僕の見ている景色は、あの日から反転した。
街は灰色に塗りつぶされ、太陽の光も届かない。
唯一認識できる輝きは、吹き消すべき悪鬼のサイン。
空っぽの心を携え、アイツを探しに出かけよう。
◆◆◆◆
警視庁捜査一課、魔人犯罪対策室の刑事、本田は、今朝方繁華街の路地裏で発見された、他殺体の前に佇んでいた。被害者は、ここ数日の
殺人鬼騒ぎでマークされていた、前科持ちの魔人の一人であった。
「先輩、この仏さん、恐らくあいつの仕業ですね」
「慈愛のお迎え天使か……。これで4件目だな」
本田は、被害者の表情に目を配る。まるで幸せな夢を見ているかのような、安らかな死顔。犯人が「慈愛のお迎え天使」と呼ばれる由縁である。
本田は、後輩刑事の橋本から渡されたタブレット端末に目を通し、事件概要の整理をする。
最初の事件が、心臓麻痺による自然死で片付けられる直前に、ニ件目、三件目が立て続けに起き、魔人能力者による殺人事件と断定。しかし防犯カメラを始めとした、証拠らしい証拠は一向に上がらず、捜査は暗礁に乗り上げる。被害者には外傷も、抵抗の形跡も見当たらず、また薬物反応も認められない。
なお、三件目の事件のみ、被害者の心臓に、内側から破れたような損傷が認められ、死体の表情も若干の差異が見られるが、犯行現場の距離の近さと、こちらも外傷が確認できない事から、同一犯の犯行と、ほぼ断定。
「全く、何をどうすればこんな殺し方が出来るんでしょうね?先輩」
橋本が、肩を竦めてぼやく。異常な死体の状況にお手上げの様子だ。
「自らの意志で、物理法則や世界のありようをねじ曲げる魔人に、まっとうな常識なんぞ通用せんよ。極端な話、呪殺の線も視野に入れたいくらいだ」
「呪殺ねぇ……。けれど先輩、被害者同士の接点は無し。怨恨目的とは思えませんがね」
「……そうとも限らん。接点は無くとも共通点はある。被害者は全て魔人能力者。個人に対しての恨みではなく、能力者そのものへの恨みだとしたら……?」
「なるほど……。だとしたら相当ヤバいヤツですね。恨みかどうかはともかく、能力者をあえて狙っているという事は、それだけ強力な能力者であり、本人もそれを自覚している」
「そうだ。だからこそ我々は何としても犯人を挙げなきゃならん。野放しにしておくには危険すぎる相手だ」
橋本は息を飲む。魔人犯罪対策室の刑事は能力者揃いの精鋭だが、その能力者を立て続けに始末している天使を相手どれば、命と引き換えになるかも分からない。一つ間違えば目の前の死体の仲間入りだ。
「橋本、間違っても、
殺人鬼同士でこのまま潰しあってくれねーかな?なんて、思うんじゃないぞ」
うへえ。先に釘を刺された。橋本は苦虫を噛み潰したような顔でおどける。
だがそれも道理、法治国家のこの国で人を裁くのは、司法であって、天使ではない。それに、この凶行が、無辜の民に及ばぬ保証は何処にも無いのだ。
(しかし、気になるのは被害者のこの表情……。仮に恨み殺された人間が、果たしてこんな安らかな顔で死ぬのだろうか……?)
本田は物言わぬ死体に無言で問いかける。お前は今際に、何を見て、無抵抗のまま死んでいったのか。だが、その答えは、我々がこれから見つけていくしかない。
「さあ、捜査を続けるぞ。余りモタモタしてると、徒士谷警部が首突っ込んでくるからな!」
「そりゃ大変だ!あの人全部物理で解決しだすからなあ」
◆◆◆◆
夜の帳が下りた繁華街、ここ最近の
殺人鬼騒ぎにより、街を歩くものは僅かばかり。
宵闇の中、血に飢えた獣たちが、獲物を求めて彷徨い歩く。自分こそが獲物になるとは微塵も思わずに。
たった今、獲物を蹂躙し、その亡骸をうち捨てた八ッ崎洲瑠雄も、その一人であった。
八ッ崎は、戦利品の女の指をジーンズのポケットにしまい込み、鼻歌交じりにその場を後にする。
クソ雑魚女で、魔人としてはまったく歯ごたえはなかったが、いい声で鳴いてくれたのと、切り取った指がとても奇麗だったので、今夜は気分がいい。酒には弱いが、帰りにハイボールでも買って、この指を肴に一杯やろう。
深夜の晩酌に期待を膨らませ、帰路についた八ッ崎の後ろから、一匹の黒い影が駆け抜けた。八ツ崎は一瞬びくりと驚いたが、何のことはない。ただの黒猫だった。いや、よく見るとただの黒猫ではない。
アクアマリンの丸い瞳、艶の良い漆黒の体毛。丸みを帯びたしなやかな肢体、そして、銀翼のチャームが付いた、赤い首輪。
貴族を彷彿とさせる、高貴な美しさを秘めた黒猫だった。
こちらを振り返った黒猫の姿は、この薄汚れた路地裏に於いて、明らかに異質であったが、それがかえって、秘めた気高さを引き立てている。
黒猫は八ッ崎をじっと見つめ、興味を示したように、にゃあとひと声鳴いた。
「なんだぁお前?構ってほしいのか?」
元々どこぞの金持ちの飼い猫なのだろう、人に対する警戒心はそれほどないように見える。八ッ崎は、手近にあったビールケースに腰を下ろし、黒猫を招いた。猫はそれに応え、ゆっくりと八ッ崎のもとへ歩み寄る。
「おいおい、こんな夜更けに散歩とは感心しねぇな。ご主人様が、心配してるぞ」
黒猫は、腰掛けた八ッ崎のすぐ傍らまで近づき、もう一度にゃあと鳴いた。八ッ崎は、毛並みの良いその背中をそっと撫でた。黒猫は、気持ちよさそうに目を細める。
先ほど人を殺した八ッ崎の、とがった神経が徐々に解れていく。
「全く……とんだ不良猫だな。後で猫缶勝ってやるから、ご主人様には内緒だぞ」
もふもふの背中をなでる。黒猫は、体を翻し、愛くるしいしぐさで寝転がった。人懐こい黒猫との、至福の時間。八ッ崎は童心に帰ったように、猫と戯れた。
思えば、このように猫と触れ合うなんて、何年ぶりだろうか。世の
殺人鬼の中には、猫殺しから始まる手合いもいるらしいが、こんなに可愛い生き物に手をかける外道の精神は、俺には理解出来ない。
張り詰めた緊張感からの開放で、八ッ崎は黒猫を撫でながら、気怠げに欠伸をした。
なんだか少し眠くなってきたな。体を動かすのもおっくうだ。そこの物陰でちょっとだけ休もう、ほんの30分程度でいい。今日はちょっと、疲れた……か…ら……。
八ッ崎は安らぎの表情で、意識を手放した。
◆◆◆◆
黒猫ヤットは、
殺人鬼が完全に動かなくなったのを確認し、その顔を見る。
(……こいつも違うか)
黒猫ヤットはかつて飼い猫だった。飼い主はここ最近の連続殺人で殺された。ヤットはその瞬間を目撃していた。
血溜まりを作り、倒れ伏したご主人の目の前に佇むは、冷たく、蒼く燃える眼と、人ならざる、異能の輝き。
ご主人を殺したアイツは、普通のニンゲンじゃない輝きを持ち、普通のニンゲンじゃない力を用いて、ご主人を殺した。いとも容易く、ゴミ屑の様に。
(輝きを持つニンゲン……ご主人の仇……)
あの時、僕も殺されると思ったその瞬間、僕の体が輝き始め、アイツの心臓を「捉えた」感覚をその身に感じた。
アイツは即座に身の危険を感じ、すぐにいなくなったが、今度は僕のターンだ。
(心臓を「捉えて」離さなければ、ニンゲンを殺せることは、何人かのニンゲンに試してみて、分かった。これを使って、アイツと同じ輝きを持ったやつを次々と殺せば、いずれアイツにぶち当たるだろう)
―――黒猫ヤットは、止まらない。猫に人のルールは、通用しない。
(アイツを追い詰めて殺す。それが僕の目的だ。
僕の体が輝き始めて以来、風のように速く動けるようになった。今度は逃がさない)
―――黒猫ヤットは、止まらない。魔人能力に目覚めた黒猫は、ニンゲンを容易く殺せるから。
(ご主人を奪ったアイツを殺すためなら、僕は何でもするし、邪魔する奴は全員殺す。ニンゲンだろうと、そうでなかろうと)
―――黒猫ヤットは、止まらない。アイツの心臓を捉え、握りつぶすその日まで。
ヤットは空っぽの心に収まった、大いなる怒りを携え、更なる深淵の底に向かう。冷たく、蒼く燃える眼と、猫ならざる、異能の輝き。
ヤットは気づいていなかった。
自分が「アイツ」と同じ、どす黒い
殺人鬼に堕ちてしまっていたことに。
最終更新:2019年11月28日 00:16