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断絶
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断絶 05/02/05
「子供が何を考えているのか判らない」大丈夫だ。子供だって親が何を考えているのか判っていない。
「世代の断絶」なる言葉は最早陳腐に堕している。にも関わらず何時の時代も大袈裟に叫ばれているのは、それを叫んでいる人々がかつてその言葉で糾弾されていた時代の屈辱に対する恨みが理由なのであって、ただそれを口にすることが出来て嬉しいだけなのだ。新しい潮流に乗り遅れそうなことを察知して対話を会話をと言い募る醜さを、かつて軽蔑していたのに都合よく忘れているのも年の功と言える。
時代世相は常に揺れ動いている。即応する能力を持つ若者と、おろおろするばかりの老者との間で対話の成り立つ方が不気味なのだ。取り残されたくないから対話を求めて断絶を叫び、幾世代もそれを繰り返しながら社会は発展してきた。
しかし実際に社会を動かすのは時代に取り残された人々であるから、社会と世相は乖離してゆく。時代の波を制御など出来よう筈もないのに抵抗するから発展を阻害する。世相をそのまま瞬時に反映する社会は息吐く暇もないからまた困るのだが、釣り合う状態の目盛が世相を無視しているところを指しているならば、弾力性を失った社会であると言える。
世代交代を重ねるにつれ社会は世相に適応するべく形を変える。形が変わらず世相世情を無視した社会が強引に成立しているならば、遠からず反動で潰れてしまう。歩調を完全に合わせる必要はないが、五歩も十歩も遅れているようでは歪みを修正する暇がないので二歩三歩程度で追う形を維持すればよい。
しかしそれには世代交代が着実に進められることが前提となっている。仮に毎年の出生率が着実に低下していて、なのに医療の進歩で死亡率も同様に低下して平均寿命が大幅に伸びながら人口比が逆三角を形成する社会があると想定しよう。実務の階級では世代交代が滞ることはないが、社会を動かす実権を持つ世代がそのまま固まって齢を重ねることで、社会と世相の乖離は速度を増す。
「老人の氾濫がすなわち世相」になってしまうまで黙って眺めているような若者しか存在しない社会なら早々に潰れてしまう方がよかろう。しかし「世代の断絶は今に始まったことではない」と跳ね返す若者が存在するならば、行く末を託して安心出来よう。
時代を隔てて叫ばれる「世代の断絶」という言葉やその感情は共通の体験である筈なのに、それを基に対立してしまう事は互いに悲しく、そして情けないことだ。
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LAST UPDATED 2025-11-07 18:22:15 (Fri)
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