シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

キリコと宇宙戦争前編

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 それは、ある夏の夜の事だった。
風はなく、大気はねっとりと絡みつくように湿気を帯びて、連日の熱帯夜は記録を更新し続けていた。雲はなく、星の輝きも真円一歩手前の月の光に掻き消され、のっぺりとした闇が空を覆っていた。
 その空を灼熱の火の玉が切り裂く。大気の抵抗に真っ赤に燃え上がり、しかし燃え尽きることなく大地に突き刺ささった。夜気を引き裂いた衝撃と霧生ヶ谷の地を揺るがした振動に、寝静まっていた家々に次々に明りが灯る。
 その落下のエネルギーはどれ程のものであったか。
 事実、中央区に設置された震度計はその瞬間、実に震度五強を記録している。にもかかわらず、実質的な被害届は一切出されておらず、また実際に被害も確認されていない。理由の一端としては、正体不明の飛行物体が落下した場所に問題があると考えられる。落下地点は北区瑠璃家町真霧間源鎧科学研究所の敷地内である。近隣住人曰く『キリコちゃんの庭』であり、それ以外にも様々な噂が付き纏う洋館である。
 曰く、倫理を無視した科学実験が行われているらしい。
 曰く、幾つもの別世界への扉が存在するらしい。
 曰く、上下水道、水路を貫く大深度地下千メートルに達する広大な地下空間を有するなどなど枚挙に暇がない。無論、幾つかの噂はまったく事実無根のものであり、しかし、誠に遺憾ながら幾つかは覆しようのない事実である。
故に、目を覚ました近隣住人は猛然と煙を噴き上げるキリコ邸を見て『またか』の一言で二度寝を敢行し、別段騒ぎ立てる事すらしなかった。また、公にされる事はなかったが、震度計のチェックを行う係員が『またか』の一言と共にキリコ邸爆発と測定用紙に赤ペンでチェックを入れたのも事実である。
 霧生ヶ谷ではこのような出来事が半ば日常茶飯事的に生じている。しかしながらこれらの事柄は全て今回の出来事とは直接の関係はない為、これ以上は割愛させて頂こうと思う。

 さて、一夜が明けた翌日。
 いつもどおり定時三十分前に市庁舎に出勤した名取アラトの前になんとも感想の述べがたい光景が広がっていた。就業時間になるとそれなりに人が集まる事になる受付ロビーに混沌が生じている。来客用のベンチは軒並み壁際に押しやられ、何本ものコードが床を這いまわる。倉庫の中から出してきたと思しき埃をかぶった長机の上には焦げ目のついたパソコンが何台も並べられ低い唸りの多重奏を歌っている。そのどうしようもない混沌のど真ん中には、保健管理室の主、霧生ヶ谷の誇るマッドサイエンティストこと真霧間キリコがいた。
 この人はまた何をやらかそうというのか、新人は盛大に眩暈がするのを自覚した、いつものことながら。
「何しているんですか、キリコさん。ああもうこんな朝っぱらから散らかして。人が来る前に片付けないと……」
「いいのいいの、そんなこと。こっちの方が最優先事項だから。ああ、丁度いいわ、アラト君。君の意見聞かせてくれない?」
 アラトの言葉を遮ったキリコが指し示したものは、バレーボールだった。大きさといい、表面の模様といい。違うとすれば、表面が金属質な光沢に覆われている事と、ズシッと腰にくる質量を持っている事だろう。
「なんですか、これ?」
「昨日降ってきたのよ。お陰で研究室が一つ焼けちゃってさ、仕方がないから無事だった機材持ち込んで調べてるとこなのよ」
 見つけた時には確かにピカピカ光ってたと思うんだけどねぇと、キリコにしては珍しく苛々とした調子で前髪をグシャグシャとやった。
 それで、パソコンに焦げ目があるのかと納得しながら、はぁ、とアラトは気のない相槌を一つつく。
「そーいう訳だから、君もこれを動かす方法考えなさい」
「や、いきなりそんなこと言われても。キリコさん色々調べたんでしょう。それで分からないんでした僕なんかが分かるわけないですよ」
「そうね。何にもわかんないのよ。X線も遮断してくれるし、真空に晒しても高圧化に置いてもまったくの反応なし。宇宙から落ちてきた時点でそんな事は予想がついていたんだけど、此処までだとちょっと腹が立つわね」
 その瞬間、確かに冷や汗が一筋背筋を伝っていくのをアラトは感じた。これはやばい。今の内に何とかしないとキリコはとんでもない事を言い出すに違いない。例えば、この謎の球体に対して原子分解を試みるというような……。予想や予測ではなく、予知に近い確信としてその光景が脳裏に閃く。霧生ヶ谷の命運が自分の肩に掛かるのを自覚してまた眩暈を感じる。ああ、なんでこんな事になったんだろう。僕は普通の生活を送りたいだけなのに。
 そういうのを他人は運の尽きと言う。
「あー、ひょっとしたら」
「なに……」
 氷点下一歩手前、且つ爆発直前の不機嫌な声に気おされながら、それでもアラトは答えを口にする。
「接触不良なんじゃ……」
 沈黙が痛い。外国ではこんな場合『天使が通った』と表現するというが、そんな可愛らしいものではない。全身を細かい硝子の破片でチクチクされているような居心地の悪さが気持ち悪……。
「それだあーー」
何が起きたのか新人にはアラトできなかった。ただ単純に目にした事を羅列するならこうだ。
 いきなり叫んだキリコが白衣の内ポケットに手を入れた。出した右手を高々と掲げるとどんな魔法かそこには五十センチほどのハリセンが顕れており、キリコは気合一閃振り下ろす。ハリセンはバレーボールもどきに右斜め四十五度で確かに命中し、勢い余って傍の柱まで吹き飛ばした。バレーボールもどきは柱に減り込む形で動きを止めて重い音を立てて床に落ちた。それから少し間を置いて、バレーボールもどきがピッピッと電子音を立て始めた。
「な、なんですかそれはー」
「これ?」
 キリコはハリセンを持った手を軽くスナップさせる。パタパタとハリセンが勝手に折りたたまれ名刺サイズに収まった。
「技術協力した大学の教授がさ、面白いものが出来たからってくれたの。中々便利でしょう?」
 一体、どんな技術協力をしたのでしょう、いやそれ以前になんでそんな最新技術でハリセンなんか作っているんですか? 突っ込みたいことが沢山あり過ぎて言葉に出来ないアラトは一つだけ悟ったのだった。こういうのを『すごい科学の無駄遣い』というに違いないと。
「そうじゃなくてですね」
 真理を悟ったアラトは一つだけ訂正を求める。
「今の一撃は何事ですか」
「ああ、あれ。アラト君、テレビとか調子悪いときやんない? 右斜め四十五度でぶったたくのって」
 今度こそ、アラトは完全に沈黙した。
 教訓、マッドサイエンティストに常識は通用しない。

「さて、動き出したことだし。アクマロッ」
「……なんだ」
 ヌルッとキリコの影から出てきたのは、ショートヘアのちんまりとした少女だった。かつてパズスの騎士として仕えていた悪魔の一柱である。もっとも、ある一件でキリコの携帯ストラップへと成り下がっており、こうやって少女の姿の化生するのが精々であるのだが。何故、少女の姿なのかはキリコしか知らない……。
「こいつに憑いて」
 指示は実に簡潔だった。
「いやだ。何故我輩がそのようなことをせねばならぬのだ」
 答えも実に簡潔だった。
 二人? の間に見えない糸で出来た緊張がピンと張られ、先に根負けしたのはアクマロの方だった。当たり前の結果といえば、当然である。切り札を握っているのはキリコの方なのだから。世界はいつもこんなはずじゃなかった、ものなのだ。
「分かった。やれはいいのだろうやれば」
 アクマロの本体はあくまでキリコの持つストラップであり、少女の形を構成するのは霧生ヶ谷に満ちる霊子に過ぎない。故に望めはどのような姿も取り得る筈だし、キリコが命じたように物質に憑依することも可能な筈だ。
そして、アクマロは右手をバレーボールもどきにかざす。なんだかんだ言いながらキリコの意図を正確に理解しているアクマロは己を構成する霊子の一部だけをバレーボールもどきに溶け込ませる。残りの部分はいわば出力装置だ。
「ガッ………、ガアアアァァアァァァァァァアアアアアアアア」
 ビクンとアクマロが体を震わせ、呻きを上げる。頭は小刻みに振れ両足は既に床についていない。映画『エクソシスト』も吃驚な恐ろしい有様だ。そのうち首が五百四十度くらいグルリンと回ってしまうんではないかとアラトが心配になってきた頃、ようやくアクマロの体が静止した。
「壊滅する……襲来…………形状し難き……群れ……阻止する……希望」
 一つ一つは意味のある、しかし繋がらない単語が虚ろな口から流れ出す。
「大丈夫なんですか?」
「多分。理解しやすい単語から順に私らの言葉に翻訳されてる所為で支離滅裂になってるんだと思うから。あれも、一応悪魔だし、大丈夫。じゃないかなぁー」
 言った傍から、アクマロが弾き飛ばされた。白煙を引きながらアラトたちに方へ飛んでくるアクマロ。
「何処が大丈夫なんですかっ」
「おっかしいなぁ。此処まで霊子に干渉できるなんて予想外だわ」
 何故か嬉しそうに呟きながら、件のハリセンで飛んでくるアクマロを叩き落す。敗者に鞭打つ鬼のような所業である。
 それはさておくとして、白煙が晴れるとそこには半袖半ズボンという外見アクマロとどっこい位の少年の姿があった。さらには。
「初めまして。ワタクシはシリアルナンバー:OCE666。コードネーム:デモンクラインと申します」
流暢に言葉を発するとぺこりとお辞儀をしたのだった。

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