テスト中

引綱

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可

引綱 03/10/15

  犬を連れて散歩する時、引綱をつける事は当然であるが、これは対象が犬だからである。

  いやもう何が驚いたって子供に引綱付けてるの見たんですよ。まあ、手前は元より浮世離れした性格と生活やからね、世情には疎い。それは認めます。流行とかそういうものは全く興味がございません。でもね、今の世の中子供に引綱付けて歩くのは普通なんですか?世情に疎いから知らんのですよ。教えて下さいな。

  観察してみた。Tの字形で横の紐が肩甲骨を走っていて両端の輪をリュックを背負うように腕に通し、縦の紐の先を父親が握り締めているわけだ。最初は犬かと思ったことに責められる筋合いはない。父親は力を入れたり緩めたり、微妙に操っているようにも見える。紐は鞄や大きい荷物を固定するビニールの平べったいバンドだ。肩掛け鞄の長さを調整するプラスチック鍔のようなものがついている。三叉フォークの両端を内に推すと外れるアタッチメントもついていて、これは旅者ならホームセンターで必ず足を止める一角で全て揃う品物だ。

  走り出したがすぐに綱が張って動きが止まった。子供は前傾している。紐に支えられて前傾したまま左右に揺れている。真っ直ぐ立つより楽なのかもしれない。子供は何に興味があるのかどこかをじっと見ている。これは何だろうか。やはり迷子防止だろうか。紐がついていてなお落ち着きがないように見えるのだが、もしかすると紐がついているせいで落ち着きがないのかもしれない。

  完全な自由を与えられても途方に暮れてしまうのはよくあることで、何か制限のあった方が活発になることもまた、各々経験があるだろう。

  話を訊いてみたいと思ったらやがて駅の構内に消えてしまった。

  子供に引綱を付けることがいいことなのか悪いことなのか、実際に見ると判断に苦しむ。もし見なければ、そういう話を聞いただけならば躊躇なく「よくない」と考えるだろう。しかし人ごみの中で周囲の迷惑にならないよう引き綱を付けて、それがとても自然に見えたから何か割り切れない霞霞がかかっているのだ。見た瞬間の抵抗は確かにあるし、紐さえ付ければそれでいいのかとも言いたくなるが、では付けてはいけない理由とは何かと自問してみて明確な答えが出せなかった。

  引き綱を親子関係の象徴と見てしまう陥穽に落ちかけて、過保護と考えたくもなり、楽だろうなとも思い、それでも結局親御さんには考えがあってのことだろうから、勝手に判断してはならない気がした。

  では手前は、子供など欲しくもないが、もし子供がいたら引綱を付けるだろうか。付けないだろうか。付けたくない。それは何故だろうか。子供に引綱を付けているところを見た瞬間の驚きを他人に体験させたくないからか?そしてその意味を求められる親になりたくないからか?我が子を変な目で見られたくないとする親のエゴか?

  では子供に引綱を付けることは躾や教育で飾ったエゴではないのか?何がどうなのか。正しさなんてどこにもないことは判っているし、全てに意味を求めることか間近っていることも判っている。それでもなお、子供に引綱とは何なのか、判らなくて、判りたいのだ。

  子供に個性を要求する以上は親の教育方針にも個性が必要であることを頭に置いて、しかし子供に引綱か・・・。

 
TOTAL ACCESS: -  Today: -  Yesterday: -
LAST UPDATED 2024-05-02 21:21:11 (Thu)
 
記事メニュー
人気記事ランキング
目安箱バナー