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◇サーバー・キチェル保存域66500
声が聞こえていた。幾度となく呼ぶ声は誰の声だっただろうか?
静かに、でも確かに呼んでいた。
惑星アムドゥスキアで毎日行われている実験はダーカー因子を何らかの方法で増幅させることで
体内に収めた龍族の捕食因子を強制的に活性化させ、戦わせてみたらどんな変化が起こるのか?
と誰かが考えついた、夢だの、理想だのを詰め込んだものだった。
実際体内で戦わせたいと願った一人の研究者は、毎日飽きもせずに繰り返して笑った。
「
シュトリ君。君の体の内はどうなのか?」
「え? 内臓が中から喰われている感じがします」
これはデューマンになってから日に日に感じるようになったものだ。
しかもこの実験を始めてから、その感覚はどんどんと強くなっている。
体の中でぶつかりあう力と身体の持ち得る力がぶつかっているかもしれない。
「シュトリ君の能力は母星内で天候をどうこうする力だったね」
「あー、大体そんな感じです」
正直、母星でしか使えない力になど興味はなかった。
母星は消える。滅ぶ。そんな所の話などもう聞きたくもなかった。
確率からいっても助かる見込みはないと言われたあの演算結果を、この脳は記憶してしまった。
何度も何度もそれが間違いでないかと考えた所で、このままでは母星が滅びることも、自身が文明とともに死ぬことも
どちらにしても回避は出来なかった。
(ああ、こんなことなら)
確かな可能性など探さねば良かった。見据える未来の先に自身の脳と記憶を捧げれば良かったのだ。
そうすれば何も怖いものなどはなかった。辛いことすらなかったのに。
「シュトリ君?!」
声が遠くに聞こえていた。
一歩一歩踏み出す大地は深く沈んでいくような感覚を与えてくる。沈む。
沈む。落ちる。
まるで川の中を歩くみたいで、纏わりつくその倦怠感に似た何かを心の中で心地よいと感じているくらいには
既に感覚は失われている。
『歌って』と聞こえた。
何を、とは言わない。
口から洩れるものは静かに流れる水の音。消え失せれば良いのだ。
否、全て流してしまえばよいのだ。
嵐と共に雷鳴を。閃光と共に轟音を。さんざめくもの全てを奪い取る為の闇を。
『そう、この私は―――』
巻き起こるのはフォトンが導いた風の音だ。
突風はさらりと自身の肩越しに駆け抜けていく。名前を呼んでいたであろう部署の主は岩陰に隠れるように逃げていく。
そう、それで良い。
どす黒い感情が満たしてくれるようだった。
この世界はどうして。
どうして自身には何も――――…。
《―――そなたの声は良く響くな、人の子》
頭の中に直接聞こえているかのように、音は傍にあった。
空から舞い降りたそれは青い、とても青い飛龍。目を疑ったその青に、身体は素直に反応を示した。
危険だ、殺される。
そう判断した瞬間に身体は反射的に逃げ出そうと動き出した。光が降る。
これを受け入れるならば、光と共に消失して、深い闇と共にどこまでも落ちていけるはずなのだ。
動き出す身体を律するように振り返り、両手を広げた。
お願い、どうか。
この身体ごと全てを失えるのならば。
《―――愚かなことだ》
龍族にしてはとても流暢な話し方でその飛龍は近寄ってきた。
「力を収めよ、そなたにはそれができよう」
「殺せ、殺せよ! どうして? どうして殺してくれない? 僕を……このまま、止めて」
「聞け」
「殺せ!」
青白い光が目の前にあった。
ああ、これで終わるのだ。全て。
確かに自身は笑っていた。楽になれるのだとそう思っただけで笑みがこぼれていた。
思えば母星を出てから弱音など吐かないと律してここまできて。
目の前の可能性と奇跡に縋ってきただけの人生だった。人間ではないと、そう分かっていながら人間だと嘯き。
その人間ではない道具が、それでも未来をつむげると信じて戦ってきた日々だった。
青い光は自身の右目を掠めていく。
更に距離を詰められた瞬間。龍は何かから守るように翼を広げた。
この闇を消す為、龍は力を振うだろう。そう確信した。
突き刺さるような痛みが右腕を襲い、声にならない声が喉の奥から漏れ出たのを感じた。
これでやっと終わる。手を伸ばした先、【彼女】の姿を思い出して身体を覆う力が剥されていくのを感じた。
イズハルアは一人で?
一人でこの未来と戦うのか?
「―――…めだ。駄目だ」
「――――?」
「僕はまだ……」
答えを言っていない。
導く先にどんな絶望が待っていたとしても、まだ見つけていないその先へ。
「僕はまだ、死ねない」
全ての回線が繋がっていくようだった。
指先から体中に広がる感覚に視界が広がる。繋がっているのは感覚だ。
昔、遠い昔。まだ自身が双子の半身と繋がっていた力、《精神界干渉からの共有能力》。
それを発現させないために、記憶の底に封じたはずであったというのに。
サーバーの中ではこうも便利に引き出せてしまう場所にこの力の記憶を保管していたのだろうか。
空間ではない。他者の精神と自身の精神を繋ぐその力を。人間ではなく。
半身でもないその龍に向けて力を使えばどうなるか分かったものではなかったのに。
それでも龍は、その指先を受け入れるように手にすり寄ってくつくつと笑った。
「そなたは本当に、よく響く声をしているな…シュリ」
- 記憶が断片的に欠落しています。修繕箇所が数点見受けられます。
サーバーへの記録開示を停止してください。
◆サーバー・キチェル保存域78905
龍は名を名乗る事はなかった。
龍族は特定の名を持っているという話は聞いていたが、教えてくれる事はない。
色々と話をしても、名を教えてくれる風はなかったから名を与えたいと申し出ることにした。
「パラセノス、はどうだろう?」
「何の意味がある言葉だ?」
「僕が書いてる論文の頭文字を合わせた造語」
「……詰まらん男だな、そなたは」
それでも彼女をパラセノスと呼ぶことに何の反対も起きなかった。
研究所の片隅で自身と共に過ごした年月は二年を越えている。
その間、ずっと【君】と【そなた】で呼び合っていた自身らだったが
流石にそろそろ固有の名称があってもおかしくはないと判断したのだ。
故に名を与えるなどと、一番苦手な行動に出たのだが、彼女はあまり気にもしない様子で笑った。
「そなたはずっとそれを考えていたからな、筒抜けぞ」
「あ、なるほど」
研究結果を纏めながらコーヒーを片手に頷けば「そなたもそろそろ休めよ」と声をかけられた。
眠れない男に寝ろというのは中々な拷問なのだと毎度告げるが、それでも眠れというのだから心配症にも程がある。
アークスに所属し、研究所に来て得たものはなかった。
母性を救う力は何処にもない。技術的にあの星のシステムこそが矛盾の産物で、破棄する以外に方法はやはりないのだ。
これは二年前に自身が絶望した結果と同じで、長期にわたる循環システムの再構築論や
全ての文明に対しての省エネルギー化を図った所で母星が滅亡する確率が減るわけでもない。
減退するのは、母星ではない。母星にエネルギーを供給し続ける恒星のほうだ。
故に救う手立てとして文明の放棄というのが一番手っ取り早いが、それは状況の先送りにしかならない。
現にそれを昔、自身の血脈の始祖であった女王は実行し、今に至っているのだ。
問題は先送りするべきではなかった。これから先の未来を見据えるためにはそうするしかなかったのだとしても。
「それでも僕に答えが見つけられないのは」
「…君が人間ではないからかな、シュトリ」
振り返った先、美しい青銀の髪を持った男が立っていた。純白の総意、この研究所の主。
そして彼を総長と誰もが呼んだ。
「総長、ノック無しに部屋に入るのは無礼というものですよ」
「それは済まなかったね。君の研究を覗きに来たのだけど…龍族の研究をしているわけではないのか」
「あれ、報告書を読んでらっしゃらない?」
「君が元気にやっている事だけは教えてもらったよ」
まったくこれだからこの人は困るのだ。
報告書は興味が無ければきっと読むことすら時間の無駄だと思っているのだろう。
実際は時間を持て余しているとも聞いている。だとすればたまたまこちらに立ち寄っただけなのかもしれない。
「母星に帰りたいと、君は言っているそうだね」
「やるべきことは終わりました。持ち得る知識と能力も提供しました。もうここでの仕事はお終いです」
「帰ったら君は君じゃなくなるのでは? そういった話をキヌエスが言ってきたよ。流石に僕もそれは止めようと思ってね」
「どうして?」
「さぁ?」
空いている椅子に腰をおろした男は、一言も言葉を発しないパラセノスを横目ににこりと笑った。
研究結果などではなく、ただ興味本位なのかもしれないが、そんなものはどうでもよかった。
可能性を信じた二年間に後悔はない。イズハルアの元へ戻り
このまま文明をどう解体するかを話した方がよっぽど建設的なのだ。
残された時間はそう多くはないのだから。
「時に、シュトリ」
「はい?」
「君はこの龍族と共にあるようになって、とても人間らしくなった。
表情も良く動くようになったし、発言も実に人間らしい。良かったね、人として死ねるかもしれないよ」
「……意地悪な人」
それは悪かったね、と男は再度笑った。
邪魔をしたね、と立ちあがって扉の前まで進む。何を思い出したのか、男は振り返って左手をあげた。
「どうしても何かに縋りたくなったらいつでも戻ってくると良い。僕は君の機械的な能力をとても買っている。
エノワスの血筋は、君の母を見ても分かるが、研究道具としてとても優秀だ。どんどん送ってきてほしいくらいには。
研究者として優秀な人もいるかもしれないけれど、君は道具としてなら優秀。研究者としては落第点だった。
でもね、シュトリ」
そういった男は静かに告げる。
「完全じゃない存在だからこそ、君はそうやって揺れ動く事ができる。忘れてはいけないよ、それが答えだ」
それではね、と言い残して去っていく男を見送って、短く息を吐いた。
分かっているのだ。彼が言いたい事も何もかも。
分かっている答えを封じたのは、心の底に沈めたのは。
「あの男のことを、そなたは嫌いではないのだな、シュリ」
「総長は、嫌な男だよ。優しそうに見えてとても意地悪だ。選ぶべきものに対しても全てそうだ。
それは彼が何らかの理由で、見つかるべきはずの、見据えるべきはずのものに
出会うことすらできないからなんだろう。
僕はそれをとても不憫だと思う反面、そうでなくてはいけないとも思う」
「というと?」
「彼は純白、欺瞞の白。虚飾の白。彼は真実ではなく嘘。嘘ではなく虚無」
「良く分からぬ」
「そういった類に、僕は感じているということなんだよ」
彼にはまるで原型が無いみたいに感じるのだとパラセノスに言えば、彼女は「そんなものか?」とだけ言って静かに目を伏せる。
終わりは近い、もう時間はない。それは確かなことだった。
二年前、ダーカーの侵食に遭った身体。
パラセノスがいなければ本当にこの肉体は闇に呑みこまれていただろう。
侵蝕こそ止まったが、あの時に受けたダメージは明確に自身の死を想像させるには十分だった。
この肉体はあと五年も持たないかもしれない。
少なからずフォトンの流出を止めることすらできないこの身体において、残される道は一つしかなかった。
国に戻り、結果を報告した後。イズハルアの望むように文明を閉じる。
記憶や感情が全て失われたとしても、それが最善であるというのは明白だった。
二年前のように絶望しているわけではない。絶望からの二年で知ったのは、答えが無いという現実だけだったからだ。
「いつ頃、国に戻るつもりだ?」
「そろそろだ。今まで書いてた論文は終わったし、引き継ぎをキヌエスさんにお願いするだけ。
確か彼は浮遊大陸で何かの実験をしているはずだから、そこに行こうかと」
「これからか?」
「ええ、これから」
最近考えることがなくなったのは、サーバーへの保存回数を減らしているからかもしれない。
事細かに保存する必要性を感じなくなった。精神的に繋がり続けるパラセノスがいるからなのか、それとも。
もう記憶する必要もないと判断できたからかもしれない。
本当に大切に守りぬく記憶など、本来自身の中には残らないのものだろうと確信している。
そう、自分の姿は自分では見ることができないのだから。
「シュリ」
「うん?」
「本当に可能性はないのか?」
「君も分かっているだろう。
こんな風に精神をつなげられてしまったから、僕がどんなに頑張ったとしても届かないことを」
「果たして本当にそうか?」
安全策を取り続ける姿は彼女にとって世界を放棄している姿に見えるのだろうと思う。
そうではない。
そうではないと言い聞かせなければ、今だって逃げ出したくなるのだ。
本当は帰りたくなどない。方法が見つからないと逃げ回ってしまえばいい。実際、本当は一年以上も前に国に帰れたのだ。
なのに国に戻りたいと願わなかったのは、単に失いたくなかったからだろう。
自身という存在そのものを。
「死ぬことが当たり前の人生で他の人間を救うために死ぬしかない。そんな傀儡の、まるでただの死体に何の意味がある」
「そなたは本当にそう思っているのか?」
「それが事実だ」
「ではそれを覆そうとも思わないのか、そなたは」
幾度も繰り返してきた研究と実験。
目指す先の未来のために戦ってきた日々。それは全て無駄ではなかったが肯定されることもない日々だ。
パラセノスの言葉に何も返すことはなく、惑星アムドゥスキアに向かうことにした。
そう、この精神の繋がりをあの場所で解き放たなければならない。
以前妹と繋がっていた精神を切り離した時のように、彼女と自身を切り離すのだ。
「シュリ、そなた」
「パラセノス、僕は君をとても……大事な……」
そこから先の言葉は記憶するのをやめた。
*
惑星アムドゥスキアは雨だった。天候が良くないこの惑星にきたのは久々である。
自身が荒らした天候については何も言いたくないが、傍らに寄り添うように立つ青い龍は時折遠くの空を見上げて鳴いた。
「君の空に帰れるといいな」
「そなたは自身が安寧になると良い」
パラセノスの声ははっきりと聞こえていた。
研究を引き継ぐべく向かった先は、キヌエスが実験を重ねている簡易施設だ。
白いテントのような建物が風景に似合わずに鎮座している。キヌエスは数人の研究者と共にこの中で研究を続けているのだろう。
「キヌエスさん、入るよ?」
声が返らない。
何だか不思議と扉から離れたくなった。後ろにいるパラセノスでさえ『こちらに来い』と翼を広げる。
音が無いのだ。何一つとして音が無い。
人間が生きている限り、必ず生活音は聞こえてくるはずだった。なのに――――。
「キヌエス!! 中にいるのか?!」
声を張り上げる。返事はなかった。
扉に手をかけ、そのまま押し込み中に入る。建物の中はがらんとしていて、意外と普通だった。
ただ、そこにいるべき人間がいなかっただけで。その代わりに、必要ではない部署の主がいる。
「……それは、何?」
「…あぁ、遅かったね…シュトリ君。君が母星に帰るなんていうから、キヌエス君が自らも君と同じくデューマン化をしたいって言ってね」
「―――デューマン化に失敗した?」
技術が確立された今、失敗はほぼ考えにくかった。
ならば答えは簡単だ。失敗したのではない『わざと』失敗させたのだ。
この力の暴走した先が、一体どうなるのか。その力が何を起こすのかを確認するために。
キヌエスがそれを望んで研究するとは思えなかった。目の前にいる相手を押しのけて、キヌエスに近付く。
黒く染まったそれは、皮膚を硬化させているのだろうか。
それとも何かと混ざり合っているのだろうか、フォトンが揺れ動く様だけが観測できた。
まだ、ダーカーに飲み込まれていない。
完全には呑みこまれていないのだ。ならば二つの因子を引き離すことがきっとできるはずだ。
より強く捕食し、より強く願うのだ。その力に引き寄せられるように闇は自身を喰らいに来る。
『シュリ、やめよ。その男を救う手立てはない!』
『まだ助かるかもしれない、まだ助けられるよ』
『それはそなたの幻想だ。シュリ、良く見ろ。その男は既にお前のいうダーカーという存在になり変わろうとしている。
そなたが代わりにその存在になろうとでも言うのか?』
パラセノスの言葉に息を呑んだ。
このまま呑みこまれれば、自身の死を望む必要がなくなる。そのまま責任を放棄して闇に呑まれてしまうならば。
…それではまた二年前と同じように、同じように。
心地の良い闇に呑まれてしまうわけにはいかなかった。何のために、何のための覚悟を決めて生きていたのだと。
国に戻ればイズハルアの願いのままに記憶は引き裂かれる。枝葉は消滅して何も残りはしない。
シュトリという存在ごと消しさられてしまうであろうその事実を受け入れる術など、本当は持っていない。
何度となく、忘れたい事だった。
失いたくなかった。
誰かが傍にいて、声をかけてくれるその存在の在処を。
『僕はそれでも、生きて消えなければならないか?』
『それはそなたが選ぶべき道を見つけていないからだ。選びとれる道がまだあると信じられぬからだ』
キヌエスに触れる。
闇がこちらになだれ込むようだった。因子同士をぶつけ合った所で軽減される程度しか結果は得られまい。
実際、ダーカーを消滅させることができるのはフォトンの力のみ。
龍の力では殺せず、そしてダーカー同士は引き合うしかない存在だ。
答えはそれ以外の結果を示そうが、結局は答えなどない議論の真っ最中である。
ただ確かに起こり得ることは、この力の暴走を止め切れるのは自身だけ。それ以外の答えもない。
『シュリ!』
『僕はこれを律して、国へ帰る。僕の未来など、そんなものは最初から無い』
何よりもの答えをぶつけて、闇を引きずり出す。そのまま捕食できるはずであった。
闇が触れた瞬間。以前よりずっと見えなくなり色さえも変わってしまった右目に、吸い寄せられるように集まっていた。
歌が聞こえていた。誰の声だか分からない、その歌を探している。
指先は宙を彷徨っていた。本当はこの手を誰に取ってほしかったのだろう。
その姿を憶えている。闇に紛れる中で見えるのは、後姿だけだ。
自身と妹に良く似たその姿。砂金色の髪。薄く桃色に近い瞳。王族としての紅。
「シュトリ君…君は…!!」
「……逃げて。…キヌエスを連れて逃げて」
呟いた言葉に部署の主は倒れ込むキヌエスを抱えてよたよたと逃げ始めた。
闇は襲うことはないだろう。この身を喰らいつくすまで。くつくつと笑い声が漏れた。
誰の口から出ているのだろうと思えば、それは自身だ。
「シュリ」
「殺してくれと、懇願しようと思った」
「何故だ、シュリよ。どうしてそこまでしてその未来を変えることを考えぬ」
「だって、パラセノス。シュリは最初からいなかった。
胎の中で命を迎える事すらできぬ肉体に、無理矢理精神と魂を引きとめた所でそれはまさしく人にはならなかった!
馬鹿馬鹿しい理想論だったんだよ、あの人は本当に馬鹿だ。この僕を、シュリを。
生かす為に力を全て失った。キチェルに既存していた彼女の能力は消え失せ、そして僕は望まない人形になった。
どうして、僕だけが。
どうして
シトリーじゃなくて僕が!どうして僕なの、どうしてなの? どうして僕じゃなくちゃ駄目なの?
僕は……どうして失わねばならないの? 僕だけが消えなければならない理由は?
イズハルアの未来が必ずしも当たる訳ではないと分かっていながら
その未来に寸分のズレもないことを立証した日から分かっていたんだ。
それでもシュリは。僕は。まだ、生きていたかった」
それが答えだった。
「でも、答えなんてないんだ。パラセノス、僕が救われる道が無いんだ。だから、誰かを一人でも多く救うの。
そして僕は道具として完全な死を遂げるの。ねぇ、褒めてよ、これが正解だと言ってよ!」
ずっと昔から思ってきた事だった。
子供のころからずっと抱いてきた事だった。母の後ろ姿を追いかけながら、自身が自身であるという証が欲しかった。
キチェルの名でサーバーを呼ぶのも、別個体にすればサーバーすら自身を認める別の存在であると誤認できる。
たったそれだけの理由だった。
「そなたは本当に愚かな男だ」
「……君もなの?」
「良く聞くと良い、シュリ。そなたの心が話さぬことを、妾は知っておる。
そなたの心の内に眠るものも共有している以上聞こえてしまう。
そなたの闇を、妾が連れて行ってやろう。何も見えなくなったその瞳に色を残し、そなたの心を連れていこう」
「…何を言っているのか…」
簡易施設を吹き飛ばす咆哮と、一閃が眼前にある。距離を大きく詰めたパラセノスがふわりと自身の前に舞い降りる。
昔見た彼女の姿同様に、美しい青い水晶のような光は、温かく、そして何よりも眩しかった。
彼女の声はもう聞こえなかった。
闇が自身から引き離されたと思った瞬間に、彼女の様子は大きく変貌したのだ。
甲高い咆哮と自身を吹き飛ばす動作。そして彼女の後ろから切りつけるアークス達の姿が映り込む。
きっと部署の主が呼んだのだ。
そして目の前にはダーカーに侵食されかかっている龍とそれに襲われているように見えた研究者が一人。
取るべき行動はただ一つしかない。
「やめて!! 彼女は!!」
叫ぶ声は届かなかった。がくりと力なく崩れる龍に駆け寄って手を伸ばす。
意識はある。まだダーカーにも呑まれ切っていない。しかし、その呼吸は酷く浅いように感じた。
「シュリよ…そなたのできることは本当にそれだけで、そなたの願いは何なのだ?
そなたは一体誰で、何者なのかをもう一度思い出してみると良い」
小さく声が聞こえる。
龍の反応は実に弱かった。周囲に近づいてくるアークス達を目線でけん制すると、くつくつと笑う声が聞こえる。
「妾は随分と長く生きた故、そなたのような小さき者がどんなことを考えているのか、それを知りたかった」
「パラセノス、もう話さなくていいから…」
「ロのカミツに会え、シュリよ。妾の死をこの星の主に伝えておくれ。それだけが妾の望みだ」
空を舞う翼を折られて、もう飛ぶことすらできないその姿をサーバーは保存し、そして再生するまでの演算を記録していた。
まだ生きていてほしいと願う故の願望が見せた空想の数値だ。
「そなた自身は、何もないという。そなたに価値もないもないという。
しかし、望むべき答えを持っていけないということではない。
存在には然るべき時に成すことというものが存在する。妾がそなたを助けたように、だ。
そして―――やるべき事が見つかったのならば、それがそなた自身であるという証だ。
物ではない、誰のものでもない自身を見つけたのならば出来る限りを、するべきことを自身を賭してするのだ」
賭けるべき命はそんなところには無いのだと、はっきりと告げるような声で。
それでも龍は穏やかに声を発する。
「健やかに、敷かれた未来を変える奇跡を手にしろ。そなたには見えるはずだ、その思考から除かれた、そなたの選ぶべき道が」
「分からないよ、パラセノス。嫌だ、君が死ぬのは嫌だ」
ダーカーの因子を引き受けられれば、彼女はきっと死なない。周りのアークス達も彼女を殺したりはしない。
「そなたはずっと逃げてきた、その答えが分かっていながら、逃げてきたのだ。
親友のような従妹姫を助けるのではなく、そなたはそなただけを助ける方法を選ぶことができた。
それをしないそなたは馬鹿だ。
それでもその道は選べないと泣き、存在の否定に怯える。そなたは分かっているだろう。それが答えなのだ、シュリ」
「お願い、もう」
「そなたの心は、妾が貰って行こう、小さき友よ。闇を恐れ、光を選べ。そのためにそなたは光を失ったのだから」
龍の首が緩やかに地に伏せるのを見て、その場にただ座り込んだ。
あぁ、記録しなければならないとサーバーへの接続を確認する。
この存在を言葉を忘れてはいけないと、何度も何度も言い続けるように。
記録したものは全て、誰にも触らせないように畳み込んだ。
「ごめんなさい」
交わす事のない約束を、最後の最後に声にする事は出来なかった。
◇サーバー・アルカディア保存域01560
サーバーの名を変えたのは、パラセノスを失った後からだった。
名を忘れないために。彼女を失わないために。必ず、あの言葉の意味を理解するために。
見えなくなった瞳の代わりに得たのは、確固たる揺らがない信念そのものだったとしても。
弱く震えた人間の心は全て彼女にくれてやった。彼女の言う目の向けられない可能性の在処を良く理解している。
イズハルアの予言を覆す方法はただ一つ。
文明を残し、星を破壊することだ。その文明が残るという時点で、自身は彼女との記憶を。
全ての記録を守り切ることができる。圧倒的な勝利だった。例えその道がどんなに辛くても。
可能性を信じると決めたときに、道は開けていたのだ。
イズハルアを騙し、全ての準備を整えてから、彼女の舞台を終わらせる。
そして始まりと終焉へ必ず導いてみせる。それ以外の道など必要なかった。
故に悪魔との契約を交わす必要などはない。そう、道具ならば道具として、扱われながらでも道は開けるのだから。
「僕はシュトリ・アルカディア。エノワスの王子にして反逆者。
惑星を救うのではなく、自身を救うために貴方に教えを請うのだ」
真っ直ぐに見据えた先、振り返った男は緩やかに笑った。
「ようこそ、アルカディア。僕は君を歓迎する。機械でありながら人の名を嘯く電脳の主。
君の願いは必ず叶わないだろう」
「いいえ、フォトナー。アルカディアは望みを叶える。
この名と共に国を築いた王と同じく。僕は、私は、シュリは。
例え、一人でもこの記憶と全てのデータを守り続ける。この命が尽きたとしても」
それが独りぼっちで戦うと決めた意思として。
「それが君の答えならば、あの龍も」
「彼女は喜ぶでしょうね。シュリが諦めなかった事を。そして、彼女は泣くでしょうね。
貴方のような人間にシュリが頼るしかない事実も」
「違いない」
記憶は改竄されない。
決して塗り替えること出来ない保存の先に、渡されるべき未来が無かったとしても。
「未来を変える力を、僕は、シュリは望んでいるのです。この世界に」
――――保存されているデータの再生が完了しました。
「これが、僕の記憶に映らない人の姿なら。僕はきっとその人をずっと知っていたのだろう」
そう僕自身でありながら僕ではない人がそこにいるという事実を。
最終更新:2017年04月26日 23:21