紅眼莉音は英雄である。

「おはようございます、先生!」
「おぉ、紅眼。今日も早いな、お前」

東京都内の中学校。争いもなければ抗争もない、平和な学校。
中学3年生のうら若き美少女。
品行方正、質実剛健、付和雷同にして八方美人。
己がままに事をなし、しかしそのすべてが正しく終わる。
究極の優等生。それが、紅眼莉音という少女である。

◆◆◆

紅眼莉音は正義である。

「すごいね、莉音ちゃん! また警察に感謝状貰ったんだって?」
「大したことないよー。やらなきゃって思ったら、なんか身体が勝手に」

えへへ、と嬉しそうな顔をする莉音。
周りに群がり、ヨイショと彼女を持ち上げる周囲の人々。
これが、日常の光景。
いつも、いつまでも街の英雄。それが、紅眼莉音という少女である。

◆◆◆

そして、紅眼莉音は――殺人鬼である。

「こんにちは、お兄さん。一つ質問させてもらってもいいかな!」

東京都内の路地裏、少女が男に声をかける。
互いに面識はない。ただの中学生くらいの少女と、普通のサラリーマンの男である。
ただ、一つだけ異質なことといえば――少女の衣服が、少し黒ずんだように汚れていること、だろうか。

「…………?」

怪訝そうな顔をしながら、男はおずおずと振り向く。
善良そうな、ごくごく普通の男。
ぴっちりと決まった真新しいスーツ。
おそらく最近買ったであろう奇抜なネクタイ。
磨いたのはかなり昔に見える、使い古された革靴。
ところどころ擦り傷の見えるビジネスバッグ。
何度見ても、どこから見ても普通の、ごく普通のサラリーマンである。
だが、少女は揺るがない。疑問に満ちた目で、男を見つめる。

「あなたって、悪人?」

貼り付けたような笑顔で、少女が首を傾ける。
不気味。普通の人ならそう形容するのが正しいだろう。
笑みを浮かべながらも、その目には確実な殺気が籠っている。
対して男は質問の意図が理解できないようで、おどおどとしたまま少女を見たり目線を外したりを繰り返す。

「……言えないかぁ。まあ、そうだよね」

にへら、と殺気を持ったまま無邪気に笑みを浮かべる少女。
――刹那。少女の姿が揺らぐと共に、男の顔を少女の腕が掴み上げる。

「……っ!?」
「もう一回だけ聞くよ? あなたは悪人?」

冷酷な眼。
燃えるような真紅で、しかし感情のない冷たい眼。
それを男に向けながら、少女は尋ねる。

「あ、っ……!?」
「逃げても無駄だよ? 早く、答えて?」

じたばたと、もがくようにして逃れようとする男。
無駄だ。魔人の腕力に、ただの人が抗えるはずもない。
そう、少女――紅眼莉音は魔人である。

「……そっか。答えないならそういうことだよね。それじゃばいばい、名前も知らない悪人さん」

莉音が、ゆっくりと手に力を入れていく。
ぎしり、と何かが軋む音がする。
ぐしゃ、と何かが砕ける音がする。
びちゃり、と何かが飛び散る音がする。
それが何の音なのか、紅眼莉音は興味を持たない。
白い破片が散乱する。
赤い液体が辺りを濡らす。
ピンクの臓物が地面に落ちる。
それが何を意味するのか、紅眼莉音は興味を持たない。
だって、私が間違っているわけがないんだから。
だって、私は正義なんだから。
頭が砕けてもやめない。
腹を開いて右肺を抉り取る。
心臓を踏みつけながら左足を捥ぐ。
そのあたりの石を身体中に詰め込む。
身体中の部位という部位を、元の姿が分からないほど壊し尽くす。
正義は正しい。正義は絶対。私もまた、絶対。
私がここまでするのだから、この人間はきっとそういう人間だったんだろう。

「ふぅ、お仕事終了」

血が垂れる右手をだらりと下げると、男だった肉塊が地面に崩れ落ちる。
……今日も1人、悪人を殺した。
正義の仕事。英雄の仕事。
悪を倒し、悪を滅する。
必要悪など存在しない。絶対悪など存在しない。
だがこの世には――絶対正義(・・・・)は存在する。

「今日も莉音ちゃん、大勝利ー。いぇい」

解体し終えた死体を横目に、道端の監視カメラに向かって少女はピースサインを送る。
堂々とした出で立ち。何の後悔もない姿。当然である。彼女は正義なのだ。
正義が悪を滅したとして、何の不都合があるというのか。
そう。正義はこの世に必要なのだ。
いつだってそうだ。正義は絶対であり、世界に求められる。
正義があれば、悪を倒すことができる。
そして、私は選ばれた。生まれながらにして、育ちながらにして、正義の執行者になった。
私が正義だ。正義は私だ。これが、世界の理だ。
私が為すことはすべて正しい。私は何も間違えない。目的も。方法も。私が行うすべてのことは正義であり、間違うことなど決してないのだ。
思えば、これまでどれだけの悪を殺してきたことだろう。
道端を歩いていた、他国のスパイの男。いつものように殴りかかって殺した。
レストランで食事をしていた、テロリストの男。手に持っていたナイフで滅多刺しにして殺した。
海水浴をしていた、反社団体の女性。石を括って沿海に沈めて殺した。
高速道路でドライブを楽しんでいた、化学兵器の製造者。車ごと下に叩き落として殺した。
全国で詐欺を繰り返していた大学生の少女。頭をまるごと砕いて殺した。
麻薬の密売をしていた、友達の父親。友達の前で、壺で殴りつけて殺した。
世界を滅ぼす計画を進めていた、善良な科学者。内臓すべてを抉り出して殺した。
患者を実験材料にしていた、国家権威の医者。ホルマリンに沈めて殺した。
もはや、数えればきりがないほどの悪を、彼女は殺してきた。
きっと今回の男も、実は大量殺人鬼だったりするんだろう。
私が殺した人間は、皆悪人だった。たった一つの例外もなく。すべてがすべて。
そう。私は絶対に間違えない。私が正義で、私が英雄なのだから。
少女はクスリと笑い――ふと、胸元に手を伸ばす。

「ねぇお父さん、私、上手くやれてるでしょ?」

胸ポケットからひょいと眼鏡を取り出しながら、血濡れの少女はぽつりと呟く。
血に濡れた、少し小さな眼鏡。父親の遺品。
……己が殺した(・・・・・)、父親の遺品である。
彼女の初めての殺人。彼女の初めての正義。
……殺した後に知った事だが、父親は汚職の常習者だったそうである。
それでも、莉音にとっては唯一で特別な、大好きな父親だったのだ。
悲しいが、悔いはない。父のおかげで、今の自分がいるのだから。
絶対正義。必要正義。それが、今の私だ。

「さーてと。しんみりしちゃいけないか。今日はノルマが思ってたより早く終わっちゃったし……ご飯でも食べに行きますか!」

すたすたと、少女は表通りに足を踏み出す。その姿に、周囲の人が驚く様子もない。
後ろの死体達は見向きもせずに。後悔の念も何もなく前へと進む。
これで構わない。これが私。これがこの世の真なる正義。
この世の中で、唯一無二に、彼女は正義なのだから。
そう、悪の中にあって正義であり続ける者。それが――それこそが、紅眼莉音という少女である。
最終更新:2019年11月30日 12:19