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虎と機関銃(前編)

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虎と機関銃 (前編) ◆76I1qTEuZw



――浅羽直之が我にかえったのは、その少女が転んであげた、悲鳴とも呻き声ともつかぬ音のせいだった。

園山基地の裏山で過ごした夏休みのせいで、自分でも気づかないうちに山歩きには慣れていたのかもしれない。
でも確かにこれ、普通の女の子には厳しい道かもな。
この下り斜面とか、岩が作る足元の段差だとか、木の根っこだとか。色々あるし。
頼りの月明かりだって、ときどき雲に隠れたりしているし、うん、そんな所で走ったらそりゃ転ぶよな。
浅羽は、ぼんやりとそんなことを考えた。
木々の隙間の向こう側には、震えながらも立ちあがろうとしている少女の姿が見える。さっきの声の主だ。
遠目に見ても、身長は150センチにも届かないだろう。
体格からすると小学生とさえ思えてしまうが、しかしあの制服だ。私立の中学か何か、なのだろうか。
よくよく闇の中に目を凝らすと、少女には右手がない。すっぱりと失われている。
片手がないせいで転んだ時にも咄嗟に手がつけず、だから膝のあたりも相当擦り剥けてしまっている。
既に誰かに襲われ、必死で逃げてきた所なのだろうか。
見るからに痛々しいその姿に、思わず浅羽の顔もしかめられる。

それで――これから何をするんだっけ?
当初の目的も忘れかけ、浅羽は自問自答する。
そうだ。
あの子を、「やっつける」んだ。
あの子を手始めとして、みんな、全員、「やっつける」んだ。

この場に集められた他の58人を蹴落として、伊里野加奈ただ1人を残らせる。
そんなシンプルな決意を決め、浅羽が歩き出して小一時間ほど。
まさかこんな山の中に、他の参加者がのんびりしているはずはない。
根拠もなくそう考え、漫然と山を下っていた所で、思いがけずも遠くで転ぶ少女を「見つけてしまった」のだった。
なんであんなに急いでいるんだろう、と首を傾げて、初めて「エリアの切り取り」のことを思いだす始末だ。
つまりはその少女を発見しなければ、浅羽はこの「A-2エリア」と共に切り取られていたのかもしれない。
自分が脱落する理由にすら気づかぬまま、最も間抜けな「終わり」を迎えていたのかもしれない。

九死に一生を得ていたことにすら思い至らず、木々の向こうに見える少女が命の恩人であることすら考えず。
浅羽は、担いでいた銃を抱きかかえるように持ち直した。すぐにでも撃てるよう、身構えた。
これをあの子に向けて、引き金を引く――あの子に銃弾を浴びせかけて、バラバラにする。
ちょっと想像しただけで、手が震えた。心が揺れた。

「……ちょっと木が邪魔だな」

誰に聞かせるわけでもなく、浅羽は声に出して呟いた。
山と言っても、この山は禿山ではない。
視線を遮る木々はけっこうな密度で生えているし、だからこそ少女はまだ、浅羽に気づいていないのだ。
だけど、ただの中学生に過ぎない浅羽には、木々の隙間を縫っての狙撃なんてできっこない。
この地形この距離では、この銃は使えない。
どこか言い訳がましい思考で自分を納得させながら、浅羽は1人うなずいた。

もう少し、襲撃に適した場所に出るまで、あの子の後を静かに追いかけよう。
どうせ、あの子はまだ、こっちに気づいていないようだし――。
いつでも襲えるのなら、もっとこう、確実な状況で――。

そんな風に考える浅羽には、それが「問題の先送り」でしかないことなど、もちろん自覚できてはいなかった。


 ◇


――確かにその小柄な少女・逢坂大河は、その時点では、浅羽直之の存在に気づいていなかった。
いつもの彼女らしくもなく怯え、恐怖し、あてもなく逃げる大河には、確かにそんな余裕はなかったのだ。

けれども――浅羽がもう少し周囲に気を配っていれば、きっと気がつけたはずだ。
その少女に注目していた、もう1対の目の存在に。
少女のみならず浅羽をも発見してしまい、まん丸に見開かれた2つの瞳に。
彼女の被っていた黄色いヘルメットは、闇夜の中でも、見落とすことの方がむしろ難しい。

「浅羽……なの?」

その第三の人物、須藤晶穂は、呆然と呟いた。
呟いてから、声に出してしまったことを後悔した。
何かの見間違いだった、とでも思い込んで、さっさと逃げてしまえば良かったのだ。
きっとその方が何倍も良かったはずだ。
でも、こうしてはっきり名前を口にしてしまえば、もうそれもできない。
視界の隅で、あの少女が立ちあがり、再び駆けだす。
木々の向こう側で、浅羽もそれを追って走りだす。
もう見間違いようもないその横顔には、どこか必死な、思いつめたような表情。
その腕に抱えられていたのは、かなりの長さと重さがありそうな、立派な銃。
晶穂もまた、慌てて2人の後を追って走りだした。目立つ黄色の頭を、精一杯低く下げて。

実のところ、少女との接触に迷い、行動を起こせなかったのは晶穂も同じだった。
女の子を助けよう――そう決めたその瞬間、晶穂もまた、少女の右手の欠損に気がついてしまったのだ。
え、何あれ。怪我してるの? でも、血は出てないようだし、痛くないのかな……?
……などじっくり考える間もなく、小柄な少女は再び立ちあがり、逃走を再開したのだ。
タイミングを逸してしまった晶穂は、中途半端な距離を開けたまま、ただその背を追うしかなかった。

そんな奇妙な追跡劇を始めてすぐに、晶穂は少女が進路を南東に向けていることに気がついた。
いや、南東というよりも……南の方角。
もちろん地形の関係上、谷もある。峰もある。まっすぐ進めはしない。だから進路はやや東の方にズレる。
それでも彼女は、今いるA-2から東のA-3に抜けるのではなく、南のB-2を目指しているのだと気がついた。
なるほど、A-3エリアに逃げ込んでも、また2時間後にはそこが「削り取られる」。ゆっくり休むこともできない。
その点、B-2に入ることが出来れば、たっぷり時間の余裕が得られるわけだ。この違いは大きい。
それに南の方なら、「川」という明確な目印がある。
山の中にエリアを分ける線が引かれているわけではないけれど、川が見えたらまず一安心、と言ったところか。
パニック状態であろう頭で、しかしそこまで考えが及ぶ少女のことを、晶穂はほんの少しだけ再評価した。
ひょっとしたらこの子は、本当は自分がわざわざ助けるまでもない、凄く強い女の子なんじゃないのか――?

ちょうどそんなことを思った、その時だった。
晶穂の脳裏に浮かんだ考えを嘲笑うように、少女はまたしても転んでしまって――
溜息をつきつつ、何の気なしに周囲を見回した晶穂の目に、飛び込んできたのだった。
凶悪な銃を構え、必死の形相で少女を追う、少年の姿が。
同じクラス・同じ新聞部で毎日顔を合わせていた、あの少年の姿が。

――浅羽、あんた何考えてんの!?

2人から微妙な距離を置いて走りながら、晶穂は思わず叫びたくなった。問い詰めたくなった。
けれど実際にそうする勇気も湧かなくて、ごくりと唾と一緒に声を飲み込む。飲み込んでただ走る。
そう。
晶穂は、浅羽の考えを知りたい、という以上に、知るのが怖い、と思ってしまったのだ。
「あの」浅羽が、ケンカなどほとんどしたこともないような「あの」浅羽が、怪我をした少女を追いかけている。
今まで晶穂が見たこともないような怖い目をして、ゴツい銃を握り締めて、一心不乱に追跡している。
その銃でいったい、あの子に何をする気なのか。
声もかけずに追いかけて、どうするつもりなのか。
撃つのか。傷つけるのか。殺すのか。
一体何のために。

いや、一体「誰の」ために?

そこまで考えて――晶穂は、「答えを聞きたくない」と思ってしまった。
かなりの確信を持って答えが予想できてしまって、でも、その答えを確かめたくない。そう思ってしまったのだ。
密かに彼に心を寄せる乙女だからこそ理解できてしまったし、だからこそ、最悪の答えに直面するのが怖かった。

これは罰かもしれない。ふと晶穂はそう思った。
愛犬・十兵衛の死に泣き崩れる清美の姿が、今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。
あの時に自覚してしまった、あまりに醜悪な自分の姿。
自分は傷ついたクラスメイトを慰めるつもりなんて、本当はなかったのかもしれない。
ただ他人の心の傷を覗き込んで暴き立てて、醜悪な好奇心を満足させていただけなのかもしれない。
……そんな耐え難い罪悪感と同質な痛みが、またも晶穂の心を苛んでいた。

果たして自分は、本当にあの少女を助ける気があったのだろうか。
いや、声をかけようと思ったのは本当だ。それは間違いなく本当だ。
右手の欠落に息を呑んでさえいなければ、きっとそのまま声をかけていたのだろう。
だけど。
傷つきボロボロになった少女に、上っ面だけの優しい声をかけ、保護し、助け起こして――それから?
それから自分は、どうするつもりだったのだ?
それほどの怪我を負った経緯、必死に逃げることになった経緯を、ただ暴きたかっただけではないのか?
信じがたい悪趣味、最低最悪の覗き趣味を、またもや発揮しようとしていたのではないか?

なら、きっとこれは――
こんな所で、見たくもない浅羽の姿に出くわしてしまったのは、そんな罪に対する、罰だ。
晶穂は、そう思った。

右手のない少女が、藪を掻き分け、木々の隙間をすり抜け、またひとつ山の稜線を越える。
一瞬彼女の姿を見失いながらも、浅羽と晶穂も続いて稜線を越える。
まだ浅羽は晶穂の存在に気づかない。
こんなにも目立つ黄色のヘルメットに、未だ気づいてくれない。
そして――山の峰を越えたその場所で、晶穂は思わず立ち止まった。

そこは谷だった。
目の前にはかなりの急勾配の下り坂。
斜面が厳しいせいか、木々はまばらで岩肌があちこちで剥きだしになっている。
大きな岩があちこちに転がっている。中には直径が人の背丈ほどもある岩もある。
そして――谷底近くまで来た所で斜面はやや緩やかになっていて、そこに確かに、河原になっていた。
地図に描かれていたのはコレだろう、と確信させるほどの太さを持った、川が流れていた。
先ほどの少女も、相変わらずの危なっかしい足取りで、その斜面を下っていく。
距離を目測して想像するに、既に地図の上ではA-2エリアを脱し、B-2エリアに入っているあたりだろうか。
なんとなく、どっと疲れを感じ、その場にへたり込みそうになった晶穂は、

闇夜を切り裂く連続する銃声に、思わず腰を抜かした。


 ◇


浅羽直之は、そしてその場に無様にひっくり返った。
眼下、斜面の途中には、驚きに目を見開き振り向いた、小柄な少女。
絶好の不意打ちの機会に、しかし仕留め損ねた最初の獲物。
初めて正面から見たその顔は、思っていたよりも可愛らしい。
ミルク色の頬。不思議な色合いの長い髪。花びらのように可憐な唇に、小柄で華奢な身体のライン。
陳腐なたとえになるが、まるでお人形さんのようだ、と思った。
こんな場で出会っていなければ、ひょっとしたら見とれてしまっていたかもしれない。

だが、今の浅羽にとっては、それどころではなかった。
そもそも少女の顔を見ることもないはずだったのだ。
気持ちが揺らいでしまうその前に、さっさと後ろから撃ち殺し、そのまま立ち去る予定だったのだ。
とうとう待ち望んでいた「開けた場所」に出てしまって、自己欺瞞の言葉も尽き果てて、
それで、仕方なく覚悟を決めて飛び出したはずだったのだ。

なのに、何故。
何故、こんなにも当たらないのだろう。
何故自分は、呆けた顔で尻餅なんてついているのだろう。

銃ならついこの前、あの南の島で撃ったばかりだ。なのに。
説明書に「軽」機関銃とあったから、大きいのは外見だけで、自分にも扱えるモノだろうとタカをくくっていたのに。
手の中のミニミ軽機関銃は、トリガーを引いた途端に激しく暴れだし、浅羽を仰向けに押し倒したのだ。
大量にばら撒かれた弾丸は全て少女の頭の上を越えて虚空に飛び去り、1発だって当たりはしなかった。
それほどの、反動だった。
全く予想外の、反動だった。

浅羽直之は、別に軍事マニアというわけではない。
UFO研究の余禄として、航空機などについてはそれなりに知識はあった。
園原基地の近くに住む一般市民として、軍人の階級やら何やらも自然と知ってはいた。
が、しかしそれだけだ。
だから「サブマシンガン」と「マシンガン」の詳しい違いについても、当然、知らない。
なまじタイコンデロガで最新鋭のサブマシンガンを手にした経験が、災いした。
「その程度の反動」しか想像していなかった浅羽の身体は、だから、衝撃に耐え切れるはずがなかったのだ。

「サブマシンガン」と、「ライトマシンガン」。
日本語に訳せば、「短機関銃」と「軽機関銃」。
どちらも個人が携行することを想定して作られた銃器ではある。
どちらも連射性能を重視し、狙って当てるより弾幕を張ることを主眼に置いた兵器ではある。
だが「サブマシンガン」の弾丸が拳銃弾であるのに対し、「サブ」のつかない「マシンガン」の弾丸はライフル弾。
射程も、威力も、反動も、全てにおいて大きな違いがあるのだ。
特性も運用思想も、全く異なる代物なのだ。
「軽」機関銃と名づけられていても、それは陣地や車両に据え置かないと使えない「重」機関銃と対比しての名前。
あくまで「個人で運搬することもできる」、という程度の意味しかない。
決して「軽い」武器では、ない。
銃身の下に標準装備されたバイポット(二脚)は、伊達やファッションではなく。
それを伸ばし大地に伏せて、反動を抑えながら使うことが大前提となっているのだ。
さもなくば、正しい姿勢で肩に銃床を押し付け両手で構え、全身で衝撃を吸収するか、である。
これが園原基地の近くでも見かけた、プロレスラーのような巨漢の米兵とかなら、また違ったのかもしれない。
だが、訓練も受けていない「ただの中学生」が、不十分な腰溜めの格好で乱射しようというのは、無謀に過ぎた。
映画などでもお馴染みのその体勢は、あくまで「サブマシンガンを撃つ時の」姿勢である。

「……くそっ!」

悪態をつきながらも、浅羽はそれでも立ちあがる。
立ち上がって、少女に向けて引き金を引いて――またひっくり返る。当然のようにひっくり返る。
また1発も当たらなかった。面白いくらいに当たらなかった。
あたりに盛大に空薬莢が撒き散らされる。闇夜に軽い金属音が響き渡る。
空に向けて無駄に2、3秒ほども弾丸をばら撒いて、ようやく引き金から指が離れる。
ここには無知な少年に正しい射撃方法を教えてくれる教官はおらず、だから彼は何も学習することが出来ない。
失敗から、何も学べない。
二度目の射撃に小柄な少女の金縛りも解け、慌てた様子で手近な大岩の影に飛び込んでしまう。
浅羽の見落としていた遮蔽物。生い茂る木々などよりよっぽど頑丈な盾。
それを浅羽は、みすみす見ていることしかできない。
視界の隅にその姿を収めながら、彼女を正しく照準に捉えることができない。

「ああもう、何なんだよこの銃は! 見かけばかりでかくて、ちっとも役に立たないじゃないか!」

ここまでの不始末の責任を全て銃に押し付けて、浅羽は苛立った声をあげる。
両手にかかる10kg近い重量が、いまさらながらに重たく感じられる。
こんな暴れ馬、どうやって扱えというのか。こんなもの、扱える奴なんているのか。
それでもひょっとしたら、接近して撃てば当たるかもしれない。
至近距離からなら、ひっくり返る前に1発くらいは当たってくれるかもしれない。
そう考え直し、少女に近づこうと斜面を滑り降りかけた浅羽は、

「……あんた、何してんの、よ……」
「あ…………」

背後から、聞きたくもなかった声を、聞いた。


 ◇


「何、してんの、よ……」

ほんとうは、声をかけるつもりはなかった。声をあげるつもりはなかった。
けれど、気がついた時には、隠れていた物陰から1歩踏み出し、須藤晶穂は掠れた言葉を吐いていた。
その発砲がパニックでも混乱でもなく、確固たる殺意に基づいてるのだと分かってしまって、思わず動いていた。
抜けたはずの腰に、いつの間に力が蘇っていて、いつの間にか立ちあがっていた。

斜面の下の方には、長い髪のあの少女が隠れた岩。
その手前に、悪戯を見つかった子供のような表情の、浅羽直之。
そしてさらにそれより上方、高いところから、晶穂はその両者を見下ろしていた。

どんな顔をして彼と向き合うべきなのかずっと悩んでいたが、実際に向き合ってしまって晶穂はその答えを知る。
こんな時、どうやら人間は表情を忘れてしまうものらしい。
一切の電気信号をシャットアウトされた表情筋は、仮面のような無表情を浅羽に向けているはずだ。
怒りも、悲しみも、笑いも、呆れさえも浮かばない。
園原中学校でも不評な真っ黄色のヘルメットが少しズレて、晶穂の目元に影を落とす。
感情のない顔のまま、同じく感情のない声で、淡々と言葉だけが零れていく。

「答えてよ、浅羽……こたえて、よ……」
「晶穂……これは、その、」
「何て言うの、それ。
 ……まあ銃の名前なんて何でもいいけどさ、そんなモノ人に向けたら、危ないじゃない。
 怪我とかしたら、どうするの。ねえ。浅羽ってば、」

叱り付けるような言葉を平坦なトーンで吐きながら、我ながら的外れなことを言っているな、と晶穂は思う。
危ないからこそ、人を殺せるからこそ、銃を向けてたんじゃないか。それくらい、自分にだって分かってる。
目の前で浅羽の表情がコロコロと変わっていく。
焦ったような顔。泣き出す寸前のような情けない顔。ふて腐れたような顔。神妙な顔。苛立ち混じりの顔。
コロコロと、コロコロと、まるで百面相のように入れ替わって。
でも、一言も発しない。
何も言ってくれない。
沈黙に耐え切れなくなったのは、晶穂の方だった。
胃の腑をねじ切られるような間に耐え切れず、思わず、言ってしまった。一足飛びに言ってしまった。

「あんた、まさか……みんな、こ、ころ、殺す気、なの?
 本気で?
 あたしや、部長も、みんなみんな……殺す、っていうの?」
「…………」
「じゃあ……伊里野も、殺す、の?」

ギリッ。
そして晶穂は、見た。聞いた。
「その名前」を出した瞬間、彼の表情が大きく歪むのを。
彼の口元が、自分を、晶穂を殺すのか、と問うた時にも発しなかった歯軋りを、確かに立てたのを。

学園祭。ファイアーストーム。探しても見つからなかった浅羽。学園祭の最中ずっと姿を見せなかった伊里野。
クラスの中でも浮いていた転校生の伊里野加奈。たった1人その伊里野に構っていた浅羽。
ヒントは山ほど与えられていて、そしてその上で、この反応だ。
答えは、既に口に出されているようなものだった。

「……仕方ない、じゃないか……。いや、違う……違うんだ!」
「何が違うのよっ!」

反射的に怒鳴った晶穂は、そして次の瞬間、自分の感情が休息に冷えていくのを自覚した。
――銃口が、向けられていた。
さっきあれだけ撃ってそれでも少女に1発も当たらなかったあの機関銃を、こちらに向けていた。
そして、一言。

「伊里野は、殺さない。……伊里野だけは、殺させない!」

足元が音を立てて崩れていくような錯覚を覚えた。
きっと、これは罰だ。
無神経で覗き屋で醜悪な好奇心丸出しな自分に対する、罰なのだ。
晶穂はぼんやりと、そんなことを思っていた。
浅羽に銃口を向けられて、しかし、逃げる気にも避ける気にも、なれなかった。

銃声が響き、比喩ではなく文字通り、足元が崩れた。

浅羽が姿勢を崩しながら撃ち放った弾丸は、またしても標的を捉えられなかった。
暴力的な弾丸の嵐が晶穂の足元近くを舐めるように通り過ぎ、土が穿たれ岩が砕ける。
足場を失い、バランスを崩して、さっきの女の子のように無様に転んで、そのまま斜面に投げ出される。
そのままゴロゴロと斜面を転がり落ちてしまう。
銃声が一旦途切れ、浅羽が転がる晶穂に銃口を向け直しているのが見える。
再び、一続きの銃声。そして、弾丸が追ってくる。着弾点が少しずつ近づいてくる。
1発でも当たれば無事では済まないであろう圧倒的な破壊が、やってくる。
土くれを撒き散らしながら、浅羽の拒絶が迫ってくる。

そんな様子をきちんと認識していながら、晶穂は、泣くことすらできずに思った。
……もう、いいや。
やっぱり浅羽は、伊里野のために「そんな決断」をしてしまって、そして、晶穂にさえ銃口を向けてきたのだ。
なら……もう、いいや。
何もかも、もう、いいや。
心が折れる音が聞こえた気がした。
あまりに手酷い失恋に、全てを投げ出したくなった。
普段の彼女らしくもなく諦めかけた晶穂は、そして、次の瞬間、

岩陰からぬっ、と伸びてきた腕に、いきなり掴まれて引っ張られた。

どこにそんな力があったのか、あまりに細く弱々しい「左腕」1本で、転がる晶穂の進路が強引に曲げられる。
弾丸の嵐がほんの1秒前まで晶穂の身体のあった所を通り過ぎていく。
引きずり込まれた遮蔽物、人の背丈ほどもある岩の縁を弾丸が掠め、耳障りな音が響く。
……助けられたのだ。
たっぷり2呼吸ほどの間をおいて、晶穂はようやく自分の身に起こった事態を理解する。
誰に? 決まっている。
この場にいた、もう1人の登場人物。
晶穂と浅羽の問答の間、すっかり蚊帳の外に置かれていた人物。
名前も知らない、小柄で髪の長い、右手がすっぱり斬りおとされた女の子。
浅羽より高い位置にいたはずの晶穂は、斜面を転がるうちに浅羽の傍を通り過ぎていたのだろう。
通り過ぎて、そして、より低い位置にいたはずの少女のすぐ傍まで転がってきて……逆に助けられた、のだろう。

ようやくそこまで思考が追いついた晶穂は、咄嗟にお礼の言葉を言おうとして、顔をあげて、

「……ふざけてんじゃ……ないわよっ……!」

そこに、怒りに震える、小さくも獰猛な猛獣の姿を、認めた。


 ◇

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