ただ空を見上げていた。救命艦は待てども来ないと思っていたからだ。
物資もない、水すらもない。キャストである自身には必要ないが、救助を待つ同期の男には必要なものだった。
惑星ナベリウスからの任務帰り、救難信号を受けた艦は信号を頼りに進んでいた。
何てこともないいつも通りの救助だと思ったのに、今日だけは違っていたようだ。でなければこんなことにはなっていない。
少なくとも無駄に空を見上げるなどという行為はいらないのだ。
救助が来ないことを嘆く同期を横目に、青く、どこまでも突き抜けるような蒼穹に気を向ける。
こんなにゆっくりと空を見たのは何時頃だったか。少なくとも二年以上は見ていなかったと思う。
こんな時だからか、好きな男に捨てられた日のことばかりを思い出している。
あの日も突き抜けるような青空の下で最後に愛を確かめた。
今となっては良い思い出だが、思い返すのも馬鹿馬鹿しい程だ。
とりあえず救助が来てくれないと隣の奴が死ぬ。
ただそれだけを考えていた方が楽だ。気温は三十一度を越えようとしている。
ここが一体どこなのかさえも分からないというのに
こんなところで死にたくは無い。
『じゃあ、死なないで貰っていいですか? 僕は君たちが死なれると報酬が貰えないので』
一瞬のことだった。頭の中で考えていたことを理解されたという事実より
白銀の艦が自ら救助に来てくれた事が何よりも嬉しかったからかもしれない。
ただただその声に安堵した。オープンチャンネルで表示された相手の名前は聞いたこともない名だった。
開示された文字は『グレゴリ・エウシュカ』と書かれている。
表示された文字をそっと指でなぞり、降ろされた乗込み口を見つめた。
【天使】
青い空から一転して、まるで倉庫の中のような艦内は救助艦とは思えない造りだった。
一人で運用するには大きすぎる艦だが、これといった装備もなく、ただ数名が寝泊まりできる仮眠室は存在していた。
まっすぐに伸びた廊下の左右に扉が四つ見える。少なくとも四部屋は他にあるのだろう。
ただどの部屋もきっと倉庫のようなものに違いない。
殺風景な室内を見つめていると艦内放送が入る。
定期的に入ることから艦を操縦しているグレゴリはずっと操縦室にいる事が分かった。
同期はやっと安心したのか、仮眠室で爆睡しているようだ。
冷たい金属の壁が並ぶ部屋は気が滅入るな、と立ちあがって廊下へ出た。
病棟に近い青い電光はかつての勤め先を思い出させる。死者も死神も、神も生者も同居する病棟に息を詰まらせていた日々も。
まったく嫌になるな、と溜息一つ漏らして点滅する青いランプをただ見つめる。
ふと、ランプの横にある扉に書かれている文字が気になって近づく。しかし、文字を読む前に扉はあっさりと開かれてしまった。
中には男女合わせて十五人程だろうか、大きめの生命維持カプセルにいれられている。
この艦が救命用の艦であるのならば別段問題は無い光景だというのに、この様子を見て明らかに
《もともと医療用の艦》ではないと感じるのは何故なのだろうか。理由は分かっている、とても明確に。
モニタリングされている個人のバイタルデータを横目に奥へと続く扉に手を掛ける。
冷凍保存用の区画であるのは、扉を見るにも明らかだ。長時間利用不可のマークは病院で何度も目にしている。
「グレゴリ、この艦の所属は?」
『貴方、何て所に居るんです? そこから先は入らないでね?』
艦内放送で返事をしてくるあたりで、このグレゴリというものが人間ではないのかもしれないと判断する。
もしも危険な箇所に何も知らない個人が侵入していたら、すぐにでも飛んできて対処するものだ。しかし誰も来ない。
これで確信できることは二つ。
グレゴリは操縦桿を握ったまま動けず、またグレゴリ以外にこの艦を運用している人間はいない。
言葉だけの牽制に、侵入した所で大して気にもしない様子。グレゴリにとってこの部屋に誰が入ろうとも関係なく。
またそれも全て想定内で、目の前の冷凍保存用の区画には入らないだろうという推測も立てていることだろう。
ならばその先に思いがけない秘密があるものだ。
区画の扉に鍵は無い。そのまま足を踏み入れると、冷凍睡眠用のカプセルポッドが並んでいた。
その中にも人間の姿が見える。一瞬息を呑んで、この艦の役割を考えたがアークス所属の艦ではない事だけは理解した。
『もしもーし? ミス? 聞いてます? ミセス?』
「ミスで合ってるよ、多分な。君の艦はどこの所属だ? グレゴリ・エウシュカ」
『この艦は宇宙医療連合所属、アルタイルα-Ⅱだよ。はい、許可証と連合の組合証ね。
アークスからの救難信号だったから拾いに行ったのに…勝手なことしないでね? ミス』
「…アルタイルα-Ⅱ? そんなバカな。アルタイルα-Ⅱはこんな医療設備を利用できるほどのエネルギー体を積めないぞ」
『詳しいね?』
「それで卒論書いたからな」
ふぅん、と放送の声は返してくる。同期が騒ぎ立てていない所を見るに、仮眠室には聞こえていないのかもしれない。
頭に響くような変わった艦内放送だが、仕方がない。
『まぁ、隠す必要もないので言いますけど、この艦はアルタイルα-Ⅱを改造して作られたものです。
キャストの貴方には関係ないが、この方々はとある惑星の民間人で、病を持っています。
僕はこの方々を宇宙医療センターへ運ぶ途中だったんですよ』
「ふーん、そうか」
『それらしい事をいったなぁ、嘘ついてる~?みたいなリアクションやめて下さいよ。真実ですので』
「嫌だなぁ、そんなことは思ってないさ、グレゴリ」
『ははは、ご冗談を』
さら、と返してくる言葉を聞き流しつつ、バイタルサインを見つめる。きちんと管理されたデータ。
部屋に置かれた資料の山に、妙な違和感を覚えていた。
研究室をそのまま保存したかのような部屋に疑問を持つなというのがおかしな話だ。
冷凍保存用区画である以上、行動可能時間は大分少ない。
キャストの自身でさえ、この冷たい空間に長居するのは避けたかった。
珍しく紙媒体の資料に目を通しながら、患者である人間達の様子を伺う。
体中に黒い《しみ》のようなものがあり、これは何かの細菌か病原体が身体を侵食していることを意味していた。
グレゴリはこれを理解した上で艦を宇宙医療センターのある居住シップへ運ぶつもりだったのか。
『ねぇ? ミス』
「何だ?」
『お願い事を聞いてくれますか?』
「叶えられることならね」
切り返した言葉に、はぁ、と溜息が漏れる。
『さっさと、その部屋から出て仮眠室まで戻ってくれません?』
「…断る。ここにいるのは病人だろう? なら、私の知識や力が必要になるかもしれない」
きっぱりと言い切った言葉に艦内放送だというのに盛大な溜息を吐いたグレゴリは不満たっぷりの声で言葉を返した。
『ミス? あと三時間ほどで、本艦は君の居住・在籍シップが通る航路に入ります。
ドッキングできればすぐにでも貴方を降ろすので。ここの患者を面倒見る必要はないのですよ?』
「医者が病人の心配をして何が悪い」
『ドクターなら話は早い。なおのこと何も見ず、触れずに艦を降りてください。余計なことをされたら困るんだ』
多少崩れた口調だがグレゴリは態度を変える風はない。
冷凍保存用区画から先ほどの部屋まで戻ると、ドアのロックが掛かる音がした。
操縦席からある程度は艦内コントロールができるらしい。
こうなってくるとグレゴリの顔を拝んでみたいものだと思いつつ、つい声がでてしまう。
くつくつと笑う声にグレゴリの方が反応を示した。
『ドクター?』
「グレゴリ、私は君の顔が見てみたくなったぞ」
『…それも余計な事かな。僕と君の関係は運送屋と荷物に過ぎないってこと忘れてませんか?』
随分、坦々と話す男だと思う。ロックが掛かる音がそこら中から聞こえてきた。
自由にさせるつもりは無いという意思表示なのだろう。
しかたない、と声を上げ同期のいる仮眠室に戻ることにした。
長い廊下の先、青白く光る電光が静かに呼吸をするように点滅している。
「グレゴリ」
『はい? 何ですか、ドクター』
「彼らは管理されているようでされていないね。あの黒い《しみ》のようなものは正体が掴めていないのかい?」
『さて…私は医者ではないし、研究者でもないので分かりませんね。
ただクライアントの言うとおりに医療センターへ運ぶだけです』
仮眠室の扉を開けて、目の前に飛び込んでくる状況を判断する。
黒い《しみ》に包まれた同期は《まだ人間の姿》を保っているようだ。
冷静になる程、同期の病状を理解しようと脳が務める。
まずはこの黒い《しみ》だ。これの原因が何なのか、きっと今現状分かっていない。
分かっていることは《これがどうなるか》という事だけだ。
「こいつを助けるのも仕事のうちだろう? グレゴリ」
『ドクター…うーん、えー…まぁ、そう言われてしまえばその通りなのだけど。
最悪君らも医療センター送りにすればいいと言われているのでそこまで…』
「非協力的なのかな? 人道に外れる行為は良くないぞ?」
『僕に人の道を説くのかい? アークスというのは皆お人好しばかりなのかなぁ…。まぁ、いいでしょう。
航行中は皆仲良くっていうのは基本ですからね』
グレゴリの声が途切れると同時に、目の前に電子ファイルが展開されていく。
いつの頃からの物なのか分からないが、医療データが一度で読み切れない程送られてくる。
黒い《しみ》についてのものかどうかも怪しいが、内容としては対処療法しかない。
同期を救命用の医療ポッドへ入れ、二時間後に冷凍睡眠に入るように処理を進める。
一つ一つは簡単な処置だというのに医療データを見てしまっているからか、手が震えていた。
人が人ではなくなるかもしれないという、この黒い《しみ》の侵食が何の原因も追究すらされてこなかった事に
恐れを感じているのだ。
少なくとも同じ症状のものがこの艦には収容されている。
そしてその先は宇宙医療センターだというのなら、彼らの未来は想像に易い。
「救う方法が無いなど、今の時勢に信じられるか!」
『フォトンは全てを解決しうるものだとでも思った? ドクター、医療人が思いあがってはこの先に未来は無いよ』
「…医療人でなくとも、この現状を不思議と思わないのがおかしいと言っているんだ。
救えるものを救わないのも、救う方法すら考えないのも」
自身の言っている事がおかしいとは思わない。これがつい最近発見された病であるというのなら分かる。
しかし開示されたデータの日付は六年以上も前のものばかりだった。
治す方法を六年もの間考えてこない訳がない。ただ一人も研究していないとも思えない。
そこまで医療人が探究心の無いものではないと信じているのだ。
目の前の不幸を止めるなんて大それたことを考えている訳じゃない。
目の前の人間を諦めない事だけは誰にでも出来る意思というものだ。
その心は今の自身にもしっかりと宿り続けている。だからこそ、間違いじゃないと言い張るしかないのだ。
例え、それが本当は間違いであったとしても。
「グレゴリ、私は間違っているか?」
自身の問いかけに彼は少し間を置いた。考えているのだろうと思う。
問いかけの言葉の意味を、考えない男ではないらしい。
答えに迷う必要はないが、彼にとっては少し考えておきたい言葉、きっとそうだったのだろう。
『ドクター…君は、目の前に助けられる人がいたら君が犠牲になったとしても助けたいの?』
「なぜ犠牲になる事が前提だ? 共に助かる方法を捜し、それに全力を尽くすのが私の役目だと思っている」
『ならば、それが君の最善であるのだろう。貴方に間違いはありません、心のままに進むと良い。
黒い《しみ》と貴方が称しているものはダーカー因子に侵食されている状態を差します』
「ダーカー因子? ダーカーが人に侵食するのか…? そんな馬鹿な」
『それがまともな人間の判断だ。けれど貴方達に知らされている情報全てが正しいわけではない。
僕の有するデータの一部を開示します。
…ドッキングして貴方を降ろすのは止めにしましょう。この艦は四十八時間後、医療センターへ到着します。
それまでの時間はどうぞ、貴方の心のままに。出来る限りの協力はしますので』
いきなり協力的な態度を取ってきたが、何となく心の内が見えるようでもある。
試されているのだ、この状況から抜け出す事など誰にも出来ないのだと言いたいに違いない。
何とも強気なことだと笑えば、グレゴリは彼自身が有していたデータを送って来てくれた。
何もできない訳じゃない。一つ一つできることをやればいい。
出来ないことを出来るようにするのではなく、奇跡を望むわけでもなく。
手にすることができるかもしれない可能性を信じるしかないのだ。
そういった研鑽こそが、本来奇跡を導く過程に存在している。
彼のデータから読み解いたものはとても貴重なものばかりだった。
症状の緩和に使うのはフォトンを活性化させて作る《中和剤》だ。
《中和剤》ということは患者の治癒能力頼みというのは理解できる。
直接的な解決方法はないのだと思うが、グレゴリが独自に集めた情報を見るに、ダーカーの侵食という点で仮定するならば…。
アークスが使用できる対ダーカー用の兵器でフォトンを増幅させ、浄化すればいい。
しかし対象の命の安全は保障できないが。
あえてドッキングをせずに直接医療センターへ向かうあたり、人を試す奴だとつくづく思う。
タイムリミットを充分に生かし切って踊って見せろと言いたいのか。それともあっさり諦めろと言いたいのか。
もしくは、だ。諦めなかった自分がダーカーに侵食に合う可能性を捨てなかったか。
グレゴリの意図は分からないが、こちらとしては心意気を見せてやらねばなるまいと冷凍保存用の区画に戻る。
ご丁寧にドアのロックは全て解除されていた。
何人かの冷凍保存状態を確認し、医療用のフォトン生成機を見つめる。
フォトンという力は特殊なものだ。
唯一ダーカーと対抗できるものであり、心の底から湧き上がる願いや思いの力に呼応し、力に変換もできるらしい。
悪しき心であっても、善き心であってもその力を使用できるものは《素質あり》と判断されるのが今のご時世だ。
素質あるものは人々のために戦う。人々の為になんて大それた事だと思うが、それが風潮というものなのだから仕方がない。
フォトン生成機が活動を止めて早八時間は過ぎているようだ。
最後のフォトン生成者の名前は《グレゴリ・エウシュカ》となっている。
つまり操縦者であるグレゴリはフォトンを扱える人間と言う事になるはずだ。
ただの運送屋がフォトンを扱えるというのも不思議でならないが
フォトン生成機を何故八時間の間放置しているかのほうが気になった。
医学の知識があるようにも思えるのに、患者に手を差し伸べるわけでもない。
フォトン生成機を起動させると冷凍保存された人間達から黒い《しみ》が少しだが薄くなったように思える。
浄化機能がまだ働いているのだろう。
青白い光が目に映り込んで来る。この光にももしかすると秘密があるのだろうか。
この光を見ていると眠気を誘う気があるのに嫌でも気づかされた。キャストである自分でさえ、睡眠欲を駆り立てられる。
調べれば調べるほど、この艦を運行する《グレゴリ》に疑問しか湧かないが、少なくとも今は彼の事を詮索する気は無い。
全てのフォトン生成機を起動させ、《中和剤》の作成方法を見つつ、兵器浄化と同等の効果が出せないかを考える。
患部に塗布するタイプの薬に切り替えるか、それとも体内から直接浄化出来る方法は無いか。
「グレゴリ、医療用のナノマシンは―――」
『区画は別ですけれど、ありますよ。仮眠室の隣にあるはずです』
「ちなみに、試したか?」
『ドクター…僕はフォトンを扱えない。
貴方が医療用ナノマシンを使って直接浄化しようと思っているのは分かりますけど…。
それができるのはフォトンを扱える人間だけです』
「は? だって君はフォトン生成機を八時間前に…」
ほう、と声が漏れてしまった。なるほど、グレゴリはフォトンが扱えないというのにフォトン生成機を使った。
ならば《今のグレゴリではない者》が使用したという事実に他ならない。
だんだんときな臭くなってきたな、と思いつつ表示された部屋に向かう。
医療用ナノマシン『スピカⅢ』と書かれた装置が置かれていた。
装置の使い方を一つ一つ確認しつつ、自身のフォトンをどうナノマシンに込めて使えばいいのか
それだけを考えて行くことにした。
◆◆
医療センターは医療用の艦ではないアルタイルα-Ⅱをあっさりと受け入れていた。
最後の患者にナノマシンで治療したのは三時間前の事になる。
ナノマシンにフォトンを込めて治療に当たったことで、多くの患者からは黒い《しみ》が消えていた。
ただ侵食されたことによる疲労感は残っているようで、同期も含め患者たちは医療センターで一カ月の治療が必要らしい。
侵食されるかと思いきや、まったく侵食されることなく治療にあたれた自身の幸運さを噛みしめながら
全ての医療データを引き継ぎにきた医師に渡した。
自身と共に船を降りた人間の中で見たことがない姿を見て、声を掛ける。
「やぁ、グレゴリ」
振り返る青年に声は無い。あぁ、とまるで艦内で聞いた放送と同じような声が頭に直接響いてくる。
声ではない、これは意識の共鳴か。もしくは、音ではない伝達方法を用いてのコミュニケーションなのか。
色素の薄い肌。病的に青白い顔。
左右色の違う瞳を緩やかに歪ませた青年は嬉しそうに笑った。
声は無い。まるで音声データすら残したくないと言わんばかりに。
「何だ、これ艦内放送じゃなかったのか」
「冗談でしょう? 艦内放送で貴方とあんなにお喋りする訳ないじゃないですか」
「おや、音に出してくれるのか。てっきり声が出ないのだと思ったのに」
そっと首筋に手を伸ばして、首の後ろにあるフードを手に取り深々と被る。真白色した青年。
きっと人間ではないのかもしれないという不安と、それでも笑って手を差し出してくる姿は人間に見える。
「君はグレゴリ・エウシュカではないんだな」
「フォトンは使えないって言ったでしょう、ドクター。僕は運送屋。君たちをここまで運ぶのが仕事でした。
クライアントからは前払いで報酬を貰っていたので、意地でも生き残って貰わなければならなかった。
貴方の医療に対する誠実さと、人間性に感謝いたします。ここで声を出さないというのも無礼でしょうし…」
仕草は、とてもたおやかだ。男性に思うべき感想ではないが、仕草は女性的に感じる。
緩やかに伸ばされた手を掴んで握り返せば、少年のように笑う。
育ちの良さすら感じるその雰囲気とは別に、医療センターから鳴り響く警報に向ける目線は氷のように冷たかった。
興味が無いのだ、彼にとって。それは一瞬で判断できるほどだ。
「ともあれ、貴方に協力的になれず申し訳ありませんでした。何か運びたいものでもあったらいつでもご用命を。
この宇宙最速でお届け致しますよ」
「…最速……白銀の艦、アルタイルα-Ⅱと同じエネルギー機構を持った艦…」
思いだしているのは、自分がまだ軍に居た頃に読んだ資料だ。
惑星A3クリエールという星に人間では到底耐えられぬ負荷が掛かる代わりに、この宇宙最速の速度が出せる艦がある。
白銀の艦。元の形はアルタイルα-Ⅱで、その基盤のみを利用し作られた宇宙で一つしかない白き主の艦。
名を、ロードサリファ。白銀の女神と謳われる美しい形状の艦。
医療センターに停めてあるその艦こそが、あの資料そのままの艦ではないか。
しかし、どうして気付かなかった? 最初に見た時には全く分からなかったというのに。
「あぁ、そうでしたね。ドクター、貴方、アルタイルα-Ⅱで卒論書いたとか」
「そうだ。これは、クリエールの王室が特許技術でもって作った最速の艦だ。
私達のいた所から医療センターまで四十八時間程度といったが…よく考えてその速度でいけるわけが――」
「ええ、ご明察です。しかし人間乗せて最速で行ったら、皆棺桶行きですから
スピードを抑えるために制御機構を載せていたんです。
だから気付かなかったんでしょうね。どうでした? 女神の乗り心地、思ったより悪かったでしょ?」
くつくつと笑った青年はゆるりと手を離した。人よりも冷たい体温。
やはり彼も人間ではないのかもしれない。
「
ミルヒだ。アークスのコードネームはな。本名は高遠架、という」
「架…、高遠架? ということは、アザリア・レーベ・カールシュテイン? だからアルタイルα-Ⅱの論文…そういう事か」
「私を知ってるのか。有名人ってほどではないぞ? 金持ちっていうのは間違いないが」
「カールシュテイン家の実質トップ3の一人が何を言ってるのやら。まぁ、これも何かの縁かな。
アークスだとは知らなかったけれど…。
僕は、シュトリ・アルカディア。仕事の相手は皆僕をアルカディアと呼ぶよ。どうぞ、ご贔屓に」
一礼した青年は軽い足取りで自身の艦に戻っていく。不思議な青年だ、と思いつつもその目から目線一つ逸らせなかったのは。
きっと奥底にあるものが自分に似ているような気がしてならなかったからだ。
そうでなければ、あんな場所で一人の医師を信頼して情報を開示することなどあり得ない。
天使の名でもって、出会ったその人が例え本当は悪魔であろうとも。あの時間に嘘は無かったのだと思いたいのかもしれない。
「シュトリ・アルカディアね」
終ぞたどり着けぬ理想郷の名をもった青年を見送りながら、自身を呼ぶ声に足を向けて歩き出した。
最終更新:2017年04月26日 23:39