改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください |
(1) | まず、オーストリア出身でイギリスに帰化し、アメリカでも活躍したF.A.ハイエク(Friedrich August von Hayek 1899-1992)の自由主義哲学を紹介し、彼のいう「自由の理論の二つの異なった系譜」、つまり、 ①イギリス・アメリカなど英語諸国で発展した、自生的秩序論を背景にもつ「古典的自由」(本来の意味での「自由」=消極的自由)と、 ②フランス・ドイツなど欧州大陸で発展した、設計主義的合理主義に基づく「新しい自由」(ルソーなど集産主義/全体主義者の唱える(社会主義的な)「積極的自由」=リベラリズム) について解説します。(その際に、小説『1984年』で自由が奪われた全体主義社会を描いたG.オーウェルも紹介します) |
(2) | 次に、liberalism という言葉の辞書的定義を示し、その意味内容の変化を具体的に検証して、日本においても顕著な「自由主義」ないし「リベラリズム」という思想用語の混乱を整理・明晰化します。 |
(3) | 最後に、人々をそれぞれ「自由」と「隷従」に導く西欧思想の二つの流れについて解説します。 |
動画でケインズが強調している「トップダウン」は政府が経済の在り方の大部分を設計・計画し管理する「設計主義的合理主義」(⇒全体主義に繋がる)を、またハイエクが強調している「ボトムアップ」は政府の経済的介入が少なく民間が個々に自主的に経済活動に携わる結果生じる 「自生的秩序」(⇒自由主義に繋がる)をそれぞれ含意しています。 |
動画解説ページ ⇒ ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 |
著者ハイエクは、オーストリアからイギリスに移り住んだ有名な経済学者です。彼は、昔オーストリアに居たときと同じ思想傾向が、イギリスの地で数十年遅れて影響力を増していることに気づきました。そこで第二次大戦の終わりに近い年(1944年)に、この書により人々に警告を発したのです。 今、英国において社会主義者が行なおうとしている政策は、かってドイツとイタリアにおいて行なわれて、ナチスとイタリアの全体主義を生み出した政策とうりふたつです。ドイツとイタリアで全体主義が起こったのは、それ以前の社会主義的な政策への反動として起きたのではありません、その社会主義的政策の当然の結果として起きたのです。 それは、人々を中世の農奴の地位に引き戻してしまう政策です。まさに『農奴(serf)への道』なのです。その道を舗装してはいけません。 (中略) 『第1次5ヶ年計画』というような、国家によって行なわれる計画は、人々の自由を制限せずに遂行することはできません。だから民主主義を本来の姿のままにしておいては計画は成り立ちません。だから、そのような計画は自由と民主主義を抑圧せずに達成することは出来ません。 経済の力が中央に集権化されるとき、そこに奴隷制度とほとんど等しい状態が出現してしまうのです。 (中略) 19世紀において自由主義は大きく成功しました。人々は、その成功が永続的なものであると錯覚し、それ以上の成功を求めるために、力を結集してより大きな成功を求めようとしました。 それは、『社会主義』の形態でドイツにおいて先頭を切って行なわれました。ナチズムが起こるはるか前から、ドイツの社会主義者たちは、『ゆりかごから墓場まで』という政策をかかげていました。また、政党組織の中に青年たちを教育する場を設け、党のクラブを作ってスポーツやレクリェーションを組織化し、仲間同志の独特な挨拶をし、細胞と秘密組織という監視体制を作っていました。ナチスは、ただそれを引き継ぐだけでよかったのです。 近くで見た者は、そのことをよく知っています。しかし、遠く離れた民主主義国においては、いまだに多くの人々が社会主義と自由は結合できると信じているのです。 かってドイツにおいて国家社会主義を作り出したものは、著述家たちの「保守的な社会主義」というスローガンでした。いま、そのスローガンがイギリスの地を支配しています。 社会主義は、早い段階から多くの思索家によって自由に対する最も重大な脅威と考えられていました。社会主義はフランス革命における自由主義に対する反動として始まったのです。それにも関わらず社会主義寄りの人々は、いまだに社会主義と個人の自由とが結合できると信じています。 (中略) それは社会主義者たちが『新しい自由』という言葉によって自由を再定義したことによっています。そこでは、富者と貧者との差を埋める社会を目指すことが『自由』であるとされていました。 しかし、本来の自由と、新しい自由との間に違いがあるかどうかに注意を払った人は少なく、この二つが結びつくかどうかを問題とした人は、ほとんどわずかでした。このようにして、社会主義へ向かう道が『自由への道』とされていました。 しかし、ドイツ・イタリア・ロシアが、たどった道筋は、過去の思索家の『社会主義は自由の重大な脅威である』とする見方が正しかったことを証明しています。自由への道として約束されていた道は、実は『奴隷へのハイウェイ』だったのです。 なぜなら社会主義者が考えるような社会は、中央に権力を集中せずに実現することは出来ないからです。たとえ、その権力が民主的な手続きによって集中されようとも、その権力を握った人は独裁的な権力を握ってしまうのです。彼は独裁者以外の何者でもありません。 個人の自由は、社会全体が永久に従属させられることとなるような、一つの目的を目指す覇権とは調和できないのです。はっきりとした終点を持つ政策に向かって権力を集中するなら、それも分かるのですが、『平等』という目的は、個人の自由を永久に社会に従属させることとなってしまうのです。 この2・3世代の人々によってかかげられた『民主的な社会主義』という『万人の理想郷』は、言うまでもなく、成就できません。 |
『ニュースピークの諸原理』 ニュースピークはオセアニアの公用語であり、元来、イングソック(Ingsoc)、つまりイギリスの社会主義(English Socialism)の奉じるイデオロギー上の要請に応えるために考案されたものであった。1984年の段階では、話し言葉にせよ書き言葉にせよ、コミュニケーションの手段としてニュースピークだけを使う者は、まだ一人としていなかった。 ・・・(中略)・・・ ニュースピークは2050年頃までにはオールドスピーク(即ち我々の言う標準英語)に最終的に取って代わっているだろうと考えられた。 ・・・(中略)・・・ ニュースピークの目的はイングソックの信奉者に特有の世界観や心的慣習を表現するための媒体を提供するばかりではなく、イングソック以外の思考様式を不可能にすることでもあった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピークが忘れ去られてしまえば、そのときこそ、異端の思考-イングソックの諸原理から外れる思考のことである-を、少なくとも思考が言葉に依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである。 ・・・(中略)・・・ 「自由な/免れた」を意味するfreeという語はニュースピークにもまだ存在していた。しかしそれは「この犬はシラミから自由である/シラミから免れている」とか「その畑は雑草から自由である/雑草を免れている」といった言い方においてのみ使うことができるのである。「政治的に自由な」あるいは「知的に自由な」という古い意味で使うことはできなかった。なぜなら、政治的及び知的自由は、概念としてすらもはや存在せず、それゆえ必然的に名称が無くなったのだ。 ・・・(中略)・・・ ニュースピークは思考の範囲を拡大するのではなく縮小するために考案されたのであり、語の選択範囲を最小限まで切り詰めることは、この目的の達成を間接的に促進するものだった。 ・・・(中略)・・・ イングソックに有害な思想は言葉を伴わない曖昧な形で心に抱くしかなくて、また、それを名指そうとすれば、様々な邪説全部を一括りにし、それらを明確に定義づけないまま断罪だけする実に雑駁な用語を使うより他ないのだった。 ・・・(中略)・・・ 1984年段階では、オールドスピークがまだコミュニケーションの通常の媒体だったため、人がニュースピークを使うときにその元々の意味を思い出すかも知れないという危険が理論上存在した。 ・・・(中略)・・・ しかし二、三世代も経てば、そのようなふとした過失を犯す可能性すら消失してしまうはずであった。 ・・・(中略)・・・ ひとたびニュースピークがオールドスピークに取って代わられると、過去との最後の絆も断たれることになったはずである。歴史は既に書き直されたが、検閲の目をくぐって過去の文献の断片がここかしこに生き残っており、オールドスピークの知識を保持している限り、それらを読むことは可能だった。しかし将来においては、こうした断片がたとえたまたま生き残ったとしても、判読不能で翻訳不能なものになっているだろう。 ・・・(中略)・・・ これが現実に意味するところは、およそ1960年(※注:『1984年』の革命の年)より前に書かれた書物は全体を翻訳することが出来ないということである。 |
このような社会主義の主張がもっともらしく聞えるようにするために、「自由」という言葉の意味を社会主義者たちが極めて巧みに変更させてしまった事実は、重要極まりない問題であって、我々はこの点を精査しなければならない。 かって政治的自由を主張した偉大な先人達にとっては、自由という言葉は圧政からの自由、つまりどんな恣意的な圧力からもあらゆる個人が自由でなければならないことを意味していたのであり、従属を強いられている権力者たちの命令に従うことしか許されない束縛から、すべての個人を解き放つことを意味していた。 ところが、社会主義が主張するようになった「新しい自由」は(客観的)必然性という言葉で表現されるような、とても逃れえないと思われてきた全ての障害から人々を自由にし、全ての人間の選択の範囲をどんな例外も無く制限してきた環境的な諸条件による制約からも、人々を解放することを約束するものであった。 つまり、人々が真に自由になるためには、それに先立って「物質的欠乏という圧制」が転覆されなければならず、「経済システムがもたらす制約」が大幅に撤去されねばならない、とこの「新しい自由」は主張した。 (中略) つまりは、「新しい自由」への要求とは、富の平等な分配という古くからある要求の、ひとつの言い換えに過ぎなかった。ところが、その主張を「新しい自由」と命名することによって、社会主義者たちは、自由主義者が使用する「自由」という言葉を自分達の言葉として手に入れ、これを最大限に自分たちの目的のために利用してきた。 この言葉は二つのグループ間で全く異なった意味で使われているというのに、この決定的な違いに気付く人々はほとんどいなかったし、ましてこの二つの異なる自由を理論的に本当に結びつけることが出来るかを、真剣に考えようとした人も皆無に近かった。 (中略) 彼らが「自由への道」だと約束したことが、実は「隷属への大いなる道」でしかなかったと実証された時の悲劇は、より深刻なものとなるのを避けられない。 |
◇F.A.ハイエク(オーストリア出身・イギリスに帰化したノーベル賞受賞経済学者・政治思想家)『致命的な思い上がり』(1988年) |
例えば「リベラリズム」という言葉を流用することにおいて、アメリカの社会主義者は意図的な詐欺を行ったのである。・・・同じことは欧州の中道政党にもますます当てはまりつつある。・・・すでに1911年には、L.T.ホブハウスは『リベラリズム』というタイトルで正しくは『社会主義』と呼ばれたであろう書物を出版していたし、ほどなく『社会主義の諸要素』と題する著書も出されている。この特別な変化は重要であるが、おそらく今では修復不可能である。 |
◇R.マルガン(イギリスの政治学者)『自由論の系譜』(共著)(1984年)の一章より |
近代政治思想においては、「自由」は感情に強く訴える情緒的な言葉になってしまっているので、自分の政敵にそれを引き渡すのは危険この上ない事とされる。つまり、イデオロギー論争においては、自由それ自体を批判する代わりに、自分の対立者の自由概念を批判し、それとは別の「本当の」あるいは「真の」自由観を主張する事が常套手段となっている。 |
◇P.ドラッカー(オーストリア出身・アメリカに帰化した経営学者)『経済人の終わり』(1939年) |
自由が少ししか存在していなければいないほど「新しい自由」に関する話がますます多くなる。しかし、この新しい自由とは、自由という言葉によって欧州がこれまで理解してきた全ての事に対するまさに反対の事を意味している言葉でしかない。…欧州において唱えられている新しい自由とは、個人に対する多数派の権利のことなのだ。 |
(1) | ブリタニカ・コンサイス百科事典(liberalismの項)より全文翻訳 | ||||
政治的および経済的ドクトリン(理論・信条)であり、①個人の権利・自由、②政府権力の制限の必要性、を強調するもの。 | |||||
<1> | リベラリズムは、16世紀欧州の戦争(30年戦争)の恐怖に対する防御的リアクションとして発生した。 その基本理念は、トーマス・ホッブズとジョン・ロックの著作の中で公式な表現を付与された。この両者は、至上権は究極的には被統治者の同意によって正当化され、神権ではなく仮想的な社会契約によって付与されると唱えた。 経済分野では、19世紀のリベラル(自由主義者)達は、社会での経済生活に対する政府介入の撤廃を強く要求した。アダム・スミスに従って彼らは自由市場に基礎を置く経済システムは、部分的に政府にコントロールされた経済システムよりも、より効率的であり、より大きな繁栄をもたらすと論じた。 | ||||
<2> | 欧州と北米の産業革命によって発生した富の巨大な不平等その他の社会的問題への反動として、19世紀末から20世紀初めにかけてのリベラル(自由主義者)達は、市場への限定的な政府介入と、無料の公共教育や健康保険などの政府拠出による社会的サービスの創出を唱えた。 アメリカ合衆国では、F.D.ルーズベルト大統領により企画されたニュー・ディール(新規まき直し)計画により、近代ないし進歩的リベラリズム(modern liberalism)は、①政府の活動領域の広範な拡張、そして、②ビジネス活動の規制の増大、として特徴づけられた。 第二次世界大戦後、社会福祉の一層の拡張が、イギリス・スカンジナビア諸国・アメリカ合衆国で起こった。 | ||||
<3> | 1970年代の経済的不振(スタグネーション:不況とインフレの同時進行)は殊にイギリスとアメリカ合衆国において、自由市場を選好する古典的な自由主義の立場(classical liberal position)の再興を導いた。 | ||||
<4> | 現代リベラリズム(contemporary liberalism)は、①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革に依然関心を寄せ続けている。 | ||||
(2) | オックスフォード英語事典(liberalの項)より抜粋翻訳(※liberalismは派生語扱い) | ||||
(政治的文脈で)個人的自由、自由交易、漸進的な政治的・社会的改革を選好する(形容詞)。 | |||||
語源(ラテン語) | liber(=free (man):自由(人))。原初的語感は「自由人として適格な(suitable for a free man)」 | ⇒つまり「自由人=奴隷でないこと」 | |||
(3) | コウビルド英語事典(liberalismの項)より全文翻訳 | ||||
<1> | ・リベラリズム(liberalism)とは、革命ではなく、法改正によって社会的進歩を漸進的に行う、とする信条である。 | ||||
<2> | ・リベラリズム(liberalism)とは、人々は多くの政治的そして個人的な自由を持つべきである、とする信条である。 |
リベラリズムの段階・種類・区分 | 時期 | 意味内容 | |
<1> | 古典的リベラリズム(classical liberalism) | 16世紀~19世紀 | ①個人の権利・自由の確保、②政府権力の制限、③自由市場を選好…消極国家(夜警国家) |
<2> | ニュー・リベラリズム(new liberalism) | 19世紀末~20世紀 | 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義) 社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。 |
<3> | 再興リベラリズム(neo-liberalism) | 1970年代~ | スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。 <2>を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視 |
<4> | 現代リベラリズム(contemorary liberalism) | 現代 | ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向 1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。 |
補足説明 | <2>ニュー・リベラリズム(new liberalism)と<4>再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。 もともと<1>古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、<2>ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、<1>に代わって<2>がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、<2>からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと<2>ニュー・リベラリズムを指すようになった。 ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する<1>の理念の復興を唱える<3>ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、<3>を「新自由主義」と訳すようになった。 |
自由民主党が、 | 「liberal democratic party」だという意味の「リベラル」とは | <1>古典的リベラリズムないし<3>再興リベラリズム(現在使われている意味での「新自由主義」)に近く、一方、 |
民主党が、 | 「リベラル左翼政党」と言われる場合は、 | <2>ニュー・リベラリズムないし<4>現代リベラリズムの意味に近いことが分かります。なお、 |
社会民主党や民主党の旧社会党・旧社民連グループ(菅直人など)が | 「護憲リベラル」などと自称していますが、 | 現実には彼らは「社会主義者」であり、東欧自由化・ソ連解体以降に「社会主義」という言葉にマイナス・イメージが定着したために、<2>・<4>の意味合いで「リベラル」を詐称しているに過ぎません。注意しましょう。 |
<2>ニュー・リベラリズム 及び <4>現代リベラリズム(の中のロールズ派) | を | 「リベラル左派」(左翼の一つ) |
<4>再興(=ネオ)・リベラリズム | を | 「リベラル右派」(真正リベラル) |
- |
※サイズが合わない場合はこちら をクリック |
都市国家 | アテネ | スパルタ |
要約 | 開かれた社会(自由主義) | 閉ざされた社会(全体主義) |
個人主義(indivisualism:個人は固有で不可侵の自由な領域を持つ) | 集産(集団)主義(collectivism:個人は全体に奉仕することが生の目的である) | |
社会 | 流動的社会 | 固定的階級社会(カースト的) |
国家の性格 | 海上交易帝国・文化大国 | 自給自足社会・軍事立国 |
ペロポネソス戦争で民主制をとる諸都市のリーダーとなる | ペロポネソス戦争で寡頭制をとる諸都市のリーダーとなる | |
思想哲学 | 批判的方法論の発見→哲学の発展 | 身分固定的な法制により思想の自由なし |
代表者 | ソクラテス(哲学者)、ペリクレス(軍人・政治家) | レオニダス(軍人)、後にプラトン(アテネ貴族階級出身)がスパルタに憧憬 |
近代における評価 | 主にイギリスの自由主義者の理想となる | デカルト、ルソー、ヘーゲルらの理想となる |
「我々の政治制度は他で実施されている諸制度と争うものではない。我々は隣国の模倣はせず、むしろ模範であろうとしている。我々の行政は少数者をではなく多数者を大事にする。このために民主制と呼ばれるのである。法律は私的な争いにおいては全ての人を同様に公平に扱うが、我々は卓越性の主張を無視するものではない。ある市民が抜きん出ているならば、彼は他の者に優先して国家に奉仕するよう求められることになるが、これは特権のゆえにではなく長所への報酬としてであり、貧しさが妨げとはならない。 …我々が享受する自由は日常生活にまで及ぶ。我々は互いに猜疑心を持つことなく、隣人が自分独自の道を選んだとしてもがみがみ小言を言うことはない。 …だが、この自由は我々を無法にするものではない。我々は為政者と法律とを尊敬し、また害を受けた者を保護しなければならないことを忘れないように教えられている。また我々は、何が正義であるかについての普遍的な感情にのみその強制力の根拠を持つ不文律を守るようにも教えられている。」 |
「我々の都市は世界に対して開かれており、我々は決して外国人を追放することはない。…我々は全く自分が望むままに生きる自由を持っているが、しかも常にどんな危険にも立ち向かう覚悟を持っている。…我々は美を愛するが幻想に耽ることはなく、知性を改善しようと努めはするが、このことは意志を弱くするものではない。…自分の貧乏を認めることは我々にとって恥ではないが、それを避けるよう努力しないことは恥だと考える。アテネの市民は自分の私事に精を出すときも公事を無視しない。…我々は国家に何ら関心を持たない人を無害と見なすのではなく無用と見なす。また、政策を立案するのは少数の者のみであるが、それを判断することは我々全てが出来るのである。我々は討論を政策実施の障害となる邪魔者とは見なさず、賢明に行動するための不可欠の準備と見なす。…我々は幸福は自由の果実であり、自由は勇気の果実であると信じ、戦争の危険をも辞さない。…要約すると、私はアテネがギリシャの学校であり、アテネの諸個人は成長するにつれて幸福な多才と非常時への覚悟と独立独行の精神を発展させるのだと主張する。」 |
自由のイギリス的伝統 | 自由のフランス的伝統 |
経験的、非体系的(イギリス経験論⇒批判的合理主義) | 思弁的、合理主義的(大陸合理論⇒設計主義的合理主義) |
自生的に成長してきたが不完全にしか理解されなかった伝統と制度の解釈を基礎としている | ユートピアの建設を目指すものであり、しばしば実験されてきたが、未だかって成功していない。 それにも拘らず次第に影響力を増してきた。 |
正確さと明晰さの足りないイギリス的自由の伝統は衰退してきている。 | 人間の理性の無限の力について自惚れた想定に立つフランス的伝統の合理的で、もっともらしい、そして外見上論理の通る議論。 |
一方は自発性と強制のないことに自由の本質を見出し | 他方は、ある絶対的な集合的目的の追求と達成においてのみ自由が実現されると信じている。 |
一方は有機的で緩慢な半意識的な成長を支持し | 他方は教条的な目的意識性に味方する。 |
一方は試行錯誤の手続きを支持し | 他方はもっぱら唯一妥当な型の強制を支持する。 |
アテネ的、ソクラテス的 | スパルタ的、プラトン的 |
バーリンの消極的自由「~からの自由」に相当 | バーリンの積極的自由「~への自由」に相当 |
消極的自由(negative freedom) | 積極的自由(positive freedom) | |
要約 | 強制のないこと | 自律(自己決定)…「自由」とは実は別概念 |
定義 | 主体が他者から干渉を受けずに放任されている、という意味の自由 「~からの自由(freedom from …)」 |
単に強制・拘束を受けない、というだけでなく、主体が自己を能動的に律する(自律)という意味での自由 「~への自由(freedom to …) |
代表者 | イギリスの自由主義者 | ルソー(「自由への強制」)、カント |
価値多元論 | 価値一元論 | |
こちらが真正の「自由」である | 全体主義へ至る危険性が高い誤った「自由」観である |
① | 本来の意味の自由主義 | は | 価値多元論(value-pluralism) | ⇒ | 人々を「自由」へ導く思想 本来の個人主義(individualism)、歴史・伝統重視の思想 であり |
② | リベラリズム (左翼によって意味を歪曲された「自由」) |
は | 価値一元論(value-monism) | ⇒ | 人々を「隷従」へ導く思想 アトム的な個人主義とその結末たる集産主義、理性を万能視する思想に連なります。 |
価値多元論(批判的合理主義) | 価値一元論(設計主義的合理主義) | |||||||||||||||
古代~中世 | 無知の自覚 ・ソクラテス |
中世ゲルマン法の伝統 ・マグナ-カルタ |
キリスト教的自然法論 | 理想国家論 ・プラトン | ||||||||||||
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ||||||||||||
16~17世紀 | モラリストの懐疑論 ・パスカル |
コモン・ロー司法官/法律家 ・コーク |
近代自然法論 ・グロチウス |
→ | 社会契約論1 (君主主権) ・ホッブズ |
← | 理性主義(一元論、決定論を含む) ・デカルト ・スピノザ | |||||||||
・モンテーニュ | ・ブラックストーン | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||||
・マンデヴィル | ・ペイリー | → | 社会契約論2 (国民主権) ・ロック |
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||||
↓ | ・ヘイル | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ||||||||||
18世紀 | スコットランド啓蒙派 ・ヒューム ・A.スミス |
↓ | ↓ | 社会契約論3 (人民主権) ・ルソー |
フランス啓蒙派 ・ヴォルテール ・百科全書派 | |||||||||||
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||
フランス革命以降 | 近代保守主義 ・バーク |
↓ | フェデラリスト ・ハミルトン |
↓ | 功利主義 ・ベンサム |
ドイツ観念論 ・カント |
空想的社会主義 | 無政府主義 | ||||||||
↓ | ・マジソン | ↓ | ・J.S.ミル | ・フィヒテ | ・サン-シモン | ・バクーニン | ||||||||||
19世紀 | 歴史法学派 | ↓ | ↓ | ・スペンサー | ・ヘーゲル | ・フーリエ | ・プルードン | |||||||||
・トックヴィル | ・サヴィニー | アメリカ的保守主義 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||
・メイン | ・マーシャル | ↓ | 人定法主義 | フェビアン社会主義 | 新ヘーゲル主義 (プラトン的理想主義) |
ヘーゲル右派(民族重視) | ヘーゲル左派 (唯物論重視) |
↓ | ↓ | |||||||
・ケント | ↓ | ・オースチン | ・S.ウエッブ | ・グリーン | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||||
↓ | ・ショウ | マルクス主義 ・マルクス ・エンゲルス ・第一インター | ||||||||||||||
・アクトン | ↓ | ・ケルゼン | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | |||||||
20世紀 | ↓ | ・シュミット | リベラル社会主義(ニュー・リベラリズム) ・ホブハウス |
↓ | ナチズム ・ヒトラー ・ローゼンベルク |
マルクス-レーニン主義 ・レーニン |
西欧マルクス主義 ・グラムシ |
修正社会主義(社会民主主義) ・ベルンシュタイン | ||||||||
↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | ・ケインズ | ↓ | ・第三インター | ・ルカーチ | ・第二インター | |||||||
第二次大戦以降 | 現代保守主義 ・オークショット |
再興自由主義 ・ハイエク ・ポパー |
→ | リバタリアニズム (自由至上主義) ・ノジック |
・ベヴァリッジ | → | 平等論的リベラリズム ・ロールズ ・ドォーキン |
コミュニタリアニズム (共同体主義) ・サンデル ・ウオルツァー |
・コミンフォルム | ・フランクフルト学派 | ・コミスコ |
価値多元論(value-pluralism)⇒人々を「自由」に導く思想 | 価値一元論(value-monism)⇒人々を「隷従」に導く思想 |
個人主義(individualism) | 集産主義(collectivism:集団主義) |
歴史・伝統重視の思想 | 集産主義ではないが理性による究極的価値への到達を説く思想 |
+ | ... |