大都会、東京。
天に浮かぶ月さえも霞む、光に満ちた営みの街。
しかし闇は、完全に消え去った訳では無かった。
輝きの中に捻じ込まれた黒い罅の如く、むしろ濃く、
人々のすぐ近くへと這い寄るかの様に…



「あははははっ!ねぇあなた、私と遊ばない?」

暗く聳え立つビルに囲まれた、路地裏。
突如上から降って来た声に、男は顔を上げる。
街灯は遠く、その僅かな光がかろうじて足元に陰影を映す。
…その闇の中で、男の視界は確かに、微笑みを浮かべた少女を認めた。
童女、と形容しても良いかもしれなかった。
褐色の肌、白い半袖のワンピース、履物は無い。
それが男の頭上10m程の位置、5階建てのビルの壁面に貼りついている。
12月も差し迫る夜の都心で、見つけていい存在ではなかった。

「一昨日までは遊んでくれる人が居たんだけどね~、
 もう来られないみたいなの。だから、ねぇ?一緒に遊んでよぅ」

髪の毛先を指でいじりながら、頬を膨らませる女。
男は、少し何かを考える様な素振りを見せた後、右手を上げた。
そして口を開く。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼‼‼」


男の、真横に引き裂かれた様な口から、人間とは思えぬ金切り声が発せられた。
身長3mはあろうかという体躯、
全身至る所に存在する拷問跡、
傷の下で張り裂けんばかりに膨張した筋肉、
そして半裸!
12月の都心でなくとも、見つけていい存在ではない!

女は既に壁を蹴り、真向いのビルに飛び移っていた。
着地と同時に、それまで貼りついていた場所に便器が直撃する。
便器だ!
TOTO社製の便器!
軽く上げただけかの様な右手は、殺戮の投擲であったのだ!
再度、男の咆哮がこだまする。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼‼‼‼‼‼」
「活きが良さそうね!よかった!」

女は呟くと、飛び移ったビルの壁面に ずぶり っ と 沈み込んだ。



便器が、TOTO社製の家庭用便器が落ちてくる。
白く清潔感のある仕上げに、一点の曇りなく月光を反射する。
それを右腕で軽く受け止めると、男は周囲を見回した。
女の姿は、完全に消えていた。

「グァルルル…」

壁の中に居る。次はどう出てくるか?
男は白い便器を構えると、用心深く歩を進めた。
がさり、ビニールを踏む音が聞こえる。続いて、虫の這いまわる音も。

次の瞬間、突如右に聳えるビル壁が膨張した。
突然の出来事に為す術無く、男は弾かれ背後の壁に激突する。
しかし男は特に怪我をした様子もなく飛び起きると、
即座に丸く膨らんだ壁面へと殴打を加えた。
左ストレート。壁面が揺れる。
右便器。壁面が揺れる。TOTO社製の便器に傷はない

しかし、膨らんだ壁にも傷はない。
男の膂力ならば穴の一つでも空いていておかしくない筈であり、
これは明らかな異常事態だった。

「…壁ニ、侵入…イヤ、壁ヲ操ル能力…カ…」
「おお~当ったりー。でも意外ね、あなた喋れるの?」

男は見上げた。
巨大な、あの女を模した上半身だけの石像が、壁から生えていた。
その質感からビルのコンクリート壁を変形させたのだろうが、本体との違いが1つ。
石像は明らかに大人で、その肢体をさらけ出していた。
男は理解した。己が殴ったのは、少女の豊満となった右乳だったのだ!

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼‼‼」
「もう聞き飽きたわよ、それ」

男が便器を投げつける。
女は片手で払った。それだけで男の投擲にも耐えたTOTO社製の清潔感溢れる便器は粉々になり、
周囲に雪の如く清潔感のある白い破片を撒き散らす。

「ハリボテノ、見セカケデハナイナ…!」
「照れるわぁ~」

女は微笑むと、掌を広げる。
小動物を捕まえようとする、子供の無邪気な指遣い。

「ねぇ。私、戦うのはあんまり好きじゃないの…
 そろそろいいでしょ?遊びましょうよ。」

女の指が迫ってきた。
最早便器も無い。
男は、その悍ましい外見からは想像も出来なかったが、
確かに驚き、たじろいでいる様子だった。
女の笑みが絶頂を迎えようとした。
その瞬間、

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼‼‼」

男が叫ぶ。今宵何度目かの咆哮。
そして、男は脱兎の如く駆け出した。
路地裏から逃げる様に、ではなく、女に向かって!

「っ!」女が両手を合わせる。
しかし男は体を捻り、巧みに指の隙間から抜け出すと、
目前に迫る巨大な腹に手を触れた。


そして、男の体が ずぶり っ と その腹にめり込んだ。


「っはああああああああああああああああああああああああああっ!?」

今度は、叫んだのは女の方であった。
急いで腹に手をやるも、そこには何もない。
穴も、凹みもなく、男は女の腹に潜り込んでしまったのだ。

「私と同じ能力…!?」

女—―風呂上(ふろうわ) るるい江は、床オナの結果産まれた“ワーフロア”(床人間)である。
しかし当時高校生だった父にその存在が受け入れられる事はなく、出生から程なくして親戚に引き取られた。
移動出来なかった母とは引き離され、新しい家では母譲りの褐色の、
木目調のその肌を馬鹿にされる日々が待っていた。
『もくめ~ん、もくめ~ん』
―もくめんじゃない。
『もくめだから、もくめんじゃん。あたしはジャコが好きだから、ちりめん!』
―もくめんじゃないっ!
『じゃぁパパはイクメンな!』
―うるさいっ!!だまれ!つまらないっっ!!だぼがっ!
おかあさんさえ、おかあさんさえいっしょにきてくれたら…!

その瞬間、るるい江は魔人となったのだ。
獲得した魔人能力【ゴーレム】は、建築物と同化しその一部を操る能力。
これで、母を動かして一緒に住める!

しかし、その願いは叶わなかった。
道路拡張による立ち退きで、既に家ごと母は解体されていたのである。
それを知ったるるい江は、絶望し、
東京へと傷心の旅に出アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼‼‼」

突如轟いた叫び声に、るるい江は我に返る。
ビル5階にある一室、彼女は座り込み床と同化していた。
男が、石像の腹からビルの壁を「通過」し、1階に到達したのだ。

「あの人、侵入するだけが能力みたいね。
 最初の一撃を避けられなかったから、カウンターではないし。
 それに、さっき捕まえようとした時も逃げたから…インターバルか、
 対象に制約があるかもね。」

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼‼‼‼」

「まだ、ここに気付くまで時間がある。
 …もう驚いたりしないわ。」

彼女は再び、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
これから友達が遊びに来る小学生かの様に。

「今度こそ捕まえて、遊び相手にしちゃうんだから!」

そう言ったるるい江の体に衝撃が伝わった。
「…へっ?」後ろを見る。
あった。
無数の跡で、歪み、笑顔にも見えるその顔が、そこに。
悲鳴は、思ったよりも小さかった。

右肩に手を当てる。何かが深く突き刺さっている。
それが何か確かめるよりも先に、るるい江は床に潜り込もうとした。
ずぶり、と、しかしそれよりも素早く、男は左腕で彼女の首を掴み、
強引に吊るし上げた。
少女の細い体が、床からべきべきと音をたてて引き剥がされる。
きゅ、と息が漏れる音。
男はその首を更に締め上げつつ、周囲を見回した。
そこには、るるい江の“遊び”の痕跡が残されていた。

――小さな簡易テント。
 空いた菓子の袋やジュースの缶。
 使い古された鋸。
 刻まれた木材の破片。
 ぬいぐるみ。
 木材で手製したと思わしき玩具、ボードゲーム、小さな家の模型。
 寝床の辺りには、インスタントカメラで撮影したのだろうか、
 るるい江と様々な人々の2ショット写真が広げられている。

男は、それを一瞥した。 そして、少女と、目が合った。

「や、やめて……」

少女に最早威勢は無く、ただ怯えた表情で男を見る。

「離してあげるから…
 もう、追いかけたりなんかしないから…」

か細い体が、小刻みに震えていた。
男は、少女に突き刺したTOTO社製の白い便器の破片を引き抜くと、
迷いなく少女の脚に刺した。

「っァい痛いやめてやめてやめて!やめて!やめて!
 やめて下さい。お願い!お願いします!」

肩口から血が噴き出す。
脚からもまた、流血。
哀願する様な悲鳴。だが男は全く意に介す事なく、
少女を吊したまま次々とその肢体を突いていく。
刺しては、引き抜いていく。

――もう一度、脚。次に胸を軽く刺す。

 少女が自分を抱きしめる様にして胸を守る。その右肩を抉る。

 悲鳴を上げて肩を押さえる。わき腹に刺す。

 少女は両腕を振り回す。右腕の動きは痛みの為か弱い。構わず右眼を刺す。ついでに顔の上で破片を滑らせる。絶叫。

 右眼を押さえる少女を左手に持ち帰ると、頭部を殴打する。

 少女は両手を震わせつつ、何とか男の手を掴もうとする。嗚咽。

 男が持つ便器の破片は赤く濡れ、血の滴りが少女の左眼に映った。まだその眼は潰さない。両耳も、まだ。




大都会・東京に朝が訪れる頃。
誰なのか見分けも付かなくなったるるい江は、小さな息を一つ吐くと、
やっと死ぬ事が出来た。








 「う~ん、もぅ一歩なのよネェ~。」
 「そうですかぁ…すみません、勉強させて下さい!」

大都会東京、から離れた郊外の安アパート。
その一室で、何者かが電話に向かっておじぎをしている。
隠す必要もない。今朝方、少女を惨殺したあの男である。

 「そうネェ。ま、まずそっちの話からネ。今回は何を頑張ったノ?」
 「はい!えーと、まず今回は、武器に拘ってみようと思いまして。
  先輩方が使った事がない様な武器で、何か無いかな~と探した結果、便器を
  使ってみたんですけど!」

電話の向こうから、盛大に吹き出す音と共に大笑いが響いた。

 「ブッホォ!まずはそこよソコ!何で便器なのヨ!
  あたし、笑っちゃったんだからねソコで!
  いきなり大男が吠えたと思ったらサ、便器取り出して
  投げつけてくるって!」
 「意外性があっていいかな~と思ったんですけど…」
 「いや、あったわヨ?予想外ヨ?でもネェ、あーた、
  あれじゃその辺のブロックでもいいじゃなーイ?
  “メイン武器”として便器を活かせては、ないじゃなーイ?」

部屋の殆どを占める男の背中が、しゅんと小さくなる。

 「メインとして…ですか?」
 「例えばそうネェ、あーた。便器って聞いて何思い浮かべル?」
 「はい!白い、清潔、芳香剤、それから」
 「ストーッピ。排泄物、嘔吐物、刻んだ肉片流すトコに
  赤ちゃん産むトコ。何よあーたTOTOの回し者?」
 「す、すみません。」

息を深く吐き出す様子が伝わる。溜息か、それとも葉巻の煙か。

 「でね、武器じゃない物をメイン武器として使う場合はね、
  こういう、今言ったみたいなトコが大事なノ。
  活かさないとダメというより、活かせばプラス点。
  例えば、あーたが便器に産み落とされた捨て子のマーダー
  だったとして、どーする?」
 「……便器に顔を突っこ…じゃない、相手を便器に嵌めて、
  自分と同じ屈辱を味わわせる…四肢を切り落とすとかして・・・」
 「ほらぁ~中々イーんじゃない?何で今回のオォデソン(訳注:オーディション)
  でそれを出せなかったワケ!?」
 「あぁぁぁぁそっかああああああああ」
 「そう、それからあんた叫び過ぎよ。単に大きな声出しゃいいって
  もんじゃないノ。結構難しいのヨ?相手のコも呆れてたじゃない。」
 「すみません、あの時は本体の居場所が分からなくて。
  反響音で探ってたんです。」

再び、電話の向こうから盛大に吹き出す声が聞こえた。やはり葉巻でも吸っていたのだろうか、しばらく咳き込む音が続く。

 「げっほ、え、マヂ?あーたそんな事も出来るノ?」
 「色々出来ます!…でも、あんまり評価されなくて…」
 「まぁー、見た目器用さとイメージ合わないしネー。でも意外と大事ヨ、
  そういう小技ってネ。あぁ、後、途中で素になってるトコはダーメ、
  そこは基本でショ?」
 「はい、それはやってしまったなと思ってます。」
 「分かっていればよろスィー。」

電話の向こうから、しばらく声が途絶える。

 「…ねークロフサちゃん。あーた、今回のオゥデソンはアレだったけど。
  やっぱり、才能あると思うのよネ、あたし」
 「本当ですか!?」
 「体格はいいし、腕力もあるし、小技も使えて、オーソドックスながら良い能力を持ってる。
  素直で勉強熱心だし…後はもう、実践経験だけネ。」
 「実践…ですか。」
 「えぇ、あーたにはまだ、マーダーとしての実践が少なイ。
  日本に居る内にネ、最低あと数人は殺しなさいナ。こっちに来るのはその後ネ。」
 「…こっちって…、え、ぃぃ行ってもいいんですか!?」
 「モチ、期待しているわヨ?“新世代(ニューエイジ)”ちゃん♪」

ぷつ、と唐突に電話が切れた。これは“彼”が好む、有無を言わせないぞという演出である。
男は、しばらく茫然としていたが、やがてふるふると震え出すと、両手を勢いよく天に突き上げた。
その拳は天井に当たり、真上の住人を殺害した。

 「さ、誘われた…ほ、本場の殺人鬼に誘われた…!
  や、や、やったあああああああああああああああああああっ!!!!」

そう、誘われたのだ。殺人鬼のメッカ、リア充殺害の殿堂。
毎年数多くのキラーを生み出す栄光の地、そう!刃離鬱怒(ハリウッド)へ!
幼い頃からの夢を目指して…
期待の新人殺人鬼、黒房 清十郎(くろふさ せいじゅうろう)は今一度、雄叫びを上げた!



ついでに発射された超音波により、両隣の住人は死んだ。
最終更新:2019年11月30日 08:38