テスト中
気が付くと
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
気が付くと 03/10/31
なかなか絶滅しないUFO信者の言うことには。
「寝ていたら宇宙人に連行された」
他に証人のいない時と場所で寝ていた際に起こっていることであって、一応言訳としては「一人の時を狙われた」であるが、最後に必ずこう結ぶ。
「気が付くと元の場所にいた」
夢見てて目が醒めただけやんけぼけなす。この最後の一言で全て話が終わるのだ。通常よりも現実の感覚に迫った夢を見ていたに過ぎず、これは手前が幽体離脱の夢を何度も見たことがあるから断言する。夢ですよ。ただの夢。凄く不愉快な感覚に跳ね起きるわけだが、落ち着いて考えると唯の悪夢を見て目覚める時と何も変わらない。内容が「夢ではないと思い込んでいる夢」であるだけだ。
あるSF映画を作る際、「見た事のない地球外生命体」のデザインを著名な画家やイラストレイタに依頼してみたものの、集まったそれらは全て「いつかどこかで見た生物だった」という話がある。結局その映画は登場する生命体にある工夫を凝らしたので名作と呼ばれている。
夢というものはそれまでに見たり聞いたり読んだりした体験の記憶を元に構成されるから、例えば「全く知らない」「滅びた」どころではなく、存在していない完全に架空の言語を夢の中で話すことは出来ない。仮に「アフリカのソベデ族に捕まって食べられそうになった夢」を見たとしても、単に「アフリカ」「それらしい部族名」「食人の知識」から連想される、その人の知識の中にある類似の断片を繋ぎ合わせただけの適当な夢である。夢の暗示とはまた別の話なのでここでは触れない。「ソベデ族」というのは多分存在しない筈だ。「でべそ」を反対にしただけとは言っておく。
もし円盤が存在するならば、綿密に物事を記録して残すことの大好きな人間の、UFOという言葉などなかった時代の古文書に、どうしてそれらしき記述がないのかね。せいぜいが「不吉な星を見た」ぐらいのもので、目撃情報が溢れている今から考えて、過去の時代の記述は余りにも少なすぎて、それが現在溢れている情報の疑わしさを暗示している。「丁度小便をしている間、怪しい飛行物体がゆらゆら動いていた」といった記述を、UFO論者は古文書・歴史文献の中から一体幾つ拾うことが出来るのだろうかね。
「気が付くと元の場所にいた」ではなく、本当に宇宙船に連れ去られたのならば、気が付いた際には「東京ドームの上で寝ていた」とか「皇居の便所に落とされていた」とか「地球の裏側にいた」とか、とにかく夢遊病者でも不可能な場所にいてほしいものだ。それならば少しは話を聞こうとも思う。
「気が付くと富士の樹海にいた」というのは寝ているところを拉致されて捨てられたわけだから夢であるとは断じられないが、しかしこの場合もまた夢であると考えた方が幸せかもしれない。「気が付くと北朝鮮にいた」というのは、残念ながら手前の手には負えない。