月の綺麗な夜。冬の東京を徘徊する一人の男の姿があった。
男の名は、斎藤 益良雄。魔人警官である。
徘徊と言うと聞こえが悪いが、ようするに最近何かと物騒な街の見回りである。
深夜は見回る警官が少ないが、益良雄のように警備をしている者がいない訳ではなかった。
「ふむ、異常はなさそうだな」
見回りをしながら独人呟く。街を出歩くものは一人もおらず異常など起きようがなかった。
……もっとも、深夜とはいえこの大都市に人が一人しかいないという自体がある意味異常かもしれないが。
それでも、人がいない以上は見回りも張り合いがない。そろそろ交番に帰ろうかと考え始めたころ、
「こんばんは。良い夜だな、おまわりさん」
一人の少女が目の前に現れた。
*
それは、黒い男物のジャンパーに黒いスカートという、だいぶ変わった格好をした少女だった。
黒い格好に白い肌が映え、整った顔立ちはとても優雅にも見えた。
それなのにどこか怖くも感じるのは、その鋭い瞳ゆえだろか。その瞳にまっすぐに見つめられるとこちらも目が離せない。
勇ましさと美しさの融合した、見事なたたずまいをした不思議な雰囲気を放っている。
綺麗な月夜というシチュエーションと相まって、思わず少女に見惚れそうになった益良雄だったがすぐに気を引き締める。
相手は格好といい見た目の幼さといい、どう見ても学生という年齢だ。
そんな年齢の少女がこんな深夜を出歩いているのだから、当然注意をするため―――ではない。
今、この街に夜遊びをする学生はいない。最近何故か多発している殺人事件から出歩いてはならないという国からの命令が発令されているからだ。
当然、最初の数日は破って出歩く者も多くいた。
だが、数日たって死者の数が減る―――どころか増え続けている現状。もはやその命令を守らない者はほとんどいない。
多くの人間は命が惜しいのだ。
故に、今街を徘徊しているのは、益良雄のような一部の魔人警官か、命知らずのバカか、自殺志願者か、あるいは―――
殺人鬼本人。
見た目から、益良雄と同じ魔人警官ではないことは分かる。となると、残りのどれであっても気を抜いてはならない相手だ。
「……こんな時間に何故出歩いている」
警戒を厳に、相手を威圧するくらいの勢いで益良雄は少女に語り掛ける。
「なんでって、散歩だよ、散歩。こんなに月が綺麗な夜なんだ。出歩かなきゃもったいないぜ」
だが、そんな益良雄の威嚇などどこ吹く風で少女は軽く答えながら一歩益良雄に近づく。
「動くな」
益良雄はさらに声を低くして警告する。
少女の雰囲気から、ただ者ではない事は存分に伝わってくる。だが、あまりにも殺気も警戒心もない。
だからこそ、益良雄は警戒を強めた。何度でも繰り返すが、今この町は異常事態が起きている。
異常事態が起きている街で、こんなにも自然な存在は、間違いなく異常なモノだという事だ。
「なんだよ。つれないね、おまわりさん。小粋なトークは苦手かい?確かにあんた、堅物そうだからな」
そういうと少女は、自然な素振りで―――ナイフを投擲してきた。
突然無から出現したナイフ。完全に突かれた虚。あまりに自然な動作故に送れる反応。
それでもギリギリで対応出来たのは警戒心を最大にしていたためである。
自身の目の前まで来たナイフを益良雄が右手で弾くのと―――
「じゃあな。縁があったらあの世で会おうぜ」
間合いを詰めた少女がもう一本のナイフを益良雄の心臓に突き立てようとするのはほぼ同時だった。
*
「…………はっ?」
少女は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
必殺の動きだった。自分のナイフは目の前の男の心臓を穿ったと確信していた。
だが、実際には男の胸に―――胸筋によってナイフが防がれていた。
「ふ、ふっふっふっふっふ。無駄だぞ、小娘よ。そんな非力さでは、我が黄金鎧」を貫くことはできない
対照に、ナイフを突き立てられた男、益良雄は不敵な笑みを浮かべる。
『黄金鎧』、それが益良雄の魔人能力である。
能力の内容は単純明快、常人の、否常魔人の数十倍の筋肉の鎧によって相手の攻撃を防ぐ。それだけのものだ。
「なんだよそれ!」
少女は間合いを取りながら、さらに別のナイフを投げつける。だが、それも筋肉の鎧によって弾かれた。
「いやいや、確かに動きには驚いたが、実際に攻撃を受けてみればなんてことはない。ただの小娘だな」
そう言いながら、先ほどとは逆に益良雄が間合いを詰めると、全力で警棒を振り下ろした。
少女はそれをあっさりと躱したが、直後に戦慄する。
少女が避けたことでただの警棒の振り下ろしが道路に突き刺さり、アスファルトが粉々に砕け散ったからだ。
「おいおい、洒落になってないっての」
攻撃力も防御力も自分とは段違い。そう判断した少女は、クルリと後ろを向いて逃げ出す。
もっとも、それをそのまま逃がすほど益良雄もお人好しではない。
一瞬だけ足の筋肉に力を込めると、猛スピードで少女を追いかけ始める。
「ッ!冗談、足まで速いのかよ」
初動の差で着いた距離がみるみる縮まっていく。それを見て悪態をついた少女は、悪あがきのように大通りから小さな路地に駆け込んだ。
「はっはっは!筋肉に不可能はないのだよ」
益良雄もすぐに、その月の差し込む路地へと少女を追いかける。だが―――
「……むっ、どこへ行った?」
その路地は行き止まりだった。途中には隠れられるような障害物も、通り道もない。
それなのに、確かにこの路地に入った少女の姿がなかった。
「……あぁ、なるほど。上か」
ゆっくり警戒しながら突き当りに進むと、突き当りの壁に小さな穴が点々と空いていた。
あの少女はナイフを大量に持っていた。おそらく、ナイフを壁に突き刺してこの壁を登ったのだろう。
「ふっ、だが無駄な事よ。こうして穴が開いているのならばそれに手を掛けられる」
そう言って、ボルダリングの要領で壁を登ろうと一番下の穴に手をかけた時―――路地に差し込んでいた月の光が遮られた。
*
『斬馬刀』という刃物がある。馬に乗る武将を、馬ごと鎧ごと真っ二つにするために生み出された巨大な質量兵器だ。
だが、デカすぎるそれをまともに振るえる者はおらず、実戦でまともに運用されることはなかったという。
―――自分の生み出した”それ”を、少女は『巨人の小刀』と呼んでいる。
史実にある斬馬刀よりさらに大きく、重く、分厚いそれを、当然少女はまともに振るうことはできない。
彼女がその兵器を使って出来るのは、ただ上に掲げるように生み出して、対象に向けて振り下ろす。そのワンアクションだけだ。
単純なワンアクション故に、通常なら回避は容易だ。だからこのナイフは使う場所を選ぶ。
そう、例えば―――回避する場所の無い狭い路地などでだ!
「う、うおおおおお!!!!!!」
自身に向けて振り下ろされた巨大な質量を、しかし益良雄は両手を頭上で交差することで防ごうとする。
ミシミシと筋肉と体全体が悲鳴を上げる。踏ん張る地面のアスファルトが割れる。いやな汗が背中を流れる。
「頑張れ頑張れ。やれるやれるやれる。お前は出来る奴だ。愛する妻も子も待っているんだ。こんなところで終わる男じゃないだろ益良雄!
そうだ、この程度筋肉を苛め抜く普段のトレーニングを比べれば軽いものだ。大丈夫大丈夫。まだまだ行けるよ。ほらあと一息。ここで男を魅せて!!
筋肉があれば何でもできる。ほら、お月さまも見てるよ。キレてるキレてる。いい感じだよいい感じ。絶対止まる。自分を信じて。ほらほら!!!」
必死で自分を鼓舞する言葉を叫び続ける。その甲斐があってか、徐々に質量兵器の勢いが失われていく。
腕の筋肉に多少刃が食い込んだが、この程度ならば問題ではない。
益良雄が、相手の攻撃を防ぎ切ったと確信したところで―――無慈悲に二本目の質量兵器が振り下ろされた。
「えっ」
*
「ふぅ、化け物みたいな筋肉だったなこのおまわりさん。巨人の小刀を止めるって何だよ」
少女―――空 亜緒は自身の能力によって生み出した質量兵器に切り裂かれ、真っ二つになった男を見ながら呟く。
別に、このおまわりさんを殺したことに意味はない。だた、綺麗な月を見ていたら衝動的に誰かを殺したくなっただけだ。
何故だか、最近は血が騒ぐ。殺人衝動とでも言おうか、とにかく夜になると人を殺したくてたまらなくなるのだ。
その衝動は、別に耐えられないほどではない。事実、獲物が見つからなくて誰も殺せなかった夜もあったが、特に翌日変わりなく過ごせた。
だから、究極的に自分のこの行為に意味などない。
ただの暇つぶしと、そう変わりはない。
それでも、だからこそ覚えておこうと思った。
「……じゃ、あんたのこの指は貰ってくな」
死んだことで筋肉が弛緩し、切り取りやすくなった左の小指を亜緒はそっと切り落とす。
これは、忘れないための儀式だ。自分の暇つぶしによって命を落とした者の事を、その罪深さを、忘れないための彼女なりの儀式。
それが贖罪になるとは欠片も思っていない。これも、もしかしたらただの趣味の一環かもしれない。
それでもいいか、と亜緒は一仕事終えた後のように伸びをした。
「さて、そろそろ帰って寝るか。明日も夜は長いんだから」
そう言うと、もう益良雄に振り向くこともなく、無名の殺人嬢はゆっくりと自分の家へと帰っていくのだった。
最終更新:2019年11月30日 17:35