48話のサブタイトル。
アストラルが解説してくれないので代わりに解説
遊戯王には古くから「城之内死す!」という有名な(正直なところあんまおもしろくない)ネタがある。
これは遊戯王デュエルモンスターズの128話のサブタイトルが元ネタであり、次回予告を担当している杏子がその回の内容をペラペラ喋りながら闇マリクと対戦する城之内を応援した後、最後の最後でこのサブタイトルをぶちかましたため、そのギャップが笑いを誘っていた。(ニコニコ動画全盛期の2008~2010までは)
そのため、遊戯王のパロディまみれな
ゼアルがマネしないわけがなかったというわけである。
ただ、パロディ元が何故ウケたのかを理解しておらずただ構ってほしかっただけであるためか、これも他のパロディの例に漏れず非常に出来が悪い。
そしてただでさえ二番煎じになっているのは言わずもがな、城之内の命を危険に晒した《ラーの翼神竜》と異なり、(今となっては闇マリクは闇のゲームでインチキしなければ城之内より弱いということなのだが)ゼアルでは伏線も溜めも一切なく
Ⅲが唐突にコスプレをして謎の力でアストラルを消滅させただけである他、そもそもアストラルの存在意義自体が問われているため、その内容にも感慨など湧きようがないのである。
しかもこれまたゼアルらしく、他所から拝借したネタをいつまでも引っ張っており、目立ったものだけ数えてもアストラルは合計3回も似たようなことをやっていた。
というか、絵的には完全に消滅しておきながら復活しているため、もはや逆にどうやったら死ぬんだという話である。
例によって、復活した経緯もはっきりしていない。
もう滅茶苦茶である。
そしてこのパロディに関しては、倫理的な問題も絡んでいると言える。
パロディに頼る時点でどうかという話だが、このネタは命に関わることでもあるため、それをオモチャにする行為は品性がないと言わざるを得ない。
所詮はフィクションであり、現実とはまた別の話ではあるが、フィクションであれば何をやってもいいというわけではないだろう。
言うまでもなく、フィクションを作る人間までもがフィクションというわけではない。
これと同じことは作品終盤で行われていた所謂「追悼エンディング」にも言え、こちらも死者をオモチャにしている。
「追悼」と称している分、余計にタチが悪いと言えるだろう。
そしてこれも5D'sのパクリでしかないのだから、もう始末に負えない。
だったらパロディ元も叩けといういつもの論点ずらしが聞こえてきそうだが、そのパロディ元がウケ狙いとは限らない視聴者発信のネタなのに対し、ゼアルは露骨なウケ狙いかつ二番煎じなのが問題なのである。
新しいものを作れず既存のものの威を借りて承認欲求を満たそうとすることしかできないのであれば、遊戯王が堕ちるのも必然でしかないだろう。
余談
ゼアル信者が縄張りを主張している某動画サイトにあるネタバレ次回予告を集めた動画では、前述した「城之内 死す」と共に、この「アストラル、死す…!?」も紹介されている。
そして当然と言えば当然でしかないのだが、大量のコメントが投下されている城之内とは異なり、ゼアルの部分はヒエッヒエである。
おらぁ、ゼアル信者ぁ! 工作が足んねぇぞ!
最終更新:2020年07月02日 00:50