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目の前の事象が現実じゃなければどんなに良いだろう。
全てを救うなんて大それた事を考えているわけではない。
ただ目の前の、手に届く大切な仲間だけは絶対に救いたいと願うのは間違いなのだろうか。

殺せ、彼女の事を思うならば、全ての敵になる前に殺せ。
その言葉を吐いたのは未来を知って闇と共に生きた自分自身だった。
彼女を殺し、彼女の願った平和を手に入れる。これこそが自分のするべき事であると己の声で聞くたびに、きっとこれが正しい答えなのだろうと分かってはいるのだ。
しかし、選べるものか。
仲間を殺して得る平和の中に、もっとも平和を望んだ彼女がいないのならば、意味があるものなのかどうかさえも分からない。
全てが平和なら、その犠牲は無かった事のようにするのか。それが本当に正しいのかと問う相手は、肝心な時に姿を現さない。
答えが欲しい訳ではない。ただ一つの同意が欲しかった。

「無いな」
「お前なぁ、考える時間もなく即答か」
「彼女の望んだ事だろう。そのために作られたのだとしたら、その理由を君の感情だけで奪うのか?」

左右色の違う瞳を怪訝そうに歪めた青年は、目の前にあるコーヒーを飲み干して、カップをカツン、とテーブルに置く。
何を馬鹿げたことを、と呟く。未来から戻った《自分》が過去を変えてきた現実を受け入れていない訳ではないだろう。
こういった事象に対して柔軟な考えを持つ相手だ。それ故に話し相手としては丁度良かったとも言える。

「君はそこまでして助けたいと願うの?」
「当たり前だろう」
「それは―――彼女だからかい? それとも誰にでもなのか?」

彼の言葉に自身はあっさりと即答する。《彼女だけな訳じゃない》。
その答えは、きっと彼の望まないものだろう。

「なら、君はどこまでを救う気だ? ミルヒ、悪い事は言わない。君は全てを救いたいという馬鹿げた願いを捨てろ。
 彼女だけを救いたいならまだしも、誰でも―――」
「誰でも、ではない。私の手の届く《人間》だけは救いたいだけだ」

はぁ、そうか。
残念そうな声を漏らし、彼は茶菓子を口いっぱいに頬張る。
どうせ君の決めた事なのだから、とあっさり肯定するのだろう。
真実を目の前にして決して逃げない。事象の答えを見つけ出すまでは彼は何事も全力で対処していく。
だからこその信頼が自分の中にはあったのだ。朽ちた楽園の名を持つ彼の人は、ゆっくりと瞼を下ろす。

「ふぅん、まぁいいさ。好きにすると良い」
「恩に着る」



  ◆◇◆


例えば自身だったら、そんな選択をしただろうか。
ミルヒの言うような繰り返しの未来を。例えば《彼女》を救えるなら、過去に戻ってやり直すことができるとしたら――。
救うと決めて過去に飛び込めただろうか?

馬鹿馬鹿しい。
できるならとっくにやっている。自分の代わりに《彼女》が死ぬ必要などなかったのだから。
時間渡航能力がある人間がいるというのは分からない理論ではない。ただ、そのご都合主義には明らかに代償が必要になるだろう。
こういった所、《世界》は良くできているの一言で終わる。
全ての事象に代償のない奇跡は無いからだ。

白花が舞う和風建築群を横目に、この惑星の支配者は立っていた。光と闇、白と黒が交わる星ハルコタンの主にして神。
その名をスクナヒメと言った。
ミルヒとマトイが他のアークス達と協力して救った星の主は、訪れる旅人に酷く寛大である。
煌びやかな白黒の髪。翻す布地はシャラ、と良い音を鳴らす。現存する神の姿とはかくも静かで美しいものなのか。
高下駄をカランと鳴らし、開かれた扇で風を起こす。
桜色の花弁が宙を舞い、その姿は一瞬で自身の目の前へと詰められた。

『で、お主がミルヒの為にこちらへ来たのは知っておる。妾に何を聞きたくてやってきた?
 数多の星を食いものにし、己の理念のみで動くお主が』
「無理を承知の上で願い申し上げます。スクナヒメ様、ミルヒとマトイを救うためにお力を貸していただけませんか?」
『あの二人の為に力を貸す事は厭わぬ―――が、お主に力を貸すかと言えば《貸すつもりは無い》と答えるじゃろうな』

理念のみで生きる獣と彼女は言う。
スクナヒメにとってダークファルスは母性を喰らった魔物ならば、自身はこれからハルコタンに来る害悪そのものであると感じているのだろう。
だからこその答えだった。スクナヒメの判断は正しい。彼女はハルコタンという星の為に、自身という害悪を決して許さない。

『だがのぅ、お主はミルヒの朋友だと聞く』

朋友(とも)という言葉には些か語弊はあるが、きっとミルヒがそう説明しているのだろう。ならばそれで良いと彼女の言葉に頷いた。
スクナヒメは漏らした言葉をもう一度考え直すようにこちらをしっかりと見据えて、再度言葉を紡いだ。

『お主はどうやって二人を助けるつもりだった? それを説明してもらおうかの』

白く細い腕を前で組み、静かにこちらを見据えている。
彼女にとって自身は交渉するに値するのか。今、その価値を試されようとしているのは分かった。
どうやって助けるかなど決まっている。どちらも無事に救えるなんていう都合のよい事は考えていない。
助けるならばどちらか、だ。今現状闇に染まったマトイを救う方法は無い。ならば、心だけでも救わなければ。
戦いを終わらせ、彼女の死でもって全てが完結する。そんな御伽噺であっても。
たった一人を救うために全てを犠牲にするならば、たった一人を殺して全てを救った方がどんなに簡単で美しい物語だろう。
救えない事を嘆く必要は無い。人間にとって限界というものは存在する―――ただそれだけだ。

『お主が考えている事は決して間違いと言うわけではない――が。
 妾はあまり好ましいとは思えぬ。それはつまり、マトイを――見捨てるということになるのだろう?』

一を捨てることで、全を救う事が良策ならば。
全を捨てて一を救う事は愚策だと誰もが笑うのだろう。
だからこそミルヒは…いや、未来からきた《仮面》(ミルヒ)は。これからの未来のためにマトイを殺す事を選んだ。

時間編纂における過去の修正は、一つの世界を閉じる行為だ。世界の成り立ちに関係のないような小さな事象ならば良い。
それは世界そのものが《うまく帳尻を合わせてくれる》からだ。
そうできているからこそ、ミルヒのような存在が生きていけるとも言える。
小さな事柄一つ変えることで、結果的に大局を変化させるのは《結果論》だが、マトイの場合は違う。
もともとミルヒが言うに、《シオン》という絶対的な全知全能が生み出した《力ある者》である彼女は、数々の因果によって絡め取られている存在だ。
今のマトイは一歩進めば世界を終わらせる悪そのものになる。
そんな彼女を救うとなれば、世界が導き出している大きな指針から離れ、確実な改竄を認めてしまう事になってしまう。
そうなればミルヒとマトイはどうなるのか。

二人とも救われない未来を招くかもしれない。
そんな未来が欲しかった訳じゃないと、嘆くミルヒを見たくないだけかもしれないが。

『お主は、分かっていてこの道を選んでいるのじゃな』
「――何の事やら」
『妾はマトイとミルヒ。二人を救うつもりのない奴に協力する気は毛頭ない。出直して参れ』

一瞬の風と共に神々しい姿が消え去っていく。それと同時に深い溜息を漏らした。


 □■□


何を真面目に話をしたのか。スクナヒメが相当機嫌悪く話をしていたのが妙に面白かった。
彼女の機嫌を損ねる方が、ダーカーを倒すよりも難しいというのに、目の前の男は盛大に損ねてきたようである。
ハルコタンから戻れば、自室のベッドに珍しく倒れ込んでいたから、構ってやろうと近づいたのが失敗だった。
「そもそも君が変な事を言うから」とこっちも機嫌が悪い。
てっきり、彼の端末の一つである《006》かと思って近づいたというのに、よもやの本人とは。

指通りの良い砂金色の髪を撫でると、相手は黙ってそれを受け入れた。
触られるのが好きではない癖に、人の温度を求めているあたりでこの男は歪んでいる。
緩やかに撫で続ければ、深い溜息が返った。納得いかない何かがあるのだろう。ただそれの答えを自分は知っていた。
そっと伸ばされた指先を受け入れる。冷たい、温度の無い手は昔から変わらない。
一つ一つを確かめるように彼の手は顔の輪郭をなぞっていった。本当に言いたい事なんて、目に書いてある。
彼の表情全て作りものでも、その目だけは嘘を吐けない。

「シュリ」
「何だ」
「ごめんな」

謝る位なら、諦めてくれよ!と声が上がる。思わず伸ばされた手を引いて抱き寄せた。
怒っているのだ、本当に。その体が震えているのも、呼吸が荒れたのも、ただただままならないと彼が怒ったからだ。

「珍しいな、感情を表に出して」
「君があまりにも馬鹿だからだ。マトイの役割は、今ここで深遠なる闇と共に浄化されること。それは君がいう全知全能が導いた答えでもあると分かっているくせに!それでも君は彼女を見捨てないという。何故だ? 友人だから? 魂が呼応する相手だから? 仲間だから?理由が分からない。サーバーの中を捜しても、過去の記憶を見ても、君が考えていることがまったく分からないんだ。人の言う、愛とか恋とか、そういう感情ならまだ理解できるのに」

彼にとってはマトイがやっていた事の名前すら、分からないものなのだろうと思う。
彼は本当に作りもののようなのに、時折人間を理解出来ない事に苦しんでいる。
その答えを言ってやったら、本当はとても喜ぶのではないかと知っていても、教えてやる事は憚られた。
そんなものは自分自身で気づかなければいけない。
精神的に不安定なのはきっと《彼》の中にも同じようにままならないものがあるからだろう。

「シュリ、なぁ――」
「僕は反対だ。君の選択は間違っていると思う。マトイを見捨てられないのは理解しよう、努力する。
 助けたいのも分かろう、努力する。でも現実問題、無理だろう? お願いだから―――」
「有難うな、シュリ。私の事を思っての判断だ、痛み入る」

息を呑んだ相手の身体をそっと離す。怒っているだろう、そう思った。
見上げてくる目線に怒りは無い。ただ、少しだけ淋しそうには見えた。《自身の説得は何の意味もない》。
そのことを一番よく分かっているからこそ、彼の目はただただ淋しいだけなのだろう。

「――奇跡とは、起こらないから奇跡と呼ぶ。僕はそんなものに縋ってしか導けない答えが最善とは思ってない」
「…シュリ、私はな。人の出会いもその奇跡の一つだと思ってる。
 アークスになって沢山の友ができたよ。母星じゃ友人なんて、ニ、三人しかいなかった。
 マトイにも、シオンにも出会った。過去を変えた、未来を作った。全てが一つ一つ奇跡の積み重ねだ。
 ―――お前と出会えたのも希望に似た奇跡だ。
 あの時、私を助けたのがお前じゃなければ、こんな風に心配してくれる奴もいなかったかもしれん」
「―――ずるい言い方だ。それじゃあ僕は君の愚行を許さずにはいられないじゃないか。
 馬鹿、本当に―――本当に馬鹿だぞ、ミルヒ」

溜息が漏れる。涙を流すような男ではないが、その手が震えているのをあえて見なかった事にした。
この魔性をこれ以上困らせたく無かったからだ。
いつものように、ただ微笑んで送り出してくれればいいのに。苦虫を噛み潰したかのような顔で、もう一度溜息を吐いた。



「えー、ミルヒさん、シュリさんを怒らせちゃったままなんですか?」

深い菫色の瞳がこちらを見据えていた。もう片方の色の違う瞳も同じようにこちらを見ている。
大き目のフルーツパフェを頬張りながら、同業者のウナはさらりとそう言った。
まったくもってその通りだった。
口をきいてくれない、のレベルではない。話こそしても、まったく協力的ではない。
怒っているのだろうと思って会話を求めても、シュリは決まって「君の決めた事だから」としか言わなかった。
何かを思い立ったかのようにデータ集めをし、毎晩寝ずにサーバー処理を続けている。
正直、脳の八割以上が機械であるという彼の、情報処理速度に関しては理解の限度を超えている。
シオンやシャオのような演算処理はできなくても、人並み以上の能力がそこにはあるのは確かだ。
もっと単純に物事を考えてもいいのでは思いつつ、自身も同じように悩みやすい性格なので言うのはやめた。
見事な赤毛を三つ編みにしながらウナが注文したクリームソーダに目線を移していく。
昔からこの飲み物には縁が無く、自身はまったく飲む事は無かったが、渦中の人物も好んで飲んでいる物だ。
『アイスクリームってさ、僕の実家だと超高級品なんだよ』と呟いていた姿を思い出す。
今より少しだけ穏やかな笑顔で笑っていた事も。

「ミルヒさんにとってシュリさんは大切な友人なんですね」
「まぁな。そんなことをいったらウナ、お前もだぞ? 大切な友人で仲間だ」
「…それは嬉しいですけど、何か違う感じもしいますね。ミルヒさんからすると付き合いが長いからかなぁ?」

そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
ただ自身には彼が抱えている闇そのものが理解できた、それだけだ。
彼は自分が持ち合わせる大切なものを全て守る代わりに、《人間であろうとした幼い自分》を殺した生き物だ。
故に魔性であり、人間では到底考えられない事をしておきながら、それでも人を愛さずにはいられない。
誰かが大切にしなければ、きっと壊れてしまうような作り物めいている所があるくせに、誰よりも堅い意思がある。
非常にアンバランスな生き物なのだ。
そんな面倒くさい奴だと知っていても彼との付き合いをやめなかったのは、間違い無く彼が誰よりも本当は優しい人間だと知っているからだろう。
人としての歪みが強く、《人間》を捨ててもなおあの機械に心は残ったのだ。
そこに残ったものが《優しさ》だけだとしたら、なんたる皮肉だろう。
そんな姿を友として愛した。それはきっと彼も同じなのだろうが。

「私はこれからハルコタンへ行ってくるが――あいつの事頼んだよ」
「えっ、頼んで行くんですか? もう…このクリームソーダ奢ってくれたのはそういう理由ですね?」
「ウナは優しいから、お姉さんは嬉しいよ」

にこりと笑えば、ウナも同じように笑って返してくれる。
こんな時に一人にするほうがまずいのは分かっているが自身にも時間は無い。
マトイは待っている。一人で、待ち続けている。
未来から来た自分自身もまた、決断を待っているのだ。正しい答えなんて何一つとして無い事は分かっていた。
ダーカーの主にして深遠なる闇の器として存在しているマトイを。
彼女を殺してやれるのはきっと自分だけだろう。
そしてっまた彼女を救ってやれるのも自分だけなのだと思っている。
そんな現状だからこそ、《夢は見るな》だの《無理だ》だのという言葉が飛ぶのだろう。
理解は出来るのだ。そういう人間達の事も。
もしかすると自分も――未来から来た自分自身に会わなければ、マトイを救う方法は殺す事しかないと思ったに違いない。
救う事が奇跡だというのなら、その奇跡を手にするために支払う代償はきっと大きい事だろう。
それでも諦められないのは、彼女もまた誰かを救うために代償を支払い続けてきたからだ。
報われない事など許してはいけない。
人であれ何であれ、支払った分の対価は得られるべきなのだ。
ダークファルス【双子】が自身の命と引き換えに、深遠なる闇を呼びよせたように。
ならばマトイが独りで戦い続けてきた対価を今、彼女を救うという奇跡でもって世界は清算すべきなのに。

「ままならないのは辛いな」
「それを言っちゃったら、皆。自分にブーメランですよ、ミルヒさん。
 何でも上手くいく事は無いかもしれないけれど――-…それでも何かしらの形で報われるようになっているんですよ。
 きっと」

ウナの言葉に目を見開く。そうでなければこんな世界、ただ辛いだけではないか。

「本当に、そうであってほしいものさな」


◇◆◇



―――管理者の接続を承認。サーバー・アルカディアはこれより四十八時間、他サーバーとの連動を切断します。
―――テストサーバー・エバーを起動。サーバー・アルカディアはエバーとの連動を承認。接続します。

「宜しい、全て承認。アルカディア下位のサーバーは、全て単独行動の権限を与える。
 代行者は《001》、《006》へ。サーバー・アルカディアはテスト運用により、全サーバーから独立を完了。
 これより記憶・記録の保管及び、バックアップの作成に入ります」

巻き戻される時間。時間の逆行。それを可能にする力。
どんな因果であれ、必然的に起こりうる事実。繰り返しの現実は確かに歴史の枝葉をかえて過去を変えながら進んでいる。
例えばその力を自由に使えたならば、嘆いた過去全てを一蹴できる。
でもそれは敵わない。何度繰り返しても変わらない現実があるのだ。
だからこそ、未来からきたというミルヒ―――【仮面】は、繰り返しの果てにマトイを殺す事で世界と彼女を救う道を選んだ。
間違いだとは思わないし、それが正解だとも思う。
―――でもミルヒは望んではいないのだ。彼女の死をもってして終わる物語など。

「全てが平等で平和なら、人間に争いはないと言っていたけどな…キチェル。それは綺麗ごとだったよ」

平等なんてものはないから、争いがなくなることは無いとキチェルは言ったが。
例え平等であったとしても犠牲の無い平和などあり得ない。対価の無い幸福など存在してはいけないのだ。
故に、どこにその対価を求めるのか。
例えばミルヒとマトイの話ならば―――マトイに全ての犠牲と対価を支払わせることで世界を救う。
ミルヒはマトイを殺すという対価を払って世界を救った英雄に成り下がるのだろう。
そんな事をミルヒは望んでいない。
ただし対価とは支払えるものにしか要求されないものだ。

「僕は、何を支払えば―――君達を助けられるのか分からないよ」
最終更新:2017年07月11日 01:40