「1つ、皆に問おう。殺人鬼、いや……人を殺す全ての人間が、人を殺す時最も大切にしなければならないものとは、なんだろうか?」
 ヨレヨレのコートを着込んだ白髪交じりの男は、廃墟となった市民館に集まった若き殺人鬼達に問いかける。芯の通った、力強い声で。
「長きに渡る修練の末手に入れた、卓越した技術だろうか? 違う。確かに重要なものではあるかもしれない。だが一番ではない」
 カツカツと足音を立てながら、男は小さな壇の上を右へ左へと歩く。背筋をピンと伸ばし、その鋭い眼光で若者達の目を一人一人覗き込む。
「では、洗練された武器だろうか……? いや違う。拳、刀、銃。槍に斧にロケットランチャー……この世に武器は数あれど、それだけで人は殺せない。武器もまた重要だ。だが、やはり一番には成り得ない」
 男の言葉に徐々に熱が籠っていく。これから苦難の道を征く若者達に、男は伝えなければならない言葉がある。
「ならば、完璧な作戦を練るための頭脳か? それとも突如として襲い掛かる脅威に反応するだけの反射神経? 如何なる時も冷静に行動するための胆力か? それとも生まれつきの才能か。あるいは魔人となって強力な能力を得る事か? 違う!!」
 声を張り上げ、男は拳を壁に叩きつけ。改めて男は若き殺人鬼達を見回した。
「では……答えを言おう。人が人を殺す時、最も大切なもの。それは……」
 男は大きく息を吸い込み、
「それは……殺る気だぁあああああああああああああああああッ!!!!!」
 あらん限りの叫びを上げた。同時にその全身から溢れだした殺る気が、速やかに室内に満ち満ちていく。
「技術を磨く、武器を鍛える、作戦を練る、実に素晴らしい!! 恐らくそれを続ければもっと強くなれるし、今よりもっと人を殺せる様になるだろう!! だが!!!」
 男は強く強く拳を握りしめ、若者達に投げかける。
「どれほど技術があろうと、どれほど優れた武器や作戦があろうとも! いつだって重要なのは殺る気だ!! 殺る気があれば女子供であろうとスプーン一本で人は殺せる!! しかし殺る気がないのであれば、刀を持った屈強な男だろうが人を殺す事など出来やしない!! 技術も武器も作戦も、動機すら何だっていい!! 大切なのは人を、目の前の相手を殺したいという強い思い、殺る気なんだ!!」
 一気にまくし立てた男は、一度深呼吸をした。室内に満ちていた刺々しい殺る気が、徐々に弛緩していくのを若者達は感じ取る。
「ひとつ、昔の話をしよう……私の胸に刻まれた、この傷跡の話だ」
 男はコートを脱ぎ捨て、黒いシャツを捲り上げた。そこには確かに、遠目からでもハッキリと視認できる、いくつもの大きな傷痕があった。
「あれは数十年前……私が殺る気使いの殺人鬼となってからそう年月も経っていない頃の話だ。私はとある、当時有名だった格闘家一家の邸宅を訪れ、そして手当たり次第に殺して廻った。歯応えのある相手を殺したいだのと、青臭い事を考えての行動だったが……当時の私は満足出来なかった。驚く程あっさりと殺せたからだ。恐らく、彼らが殺る気を出して闘ってくれれば、私が望んでいた通りの展開になっていたのだろう。だが、そうはならなかった」
 何故か? 当然、彼らに殺る気が足りなかったからだ。試合と死合いは全く違う。闘いを挑んでくる所か、恐怖に顔を歪め逃げ惑う彼ら一家に、男は心底失望したのだという。もしかしたら魔人の1人や2人いたかもしれないが、気づきもしなかったのだと。
「だが、そんな中……一人だけ、私に向かってくる男がいた。子供だった。その時の私にとっては余りに小さな存在だったが故に、気にも留めていなかったのだろう。だが名も知らぬあの子は、食卓においてあったテーブルナイフを手に取って、父親らしき男の顔面を潰していた私に飛び掛かってきたのだ。先程の私の怒号など軽く凌駕する、鬼神の如き叫びを上げて」
 その叫びの根源は家族を目の前で殺された事に対する怒りか恨みか、もしくは自分も殺されるのかもしれないという恐れという名の感情だったのかもしれない。
「しかしそれが何であろうと……あの時の子供は、私がこれまでの人生で見てきた中で最も強く、最も美しい殺る気に溢れていた。正直に言おう、あの時私は、恐怖した。小さな子供相手に、だ。圧倒的な殺る気に私の身体は硬直し、そして為されるがまま、何度も何度もナイフで胸を抉られた。それがこの傷痕だ」
 目を瞑り、男は当時の情景を思い返す。身がすくむ様な叫び声、鬼気迫る表情、迷い無く何度も振り下ろされるナイフ。今思い返しても思わず男の身は震える。
「それからの事ははっきりと覚えていないが……私はどうにかして逃げ延びた。あと一歩で本当に死ぬ、といった所でな。その子供を殺す、などという考えは思い浮かびもしなかった……その一件を経て、私は本当の意味で理解したのだ。人が人を殺す時、最も大切なのは、殺る気なのだと。その教訓を忘れぬため、私はあえてこの傷を残しているのだ……ある意味あの子供は、私にとっての師と呼べるのかもしれないな………………いやいや、すまないね。歳を取るとつい自分語りが長くなってしまう」
 男は衣服を整え、コホンと咳ばらいをした。
「まあ、長々と語ったが要するに私が言いたいことは唯1つ……人殺しよ、殺る気を抱け……以上だ。これにて講演を終了す――」
 バァァァアアン! と、男の言葉を遮る様に廃市民館の出入口が荒々しく開け放たれた。男と、男の講義に聞き入っていた殺人鬼達が一斉にそちらの方を向く。
「ようやく見つけたぜ、榊原光太郎!! 大人しく降伏しやがれ!! いややっぱ降伏しなくていいや死ね!!」
 そこに立っていたのは、2人の男だった。1人は巨大な斧を抱えるやせ細った男。もう1人は全身を分厚い毛皮で覆った、人型の獣の様な男だ。扉を蹴破り怒声を上げたのは後者の方だ。

「ああ、その、なんだ……どちら様かな? 警察か? いや違うか……もしや賞金稼ぎかな?」
 先程まで講義を行っていた男、榊原は穏やかな口調で問いかける。対する獣人間は、その口元をニヤリと歪めた。
「ああ、その通りだよ榊原。テメェは闇雲に殺しすぎたんだ……公安、どこぞの金持ちのご子息様に、海外マフィア。おまけに国家転覆を図る秘密結社だかなんだかと……てめぇの首を欲しがってる連中はいくらでもいるんだ」
「そうか……でもそれは随分昔の話だ。私も歳を取った。動きにもずいぶん衰えが来ているし、昔ほど人も殺しちゃあいない……先週だってたったの11人だ。今更必死こいて私の様なじいさんを殺す必要も無いだろう? なあ?」
 榊原の口調は変わらず穏やかなままだ。しかしその全身からは、にわかに殺る気が滲み出し始めている。
「そんなん知るか。大事なのはテメェの首には未だ賞金がかかっていて、俺たちは金が欲しい。だから――アン?」
 獣男と斧の男が一歩建物の中に踏み入ると、講義を受けていた殺人鬼達が一斉に立ち上がる。そしてそれぞれの殺る気を込めた視線で賞金稼ぎを睨みつける。
「やめろ」
 そんな若き殺人鬼達を、榊原は一言で制した。そして壇の上から軽やかな動作で飛び降りると、真っすぐと賞金稼ぎ2人に近づいていく。
「この2人の邪魔をするな。見たまえ、彼らの目を。その動機は金かもしれない。あるいはただ単にもっともらしい理由で人を殺したいだけなのかも……しかしそれでも、彼らは私に純粋な殺る気をぶつけている。殺る気使いとしては、受けない訳にいかない。だから、邪魔をするな」
 榊原の言葉に気圧される様に、殺人鬼達はゆっくりと壁際に後ずさっていく。
「ヘッ、どうせなら皆殺しにしても良かったんだがなァ? テメェみたいなクソを信奉するクソ共だろ? なにか『榊原光太郎の殺る気講座』だ……気持ち悪ぃんだよ、人殺し共が馴れ合いやがって……」
「馴れ合ってるつもりはないさ。ただ私は、世の中がもう少し楽しくなれば良いと思ってるだけだ」
「テメェ自身が、の間違いだろ?」
「そうかもな」
「そうなんだよ。あと、あぁ、アレだ……もうめんどくせぇや。死ね」
 獣男は唐突に会話を打ち切ると、凄まじい勢いで爪を振り下ろした。榊原は咄嗟に後ろに跳躍し爪を回避し、そのまま爪は古ぼけた木の床を粉々に砕いた。
「ケケケケケケケケケケケ」
「おい、君の相棒の方が余程気持ち悪いぞ」
 獣男に続くように、これまで押し黙っていた大斧男が榊原に飛び掛かる。そしてクネクネと不気味に身をよじりながら、一心不乱に大斧を振り回す。
「仕方がない……特別講義の時間だ」
 榊原は自らに宿る殺る気に意識を集中させる。そしてそれを瞬時に両腕に纏わせ、硬化。一瞬遅れ振り下ろされた大斧を、殺る気を纏った腕が受け止める」
「クッ、重いな……」
 殺る気に阻まれ、鋭い刃は腕に届かない。しかしそこから伝わる衝撃は、榊原の腕を僅かに痺れさせるには十分で、榊原は数歩後ずさった。
「ケケ、ケ、ケ、グ、グバァアアア!!」
「ッ!! なんだ!?」
 奇妙な水音が混じった雄たけびと共に、大斧男が口を開く。そこから飛び出た黄緑色の液体が、榊原の眼前に迫る。
「チッ……殺る気、ウォーーーール!!」
 超格好いい技名と共に榊原が両腕を交差させると、榊原の眼前に殺る気で出来た赤黒い壁が出現する。寸での所で弾かれた黄緑色の液体がビチャビチャと床に垂れると、触れた先からドロドロに溶かしていく。
「ゲロが強酸の魔人か。やはり気持ち悪いな」
「俺もそう思うぜオラァアアア!!」
 更に榊原へ接近する獣男が二度、三度と爪を振り下ろす。再び榊原は両腕に硬化させた殺る気を纏わせこれを弾くが、畳みかけるように大斧でゲロの男が迫る。
「近づくなゲロ男!!」
 あからさまな嫌悪感を滲ませ、榊原は右拳に殺る気を収束させていく。そして不意に身を屈め獣男の爪を回避すると、天井ギリギリまで一気に跳躍する。
「殺る気、キャノン!!」
 そして榊原はゲロ男目掛け拳を突き出した。次の瞬間、拳の先から砲弾の如く放たれた殺る気の塊が、ゲロ男の腹を強かに打ち付けた。
「グビャアアアアアアア!!」
 仰向けに倒れこむと同時に、口の中に溜め込んでいた強酸ゲロを天井目掛けて吐き出すゲロ男。吐き出されたゲロは汚い弧を描き、倒れこんだゲロ男の顔面に降りかかった。
「ギャ、ギギャ、ギギャアアガアアガガガガアアアアア!!」
 ゲロ男は顔面を手で抑えながらジタバタと暴れまわる。しかし程なくして抑えていた手がドロドロに溶け落ち、前半分が溶けたゲロ男の頭部が露わとなった。もうゲロ男は動かないし、二度とゲロを吐く事もないだろう。
「死んだか。最期まで気持ち悪い男だったな、お前の相棒」
「相棒って言うな。唯の仕事仲間だ。元」
「ちなみに彼の名前は?」
「田中・ウィリアムズ・義孝だ」
「へぇ」
 気の無い返事と共に、榊原は獣男にも殺る気キャノンを放つ。が、これは軽々と回避される。
「全く滅茶苦茶しやがるぜ……テメェはクソだが、テメェが使う殺る気ってのは随分便利な代物だ」
「君にも素質はある。今からでも手を取り合って殺る気道を極めてみないか?」
「うるせぇ死ね。もうコレで終いだ」
 獣男は後ろ足にウィリアムズの死体を飛び越え榊原との距離を取る。そして甲高い獣の遠吠えを上げると、その全身がみるみる内に膨れ上がっていく。
「む、何やら面倒な気配……さっさと殺すか」
 榊原は二度、三度と殺る気キャノンを撃ち込む。それらは確実に膨れ上がる獣男の身体に命中するが、ビクともしない。
「やるな……私の殺る気キャノンを受けてほぼ無傷か。礼儀を込めてバケモノとでも呼んだ方が良いか?」
「アァそうだな。代わりにテメェの事を老いぼれ面白クソ野郎と呼んでやるよ」
「ネーミングセンスがあるな」
「テメェ程じゃねぇよ」
 そして人型の獣は、四つ足の本物の獣と化した。その巨体はこの廃公民館においてはやや窮屈に思える。元の姿でなければ扉はくぐれないだろう。
「ガァアアアアアアアアアアッ!!!!」
 獣は跳び、薙ぎ払う様に巨大な爪を振るう。先程の姿も中々のスピードであったが、その比ではない。
「グァッ……!!」
 その一撃を捌くことは出来ず。榊原の腹を獣の爪が深々と抉った。かなりの出血を伴う大傷だ。
「ギャハハハハハハハ!! 老いさらばえたってのは本当みてぇだなぁ!! オレの小遣い稼ぎの為に、死ねやぁああああああああ!!」
「…………ッ!!」
 痛みによって集中が途切れ、殺る気のコントロールがおぼつかない。しかしそれでも榊原は必死に横に跳び、再度放たれた獣の爪を回避する。
「さ、榊原さん……!!」
「手を出すな!!」
 榊原の危機にどよめく、何故か彼を慕う若輩殺人鬼達。だが榊原は助力を拒否する。
「……いいだろう、見せてやろう。私の、殺る気スイッチをな」
 榊原は後頭部に手をやると、カチリ、とそのスイッチを押した。榊原・光太郎の魔人能力『殺る気スイッチ』。人間誰しもが持ち、圧倒的な感情の爆発や、間近に迫った生命の危機に際して無意識にオンになるといわれる殺る気スイッチ。その在処を目視し、手で押す事で強制的にオンオフを切り替える事が出来る魔人能力である。
 瞬間、榊原の全身に溢れんばかりの殺る気が満ちていく。殺る気。殺意。人を殺したいという純粋な思い。それは榊原にとって何よりの武器である。
「死ねヤァあああああああああああ!!」
「貴様が死ねェえええええええええええええええええええええ!!!!!!」
 巨大な獣が榊原に飛び掛かり、榊原もまた獣に飛び掛かった。交差する様に放たれた爪と、殺る気を纏った鋭いアッパーカット。爪は榊原の頭上僅か数センチ上を掠め、榊原の拳は獣の顎先を打ち上げる。
「ガァッ!!」
 獣の巨体が揺れる。しかし獣の殺る気は衰える事も無く、すぐさま榊原に二撃目を繰り出さんとする。
「殺る気、ブレード!!」
 だがそれは叶わなかった。殺る気に満ち溢れた榊原のスピードは、かつての全盛期と同水準に達していた。その凄まじいスピードに乗り、榊原は殺る気によって練り上げた鋭い二本の刃を、獣の両前足に勢いよく突き刺し床下まで貫通させた。
「グァアアアアアアッ!! テメェエエエエエエエエエッ!!」
「終わりなのは貴様の方だったな。あの世でウィリアムズと仲良くやれよ」
 そして榊原は、床に転がっていたウィリアムズの大斧を取り、振り上げた。両前脚を床に縫い付けられた獣は、一瞬回避行動を取るのが遅れてしまった。
 その一瞬で、榊原は大斧を一気に振り下ろす。どうやらウィリアムズは斧の手入れはちゃんとしていた様で、綺麗に研がれた刃は獣の巨大な首を小気味よく切り落とした。
 ゴトリ、と獣の首が床に転がり落ち、その断面から噴水の様に血が飛び散った。ゆらりとその巨体が横倒れになり、名も知れぬ獣は二度と動かなくなった。
「…………と、言った具合に。殺る気はこの様な危機的状況においても約に立つのだよ。分かったかな? アイタタタ……あ、スイッチ切らないと」
 腹部にアイタタタでは済まない程度の傷を負った榊原は、殺る気スイッチをオフに切り替えよろよろと廃公民館の出入口へ向かう。
「これで、今日の講義は終わりだ……私は野暮用……というか治療しないといけないからこれで失礼する……」

 廃公民館を後にした榊原は、片手で傷口を抑えながら行きつけの闇医者の居所へ向けて車を走らせていた。
「分かってはいた、事だが……老いというのは残酷なものだ……まさかあんな奴に後れを取るとは……」
 魔人能力がなければ、恐らく死んでいた。榊原は少なからずその事実にショックを受けていた。
 そんな時、何気なく付けていたラジオのニュース番組から、とある興味深い情報が流れてくる。
「まだ見ぬ殺人鬼達、か…………ふむ」
 凄惨かつ残忍。残忍にして非道。非道にして、享楽的。東京都内で頻発しているそんな殺人事件の数々と、殺人鬼達の情報が。
「面白い、な……ふむ、実に面白い……ハハハ、どいつもこいつもイカレている……ふふ、ふふふ……やはり殺人鬼とはそうでなくては……!! どうやらまだ隠居するには早い様だ……!!」
 思わず零れ出た笑みと共に、榊原は先程まで燻っていた自らの殺る気の高まりを感じていた。
「是非この目で見てみたいものだ……彼らの手口を……そして、出来る事なら……」
 この手で、殺してみたい。
 榊原はまだ見ぬ殺人鬼達に思いを馳せ、心を躍らせるのであった。
最終更新:2019年11月30日 12:38