『殺人未遂』というものがある。私はあれが嫌いだ。
誰かを殺すつもりで武器を用意し、殺すつもりで相手の元へ向かい、殺すつもりで相手に危害を加える。
そして相手が死ねば殺人。死ななければ殺人未遂。それで罪の重さが変わるらしい。
なぜ? やってる事は全く同じじゃない? そこに死体が発生するかしないかというのは唯の結果の違いで、本人の悪質さには何の違いもないのに。
『殺人未遂』の奴は、私の事を見ることが出来ない。私の声も奴らには届かない。私を縛るこのルールが、奴らとあいつらを明確に区別している。ムカつく。出来る事なら、奴らにだって死ねといってやりたいのに。
死ね。死ね。死んでしまえ。奴らもあいつらもみんな死んでしまえばいい。
「全く、殺る気が足らんな最近の若者は……あ、この酒美味いな安い割には」
殺る気の伝道師、殺る王。本名は榊原光太郎。榊原はボロボロの愛車に乗り、何の疑問を抱くことも無く酒を飲みながらひと気のない道を走らせていた。
ラジオから流れてくるのは、深夜のニュース番組。どうやら昨日の夜、都内のとあるオフィスビルで会社員の男が上司の腹をナイフで刺したらしい。しかし傷は浅く、上司の命に別状はなかった。程なくして取り押さえられた会社員の男は、殺人未遂で捕まったたらしい。
「動機がなんなのかは分からんが……ナイフまで用意しているという事は、確かに殺る気はあったのだろう。それなのに……ハア。情けない……刺し傷が1つだと? そんな事だから仕留め損ねる……一度でダメなら何度でもだ。相手の息の根が止まるまで刺し続けろ!!」
榊原は何故か1人でヒートアップしていた。酒が入っているからだろうか。
「そもそもなんでそう簡単に取り押さえられる!! 本当に殺したいと思ったのなら、邪魔をする奴も全員刺し殺す位の気概を持て、マヌケがッ!!! 殺人未遂など大嫌いだッ!!」
冷たい風が吹きすさぶ深夜。私は東京都の繁華街から大きく離れた場所にひっそりと佇む、廃工場に居た。
ボロボロに朽ちた屋根の端に腰かけ(実際は身体を預けてなどいないけど気分は大事)、ぼんやりと空を眺めてた。
そうしてなんとなく思い出されるのは、昼間の光景。渋谷スクランブル交差点の景色。
見渡す限りの人、人、人。人が居ない静かな場所が好きという訳でもないけど、多すぎるのもそれはそれでいや。
それだけの人が居ても、私の存在に気づける人など1人も居ないという事実を突きつけられる気がして。
まああいつらを人に含めるのなら1人位は居るのかもしれないわね。だけどあいつらは本当に人間? 人の形はしているけど、ただそれだけ。何もかも違うわ。
ともかくそんな光景に気が滅入った私は、すぐにその場から瞬間移動した。もう少し人が居ない場所に、と。適当に。
「危ない!!!!」
跳んだ直後、そんな叫び声が聞こえてきて私は思わず振り向いた。そこには猛スピードで突っ込んでくる、1台の車が。
その車は私の身体を勢いよくすり抜けると、そのまま歩道に突っ込んだ。類まれなる不幸を引いてしまった1人の女性が、車とコンクリートの壁に挟まれ、潰され、そして死んでしまった。
周囲の人々が一斉に色めき立ち、スマホを取り出し通報やら記念撮影やらを行っている中、女性を潰した車の中から1人の男性が這うようにして現れた。老人だ。頭から血を流してるけど、生きてるみたい。
私はその老人の傍にふわりと近づき、顔を見た。顔面は蒼白で、息も大きく乱れていた。己がしでかした事の罪の重さもまだ理解しきれてはいないみたいだった。
そしてその老人はゆっくりと顔を上げ、私を見た。いや、違ったわ。偶々、私の方を向いていただけだった。老人には私の姿が見えていなかった。人を殺したのに、私の姿は見えてはいなかった。
声を出してみた。なんて言ったかは覚えていないけど、『死ね』ではなかったと思う。『あー』とか、『もしもし?』とかだったかもしれない。私はただ確かめたかっただけ。
だけど、やっぱり老人に声は届かなかった。なぜだろう。
人を殺した。この老人は人を殺した。だけど私を見れないし私の声も聞こえない。なぜだろう。分からない。ルールはまたも区別した。
この老人も、『こいつ』と呼ぶべきだろうか。結局結論は出ないまま、私はその場から立ち去った。
「…………」
私はボンヤリと空を眺めてた。気分は晴れない。というか、そもそも気分が晴れた日なんて一度も無かったっけ。
と、その時。私は視界の端に、小さな機械的な光が映っている事に気が付いた。私はそっちに視線を向ける。
よく見ると、どうやら一台の車がこちらに向かってきている様だった。
「こんな場所に、人……?」
私は更に目を凝らし、車を運転している誰かを見る。そして、見えた。白髪交じりで、ボロボロのコートを着込んだあいつが。
「死ね」
私は反射的に呟いた。見たことはない。けど分かる。あいつは人殺しだ。
どうせ大した事など出来はしない。だけど言わずにはいられない。アイツが生きているという事が、私にとってはどこまでも腹立たしい。
「もうすぐ着くか……街の中心地からはやや離れるが。まぁ仮の拠点としては悪くないだろう」
車を運転しながら榊原は呟いた。東京都にひしめく数多の殺人鬼と出会うための足掛かりとすべく、榊原は廃工場へと向かっていたのだ。酒を飲みながら。あと無免許だった。
榊原はまだラジオをつけっぱなしだった。殺人未遂のニュース以降大したニュースは無かったが、再び榊原の気を惹くニュースが流れてきた。
内容は、今日の昼起こった自動車事故。とある年老いた男性がブレーキとアクセルを踏み間違えてしまい、猛スピードで歩道に突っ込んだ。その結果、運悪くその場に居合わせた女性が死んでしまった。という内容だった。
「悲惨な話だ……殺る気もないのに人を殺めてしまうとは……殺る気が無い人間が人を殺してしまう位なら、殺る気がある我々が人を殺す方が余程健全だろう。全く嘆かわしい……だが」
榊原はフンと鼻を鳴らした。
「ブレーキとアクセルを踏み間違えただと? 馬鹿馬鹿しい。どれだけモウロクしていればそんな間違いを起こす! 確かに私もジジイだが、全く意味が分からん」
榊原はグイと缶に入っていた酒を飲み干した。
「そんな事が頻発するからジジババは車を運転するななどと言われるのだ。私の様に心身共に健康なジジイでないというのなら、さっさと免許返納し」
「死ね!!!!」
「アギャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
突如として車を運転する榊原の眼前に姿を現した制服姿の女。完全に気を緩め切っていた榊原は驚きのあまりものすごい悲鳴を上げると、ハンドルから手を滑らせたあげくブレーキとアクセルを踏み間違え、猛スピードで廃工場の敷地に突入した。
猛スピードの車は『立ち入り禁止』と掲げられた看板をなぎ倒し、廃工場の周囲に張り巡らされた鉄柵をぶち破り、更には廃工場の薄いシャッターを破壊してその内部まで突入した。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ここでようやく榊原がブレーキを踏むと、車は時計回りに勢いよく回転し、工場内のよく分からない巨大な機械に激突してついに止まった。
けたたましい衝突音が、廃工場に響き渡る。
「グッ……!! 高齢、ドライバー……!!」
エアバッグから顔を上げた榊原は、忌々し気に呟いた。同時に、エアバッグとシートベルトを開発したどこかの誰かに感謝した。飲酒運転はもうやめようとも思った。
いや、そうじゃない。今の事故には明白な原因があった筈だ。榊原は歪んだシートベルトの金具をこじ開け、ひしゃげた扉を蹴り破ると、そのまま勢いよく外に転がり出た。
「誰だァアアアアアアア!! 私に不意打ちを仕掛けるとはいい度胸だな貴様ぁああああああ!!! 私の愛車がもっとボロボロになってるじゃないかぁあああああ!! 死ねぇえええええええええええ!!」
榊原は怒っていた。それはもう怒っていた。スイッチ押してもいないのに殺る気満々だった。
「死ね」
それとは対称的に、制服姿の女は憮然とした表情で呟いた。巨大な機械の上から榊原を見下ろすその目はどこまでも冷たく、蔑みを帯びていた。
「貴様が死ねェえええええええええ!! あと頭が高いんだよそこから降りろぉおおおおおお!!」
榊原は溢れだす殺る気をその身に纏わせ、自らの愛車を踏み台にして一気に跳びあがる。
榊原光太郎の長い夜が始まろうとしていた。
十数分後。
「殺る気キャノン!! 殺る気ブレード!! 殺る気ダイナミックパンチ!!」
榊原が放った殺る気の塊が女の身体を通り抜けた。殺る気の刃が女の身体を通り抜けた。殺る気を纏った拳が女の身体を通り抜けた。
「殺る矢!! 殺る気ランス!! 殺る気スローイングアックス!! 殺る気百列脚!!」
殺る気の矢は効かなかった。殺る気の槍は効かなかった。殺る気の投げ斧は効かなかった。殺る気のキックは効かなかった。
「殺る気チョップ!! 殺る気ヘッドバット!! 殺る気ビンタ!! 殺る気エルボー!! 殺る気ヒップアタック!! 殺る殺る波!!」
効かなかった。また効かなかった。それも効かなかった。やっぱり効かなかった。結局効かなかった。最終的に効かなかった。
「殺る……もういい!! 一回休憩!!! ゼエ……」
榊原はゼエゼエと息を切らしながらその場にあぐらで座り込んだ。床に落ちていたネジ的なものが尻に刺さってちょっと痛かったので拾ってみると、やはりネジだった。ついでにそれを女に投げたがそれも効かず、床に落ちて空しく乾いた音を響かせただけだった。
「死ね」
女はそんな榊原の醜態を意に介する様子も無く、呪いの言葉を繰り返していた。
「死ね、消えろ!!」
「貴様が死ね!! 貴様が消えろ!!」
「お前なんか大嫌いだ、死ね、死ね、死ね!!」
「いいや私の方が貴様の事が嫌いだね。貴様が死ね!! 百回死ね!! とりあえず死ね!!」
「死ねーーーーッ!!」
「だから貴様が死ねやぁあああああ!!」
と言った風に、女の言葉に一々全力で返しているから榊原は疲れていた。無駄に疲れていた。
「私が求めてたのはこういうのじゃないんだよ!! なんだこの空しい作業は!! 私はまだ見ぬ殺人鬼の手口を見たり、熱い命の取り合いをする為にここまで来たんだ!! 例えばそう、路地裏とかを彷徨う私の背後に突如現れる若輩殺人鬼。無防備な私の背にナイフを振り下ろすが、殺る気を纏った私の手がそのナイフを掴み、『ふっ、素人が。私が本当の殺しを教えてやろう』的なそういう」
「興味ない死ね」
「フーッ…………」
榊原は大きく息を吐いた。己の内の色んな感情を吐き出す様に。
「チッ、なんなんだこいつは……何も効かんぞ……殺る気が効かんというより何もかもが効かん……最悪だ、本気で最悪の夜だ……一体どうすりゃいい…」
榊原は目を閉じ思考を巡らせた。考えろ。考えろ榊原。考えれば何か名案が浮かぶはず。そう、何か対処法があるはずだ。心を落ち着かせて……。
「死ね!!」
「うるさい!!」
何か、何か活路がある筈だ。どんな魔人能力か知らないが、何か法則、ルールがある筈。そう、心を落ち着かせ、過去の己の経験から何か天啓を得られ……。
「死ねーーーー!!」
「うるっさいわボケ!! もうあったま来たぞこのボケ女!!」
瞑想とは縁遠かった榊原は早々に目を開くと立ち上がり、女を睨みつけた。
「よくよく考えてみれば、なぜ私が幽霊だか魔人なんだかも微妙な、正体不明の貴様のよく分からないルールに合わせて戦う必要がある!! 私が貴様に合わせるんじゃない、貴様が私に合わせろ!!」
言い放ち、榊原はカッと目を見開いた。榊原光太郎の魔人能力『殺る気スイッチ』。この能力は人間誰しもが持つ殺る気スイッチを目視し、手で押す事でオンオフをい切り替える事が出来る。
「(問題はこいつがそもそも人間なのかという事と……こいつのスイッチを私は押せるのかという事か……いや、他にも問題はある。だが……やるしかない)」
榊原は能力を発動させたまま、女の周囲を走り回った。跳びあがり、スライディングし、女の全身を観察した。
「動きが気持ち悪い。死ね、死ね、死ね!! お前なんかゴミ以下、本当に嫌い。死ね死ね、死ねーッ!!」
「………………あった!!」
女の言葉を無視し、榊原はついに女の殺る気スイッチを発見した。榊原は一気に女へ接近する。
「見つけたぞ、ヘソ!!」
「なにを……」
スライディングの体勢から一気に身を起こし、榊原は女の制服の隙間に手を差し入れた。嫌悪感から女の表情が歪み、咄嗟に瞬間移動を試みたが、遅かった。
榊原は女の、僅かに膨らんだ腹のヘソに存在した殺る気スイッチに手を伸ばし、押した。カチリという小さな音が、榊原にだけは聞こえた。
「押せたぁあああああああああ!!」
「あ……あ……あ……!!」
すると、女の全身がわなわなと震え出した。その内から湧き上がるどす黒い感情。殺意。かつてない程強烈なそれに、女の全身は震えていた。
「あー……これは、あれだな……」
震える己の両手をじっと見つめ、女はギリギリと拳を握りこんだ。そして髪をかきむしり、崩れ落ちた天井を見上げる。
榊原はそんな女の様子を観察していた。そしてすぐに理解できた。
目の前の女の殺る気は自身が想像していたよりも遥かに根深く、どす黒く、強烈なものだと。湧き上がる女の殺意は、既に榊原の全身をヒリヒリと刺激していた。
「あ、あ、あ、アァアアアアアアアアアアアアアアアア!! 死ね、死、死、シネ、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇえええええええええええええええええええええ!! アンタも、アンタらも、アイツも、全員、全員、全員全員全員全員全員死ねェエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
「死ぬかもな、私」
榊原は思わず呟いた。だが死ぬ訳にはいかない。一度殺すと決めた相手を殺さず死ぬなど、殺る気使いとしての、殺人鬼としての、人殺しとしての拭い去れぬ恥。
「では改めて……死んでもらおう、名も知れぬ少女」
榊原は拳を構えなおす。目の前の強烈な殺意に立ち向かう為に。
私の目の前で、無様によく分からない攻撃を続けるこいつ。その姿は本当に滑稽だった。笑えはしないけど。
最初にこいつが事故った時には、初めてあいつらの1人を殺せたと思ったのに。ゴキブリ並みの生命力……という言い回しが思いついたけど、それじゃあゴキブリに失礼ね。
こいつはやる気がどうのとよく分からない事を言い続け、よく分からない力で私を殺そうとしている。そんな事出来はしないのに。
だけど私はこいつを殺せない。こいつは私を殺せないけど、私もこいつを殺せない。私に攻撃を続けるこいつが無様で滑稽なら、何もできずただ死ねと言い続ける私もきっと無様で滑稽なんだわ。
無様で、滑稽で、無駄な時間。無駄。何もかもが無駄。なんの意味もない。私には何も出来ない。
だけどこいつが、気味の悪い動きで私に近づいて、私のヘソの辺り触れた瞬間、全てが変わった様な気がした。
「あ……あ……あ……!!」
死ね。死ね。死ね。死ね!! なんで目の前のこいつはまだ生きているの!? どうして!? こいつに生きてる価値なんかない!!
私は? 私には生きている価値はあったの? 生きた? 生きていた? 私は本当に生きていた?
分からない。私は一体なんなの? 人間? 幽霊? 怪物? 意味が分からない。何もかもが分からない。どうして私はここに存在しているの? 誰が私の存在を望んだの?
私は人殺しが嫌いだ。名前も呼びたくないほど、どうしても嫌いだ。だけど、それはそもそも一体なぜ? 私の憎しみは一体どこからきているの?
殺人。その定義は一体何? 殺意を持って人を殺す。殺意を持たずに人を殺す。どちらも同じじゃあないの? 殺しは殺し。そうでしょ? 私なにか間違った事言ってる? だからあの時女を押しつぶした車に乗っていたのも、結局アイツらの1人なんだ!!
だけどルールはそれらを分けた。どちらも最低な人殺しなのに!!
私は……私は、殺されたの? 違うよね? そうなの? だったらいつ? いつ私は殺されたの?
どこからかピッ、ピッ、ピッ、と。機械音の様なものが聞こえた気がした。この音を私は聞いた事がある。だけどいつ? 私はいつ聞いた?
『ごめん、ごめんね……次はきっと、幸せに生まれてきてね……』
今度はすすり泣く女の声が聞こえた。その声は、何故か私の声と同じだった。
私は思わず背筋が寒くなる。そして自分の両手を見た。
自分の? 自分の両手? これは本当に私の両手? この制服は? 私はこんなものを着てた事があったの? 本当に?
なぜ、なぜ私の姿は鏡に映らないの? なんで私は、私の姿を見る事が出来ないの?
それはこの世で最も見たくない、『私』を殺した『アイツ』の姿を見ない様にする為よ。そんな事最初から分かってたでしょ?
「あ、あ、あ、アァアアアアアアアアアアアアアアアア!! 死ね、死、死、シネ、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇえええええええええええええええええええええ!! アンタも、アンタらも、アイツも、全員、全員、全員全員全員全員全員死ねェエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
全員殺す。
「死ね、死ね死ね死ね、死ね!!!!」
女は自らが何をすべきか分かっていた。己の身体から溢れだす赤黒い何か。これは目の前の男が操っていたものと同じ。ならば、自身にもそれを扱う事が出来るだろう、と。
直接触れる事は出来なくとも、この力は目の前の男を殺せる。
目の前の人殺しと同じ力を使う事に嫌悪感はあったが、殺せるのであればその程度の嫌悪感は些末事だ。女はふわりと浮かび上がり両手を広げると、その背後に広がる赤黒い殺意がいくつものナイフの形を取り、榊原に迫った。
「チィッ!! なんだこの殺る気は!! まさか本当にこの場で殺る気を使える様になってしまうとは!! 天才かコイツ!! こんな事ならあんなに殺る気の使い道を実戦形式で教えるんじゃぁなかった!!」
榊原は両腕に纏わせた殺る気を広げ、硬化させる。
「殺る気シールド!!」
そして出来上がった二枚の殺る気の盾が、女の殺意を真正面から受け止める。
「結局私に出来るのは耐え忍ぶ事だけ……だが耐えてみせよう!! ハァッッ!!」
榊原は両腕を大きく横に振り、残りのナイフを弾き飛ばす。だが。
「グォッ……!!」
榊原の肩に鋭い痛みが走る。チラリと目をやると、そこには女がナイフと共に密かに飛ばしていた細長い針の様な殺意が突き刺さっていた。
「小癪な真似を!!」
榊原は苦悶の表情を浮かべ、殺る気キャノンを数発撃ちだす。当然女には当たらない。だが殺る気を出すにはこういうパフォーマンスも時には必要だ。
「私をそう簡単に殺せると……む?」
その時。突如として榊原の視界から女が消えた。辺りを見回す。だが見当たらない。
「逃げた……? いやまさか、あれだけの殺る気を持……グオッ!!」
刹那、榊原は己の背後に再び巨大な殺意が出現したのを察知した。ギリギリの所で振り向き盾を掲げると、女が振り下ろしていた殺意の斧がぶつかった。
「さっさと死ね」
「この女……!!」
女は最初に比べ、幾分か冷静さを取り戻していた。これは実に厄介だ。滅茶苦茶に、獣の如く暴れまわってくれる方が余程相手取りやすいというのに。
再び女は榊原の視界から消えた。そして現れ、また消えた。女は瞬間移動を繰り返しながら攻撃と離脱を繰り返す。
「まさかワープまで出来るとは……!! まずい、これはまずい、だが殺す!!!!」
背後から、横から、真上から、時々正面から。女が繰り出す剣やら斧やら槍やらの攻撃を、榊原は紙一重の所で捌き続ける。
「死ね」
女は再び無数の殺意のナイフを生み出した。そしてそれを榊原へ放つと同時に、自身もまた殺意の剣を持ち榊原に攻撃を仕掛ける。
「…………ッ!!」
歯を食いしばり、榊原は攻撃を避ける。受ける。避ける。一定のリズムで繰り出される攻撃に榊原が『慣れ』を感じてしまった次の瞬間、
「死ね!!」
「しまっ……!!」
女が不意に剣を持たない左手を突き出した。その指先に付けられた鋭い殺意の爪が、榊原の首元へ迫る。
反応が遅れ、殺意の爪が榊原の首に数ミリ食い込んだ、その時。
「な、ん……で……!!」
女に纏っていた膨大な赤黒い殺意が一瞬にして消え去り、女は力を失ったようにその場に膝をつく。能力によってオンになった殺る気スイッチは、3分経過で強制的にオフになる。
「3分だ……素晴らしい。実に素晴らしい。君の殺る気は見事と言う他ない。というか殺る気だけじゃなく殺しのセンスがありすぎる。なんだお前。いや実に素晴らしい……」
榊原の言葉に偽りは無かった。最初は唯うるさいだけの女だと榊原は思っていたが、内に秘める殺意と殺しのセンスは本物だ。もしこの女にそれ相応の実戦経験があれば、恐らく既に榊原は死んでいただろう。
「(だが、気絶しないか……肉体が希薄……というか存在しているかすら怪しいからか? 精神的疲労は確かにある様だが……)」
榊原の狙いは、殺る気スイッチを押し続け、過剰な疲労を与える事による衰弱死であった。だがこれでは、当初の目算よりも長い戦いになる事は避けられまい。
「フッ、だが、そうだ……一度でダメなら何度でも、だ。私が本当の殺しを教えてやろう!!」
そして榊原は膝を付く女の元に接近し、再び殺る気スイッチを押したのであった。
私の視界が赤く染まる。黒い殺意が私を蝕む。私が膝を付く度に目の前のこいつは私のお腹に何かをして、私は何度でも立ち上がった。
その度に私は私の心がすり減っていくのを感じていた。苦しい。全身が引きちぎれてしまいそうな、そんな耐えがたい痛みが私の全身を襲った。
だけど私は何度でも、こいつを殺すために刃を振るった。忌々しい力。多分、殺意の力を使って。
それでもこいつは倒れない。肩を抉り、足を斬り、腹に力を纏わせた拳を叩きつけた。額に力を纏わせて不意にこいつの鼻先に頭突きを叩き込んでやった。こいつを狙うと見せかけて工場の壁に殺意の塊を撃ち、振動で割れたガラスの雨を降らせてやった。それでもコイツは倒れない。
ほんと、ゴキブリ並みの生命力。
私の視界が赤く染まる。思考が徐々に鈍っていく。けれど私の殺意は収まらない。こいつを、こいつらを、そしてあいつを殺しきるまでこの衝動は収まる事がないのだろう。
「さあ、もっと、もっとだ!! 少女よ、殺る気を抱け!! 貴様が最も殺したい相手の顔を思い浮かべろ!! 理由などどうでもいい、だが理由が必要ならそれを思い出せ!! さあ、さあ!!!!!」
コイツは偉そうに私に問いかける。その表情がなんだか楽し気で無性に腹が立つ。理由? 殺したい理由?
決まっている。生きているからだ。私は生きている全てが憎い。あんた達が生きているのが憎い。私は生きていなかった。なのにあんた達は生きている。だから憎い。そして人殺しが憎い。私を殺したのは人殺しだからだ。
私の視界が赤く染まる。私は私を殺したあんたの顔を思い浮かべた。だけど思い出せない。
違うか。だって見たことないもんね。
私の視界が赤く染まる。私は床に崩れ落ちる。頬を床に押し当てる。だけど冷たさも、床のざらつきも感じない。だって私は生きていないから。
私の視界が赤く染まる。もう何も感じない。分からない。見えない。指の一本も動かせない。
私の視界が赤く染まる。もう何も見えないけれど、私が殺し損ねたこいつがこう言ったのが聞こえた。
「今夜は本当に最高の夜だった……感謝しよう、名も知れぬ少女よ。もし生まれ変わったのならまた会おう。その時はまた殺しあおうじゃないか」
私の視界が赤く染まる。本当に楽しそうで、満足げなこいつの声に私は腹が立った。腹が立って腹が立って、本気で死んで欲しいと思った。
私の視界が赤く染まる。だから私はこう言ってやったの。
「死ね」
私の視界が赤く染まる。そして全てが終わりを迎えた。
最終更新:2020年07月03日 20:46