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正
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匿名ユーザー
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正 04/08/12
正しいだけではどうにもならない。
正しさを貫く為に正しくない選択を強いられる状況に於いて、大目標の正しさを選ぶか、それとも目の前の意地を選ぶのか。大目標が達成されなかった場合に用意している正しさとはただの言訳に過ぎない。
正しくなくても大目標を達成したならば、後に正当化されることを考えると、正しさとは何かが曖昧になってくる。
正義で飯が喰えるなら皆々正義に走っている。正義には限界があるから見切るのであり、正義を捨てた先にある達成すべき目標を達成したらそれが正義となる矛盾の中で戸惑い、彷徨い、藪の中で煩悶することを繰り返して正しさの歴史が創られてきたのだ。
正義は本当に勝てるか?一時的ではなくて永続的に勝てると思うか?正義にあるのは達成と再認、そして養護だ。それ以外の全ては正しさの埒外に置かれていながらも手段として目的として動機として結果的に正当化されてしまう。
正当化された後にはまた新たなる秩序と正しさが構築されて、歴史が一枚進むのだ。正しさだけを声高に主張するのは無力を認めたくないが為の言訳ではないか。仮に正しさを貫く事が大目標であるならば、それが正義の茨で飾られていようとも踏み越えてゆく価値はあるだろう。
曖昧なる正義に手足を縛られて身動きも適わない状態にいることは苦しい。そこから抜け出す為には正義の衣を脱ぎ捨ててみるがよい。大目標への新たなる一筋の道が伸びているならば、迷うことなく踏み込めばよい。必要なのは正しさではなくてやり方だろ?
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