巨星おつ――
2023年のクソゲーオブザイヤーinエロゲー板(KOTYe)は、ファイナル戯画マイン『JINKI -Unlimited-』の炸裂によって終結した。
過去最多のエントリー作品群を吹き飛ばし、また一歩クソの深淵を掘り下げる戦果を上げて、古参メーカーの終焉に供花を添えたのである。
爆風が弔鐘を鳴らす中、「誰もが自律的に悲劇を語り、エロゲーへの不満を昇華する」との誓いも新たに、住民たちはクソと笑いの鉱脈を目指して昏き坑道を進む。
そこで遭遇したのは、昨年とは真逆の事態であった。
昨年の上半期には20本ものエントリーが殺到したのに対し、本年はまさかのゼロ。
表向きは一応の平穏が続いたが、その裏に不穏な噂もちらつく。
住民たちは、まだ切られていない堰に溜まりゆく圧を感じ取っていた。
静寂が決壊したのは8月半ば。
老舗アパタイトから、3日間で4作品が押し寄せた。
アパタイトは、毎月2本、年24本の超ハイペースでロープライス作品を出し続ける多産メーカーであり、凡作以上が数多く並ぶ中で地雷が地雷として機能する、模範的な地雷原である。
歴代最遅の開戦を彩った各者各様の4連爆発を順に紹介しよう。
1発目は、アパタイト第250弾『ウチの妹はアナニーがお好き ~兄を想う妹とのアナル拡張性活~』
タイトル通りのアナル一徹は感動すら生むも、最後の最後でノーマルプレイに走って選評者を失望させ、「The Last of Ass」のトロフィーを獲り逃した。
2発目は、第251弾『異世界チョロインは、いとも簡単に堕とされる ~あれ、ボクの彼女…寝取られちゃいました?~』
ゲテモノヒロインNTRモノ『イキ過ぎ異文化交流』の血を引きつつ、異世界帰還の要素を吸収して悪性変異を遂げたモンスターである。
冒頭でヒロインの進化先を「派手なギャル」「外国人のような風貌」「魔王の手先」から選ばされると、すぐさま各形態で完墜ち済みのヒロインが出現する。
そして、本当にいとも簡単に堕とされる過程をしばし回想の後、ステレオタイプなハイテンション下品モードでのまぐわいを見せられて強制バッドエンドである。
3ルート走破後には追加の選択肢「この世の者とは思えない姿」が解放され、けきゃきゃ笑いで濃青肌の究極態が降臨。
主人公が同化吸収されて現代文明は滅ぶ。
「いや、本当に何がやりたいのか。私は抜きたいだけなんだが。」
とは、選評者の弁である。
3発目は、第253弾『ご主人様は妹ですか? ~Mっ娘好きの俺が、なんで妹のM男に!?~』
M調教ものと思いきや、選択肢次第でSM逆転や純愛、あてつけNTR等々、ロープライスの短い尺で属性がコロコロ変わる。
場合によっては、主人公が野外露出からの本番後に気絶、起きたら警察沙汰、自分だけ逃げた妹への復讐でM彼女を作り見せつけエンド、という属性2回宙返り1回ひねりに付き合わされる。
この目まぐるしい方向性の迷子にこそ「なんで」と問いたい。
締めの断撃は、第255弾『妻の面影残る娘に、疼く欲情 ~俺のモノで教えてやる!~』
短尺の中で調教性癖が目覚めていく様を巧みに描けているが、一転、予測不能なタマヒュン発生で地雷と化した。
最終盤、「公園に連れて行く」という何の変哲もない選択肢を選ぶと、緊縛プレイ中にハサミで竿を断根されてしまうのである。
鬼畜主人公が報いを受けるにしても、残酷描写ならば回避可能にする配慮も必要であろう。
突然の去勢は昨年にも発生したが、今回は強制かつ生々しく、縮み上がった玉の数を想像するのも憚られる。
アパラッシュの撃ち終わりを待って現れたのは、アトリエさくら勢である。
昨年の9本エントリーの影響で、流石に呆れと飽きすら広がりつつあった中、NTRを装いつつ純愛マシマシのサイレント路線変更によって新味を出し、本年も2作品が参戦と相成った。
1作目は、『快楽堕ちさせられる義妹・実奈美 ~淫らな肢体は快感にイキ狂う~』
両想いの義兄妹がそれぞれに葛藤する昼ドラを入念に描いているが、そもそも求められる形式とズレている。
実に2/3ルートが純愛路線であり、NTRが負けては本末転倒と嘆かれた。
2作目は、『ビッチになっていた俺の幼馴染について ~俺と真凛(まりん)とセックスフレンド』
そもそも主人公にヒロインへの恋愛感情がなく、のっけからNTRに暗雲が立ち込める。
その後、ヒロインに複数のセフレがいることに衝撃を受け、独占欲とNTR性癖の狭間で揺れるややこしい事態に。
どう転ぶかは選択肢次第ながら、真ルートでは独占欲が勝ってヒロインに説教を始め、むしろ寝取ろうとする側となって、なおのことNTRから外れていく。
対して、ヒロインと竿役は「セフレと遊びたいが、浮気はご法度なので恋人は作らない」と筋を通すため、これでは主人公の方が自己中心的な邪魔者である。
挙句、真ルートのオチは、竿役に恋人ができてセフレ解消となる棚ぼたからの、愛ある営みでヒロインを寝取る相思相愛エンド。
いったい何をもってNTRとしているのか、謎は深まるばかりであった。
常連組に続き、著名ブランドから意外な伏兵2名が参戦した。
先んじたのはHOOKSOFTの『シークレットラブ(仮)』
バレない恋を楽しむ「クローズルート」を売りとしながら、制約が厳しすぎて自縄自縛に陥っている。
そもそも、共通ルートでヒロインたちは公然と主人公を奪い合い、共に過ごすと恋が実る伝説の文化祭を経て付き合い始めるため、そこから秘密の恋愛に繋げるには無理があろう。
その無理を通すべく、外野たちは一致団結し、異常なまでの潔さと物わかりの良さでコンセプトを死守しにかかる。
負けヒロインたちは「誰と付き合うのか知らないけどお幸せに」と身を引き、モブはごまかされると納得してそれきり疑わない。
これでは「バレない恋」ではなく「見て見ぬふりされる恋」である。
それでも設定上はバレていない扱いであり、そのせいでルートヒロイン以外との掛け合いが激減するにもかかわらず、肝心のバレない恋愛エピソードの引き出しも少ない。
苦肉の策として、「人通りの少ない階段の踊り場でイチャイチャ」「デート中に知り合いとニアミスして咄嗟に隠れた物陰でイチャイチャ」といったイベントが、全ヒロインで使い回されている。
さらにHシーンも、処女喪失→校内→自宅→ラブホと流れがほぼ共通である。
ヒロインが変われどシナリオの骨子がワンパターンでは、マンネリ感は否めない。
また、公式が「いつもよりエロに力を入れている」と豪語した通りにHCGは充実しているが、その反動で通常CGは極限まで削られており、8ルート中7ルートにエンディングの一枚絵が存在しない。
つまるところ、秘密遵守とエロ偏重の煽りで「バレない恋」ならではの妙味が現れておらず、ならばいっそクローズルートをクローズした方が完成度が高まるのではなかろうか。
続いて、あざらしそふと+1から『僕と先生の個人授業2』が姿を表す。
教師であるヒロインが不眠症の主人公を案じ、夜間に別人のフリをして交流する物語のはずが、そもそも名ばかり教師である。
学校生活の描写は全編の5%程度と極端に少なく、ヒロインの教師としての印象が薄すぎて、夜の変装姿との間にギャップの生じようがない。
加えて、Hシーンには校内はおろか教師姿で行うものすら存在しない。
バレてはならない禁断の関係という緊張感も薄く、一線を越えてからは互いの自宅で寝泊まりを繰り返し、ヒロインが白昼堂々と主人公の家に乗り付けてデートに向かう。
話の大半は教師と生徒でなくとも成立するため、 実質的には単なる年上彼女モノである。
また、不眠症設定に至っては、活かされないを通り越して悪影響を及ぼしており、主人公の命を案じてしまうほど症状が重篤かつ頻繁なため、もはやイチャラブどころではない。
そうして物語全体に影を落としておきながら、最後はヒロインの寝かしつけックス中出し気絶であっさり解決。
一連の流れは「ああ…もう寝そう」と毎度お馴染みのずっぷ構文集に加わり、「中出し気絶部」と命名されて流行語となった。
秋にはルーキーとベテランが対峙した。
先攻は、MAYHEMのデビュー作『奈落ノ胤~堕淫調教SLG~』
公式サイトでヒロインを「完璧な女の子」かつ「ドSな冷笑タイプで友達が少なくメンヘラ気質」と紹介して最速の矛盾に挑み、パッケージ版は中身の入れ間違いで発売延期するなど、盤外から場を暖めての登場となった。
調教モノのお約束からの逸脱が著しく、導入からして、謎の巨女によって主人公およびその彼女と幼馴染が異空間に軟禁され、脱出には調教が必要という強引なもの。
つまり調教は生還手段であり、背に腹は代えられないヒロインたちと早々に合意が成立するばかりか、結末は脱出の成否でしか分岐せず、調教手法の選択に応じてヒロインが変化する要素はない。
反抗的なヒロインを徐々に服従させ染め上げずして何が調教かとは思えど、一方で、こうしたジャンルへの風当たりに対する苦肉の策が「合意の上での調教風プレイ」と見れば同情も湧く。
とはいえ、そもそもSLGとして完成度が低い点は看過できない。
さながら、HシーンをSLG風に連結してシナリオ作成を省力化したかの如くであり、システム・リソース・ストーリーが足を引っ張り合っている。
第一に、システムは情報不足で理解しづらい。
調教コマンドを選ぶとヒロインの体力が消費されてパラメータが変化し、調教の種類が増えていくが、各調教の体力消費量やパラメータ変化量、新たな調教の解放条件は表示されない。
そのくせ、体力が尽きるとヒロインが突然死して即終了であり、しかも調教のレベルが上がると体力消費が密かに増え、予期せぬ即死を招く。
第二にリソース面では、テキストとCGに使い回しが目立つ。
調教コマンドこそ、両ヒロインそれぞれ19種類7段階と豊富ながら、本当に7パターン用意できているのは正常位のみ。
ほかは多くとも6段階に留まり、2段階目以降は変わらないものさえある。
CGはさらに使い回しが激しく、複数の調教にまたがって差分を流用。
回想ページによっては同一の差分で埋め尽くされてしまうが、製作者はそれを見て何も思わなかったのであろうか。
シーン回収にしても、パラメータが上がると低段階の調教ができなくなるせいで、全回収には無駄に緻密な計画立案を要する。
そこで、攻略を簡略化すべく片方のヒロインのみ選択し続けると、放置されたヒロインが他方を手にかけてゲームオーバーとなるため、通称「嫉妬がボンバー」エンドとして忌み嫌われた。
最後にストーリーにおいては、主人公の軽薄さが際立つ。
目先のヒロインに愛を囁く反面、ルート外ヒロインは歯牙にもかけず、エンディングで負けヒロインが記憶喪失や行方不明になっても捨て置くため後味が悪い。
一途ならまだしも、「嫉妬がボンバー」回避のために同時攻略は必須であり、主人公の風見鶏化は不可避。
進行次第ではブリテンさながらの三枚舌が発動し、彼女と付き合いつつ、「そうだ、早月と結婚しよう」と京都行き感覚で幼馴染に乗り換え、最後は「二人のことなんてどうでも良い」と巨女エンドを迎える。
システムとストーリーが渾然一体となり、実に巧妙に意欲を削ぐ一作といえよう。
一方で、Hシーン後の暗転代わりに主人公を気絶させる手法は、時流を掴んで「中出し気絶部」のシンクロニシティを引き起こし、住民を沸かせるのであった。
新星を迎え撃った古豪Calciteの『異世界娘と秘密のコンカフェえっち』は、「AI生成かと思ったら~、違法風俗クソ客ストーカー事案でした~。チクショー!!」であった。
AI生成画像の使用が見て取れるが、それ自体の是非は問わないとした上で、独特の違和感が漂う低質さが問題視された。
切り抜き残しのある立ち絵、ファスナーや髪の編み込みといった細部の破綻もさることながら、テーマと直結する疑似おうちデート時の背景が、高熱時の悪夢さながらに小気味悪い時点で程度が知れる。
また、コンカフェの認識に齟齬があり、そもそも店のシステムがコンカフェではない。
コンカフェの接客は飲食の提供やカウンター越しの会話が主となるが、本作ではキャストといきなり個室で二人きりになる。
裏オプションで性行為もあるため、タイトルは『異世界娘と違法な接待営業店えっち』が適切であろう。
そして最大の問題は、不快極まりない主人公である。
序章でおうちデートへの妄執を単刀直入に指摘されて破局すると、「ちくしょーーーっ!」と人目をはばからず絶叫。
過去の同様の失敗を思い返しつつ「ほんと……何が悪かったのかなぁ……」と呟くなど、自覚と反省の色が見られない。
かと思えば、おうちデートがコンセプトの店を見つけた途端に復調し、店内では明らかな営業トークに「俺のことを分かってくれる」と舞い上がるばかりか、「俺に気があるよな……!」「俺でも落とせるかもしれない」とストーカー気質を露呈。
ついには欲望を抑えきれなくなり、疑似ではなく実際におうちデートしてくれと3人のキャストにまとめて頼み込む。
その異様さは、プロとして接客中のヒロインが「私達はお兄さんの恋人じゃない」と釘を差すほどである。
エロゲーでヒロインにすら拒絶されるとなると、主人公のクソ客描写は意図的ということになり、その表現力は認められたものの、発揮する方向性が大いに疑問視された。
一方、幕間の主人公の勤務場面では、有能すぎてパワハラされる俺つれーわムーブを「これじゃない感が強い」などのふわっとしたワードで雑に行い、別角度からも嫌悪感の掘り下げに成功している。
かくして本作は、クソの地力は生成AIの利用云々など超越したところにあると知らしめ、流石は常連の剛腕と称えられた。
クリスマスには、住民サンタがPurple softwareの『リップリップルズ』を投下。
こだわっていたファーストキスを寝ている隙に奪った犯人を探す話のはずが、その件は体験版の範囲内で1時間とかからず片付く。
そして犯人に告白されるや即座に受け入れて個別に入るため、こだわりとやらは形ばかりである。
その個別も、真ルート以外は、ただの前座でワンパターンで実質夢オチの三重苦。
もうひとつのテーマである7つの大罪も、前座ヒロイン4人が1つずつ担当し、残りは誰に割り振られるのかと思いきや、あろうことか主人公がすべて掛け持つダイナミック回収であった。
傲慢・憤怒・怠惰の不人気属性をヒロインに回さぬため、3つとも引き受ける主人公の漢気には涙を禁じ得ない。
物語の骨子は上記でほぼすべてであり、肉付けは下ネタギャグに終始する。
オナニー時に2mジャンプした瞬間しかイけない性癖や、彼女の手料理は脇おにぎりが良いなどバリエーションは豊富ながら、高密度な下ネタ尽くしは合わない者にはとことん合わないであろう。
公式ジャンルの「水面下ハーレム探索型ADV」のうち、水面下とハーレムは行方不明、探索はわずかであり、ほぼADVしか残らない。
フルプライスながらプレイ時間は10時間にも満たず、著名ブランドによる極端なステルス値上げの敢行はショックと驚愕をもたらした。
予備期間に入り、三が日が明けるやいなや、縁の『だから私は魔法少女を辞めた』が新年初エントリー。
まず、変に凝った構成が失敗している。
「現実の過去」と「仮想世界の現在」が切り替わりながら進行するが、その事実が最初は伏せられており、後半まで両者の明確な区分はなく示唆すら見当たらない。
そのため、興味を引く適度な謎とはならず、ヒロインの唐突な豹変や脈絡のないHシーンの挿入など、ぶつ切り展開の連発となって大混乱を招いた。
Hシーン前の敗北描写すら割愛されるに至っては、魔法少女モノとして無作法の極みである。
また、ボイスがお粗末であり、演技力以前に音質が非常に悪い。
常時くぐもっているばかりか、屈辱シーンでの高音割れはミュートが推奨されたほどである。
宅録が原因と見られ、「だから私はスタジオ収録をやめた」と揶揄されるのであった。
次いで、透明な世界と繋がるゲートから、あざらしそふと+1第二の刺客『夢幻のティル・ナ・ノーグ』が顕現した。
異世界での夢の冒険をコンセプトに掲げるも、魔法によって安全と利便性が保証されすぎた結果、冗長で退屈なピクニックと化している。
そもそも舞台が無人島であり、異世界ならではの人物や建物もなかなか見当たらない。
そこに、極度のグラフィック不足が追い打ちをかける。
異世界の動物には画像がなく、遭遇しても仲間になっても姿が表示されない。
背景も、最初はただの海辺と森の中しかなく、港町の跡地を見つけても絵はなく、森を抜けるとXPの壁紙のような草原がお出迎え。
以降も画像不足は甚だしく、伝説の剣を錬成して戦う場面にすら専用のグラフィックが存在しない。
重要人物であろうとおっさんには立ち絵がなく、おっさんが喋っている間は背景しか表示されないため、もはや透明人間である。
また、文章量確保のためにパロネタ・メタネタ・下ネタ・天丼が駆使されすぎている。
グダグタ進行の最中に毎度グダグタを自称する、ことあるごとに「一体いつから錯覚していた?」と発言しては「天丼が過ぎる」と返す、島の謎を解く手がかりを下ネタで大幅水増しなどは典型例といえよう。
意味なく長きにわたる共通ルートの先では、ありきたりなシリアス展開が突発的に発生。
交通事故・多重人格と記憶喪失・心臓病と無駄に重い上に、温度が急に変わりすぎて自律神経を乱される。
挙句、ご都合主義能力やら普通に手術やらであっさり解決するため拍子抜けは必至である。
キャラデザやエロは質が高く、良作になり得るポテンシャルもあっただけに、リソース不足で夢が幻に終わったことが惜しまれる。
そして締切間際の1月末には、話題には上りつつも選評が届かずにいた3作が、満を持してジェットストリーム滑り込みを果たす。
まずは、ninetailがでっちあげた鋼の竜騎兵『GEARS of DRAGOON 3 ~竜刻のレガリア~』が、シリーズの歴史に最後となりうる反逆を試みた。
2度の延期を経てなお事実上未完成のまま発売され、1ヶ月後のver2.00パッチで一応の完成を見るも、なお十分な出来とは言い難い。
ストーリーについては、舞台となる惑星の行く末を左右するスケールに対して登場人物が少なく、据置版KOTY大賞の某リベリオンへのオマージュが見て取れる。
特に敵側の人員不足は話が進むごとに深刻化していき、これを補うべくライバルキャラのゾンビアタックが執拗なまでに反復される。
半分程度に端折っても「倒しても倒しても逃走を繰り返し、瀕死にしても機械化して蘇り、破壊しても人竜になり、撃破しても生身に戻って生き残る」といった具合である。
その過程で人間的な成長を見せるでもなく、「どうせまた出てくる」と思いながら進めると毎度その通りにリピートされ、嫌気が差す。
最終的にはライバルを消滅させて当初の目的は達成するが、副作用で生じた「星を滅ぼす災厄がいずれ目覚める」という大問題を放置するため、最後まで未解決が解消されずカタルシスが生じない。
また、Hシーンでは一部ヒロインがセリフとBGVでテンションの差が大きく、やや冷静な高い声と重低音のオホ声がクリックごとに切り替わる情緒の乱高下が発生した。
そしてRPGパートの問題は根源的であり、ハクスラの基幹である「戦闘と成長のサイクル」が、テンポ・操作性・視認性のすべてに欠けたUIによって、多角的に阻まれ続ける。
移動からして、1マスごとに一瞬止まるカクカク動作であり、要らぬレトロ感が悲哀を誘う。
操作にも難があり、マウスでの移動は、ワンクリックでの行き先指定はできず、1マス隣をクリックの繰り返しか、ドラッグ&ドロップを強いられる。
キーボード操作はWASDのみで、パッチ前はそれ自体が不可能であった。
これに対し、戦闘リザルトで主人公が「ここで立ち止まるつもりはない」と煽ってくるが、ならもっとスムーズに動いてもらいたい。
装備の管理は、まずソート機能が的確とはいえず、自動装備機能もない。
加えて、字やアイコンが過度に小さく、画面右に並ぶ装備品の情報を左上隅に表示。
そのせいで、ただ性能を確認するたびごとに凝視と視線移動によるリアルエイミングを要する。
表示の不親切さはほかにも多く、レベルアップ時のステータス変化は表示されず、スキルツリーの先は見えず、みっちり8ページに及ぶバフ・デバフの説明は、Excelのような画像で表示され検索性が低い。
この上さらに、システムとストーリーから受ける理不尽な制限が攻略の自由度を奪っている。
システム都合の最たるものは、クエストからは途中離脱不可であろう。
クエスト中にはソケットアイテムの着脱もできず、ドロップ品を活用した最適化が行えないため、ボスに勝てない場合は、「雑魚相手の虚無レベリングか、成果を諦めてロード」の強制二択となる。
また、クリアしたクエストへの再入場もできず、パッチ前はフリークエストすら存在しない有様であった。
ストーリー都合は、ドロップ増加スキル持ちキャラクターの永久離脱や、一時離脱者の続出でPT枠も埋められない状態でのボス連戦が辛い。
加えて、分岐のないシナリオと周回前提のシステムが食い違っている。
RPGパートを完全に省略できるADVモードは2周目以降限定の機能であり、一本道シナリオの読了後にしか開放されないため意味が薄い。
RPGの各要素をフル活用できるほど仲間やドロップが充実するのも2周目以降となるが、その出し惜しみが1周目の面白さを損じており、周回意欲を削ぐ。
全編を通してシリーズ過去作からの劣化が激しく、これがあの九尾の現在地かと、購入者は竜刻ならぬ慟哭するのであった。
次なるは、近年躍進著しいWendyBellの新作『PureCafe ~癒やしのカフェに通い詰める、僕の地方転勤生活~』。
その注目度に反して選評が遅れたのは、新手のダイレクト・キング・クリムゾンが原因であった。
すなわち、この作品の前ではすべての感情は消し飛び、プレイヤーは物語の内容を覚えていない。
感情の消し飛んだ世界では時間はすべて無駄となり、つまらなかったという結果だけが残る。
この能力の本質は、文章量を十分に確保しながらも、そこに心動かすものがなにもないゼロの境地であった。
その欠落はマクロ・メゾ・ミクロの全階層に広がっており、コンセプトの空洞化にも拍車をかけている。
まずマクロ、物語の構成と展開には、ストーリー性が欠如している。
公式の概要には「受動的な主人公が、異動先の田舎で主体的なヒロインとの交流を経て生き方が変わる」とあるが、実際は全体の2/3を「夢のない田舎あるある」が占める。
人口減少・高齢化・産業の衰退・インフラの老朽化が雑談として淡々と語られ、買い物やデートといえば隣町の“イヨンモール”といった地味な外出と施設紹介がひたすら続く。
物語的な起伏や導線は見当たらず、主張も問題提起もなければ、「生き方が変わる」ための試練や成長も描かれない。
個々のエピソードが意味付けのない状況説明の羅列でしかないため、出来事が物語として統合されず、印象に残らないのである。
この傾向は個別ルートにも顕著に現れており、悩んでばかりで一歩も前に進まない状況が、終幕直前まで引き延ばされる。
そして最後は、主人公が解決策を思いついた次の瞬間に数年後のエピローグが始まり、それなりに成功した結果だけが示されて終わってしまう。
亀の歩みから一転してワープ航法に移る光速スパートは、プレイヤーの背景に宇宙を描き、その思考を止めさせた。
メゾ、すなわちキャラクターの次元でも問題は多い。
設定からして崩れており、公称「主体的なヒロイン」の1人は、親所有の喫茶店を需要がない昼間に開けている実質ニートである。
また、人物の内面描写は薄く、感情や行動原理も見えないため共感が湧かない。
主人公は就業時間に何度も社用車デートを重ね、ヒロインは職探しに行く先がなぜか遊園地や離島。
こうした常識外れの行動の数々は、幾度となく首傾げを誘発して肩こりをほぐした。
ラブストーリーとしての感情描写に至っては皆無であり、伝説の神社で告白した直後にその場で野外プレイを始められては、エロゲー的ご都合主義を加味しても唐突がすぎよう。
ミクロの水準、細部の設定や表現においても粗は目立つ。
まず、舞台となる町や喫茶店に名前がない事実が、ディテールの希薄さを象徴している。
CGの使い方にも偏りがあり、頻発する社用車デートの移動をフリー背景プラス立ち絵のやっつけ仕事で表現しながら、魚市場の案内・ナスの運搬・プリンターインクの選択といった些末な刹那に一枚絵が使われている。
あるいは、フリー背景でなんとかなるところを先に作り、使える背景が見つからなかった場面に仕方なく一枚絵を用意したのであろうか。
その影響か、主人公の部屋はまるで逃亡犯の潜伏先のように殺風景であり、家具を買ってもビジュアルが一切変わらない。
一方で、エロワードには妙なこだわりが感じられ、「剛棒」「肉筒」「そそり勃ち」、「愛の雫」「愛のエキス」「愛の液体」「快感の証」「白き流れ」など、無駄に熱量のあるパラフレーズが乱舞する。
マクロ・メゾ・ミクロ、各層に積み重なった欠陥は複雑に絡み合い、物語が面白くなるための柱であるキャラクターの魅力・劇的な展開・心を揺さぶる描写・論理的な整合性を見事に取り払ってしまった。
その稀有なバランス感覚ゆえに、本作は血流を感じない文章の巨塊として結実したのである。
最後に、選評執筆宣言後にロストした者の遺志を継いだ選評者により、まどそふとより発売された高嶺のチョロイン集『セレクトオブリージュ』が解体された。
「スラム出身の底辺主人公が度胸と機転で逆境を跳ね除け、高嶺の花を射止める学園サクセスストーリー」を謳い、「身分違いの恋・カタルシス・豊富なH」をセールスポイントに掲げているが、これらは「豊富なH」を除いて有名無実である。
まず、「高嶺の花を射止める」といいながら、ヒロインたちは共通ルートも終わらぬ間に主人公へと信頼を寄せるほどチョロく、うち1人は個別前に告白してくる。
結果、傑物揃いのヒロインたちが絶大な力を早々に味方として振るい始めるため、主人公が自ら逆境を跳ね除けるのは序盤に一度きり。
以降、主人公の出る幕はなくなっていく。
「身分違いの恋」についても、身分差による障害がほとんど描かれず、設定倒れに終わっている。
また、主要人物たちそれぞれの目的や動機について深掘りがされず、問題解決も大抵あっさりしすぎており肩透かしも甚だしい。
ヒロインが危険な摘出手術に挑む話は、
「簡単に取り出せて、本当によかったねぇ」
の一言で畳まれ、中には、主人公の預かり知らぬところでこういう経緯があった、という伝聞が数行で記されて終わる話すらある。
唯一エリート側ではない妹分のルートに至っては、ヒロインそっちのけで共通ルートの続きが展開され、「男3人による起業」に至って幕を閉じる。
これでどうやって「カタルシス」を感じろというのか。
そもそも、キャラゲー寄りの作風で、ヒロインを権力側に置いて主人公の成り上がりを描くのは難易度が高い。
高慢すぎればヒロインの魅力を損なうが、チョロすぎればコンセプトにそぐわない、その二律背反の解消策を持ち得なかったがゆえの惨事であった。
以上で今回の全エントリー作品の紹介を終え、結果の発表に移る。
次点は、
『奈落ノ胤~堕淫調教SLG~』
『PureCafe ~癒やしのカフェに通い詰める、僕の地方転勤生活~』
そして大賞は
『GEARS of DRAGOON 3 ~竜刻のレガリア~』
とする。
2024年のエントリー数は16本となり、昨年から半減した。
もっとも、昨年が歴代最多エントリーという異常事態であったため、過熱状態から平年並みに落ち着いたと見るべきであろう。
傾向としては、相も変わらずコンセプト崩れと低品質の合せ技が横行した。
横軸の乖離と縦軸の落差が密接に絡んで互いを誘発し合い、斜め下の落胆を生み出す。
これはいまや一般痛撃手法として定着しており、本年も多くの希望を葬り去ったのである。
とりわけコンセプト崩れ主体の作品が目立ち、個別の作品紹介を終えるまでに都合8回「そもそも」と前提を問う必要に迫られた。
象徴的なのは、『シークレットラブ(仮)』と『セレクトオブリージュ』であろう。
前者はコンセプトを遵守したが、その制約が大きすぎて不自然さとマンネリズムを生じさせた。
後者はキャラゲーとしての美質を優先すべく、コンセプトを半ば破棄して期待を裏切った。
コンセプトは縛られすぎても軽視しても、プレイヤー体験の低下、すなわち作品の低質化に繋がることの好例といえよう。
逆に低質化がコンセプトを崩す、つまり、稚拙さゆえにコンセプトが十分に具現されないパターンもあり、これは好みによらない客観的な問題として重大化しやすい。
とりわけ大賞・次点の3作は、低質さが作品の核にまで及び、コンセプトもろともの総崩れに近い惨状を引き起こしている。
『奈落ノ胤』は、調教モノのお約束とSLGの基本システムをないがしろにし、副題として掲げた「調教SLG」がほとんど看板倒れとなった。
シーンを繋ぐだけの不透明で不親切なSLGもどきは、先の見えない手探りの作業感を山と積み上げたばかりか、ストーリーの整合性をも破壊しており、もはや娯楽として成立していない。
『PureCafe』は、「夢なき田舎」がもたらす期待とのミスマッチもさることながら、心を動かす要素が全階層で欠落しており、記憶にすら残らない。
退屈一色の実感を理由によくある駄作と見る向きもあれど、徹底した無感動ぶりは興味関心の対象ともなり、分析による深掘りの余地を示した。
地味で静かなつまらなさの存在意義に一石を投じた点は特筆に値する。
そして『GEARS of DRAGOON 3』は、操作性・視認性・バランス・テンポといった多彩な欠点が連鎖し、不器用貧乏な悪性スパイラルに陥っている。
その「幅広さ」と「根深さ」を柱に、RPG+ADVの複合ジャンルならではの「奥行き」、オーバープライス相応の「厚み」をも兼ね備え、「多次元的な難行苦行」として屹立した。
無惨な結果ではあれど、大きく挑んだがゆえの失敗といえよう。
そのスケールと挑戦心に敬意を表すとともに一縷の希望を込め、『GEARS of DRAGOON 3』をKOTYe2024の大賞に選定し、王権の象徴『レガリア』に相応しい王座に据える。
悩ましい選定を終えた今、改めて考えたい。
大賞、つまり「一番のクソゲー」とは何なのか?
はっきりとした基準はないものの、これまでの受賞作を振り返れば、そこには一定の傾向、言い換えれば「願い」が見えてくる。
大賞にふさわしいのは、エントリー作品の中でも、良くも悪くも強烈な個性を放ち、圧倒的な武威を示す「最大最強」の作品であると。
逆に、薄さ短さ単純さを重視して「最小最弱」こそ一番とする方針は、客観性を担保できるが、往々にして「わかりきったつまらなさ」に陥る。
その行き着く果ては虚無であり、偶然の面白さや、やり込みや議論で掘り下げる余地は失われよう。
また、「最低最悪」に傾きすぎれば、詐欺まがいの仕組みや倫理面の問題が主軸となり、もはや作品の批評ではなく悪事の告発へと変質する。
もちろん、この種の熱意なき低質さや節操なき悪質さを備えた作品についても語ることは自由であり、選評は常に歓迎される。
しかし、こうした作品は「なくなるのは喜ばしい」類のものであり、また、「クソゲーを笑いに昇華する」という理念とは相性が悪い。
ゆえに、自由で多様な開発に挑んだ証としての、良ゲーと裏腹な「むしろ好ましい」クソゲーが望まれてきた。
それは、「クソゲーであってくれ」という願いではなく、「クリエイターの挑戦の結果としてクソゲーが生まれてしまい、それを掴んでしまったならば、せめて笑い話に変えられる余地があってくれ」と前向きに開き直る心意気の表れである。
とはいえ、ユーモアを交えた批判は、悪ふざけや下品な揶揄と隣り合わせである。
笑いには時として攻撃性がつきまとい、一歩間違えれば嘲りへと転じる。
好意的な共感ですら、過剰に盛り上がれば、集団的な冷笑や断罪ムードに繋がる危険性を孕む。
なればこそ、KOTYeに関わる者には、掲げた理念に潜む悪趣味性や危うさから目を逸らさぬ自戒の念が求められる。
その上にこそ、健全な批判精神は育まれよう。
こうした理念と願いを踏まえればこそ、大賞には、苦しめられながらも「語らずにはいられない」と思わせるほどの、存在感とポテンシャルを示した作品がふさわしい。
それは最強の好敵手にして、ピカレスクなカリスマを放つヴィランである。
人は本能として常に新しい刺激を求め、見聞きした出来事を独自に解釈して自分の物語を紡ごうとする。
ならば、理解を超越したストーリーや理不尽なゲームデザイン、ときには理屈抜きのつまらなさにすら、「戦うに値する敵」としての強さを感じ取ってしまうのもまた、理と呼べるのかもしれない。
そしてこのような強さは、作品と格闘し、記憶を語り合う中でこそ引き出される。
ババを引いても、ルール次第では切り札へと変わる。
1人でプレイすれば不満の塊でも、KOTYeという舞台に上がれば、輝きを放つ奇矯な傑作となり得る。
その実現を理想として追い求めるがゆえに、我々は、愛憎が入り混じった強敵とのエンカウントを、笑いとともに噛みしめるのである。
最後に、今年の大賞作品から、主人公を迎え撃った敵役の言葉を借りて、KOTYe2024を締めくくる。
「願わくばクソゲーよ、強くあれ。停滞した時代を動かす颶風であれ」