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虎と機関銃(後編)

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虎と機関銃 (後編) ◆76I1qTEuZw


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そう。
その少女、逢坂大河は、怒り狂っていた。
山頂近くで零崎人識に殴りかかった時のような、底の浅い怒りではない。
もっと魂の奥深い所から、本気で、真剣に、怒っていた。

なんで、こんな目に会わねばならないのか。
なんで、あんだけ必死に逃げ惑わねばならないのか。
なんで、右手やら膝やら、こんな怪我をしなきゃならないのか。
なんで、この自分が北村や、実乃梨や、竜児や、ばかちーなどに助けを求めなければならないのか。
なんで、こんな中学生くらいのガキの振り回す無駄に五月蝿いだけの銃に怯えて隠れてなければならないのか。

……もちろん、それらの理由も、怒りの一部を占めてはいた。
それらの理由が、怒りの発端ではあった。
零崎人識との遭遇の混乱を過ぎ、エリア切り取りの恐怖を脱し、眼前の機関銃にも一息つける岩陰を得て。
当面の恐慌状態が過ぎれば、その後に湧きあがるのは当然、怒りしかない。
これまでの鬱憤の分、感情は反転する。
でもきっと、それだけではここまで本気の怒りには至らない。
逢坂大河という人間は自分のことでも怒るが、それ以上に、他人のためにこそ、その怒りを爆発させる。

大河は、浅羽、と呼ばれたあの少年の言い分に、我慢がならなかった。

事情はさっぱり分からない。
晶穂、と呼ばれた少女との会話は断片的で、彼らを取り巻く人間関係なんてまるで想像も出来ない。
けれど……それでも、容易に分かってしまったことはある。

浅羽は、伊里野とかいう奴のために、それ以外の全員をこの舞台から蹴落とそうとしているのだ。
おそらくは親友と言ってもいいであろう距離に居た、晶穂もろとも。

伊里野という名前は、かすかに覚えていた。
確か伊里野加奈。名簿に載っていた。
あまり見ない苗字だから、記憶の片隅に残っていた。「イリヤ」か「イリノ」かで悩んだ覚えがある。
下の名前からして、きっと女の子。
浅羽という男の子は、その彼女のことが好きなのだろうか?
……たぶん、好きなのだろう。
あの年頃の男の子が、自分さえも犠牲にして救いたい、女の子を助けたい、と考える理由としては、
恋愛感情以外には、ちょっと思いつかない。
それが何かの勘違いであったとしても、恋とか愛とか呼ぶには青すぎるものであったとしても、だ。

そこまで考えて――大河は、猛烈に腹が立ったのだ。

「『好き』って気持ちは、『そんなこと』の『言い訳』に使っていいようなもんじゃ、ないっ……!」

大河自身も、恋する乙女だ。
ままならない心と身体を持て余し、何をやっても上手くいかなくて、1人身悶えする日々だ。
だから分かる。
だから言い切れる。
いや、実は自信なんて大してありはしないが、それでもあえて言い切ってしまう。

あのガキは、『そんな理由』で1人救い出されてしまう彼女の気持ちを、少しでも考えたことがあるのだろうか。
仮に全てが上手くいったとして、その後、その大事な彼女がどんな気持ちを抱くのか、理解してるのだろうか。
何が「伊里野は殺さない」だ、「伊里野だけは殺させない」だ。
そんなの、単に自分に酔って罪悪感を誤魔化してるだけの、弱虫の台詞だ。
浅羽は「伊里野のため」と言いつつ、実のところ、「伊里野のせい」にして責任を逃れようとしているだけなのだ。

自分以外の誰かのために必死になること自体は、尊いことだとも思う。……が、これは、違う。
こいつは、違う。
たぶんきっと、浅羽自身も、後で後悔する。
大河はそう思う。大した根拠もないままに、そう確信する。

すぐ隣で晶穂とかいう少女が、呆然とした表情でこっちを見ている。こっちも見たところ、中学生くらいか。
さっき助けたのも、実は深く考えての行動ではない。でも見捨てられるはずもなかった。
少なくとも、あんな浅羽の、逆ギレにも近い凶弾で殺されていい子ではない。
ちゃんと他人のことを心配できる、浅羽の何倍もマトモなこの子が、こんな所で死んでいいはずがない。
そう考えたら、改めて腹が立ってきた。
もちろん最初から腹は立っていたが、さらにさらに怒りが増してきた。

「……ぶっ飛ばす。あいつは絶対、ぶっ飛ばす!」
「ちょ、ちょっと!? あ、あんた浅羽に何する気?!」
「ああ、心配しないで。別に殺しやしないわ。
 あんな奴に、わざわざ殺してやるだけの価値すらない。
 ま、みっともなく泣いて『どうかいっそ殺して下さい』と言いたくなるくらいの目には、会わせてやるつもりだけど」

沸騰する感情と、対照的に冷め切った頭とで、大河は作戦を練る。デイパックの中を左手1本で漁る。
浅羽の気配はさっきの場所から動いていない。
たぶん動く勇気が湧かないのだろう。大河は独断と偏見でもって断ずる。
圧倒的に有利な所から勢い任せに乱射することは出来ても、危険を冒して1歩を踏み出すことは出来ないのだ。

しかし……あの銃は、危険だ。
彼我の位置関係もマズい。向こうが高い位置に陣取り、この岩以外にロクな遮蔽物が無いのはキツい。
右手という、高すぎる授業料を払わされたことを忘れてはならない。敵を甘く見て痛い目に会うのは、もう十分だ。
許せないからこそ、怒り狂っているからこそ、冷静に、確実に、張り倒す。
そのために必要なのは、あの機関銃を一時的にでも封じて接近するための、『武器』だ。
大河は荷物をざっと確認する。手持ちの支給品をすばやく再確認する。

「あの変なマラカスは落としてきちゃったし、あと残り2種類、か。
 『こっち』はこんな怪我してると有難いけど、今すぐどうにかできるモンでもなさそうだし……
 やっぱ『コレ』使うしかないか。消耗品だし、あんなバカ相手に浪費したくないんだけど……」
「あ、あの……『それ』で、どうするの?」
「あんたはここで待ってて、すぐに終わらせてくるから。あ、荷物お願い」

晶穂の問いには答えず、必要なものだけ取り出して、そして邪魔になるデイパックを晶穂の腕に押し付ける。
荷物だけ持ち逃げされるかもしれない、なんてことは微塵も考えなかった。
浅羽のことは、晶穂も当事者だ。
ここで背を向けて逃げるような子なら、あんなに浅羽の言葉にショックを受けたりしない。だから大丈夫。
いや、大河自身はそこまで理屈で考えたわけではなく、直感的にただ「大丈夫」と思っただけであったが。
身を隠していた大きな岩の陰で、大河は静かに立ちあがる。
斜面の上方、荒い息遣いだけが聞こえる浅羽の方に飛び出すべく、その身に力を溜める。

「あ、あのっ!」
「……あぁん?」
「な、名前! わ、わたし、須藤晶穂
 新聞部で、その、あっちにいる浅羽も同じ、新聞部で、それで、あんたは、」

大河の怪訝そうな視線に射竦められ、晶穂が慌てたように支離滅裂な言葉を放つ。
よりにもよって、こんなタイミングで自己紹介のつもりらしい。
新聞部所属、なんてプロフィール、誰も聞いてはいないというのに。
ひょっとして、この自分が、あそこにいる浅羽なんて奴に殺されるとでも思ってるのだろうか?
ここで聞いておかないと名前を聞くチャンスも無くなるだろうから、その前に確認しておこう、とでも?

馬鹿にするな。
大河の顔に、獰猛な笑みが浮かぶ。
でも、どうやら年下らしい女の子に「あんた」呼ばわりされるのは不快なので、答えてやることにした。

「……大河。
 逢坂、大河よ。こう見えても高校2年生、たぶんあんたより年上だから。
 じゃ、いってくる」

それだけ言い残し、大河は岩陰から猛然と飛び出した。
後ろを振り返ることもなく、左手に握り締めた『武器』のピンを口で抜きながら、大河は浅羽への突進を敢行した。
背後で晶穂が漏らした小さな声も、彼女の耳には届かない。

「たいが……タイガー? 虎?
 って、高校2年生って……えええっ?!」


 ◇


浅羽直之は、迷っていた。
だから、咄嗟の反応が出来なかった。

しっかり浅羽の顔を見ることのできなかった晶穂は、気づけなかった。でも大河の予想通りだった。
浅羽が晶穂に銃口を向けたのは、半ばヤケクソの発作的な反応でしかなかった。
伊里野を守りたい――その気持ちは嘘ではない。
けれど実のところ、浅羽は晶穂と出会ってしまうまで、すっかり忘れていたのだ。
愚かなことに、そんなことにさえ、全く考えが及んでいなかったのだ。

伊里野1人を生き残らせる、ということは、晶穂も水前寺も犠牲にすることを意味するのだ、ということを。

そんな当たり前の事実を突きつけられ、逆切れ半分で撃った弾丸も晶穂を捉えきれず。
浅羽は本当に今更ながらに、恐怖に震えるのだった。
伊里野は殺さない。伊里野だけは殺させない。そこまではいい。そこまでは本気も本気だ。
でも――本当に、晶穂を殺せるのか?
本当に、あの水前寺部長を殺せるのか?
そこまでする覚悟が、果たして、自分にあるのか?!
今さっき覚悟も決めきらぬままに晶穂を殺しかけて、こんなに震えてしまっている自分に!?

そんな、とっくに済ませておくべき自問自答に捕らわれ、答えを出せずにいた浅羽は、だから、反応できなかった。
岩陰から「獲物」が飛び出したら、即座に引き金を引くつもりだったのに、引けなかった。
晶穂ではない方、最初に銃を向けた方の少女が飛び出してくるのを、みすみす許してしまった。
それでも慌てて機関銃を構え直し、またあの例の無茶な腰溜めの姿勢で、眼下の少女を撃とうとして……。

少女と、目が合ってしまった。

「――――ッ!!」

瞬間、浅羽の脳裏によぎったのは、あまりに危険な肉食獣のイメージ。
視線で人が殺せるのだとしたら、この少女の瞳から放たれた殺気は、まさにそれだけの威力を持っている。
まるで見えないハンマーで殴られたような衝撃だった。質量を感じるほどの、それは「暴力」だった。
浅羽はぺたん、と情けなくその場に尻餅をつく。
つい先ほどまで彼女らを圧倒していたミニミ軽機関銃も、心なしか軽くなってしまったような気がする。
その頼りない重量は、本物の恐怖を前にして、浅羽を支える何物にもなってくれはしなかった。

「っしゃぁーーっ!
 このバカガキがそこを動くな逃げるな口答えするな、いやたとえ逃げても逃げきれると思うなっ!
 ぶっ殺してやるっ! 絶対にぶっ殺してやるぅっ!」
「ええっ、さっきあんなにはっきり、殺さないって、」
「知るかバカ晶穂っ! あいつは殺すくらいはしないと分かりゃしないのよっ! 絶対この手で、ぶっ飛ばす!」
「ひ……ひいっ!」

凶眼をギラつかせながら、少女がこちらに突進してくる。
ネコ科の猛獣を思わせる動きで、傾斜のきつい斜面を駆けあがってくる。
背後から呼び止める晶穂の声も振り切って、浅羽の喉笛を引き裂こうとやってくる。
浅羽は直感した。
――アレにここまで登ってこられたら、きっと自分は、死ぬ。確実に殺される。

「う……うわあああああああああああああああっ!」

地面に腰を落とした姿勢のまま、浅羽は恐怖の叫びと共に引き金を引いた。
ミニミ軽機関銃が再び獰猛な叫びを上げ、猛烈な勢いで弾丸を吐き出す。
もう伊里野のため、なんて頭の片隅にも浮かばない。
ただただ恐怖に駆られ、ただただ死にたくないとだけ思って、引き金を引く。
斜面に腰掛けた格好で、いい具合に銃床が地面に固定され、思いもがけず銃口が安定する。
これなら当たる。これならあのケダモノを遠ざけられる。
そう思って揺れる銃口を少女に向けようとしたが、しかし……少し、遅かった。
相手の眼光に呑まれていた分、間に合わなかった。

「……おらぁっ!」

少女が何かを投げあげて――浅羽の視界は、真っ白に塗り潰された。

スタングレネード。閃光手榴弾。
浅羽の知る限りでは、真正面から北軍と戦う準備をしている自衛軍より、むしろ警察の特殊部隊の装備だ。
北の工作員やテロリストと戦うための装備だ。
破片や爆風で敵を直接殺傷するための手投げ弾ではなく、閃光と轟音で敵を無力化するための武器。

思わず身を丸めてしまって、銃口がブレる。
引き金を引いた指は咄嗟に離れてくれず、貴重な弾丸をまたしても数秒分浪費する。
ようやく最初の恐慌が過ぎ、そして顔を上げても視力はすぐには回復しない。
白くぼやけた世界の中、あの虎のような少女が迫ってくる足音だけが聞こえる。

「わ……わあああああああああ!」

見えない分だけ恐怖はつのり、浅羽はあてずっぽうでトリガーを引く。
ちゃんと「敵」に向けて弾丸が飛んでいるのかどうかも分からない。
それでも、何もせずに足音の接近を待つことに耐えられず、浅羽は真っ白な世界に向けて射撃を続ける。
相手との距離も、相手の方向も分からぬまま、ただひたすらに弾丸をバラ撒き続ける。

頼む、1発でいいんだ。
殺せるなんて期待してない。手足に当たって足止めしてくれるだけでいい。
ただあの小さな恐怖をこっちに近づけさえしなければ、それでいいんだ。
だから頼むよ、お願いだから、当たってくれよ――!

嵐のような銃声は、必死に祈る浅羽を嘲笑うように、ぷつり、と途切れた。

「え? ええ? あ……あ?」

間抜けな声をあげ、浅羽は何度もトリガーを引きなおす。
恐ろしいほどの静寂の中、かちり、かちりと虚しい音だけが響く。
弾切れだった。
弁当箱のように不恰好なミニミ軽機関銃の弾倉は、標準で200発の5.56mmNATO弾を抱え込んでいる。
数字だけ見れば多いようにも思えるが、しかし、弾倉使用時の弾丸発射速度は毎分1000発。
引き金を引きっぱなしにすれば、つまり、たった12秒ほどで全て空っぽになる計算である。
あれだけ無駄弾を撃っていれば、当然の結末だった。
機関銃が軽い、と思ったのは、決して浅羽の錯覚ではなかったのだ。
そして、機関銃の具体的なスペックまでは知らなかったにせよ、残りの弾数までは把握してなかったにせよ。
それこそが、あの飢えた獣のような少女の狙いだったのだろう。
ようやく僅かに回復した、それでも白さが残る視界に飛び込んできたのは。

歯を剥き出しにした、世にも恐ろしい形相をした少女の顔の、どアップだった。
機関銃の弾は、1発だって少女の身体を捉えてはいなかった。

そこから先は、もうグチャグチャだった。

掴みかかられた。
咄嗟に弾切れの機関銃を振り回したが、十分に振り切れずに逆に自分がバランスを崩した。
揉み合ったまま、2人そろって斜面を滑り落ちた。転がり落ちた。
巴投げのように空中に蹴りあげられ、落下して背中を強打する。息が詰まる。それでも敵はその手を離さない。
相手は左手1本しかないのに、右手は手首から先がないのに、離れない。また覆い被さってくる。
その手首のない右腕による肘打ちが、顔面に振ってきた。防御も間に合わず、鼻血が噴き出す。
ほぼ同時に、みぞおちに膝蹴りが入る。おもわず胃液がこみあげ、すんでの所で吐きそうになるのをこらえる。
転がりながら上になり下になり、浅羽も必死で反撃を試みる。
まだよく見えない目のまま、がむしゃらな反撃を試みる。
なにしろこっちは両手が自由に使えるのだ。……自由? そう、自由だった。
いつの間にかミニミ軽機関銃は手から離れていて、そうしてフリーになった両手でなんとか状況の打開を試みる。
相手の襟首を捕まえて、たぶん顔があるであろう辺りに拳を叩き込もうとして、首の動きだけで避けられた。
避けられたどころか、突き出した無防備な腕に思いっきり噛みつかれた。
必死に振り払ってもすぐにまた別の所に噛みつかれる。何度も何度も牙を立てられる。
このままじゃ、きっと噛み殺される。
2人で1つの団子のようになって斜面を転がりながら、浅羽の心にそんな恐怖が芽生える。
自分より小さな少女相手に本気のケンカをして、全く歯が立たない情けなさなど、感じているヒマはなかった。
時計塔で殴りあった椎名真由美と同等の、いや、迫力だけならそれすらも上回るかもしれない、強敵だった。
1発1発の攻撃の重さなら、あの時の椎名真由美の方が上だった。
でも、手数やスピードは、小柄な分、勝っているような気がした。小回りが利いて手がつけられなかった。

唐突に、地面の傾きが無くなった。夢中で相手を蹴り飛ばしたら、ようやく離れた。

そこは谷の底だった。
ちょっとした河原になっていて、すぐ傍にはそれなりの深さがありそうな川が、かなりの勢いで流れている。
なんとかそれくらいのことが分かる程度には、視力は回復していた。
必死で立ち上がったら、膝がガクガクと震えていた。
あれだけの距離、岩の転がる斜面を受身も取れないままに転がってきたのだ。全身が痛いのも当然だった。
顔を上げる。数メートル先で、長い髪の少女もまた、立ちあがっていた。
あちこちから血を流しながらも、しっかりと立っていた。
向こうも痛いだろうに、未だ戦意も衰えず、丸い石の転がる河原を、こちらに向かって駆けだしてきていた。

大丈夫。浅羽は必死に自分を奮い立たせる。
さっきみたいに捕まりさえしなければ、いくらでもやりようはあるんだ。
警戒すべきは、相手の左手。あれにもう一度捕まれたらおしまいなんだ。
集中しろ。どんなフェイントをかけられようと、あの左手にだけは、捕まらないように、

浅羽の顔面に、小細工も何もない、綺麗な「右」ストレートが突き刺さった。

吹っ飛ばされた。予告通りに文字通りにぶっ飛ばされた。
まさかそれはあり得ないだろう、と思い込んでいた、完全ノーマークの「ない方の手」で、思いっきり殴られた。
拳ですらない、腕の断端を叩きつけるような攻撃だった。
硬い骨が当たって、ちゃんと痛かった。
全身のバネを使った、身長差を埋めるためのジャンプさえ加わった、強烈な一撃だった。
左手だけに注意を払っていた浅羽は、だから当然、踏みとどまることもできず。

2、3歩よろめいた後、どうしようもなく冷たい川の中に、落下した。
悲鳴を上げる余裕すら、なかった。


 ◇


――須藤晶穂が慌てて斜面を駆け下りて、谷底に辿り着いた時には、全てが終わっていた。
そこに立っていたのは、高校2年生を自称する、晶穂より小柄なあの少女1人。
浅羽直之の姿は、どこにも見当たらなかった。

「た、大河、さん……? あの、浅羽は、どこに……」
「別に溺れて死んだりはしないでしょ。ちょっと頭冷やした方がいいのよ、あんな奴」

逢坂大河は自身もボロボロの姿ながら、律儀に晶穂の問いに答えて、フン、と鼻を鳴らした。
どうやら浅羽は川に叩き落され、下流に流されてしまったようだ。
どう反応したものやら言葉を失う晶穂の手から、大河は預けていた荷物をひったくる。

「……おー、痛てて。
 やっぱ、『手』がないとダメね。思いっきり殴れない。てか、ちゃんと殴った気がしないわ。
 一度どっかに腰おちつけて、『この義手』をちゃんとつけとかないと」

逢坂大河がデイパックの中から無造作に取り出したのは、どこか優美な印象のある「手」のオブジェだった。
人形の腕のようにも見えるし、篭手のようにも見える。金属製なのは間違いない。
義手、とか言っていただろうか? なるほど、片手のない彼女には丁度良さそうな代物だ。
あんなものがあるなら最初から使えば良かったのに、と晶穂は思うが、すぐに考え直す。
たぶん、使わなかったのではなく使えなかったのだ。取り付け作業に時間がかかるとか、きっとそんな理由で。

そして、改めてデイパックを担ぎ、空を見上げると。
あちこちから血を流す満身創痍の姿のまま、それでも涙1つ見せることなく、逢坂大河ははっきりと言い切った。

「……決めた。
 私はこれから、さっきの浅羽みたいな奴を、見つけ次第片っ端からぶっ飛ばす。何としても、ぶっ飛ばす」

それは、宣言だった。
自分の弱さも限界も全て理解した上で、それでもこの理不尽な箱庭世界に対して叩きつける、挑戦状だった。

「自分のためだろうと、誰かのためだろうと関係ない。
 とにかく、他人を蹴落とそうとする奴。蹴落として平然としてる奴。
 そーゆーのを見つけたら、片っ端からブン殴ってやる。バカなこと考える気が失せるまで、ボコボコにしてやる。
 竜児とか実乃梨とかを探すのは、そのついででいい」

ぶっ飛ばして、その後どうする? ということは、あえて考えていないのだろう。
逃避としての思考停止ではなく、代案が出せずとも人の道を外れることは黙視できない、という正義感の発露。
でも殺してしまったらその馬鹿と一緒になってしまう。だからブン殴る。心変わりするまで袋叩きにする。
それは誰かの反論も反発も全て予想した上で、それでもあえて選ぶ道、なのだろう。
少なくとも、晶穂の目にはそう映った。

遠い空を見上げ、1つきりしかない拳を握り締めるその横顔を、晶穂はふと、綺麗だなと思った。
生まれ持ったその造形美ではない、その瞳に宿る意思の光の輝きを、ちょっと羨ましいな、と思った。
あと3年後、彼女と同い年になったその頃には、自分も同じような顔が出来るのだろうか。
醜悪な自分の心に振り回され、自分の行動1つ思うようにならない、この自分にも。
……そんなことを考えていたら、不意に、大河がこちらに振り向いた。

「で、晶穂とか言ったっけ? あんたはこれから、どうするの?」
「わたしは……」

大きな目でまっすぐに見つめられ、晶穂は言葉を失ってしまう。
自分は、何をしたいのだろう。
浅羽は伊里野のためにこの馬鹿げた殺し合いのゲームに乗ってしまって、
それはつまり、晶穂が抱いていたほのかな恋心には、もう何の希望も残されていないことを意味していて。
それを認識した上で、自分は、何をしたいのだろう――?

川に流されてしまった浅羽を追う?
大河についていって、助けてもらった恩を少しでも返す?
大河と一緒に行動して、大河と一緒にどうしようもない連中をドツいて回る?
それとも何も決められないまま、ただここでボケーッと突っ立って死ぬのを待つ?

即答できずにしばし固まる晶穂の耳に、今更ながら、さわやかな川の水音が聞こえてくる。
音を失っていた世界に、あたりまえの音がやっと戻ってくる。
ああ、ここはB-2だ。地図の上で言えば、B-2に当たる場所なのだ。晶穂は改めてその事実を意識する。
そろそろさっきまで居たA-2は「切り取られる」頃で、でもここが「切り取られる」まで、まだたっぷり時間があって。
だから今はもう、慌てて答えを出す必要はない……時間制限さえも、言い訳に使えないのだった。



【B-2/川辺/一日目・黎明】
【逢坂大河@とらドラ!】
[状態]:右手欠損(止血処置済み)、全身に細かく傷(軽い打撲や裂傷)、怒りと強い意志
[装備]:なし
[道具]:デイパック、支給品一式、フラッシュグレネード×2@現実、
     無桐伊織の義手(左右セット)@戯言シリーズ
[思考・状況]
1:他人を蹴落とそうなんて考えるバカは、ぶっとばす! もちろん返り討ちに会わないよう頭は使うけどね!
2:そのためにも、どこかに腰を落ち着けて、この義手をしっかりと取り付けておきたい。
3:で……晶穂とか言ったっけ。あんたはどうすんの? ついてくるなら別に構わないけど?
[備考]
※原作3~4巻のあたりからの参戦です。

【須藤晶穂@イリヤの空、UFOの夏】
[状態]:健康。呆然自失。
[装備]:園山中指定のヘルメット@イリヤの空、UFOの夏
[道具]:デイパック、支給品一式
[思考・状況]
1:浅羽……本気なの?
2:……どうしよう。
[備考]
※原作二巻終了後からの参戦

※2人のすぐ傍に、弾切れのミニミ軽機関銃(残り弾数 0/200)@現実 が落ちています。



 ◇


冷たい水が、体中に刻まれた傷に沁みた。

水の中に叩き込まれた直後は、溺れる、としばしパニックに陥ったものだった。
水着姿ならともかく、あるいは、短パン一丁ならともかく、服を着たまま泳ぐというのは容易なことではない。
それでも必死に水中で体勢を立て直し、支給品の中にあった「あるもの」の存在を思い出し。
何度も水を飲みながらも、なんとか「それら」を取り出すことに成功したのだった。

両手でビート板にしがみつきながら、浅羽はゆっくりと流されていく。
周囲には、浅羽に寄り添うようにして浮かび流れる、無数の浮き輪やビーチボール。
嫌でも視界の隅をかすめる、無駄に華やかな色彩が、かえってみじめな気分を掻き立てる。
支給品・『ビート板や浮き輪のセット』……こんなもの、役に立つとは思っていなかったのだが。
とりあえずありったけぶちまけて手近なモノに捕まって、ようやく一息ついたところだった。

体重を預けたビート板からは、ほんのりと塩素の香りがした。
こうしていると、あの「夏休み最後の日」を思い出してしまう。
伊里野と初めて出会った、あの夜のプールを思い出してしまう。
ビート板を手に、下手なバタ足で15mまでなら進めるようになった、あの夜の伊里野。
いや、あの時点では、まだ彼女の名前は知らなかったのだっけ。

「伊里野……いり、や……」

浅羽は泣いた。
力なく川面を流されながら、己の情けなさに泣いた。
伊里野を守りたい、何を差し置いても彼女を生き残らせたい。その想いに嘘はないと今でも思う。
だけど……どうすればいいのだろう?
どうすれば、伊里野を守りきれるのだろう?

支給品なら、あと1つ残っている。抱えたデイパックの中に、まだ残されている。
けれど……果たしてそれで、戦い抜くことが出来るのだろうか?
あれだけ威力ある機関銃があっても、あれだけの弾をつぎ込んでも、女の子1人殺すこともできなかったのに?
こんな調子で、本当に晶穂も部長も殺して、伊里野だけを生き残らせるなんてことが出来るのだろうか?

答えは出ない。出ないまま、浅羽の身体は流されていく。
夜の川を、静かに流されていく。
今はただ、傷ついた身体に染み入る水の冷たさだけが、心地よかった――。



【B-3/川の中/一日目・黎明】

【浅羽直之@イリヤの空、UFOの夏】
[状態]:自信喪失。全身に打撲・裂傷・歯形。全身ずぶ濡れ。川に流されている最中。
[装備]:ビート板@とらドラ!
[道具]:デイパック、支給品一式(確認済みランダム支給品1個所持)
[思考・状況]
 0:伊里野を生き残らせる。
 1:伊里野以外は、殺す? 本当に殺せるのか?
[備考]
※参戦時期は4巻『南の島』で伊里野が出撃した後、榎本に話しかけられる前。

※浅羽の回りには、大量の浮き輪やビーチボールなど(@とらドラ!)が浮かんでおり、一緒に流されています。
※B-3で川は2つに分かれていますが、浅羽がどちらに流れていったかは次の書き手さんにお任せします。


【ミニミ軽機関銃@現実】(補足説明)
ベルギーの国営銃器メーカーFN社が開発した分隊支援火器。小銃用の5.56mmNATO弾を使用する。
広く各国でライセンス生産されており、それぞれ形式番号は異なる。
本体重量6.9kg、200発入り弾倉を装填すると総重量10kg。バイポッド(二脚)が標準装備されている。
給弾は200発入りの弾倉か、ベルト式の装填かを選べる。緊急時にはM16ライフルのマガジンなども使用可能。
発射速度は、ベルトによる給弾で毎分750発、弾倉による給弾で毎分1000発。
今回支給されたものは、200発入りの弾倉を装備していた。予備の弾倉はない。

【ビート板+大量の浮き輪等のセット@とらドラ!】
『とらドラ!』3巻ラストの水泳勝負において、逢坂大河が持ち込んだ大量の水泳補助具の山。
ビート板はもちろん、複数の浮き輪やビーチボール、マットなどが含まれている。
小柄とはいえ大河の身体を「ほとんど肌も見えないほどに覆い隠す」ほどだから、その量は推して知るべし。
(偽乳パッド入りの水着を除く)装備一式全てひっくるめて「支給品1つ」という扱いで支給された。
(なお、浅羽の状態表に記された「ビート板」はその一部である。)

【フラッシュグレネード(3個セット)】
閃光を発し敵を無力化する、警察や特殊部隊が用いる閃光手榴弾。
爆風や破片は少なく、ただ光と音だけが大きい。
3個セットで支給された。

【無桐伊織の義手(左右セット)@戯言シリーズ】
罪口商会の罪口積雪が零崎人識の依頼で用意した、無桐伊織(=零崎舞織)のための義手。
出展は『少女趣味』同様、戯言シリーズ外伝・人間シリーズ3巻『零崎曲識の人間人間』。
とある経緯で両手首を切断された伊織のために用意されたもので、左右の手で1セット。
とはいえ、片手ずつでも十分使用に耐えうるものだと思われる。
鋼鉄製で金属剥きだし、生身の腕を模してはいない。またその素材ゆえに、それ自体が十分に武器となる。
義手に神経や筋肉を正確に接続してやることで、緻密な動きを可能にする。
なお、その接続方法の関係上、任意の着脱は不可能。一旦接続したら、外すのは激痛を伴う大手術となる。
今回の支給に当たって、腕への接続方法を詳細に記した解説書もセットでついている。
が、医療などの心得のない素人では、接続作業は相当に手間取るものと思われる。


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投下順に読む
前:mother 次:勝者なき舞台
時系列順に読む
前:mother 次:勝者なき舞台

前:須藤晶穂の憂鬱 逢坂大河 次:Triangle Wave
前:須藤晶穂の憂鬱 須藤晶穂 次:Triangle Wave
前:あの夏は終わらない 浅羽直之 次:泥の川に流されて
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