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混乱

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混乱 04/10/20

  目の前にいる人間の話を最後まで聞かないような奴が如何にして有権者の声を聞くというのか。

  本来広義の有権者と解釈される人々の声は届かないものであり、狭義の有権者としては「金」「コネクション」「票」等の力を持つ者のみを指す。力のない者は力を得るべく運動するか諦めるしかない。票とは個人の票ではなく計算可能な数の票であり、幾つか纏めて事務所へ売りに行く選挙業者の場合は単に金が目当てであるが、これが大きな偏向集団であれば即ち有権者となる。従って「有権者の声を聞く」とは単なる共同幻想であり、投票行動とは偽りの民主主義を盲信する為の儀式に過ぎない。

  民主主義の尺度として政党の多様性と投票行動の多寡で図ることが可能であると言ったのはトフラーだが、政治など突き詰めたところは「する・しない」の二択であって、そこまでの方法論が事態の混乱を粉飾しているだけ、ただしその粉飾に利権や欲望が渦巻くから複雑に見える。政党の多様性は選択肢の多さを示すが、選択肢の多さはつまり対立軸が増えることを意味し混乱を助長している。投票行動の多さについては各種軍事政権の信用ならざる投票率を例外とするならば、行動の多さは選挙への関心だけを示しているに過ぎない。指示する主張を掲げる政党の敗北が続けばやがて投票率は下がる。政党の敗北は政党数が多いほど増えるのであり、政党の多様性と投票行動は長期的に見て並立し得ない。そして偶然並立したかに見える時期には、民主主義などと口走っていられない状況が基盤となっている事が多い。

  秩序整然と統制された状況に民意が反映されている事例は見出し難く、つまり混乱こそが民主主義の本質であり正常な姿であるということか。
 
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