少年T

王様はきらびやかな天蓋の下を、行列を従えてお歩きになりました。
往来の人々も窓にいる人たちも、みな口をそろえて言いました。
「これは、これは!」
「王様の今度のお召し物はなんて珍しいのでしょう!」
「お服についている裾襟のきれいなことといったら!」
「ほんとによくお似合いですこと!」

アンデルセン童話「裸の王様」
(高校最後の公式戦となった姫路球場)

プロフィール
1989年5月27日生まれ、血液型はO型。身長180cm、体重75kg、右投げ右打ち。東灘区にある神戸市立住吉中学校卒業。
最寄駅は阪急御影駅であった。
中学時代は軟式で中学野球部だったのか、ボーイズ他の硬式チームで活動していたのかは不明である。

高校1~2年
2005年4月に滝川高校入学。Ⅰ進系に所属。1年次のクラスは不明であるが被害生徒らが所属した6組ではなかった。
入学と同時に野球部に入部、同じ野球部であった少年Kと親しくなったとみられる。
2年次は、少年I、少年B、少年Ksらと同じ文系の3組に所属した。
いわゆる「プリクラグループ」の形成は、いつごろからかは不明であるが、もっとも早く確認できるのは少年Ykの日記記載の2005年12月17日であり、高校1年次には、すでにグループ形成が行われていたとみられる。

2年次にも2006年5月18日の少年Iの日記に、少年O、少年Ks、少年Ys、少年K、少年Szの7人でマクドナルドで中間テストの勉強会をしたと記されている。
少年Iの日記にも2年1学期の時点から頻繁に登場しており、6月14日には一緒にプール、6月24日には滝川祭の後、海に行き、その際に少年Tが滝川第二高校の友人を紹介するなど、クラス、学校を跨いだ交流が進んでいたことがわかる。
少年Iとは同じクラスであったこともあり、11月10日に2人の2仔1携帯ホームページを作る約束を交わしている。
2007年2月の北海道スキー修学旅行では少年Ykと宿泊したプリンスホテルの外で雪だるまを作る、高校3年時にもテスト勉強会を開催するなど、その後もアメフト部野球部間の交友関係は順調に続いていたとみられる。

野球部での活躍
野球部での活動では、少なくとも2年夏の選手権大会兵庫県予選からエースとして登板しているのが確認されている。初戦の尼崎東との対戦では、
無失点でコールド勝ちを収めたが、次の龍野戦では途中から登板し0-5で敗れている。

県内で本格的に頭角を表わしだしたのは、2年の秋季大会8月後半から開催された兵庫県予選からである。
力のあるストレートを武器に、過去に全国優勝の経験もある育英を相手に、3安打完封勝利を収め、県優勝候補であった神戸国際大附属にも被安打4に抑え勝利した。
のちに少年Tは関西の私立大学に野球推薦されるが、スカウトが明らかに意識したのはこのころからと考えられる。
また当時の2ちゃんねる高校野球板では、以下のように書き込みされている。

605 名前: 名無しさん@実況は実況板で 投稿日: 2006/08/27(日) 18:23:48 ID:TGR3hjf4
 俺も最初、滝川の○(←Tの名前)は140k前後の認識をもって観戦に行ったが、正直俺の想像を越えてた、
 育英3安打完封、国際も3点取ったが4安打、練習試合でも関学も1点とるのがやっとだと聞くし、やはり納得させるだけ
の投手だった。 

県大会本選では、姫路工相手に延長引分再試合を演じ、再試合ではノックアウトされ2回戦で敗れている。
再試合の模様を神戸新聞は以下のように伝えている。

2006/09/17   神戸新聞朝刊   18ページ 
姫路工、2回戦へ
 姫路工打線は滝川のエース○(←Tの名前)が投げ込む140キロ台の速球を確実なミートで次々
にはじき返した。 手堅く単打を重ね、五回途中までに8安打。4安打に封じられ、0―0のまま引き分
けた前回(10日)の対戦からは見違 えるような攻撃を披露し、福井監督を「この経験は選手を成長
させてくれると思う」と喜ばせた。
 口火を切ったのは前回、好機で三振に倒れた井上。二回、一死二塁の先制機に打席に立つと、
低めの直球をシャープ な振りでとらえた。打球はぐんぐ ん伸びて左翼フェンスを直撃し、待望の先
取点をもぎ取った。
 そして、圧巻は五回。先頭の筒井、植田の連打で無死一、二塁とし、○をマウンドから引きずりおろ
した。

素行と他生徒からの評判
少年Hらの逮捕後に、2ちゃんねるを中心に「主犯扱い」された少年Tであるが、在校生とみられる書き込みや生徒の日記には、頻繁に彼の「素行の悪さ」が報告されている。
おもだった素行の悪さを示す内容をあげるだけでも、以下のようなものがある。
また休み時間中に廊下で本物のサッカーボールでサッカーをして、通行を妨げたり窓ガラスを割るなどの迷惑行為を働いていた。

2005年12月17日 ルミナリエで通行人に喧嘩を売る
 その後○○○(←Tの名前)と 
 ○○○の地元の奴と合流した ルミナリエ行くことになって 歩いてたらすごい人数の人が 
 おったので 二回柵よじ登って割り込みして5分でついた でついて歩いてたら○○○が喧嘩売りまくったりいろいろしてておもろかった 

2006年7月30日 アメフト部と野球部の有志でサッカーをした際、アメフト部の生徒と何らかの「いざこざ」をおこす
 野球部ら来てサッカーる 
 (中略)
 で松村と○(←Tの名前)のいざこざを止める 

ながもんの書き込み
 316 名前: 名無しさん@実況は実況板で 投稿日: 2007/09/23(日) 05:51:47 ID:TyZv+s9m0
  >>284
  知ってる顔ばっかりだよ。うちのクラスにもくるから。喧嘩もしてた。 

 362 名前: ◆AfAlNbFv0U 投稿日: 2007/09/23(日) 06:02:42 ID:TyZv+s9m0
  あと自演説が出てるから言いたいのが、俺は○(←Tの名前)大嫌いだよ。逮捕されてほしい。個人的にはね。 

 392 名前: ◆AfAlNbFv0U 投稿日: 2007/09/23(日) 06:10:49 ID:TyZv+s9m0 
  >>343
  詳細までは知らないので答えかねる・・・。
  ただ素行からそう思われても仕方ないような気もする。感情を除いて客観的に見ても。 

2chなかよっぴの書き込み
 403 名前: 名無しさん@実況は実況板で 投稿日: 2007/09/23(日) 06:12:47 ID:9Ncf5I0PO
  Tたちに捕まって欲しいと思う奴はもう1人の在校生のようにいっぱいいるだよ
  確かに授業中うるさいし頭悪いのに○○(←Tの進学予定の大学)行けるのが気に食わないかもしれないが関係ないことに巻き込まなくてもいいだろ 

いじめ・恐喝への関与
3年3組では少年I、少年Ys、少年Szなどのいつもつるんでいたプリクラグループの他に、フットサルサークルで後に逮捕された少年Bが所属していた。
少年Bと少年Tの関わりは定かでないが、3年次に教室で撮影されたケーキを囲んだ写真に2人が写っている。この写真は少年Tと当時交際していた彼女との交際記念祝いと少年Tの誕生日祝いと見られている。
ケーキ写真には少年Bがケーキを切り分けるナイフを持っているものがあり、常にグループとして行動を共にしているわけではないがイベント時には少年Bもプリクラグループに参加していた仲であったと見られている。
またこのころには被害生徒に対するいじめは学校内でかなり広まっており、少年Tもその事実を知りうる立場であった。
2仔1で携帯ホームページをもつ計画までしていた少年Iの恐喝行為も、この時期には半ば公然と行われていた。
そのような中、少年Iが被害生徒に、無理矢理売りつけたブレスレットの代金を督促するメールを送る際に、少年Tは面白半分で自分の名前を入れてもらっている。
このメールを見た被害生徒は、普段の少年Tの言動から恐れをなし、翌日に少年Tのもとを訪れ、「すぐに払えないと」言いに行っている。
それに対して、少年Tは「冗談だからええよ」と答えたという。
それでも疑心暗鬼になっていた被害生徒は、遺書に記された借金リストに少年Tの名前を?つきで記載したという。

以上からわかることは、(1)少年Tは少年Iによる恐喝詐欺を知っていた、(2)被害生徒のいじめについても知っていた、(3)いじめを主導する立場ではなかった、(4)少年Tは被害生徒から非常に恐れられていた存在であった、(5)少年I、Bらの恐喝いじめ行為に対して止めるようなアクションは起こさなかった、ということである。

3年夏の高校野球
被害生徒が自殺した7月3日以降の少年Tの足取りは定かではないが、告別式の日に野球部で練習をしていたことがわかっている。
高校生活最後の大会となる夏の選手権大会兵庫県予選では、少年Tは県内の好投手として注目されていたが、大会前は調子が上がらず苦しんでいたようである。
6月の練習試合では早い回で2けた失点を喫するなど、ピンチで崩れだすと止まらなかった。大会まで1カ月を切っても調子は上がらず、連日150球以上の投げ込みを課したと新聞記事は伝えている。
7月16日の携帯日記には、「調子が悪い 野球も悪いし他もや 合わんとか言わんとって もっと相手の事考えます」と書き込んでいる。

初戦となった7月18日の三木東戦では、六回まで1本の安打も許さず、最後の打者から12個目の三振を奪う完封勝利を収めた。当時の新聞は以下のように伝えている。
2007/07/19   神戸新聞朝刊   21ページ 
 豪腕と呼ぶにふさわしい投球だった。滝川の○(←Tの名前)は、六回まで1本の安打も許さず、無安打試合も期待させ
る快投。九回もこん身の直球で空振りさせ、 最後の打者から12個目の三振を奪うと、会心の笑みを見せた。
 投球の8割以上が直球。140キロ近い球速で、一回二死から6者連続三振をマーク。捕手の変化球のサインに首を
振り、豪快に三木東打線をねじ 伏せた。七回に唯一打たれた安打はカーブ。試合後は「直球を投げていればよかった」
と笑った。
 不老監督は大会前、「気持ちの弱さが課題」と指摘していた。6月の練習試合では早い回で2けた失点を喫するなど、
ピンチで崩れだすと止まらな かった。
 大会まで1カ月を切っても調子は上がらず、連日150球以上の投げ込みを課した。納得いく球が投げられるようになっ
たのは、1週間前。「やれることはやった」。自らを信じて打ち込んだ練習が、自信となった。
 この日は終盤まで味方の援護はなかったが、「延長十五回でも投げ切る気だった」と右腕。不老監督も「精神的に成長
した」とたたえた。
 ○は「強気で投げて、シード校を倒して上位へいく」と言い切った。どんな相手にもひるむ気はない。

次の7月22日に行われた宝塚戦では、終盤に登板して6-3で勝利している。この間、mixiには「負けたチームの分まで頑張る」との日記を残していた。
翌日の7月23日の龍野戦が少年Tの高校最後の公式戦となった。立ち上がりを攻められ、初回3連打を含む5長短打により5点を失い、6回にも7長短打により6点を取られ、先発全員安打を含む15安打を放たれ、6回コールド負けを喫した。
インタビューでは、「一回にチームがおかしくなった。こんなに取られることはないので…。ムードが悪くなってしまった。もっと投げたかった」と記者に答え、号泣したという。

H逮捕後の動向
遺書に「?」つきながら記載されていた少年Tへの警察の捜査は、教育上の配慮と行方が分からなくなる恐れがなかったことから、夏の選手権大会後に行われたと思われる。
どの程度の範囲で事情聴取が行われたのかは不明であるが、夏休み中には他の遺書に名前が記されていた4人と同程度に聴取が行われていたと推測される。

9月17日に少年Hが恐喝未遂容疑で逮捕されると、2ちゃんねるでは少年Tが主犯であるとする書き込みが繰り返し行われ、彼の名前を記載したスレッドもたてられた。(9/23高校野球板
特に当時交際していた女子大生も主犯であるとされ、被害生徒と面識もなかったにも関わらず、実家の住所、アルバイト先、大学名が晒された。
短期間に彼女の情報がこれほど晒されたのは、以前から少年Tの彼女についてクラスでは有名であったことが原因と思われる。
2ちゃんねるで晒されてからの少年Tは、休み時間の廊下サッカーを止め、同じく主犯格として晒された少年Kらと休み時間中に集まって対応について話し合っていたという。
少年Tが主犯だとする見方が事実とされていく中、9月24日には、少年Ykの無実を信じて書き込みをしていたながもんと少年Yk、少年Hと間違って顔を晒されたなかよっぴと松屋で事件についての会合を開いた。
そこで少年Tは、少年Bから聞き出した「真相」として、(1)被害生徒は極度の嘘つきでそれが一連の恐喝の原因である、(2)TやYkなど主犯格とされている自身らは事件とは無関係である旨を主張した。
また「加害者なんていなかったんじゃないか」「いじめは(外から見て)なかったんじゃないか」とも言い、少年Bのストーリーに乗ることで、少年T自身が恐喝メールに名前を入れてもらったこと、遺書に自分の名前が載っていたことを隠した。
この主張をながもんは信じて、深夜に2ちゃんねるで報告を行っている。(9/25最悪板

大学への推薦と進学
9月17日以後のネット上での騒動ですでに言われていた関西の私立大学への野球推薦であるが、2月4日に同大学の硬式野球部ホームページに正式に入学することが伝えられた。
滝川高校の推薦入学も含めた合格者一覧には、それまで記載されていたなかったことから、高校側は少年Tが進学することで周囲が騒ぐことを懸念して明らかにしていなかった。
進学した私立大学では、社会学系の学部に所属し、入学前から硬式野球部の寮に入り練習に参加していた。
1年次の2008年8月14日には野球部のblogに寮での電話当番を行っている様子が書かれている。
11月12日の秋季新人戦に五回途中から登板し、2回と1/3を無安打に抑えている。
2009年3月3日のオープン戦では4回から6回まで1安打無失点、3月8日のオープン戦では、捕手のけん制に救われながらホームラン1本の失点に抑え4回まで投げきるなどの結果を残している。
2年次の春季リーグ前には、日刊スポーツに先発候補として挙げられるなどの注目された。春季リーグにはメンバー登録されなかったものの、新人戦では五回途中から登板し4回1/3を2安打無得点で抑えた。次戦では、八回からの登板で2回3安打3失点を喫している。
4年間通じて、リーグ公式戦での登録はなく、2012年3月に同大学を卒業。大学野球ファンのwebサイトによると、4月より兵庫県警察本部に就職したことが明らかになった。兵庫県警では、近年、野球部を強化しており、少年Tも同部へ加入予定である。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年05月19日 01:28
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。
添付ファイル