ヒヴァまで馬で半日の距離にある小山。
ヒヴァと外界とを繋ぐ唯一の街道がトルクメン山山麓の草原を通過している為、ヒヴァを守る戦略上の要衝となった。

トルクメン山の永久陣地は、『山城』と言っても良い位に立派な造りである。これは帝國軍将兵が『暇だった』ということもあるが、ヒヴァの玄関、最重要拠点としての威厳が求められたということが大きい。また、難民に対する当座の仕事口という面も否定できない。要塞司令部と歩兵中隊1個、若干の軍属(現地雇用)が常駐している。
トルクメン『城』の装備は駐屯する部隊が保有する装備の他に、独自の武装として三年式重機と三一式野砲が配備されている。
トルクメン城『城代』は、益田少佐である。

トルクメン城が出来てから、この地は急速に発展した。
先ずは、駐屯する帝國軍将兵狙いの行商人がやって来た。ヒヴァに向かう旅人が、トルクメン城周辺で野宿する様にもなった。
人の往来が多くなると、彼ら目当ての宿や店が出来始め、定住者が出始めたのだ。
軍も黙認は出来ず、彼等を人別帳に載せ、居住許可を与えた。町の誕生だ。
町として認めた以上、人を雇ってインフラを整えなければならず、共同の井戸を掘り、区画を整え、下水道の整備も行った。
そして僅か二年足らずで人口は3千人にまで増えた。

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最終更新:2006年06月04日 21:08