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森国人+医師+整備士 - (2008/11/05 (水) 03:35:10) の編集履歴(バックアップ)



治(直)す者、その始まり


 玄霧藩国の医師・整備士。
 玄霧藩国の医師として有名なマッドサイエンティスト(厳密に言ってしまえば治療行為はついていないが、玄霧藩国のマッドサイエンティストは治療が可能である)は、整備と医療の両立が可能な職業として知られているが、彼らの源流というべき、医療と整備を両立した存在は、藩国建国当初から存在していた。
 当時としては高い治療能力と整備能力は、戦闘の役にこそ立たなかったが、その存在した意味は、後に皆の知られるところとなる。





――たすくるもの――

もし、あなたの目の前に、何種類もの力があって。
その中からどれかだけを選べといわれたら、あなたはどれを選びますか?

 人の言う『力』には無数の定義が存在し、それらのもつ価値もまた、人それぞれによって異なる。
 それは剣をもって切り結ぶ力かもしれないし、魔法によって炎を起こす力かもしれないし、或いはロボットを自在に操る力かもしれない。

 これは、玄霧藩国の選んだ力がたまたま『治す力』であったというだけという――だが決してそれだけでは終わらない――そんな、お話である。


治す


 医師と整備士。生命と機械という違いはあれど、両者に共通する性質として、治す能力を持っている事が挙げられる。
 どちらの技術も根幹は同じ。『構造を理解して、問題部分に手を加え、機能を改善する』事を指して治すと呼ぶのだ。
 メスをもって病巣を切開することも、スパナとレンチによって老朽化した部品を交換することも、薬を処方して風邪への対処法を教えるのも、全て同じ。
 そこには、必要な知識分野の違いしか存在せず、そしてその両方を習得しているのが、玄霧藩国の医師達であった。


 病院も整備工場も、ツナギも白衣もメスもレンチも、その存在意義は共通している。
 そして目的意識が統一されているからこそ、見えてくるものもある。
 目指す頂があるからこそ、伸ばした手が掴むものもある。


イメイジング・グローリー


 『理想再現(イメイジング・グローリー)』という言葉を、今でも覚えている玄霧藩国人はそう多くない。
 かつて、医師であり整備士である彼らとその能力を指し示していた言葉である。技名と言い換えてもいい。
 理想再現。栄光の体現者。
輝かしい文言であるこれらは確かに、彼らを称えるものではあったが、しかし決して、彼らの天才性を意味する言葉ではない。
 才能が結果をもたらすのではなく、身に着けた実力がそれを成し遂げるのである。彼らは、自らの才が人に勝らずとも、ひたむきな修練でそれを補ってきた。
 たゆまぬ努力によって、考え付く最高効率の動きを体現してみせるまでに技術を磨きぬく。
 遠き果てない理想に手を伸ばし、求め続けあがき続けたからこそ、掴み取った栄光。それが彼らの技であり、誇りなのだ。


 だから、誰しもがその言葉を忘れ去った今でも。その誇り、その志が彼らの胸に息づいている限り、理想は再現され続ける事になるだろう。
 過去から現在、やがては未来へ。


だから、と、そして




 とはいえ、彼らのの歩んできた道のりは、決して優雅で栄光に満ちたものなどではない。
 古くはそもそも出撃の機会がなく、医療能力が求められる機会もなかった。誰かの役に立つこともなく、ただ別の『力』を持った者が活躍するのを横目に見ていた。
 やがて、死者が出始めて初めて、存在を求められた。戦場で死に掛けた者の息を吹き返すのが、主な役割になった。
 戦場で控え、被害がなければ待機で終わり。誰かが死んだときのための、保険。
「医師は仕事がないほうがいい」
 その心に偽りはなかったが、そもそも死と向き合う事しか出来ないということが歯痒かったと、当時の医師達は語っている。



 それでも。幾多の人々の願いと声を力に代えて、誰もが諦めるような難手術を成し遂げ、数多の人々の命を救ってこれたことを、彼らは正しいと信じているのだ。
 戦争である以上、どうやっても犠牲は出る。ならば、その犠牲をどれだけ減らせるかが彼らの戦いであり、それこそが求める『力』なのだということ。
 あの時選んだ『力』が、決して間違いではなかったのだと信じて、彼らは医療に、修理に従事し続けている。




「私はまだ、歩き続けることが出来ています。我々の土台を築いたあなたに、恥じることがないように。
だから、また、いつか」

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