「さとみん部長! そろそろ帰らないと!」

 同級生の明るく通る声に森本里実はハッと顔を上げた。

「あっ、もうこんな時間?」

 西の空は既に日が沈み切った後だった。冬は特にそうだ。夢中で作業をしているとあっという間に真っ暗になってしまう。里実は残念そうに剪定バサミを置く。

「みなさーん、今日もありがとう! 明日もよろしくね」

 里実の合図に庭の園芸部員たちはまばらに挨拶し合い、片付けを始める。冬休みと言えど生き物の世話に休暇は無い。受験を控えた先輩達の後を引き継いだ里実は、園芸部を率いて毎日庭の手入れに精を出していた。
 去り際、里実は最後に世話していた木の葉っぱを撫でながら愛しそうに見つめる。“あの一件”以来、彼女はよりいっそう深い愛情を庭の植物たちに感じていた。

◇◆◇◆

 里実が家に帰り着くと、珍しく父親が玄関で出迎えてくれた。

「あれ、早いねぇ。お仕事終わり?」
「ああ、例の殺人鬼騒動でな、定時退社命令が下ってる。お前もあまり遅くまで出歩くんじゃないぞ?」
「うん、ありがとー」

 リビングには今夜の夕飯が並べられている。冷えた体を温めてくれる、グラタン。

「お姉ちゃん、はやくはやくー!」

 里実とは正反対のせっかちな妹が手招きする。

「さあ、みんな揃ったし、食べるわよ」

 キッチンからミトンをした母親が顔を出し、いつもと変わらない、明るい食事風景が始まった。

◇◆◇◆

 深夜、里実はそっと布団を抜け出した。里実は家族が大好きであった。温かい両親に恵まれ、いつか自分もこんな家庭を築きたいと願っていた。しかし彼女はもはや通常の人間と同じ方法でパートナーを得ることができない。だから、

殺人鬼はちょっと怖いけど、行ってくるね」

 寝静まった我が家に向けて彼女はそう呟く。彼女は気付いていなかった。自分が既にその“殺人鬼”の一人として名を連ねていることに。

 しばらく外を歩いてみたが、今日は人の姿が全く見えなかった。中心部とは言えないがここだって大都会東京の一部だ。いつもなら人影の一つや二つ、すぐ見つけられるというのに。それに今日はコンビニすら開いていなかった。やはり殺人鬼のニュースの影響だろう。

 誰も見つからずに一時間、今日はそろそろ帰ろうかと思っていたところ、後ろから不意に声を掛けられた。

「君! ちょっといいかい?」

 ナンパ……などではもちろんなく、巡回中の警察官だった。男性で、三十代前半といったところか。誠実そうな目をしている。

「こんな時間に外をうろついていたら危ないよ。家まで送ろうか?」
「あの、おまわりさんは……」
「おっと! 変装じゃないよ、本物だ。ほら!」

 彼は、里実が怖がらないようにか、おどけた様子で警察手帳を取り出して見せる。しかし、里実には相手が本物の警察官であるかどうかはどうでもよかった。社会的地位も、外見も、年齢も、なんなら性別でさえ気にしない。彼女に必要なのはただ一点。“樹”に適合し、同じ道を歩んでくれるかどうか。だがそれは、とても得難い性質。今まで彼女の“プロポーズ”は一度として成功したことが無かった。

「私、“家族”を探しているんです」
「なるほど。でも、何もこんな時間に探さなくても……。人の多い時間帯のほうが行方も聞けるだろ? それに警察にも報せてくれれば協力だって」
「いえ、そうじゃなくて」

 警察官の腕に、里実の掌から生えた蔓がからみつく。

「“家族”になってくれる人、です」

 そして燃え始めた。なぜ? そう思う間もなく火は里実に延焼する。

「悪いけど、これをどけてくれないか」

 警察官は冷静に告げる。冷静なのも当然。この炎は彼が起こしたもの。彼は炎を操る魔人であった。殺人鬼が跋扈する真夜中を一人で見回るのだ、当然それなりの実力者である。ゆえに里実に対しても警戒はしていた。ただ、あまりにもに害意を感じなかったため気が緩み、捕らえられてしまったが。

「苦しいかい? 君が大人しくするなら火は消してあげよう」

 一方の里実は突然の事態を飲み込めないでいた。魔人。話には聞いていたが、出会うのはこれが初めてだった。里実の能力は、精神の発露たる能力――いわゆる魔人能力――ではない。彼女の能力は彼女の中に根を張った“樹”の能力だ。少し落ち着いてきた里実は思った。もしかすると、魔人にならば“樹”の適合者がいるのではないか。目の前の警察官は、運命の相手ではないか。里実は全身に焼けるような熱さを覚えた。

「きっと魔人だからという理由で迫害されたんだろう。でも、だからって、人を傷付けて楽しいか? その生き方は辛くないか?」

 全く的外れな説得だった。里実は「人を傷付けよう」などとはこれっぽっちも思っていない。なので蔓を外す理由が無い。かといってこのままでは焼け死んでしまう。そこで里実は足裏から地面に向けて根を生やし始めた。植物の根の力は強い。ましてや里実の“樹”は普通の植物ではない。あっという間にアスファルトを突き破り、その下の土に到達する。目的は土の中の水分だ。

「あの……おまわりさん、違うの……私……」

 根は一気に水分を吸い上げ、“樹”の中に行き渡る。里実の体を覆うよう、みずみずしい葉が生えてくる。この水分のお陰で、少しは炎に耐えられるだろう。もちろんそんなものは時間稼ぎでしかないが。

「そうじゃない、今の暮らしが望みだ、と言うなら、残念だがここで僕が君を止める!」

 語気を荒げる警察官だったが、言葉とは裏腹に動くことができない。最初の発火は咄嗟の判断だったとしても、基本的に彼は治安維持側の人間である。攻撃してこない相手を攻撃することはできない。

「私、“家族”が欲しいだけなんです」

 ふと、警察官は不思議に思った。焼けているはずの里実にダメージが感じられない。窒息もあるはずだ。考えていると、一枚の葉がぽとり、と焼け落ちた。その奥には新たな葉が生えていて里実を包んでいた。熱いはずの身がぶるっと震えるのを感じる。彼の頭にはある殺人鬼のコードが浮かんでいた。被害者の養分を欲しがるだけ欲しがり、最期には欲に溺れ被害者もろとも自滅する寄生樹。

「『強欲の……宿り木』!」

 もはや専守防衛などと言っていられない。腰に掛けた銃に手を伸ばす。だがそこには先回りして蔦が絡んでいた。体がぐいっと里実の方に引き寄せられる。葉の鎧が開いて中から綺麗なままの里実の顔が姿を現す。なぜ彼女は無事だったのか。火とは燃焼。空気中から酸素を奪い、光と熱を出しながら二酸化炭素を発生させる。しかしご存知のとおり、植物にはこれと逆の操作ができる。すなわち燃焼で発生する光と二酸化炭素、それに加えて地中から吸い上げた水、これらを使って治癒のための養分と酸素を取り出す。そう、光合成!

「おまわりさん、私の“家族”になってください」

 はにかみながらそう言って、里実は警察官にキスをした。

「――――っ!」

 彼は私生活を顧みず仕事一筋でやってきた。一回り以上年下の女の子からの口づけは刺激が強い。顔が真っ赤に染まる……が、それも一瞬のこと。すぐさま、今度は逆に青ざめはじめる。膝が崩れ落ちる。

「何……を……」

 口移しで種を植えられていたのだ。それは彼の全身を瞬く間に蝕む。皮膚から芽が出始め、さらに成長を続ける。それにつれて、生命を絞られていく。絞り尽くされる。

「ごめんなさい。やっぱりまたダメだったみたい」

 里実は少し心配そうにしながら、元気づけるように微笑んだ。警察官はその表情に恐怖と絶望を感じた。この子には、自分の行動で人を死に至らしめたという自覚が全く無い。ならば、“更正”など期待できるはずがなかったのだ。

「は、は……」

 彼が最期に絞り出したのは、乾いた笑いの声だった。そして間もなく彼は“樹”に飲み込まれた。

◇◆◇◆

「うーん、魔人さんでも無理かぁ」

 結局のところ、普通の人間であろうと魔人であろうと樹に適合できなければ死ぬ。それだけのことらしい。しかし可能性は感じた。魔人は普通の人間より体が丈夫らしい。だからきっと、運命の人も見つかるはず!
 明日からは魔人を探そう。今まであても無かった里実の“婚活”は、この日一つの明確な指針を得たのだった。
最終更新:2019年11月30日 09:42