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助言

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助言 03/07/26

  「助言」とは、助言をする人が、その人の人生で学んだことから紡がれた言葉であるから、その人と全く同じ人生を辿るならば役にも立とうが、実際は寝言と変わりがない。

  運で成功した人は「人生は運」と言うし、努力で成功した人は「人生は努力」と言う。これだけを見ても助言が如何に役に立たないものであるか、わかるだろう。目標として、その人と同じように生きたいと考えるなら参考になる可能性もあるが、助言をする側は自分の一言が相手の人生を左右するなどとは夢にも思っていないから、実は「その助言が生まれた経緯とその時の苦労を聞いてほしい」だけであることが多い。

  他人に簡単に理解される助言は、簡単に理解されるが故に普遍的性格を持った空虚な言葉であるし、理解されないならばそれは独善的なもので助言とは言えない。

  「あの時ああ言われてその通りにして良かった」
  「あの時ああ言われたけど自分の考え貫いて良かった」

  「あの時言われた通りにすれば良かった」
  「あの時自分の考え貫けばよかった」

  助言を聞くか聞かないか、どちらの道を選んでも成功と失敗の二股に分かれている。どちらを選ぶかは性格次第であるし、どの道を進んでも成功するか失敗するかはやはり性格次第だ。問題は、「後悔しないかどうか」に尽きるのであって、自分の考えを貫いて後悔する場合、その先反省材料として役に立つが、助言に従って後悔する場合は恨みが積もるだけで、進歩がない。その先また助言を求めて生きていくだけだ。成功したならどちらも問題はないが、自分で選んだ道であれば、更に自信が増す効果がある。

  そういう弱っている時に「心の隙間埋めたるでえ」と怪しい人が近づいてくるのであって、それは助言という名の洗脳を手段とした宗教であり、彼らは何しろ助言のプロであるからとにかく数を放っていて、タイミングさえ合えば嵌るので、そこに遠い世界へ発つ人が生まれる。

  助言など、星占いと見比べてみろ。何も変わらないじゃないか。欲しいのは助言じゃなくて時間。いや、時間でもない。既に心は決まっている筈だ。そしてその選択に自信がないだけだ。違うか?

  手前はメールマガジン上に於いて自信のありそうな文章を書いているが、それは、単に「やりたいことをやっているから迷いがない」だけであり、さらに忠告めいた結びの言葉は、「せいぜい軽く納得してすぐ忘れるだけやろ」「どうせ実践するやつなどおらんやろ」と考えているからでもある。そうは言っても、虚々実々の綱渡りをしていても、文章鍛錬のつもりであっても、書いている内容は本気であるし、ふざけた文章の時は本気でふざけている。迷いがないからこその結果だ。

  古人曰く「一般的な箴言は役に立たない」箴言は助言と表裏一体であることは以前証明した。であるならば、一般的な助言もまた役に立たないことになる。

  実は答えなんか何処にもなくて、正解かどうかは後からしか判らない。今まで生きてきて何かを決断したその瞬間に「これが正解」と自信を持って思えたことがあったかい?後悔も安堵も全て後からやってくるのだ。それでも迷うならば、結果を基準にすればいい。時間などは意味がないさ。時間を縛ることで結果を出せる性格なら効果もあろうが、そっちの道は何かを失うかもしれないよ。

  という上の文章もまた、助言である。従って折角本気で書いても役には立たないし、意味もない。ただ、従うのは自らの心だけでいいと、言いたかった。
 
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