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誘引

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誘引 04/09/23

  床屋の店先には千歳飴が捩れている。

  動脈だとか静脈だとかの由来があるらしいが、あれはあれで効果的な宣伝であるから敬服している。中には硝子張りでありながら目の高さだけ隠しておいて美容室などと謳う一団もあるので油断ならないわけで、切ることがそんなにおおごとかと問いたくなるほど大袈裟な料金をふんだくるところもあるが、それらの気取った店先には伝統的な印がないので「つまり単に髪を切るだけの者は来店に及ばず」との意思を明確にしているわけだから良心的であるとも居える。その日その後にどうしても髪型を整えねばならない火急の必要があるならば話は別だが、一度洗えば全て御破算になってしまう以上「切る」を目的にするのは無駄というものだ。

  思えば子供時分あの印が何故際限もなく上り続けるのかが不思議でならず、母に聞いてみたれば「近寄ってよく見よ」と言われ、間近で観察すると青や赤の筋が結構汚れており、その汚れを目安に単純回転しているだけであることを知り、納得はしないものの湧き出して消えてゆく不思議はひとまず解消された。年齢一桁の子供に錯覚なる概念を知れというのも無理な話であるからとりあえず納得した。一時代も二時代も前の「美容室」の証として円柱ではなくて円盤が回転している型もあり、こちらは蜻蛉を捕獲するのに効果的な酔いを起こさせる。

  これらの印を放り出しておくのは確かに効果的ではある。鏡を見てそろそろ切るべきかと決断したり、誰かに切れと命ぜられたりした絶対的な客に対しては効果的ではある。しかしそこにもうひとつ別の器具を設置することで潜在的な客を掘り起こすことが出来るのだ。

  床屋やそれに類する店の先には、鏡を設置する。これは外から中を覗き込む輩を、空いているかどうかという決心付かない状態にある潜在的な客を、店の中ではなくて鏡に映る己の頭を覗き込ませるのだ。通りすがり、ふと鏡を覗いた瞬間に切ろうかと迷い、時間があることを確かめ、そして切るつもりなどなかった筈の者が鏡によって誘い込まれる。鏡を見てまだ大丈夫だと逃げる潜在的な客とは、つまり切る決心をしていながらどこかで翻意の理由を探していたわけであり、そのような者を無理矢理に刈ったところで当人に不本意な結果が約束されていて、「あの店には二度と行かん」と逃がしてしまうのである。

  諸々が決了してから店を出て、頭の具合を再度確認すべくそこに鏡があるならば、より効果的に見えるよう計算された室内の光量下にある姿ではなくて真実の姿が映し出される。技術が確かならば、店を出た後のもてなしとして鏡を設置することに迷いはあるまい。

  鏡の前でどのような髪型がよいかとあれこれ試している時にふと中を覗いたところを見澄まし笑いかけて「どうぞ」と引き摺り込む手口も考えられる。それが半面鏡であったならば、知らない客が外でどのような髪型にしようかとあれこれと迷い試しているところを中から眺めるのは少々悪趣味であるが面白そうだ。とにかく床屋は印の他に鏡を設置せよ。すれば必ず客が増えるだろうことを請け合おう。
 
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