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フラップ・フラップ。
鳥は羽ばたきます。
薄汚れたビルの谷間から覗く僅かな空へ向かって。
路地裏に開けた空き地は建設が頓挫したマンションの建設予定地である。
駅前再開発計画の余波で古びた商店街周辺の地価が下がり建設計画は無期延期となった。
建築資材が野晒のままに捨て置かれ、生い茂った雑草に埋もれつつあった。
周囲は入居者が少ない雑居ビルに囲まれており、唯一面している通りは昼間でも人通りが殆どない。
表通りでは何かの宣伝を大音量で掻き鳴らしながら広告トラックが通り過ぎてく、煩い。
汚れたビル壁にもたれる様に泥酔した中年のおじさんが座り込んでいた。
小津夏美がここを通りかかったのは単純に急いでいたからだった。
両親が旅行で出かけている為、夕飯を自分で用意しなければならず。
買い物の時間を考えると少しでも早く電車に乗る必要があった。
学校から駅まではこの裏路地を通れば10分ほどの時間短縮になる。
「オゲェ~、ウェロゴベァ~」
夏美が横を通り過ぎようとした時、おじさんが立ち上がり空き地に向かって盛大に嘔吐した。
「あのう、大丈夫ですか」
人の痛みを理解できる人になりなさいという両親の教えが夏美を心優しい少女へと成長させていた。
「ああ、俺は大丈夫さ。でもこんな人気のない場所で見ず知らずの男に声をかけるお嬢ちゃんは大丈夫じゃないかもしれねえなあ」
小太りの中年であるおじさんがぐるりと体を捻ると夏美の首を掴んだ。
「痛いッ、く、苦し…」
悲鳴を上げた夏美に対して男はにやにやと笑みを浮かべて腕に力を込める。
夏美が腕を振り解こうと暴れようとするが、突如として男の吐瀉物からにゅるりと腕が伸び夏美の腕と足を掴む。
「痛いか~、ゲロゲロ。でも俺の嘔吐男(オートマン)からは逃げられねえんだよなあ」
夏美の首をへし折るほどの力を込めると夏美がガクガクと震えた。
「いいね。この瞬間。ゲロゲロッ!たあのしいなあ!」
どくん。
夏美の心臓が大きく震える。
「おいおい、俺の獲物を横取りするなんてひどい奴もいたもんだ」
今まさに夏美の首が折れようかという瞬間。
路地の先から若い男の声が響く。
「なあ“フロッグマン”の旦那!」
若い男がナイフを“フロッグマン”に向けて投げる。
「ゲロッ!?なんだァ!手前は!」
フロッグマンは夏美を嘔吐男に任せ悠々とナイフを回避する。
「ブーメラン!」
若い男が叫ぶとフロッグマンに当たらなかったナイフがくるくると回転し弧を描く様に戻りくる。
その軌道はまさにブーメラン。
予想外の軌道を描きナイフがフロッグマンの肩に突き刺さる。
「ゲロ~ッ!」
フロッグマンの顔が苦痛に歪む。
どくん。
夏美の心臓が大きく震える。
「手前は“ブードゥー・メランコリック”か!」
「イエース!宜しくゲロ男のフロッグマン!そしてさようなら、だ!」
ブードゥー・メランコリックは拳銃を投げる。
「ブーメラン!」
拳銃がくるくる回りながらブーメラン軌道を描き銃弾を乱射する。
「ゲロゲロッ!甘いんだよォ!」
吐き散らかされた吐瀉物が人型を形成しフロッグマンを攻撃から庇う。
銃弾はゲロに飲み込まれ勢いを失う。
「ゲロ!ゲロゲロゲロ!」
フロッグマンは笑いながら嘔吐を続け、嘔吐男を生成する。
ブードゥー・メランコリックは小型の斧を両手に構え投げ放つ。
「トマホゥク!ブーメラン!」
左右から回転する斧が嘔吐男を粉砕しブードゥー・メランコリックの手元に戻る。
ブードゥー・メランコリックはショルダーバックから武器を取り出し手当たり次第に投げつける。
ブードゥー・メランコリックの魔人能力「ブーメランエフェクト」は投げた物を何でもブーメランにする。
対するフロッグマンの魔人能力「嘔吐男」はゲロを人形として操る能力である。
ともに東京に跋扈する魔人
殺人鬼であり、おもに少女を狙う変態であった。
互いの魔人能力がその異能を発揮する中。
小津夏美の心臓がどくどくと鳴り響いた。
「ねえ、おじさん」
フロッグマンの背後にいつの間にか少女が立っていた。
ブードゥー・メランコリックとの戦闘の為に夏美の拘束をといて嘔吐男を戦闘に回していたのだったが。
戦闘に興じる魔人達の認識から夏美は完全に外れていた。
「人を殺すってとっても楽しいんだね」
ニコリと笑って夏美はフロッグマンの肩からナイフを乱暴に引き抜きた。
「げ、ゲロォ!?」
フロッグマンの顔が再び苦痛に歪む。
夏美はナイフを一閃する。
普通であれば百戦錬磨の魔人
殺人鬼のフロッグマンにとって。
少女の斬撃を回避するなど造作もない。
だが、しかし。
「こういう動きをされるのが苦痛なんだよね。わかるよ」
「げ、ゲロロ…」
まるでフロッグマンの動きを読んでいたようにナイフが閃きその首を斬り裂いた。
首から血を噴き出しながらフロッグマンとその人形である嘔吐男が崩れ落ちる。
「ああ、おじさんの死の痛みを感じる。喉を描き切られて息ができなくて苦しいんだね。痛いんだね。んふ!んふふふふ!」
夏美が嗤うとフロッグマンの顔が奇妙に歪む。
その顔は夏美の笑顔とまったく同じ。
「ゲ、ゲコッ…げぼッ!ゲロゲロゲロッ!」
血溜まりの中でフロッグマンが断末魔の笑い声を上げる。
「私もおじさんの気持ちが解るよ。だから、おじさんも私の気持ちが解るよね。痛いは気持ちいい、苦しいは楽しい。んふ!んふふふふ!人は苦しみと楽しみを分かち合う!」
夏美の声にフロッグマンはもう応えない。
「な、なんてことだ!楽なターゲットかと思ったらとんだ化け物だ!ははッ!殺しがいがあるじゃないか!」
ブードゥー・メランコリックが歓喜の声を上げて拳銃を投げる。
「ブーメラン!」
銃弾を不規則に撒き散らしながら拳銃が空中を舞う。
「わかるよ、人に当たると楽しいんだよね。足を狙って動きを止めたいんだよね。人が苦しむ所を見るのが楽しいんだね。わかるよ、その気持ち!」
まるで踊るように夏美がくるくると舞う。
そのダンスに合わせるかのように銃弾が足の合間を縫って着弾した。
「楽しい楽しい!まるでタップダンスのリズムみたい!人を殺すってこんなに楽しいんだ!お兄さんの喜びが私に伝わるよ」
夏美が嗤う。
ブードゥー・メランコリックもまた笑いながら斧を投げる。
「ひ、ひひッ!なんだ?この喜びは!?私の喜びじゃ!ない!ひひひ!」
ブーメラン軌道を描く斧を夏美は難なく避ける。
「お兄さんにも楽しみを分けてあげる。痛いってとってもいい気持ちなんだよ」
夏美が手に持ったナイフを自分の手のひらに突き立てた。
「おげぎゃあ!ヒヒ!アハハ!」
悲鳴を上げたのはブードゥー・メランコリックだった。
笑いながら手を押さえまるでナイフが突き刺さったように痛みに苦しむ。
「んふ!痛い!骨を避けたけれど手をナイフが貫通するってこんな痛みなんだ!んふ!んふふふふ!」
痛みに苦しむブードゥー・メランコリックを顧みる事もなく。
夏美はナイフの刺さった手を空に掲げうっとりと見つめていた。
そして。
ブーメラン軌道を描いて戻った斧をその手に掴み取ることなく。
斧はブードゥー・メランコリックの苦痛と快楽に歪む顔面を叩き割った。
「んふ!んふふっふ!頭が割れるみたいに痛い!死ぬってこんなに苦しくて」
頭を押さえながら夏美は歓喜の笑みを浮かべた。
「楽しいのね」
ブードゥー・メランコリックの武器が詰まったショルダーバックを拾うと。
小津夏美は東京の闇へと軽やかにあるきだした。
他人と苦痛と快楽を共有する能力。
苦痛と快楽の指向性で他人の行動を読み、自らの感情で他人の意思を汚染する恐るべき魔人能力。
その名は「クラック・クラック」
他人と会話しているようで自らに取り込んだ快楽との対話を楽しむ異質の魔人。
クラップクラップ。
拍手喝采、楽しい時は手を叩きましょう。
私は夜に歩き出す。
楽しい夜になりそうね。
今、私は飛び立ちます。
一羽の鳥として。
最終更新:2019年12月01日 18:18