壱之無 『無体 -MUTAI/no body-』


 新宿、歌舞伎町。

 裏路地から雑居ビルの地下へ降り、四層八階十六部屋の厳重な霊子施錠(ふういん)を超えた先に、この街の夜を支配する女王の、謁見の間が存在する。

 夜よりも暗い髪。雪よりも仄白い肌。
 月よりも煌めく瞳。花よりも赤い唇。

 指定暴力団、夜魔口組組長、夜魔口吸血(やまぐち・くがち)
 二千年近くこの国の夜を統べてきた久遠の華である。

 その美と威圧感を前にして、黒コートの男は、全く動じた様子がなかった。
 ごとり、と。男の手のひらの中から、ボウリングの玉めいたものが転がる。
 まるで皮膚から沁みだしたような、手品めいた”発生”であった。

「飲むか? エゴン・ミュラーの特別特級単一畑(オルツタイルラーゲ)だ」
「……”味”がわからない男に、ワインも何もないだろう」
「”呪い”が舌にも回っていたか。それは悪かったな」
「……仕事はした。奴のことを、話してもらおうか」

 二人の足元に転がったのは、人間の首だった。

 ここ数か月、歌舞伎町を騒がせていた魔人殺人鬼。
 身の丈に合わぬ力を得て、欲に溺れた愚か者の末路だ。

 もちろん、吸血(くがち)の手にかかれば、この程度の小物、どうということはない。

 だが、ひとたび吸血(くがち)が動けば、世界中の退魔組織が過敏に反応する。
 そのため、彼女はこの黒コートの男に、歌舞伎町を騒がす馬鹿の処分を依頼したのだった。

 そして、男は、たった一晩でそれを成し遂げた。
 吸血の目算よりも、一週間は早い解決だった。

「いいだろう、黒鬼」

 黒鬼と呼ばれた黒コートの男は、ある”呪い”を受けている。
 数年前、所属する組織を壊滅させられた時に、襲撃者から受けたものだ。
 その”呪い”をもって、男は、人でないもの……鬼となった。

 今の男は、夜魔口吸血(くがち)と、同じ側の存在だ。
 男が吸血(くがち)に望んだ報酬は、金ではなく、自らを呪った者の情報だった。

「かつて、夜魔(やま)大国(たいこく)に、人の血を啜り永遠を生きる、()なる巫女(みこ)の姉妹がいた」
「姉は、人の中で生きる道を選んだ。だが、妹は、違った。食事ではなく、嗜好としての殺戮を繰り返し、そして、永遠に自らが最強にして最凶の殺人鬼たることを望んだ」
「そのために、妹は、誇り高き吸血鬼の身を捨てた。今のアレは、体無き者。自分を殺したものに憑き、支配する、悪鬼の――」

「……昔話はいい。”奴”の性質が、知りたい」

「せっかちな男め。ならば――」

 吸血(くがち)はそのバケモノのルールを語る。

 曰く。

 ――奴は二つの”呪い”を使う。
 ――種に備わった”吸血の呪い”と、魔人能力である”無体の呪い”である。

 ――”吸血の呪い”は、B級ホラーでお馴染みだろう。
 ――ヤツに噛まれ血を注がれた……”呪い"を受けた者は、人ではなくなる。
 ――八割は屍鬼(レッサー)となってやがて腐り果てる。
 ――運よく適合した二割は、永遠を生きる吸血鬼(ノーブル)となる。

「……俺が受けたのは、それか」

 ――そうだ。だが、真に厄介なのは、”無体の呪い”だ。
 ――奴は既に精神のみの化生。自らを殺した者に潜り込み……憑依する。
 ――憑かれた者は人格と自我は一見そのまま、徐々に蝕まれ、いずれ奴そのものになる。

「……元の体のまま生き続ける、貴様とは違うと」

 ――この二千年間、最強の殺人鬼の体を渡り歩いたバケモノ。
 ――素質ある殺人鬼(こうほ)に血を与え、己に復讐させ、己の身とする化生。

 ――肉無き吸血鬼にして殺人鬼、――”無体”。
 ――貴様の巣を潰し、貴様を呪ったのは、そういうモノだ。

 夜魔口吸血(くがち)はそう、語り終えた。
 彼女はグラスから甘やかな雫を呷り、空になったそれを男へと差し向ける。

「それでも――貴様は、奴を殺すのか?」

 問いかけに、男はぎこちなく頷いた。
 錆びついた歯車が、それでも機能を果たそうとするかのように。

「……元より壊れた殺人器(サツジンキ)。できることなど、殺しだけだ」

 夜の女王は鷹揚に頷くと、グラスの中の最後の雫を呷る。
 嫣然と、残酷に。

「ならば、黒鬼。奴の他の”子”を殺せ。”吸血鬼の呪い”を受けた者は、他の”兄弟”の血を啜ることで、親に近しい力を取り戻していく。おまえが奴を殺さんと欲するなら。奴の”呪い子”の中で最強たることを、証明してみせるがいい。なに、探さずとも惹かれ合うさ。血に飢えた”呪い子”たちは、無意識に巡り合い殺しあい、その輝きを尽く奪い合う。それが宿業だ」

 その姿に、黒鬼は五年前に見た仇の面影を重ねていた。



弐之無 『無情 MUJYO/no mercy』


 新宿、歌舞伎町。
 高層ビルの最上階に横たわり、少女は得物を構える。
 レミントンアームズ社製狙撃銃 M24SWS。

 生産国、米国。使用弾薬、7.62×51mmNATO弾。
 全長1,092mm。ボルトアクション。

 ビルの多いこの街は狙撃に向かない。
 風は不規則にコンクリートの墓標の狭間を吹き抜けて弾丸を押し流し、また、斜線は容易く遮られる。

 だからこそ、()い。
 武器は、敵の予測を上回った時にこそ真価を発揮するもの。
 こんな所で狙撃などあるまいという、その固定観念こそ、その価値を最良のものとする。

 それこそが、黒星(ヘイシン)と呼ばれる少女が教え込まれた、自分(ぶき)の使い方だった。


 ☆  ☆  ☆


 血が、呼んだ。
 少女が、東京へと活動の拠点を移した理由は、そんな曖昧なものだった。
 彼女にはもう、拠って立つ、帰るべき「家」が、なかったからだ。

 少女が『黒星(ヘイシン)』と名づけられたのは、親に捨てられた先、流れ着いた大陸系の非合法組織で、殺手(ヒットマン)として育てられることになった時だ。

 組織は、善良な市民として生きることのできない外れ者ばかりが集う、掃き溜めのような場所だった。
 だが、それでも、中文さえ読み書きできれば、仲間として受け入れてもらえた。

 粗暴で短気な者が多かったが、脛に傷持つからこそ、行き場のない人間同士のつながりは、暖かかった。

 それが、五年前、蹂躙された。
 襲撃者の顔は靄がかかったように思い出せない。

 覚えているのは、炎と血。
 そして、流し込まれる『呪い』と、自分が作り変えられる感覚。

 それから、少女は、夜をあてどなく彷徨う殺人器(サツジンキ)となった。


 ☆  ☆  ☆


『11: 「新宿・夜の王」 :2019/12/03(火) 07:23:11
 黒フクロウ野郎へ-いや女か―

 『三度目』だ。

 意味は分かるな。うちのシマへ来い。お前にお似合いの相手を用意してやる。
 サシでの勝負、勝ったほうがハジキの総取りというのはどうだ? 返事を待つ。』

 胡散臭い掲示板に書き込まれたメッセージを思い出す。
 これが、他愛無い悪戯ではないと、黒星は確信していた。
 自分に流れる血が……刻まれた『呪い』が告げている。

 この街に、『奴』の気配がある。
 あの日、彼女の『家』を壊した、殺人鬼の気配が。
 ならば夜の王、とやらが差し向けた『お似合いの相手』とは、『奴』なのか。

 とくん。とくん。とくん。

 鼓動が、規則正しく律動を刻む。
 研ぎ澄まされた集中力が、渦巻く大気の動きすら手のひらの中のように認識する。

 普段ならば享楽に耽る者たちで賑わう夜の歌舞伎町。
 だが、そこに、今、動く者はほとんどいない。

 常人ならば肉眼で見通せぬ闇を黒星が苦にしないのは、五年前の『呪い』の副作用だ。
 あの日から、少女は夜目に強くなり、元から白い肌はさらに日焼けに弱くなった。

 少しでもホラーに興味がある者が聞けば、世界で最も有名なモンスターの名を思い浮かべる異常だが、あいにくと少女の人生に、そんなものを楽しむ余裕は与えられていなかった。

 スコープ越しに、黒星の瞳が、人影を捉えた。

 ――ど く ん。

 少女の鼓動が、大きく跳ねる。

 固定倍率10倍のM3スコープの向こうにいるのは、黒コートを身にまとった大柄な男。

 血が煮え立つ。アレは、獲物であると。
 アレを殺せば、おまえはさらなる高みへ行けると。
 理屈もなくただ本能として、黒星は認識していた。

 彼我の距離。重力による弾丸の降下。湿度。風向。風速。
 脳裏で全てを積算すること7コンマ2秒。

 狙うは胸。相手の技量がわからない以上、ヘッドショットは望まない。
 確実に体幹の中軸を狙い、回避行動を織り込んだうえでヒットを重視する――。

 ――トリガーを、引いた。

 初速868m/秒の弾丸は、一直線に黒コートの肩口を貫いた。

(――気づかれた!)

 なんという反応か。
 殺気を気取ったか、銃声を聞きつけたか、それともそれ以外の超常的感覚によるものか、黒コートの男は即座に身を捻り、内臓の集中する胸、腹の被弾を避けたのだ。

 黒星は狙撃銃から手を離すと、即座に地を蹴った。
 着弾の瞬間、黒コートの男が、サングラス越しに、確かにこちらを向いたのを視認したからだ。

 銃を屋上に置いたまま、黒星は屋上のフェンスを乗り越え、隣のビルへと跳躍する。
 跳躍。跳躍。さらに跳躍。

 並の人間であれば落下死間違いなしの高度をものともせずビルとビルの間を跳び、黒星は予め調べていた第二狙撃地点へと移動する。

 ――『灰色の武器庫』。

 黒星は、虚空から出現した、二挺目のM24SWSを構えた。
 これが、少女の魔人能力。
 自分の周囲に位相のずれた異空間を展開し、そこから自由に武器を出し入れするものだ。

 この能力により、彼女は狙撃銃のような取り回しの悪い武器と機動性を両立することができる。

 少女はスコープ越しに、黒コートの動向を確認する。
 黒コートは第一狙撃地点、最初に黒星が弾丸を放ったビルの傍まで辿り着いていた。

(速い……!)

 だが、黒星の驚きは、直後、さらなる驚きに上書きされた。
 男は、あろうことか、数メートル垂直に跳躍すると、ビルの側面に、鉄骨を突き立て、それを足場に降り立ったのだ。

 鉄骨。唐突に発生したそれは、間違いなく、男が元から担いでいたものではない。
 黒星の目が……用意したスコープが狂っていなければ、それは、男の足の裏から生み出されたように見えた。

 男の右足裏から生えた鉄骨が、まるでケーキにナイフを入れるようにすんなりと、ビルの壁に突き刺さったのである。

 跳躍と同時に左脚から発生させた鉄骨をビルの側面に差し込み、それを足場にして跳躍。
 跳躍と同時に右手から発生させた鉄骨をビルの側面に差し込み、それを足場にして跳躍。
 跳躍と同時に左手から発生させた鉄骨をビルの側面に差し込み、それを足場にして跳躍。
 跳躍と同時に右足から発生させた鉄骨をビルの側面に差し込み、それを足場にして跳躍。

 都合、五度。
 鉄骨を急造の梯子にして、男は見る間に、黒星の第一狙撃地点に辿り着いた。

 そして、置き去りにされた、一挺目のM24SWSを手に取り――1,092mmの狙撃銃が、滑り込むように、男の手のひらへと、吸い込まれ、消えた。

(魔人能力者――しかも、同系統能力(しゅうのうけい)!)

 黒星は即座に判断する。
 あの跳躍力。狙撃への反応。そして鉄骨や狙撃銃を体内に出し入れする異能。
 いずれをとっても、危険極まりない殺手だ。

 狙撃態勢より、諸条件を再計算。
 今回は相手もビルの屋上。
 ビル間を暴れる風を計算しなくてよい分、好条件。

 しかも、相手は、屋上に置き去りにした狙撃銃を見ている。
 二度目の狙撃への警戒感は薄れているだろう。

(今度は、殺る)

 一発目は風上からの狙撃だ。安定はするが、黒コートが獣じみた嗅覚を持っていたならばそれで気づかれた可能性がある。

 だからこそ今度は、風下から。
 狙うは心臓。距離からすれば先程の反応速度でも回避しきることはできまい。
 手傷は確実に負わせる……!

 トリガーを、引き絞る。
 瞬間。

 男の姿は、突如出現したボックスワゴンの陰に消えた。

(気づかれ……違う、『読まれた』……!?)

 爆発。
 当たりどころがよすぎたか、何らかの細工がなされていたのか、着弾した車両が炎上する。

 闇に慣れた黒星の瞳孔が明暗差に悲鳴を上げた。
 しかし、止まっている暇はない。
 確実に相手は狙撃を警戒し、爆破によってこちらの方向を把握した。
 ならばすぐにでもここへ……

「……"菜単"が増えたな」

 想像よりもさらに速く、黒コートのサングラス男は、黒星の立つビルへと跳び移った。

 身長は2m弱。コート越しにでもわかる、岩のような体躯。ぶれることのない体軸。揺らがない呼吸。

 黒星の中の『呪い』が告げる。
 アレが、今宵の獲物だと。

 しかし、同時に黒星の中の記憶が、訴える。
 アレは、敵ではない。『奴』でもない。
 それは、五年前、失ったはずの……

「……师傅(せんせい)


 ☆  ☆  ☆


「今日からお前は、人じゃない。人を殺すためのもの。こいつと同じだ」

 そう言って手渡されたのは、845gの殺人の道具。
 安全装置のない、どんな過酷な環境でも人を殺せる、そのためだけのもの。
 生産国、中国。使用弾丸、7.62×25mm。
 シングルアクション、ショートリコイル。

 その拳銃の名は――


 ☆  ☆  ☆


「……黒星(ヘイシン)、久しいな」

 サングラスのせいで、気づかなかった。
 いや、『呪い』による敵愾心に、目が曇っていた。
 けれど、この距離で、肉眼で、間違うはずがない。

 五年前、『奴』の襲撃によって、殺されたはずの人。
 あの日、無力だった少女に、銃と生きる術を与えてくれた男。
 彼女があるべき姿と見定め、憧れた、――最初の、『殺人器』。
 組織最強の殺手、『黒鬼』。

 それが今、黒星に銃口を向けていた。

「生きて、たんだ」
「……死にのびた、だな」

 黒星もまた、虚空から取り出した拳銃を黒鬼に突き付ける。

「香水、つけてる。女?」
「……歳のせいだ。体臭がな。おまえには……縁がないのか。羨ましい話だ」

 再会を喜び合いたい気持ちがなかったと言えば、嘘になる。

 だが、黒鬼の殺意が本物であることを理解できるほどには、黒星は一人の殺手として成長していた。

「目的は、『奴』を倒すこと、でしょ。共闘、できない?」
「……俺達は吸血鬼に”呪い”を受けたらしい。俺と貴様は、”血の兄妹”だそうだ」
「よく、わからないけど。兄妹っていうのは、嬉しい、かも」
「……”血の兄妹”同士は、”親”の唯一の後継たるために淘汰しあう。無力化し、血を啜ることで、相手の力を奪うことができるそうだ」

 ――ならば、半人前と組むより、その力を奪う方が効率的だろう、と。

 淡々と語られる黒鬼の結論。
 そこに情はない。

「『伝聞形(そうだ)』、ね」

 当然だ。二人は人を殺すモノ。

 ならば、過去に引きずられる感情など、不純物に過ぎない。
 それでも、黒星は、吐き捨てずにいられなかった。

「地下室の、大姨妈(クソババア)の、せいか」
「……稍微选择言词(ことばはえらべよ)

 右の手に拳銃を。
 左の手にナイフを。

「あの書き込みで、気づくべきだった」
「……お互いにな」

 黒のコートとサングラス。
 無骨な大男、黒鬼。

 黒のフードつきパーカーに、灰色のジーンズ。
 小柄な少女、黒星。

 対照的な体格の二人は、鏡合わせの構えでもって向かい合う。

(――师傅(せんせい)は、魔人じゃなかった。私と同じ。奴の『呪い』で覚醒した。能力が似てるのも、たぶん『呪い』のせい)

 寸分の狂いもなく、同時に、二人の黒は動き出す。
 銃撃。放たれた弾丸は互いの眉間を目掛けて飛翔し――

 黒鬼の放った弾丸は、黒星の手前数mで『消失』し。
 黒星の放った弾丸は、黒鬼の額に触れた瞬間”吸収”された。

(発動のトリガーは、接触。体内に、体積無視の物体収納。武器に限定されてない。『灰色の武器庫』より応用性高い、かも)

 地を蹴る。
 一足一手の間合いで、折りたたまれた黒星の左腕から、白刃が踊る。
 黒鬼の右腕が蛇のようにうねり、銃口が相手を狙う。
 速度自体は決して早くない。むしろ緩やかな動きにすら見える。

(けど、「取り出している」「吸収している」場所、少しずつ違う。多分、体の部位ごとに、格納できる個数に制限。自分を『棚』と認識してる。……空っぽな、师傅(せんせい)らしいな)

 内家拳の粘りといなしを応用した、息遣いすら聴こえる距離での円の応酬。

 黒鬼は恵まれた体躯のリーチで。
 黒星は小柄さを活かした速度で。

 対極の二つの円が、黒と黒との太極を描く。

「……温いな、黒星(ヘイシン)。俺は――俺達は、なんだ?」

 分析に徹していた少女の心中を読み取ったように、黒鬼は攻勢を強めた。
 殺る気のない者には、興味などないとでも断じるように。

 一つ。二つ。三つ。四つ。
 黒鬼の体内から、ナイフが、コルク抜きが、白柄の短刀が、千枚通しが射出される。

 追憶によって鈍りかけていた黒星(ヘイシン)の殺意の炉に火が灯る。
 そうだ。見に徹するなどありえない。懐旧に浸るなどありえない。
 自分が目の前の男から教わったことは、何だった?

「私は――私たちは」

 黒星(ヘイシン)を襲うナイフと白柄の短刀が虚空に溶け、消える。
 魔人能力により展開している異空間、『灰色の武器庫』への収納を応用した絶対防御。

 さらに、コルク抜きを、千枚通しを、『灰色の武器庫』から取り出した二挺拳銃の射撃で弾く。

「『殺人器”――人を、殺すモノ」

 重なる師弟の声をかき消すように、新宿の夜空に、銃声が響いた。



参之無 『無涯 MUGAI/no limit』


 黒鬼にとっても、黒星(ヘイシン)との邂逅は予想外のものだった。
 五年前、”無体”による襲撃の生存者は、自分だけだと思っていたからだ。

 夜魔口吸血(やまぐち・くがち)から、彼女のシマでの狂犬の排除を命じられたときも、そして、吸血(くがち)のインターネット掲示板での挑発に応じた書き込みを見たときも、かつて銃の構え方から教えた少女が下手人だとは、想像すらしなかった。

 心優しく、臆病な娘。
 それが、黒鬼が黒星に抱いていたイメージだった。

(……強くなったな)

 それが今、黒星は間違いなく、黒鬼と互角に打ち合っている。
 互いに、魔人能力を理解していないがために警戒しているということもある。
 だが、それだけでは、この拮抗はありえない。

(……魔人能力は、俺と同じ収納系。五年前はなかった。こいつも『呪い』で覚醒か)

 黒星は、五年前までに黒鬼から刻まれた技術を守り、破り、そこから離れた高みへと辿り着いていた。

(……技術も同じ。異能も類似。服装も相似。殺し合うにも因果な話だ)

 両手を使った攻防をしながら、黒鬼は改めて体内から様々なものを射出する。
 回避は困難。手持ちの武器による受けも不能。

 射出。手裏剣。虚空に消える。
 射出。包丁。虚空から発生したナイフに受けられる。
 射出。割れたガラス瓶。虚空から発生した短刀に弾かれる。
 射出。軍用ナイフ。虚空に消える。
 射出。ボウリングの玉。狙撃銃に弾かれ軌道が逸れる。
 射出。ボウリングの玉の陰に隠れて撃ち出された鉄アレイ。

「――ッ!?」

 身を捻り直撃は避けるが、それでも黒星の腕を高速射出された鉄塊が掠めた。

(……だが、出し入れはいずれも”武器”に限定されている。それが制約か)

 黒鬼は手にしたナイフに力を込め、黒星の刃を押し込む。

(……俺の肉体自体を”収納”する様子はない。無生物しか収納できない。この制約は、おそらく俺と同じ)

 黒鬼の魔人能力は、”無精者の収納棚(strange shelf)”。
 物体にモノをしまい込む能力である。
 質量や状態を無視してしまい込むため、物体に滑り込ませるようにも見える異能。

(……俺のナイフと拳銃を消さないのは、他人の所有物と認識しているものは収納できないからか。判断基準は、他者が接触しているかだな。生真面目なこいつらしい)

 その能力により、黒鬼は予め体内の各部位にしまい込んでいた武器をノーモーション射出できる。通常の四肢による攻防に加えた、圧倒的な手数が、黒鬼の持ち味だった。

(……奴の魔人能力で”取り出した”物体は、静止状態に限定されている? とすれば、防御には活かせても攻撃には使い難いな)

 対して、黒星の攻撃手段は、取り出した武器による攻撃。
 所有している武器の性質、総量は不明。

 ナイフと拳銃の射撃術、基礎的な体術は教えた。
 だが、先ほどの狙撃を鑑みれば、殺しのレパートリーは広がっているらしい。

 防御手段、その1。
 投擲武器及び銃弾に対しては、魔人能力による”収納”が可能。
 その後、”収納”したものを利用することもできる。対投擲・射撃武器に対しては、最強にして絶対の防御手段を持つといえる。

 防御手段、その2。
 虚空に武器を出現させ、攻撃を受け止める。

 手段、その1、その2共に、認識外の攻撃に対応して発動することはない。

 そこまで分析して、黒鬼は、一つの結論を出す。
 やはり、自分たちは、殺し合う他ない。共闘の目は、ありえないと。

(……悪くない能力だが。惜しいな)

 そんな感想を、黒鬼は欠片も表情には出すことがない。
 情動と動作の分断こそ、黒鬼が『殺人器』たる由縁である。

 二つ、黒鉄の銃口。
 二つ、白刃の軌跡。
 回る。巡る。混ざりあう。

 黒鬼がリーチで敵を突き放せば、黒星が死角より敵を襲う。

 体の大きさ。体の小ささ。
 元となる構え、動き、術理は同じながら、だからこそ対照的な動き。

 ――早く、师傅(せんせい)みたいに、大きくなりたい。
 ――手足が長い方が、有利。

 五年前、そう口にしていた少女が、今は、己の小ささをこそ武器としている。
 師である黒鬼をただ真似るのではなく、自らの殺し方を見つけた証だ。

 それが、ほんの少しだけ、黒鬼には(うれ)しかった。

 鉄と硝煙、殺意と暴力で、少女と男は語り合う。

 ――人真似は辞めたんだな。

 黒鬼は銃把を振り下ろす。

 ――自分の、特性を活かせって。

 黒星は身を低く屈めてそれを避ける。

 ――そんなことも、言ったか。

 黒鬼は、脚からフライパンを発生させ、黒鬼の脚狙いの斬を受ける。

 ――师傅(せんせい)、ひどい。割と、感動したのに。

 その攻防の間も、二人の間を、無数の武器が飛び交い、ぶつかり合う。

 収納と、射出。
 収納と、展開。

 互いに相手の武器を奪い合い、利用し合う。

 真正面からの異能と技のぶつけ合い。
 それは、殺手のそれというよりは、武道家の手合わせを思わせた。

 数秒か。数分か。あるいは、数十分か。
 高められた集中力と意志の応酬によって、二人の時間感覚が歪み始めた頃。
 その均衡は、崩れた。

 腕を横薙ぎに振るうとともに、黒鬼の左人差し指から、電柱が伸びる。

「!?」

 黒フードの少女の”能力”は、武器でないものを収納できない。
 であれば、回避か、自らの武器を展開して受けるほかない。
 しかし、携帯武器の質量では、このような巨大質量は受け止めることも攻撃の軌道を逸らすこともできない。

 ここまでの攻防で黒鬼が見出した、黒星の魔人能力の”穴”であった。

 ホームランバッターめいた電柱によるフルスイングを受け、黒星の小柄な体が吹き飛んだ。
 が、その瞬間、黒星の目に、確かな殺意が灯ったのを、黒鬼は見逃さない。

 からん。

 背後で物音。
 後ろを確認もせず、黒鬼は、背中、臀部、両の腿から、背後に向けて、廃車両、大量の土砂、大企業の会議室にでもありそうな重厚な机を展開し、即席のバリケードを作り上げた。

 爆発。爆音。
 人一人を粉砕するに十分な爆風と破片は、巨大な鉄クズと土砂、木製の支えで作られた即席の防御壁により、黒鬼を傷つけるには至らなかった。

 黒星が、投擲・射撃武器に限定した絶対防御の持ち主であるならば。
 黒鬼は、一定以上離れた距離からのおおよその物理攻撃に対して鉄壁を誇る。
 攻撃の起点が遠ければ遠いほどに、”無精者の収納棚(strange shelf)”は、体内から展開した物体による分厚い防御壁を展開できるからである。

「……射出ができないなら、巨大な質量を落下させるか爆発物を使う。妥当な判断だ」

 黒鬼は屋上を転がる黒星に追いつくと、左手首から出現させたバーベルを、少女へと振り下ろした。

 少女の足首を叩き潰すかと思ったその鉄の塊は、アクロバットめいた逆立ちによる回避で、彼女の足首を掠めるに留――

「……”無精者の収納棚(strange shelf)”」

 否。否である。それだけに留まらぬが故の、黒鬼の異能。
 ”ブラックボックス”の二つ名は、黒鬼自身の肉体が、あらゆるものを収納しうるからではない。

 彼の魔人能力の真骨頂は「あらゆるものに、乱雑に物体を収納できること」。
 丁寧に物体全てを収納すれば、その質量も大きさも無視できる。

 しかし、無精者が適当に棚に放り込むように、物体の一部だけを対象に”収納”すれば、はみ出たその部分は、本来の重さと大きさそのままに、対象を縛る枷となる。

「な……っ!?」

 足首を掠めて打ち据えるはずだったバーベルは、黒鬼の”無精者の収納棚(strange shelf)”によって一部が黒星の足に”収納”され、まるで突き刺さったかのように、少女の細い右足から半分から先が突き出ていた。

 黒星に痛みはない。
 だが、ひきはがすこともできない。それができるのは、黒鬼だけだ。
 逃れたくば、足を切り落とす他にない。

 黒星が黒鬼と互角の戦いができていたのは、リーチを補って余りあるスピードによるものだ。それがたった今、殺された。

 それでも、黒鬼は油断しない。

 左足に、石像を。
 右手に、古タイヤを。
 左手に、整地ローラーを。

 黒星が収納しえない、「武器でない道具」を射出し、動きを牽制。
 攻防の中で、黒星の反撃を避けながら、重りを少女の体へと次々に”収納”していく。

「……武器に限定した”亜空間収納”能力か」

 全身に埋め込まれた重しによって膝を突く黒星。
 その姿を見下ろし、黒鬼は静かに言い渡す。

「……だが黒星。”殺人器(おれたち)”が手にする以上、全てが、武器だろう」

 ビルの屋上、自らの立つ足元の床から、黒鬼は巨大なノコギリを取り出した。
 黒星の収納による絶対防御が、実は手持ち武器にすら効果を持つのだとしても、これならば確実に仕留めることができるだろう。

 相手の収納による絶対防御が武器に限定されているならば、武器以外の道具で殺す。
 至極シンプルな戦略だ。

 しかし、それは、黒星の魔人能力を知っている状態でかつ、相応の準備をしなければ取れない戦術である。
 偶然、黒鬼は体内に、武器とは呼べないが殺傷能力を持つような道具を大量に仕込んでいた? そうではない。調達したのである。戦いの中で、黒星の能力を看破した後で。

 どこで? 戦場で。――この、新宿の街で。
 いつ? 黒星との攻防の最中。――このビルの屋上で。
 どうやって? 魔人能力で。――事前にビルに仕込んでいたものを取り出すことで。

 体内を経由すれば、黒鬼はノーモーションで、壁や床に埋め込んだ道具をいつでも射出、展開することができる。

 これが、夜魔口吸血(やまぐち・くがち)が、新宿を戦場に指定した理由。

 あらゆる路地裏。あらゆるビル。あらゆる道。あらゆるネオン。
 この街には、そこかしこに、武器が、道具が、食料が、仕込まれている。
 乱雑に。無尽蔵に。無制限に。
 この新宿の街は全て、黒鬼という男の、武器庫なのである。

 もしも黒星が、火を苦手とするならば、可燃性の道具をそこかしこから取り出しただろう。
 もしも黒星が、機械製の義体の持ち主ならば、電撃や電磁波を放つものを取り出しただろう。
 もしも黒星が、既成の毒を得意とするならば、およそ裏社会で手にできる解毒薬で対抗しただろう。

 この街で戦う限りにおいて、黒鬼の戦術はおよそあらゆる「後出し」が可能となる。

 美麗な技はない。武錬の果ての絶招もない。
 ただ、あらゆる事態に対応するための大量の物資、武装を用意し、状況に合わせて使いこなす。それこそが、黒鬼の”殺人器”としての真骨頂だった。

「……言い残すことは?」

 両手、両足は、武器ならぬ道具を埋め込まれ、動くこともままならない。
 そんな状態で、黒星は、それでも、まっすぐに黒鬼を見上げた。

师傅(せんせい)。全力で、殺しにきて、くれた?」

 黒鬼は、わずかに目を見開いた。
 沈黙。視線が、交差する。

 黒鬼は、改めて黒星の顔を見た。
 両の瞳は、黒鬼のそれと違い、月の光を照らして暗く輝いていた。

「……ああ。これが、今の、俺の全力だ」

 黒星は、大きく息をつく。
 それは、乱れそうになる心を押さえるための、呼吸法。
 殺手として、黒鬼が最初に黒星へ教えた技術だった。

 黒鬼はノコギリを振りかぶる。
 この武器でも、苦痛を与えずに殺す自信が、彼にはあった。

 年端も行かぬ少女を殺すことは初めてではない。
 自分に懐いてくれた相手を殺すことも初めてではない。
 予行演習は、とうに済ませている。

 最速で。刃筋を完璧に立て、一息にも満たぬ刹那で命を断つ。

 その瞬間だけ、男の精神は、”殺人器”ではなく、処刑人のそれだった。
 だから。

 がらん。ごろん。ごすん。

 突如、地面へと転がったバーベルに、石像に、古タイヤに、整地ローラーに、ほんの一瞬だけ、思考が追いつかなかった。

 黒い凪は確かに走った。必殺の斬撃が少女に振り下ろされた。
 だが、その直後に聞こえるはずの、首が転がる重い音は、響かなかった。

 避けられた。だが、どうやって。
 視線は逸らしていない。まばたきすらしていない。
 それにも関わらず、必殺のはずの一撃は、当たらなかった。

 まるで、最初の攻防で、黒星の眉間を狙った弾丸が虚空に”収納”されたように。

 高速化した認識の中、黒鬼は見た。

「師曰――」

 コマ送りのように、懐の内に現れた、少女の姿を。
 ナイフを腰溜めに構える黒星の、研ぎ澄まされた、殺意の具象を。

 回避。不可能。黒鬼はノコギリを振るった直後の勢いを未だ殺せていない。
 だが、彼女の攻撃が武器によって為される限りにおいて、黒鬼に敗北はない。

 心臓。突き出される白刃。
 切っ先。皮膚に触れる。
 魔人能力。”無精者の収納棚(strange shelf)”。
 ナイフが、皮膚に吸い込まれるように消える。

 しかし。瞬間。少女の手の形が、変わった。
 柄を握る形から、手刀へ。

 黒鬼は反射的に、吸収したばかりのナイフを射出してそれを受けようとし――
 黒星の能力によって、”収納”された。

 白く細い黒星の指先が、黒鬼の腹を貫く。
 己の身を顧みることも、ためらいも限りもなく。

 ぼきり。べきり。
 ひゅう。ひゅう。

 黒星の、指が、腕が折れる音と。
 黒鬼の、腹が、裂かれて立てる音と。

「――不要先出示殺手鐗(きりふだはさきにみせるな)

 二人の間で炸裂する手榴弾の爆音と。

 交じり合うそれらの響きが、黒の師弟の戦いの、耳障りな幕引きだった。



四之無 『傷無 KIZUNA/no scar』


 暴れ狂う心臓を、深い呼吸で押さえつける。
 全身の筋肉が裂けたように痛み、関節が稼働を拒絶している。

 少女の右の腕は肘の先から炭化し、手はもはや形を失っていた。

 黒星(ヘイシン)は、今にも倒れそうな体を支えながら、横たわる黒鬼を見下ろした。
 臓腑の中で手榴弾を炸裂させられたにも関わらず、男の肉体はなおも人の形を保っていた。

 破片を魔人能力で吸収し、体内に何らかの物体を展開した結果だろう。

 黒鬼の類まれな反応速度と”無精者の収納棚(strange shelf)”の応用性によって、彼自身の体の輪郭と、黒星の生命は、守られたのである。

「……いい、殺手鐗(きりふだ)だった」

 黒星の魔人能力、『灰色の武器庫』は、武器を、異空間に収納、あるいはそこから取り出し、展開するもの。

 黒鬼の魔人能力、”無精者の収納棚(strange shelf)”は、無生物を、人体や建物などに収納、あるいはそこから取り出し、射出するもの。

 勝敗を分けたのは、黒星という存在を、二つの能力が、どう定義づけたかであった。

 『灰色の武器庫』――黒星自身は、黒星という存在を、『殺人器(ぶき)』だと確信していた。
 故に、自分自身を、その魔人能力に収納することで、黒鬼の斬撃を回避し、反撃に繋げることができた。

 ”無精者の収納棚(strange shelf)”――黒鬼は、黒星という存在を、一人の少女だと認識してしまった。
 故に、黒星の肉体による攻撃を、収納して無効化することができなかった。

 少女は、道具として生きろという男の教えを心から貫き。
 男は、道具として育てたはずの少女を、人と見てしまった。

 魔人能力は、魔人の認識を正しく反映する。
 これは、全く、それだけの結果であった。

 生命であることを否定し、武器であるとの認識で『灰色の武器庫』内を移動した肉体は、概念矛盾により全身機能の齟齬を起こしている。
 それでも、黒星には、確かめずにいられないことがあった。

 黒星は、黒鬼のサングラスを外す。
 その右の目は腐り、白く変色していた。

「……俺には”奴”の血が合わなかったらしい。結局、時間の問題だった」

 意識してみれば、黒鬼の体からは、仄かな腐臭がした。
 五年前は付けていなかった香水は、これを隠すためだったのだろう。

「……ゲテモノに口をつけるのは嫌だろうが、我慢してくれ」

 黒鬼は言った。
 親を同じくする”血の兄妹”は、呪いを奪いあうことで、力を高めると。

「ばか」

 少女の胸に広がったのは、師に勝った高揚ではない。

「……”殺人器”に、残せるものなど、何もないと思ったが。それでも」

 ただ、全てを見透かされたような、手のひらで踊らされたような。
 そんな、圧倒的な敗北感(くろぼし)だった。

「……何もないということなど、ナイのだな」

 初めて会った日と同じ、無精者の棚くらい空っぽな表情で、男は微笑んだ。


 ☆  ☆  ☆


「今日からお前は、人じゃない。人を殺すためのもの。こいつと同じだ」

 そう言って手渡されたのは、845gの殺人の道具。
 安全装置のない、どんな過酷な環境でも人を殺せる、そのためだけのもの。
 生産国、中国。使用弾丸、7.62×25mm。
 シングルアクション、ショートリコイル。

 その拳銃の名は――


 ☆  ☆  ☆


 ――黒星(ヘイシン)

 少女が『灰色の武器庫』から取り出したのは、追憶の拳銃。

 あの日、目の前の男から受け取ったのと同じ型。
 あの日、目の前の男から名づけられたのと、同じ型。

 その引き金に指をかける。
 解除すべき安全装置など、最初から存在しない。
 この銃の前で、あらゆる命は平等に軽い。

我走了(じゃあね)师傅(せんせい)
「……一路順風(よいたびを)

 銃声。

 赤い実が、爆ぜた。

 黒星は黒鬼の首筋に、八重歯を立てて、命を啜る。

 尽輝収奪。
 ここに、二人の『吸血鬼の呪い』は一つとなり、男は人として死んだ。

 そして、少女は不夜の街を後にする。

 一歩、また一歩。
 戦場から遠ざかるごと、一時的に賦活された『呪い』が、黒星の傷を癒す。

 炭化したはずの右腕すら、傷口が潤み、捻じれ、白い骨、赤い肉、黄色い脂肪、白い皮膚が、逆回しのように構成され、復元されていく。

 消えていく。
 彼と戦った証が、跡も残さず、消えてしまう。

 ひどい(ひと)だと少女は思う。
 せっかく刻んでくれた痛みも、傷跡さえも、残してくれないなんて。

「――师傅(せんせい)の、『殺人器(どうぐ)』になれたら」

 手癖でポケットからロリポップを取り出しかけ、結局、黒星はその手を止めた。
 もう少しだけ、口に残る苦味を、噛みしめていたかったからだ。

「そしたら、ずっと、一緒だって、思ったのになあ」

 血と硝煙、そして腐肉の匂いがする、最低のキスの味を。


 ☆  ☆  ☆


 かくて、黒き星は紅昏(かわたれ)の闇へ溶けていく。
 因縁の戦いを終えても、少女の在り様は変わらない。
 人を傷つけ、殺す。その存在理由を貫くだろう。
 ただ、撃ち抜くべき仇を一人、見定めただけのこと。

 使われない武器には、何の意味もない。
 作り出された以上、道具は目的のために使われるべきだ。

 それこそが、彼女という殺人器(サツジンキ)の動機。

 正義などない。
 快楽などない。
 倫理などない。

 これはただ、そう作られたものが、その意義を張り通そうとするだけの物語である――。












●登場人物

【黒鬼】
 元祖殺人器。
 大陸系組織の鉄砲玉であったが、組織を『無体』に壊滅させられ、さらに彼女に噛まれることで、生きながらにして腐り行く『屍鬼』となる。
 体内・周囲の地形に様々な武器を潜り込ませ、それらを縦横無尽に使って敵を圧殺する。
 宿敵である『無体』を殺すため生きていたが、人であった頃の弟子である少女と邂逅。
 『吸血鬼』の素養があった彼女に、己の中の『吸血鬼の呪い』を明け渡し、人として殺された。


【黒星】
 殺人器の中華レプリカ。
 黒鬼の弟子であったが、所属組織を『無体』に壊滅させられ、さらに彼女に噛まれることで、死にながらにして夜を歩む『吸血鬼』となる。
 位相のずれた異空間に様々な武器を溜め込み、それらを自由自在に使って敵を蹂躙する。
 兄代わりの男から与えられた『殺人器』という役割に準じるために殺しを繰り返していたが、まさにその兄代わりの男と夜の新宿で再会。
 彼の最期の教えを受け、彼の中の『吸血鬼の呪い』を取り込んで、さらなる力を得た。


●設定

【設定『宿敵』】
 黒星の目的は「殺人鬼」であり「親」であり、初恋の人の仇でもある『宿敵』を殺すこと。その目的達成のため、東京の夜を跋扈する。

 彼女の「親」は生粋の殺人鬼であり、自らを殺した者に憑依して自我を蝕む、体無き吸血鬼『無体』である。
『無体』は、このキャンペーンの参加キャラクターのいずれかに憑依している。
 黒星PLは各キャラの設定と戦況を見て、『無体』の憑依候補者を選択する。

【設定『人外』】
「子」である黒星は「親」の影響を強く受けるため、特性、弱点を色濃く引き継ぐ。
「親=『無体』」は、本SSによって「吸血鬼」と定義されたため、黒星においては、夜目が利く、日に弱いなどの形で顕在化している。
最終更新:2020年07月03日 20:42