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恐怖に慄く人の顔を君は知っているか。
その声は赤く、そして魂は青で出来ている。
折り重なる幾重ともなる螺旋の輪を潜り抜けて、探って触れて増やし続ける。
闇は蠢いては辛辣に語るのだろう。それは雄弁ではなく詭弁でもない。
絶対の悪は存在しない。では絶対の正義は存在するのか。

否、絶対というものは必ず善にはなりえない。


■□


遠く教会の鐘が響いていた。自国には無いその音は酷く脳裏に焼きつくように響き渡っている。
森は鎮座し続けていた。風がいくら木々を揺らそうともそこから動く気配さえ感じられることはない。
キャンプシップから見下ろした街は美しい赤い煉瓦の街に見えたというのに
それは転がった肉の塊と武器を振ういくつもの刃によって赤に染められていたに過ぎなかった。
温厚な人間はこの世に存在しないと従妹が笑いながら言っていたのを思い出す。

シュトリ君はここで待っていてくれ。済まないな」

そっと撫でてくる手は金属で固められていた。その肉体から精神まで
本当は人工物であるはずだというのに有機生命体のように生きている。キャストの肌に触れたのは今回が初めてだった。
自身の国にキャストがいなかったということもあるが、何よりも自分自身が他者を知らなすぎる。

「レギアス、母はどんな人間でしたか?」
「貴方の母親は、とても優しい人だった。ダーカーがどうして侵食をするのか、そして対抗する術はないのか。
 常に最小限の犠牲で収めたいと願い続けて戦っていらっしゃった。立派な方だったよ」
「…そうですか。すみません呼びとめてしまって。お待ちしています」

それは最小限という名で固めた犠牲の在処。
引きとめてしまった行為でまた何人もの犠牲が出るのだろう。
触れた金属製の椅子を指ではじくと鈍い音が響く渡った。
誰もいないこの小さな箱の中で外はあんなにも美しい赤で染まっているというのに。
それを触れることも抱きしめてやることも、祈る事さえもがまるでいけないことのように。

「書は集まりを持って、原初と成す無音。時は記されるのを恐れ、記憶は記録を望まない。
 ――――アーカイブにアクセス。保存を拒否します。惑星インラスの記録を全て廃棄してください。
 ……要請を承認、黙示録は記録を破棄し、再起動を承認します。
 それに伴い、管理者の思考から惑星インラスの情報を破棄。一時間後に再起動します」



 **時間経過アリ、サーバー内のデータを整理します**



「つ~まりだ、シュトリ。お前は自身が要らないと判断した情報を保存しないというアホ野郎ということじゃな?」
「あれこれが作りモノにアホ野郎とか言われたくないです僕」
「何の話だかさっぱりであるが、まぁ、その無礼は許してやろう。お前は私の玩具だからな!」
「あー、レギアス。この女煩いから部屋から出してもらっていいですか、研究の邪魔だわ」

なんだとー!と声を張り上げた少女を横目に目の前の被検体を見つめる。
侵食を許した肉体に否定の概念は存在しない。鎮座するのはそれの時を止めてしまっているからだ。
じわりと進むその緩やかな進行度は誰もが嫌悪感を抱くことだろう。
スイッチ一つで消え去ることを命じられる立場を有する人間は、この重みに耐えねばならないのだから辛いだろうと思う。
しかし他者を幾ら思ってみた所で、当事者ではないのだから仕様がない事だ。

「君は思ったより冷静なんだな」
「そうでしょうか」
「それの命を終わらせることは君の研究の終わりを意味する。良いのかい? 母のやってきた研究だろう?」

首を傾げてそう告げた機械仕掛けの男は、緩やかに近付いてきて肩に手を置く。
この研究室にきて何年の時が過ぎたのか、もう数えるのはやめた。
個人に宛がわれた小さめの研究室はまるで小箱だ。知識の箱。
しかしその箱の中には希望は詰まってなどいない。
答えは全て水の底、或いは空の上なのかもしれない。

「一定周期は確認てきました。僕の因子サンプルも置いていきます。あと――残りは…」
「本当に行くのかね、外へ」
「行きます」

この研究室は数々の実験を無機的に繰り返している。何をどうするのか、どうしたいのか。
答えに当たる部分はない。寧ろ答えを握る存在は姿を見せることもないのだろう。
以前一度だけ声をかけられた時は「本当の君はどこにいるのか」と問われたが
ここにいるものを認知できないほど疲れきっているのだろうと流してしまったのを覚えている。
しかし一度会えば嫌でも忘れられないタイプの人種で、正直な話はあまり好ましくない部類だった。

「はぁ」
「どうした?」
「いや、何でも」

荷物をまとめて研究成果を燃やす。残られては思いの悪いものばかりだった。
それでも自身の記憶にはその数値から何まで残っているのだから、忘れられるわけもない。
ふわりと吹き込んでくる風が何処からか甘い香りを誘うが、もうここで三時のお茶会などはしないのだろう。

「シュトリ、茶はどうする?」
「クラリス、それはいらないかな、あと…」

肩に手を乗せている男を見据え、やんわりと手を退くと数歩離れて振り返る。

「約束は」

その声は鋭利な刃物のようだった。

「守ります。ここに最初に来た時から、ここを去るときは《研究内容の破棄》と《必要事項以外の記録凍結》は
 決めていましたから」
「そうか…ならばいいがね」

呟かれた言葉にいつもの優しげな空気はなかった。
分かっている。こうなると分かっていても、この結論を選ぶしかないのだということを。

「――時間は事象を選ぶことは許されない。…――アーカイブに接続。研究対象に対する記録を凍結。
 枝葉に推測される複数選択の余地を記録から削除。
 逓減は記憶に作用し、干渉値における確率推論ごと削除を要請――――…アーカイブ〈サーバー・リオキシス〉中における
 全対象データの凍結及び、不確定要素による推論を削除。
 承認しました。これよりこのデータは【追随と創現の記手】若しくは、管理者がデータ存在を再認識するまで
 完全凍結保管となることを確認。……承認しました。
 ―――これにより、システムの再起動と管理者意識データの再設定を行います」

システムとの更新は音で構成されている。
何を通して遠く離れた母星のサーバーにアクセスしているのかは定かではないが
これで今までこの研究所で記憶してきた事象の9割以上を自身の中から失うことになるのだろう。

「…! シュトリ、それは!!」
「―――十五分もすれば僕は意識を失って、次目覚める時には君の顔も思い出も忘れてしまう。
 …けど、また出会えたら仲良くしてくれる? クラリス」
「……知らん、お前なんてやつは知らん!」
「つれないなぁ」

記憶は欠落する。何度だって繰り返してきたことだ。けれど忘れてはいないものもある。
探すべきもの、逃げて行ってしまったあの青い龍を。

「再起動後に覚えているのは?」
「僕が暴走した時に、あの地で救ってくれた龍の事。僕の体の事。研究に携わっていない人間関係。
 たぶんこれくらいだと思います。実際、どれくらいの記憶が消えるかはサーバー側の判断になるので
 もしかするとアークス船に乗り込んだ時の記憶で止まってしまっているかもしれない。
 ただその場合は都合よくサーバーが何とかしてくれるので、ある程度のごまかしはきくと思います。
 …レギアス、最後に」
「どうした?」
「今まで有難う。どんな思惑があるにせよ、私は貴方がここに連れてきてくれたことに感謝しています」

ゆっくりと笑う。
体が揺れているのだろう。意識が落ちればもう何一つとして覚えていないとしても。


外は晴れ渡っている。
まるで自国の空の色のようだと思った。降り立ったアークス船はこれで何個目だっただろうか。
曖昧すぎて記憶が無い。
もしかするとサーバーが何かをしたのかもしれないが、記憶が整理・再構成されてしまっている状態では
何を考えようにも答えは出てこない。
けたたましく鳴る通信用のミニサイズコンソールに見覚えのある顔が映った。

「シュトリ」
「…あー、イズハルア。どうしたんです?」
「お前、何してんの?」
「え?」
「ん、まぁ、いい。そっちにシトリーが行くと言って聞かん。どうにも男が出来たとかで、そいつに一直線にだな…」

双子の妹であるシトリーがまた暴走したのか。
ため息を漏らして「わかった」とだけ返す。
指で弾いたコンソールは綺麗に折り畳まれて腕時計の中におさまった。
時計の針は止まっている。
けれど、この時計を捨てることはできない。外せないヘッドフォン。
その理由を思い出す為には、またサーバーからある程度の生活情報を引き出さなければならない。

「ホント、面倒な体質だ」

嫌だとうち震えられるなら、とっくにやっている。
これも全て国の馬鹿げたシステムのせいだと悪態を吐きながら、どこも作り映えのない艦内を歩く。
モニターに映る白いキャストの男を見ながら周囲の人間達が名前を呼んでいたが、一体どこの誰だかも分からなかった。

「取りあえず、この船で生活できる所を探さなくっちゃ」






改竄はされるのが記憶。
残るのは痕跡のない未来への導。
忘れてはいないはずの、その刻まれた記録に。
全ての答えになるものなどはまったく存在していない。
最終更新:2017年04月26日 23:30