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世代論・五輪

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世代論・五輪 04/08/21

  世代論は五輪にも応用可能だ。

  ただし五輪の場合、周期が四年ではあるが、また冬季と夏季の交叉を考慮するならば二年に一度となるのだが、通常の世代論が二十年周期であるのに比して五輪の場合は十二年周期となる。

  これは五輪の報道や中継を見て、感銘を受けて同じ競技を志す若き者の、その端緒から研鑚を経て世界舞台に踊り出るまでの期間がおよそ十二年であることが最大の理由だ。大きな話題を呼んだ競技に於いてメダルを獲得した場合、その直後に該当競技に入門する人数の増大は考えるまでもないことで、裾野が拡がれば最下層の質の低下をも招くが、しかしその裏返しとして隠れていた才能が一斉に芽を吹く。仮に才能なしと周囲や本人が判断した場合はその競技から離れるわけだが、才能ありと認められた場合はどこまでも登りゆく可能性がある。

  何かのスポーツを始めて、それが世界に通用するほどの能力を発揮するならば、あまりに遅い入門はやはり障害となる。幼少時から特別な訓練を施された場合は世代など関係なく強いものだが、やはりきっかけとして中継や報道を見た本人や親が望み、そして入門するのは小学生の高学年あたりで、そこから八年では短かく十六年では長く、丁度年齢と能力が最大限に開放されるのが小学校高学年から十二年後の二十代前半というわけだ。

  バルセロナで水泳に感銘を受けた世代が今花開いていることは、だから当然でもある。ただし次の冬季トリノでは、アルベールビルより長野の印象が強い可能性もある。わずか八年であるが、当時の小学生や中学生がメダルの興奮をそのままに同じ競技を始めたと想定すれば、モーグルの競技人口が一気に増え、その後飽きたり才能を見切ったりして脱落した者を横目に、残った才能ある者は、裾野がそれまでより拡かった分頂上もより高くなったことだろう。ひとつの時代の熱狂が、次の世代に確実に繋がっているところは、それぞれの競技者がきっかけを「いつか見た五輪」に持ってゆくことの多さが証明となる。

  ならば北京ではどの競技で才能が結晶するのか。それには北京の十二年前であるアトランタを振り返ればよい。アトランタで日本が獲得したメダルは金3銀6銅5、 金はいずれも柔道であるから、これはあまり関係がない。柔道は伝統的に強いのであって、入門者の数は劇的に減りはしないが劇的に増えるわけでもない。今回のギリシアを観て十二年後が少し楽しみに思うことも事実なのだが、とりあえず北京でも相変わらず柔道王国の名を維持するだろう。アトランタ銀の柔道四つを除いた残り二つはヨットと野球であり、この効果は少々薄いように見える。むしろ女子マラソン銅の有森を見て陸上競技を志したであろう当時の小学生あたりが、北京では二十代前半となっている筈で、そこに大いなる期待の可能性を見る。
 
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