シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

短編小説:鳴き声

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kiryugaya

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短編小説:鳴き声 甲斐ミサキ

この小説には一部、グロテスクな表現が含まれますが、それを主としたものではありません。

 

 私は猫である。黒色していることから、一般的人間社会では「クロ」などと云う浅はかなる呼称を強いられたりするものだが、私の場合はゴッフと呼ばれる。名前の由来は「ゴッドファーザー」なるものから来ているそうだが、私はそれを何かは知らない。只、地位の高いものにしか与えられぬ称号であると類推できるので満足している。
 棲家は十六夜寮と呼称される人間の家屋に依存している。別段、狩りは得意なので、依存、という言葉に違和感を感じる。例えば、アラトなる人間は、私を手名付けようとして、幾つもの手を打ってきた。時には煮干しであったり、鯵の干物であったり、猫缶だったりする。ああ云う手合いは一度甘い顔を見せると直ぐに所有権を我が物顔で振舞うので、釣れなく装うのがいい。
 それにしても、ゴッフと云う名前の由来は親分的な意味合いを持つそうだが、実際にも私は霧生ヶ谷市の大抵の猫を知っている。知っていると云うのは的確では無いかもしれない。というのは、あちらから挨拶に来るからだ。ほーら来た。
 『おおい、南のぉ』あれは雲助だ。風来坊のようにふらふらとあちこちを出歩いているからその名が付いた。時に霧生ヶ谷へ流離ってくる猫を見つけると私のところへ連れてくる。本来の飼い主が彼を何と呼んでいるかは知らない。
 『なんだい? 北の』雲助の後ろからちょこちょこ付いてきている猫がいる。ここらでは見かけない顔だ。茶色の体躯に花びらが舞い散るような模様が付いている。
 『つい先だって、北区の関屋早貫町に越してきた女の子だ。ほら挨拶しなはれ』
 『私は体が名を顕すように花房と申します。よろしゅう』ちょこなと座った彼女は白い腹を見せるように、くるりと一回点して元の位置に座した。
 『私はゴッフや。この辺一帯を仕切らせて貰うとる。特に気をつけることも無いけど、タラシな奴もおるからな。その花散らすンや無いで』
 『へぇ。おおきに』『せっかくや、これ持ってき』私は、朝、アラトから貰ったばかりの鯵の干物を彼女にくれてやると、後姿を見送った。
 
 生活安全課は案外と暇である。新人は今日、何度目かのあくびを噛み殺した。課長なぞは平然とコックリしている。実際、独居老人宅を廻ったりするのであるが、大抵はケアワーカーやヘルパーさんなどが代わりを務めてくれているのですることがないのである。蜂の巣の除去なぞは季節性のものであるし、日々のんべんたらりと過ごし終えるのが彼の日課である。
 そんな呑気な昼下がり。
 「あのぉ」受付の前に若香魚の如き、すっとした女の子が立っている。真っ白の半そでカッターシャツの第二ボタンを外し、緋色のリボンタイを軽めに結んでいる。スカートは今時の子供らしく二巻きほどにして短く、そのスカートはフランスのヴァントゥー山に生息するタイスアゲハのような黒を基調とした赤と白のチェック。早貫町第二中学校のものだろう。輝く焦茶色の短い髪の下に活発そうな瞳が輝いている。手を後ろに組んでゆらゆらと待ちぼうけていた。
 「わたし、檀野小菊って言います。ルーキー01さんは居られるでしょうか。デイジーって言えば分かると思うんですけどぉ」
 受付係が課長の所に行き、課長はふわぁと隠しようのない大あくびをして、顔の上に乗せていたスポーツ新聞を軽く上げ、ぽりぽりと足を掻いている。
 「おおい、しんじーん、デイジーって名前に聞き覚えがあるかー?」
 「アラトです! いい加減、その冗談笑えません」
 「で、聞き覚えはあんのかー」
 アラトは、据え置きゲーム機プレイズボックスで『怪物狩猟者』という巨大怪物を狩猟するゲームをオンラインで遊んでいる。そのプレイネームがルーキー01だ。そして、デイジーとはよく一緒に共にしている狩友の名だった。
 「ええ、聞き覚えのある名前です」
 「じゃあ、お前さんに客だ。いいかー、犯罪行為は懲戒処分だぞー」
 課長が手をひらひらと振っている。
 何言ってんだか、とぶつぶつぼやきながら、待合の椅子に座っている少女を見て得心した。見覚えが無いと思いつつ、
 「僕がルーキー01だけど、君は?」
 「わぁ、あなたがルーキー01さんなんだー。思った通りの人」
 くすくす笑う小菊を見て、何が思った通りなんだとお互いに挨拶を交わす。とはいえ、アラトも困惑していた。デイジーこと、小菊は例えばパーティプレイ前提の最凶ギガガントマギカディアボロスの腹の下で鬼啼蛇剣で乱舞して一人で狩ってしまうのだ。アラトはといえば、毎回毎回、逃げ回っては罠を仕掛け、遠まわしに毒痘棘刀でちくちく毒効果を狙い、結局マグマブレスで焼かれて昇天するという情けないプレイ。そのことを思うと自分に憮然とする。てっきりネカマの手だれプレイヤーだと思っていたのがこんな少女だとは……。
 少女がおもむろに話し始めた。
 「わたしんち、式王子市から、つい最近一戸建て購入することになって、ここの関屋早貫町に引っ越してきたんです。中古住宅なんですけど、海の傍だから潮騒なんかがして中々いい洋風建築なんです。わたしの家はわたしと、お父さんとお母さんと花房っていう猫が居て。で、わたし、いつものようにゲームしてたんですよね。そしたら、ぬぁぬぁと遠くから猫の声が聞こえてきて、でも気付いたら直ぐ横でハナはごろごろしてるんです。えらく早くやってきたなーと思っていると、まだ、ぬぁぬぁって。
 そのとき、特になんにも思わなくって、軒下にでも他の猫がいるのかなぐらいに思ってたんですけど……そしたらお母さんが変なこと言い始めて」
 関屋早貫町といえば、式王子と霧生ヶ谷との中間で、水門を抜け水路を渡るとたどり着く、いわば関所だ。そしてうどんロードのスタート地点でもある。また、なぜこの少女が生活安全課に来たのかアラトが推し量っていると、少女が続ける。
 「お母さんが天気の良い日に、外で洗い物を干してたんです。すると、ぬぁーと猫の鳴き声がして、スカートを引っ掻いたそうなんです。あらあらハナ、お腹が空いてるの、待ってて頂戴ねって言ったら、マーマーと鳴きながら何かが裾を掴んでよじ登ってくる感触があるって。これ、ハナじゃない。なんだろう、恐々、後ろを振り返ったら何も居ないって……猫じゃなきゃなんなんだろうそう思って、以前、ルーキー01……名取さんが霧生ヶ谷市で怪物退治やってるって自慢してたものですから一度見てもらおうかなんて」
 そうだった。アラトは心の中でヘしょげた。負けん気か、調子に乗ってゲームの中で大ぼらを吹いたのだった。ヤンクワッカには負けるけど、中の人はプロなんだぜ。しまったとはいえ、後の祭り。口が裂けても蛙獲りが本職とは今さら言えない。
 ちょっと待ってね、と小菊に紅茶をだしてから、当該住宅物件に検索をかけてみた。以前にその住宅、または近辺に怪異があったかである。そういうデータベース作りもアラトの仕事のうちだ。その家とは、とある大変なお金持ちが近隣の土地を一杯持っていて、その家も一族のもので、檀野家が引っ越すまでそこの一族のお嬢さん、と言っても七十過ぎのお婆さんが一人で守していたという。別段、怪奇なものではない。ただ、何件かが、引っ越した後直ぐに越している事実はあった。
 「うーん、特段、何かというものはないなぁ。怪しいといえばうどんロードくらいなもんだよ。ははは」
 ジト目で小菊がアラトを見ている。
 「敏腕、凄腕狩人なんでしょー。チャットでさー。なんとかしてくんないとヤダ」
 いやだ、と言われても、怪物的敏腕凄腕マッドサイエンティストなら知っているが、仕事の時まで顔を見たくもない。あの人は趣味でアラトをそこら中引き釣りまわしているだけなのだから。
 「課長、どうしましょう」
 「どうしましょうって善良なる可憐なお嬢さんが助けを求めてるんだから、行って差し上げなさい」
 ヒラヒラとてのひらを振っている。
 「ですよね!」
 みると、いつの間にかゴッフがクルルと足下にまとわりついて、さも行こうと催促している、ようにもみえる。
 「仕方ない。行くか」「善良なる市民に向かって仕方ないはない」「ですよね」
 
 その家は屋敷といってもよいほどの大きさで、潮の香りが鼻をくすぐる。
 玄関で簡単なやり取りの後、リビングに通され、小菊の母親から先ほど聞いた小菊の話と同じ話。只、あの感触は赤ん坊の手に似ていたとそう呟くのが聞こえた。アラトは猫好きなので猫の手がどういうものかは知っているが、バッタを押さえつけたりするには適していても、スカートをわし掴むようには出来てはいない。確かに不可解ではある。
 ゴッフが先に後と花房がついて行き、その後ろをアラト、小菊と母親が恐る恐ると及び腰で続く。風通しが良いはずなのにどこか黴臭い、生臭い、そんな臭気が幽かに漂う。海が近い所為なのだ。アラトはそう思いこもうと尽力する。一階のリビングからキッチン、洗面所、和室、床の間を見、何も無いのを確認する。ヒタヒタと廊下を歩く。何もあるはずがないのだ。はずがない……とそこでアラトが手に持っていた羅針盤が廻り始め、一点を指した。外の庭から直ぐの二階へと続く階段の一点を。
 そこには小さな、身体をかがめないと入れないような低い納戸があって、臭気はそこから漏れ出ている。押すと、さもありなん、漆黒の闇がそこにあった。
 アラトがハンカチで鼻を押さえながら納戸を窮屈に身体を丸め押し込む。
 明かり窓は無くて部屋全体がどす黒く、諸諸の臭気が粒子となって舞っているようだ。吐き気を催し、吐瀉しそうになるが、逆に口からも臭気が入り込み却って飲み込んでしまう。生臭い中に、血臭を感じる。漆喰の六畳間、じゅくじゅくと腐乱し、もはや体を成していない畳から何かが靴下に染み入ってくる。いたるところに黒い染みが食い込んでいた。黴ではない。ぐしゃぐしゃに飛び散った血だ。血露というに相応しい。
 血臭の中を、小菊と母親がついて入ってくる。と同時に母親が吐瀉し、小菊もへたり込んでいた。
 アラトが一回表へ出向き新鮮な空気を吸った後、懐中電灯を手に再び戻る。辺りを照らすと、行状が浮かび上がってきた。血に塗れた浴衣、同様のバスタオル、大量の手ぬぐい、金盥、敷布団……。羅針盤はぐるぐると止め処なく廻り終えようとしない。
 マーマーと鳴き声がする。
 マーマー……マーマーマーマー
 マー……マー
 「だ、誰かがここで出産したんですよ……名取さん」
 小菊の母親が朦朧然とした声で呻く。
 確かに昔のお産婆さんが用意するものと、部屋の中に散らばっている物とは合う。
 ぺた、ぺったん。ぺた、ぺったん。ぺったん。
 何かがアラトたちの方へと近づいてくる。
 ライトの明かりの下に赤黒い紅葉のようなちいちゃなてのひらが浮かび、
 ぬぅぁぁぁぁぁと聲をあげた。
 
 花房を後ろに私はすくりと立ち、シャーと呼気を吐いた。
 所詮、人間は恐怖心の前には木偶の坊と同じなのだ。屈みこんで役に立ちそうもない、情けない主を助けたら、アラトのことだ。尾頭付きの鯛でも寄越すだろう。
 赤黒いてのひらが、床に転がり落ちた懐中電灯の明かりから這いずり。
 確かに人間の赤ん坊のように見えるが、赤と黄の斑模様の鱗で、眼が黄色く輝いている。 闇の落とし仔に違いない。夜虞祖との血交じりかも知れぬ。
 アラトが辛うじて起き上がり凝視している。まるで視点を固定された如く。
 私はシャーともう一度呼気を吐き、
 そして吸い込んだ。私の尾が二股にそして三股、四股、五股に分かれてゆく。
 くぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
 息の続く限りに吸い続ける。
 最初に赤黄色の鱗皮が剥がれ、指が飛んだ。腕、太腿……
 交じり物は後ろを向いて闇に融けようとしたが、足首、臀部、はらわた、胸……
 マーマー……マーマー、マー
 そして黒血にぐしゃぐしゃになった毛の隙間から幽かに、懇願するかにも見える狂気じみた瞳が私の腹腔に収まった。
 くるる、と放心したアラトの頬を数度舐めてやり、鼻先をこすりつける。
 アラトがへたり込んでいる小菊と母親を起こして、納戸の入り口へと案内した。その間、花房は私を見上げて身体をこすりつけ、元気よく飛び出していった。
 
 後日。
 近辺調査の結果、その家で、七十過ぎのお婆さんが数ヶ月の間、人に姿を見せなかったことがあり、また再び姿を見せ、今はもう亡くなっているそうだ。
 夜虞祖は人を選ばない。或いは、そのお婆さんがひっそりと闇の中で息潜み……。
 
 そのまた後日。
 デイジーが中学生と知った本田がアラトに「このロリータが」と突っ込み、アラトからローリングソバットを喰らったのは言うまでもない。

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