少年Y

○○の部屋
超イケメン『小池徹平』似の○○(←被害生徒の名前)だよ まずは入るべしやなワラ

ランキングサイトに掲載された被害生徒の中傷HPの紹介文。
被害生徒が作ったように偽装し、少年Yが管理をしていた。

(学園都市駅前キャンパススクエア近くの広場)

中学時代

 2007年9月25日逮捕時(18歳)から、生年月日は1989年4月3日~1989年9月25日である。
住所は、神戸市西区学園西町で被害生徒と同じ地下鉄学園都市駅が最寄り駅である。
 神戸市立小寺小学校を卒業後、神戸市立太山寺中学校へ入学。中学2年次には被害生徒、少年Bと同じクラスメイトであった。
中学時代はサッカー部に所属していた。 中学時代の同級生の語った「そんな悪い奴ではなかった、首謀者としてイジメができるタイプではなく、常に誰かについていく感じで、頭になれるようではなかった」という印象は少年Bと同じである。

高校入学からフットサルサークルの結成

 2005年4月に私立滝川高校へ入学。Ⅰ進コースでクラスは、被害生徒、少年H、B、I、E、Hyなどと同じ1年6組だった。
入学当初はサッカー部に所属していたこともあり、少年Hが被害生徒と少年Bを誘ったという6月25日、26日に行われた滝川祭(学園祭)の女装コンテストには行動を共にしていなかった。
遅くとも1年の終わりまでには、少年Yがフットサルグループに加わっている。そのころまでには、サッカー部を退部していたものと思われる。
 フットサルサークル「瀧川VECTORS」が本格的に動き出すのは、2年次に入ってからである。
少年Yは2年5組で被害生徒、少年H、少年Eと同クラスであった。
「瀧川VECTORS」の結成時からキャプテンとして活動していたこと、フットサルサークル結成構想が1年の終わりと少年Yのグループ参加と同時期であることから、サークル結成の提唱者であったと推測される。
 公式ホームページと呼ばれる「//id29」の「●FC 瀧川VECTORS●携帯ホームページ」は1年次3月~2年次5月の間に開設されているが、このHPを開設したのも少年Yである。
フットサルサークルは当初、学校内の同好会として認可を得ようとして教師に掛け合った形跡があるが、認められず、校外での活動をメインとするようになる。
 5月から活動を本格的に開始した「瀧川VECTORS」は、夏休みには毎日のように市総合運動公園でフットサルの練習をし、7月30日には第5回クーバー・カップ 学生クラス大会に参加している。
少年Yの公式HPでの紹介では、「大会申し込みとかいろいろします。べっちゃんの方が影響力は... 」とあり、練習場確保などの諸手続は少年Yが行っていたと思われる。
結成後から変わっていないと思われる公式HPの被害生徒の紹介は、「チーム悩める存在。敵にパスを出した後の処理は見物"笑"。」とあり、少年Yらが被害生徒を「いじられ役」として見ていたことがわかる。

「ホームページ大臣」

 公式HPとは別に「5人の仲良しホムペ」といわれる「//6hp」のHPもこの頃開設されたと思われる。これらのホームページのアクセス数を向上させるために、少年Yらは、自らの失敗談を日記に載せるようになるが、次第にY自身も含めて他のメンバーが嫌がるようになり、被害生徒の失敗談ばかりが掲載されるようになった。
これらの掲載・削除権限は少年Bがもっていたとされるが、少年Yが最終的な管理を負っていた。一部報道では、その携帯HPは被害生徒の自宅のPCで作成されたと報じているが、被害生徒の自宅と近い少年Yが行っていたものと思われる。
こうした掲載内容が、後に他の生徒からの「(被害生徒と)つるんどるん?」という反応につながったと思われる。
 また12月初旬の被害生徒の名前による携帯日記があるが、これも少年Yらが被害生徒本人が書いたように偽装して掲載した可能性もある。
 こうしたHPをめぐる「いじり」が激化した結果が、後の「○○の部屋」という中傷サイトとなった。後に少年Hが「財務大臣」と呼ばれたことに対応するように、少年Yも「○○大臣」と呼ばれていたことが明らかにされる。

高2秋~冬、いじめ行為への転落

 新聞各紙では、被害生徒への嫌がらせが目に見えるようになるのは、秋ごろの被害生徒のカバンの中や机の上に紙粘土を入れるなどの嫌がらせであるとしている。
同じクラスであった少年Yがどのような役回りをしていたのか不明であるが、“実行犯”少年Hよりも陰に隠れる形で加わっていたと思われる。
 同じく秋に、ばちこいたら一万円払うという約束を被害生徒がさせられるが、この「うそ」は、太山寺中学で一番の美人だった女の子と付き合ったことがあるというものである。
この女子本人の耳に入ることになった経過を考えると、少年Yが管理していたHPを経由したものではないかと推測される。
この事件は、被害生徒が噂された女子本人と合わせられ、直接謝罪したという形で終わるが、この際に同中学であった少年Yがどのような役回りを演じたのかは不明であるが、この女子が太山寺中出身者であったこと、少年Yは女子との交友が多くみられたことが携帯HPを通じて認められているため、何らかの役回りは果たしていると思われる。
 その後、この「約束」は「違う学校の生徒にも(約束は)有名」となり、「被害生徒のメールアドレスは、仲間以外にも急速に広まった」(毎日10/31)という。これは、少年Yが管理していたホームページを介して他の学校の生徒にも広められたためである。
 この事件後も、11月4日にはフットサル対戦募集掲示板に少年Yは対戦相手の募集書き込みをしており、12月3日にはクーバー・カップの学生エントランス大会にチームとして出場、12月24日には高校を転校したHy、被害生徒を含めてカラオケをしていることから、関係は一旦修復したようである。
12月27日には、被害生徒、H、Eとともに女子高生とフットサルの練習見学+カラオケコンパをしており、このセッティングをしたのは少年Yであった。
 しかし一方で、同時期の冬には、グループの少年らとお好み焼き屋へのパシリとタカリ行為、ソフトモヒカン刈りにする、陰毛を剃り下半身を写真に撮りクラスメイトに見せるなどの行為を犯している。
 2007年1月7日には、社会人フットサルサークルとの練習試合をしているが、同サークルとみられる人物の証言では、いじめには「関わらない人物だと思ってた。大人のフットサル愛好者ともちゃんと対応できてるし女子の信頼もあったみたい」だったと当時の印象を語っている。
 また11月10日には、少年Kと少年Trの携帯HPに「5人の仲良しホムペ」(//6hp)のリンクを連絡し、その際に合コンの依頼を受けている書き込みが見られるように、クラスの中心メンバーであった少年Kと良好な関係を築いていたことが明らかになっている。

高3、明らかな犯罪行為へ

 すでに被害生徒の中傷サイトとなっていたフットサルサークルのHPが閉鎖されたという4月はじめのことである。
 フットサルサークルHPの代わりに被害生徒のHPを作ろうと提案した少年Hに対して、少年Yは被害生徒自らが作ったように見せかけたHPを開設し管理を行った。
そこには住所や実名、メールアドレスなどのほか、下半身写真や悪質ないじめ画像が掲載されていた。これらもすべて少年Yが管理していた。
 さらに、3年に入ったころから、直接話をしないなど、生徒と距離を置くようになり、生徒に貸していた衣服を返すよう求める際などには、少年H経由で連絡するなど、同じクラスでありながら距離をおくようになっていた。
 しかし、バチこくたびに一万円という約束も、被害生徒の言葉じりを捉え、急速に罰金が増え総額40万とも50万ともいう金額になっていたなど、少年Y自身もいじめに深く加担していた。
ただしこの罰金を払わせるために、少年Bと相談して、少年Hに頻繁に被害生徒の携帯に恐喝メールを送りつけるように仕向けるなど、直接は手を出さない方向であった。
 6月18日前後に2chをはじめとする各種掲示板に被害生徒のフリーメールアドレスを書き込むいじめがおきるが、少年Yがどのような関与をしたのかは不明である。
また6月23-24日の学園祭前後に彼女の名前を装って被害生徒を呼び寄せた際には、被害生徒の彼女と直接面識があった少年Yが加担していたのは疑いを入れないものと思われる。

立件された犯行内容

 立件の対象となったのは、6月から急増した少年Hが送った恐喝メールに少年H、Bと共に共謀して金を脅し取ろうとした恐喝未遂である。
これらの恐喝メールは、被害生徒に送りつけた後、少年Yのもとにも転送されており、共謀罪が成立すると判断された。
以下がもっとも詳細な恐喝メールの内容である。

「おれは5万くらいでええよ。夏休みまでに払わなければ倍の金額を2学期中に払わせるか、
学校に発覚していない万引の事実を公表して退学にさせるか、
クラスのメンバーを勢ぞろいさせてリンチをさせるかの選択になる」 

逮捕前までの行動と供述

 被害生徒自殺後の様子は、「お葬式での泣きようは半端無かった」(VIP37)という。またフットサルサークルのメンバーであったこと、同じクラスであったことから、被害生徒の棺を担いでいる。
 その後の学校の調査では、おざなりな調査方法に助けられ、警察の取調べに対しても少年Hが「警察の調べにうそをついてもばれない。なまっちょろいもんや」などとの内容のメールを送ったものを少年Bと回覧し、口裏合わせをしていたとされることは、少年Bと同じである。
 9月17日に少年Hが恐喝未遂容疑で逮捕された後は、少年Bとともに授業に出ずに学校側の調査を受けており、ふさぎ込んで昼食ものどを通らない状態だったという。
少年Bに比べ、受け答えははっきりしており、少年Hの立件対象となった恐喝メールについても、自分の名前を入れるよう頼んだことを認めている。
 しかしホームページについては、「(被害生徒に)頼まれて作った」、「(中傷が激化したので)自分たちで閉鎖した」と嘘の供述を行い、「○○の部屋」については、その存在自体を話さなかった。

逮捕後の供述と処遇内容

 9月25日に恐喝未遂で逮捕された後、少年Yは犯行事実を認め、10月12日には「本気で金を取ろうと思っていた」と犯意を認める供述をはじめた。
逮捕直後、自宅のある学園都市では少年Bより先に少年Yの逮捕が伝わったという。
また逮捕後に、犯行の道具として使われたとみられるパソコン2台が少年Yの自宅から押収された。
 神戸地検の意見書は「少年院送致が相当」という内容であったが、11月7日の少年審判では「試験観察」として家裁調査官に少年の様子を観察させたうえで、改めて審判を開いて処分を決めることが決まった。
 その後2008年3月10日に開かれた2回目の少年審判では、「「自己の課題に気づくなど少年なりに本件を振り返る努力をした」とし保護観察処分が決定した。逮捕された4人の中で最も遅い処分決定であった。

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最終更新:2009年04月27日 23:04
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