○穏やかな邂逅○
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、墓というよりも、遊具のない公園に近しい。
ここは昼夜問わず、行き場のないものが集まっている。
行き場のないもの。
生者はホームレスが、死者は大戦の霊がここに集う。
冬の冷たい夜風が吹く今夜であれば亡霊が出るにふさわしい雰囲気もあるはずだが……。
どうにも、ひゅ~どろどろからほど遠い、連続的な肉の打つ音と、激しい吐息と、わざとらしいほどの嬌声が響き渡っている。
殺人鬼が暴れまわる東京のど真ん中でこんな目立つことをするなんてどんな命知らずか……。なんてことはない。こんな夜にこんな騒ぎを起こすものは、殺人鬼しかいない。
今ここにいるほとんどは死んでしまうだろう。
被害者側はそれをなかば理解し、受け入れていた。この場を離れるものはない。
夜の闇のなか、影のような山のような人だかりの中心では、浮浪者と全裸の赤目の女性がまぐわっている。
彼女とまぐわう、50代の腹の皮が余った浮浪者は、ひゅーひゅーと息を切らせながら、腰を振っている。
二人の周囲には伏して倒れた浮浪者が10ほどある。彼らは疲労と満足感のまじりあったような、やりとげた顔をしている。息はない。
盛っている二人を、8人ほどが取り囲む。
彼らは覚悟を決めてこの場に留まっている。
九州男児たるものこの女孕ませんと息巻く者、いつか死ぬんだからケセラセラ気持ちよく死にたいと諦める者、とにかく女の裸に興奮して仲間など目に入らない猿みてぇな者。
みな下半身を露出させ、しごいたり、女にしごかせたり、女の口にふくませたり、ホモカップルがお互いの股間をこすったりと、とにかく盛り上がっている--やけにサイズの合わない子供服を着たひとりを除いて。
びゅう、と冷やかすように夜風が強まる。
浮浪者たちはケツを引き締めぶるると震えたが、全裸の女は、寒さなど微塵も感じないように平然と笑う。
「ああ、寒い。寒い。うちをもっと暖めてくれないかしら」
今は冬。彼女はそれを思い出す。
ふくらはぎを男の腰に回す。
女の足より、浮浪者の腰のほうが冷たい。
彼の表情は、夜の闇でよく見えないが、真っ青だ。
「うひ、うひひ、こ、ここ、こ、腰がとまらねぇだ~!」
赤目の女--愛人形の魔人能力は、電気と性欲の変換。そして電気信号の送信。
この凶悪な能力によって男の肉体は意志に逆らい、腰をふることしかできなくなったのだ!!!
もちろん、そんなことはない。
浮浪者の顎の外れたようなとろける笑みを見よ。
なにも意志に逆らっていない。
むしろ追い風、手助け、後押しをしている。
据え膳ハメるのが男ってもんや。
すけべやなぁ、古来男っちゅうもんは愚かなり。
氷点下に近い夜。運動不足の浮浪者が、全速力でフルマラソンを走るように命を燃やして、無事でいられるはずもない。
彼は13分24秒16射精という記録を打ち立て、倒れた。糸の切れた人形のように倒れ、もう二度と立ち上がらない。
「救われたかしら。さ、お次は?」
愛人形は、ヴァンパイアめいた闇夜にも艶めいて見える赤い目を、まっすぐ、ビリビリに破けた子供服を着る一番の異常者に向けた。
その男は、体躯は2mを超え、身体には厚みがある。サスペンダーは細く伸び切って糸に見えるほどだ。
靴は纏足にすらならず、つま先から破け、かかとからは外に出ており、靴が靴の役目を果たせていない。
異形だ。
この異常存在ならば……と愛人形は期待する。
ただ、目を向けられた本人は、まごまご呟いて、口をもぐもぐさせ、手をもじもじしている。
仕草はとても可愛いが、巨漢で全裸に近い浮浪者がやっても、少ししか可愛くない。
あてが外れた愛人形は、別の浮浪者に目を見る。目が合った瞬間、その浮浪者は歓喜の声とともに、肉の上に重なった。
彼は11分5秒21射精の記録を打ち立てた。
全員を逝かせた後、愛人形はスマホのフラッシュ機能を使いながら写真を撮りまくる。
夜間野外なので満足いく写真を選ぶまで時間がかかった。
殺した相手の死相を撮る。
これは彼女なりの『後戯』であり、
遺影を残す『儀式』であり、
インスタの『ネタ集め』であり、
美藤羊子の秘した自我に対する『生贄』であり、
セックスの興奮を少しだけ冷ます『残心』であり、
自らの存在証明を写真として残す『生産活動』でもある。
死相撮りは、事前・事中・事後で言えば、完全に事後の行為。
浮浪者の脱ぎ捨てた衣服の底に自分の服を見つけて、嗅いで絶頂した。
のんきだ。今日のセックスはもう終わり--と完全に思っていた。
奇妙な相貌の奇怪な大男など、声をかけられるまで、忘れていた。
「ま、股!」
突然の大声に、愛人形は驚く。と同時に身体に電気を纏わす。
殺人を繰り返すうちに自然と身についた戦闘準備--
--それが無駄になった。
彼の続く言葉が理解できなかったからだ。
大男--スピリチュアル・バブバブ・オタク--ちぢめてスピバポタキ。
彼は、愛人形の股から溢れ出る大量の精液を指差して、言った。
「股からおっぱい出てるのなんで!!?」
女の身体から溢れる白い液体。
女の身体から溢れる白い液体を、母乳しか知らない。
--この日、スピバポタキは、初めて精液を見た。
--肉体年齢は30半ば。
--精神年齢・知能指数は最大でも小学生の低学年クラス。
彼の心には、『射精』も『精液』も、ましてや『精通』なんて言葉も存在しなかった。
彼が起こしてきた強姦殺人は全て『きもちいいおちんちんあそび』でしかなかった。
○○魔人たちのコミュニケーション○○
『うち』はセーターとダッフルコートだけで、下半身は裸のまま、ベンチに腰掛けた。
ベンチの冷たさに体がビリビリする。
キ印の大男は『うち』の様子をちらちらちらちら見ている。
ここが舞台ならとんだ大根役者だ。
(なにを考えているのやら……。
もう『一戦』あるかしら……。
どっちの交わりでも……まあ楽しめましょう)
警戒と期待と快楽が頭の中でほとばしる。
キ印が興味津々に『うち』の股を凝視している。
「女の子のここ、見るの初めて?」
「アド街見て来ました3月のライオンみたいにエモい女陰、その深淵を顕わせ! バフかけてダイレクトアタック、どうぞ」
妙なことを言いながら、股間に手を伸ばしてきた。
かなりの速さだが--雷ほどではない。
「おやめになって」
キ印の頭をはたく。
少なくとも音速は超える、雷を纏う手刀。
キ印の頭に当たると電気的な力で髪をちりちりにした。
髪型が茂木健一郎になった。
『直接的』にはそれだけのダメージしか与えられない。
「髪がアハ体験! もやっと! もやっと!!」
キ印は焦げて縮れた髪をむしり、皮が剥げるほど頭を掻いた。うーとかあーとか言いながらケイレンしている。
異常者だ。
(この男のカラダは強い……。
これまで見込んできたどの『肉体派』よりも紛れがない。
おそらく純粋な身体強化--非常にピュアな。
つまり、この男は『私』を壊せましょう。
『私』がどんなに抗っても……無駄な抵抗。
『うち』は犯し尽くされる。そして救われる)
脳内麻薬が期待とともに強まる。てっぺんから爪先までゾクゾクするものが走って猫みたいに毛が逆立つ。喜びに震えて『自家発電』に耽りたくなるが、首をブンブン振って気持ちを落ち着かせる。
(『自家発電に耽ける』……これは悪手。
冷静になれ……『ながら自家発電』が最善手)
冷静に、右手は自分の股間をいじりながら、キ印の股間を見る。
ショーパンの裾からは陰嚢が、ヘドロめいた柄のブリーフからは黒々とした陰茎が聳え立っている。
冬の男性器、ここにあり!
経験人数は百をくだらないが、このブツが『未精通』というのは、嘘としか思えない。
(あきらかに使い込まれている血に飢えた虎徹penis……。
わざわざ嘘を言う理由は?
もし仮に真実というのなら--
何百を犯して射精しない、そんなことがあるかしら?
無双されど未だ射精せず、緋村剣心が如き不殺penis……。
ウタマロ……)
陰茎観察から視線をちらりとキ印の顔にうつす。
分厚く噛み痕のある唇、ツバだか鼻水で湿った髭、ほうれい線には垢が溜まっており、少し青く見える部分はカビだろうか。
とんでもない不潔野郎だ。
不潔野郎は、デュフォォポと笑って恥ずかしそうに手を股ぐらに当てる。
顔にかかったタンが絡んだツバを、『うち』はすりすり肌になじませた。ものすごい臭気で、ものすごい不快感で、つまり、ものすごい気持ちがよかった。
……っと。
「えー、こほん。……恥ずかしがっているのかしら? 人めいた感情があるのに、そのような格好をする理由は?」
「俺のテカテカ鏡面亀頭で前髪チェックは終わったか?」
「……とても精液を知らない子の言葉とは思えませんね」
「あー、はいはい精液ね分かる分かる。持ってるわ~。数えてないけど7つくらいあるはず僕の家に。あー忘れてきちゃったな~。石の下とかよくいるよね? ね?」
鷹揚に、あるいは慇懃に。
不潔野郎は態度がコロコロ変わる。
(とんでもない子供、とんでもない支離滅裂……。
そして一番のバカは『うち』ね。
このような輩と、言葉でコミュニケーションしようとしてる、だなんて、アホ)
苦笑いしてしまう。
『うち』のコミュニケーションなんて、ひとつだ。
少しだけ膝を立てて、彼の目を見て笑う。
「あなたは無茶苦茶な方のようですけれど、よろしければ『うち』を無茶苦茶にしてくれません?」
「ラブレイプ!の和姦厨がよ……。
強姦懇願合意和姦二律背反パラセックス誤挿入を誘ってるつもりか? 諸葛亮め!」
「お好きになさっては?」
よく分からないが、乗り気なようだ。
ありがたい。
きっと相性がいいのかもしれない。
『うち』はコートを脱ぐ。
皮膚表面に電流を這わせてセーターを焼き切る。
焦げた布片がポロポロ落ち、胸があらわになったとたん、不潔野郎が飛びかかってきた。
見える。
劣情一直線な顔。
開いた瞳孔がうちの胸に向ける視線。
力ない口、舌苔が硬化して定着した舌。
興奮した荒い呼吸。
力強いがもたもたした歩法。
無遠慮に伸ばされた腕、
広げられた掌、
何かを揉もうとする指。
(初手、胸。
あの太い指で全力で揉みしだかれたらきっととても痛いだろうな……。
それからキス? ひどく臭いそう。
手順飛ばしでpenisのインサート?
首でも絞めてくるかもしません。
『うち』は構わないけれど『私』が抵抗するかしら?
それなら戦いの流れになるならボルトチェンジね……)
全力で抵抗する、全身で感じる、全部を終わりにして全壊する。
そうでなければ『私』は納得しない。
そうでなければ『限界』に至らない。
だから……。
「あなたは何をしてもいいの。ゴムを使う以外は。無茶苦茶に壊して『私』を救って--」
不潔野郎は、思いのほか優しく吸い付いてきた。
攻撃に対抗しようと跳ね上がった『うち』の腕は行き場を失い、力を失い、不潔野郎の頭に手を乗った。
不潔野郎がうずめてない方の胸を握った。
壮絶な痛みがあった。
いま『うち』の身体は3000倍ほど敏感になっている。
特に胸は--。
フケでまだらに白い頭が、傾げる。
唇を乳頭にうずめている。目が合う。
--身体の奥底で途轍もない『発電』が行われている。
不潔野郎の目は澄んでいる。
--身体の奥底で途轍もない『発電』が行われている。
この男は、不潔ではあるけれど、目だけは綺麗だ。
--身体の奥底から途轍もない『電気』が溢れ出した。
「ママ……」
--大地の深淵から途轍もない『真実』が顕現した。
●●●空と海と大地に抱かれし授乳●●●
●●●~今こそ射精の刻、来たり~●●●
朝になった。
スピバポタキと愛人形は野合をまだ続けていた。
スピバポタキは休むことをしなかった。自分の『限界』に達すると愛人形の母乳を飲んで『限界』を超えまたピストン運動をした。
数え切れぬ成長の末--、
上背は700mを超え、性器は屋久杉よりも太く長かった。
しかし射精はしなかった。
スピバポタキが陰茎に力を込めると、愛人形の身体が持ち上がる。
魔人といえど屋久杉陰茎に耐えられるはずもない。
彼女はどんどん太く大きくなる陰茎に内側から裂かれた。
もはや原型はない。赤い目も美しい顔もなく、皮一枚となっていた。
オナった後の亀頭にくっつくティッシュのように、皮一枚となっていた。
しかし皮一枚でも、スピバポタキの着るボロボロピチピチの子供服のように、皮一枚で張り付いていた。
スピバポタキが愛人形の成れの果てをしごくと、電気がピリピリして気持ちがいい。気持ちがいい。とても気持ちいい。とても気持ちはいい。気持ちはいいが……。
「飽きた」
スピバポタキはどうして自分が『ひとりちんちん遊び』をしているのか思い出そうとした。
最初は誰かと一緒に遊んでいたはずなのだ。
遊ぶことは好きじゃない、だから一人では遊ばない。
誰かと遊ぶことが好きなのだ。
それなのに遊ぶといつか必ず一人になる。
いろんな遊びを試してもみな最後には石ごっこを選ぶ。
彼がいくら別の遊びに誘っても石ごっこをする。
だから遊びの最後はいつも悲しい思い出だ。
泣きたくなる。
涙……。
スピバポタキは目線を落とした。
近くの神社は巨大なリンガを祀っている。
自分の屋久杉陰茎を見た。
陰茎が涙していた。
陰茎にも心があったのだ……。
神よ!
驚くスピバポタキをよそに、陰茎が語りかけてくる。
「『うち』の名前は美藤羊子! 君のpenisの皮だよ!」
偶然……
運命……
奇跡……
えにし……
スピバポタキと美藤羊子は、唐突に出会った……。
●
美藤羊子が、スピバポタキにとって特別な友達になるのはすぐだった。
いつでも一緒にいるし、一緒に遊んでも、石ごっこをしたがらない。
「石ごっこ? なんだいそれは?」
「石ごっこってのは動かなくなる遊びで。つまらないよ。いくら蝿とかうじが邪魔しても動かないほどいいんだ」
「それ石ごっこっていうか……。まいいや、じゃあ別の石ごっこをしよう」
スピバポタキの陰茎に血が集まって固くなる。
冬の勃起、ここにあり!
「こうやって身体を固くしたほうが勝ちってのは?」
「イイね!」
スピバポタキは自分の陰茎を殴ってみる。
「どっちも固いな~」
二人の間で石ごっこがぷちブームになった。
しばらく続いたが、固さ比べをしているとき、美藤羊子がいつも持ち歩いているふたつの袋を誤って殴ってしまった。
瞬間、美藤羊子は電撃を放ってスピバポタキを制した。
とんでもない痛みだった。
美藤羊子は加減できずわびた。が、袋を殴ったこと自体は非難した。
「これは絶対に大事扱うこと! 二つあるからって、一つしかない『うち』の命より大事なんだから! も~~~ッ、ぷんぷん! だぴょん!」
「袋になに入れてるの?」
「ナイショ!」
それからスピバポタキはよく陰嚢をいじるようになった。
袋の中には玉が入っており、なにか管のようなものが取り付いている。それを少し握ると、美藤羊子が電撃によって制してくる。
痛いけれど、少し気持ちが良かった。
●
大学受験を控えた夏、スピバポタキは受験合宿に来ていた。
大学ではなく、運転免許の。
大人は皆、自動自輪免許を持っている。
自分で自分を動かすことが出来なければ、自立、自分で生きているとはいえない。
田舎生まれの美藤羊子は、上京する前から免許を持っていた。
高校最後の夏……。
教習所内の端。
スピバポタキは背を丸め、ベロを伸ばして自分の陰茎を咥えようとした。
けれど背がこれ以上曲がらない。
出来ない。
自分の陰茎を自分で咥えられなければ--実施が出来なければどんなに筆記を頑張っても免許は取れない。
「軟弱だがね」
悪魔教官が笑う。
少しムスッとする。
「お手本を見せてくださいよ」
「ちぃとだけだら」
悪魔教官は身体を折り曲げ、自らの性と自らの脳を一本につないで、円になる。
その異形は回転して走って曲がって止まってバックして縦列駐車して身体を五回光らせた。
スピバポタキはどうしても、上手くできる気がしなかった。
できる/できない以前に、チャレンジすることすらできなかった。
(いつもいつも恥ずかしい……。
大事なところで力が抜ける……。
全部フリーメーソンのせいで……)
1時間の講習で、他の受講生が出来ることを、スピバポタキには出来なかった。
落ち込む彼を美藤羊子が励ます。
「まあこんなこともあるよ。きっと次は出来るよ」
「いや……僕には無理だよ……」
スピバポタキは、自分で自分の陰茎を咥えることを、客観的に想像した。
数十年壺洗しかしていない悪臭漂う陰茎を、がちゃがちゃした矯正されていない黄色い歯と真っ白な舌とねばついた唾で、蛸のように厚ぼったい唇を伸ばして、髭を巻き込みながらふくむ--。
その想像をスピバポタキは拒否した。
そして免許合宿から逃げだした。
けれどどこに行っても美藤羊子はついてくる。
美藤羊子は励ます言葉を言わなかったけれど、彼にはよそよそしい感じがして嫌だった。
気を使われている申し訳無さと、もっと上手く気を使えという傲慢さが混じり合って、美藤羊子にどのように接すればいいのか分からなくなった。
●
「ねぇ……なんか最近冷たくない?」
平坦な声色で、美藤羊子はぼそりと呟いた。
聞こえなかったふりをするか--よぎった思考にスピバポタキは自分で驚く。仲直りをしたい、それが本心だったのに--と。
「うつむいてばっかのくせに、目を合わせてくんないしさあ。『うち』は免許なんてどーでもいいのに。勝手に引け目感じてうじうじしてさぁ~」
スピバポタキは、距離を取っていたのは自分だと気付いた。気付かされた。
(自分で逃げて自分で拒んでそのくせ全部人のせいにして……。
なんて情けない奴なんだ。なんてわがままだったんだ)
スピバポタキは自分の頬を叩いて、黒々としたテカテカ鏡面亀頭を見る。
たしかに目が合う。
「悪かった……」
スピバポタキは頭をさげる。背が深々と曲がって、彼の口が鈴口とくっつく。
不意のkissに身を固くする美藤羊子。スピバポタキは真剣な目で美藤羊子に謝意を伝えた。
「僕はもう大人になるよ」
そう言ってスピバポタキは美藤羊子に握手をして、ぶんぶんと上下に強く振った。
美藤羊子は赤くなって、固まった。そして震えて泣いた。
泣く美藤羊子に、スピバポタキは慌てた。
正確には、なぜ泣き出したのか分からずに慌てた。
「泣かないでほしい。君が悲しんでいると、僕も自分のことのように悲しい」
その言葉で、美藤羊子は笑う。
そしてからかい混じりに言った。
「悲しいんじゃなくて……嬉しくて泣くこともあるんだよ」
虚を突かれた思いがして、スピバポタキは陰茎から手を離した。
その手には白くてらてら光る精液がついている。
彼は果てていた。
精通を果たしたのだ。
●●●
大人になると決めて以来スピバポタキは変わった。
学び、働き、交わった。
まず身なりを整えた。かつての子供服は捨てた。
美藤羊子と一緒に服を選び……自分にちょうどぴったりの服装を着るようになった。
髪を整え風呂に入り歯磨きをし歯を矯正し爪を齧らず爪切りで整えるようになり鼻毛を抜き陰毛をガムテープで永久脱毛した。
とはいえ今日の装いは買ったものではなく借りたもの、レンタルのスーツだ。
「似合ってるね」
「そっちもね」
美藤羊子は真っ白なウェディングドレスを着ている。
強く縛っているせいか、いつもより顔色が赤く固い。
セットした形が崩れないように、スピバポタキは優しく亀頭を撫でた。
「今日は人生で一番幸せな時だ……ありがとう」
「ふふっ……あまり泣かせるようなこと言わないでね?」
スピバポタキはハンケチで少しあふれたカウパーを拭いた。
●●●●●
チャペルには二人の親類や友人が集まっている。
--スピバポタキの親類は誰もいず、友人も誰もいない。
--美藤羊子の親類は誰もいず、友人も誰もいない。
荘厳な曲とともに無人のチャペルに入る。
スピバポタキは陰茎をそっと二の腕に乗せる。
一歩一歩、大地に抱かれて歩く。
過去未来貫く棒の如きものの上を歩く。
ちらり来賓の空席に目を向ける。
実母。そして義母。
ママは二人いた。
スピバポタキの心臓に強く胸打つものがあった。
「……ママはひとりじゃない」
「ええ、『私』も……」
美藤羊子はいたずらっぽく笑い、ふたつの袋をぎゅっと持ちあげた。
スピバポタキは自分の陰嚢に触れた。
触ってみるとたしかに丸く膨らんでいる。脈打つものを感じる。
美藤羊子が最も大事にしていたものは、新しい生命であった。
それは間違いなく二人の子だ。
知らされていなかったスピバポタキはまたも衝撃を受ける。
美藤羊子がママになる。
「子供が産まれると、ママも産まれるのか……」
「パパもね」
得も知れぬ力が体中にみなぎるのを感じた。
●●●●●●●
美藤羊子--愛人形の妊娠に触れておこう。
愛人形は何百何千と性交をしていたが、産んだことはなかった。
なぜか?
彼女の身体には電気が駆け巡っているからだ。
胎児が大きくなり、人の形と育つと、それを感電死させた。
最初は偶発的で、気付いてからは意図的に感電堕胎をした。
彼女の好きなものは『生命の息吹』。『生命』そのものではない。
感電死した胎児を、
後天的人格では産業廃棄物と、
先天的人格ではおいしい焼き肉と呼んだ。
胎児を、我が子を殺すことに抵抗はなかった。
彼女は、自らを最低の存在だと、人ではない操られたおもちゃの人形のように考えていたから--、残虐な行為は自己評価を裏付けるだけだった。
しかし、本当に最低な存在--スピバポタキの陰茎包皮となった時に、彼女は己の欺瞞を悟った。
彼女は真に無力で、無価値で、最低の存在となった。
それゆえに救われる--。
●●●●●●●●●●
天上の英知ゼクシィが定めし運命が始まる。
壇上には全人類の父と、三人の天使がいた。
天使が賛美歌を歌う。
♪オスのペニスはあなた
♪メスのオナホケースはわたし
♪織りなす性交渉は
♪いつか誰かの親となるかもしれない
人生讃歌……。
続いて、全人類の父のもとスピバポタキと美藤羊子は愛を誓い、指輪の交換を行う。
スピバポタキは肛門に陰茎を挿入した。
美藤羊子はコンドームをスピバポタキの陰茎に嵌めた。
コンドームを着けてセルフ・アナルファックを行う--それはつまり、完全な避妊を意味していた。
スピバポタキは射精を知らない子供ではない。射精を知るだけの青年でもない。
美藤羊子はゴムを嫌う子供ではない。堕胎を好むだけの青年でもない。
成熟した大人たちだ。
全人類の父はそれを確かに見届けた。
「夫は妻を己の体のごとく愛すべし。妻を愛するは己を愛するなり」
全人類の父の言葉。
成熟した大人であるスピバポタキには、それが完全に正しいことが理解できた。
スピバポタキが美藤羊子を愛することは、己の陰茎を愛することである。
「妻は夫に従うべし。夫は妻の頭であるから」
全人類の父の言葉。
成熟した大人である美藤羊子には、それが完全に正しいことが理解できた。
最低の存在だからこそ--陰茎包皮に身を落とした美藤羊子には、その主に従うことしかできない。もやは正しき妻以外にはなれない。ゆえに必ず救われる。
「では、誓いの証を」
スピバポタキは厳かに射精した。
生命の息吹が彼の陰嚢から美藤羊子に通じて彼の肛門へ至る。
「夫婦たる誓いがなった。人がこれを引き離す事はできない」
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式が終わった。披露宴はない。
あとはハネムーンだけだ。それで両名はこの地平を超越する。
二人はブライダル・カーに乗ることができる。
運転免許は持っている。大人だから。
スピバポタキは背を曲げ陰茎を咥える。
美藤羊子は陰茎包皮としてスピバポタキの口腔から肛門までの穴を埋める。
支え合い……。
神の認めた理想の夫婦像そのものだ。
--中国に伝わる『比翼』をご存知だろうか。
--比翼とは一つ目、一枚の羽しかない、できそこないの鳥である。
--しかし比翼は、雄と雌が寄り添い、一羽となって飛ぶという。
--これもまた理想の夫婦像と言われる。
スピバポタキのスーツに紐付けられた缶がカランカランと祝福の音を響かせる。
抱かれてあった大地を超越し、二人は高い地平へと飛び立った。
どこに行っても、彼らが別れることはないだろう。
いつまでも幸せに、仲睦まじく、寄り添いあって暮らすことだろう。
乳と蜜の流れる地にて……。
Fin.
(エンドロールが流れる)
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美藤羊子
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愛人形
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○夜の終わり○
--東京の夜が明けつつある。
石ごっこをする浮浪者仲間たちに目もくれず、スピバポタキはベンチに腰掛けて、朝焼けの空を見る。
朝焼けの赤い色。遠く飛ぶ一羽の鳥。
何かを思い出しそうになる。
--何かを忘れている。
「大事な人、忘れたくない人、忘れちゃいけない人!」
一瞬に圧縮された膨大な時間の中、ずっとそばにいた誰か。
必死に頭を働かせる。額に脂汗が浮かぶ。
貧乏ゆすりがとまらない。
なにも思い出せない。
「たしかにママがいたのに!」
暴れて振った腕が、隣にある焼け焦げた人の形を叩き壊す。
目をつぶり記憶を掘り起こす。
なんとか思い出そうとする。
ママの名は……。
「クソ! ここまで出かかってる! ここまで出てる! ここまで出てる!」
陰茎をしごきながら。
しこしこしこしこしこしこしこしこ……。
「でる! でない……でる!、でない……、でる! でない--」
ペニス占い。
結果は、でない。
結局なにも思い出せなかった。
彼の悟りは全て忘却され、いまだ子供のままだ。
清涼な朝、薄雲が遠く高く漂っている。
空は青い。夜はもうない。
○●○●○
【愛人形】美藤羊子
死因:脳異常による過多な快楽--悟りが引き起こした高電流高電圧に耐えきれず自損。肉体焼損
【スピリチュアル・バブバブ・オタク】
成長:すべて忘れた