってくれる。本人の証言で新事実も次々と発覚した。被害総数は三桁になろうか。それなのに彼女はなぜか自身の無実を信じて疑わないようだった。
「ところでおまわりさん、いつになったら帰れますか?」
「……全部話してくれたらな」
そんな取り調べ室の様子を、モニター越しに二人の男が見ていた。
「しかしかわいそうですね。あんないい子を死刑にしないといけないなんて」
「お前、警察辞めた方がよくないか?」
若い警察官の言葉に、大悲川南兵衛は呆れた声を返す。扱いやすい駒だった“ドッペルぬらりひょん”稚切バドーを失ってからというもの、大悲川はあちこちの事件に片っ端から首を突っ込むようになっていた。
「だって、お昼の弁当だってあんなに美味しそうに食べていたじゃないですか!」
「あのなあ……」
大悲川は殺人鬼を人と思っていない。だが、そんな人間でなかったとしても、彼の発言には苦言を呈しただろう。まさかとは思うが、惚れたなんて言い出さないだろうな。
「罪だって認めてるのに……」
しょんぼりする後輩の主張を、大悲川は訂正する。
「いや、あれは“罪”を認めてるんじゃねえ。“自分の行動”を認めてるだけだ」
【14:23 新宿】
黒星はひとり、夜魔口吸血の話を思い出していた。それは吸血が“黒鬼”黒木傀に話したものと同じ話。
『かつて、夜魔の大国に、人の血を啜り永遠を生きる、卑なる巫女の姉妹がいた』
『姉は、人の中で生きる道を選んだ。だが、妹は、違った。食事ではなく、嗜好としての殺戮を繰り返し、そして、永遠に自らが最強にして最凶の殺人鬼たることを望んだ』
『そのために、妹は、誇り高き吸血鬼の身を捨てた。今のアレは、体無き者。自分を殺したものに憑き、支配する、悪鬼の――』
“無体”。それが彼女の定める標的。彼女を吸血鬼へと造り変え、初恋の相手を殺した仇。
「血が、呼んでる」
しかもこの感覚は、彼女と同じ呪い子に対する反応ではない。黒星を射止めたようだ。今宵、行動を起こす。
「思い知らせてやるんだ」
黒星は『灰色の武器庫』からひとつの武器を取り出した。845gの殺人の道具。安全装置のない、どんな過酷な環境でも人を殺せる、そのためだけのもの。生産国、中国。使用弾丸、7.62×25mm。シングルアクション、ショートリコイル。強く握りしめて、再び『武器庫』に仕舞った。
「……無問題」
【16:00 都内某所】
十二時間が経ち、再び『献身的な新聞社』更新の時間が来た。追っ手の情報をざっと確認し、記事は殺人鬼の話題に移っていく。
「ん? あの子捕まったのか」
見出しは森本里実の逮捕。それ自体はさして驚くようなことではない。彼女の“次の予定”として少し気になることが書かれていたが、それも現時点で自分とは関係ないだろう。
肉まんをハフハフさせながら金岡は新聞をめくる。
次に写っていたのは五年前の記事。一人の吸血鬼が青年と少女を襲っていた。前提知識としての、その化け物のルールも同時に記載されている。曰く、彼女に血を与えられた者は、多くは死ぬが、生き残った者は彼女と同じ吸血鬼となる。また、彼女を殺した者は、徐々に人格を支配されていく。
「吸血鬼、ねえ」
金岡は少し首を傾げ、ページをさかのぼる。また少し考えた後、結局ページを先に進めた。
最後にあったのは、例の掲示板のメッセージ。
「ふーん、面白そうじゃない」
逆探知を避けるため電子媒体を封印していた金岡は、ここで初めて“ラブ・ファントム”の挑戦状を知る。この二晩で、その二つ名は裏の世界で知れ渡っていた。一体どれだけの殺人鬼が集まるだろうか。その中に紛れ、追っ手を撒く。できれば始末する。リスクは大きいがいいチャンスだ。
「秋葉原、か」
【17:35 留置場】
取り調べの時間が終わり、里実は個室に入れられた。最低限生活できるだけの質素な設備。だが里実は別に文句を言うこともなかった。いっぱい話したし、明日には出られるだろう。暇つぶしに、部屋に置いてあった仏教の本を手に取る。
しばらく本を読んでいると、入り口の錠が開く音がした。
「あ、お迎えですか!」
「まあ、そんなところだ」
入ってきたのは、大悲川。一目見て作り笑いと分かる笑みをたたえている。
「こいつを着けろ」
持っていたアイマスクを投げ捨てるように里実に渡す。里実はニコニコしたままそれを拾った。
「どうしてですか?」
「内部構造が割れると困るんだよ」
バレバレの嘘だ。それならば来るときにも着けさせられたはず。だが、それにも里実は気付かず、言われるままに従った。
手袋をはめた手が里実の手を引く。もちろん大悲川が直接エスコートするはずがない。部下の魔人警官のものだ。数分くらい歩いて、里実はどうやら車に乗せられたようだ。
「まだ取るな!」
大悲川に怒鳴られ、アイマスクに掛けた手を引っ込める。シートベルトを着ける暇も無く、車はいきなりトップスピードで走り始めた。
【17:59 西条家】
日も暮れ、準備を済ませたなつみは秋葉原へ向かおうと、ちょうど庭に出たところだった。その目線の先、門の前に、一台の乗用車が急ブレーキを掛けてやってきた。来客の予定は無かったはず。家の中に引き返して確認しようと思ったところで、声を掛けられた。
「よう、どこへ行くつもりだ? 土産を持って来たんだが」
アイマスクをした少女と共に、大悲川が車から降りてきた。
「やあ、大悲川サン! お土産というのはその右手のソレかい?」
なつみはぱっと振り返り、明るい顔でアイマスクの少女――里実を指さす。
「ああ。俺らはこれから行くところがあるんでな。後のことは好きにしてくれ」
「感謝するよ。さ、お嬢さん! 私と一緒にこっちに来てくれないか? あ、アイマスクは外さないでくれよ」
「は、はい……!」
なつみは胸に手を当て、もう一方の手で里実を招き入れる。土産と言うからには、味わわないとね。予定を変更し、家の中に戻っていく。夜は長い。後から行ってもパーティは十分楽しめるだろう。それに、「主役は遅れてやってくる」とも言うことだし。
大悲川は、扉が閉まるのを確認した後、部下に指示を飛ばす。
「殺人鬼共を秋葉原に囲い込め。できるだけ直接戦闘はやめとけよ。殺し合わせるんだ」
「は!」
「西条なつみ、てめえのターゲットはきれいさっぱり掃除してやるから安心しろ。ま、ソレを食って乗っ取られて死ぬなんて思っちゃあいないが、一応な、試させてもらうぜ」
警視庁にとっても、決戦の夜が始まった。
「さて、君はどんな罪を犯したのかな?」
地下の拷問場。椅子に固定し、アイマスクを外させた里実に向かって、なつみは問いかけた。
「罪……」
状況についてはさして驚かなかった里実だが、質問の内容には少し戸惑った。
「フフ、そりゃあすぐには認めてくれないよね。でもきっと君は言いたくなるよ。まずはこれで……」
なつみが手に取ったのは電子ポット。中には並々と熱湯が入っている。“手始め”としては手ごろだろう。
「あ、そうだ!」
これから何をされるかに気付いてしまったのだろうか。里実は思い出したように声を上げた。しかし、
「今日園芸部行けないって連絡できなかった! どうしよ~! みんな困ってるよね?」
「……え?」
返事は思いっきり斜め下だった。なつみはお湯をその場にこぼす。頭脳明晰な彼女をもってして、その会話の流れを整理するのに三秒掛かった。あ、今のが、罪の告白?
「ふざけるな! もっと何かあるだろう! 人を殺したとか! 男を騙したとか!」
「そう言われてもぉ……」
才能に恵まれるなつみだが、特に演技には絶対の自信を持っている。それは自分が演じるだけではない。人の演技を見抜くことについても長けている。里実が自身の罪に思い当たらないのは演技ではない。そうなつみの目には映っている。
だがそんなはずはない。街で捕まえた“悪人”ならともかく、こいつはあの大悲川がよこしたのだ。彼は善人ではないが、無実の一般市民を犠牲にするようなことはしない。
ならば、体に聞いてみるしかない。観察力を二倍にしたなつみは、里実の右腕にあるほころびを見つける。
「これは、どうしたんだい?」
「あ、それは……」
昨夜、“殺る王”との戦闘で切り離されたものを“接ぎ木”で治療した跡だ。里実が言い淀んだのを感じたなつみは、ためらいなくその腕を、引きちぎった。
「いやぁあああああああああ!」
あの時は“殺る気”で麻痺していた痛みが、里実を襲う。悲鳴は地下室に響き渡り、しかし決して外に漏れることはない。傷口から奪われた腕を取り返そうと蔓が伸びる。
「おっと、危ない危ない」
危険を感じ取ったなつみは、里実の指をひと舐めだけすると、大人しく腕を返した。
「なるほど、寄生植物。ということは君が“強欲の宿り木”かな? 迂闊に食べると痛い目を見るところだったね。さすがは大悲川刑事のお土産だ」
なつみはあくまでこの状況を楽しんでいる。どうやって“樹”の守りを突破し、罪の味を引き出してやろうか。うきうきしながら道具を選んでいる。
「もしかして、君は自分の罪を認識していないのか。面白い、実に面白いよ。君が私の舌にどれほど“罪深い”と判定されるか、実に興味深い」
そのときだった。
「大変です! お嬢様!」
使用人の一人がなつみを呼びに来た。
「襲撃者です!」
なつみは顔を引き締めた。念のため里実に筋弛緩薬を打ち込み、すぐに地上へ対処に向かう。西条家は名家であるゆえに、そのセキュリティを突破するのは容易くない。相手は只者ではないはずだ。
しばらく後、地下室に人影が戻ってきた。しかしそれはなつみではなく、別の少女だった。黒フードを目深に被った少女。
彼女は縛られた里実を見て、まず心臓を撃った。死なないことを確認すると、拘束を外し、肩に抱えた。落ち着いて里実を殺せる場所まで行かないといけない。なつみ、あるいはその手の者はすぐに追ってくるだろう。
『ここじゃない! 地下だ!』
「まずい」
声が近くなってくる。黒フードの少女――黒星は『灰色の武器庫』から戦車を展開した。地下室の天井は豪快に破壊され、屋外へと道を拓く。
「待って……俺も連れてって……」
部屋の隅から、か細い声が聞こえる。芦谷道満のものだ。黒星は無視した。『バイ・クイーン』で脚力を二倍にしたなつみが追ってきたからだ。
「外か! このっ!」
黒星の吸血鬼としての体力、背負っている重荷、『バイ・クイーン』の効果。それらを総合して、黒星となつみの走る速さはちょうど同じくらいだった。
黒星は考えた。どこかの人混みに紛れられれば……この夜、そのような“人混み”ができる場所は、東京にひとつしかなかった。
【そして、秋葉原】
人、人、人。中央通りは人で溢れかえっていた。数千人はいるだろう。彼ら全員が殺人鬼なのだ。そこかしこで血しぶきが舞い上がる。少年が老父を斬り捨て、女子高生が少年を焼き、主婦が女子高生をぺちゃんこにする。阿鼻叫喚。まさしくこの世の地獄。
「ひゅー、壮観!」
近寄ってきた青年に鉄球を落としながら、金岡は周りを見渡す。東京にまだこれだけの殺人鬼がいたとは。一説によると都民の十人に一人は“ジャック・ザ・リッパー”を名乗っているらしい。“本物の一八八九代目”としてはここで偽りのジャック・ザ・リッパーを名乗る不届き者どもを成敗しておくべきなんだろうか。
「ま、どうでもいいか」
「好きに生きろ」と言われた。そんな生き方、皆目見当もつかないが、まずはこの祭りを楽しむ。そして飽きたら逃げよう。自信は無いが、それがたぶん好きに生きるってことなんじゃない?
国を守るためでなく、身を守るために金岡は針を広げ続ける。皮肉なことに、“針鼠”のコードネームを失って、初めてハリネズミのような戦いをしている。『鉄導徹毗』、金岡は鉄塊を形さえ自在に操り、祭りに血の花を添えた。
だが、楽しかったのはほんのひととき。通りの向こうに黒フードの少女――正確には彼女が抱えている少女――が見えるまでだった。
『献身的な新聞社』へ情報が掲載される条件は実はもう一つある。それは、意識的にしろ無意識にしろ、「新聞の所有者が望んでいる情報」だということ。本日二回目の更新情報のひとつは、金岡の頭の中に、ある結論を導くためのパーツだった。その結論とはつまり、
『森本里実を放置すると、世界が終わる』
できれば、出会いたくなかった。
「そうも言ってられないか」
金岡は走り出す。何が原動力なのかは、分からないけれど。
「これ、借りるよ」
「な! 何奴!」
途中、すれ違った忍者の持つ爆弾を奪った。そしてそれを中央に据えた盾を作り出す。ルートを大きく回り込んで黒フード少女の背後から近付き、
(今っ!)
至近距離で金岡は盾を構えた。爆発。黒フード少女・黒星はすんでのところで気付き、自らを『灰色の武器庫』の亜空間に格納する。これは黒星が自分自身を殺人器――“武器”と考えているからこそできる芸当。
つまり、武器でないほうの少女・森本里実の身体はその支えを失い、爆発の直撃を受けた。その結果、胴体は四散し、かろうじて形を保った首だけが道端へ飛んでゆく。
盾に隠れて爆発をやり過ごした金岡は、爆風の晴れた後、亜空間から再び現れた黒星を見た。新聞の写真にあった“五年前”の面影を、金岡はその少女に感じた。そして己の失策に気付く。
「“ラブ・ファントム”じゃ、ない!」
金岡は『献身的な新聞社』午後の更新で、里実が留置場から西条家に送られることを知っていた。それ故に、里実を抱えた黒フードの少女を西条なつみだと断定してしまった。触れることをトリガーとする『バイ・クイーン』の能力に対し、“触れられない”攻撃手段である爆発を至近距離から当てる。西条なつみに対して必殺となるべき攻撃が、黒星には通じなかった。
(でも、結果オーライか?)
第一のターゲットである森本里実は殺せたはず。これで……
(ん?)
いや、殺してしまったのか。嫌な予感がして、頭が情報を処理するのを拒む。
(まずは、ここを生き延びることを……)
そこに、第三の女が現れる。
「フフ、私のことを呼んだかい?」
追いついた。西条なつみが追いついた。なつみはぐるっと見回して状況を把握する。
「まあ、人のご馳走をこんなにしちゃって」
「カフッ……」
里実の生首は苦痛にあえぎながらもまだ意識を持って転がっている。それを見てなつみは、笑みすら浮かべた。残る二人はそれぞれに考えを巡らせる。
(能力は割れてる“ラブ・ファントム”か、多分こっちを狙ってくるフードの子か……どっちから攻める?)
(本命はこっちのおばさん。でも、黒セーラーのアイツは、ヤバい)
最初に動いたのはなつみだった。金岡の肩をポンと叩き、一言耳元でささやく。
「じゃ、後はよろしく、“一八八九代目”」
「へ?」
その瞬間、いきなりだった。いきなり、近くで別の戦闘に参加していた四人組が金岡の方を向いた。
「ありゅ? 今何と? せんはっぴゃく……」
「ひじひじりりり、“当代”デスよ“当代”」
「ネーオネオネオ! 一昨日渋谷に行こうと思ってたんだけどよ~、“虫の知らせ”がして行かなかったのよ。正解だったわ」
「ばたばたばた! まさか“本物”を襲名できる機会に恵まれるとは!」
彼らは“亜流ジャック・ザ・リッパー”、“聖ジャック・ザ・リッパー”、“ジャック・ザ・リッパーNEO”、“ジャック・ザ・バターリッパー”。いずれも達人級の剣術の持ち主だ。
「うるさぁぁぁぁぁあい! 邪魔するな!」
キレた金岡の敵ではないが。
「グワーーーーっ!」
「うぎゃーーーーーー!」
「ゲホーーーー!」
「ゴベーーーーーーーッッッ!」
ただし、その間に紛れて飛んでくる黒星の発砲がうっとうしい。
「ちょっと! これ終わったら次あんただからね!」
「あんたが、一番、うるさい、年増」
「なぁー!?」
しかし、金岡と黒星との間に火蓋が切られる前に、黒星に魔の手が伸びた。特製の筋弛緩薬が、なつみの手によって打ち込まれたのだ。
「な、んで……?」
「それは企業秘密さ」
接近に気付かなかった。タネはもちろん、『バイ・クイーン』だ。黒星はこのとき、なつみに四倍気付きにくくなっていた。
『バイ・クイーン』による同じ性質の重ね掛けはできない。しかし、四倍の差を作り出すことは可能だ。金岡に触れたとき、なつみは彼女の“注目度”を二倍にした。そして自身の“隠密性”を二倍。反対の性質をそれぞれ別の対象に掛けることで、相対的に四倍の差となるのだ。
崩れ落ちる黒星に、なつみは優しく声を掛ける。
「今夜は欲しいモノが多すぎるんだ、悪いけど君の相手はまた後でね」
そして、金岡と対峙する。
「じゃあ、どちらが本物の“ジャック・ザ・リッパー”か、決めようか?」
首だけとなった里実は、まだ死ねないでいた。息もできず、かすむ視界の中で、人々が殺し合っている光景を見せつけられる。それは、不器用な彼らが互いに“分かり合う”ための行為かもしれない。そういうことがあると、昨日知った。でも、やっぱり、目の前の争いは、止めたい。誰かが里実の頭を蹴飛ばした。痛みは、まだリアルだ。
街頭のスピーカーから、女声のコーラス、次いでエレキギターの音が聞こえ始めた。聞き間違いか? そう思っていると今度は美しいストリングスの音色が聞こえてくる。誰かがこの祭りの先導者にあやかって流し始めたのだ。B'z、1995年のナンバー。『LOVE PHANTOM』。
金岡となつみの対決は、その約一分のイントロの間に決着した。
なつみの周りを大量の針が囲む。それを、“耐久性”を二倍にした防刃制服で弾き、肌が露出している部分は二倍にした“反射神経”で避けた。
倍にする演算が追いつかないほどの“量”で攻める作戦は失敗。先ほどの爆弾作戦も、もう見破られることだろう。
ならば、なつみの足を固定し、その後に莫大な質量で押しつぶす。
金岡は背負ったランドセルを開き、中の鉄塊をなつみの足元に目掛けて流し込む。
あとは周囲のビルの鉄筋を利用し、“二倍”や“四倍”程度では到底受けきれない、ビルそのものをなつみの頭上から落下させる。
計算が終わり金岡が能力操作に集中していると、なつみが話しかけてきた。
「ひとついいことを教えてあげよう。私は私が罪深いほどいいと思っているんだ」
「!?」
完全に意識外だった。なつみとは別の方向から弾丸が飛んできて、金岡の体は貫かれた。撃たれたのは、トカレフの7.62×25mm弾。
「一対一の決闘なんて、やってるつもりはないんだよ」
なつみは自身と金岡に最初に掛けた能力効果を解除してはいなかった。その上で、黒星にも同じように“隠密性”の迷彩を掛けていたのだ。
直後。
――いらない 何も 捨ててしまおう
秋葉原の夜に、稲葉浩志の高い声が響き渡る。
なつみは、ふと、違和感を覚え、周囲を確認する。
なくなっていた。
首だ。“強欲の宿り木”森本里実の首。
あの特殊な精神性。せめて首だけでも味わおうと考えていたのに。
残念だった。だが、今夜、獲物は無数にいる。
手始めに、黒星とまだ息のある金岡を処理しよう。
その準備を始めたところで、
緑色の化け物が三人の間に割って入った。
「ねえ、もう、やめよう?」
その化け物は、植物の蔓が絡み合ったものが、人の形をとったものだ。どこから出しているのか分からない声で話し掛ける。
「皆で仲良くしようよ」
「君は……何?」
「私は、私。森本里実だよ」
顔に表情があれば、笑顔だったのだろう。化け物は、いなくなった彼女の名を名乗った。
「……お前!」
その自称里実に、黒星が殺気を向ける。
確かに、条件は合っていた。“無体”。自らを殺した者を乗っ取る呪い。黒星の仇。
五年前に中国に行った覚えは無いが、里実は無意識とはいえ無差別殺人鬼である。どこから“無体”が移ってきても不思議はない。
里実は――
「違うよ。私はあなたが探している人ではないし、あなたは私が探している人ではない」
――里実は、“無体”ではない。
「私は、お姉ちゃん」
“無体”ではないが、その“姉”だった。
彼女は、かつて吸血鬼だったとき、人間に殺された。
そのときの彼女が心配したのは、永遠を生きる妹のこと。
正当な輪廻の末、かつての記憶を失くしても、彼女は妹を、“家族”を探していた。
だから、本当は“樹”が里実に取り憑いたのではない。里実の魂のほうが“樹”に吸血鬼のような性質を与え、侵食していたのだ。
そして、“樹”を蝕んでいたからこそ、もとの人間の肉体を何も捨ててしまって、“樹”の身体になっても、里実は里実の心のままでいられた。
「だから、なに」
だからといって、“無体”本人でないからといって、黒星は治まらない。
「出してよ、妹を」
いらだちのまま、里実に弾を撃ち込む。撃ち続ける。しかしそれらは里実の植物の身体をすり抜け、傷口もすぐに、生長と共にふさがる。
「ねえ」
黒星は今度は火炎放射器を出してきた。普通の植物なら特効だ。だが、この“樹”は違う。火炎の酸素で光合成ができてしまう。
何をしても里実に傷は付けられず、逆に里実は近づいてくる。
「きっと、私たち、分かり合えると思う」
そしてついに里実は、小さな黒星の体を抱き締めた。
(逃げ……)
黒星は、『灰色の武器庫』で自身を亜空間へと収納しようとした。
しかしそれは、不発に終わった。
今まで黒星が自分を“殺人器”と規定できたのは、周りが彼女をそう扱ってきたからだ。
けれど、殺し合わず、殺され合わない世界で生きてきた里実は、彼女自身を見ようとした。
黒星にとっての仇本人でなく、里実にとっての魂の妹本人でなかったからこそ、黒星は里実が利害関係で不戦を選択したのではないということが分かってしまった。
(なんで……私、“殺人器”じゃ……)
「“家族”に、なりましょう?」
そして、種を植えた。
曲は、ラップ部分に差し掛かっていた。
宙に、白い粉が舞い始めた。
それは雪ではない。
種だ。
微小サイズの種が、風に乗って秋葉原一帯に急速に広がり始める。
黒星の体が崩れ落ち、そこから芽が生えてくる。
今までの“強欲の宿り木”と違うのは、それが枯れないこと。
「や……やはり……」
金岡が目を覚ました。
立ち上がるだけの力は無い。
「おかしいと思った……“強欲の宿り木”被害者は、栄養不足で“樹”が枯れていたのに……本人は、いくらでもその力を使える……」
周りでは殺し合っていた殺人鬼たちが、バタバタと倒れていく。
“争いは止まる”。
「本体側に……無限のエネルギーがあるとしか……思えなかった」
金岡は、這って、里実のそばへ行こうとする。
「ここで奴を止めないと……他の街で、同じことが起きる!」
「おい! お前ら、もうちょい下がれ!」
秋葉原を包囲していた部隊に、大悲川が指示を飛ばす。
白い粉の拡散スピードは異常だった。
これを吸った者は“樹”に侵食され、倒れることは確認済みだ。
その前線に、一人の男がやってきて、声を掛けた。
「ちょっと、通してくれないか?」
「いえ、ここは立ち入り禁止でして……」
「いい、通してやれ」
「はっ?」
大悲川の命令を受け、警察官は男を通した。
「どうせただの自殺志願者だ」
なつみは、“呼吸効率”を二倍にし、何とか侵食に耐えていた。
しかしそれももう時間の問題だろう。
“種”の発生源のこんなに近くにいたのだから。
なつみは自分の“柔軟性”を二倍にし、足元の鉄塊から抜け出した。現象に気付くのさえ遅れていなければ、逃げることだってできたのだ。でも、もう遅い。
なつみは里実のそばに行く。
「一口、いいかな」
「え? あ、どうぞ」
どうせもう侵食されているのだから、確かめておきたかった。里実の葉をかじるとどんな味がするのか。野菜の味がした。
「フフ、フフ、いくら罪深くても、植物は植物、なのか」
この味は例外だ。そういうことにした。そうでないと、今まで信じてきた価値観は何だったのか。
味見を終えると、なつみは二度、里実の頭を触り、『バイ・クイーン』を発動させる。
ひとつは、上半身限定で、“重さ”。
もうひとつは、“生長速度”。
「あ、動けない……」
「知ってるだろう? 大型の植物は、その自重を支えるのに、地下深くまで、根を伸ばす必要がある」
『バイ・クイーン』発動後すぐに、里実の身体は根を必要とするまで育っていた。
里実がここに根付けば、被害は秋葉原だけにとどまる。
なつみはちらっと金岡を見た。
「別に正義感じゃないよ。私はただ私以上に命を食べようとする“強欲”が気に食わなかっただけさ」
そう言い残して倒れる……その肩を、一人の男が支えた。
「お父様!」
直影である。大悲川の部隊と接触し、死の秋葉原に飛び込んできた男は、彼だった。
「なつみ……心配したよ。なつみがいなくなったら、私は誰に食べてもらえばいいんだい?」
その、利己的な物言いがなつみには嬉しかった。
「そうですね、お父様、最後に、味見だけでも……」
なつみは直影の肩にかぶりつく。
「お父様、とっても不味いです」
「そんな……」
直影の絶望したような表情に、なつみは笑った。
直影はなつみに食べてもらうために罪を犯し続けたというのに。
それはもしかしたら、そんなに罪深くないことだったのだろうか。
それとも、なつみに拷問を受けた人たちのように、“罪悪感”が必要なのだろうか。
だとしたら、自分はどうなのだろう。
ここで自分を食べて、もしそれが不味かったのなら、それをどう受け取ればいいのか。
確かめてみるのが怖くて、ついになつみは“自分を食べる”ことがないままに、目をつぶった。
「多分、私が“無体”なんだろう」
金岡が、ぽつりと呟いた。
「“無体”が森本里実でなく、今日この場にいたのなら、私が一番怪しい」
根拠があるわけじゃないが、こうして最後まで生き残っているのは、そういうことなのではないかと思う。“無体”を乗っ取った者は、最初は自覚も人格も元のままだ。徐々に乗っ取られ、覆われていく。
「私はもう、これ以上私じゃなくなるのはごめんだ」
金岡かがみ、綿塚朱音。事実を知ってから二日経って、ようやく慣れてきたのだ。
「だから、ここで終わりで、もういい、と思う。だけど……」
最後の『鉄導徹毗』。なつみに使った足固めの土台を再利用し、里実に同じものを施した。
「あっ!」
なんとか動けないかともがいていた里実は、これで完璧にダメ押しを喰らった。
「ごめんね、私、愛国者だから」
どの口で言ってるのかと自嘲したが、それでもそう言い切った。
「君を、外に出すわけにはいかない」
「いえ、いいんです」
彼女はどうやら、諦めたようだ。
「でも、私たち……“家族”に、なれますよね!」
「ぷっ!」
自分で殺しておいて、何を言い出すんだろうかこの子は。“家族”……でも。
思い出す。東京タワーでの死闘。
そういえば、クビになった仕事でよく聞く言葉ランキング二位にもその単語が入っていたっけ。
「はは、うん、そう。家族がいるって、いいよね」
外に出すわけにいかない分、せめて、見守ってあげよう。柄にもなく、そんな気持ちが湧いてきた。
スピーカーからのメロディが鳴りやんだ時、秋葉原に立っているものは里実だけになった。
里実は倒れた殺人鬼たちのために祈った。
彼らは罪を犯した。
それらは許されるものではない。
彼らの命と引き換えにしても到底償えるものでもない。
でも彼らは彼らで、確かに必死に生きていたのだ。
だからその証拠として、ここに、花を植えよう。
“黒星”
“ラブ・ファントム”西条なつみ
“針鼠”金岡かがみ
西条なつみの父・西条直影
数千人の殺人鬼たち
――死亡(死因:“種”に生命そのものを与えたため)
“強欲の宿り木”森本里実
――
「次は秋葉原~秋葉原~」
赤マフラーの少女が窓の外を見ると、そこには緑が広がっていた。
東京駅から山手線で二駅。かつて電気街だったその地は、今、緑化地域となっている。
東京一帯を襲った一連の殺人鬼騒動は、あの夜以降、バッタリと無くなった。
秋葉原駅の改札を出ると、十数メートルはあろうかという巨木が目に入ってくる。
世間には知られていないが、その巨木こそが、かつて森本里実と呼ばれていた少女そのものだった。
世界中、とはいかなくなったが、今、彼女は、たくさんの“家族”――色とりどりの花々に囲まれて生きていた。
あの夜が明けて、突如秋葉原に現れた巨木を、人々は『死と再生のシンボル』とした。
その巨木に向かって、赤マフラーの少女――拳条朱桃は叫ぶ。
「東京の正義は、私が守る!」
今日も東京は、平和だった。
第三夜『このちにうえた花たちよ』 終