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Memories Off (上)

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Memories Off (上) ◆MjBTB/MO3I



百貨店近くの路地裏にて。
白井黒子は、遂に逃走中のティーと対面する事が出来た。
何故ここに来て路地裏なのかという理由は、別に長く語るほどのことではない。
黒子がティーの名前を呼んだ瞬間、撒くつもりだったのか路地裏に入っていったからというだけの事だ。
逃げる相手を追いかけたら、自然と追い詰めた場所が路地裏だっただけの話。
追跡中に予測したルートから見るに、恐らくはこの抜け道を経て百貨店に向かうつもりだったのだろう。
だがそんな追いかけっこも、もう終わりだ。それを告げる意味も含め、黒子はティーの名を改めて呼んだ。

「ティー」
「……」

しかし返事は無い。
無視されたのだ。

「戻りますわよ」
「……」
「ティー!」

呆けたように、ある方角へと視線を移したまま、無言。
まるで言葉が通じていないか聞こえていないか、そのどちらかかと見紛う様子だった。

「ティー……いい加減になさい!」

無視。どんなに話しかけても、無視。
あまりの無法ぶりに、黒子の声もつい荒いものになってしまう。
だがそれでもティーは黒子の目の前で立ち止まったまま、ある一点を見続けるだけだ。
あまりにも頑固であると言うほか無いティーのその姿に倣い、彼女が見ている方向へと自身の視線を移してみる。
視線の先には、遺体が一つ。正体はクルツから聞いている。勿論、そこで起こった出来事だって把握している。
遺体の名はシズで、ティーの大切な人。ティーに後追いをさせる程――幸運にも未遂だったが――の相手。
そんな人だったモノが、視線の先にある。

なるほど。やはりそういうことか。

そんな男の死体が近くにあって、おまけに怪しすぎる建物まであって。
挙句の果てにティーは彼の遺体だけを眺め続けている、そんな現状。
黒子は、こうしてティーを確保するその瞬間まで、この少女が逃げた理由を考えていた。
いくつか説は挙がっていた。その上で、最も可能性が高いものも割り出していた。
同時に、その最も高確率だった説が当たっている事を、黒子は望んでいなかった。
けれどこの状況を俯瞰すれば、もう確定だ。その説は、当たってしまっていた。

「……結局、復讐ですのね?」
「……!」

復讐。それが、黒子の導き出した予測だ。
それを言葉にした瞬間、ティーの体が正解を告げるかのように一瞬ぴくりと動く。
そして一度こちらを見て、また遺体へと視線を戻した。
先ほどと同じ様な風景。だが一つだけ違う要素がある。

「もういちど、あのひとをみてから、かんがえようとおもってた」

ティーが、語りだしたのだ。
まるでサスペンスドラマでよくある、追い詰められた犯人の様に。
二重の意味で崖っぷちの、あの犯人達の様に。
彼女の言葉が、作られていく。

「いきろっていわれた。でも、どうするべきかわからなくなった」
「どうするべき、とは?」
「"どうやっていきればいいか"が、わからない」

視線は、遺体に向いたままだ。
だが理由が解った今ならば、もうそれでも構わない。
黒子はティーを刺激しないように務めながら、会話を促していく。

「だから、もういちどあのひとをみれば、あのひとをみれば、どうすればいいかわかるとおもった」
「……それで? つまり?」
「それで、いまきめた。つまりそういうこと」
「……そうですか」
「そう。やっぱりわたしは、こうするしかないとおもった」

ティーの想いが、少しずつ言葉になっていく。

「たぶん、あのおおきなたてものがあやしい」
「百貨店ですわね」
「ひゃっかてん。あそこに、いまからいく」
「敵討ちですか? あそこに目標がいない場合もありますが、どうするつもりですの?」
「いなかったら、これからさがす」
「……そうですか、わかりました。ではもうここまでです」

しかし、ここまでだ。もう十分。ティーが何をどう考えているのかは今ここで全て晒された。
ならばもういい。これ以上は聞いていられないし、聞く時間も無い。
こちらは一刻も早くティーを連れ帰り、飛行場で今後について考えなければならないのだ。
ティーには申し訳ないが、ここで自白の時間は終了。無理矢理にでも飛行場へと帰港してもらう。

さぁ、テレポートの時間だ。言い訳は後でする。もう一度クルツ達を含めて、対話をするそのときにだ。
黒子は自身のその能力でここから退散するため、ティーの腕を掴もうと動く。

「猫の主観での話になる可能性が高いと考え、敢えて発言は慎んだのだが」

そのときである。貫禄のある声が響いたのは。

「しかし言わせて貰わねばなるまい……突然で申し訳ないが、"キミは些か、不平等ではないかね"?」

声を発したのは、もはやお馴染みの三毛猫だった。
名はシャミセン。性別はまさかまさかの雄。ティーと共に行動する支給品である。
いや、そんな紹介はどうでもいい。猫が喋ること自体にももう慣れきってしまった。だから問題はそこではないのだ。
"不平等"。そう、突如このシャミセンという猫はよりにもよってそんな言葉を口にしたのだ。なんだか、腹が立った。

「……あなた、今の状況をわかってらっしゃるの? 危険ですのよ!
 彼女は突如風紀を乱した挙句、孤独な道を選んだ! ならば力ずくでも止めるのが筋でしょう!?」
「確かに現状、明らかに危険な選択であるとこちらも思わざるを得ないのが正直な感想だ。
 更にティーが私を連れ出している事から考えるに、私もこの危うい旅路に巻き込まれるのであろう。
 しかしだ、だがそれでも私は彼女を止めようとは思わない。だからと言って煽動するつもりもない。
 激流に身を任せ同化する様に、あるがままを受け入れようと思うのだ。それは一体何故だと思うかね?」
「はぁ?」
「理由は一つ。私が猫だからだ」
「…………はあぁ!?」

相変わらず、突拍子の無い語りをする猫だ。来世はきっと立派な衒学家になってくれるであろう。
しかし彼はどうしろというのか。シャミセンの言葉はまだ何の答えにもなっていないどころか、状況を理解しているとは思えない。
自分が危険な状況に立たされているというのに、それに文句の一つも言わないつもりとはどういう事か。
彼は散々猫と人間とは考え方が違うとは言ってはいたが、命が大事なのはどんな生き物でも一緒ではないのか。
わからない。この猫が何を考えているのかがわからない。まさか悟りの境地にでも到っているのか。

「猫であることに、何の関係が……! 前置きなど構いません! あなたは何故私を止めようと……!」
「猫であるからこそ、違う種族である人間のことは俯瞰出来ると言うことだ。
 君達が動物の観察をするように、君達が植物の観察をするように、だ。違うかね?
 ではそれを踏まえ、ティーに対する君の不公平さを説明する取っ掛かりとなる質問を放とう。
 質問はたった一つだ。そう、たった一つ。だがそれがもっとも重要だと私は思う。
 故にどうかこの猫が放つずるい質問を、全力で受け取って欲しい。そして全力で答えを導いてもらいたい」

そして、我慢しきれなくなった黒子が場所も弁えずに叫ぼうとする姿にも動じず、シャミセンは言う。

「キミが彼女の立場ならば、キミはどうするかね?」

熱く煮えたぎっていた黒子の心に、シャミセンのこの一言が氷の針となって突き刺さった。

「な……っ! わ、私は……」
「恐らく、考えたくは無かっただろう。同情はする……しかし謝罪はしない。
 同時に、ずるい質問であるといった手前だ。答えを急かそうと言うつもりも毛頭ない。
 難しい問題なのは解る。ゆっくりと考えてくれても構わない……と言いたいが、ティーは待ってはくれないだろう。
 ならば、だ。ならば今は、これに瞬時に答えられないようであれば、彼女を止める筋合いは一向にないと思われる」
「そんなことは……!」
「キミも人の子だ。恐らく全てを見ずに流す事など出来はしないだろう。
 キミの大事な人間に関連した行動を重視するはずだ。そしてティーは今、そうしているのだ。
 この行動を止めるためにはある種、自身が無欲でなければならないように思える。さて、キミには止められるかね?
 因みに私にはとても出来そうに無い。私も私の身内が死んでしまったならば、感情が動かざるを得ない"たち"であるからだ」

黒子は歯噛みせざるを得なかった。
常々"猫と人間の違い"を強調していたにもかかわらず、ずるい質問を投げかけてきたシャミセンの存在が憎く思えてしまったのだ。
確かに自分は、感情に流される部分もある。冷静沈着を気取っているが、"お姉様"に何かあればすぐに感情が出てしまう。
風紀委員(ジャッジメント)として、プロ集団の一員としての自分を崩さずに仕事をこなしてきた日々。
そんな積み重ねがあろうとも、自分の大切なものに牙が向けられれば、自分はどうなってしまうだろうか。
"脱ぎ女"の噂で平静を保てなくなった時の、あの醜態を思い出す。

「し、しかし私も優先すべき事くらいは理解して……!」
「そもそもキミはあの、黒桐鮮花といったか……彼女を結局は止めなかったはずだ」

しかもシャミセンの武器はそれだけではなかった。
黒桐鮮花。死んだ兄の敵討ちを目標としている同行者。
その彼女の行動を放置しているという事実を、この猫は突いてきたのだ。

「黒桐鮮花の問題は良しとし、現状ではティーに対しては否定を突きつける。これが不公平でなければ、何が不公平か。
 ……勿論私は人間ではなく猫であるからして、この見解には一部誤りが見られるやもしれない。
 だが各々、誰かが誰かの言葉を全否定するならば、それなりに何かを考えねばならぬというのは同じだ。
 我々猫にも派閥争いや縄張り争いなどで相手と闘う時はある。そしてそれは相手を否定する事から始まるケースも多々存在する。
 白井黒子よ、キミは今ティーの縄張りの目の前で、彼女がそれなりの理由で起こそうとする行動を眺め、止めようとしている。
 ならば質問にはどう答える? 答えぬならばそれまでだと、私はそう思う。私はそう思い続けている。私はそう信じている。
 ちなみにこれはティーの擁護の為の発言ではなく、私自身も彼女を止められる理由と理論を持たぬからこそだ、と改めて表明をしておこう」

それこそが彼の口にした"不公平"の正体だった。
確かにそうだ。黒桐鮮花とティーの考えに、どれだけの差異があるというのか。
黒桐鮮花は力を持ち、ティーは力を持っていないから?
違う。前者が能力を持っていたとしても、彼女は銃に拘っている。そしてその銃の腕は素人だ。
後者は能力を持っていない無能力者といえるが、逆に銃器の扱いを心得ているのだ。
思いの強さが違う。いや、そんなことはない。両者は同じだ。こんなものは時間になど左右されはしない。
ああそうだ人種が違う。いや、だからどうした。肌の色が違っているのは事実だが、だから何?

「少し苛めすぎただろうか。もしもそうならば申し訳ない……ならば白井黒子よ。一つ例え話をしよう」

黒子が必死に思考を組み立てている間に、シャミセンの言葉が続けられる。

「ティーの今の思いは、例えるならば松明の炎だ」
「松明……」
「そう、松明だ。それは強く燃え続け、生じる熱のおかげで簡単に触る事が出来ない」

ティーとは違い、シャミセンの瞳は射抜くようにこちらに向けられている。
使い古された言葉であるが、それはまるで美しい宝石のようで、見ていて吸い込まれてしまいそうだ。
だがその魔性の瞳には、意思がしっかりと込められている。

「そして君は、言わばその炎を消そうとする一陣の風だ」
「……洒落たものですわね」
「そう言われたのは初めてだ……さて、確かに風は炎をかき消す事は出来よう。
 だが中途半端な強さでは、逆に炎を燃え上がらせる結果となるのは明白だろう」

猫が随分と面白い例えを持ち出してきたものだと感心しかけるが、それは平時であったらの話。
正直、今は笑えたものではない。

「ではもう一度訊こう。君の風は、松明の炎を消す事が出来るほどに強いだろうか? ぶつかって直、競り勝てるだろうか?
 黒桐鮮花の件を別物とし、そしてなおかつ彼女を止めると言うならば……それには相応の風力が必要になると見受けられるがね」

炎を消し去るためには、吹き荒ぶ風にならなくてはならない。
巨人が泣いているかのような声を伴う荒々しい風にならなくては、ただの燃料と同義である。

「私は……」

中途半端な言葉ではまるで駄目であること。それは、理解も覚悟もしている。
しかし今は出来る事をするだけ。こちらとて譲れないものはあるのだと、そう意を込めて黒子は口を開こうとした。
が、その前に、

「……ティー?」

憎らしくも反論を放っていたシャミセンを、優しく抱いているティー。
雪の様に白い彼女のその繊細な腕が、小刻みに震えていたことに、黒子は気付いた。
そして更に、先ほどまでの態度が嘘だったかのように、ティーがこちらを見つめていた。
射抜くような力強さがあるわけではないが、背けてはいけない気がする、そんな瞳。
それは何かを懇願しているようにも思えた。目は口ほどにものを言うというが、まさかティーに当てはまるとは。

目は口ほどに、ものを言う。
目は、口ほどに、ものを、言う。

もしかしたら彼女は、口にしていない思いと願いも抱いているのではないだろうか。

「ひょっとしてあなた……」

例えば、

「その復讐が無謀だと、自分でも理解しているのではないですか?」

だとか、

「自分でも意志が固いのか柔いのかが、わからないのでは?」

だとか、

「本当は、私に、自分を止めて欲しいのではなくて?」

こういう具合に。

「……」

ティーは相変わらず無言だった。だがこちらをじっと見ていることには変わりは無い。
微かに震えている事にも、変わりは無い。なるほど、これはこれは。
言うべき言葉が、固まった気がした。

「ティー、あなたを見ていると思い出しますわ……彼らを」

黒子の脳裏に浮かぶのは、学園都市内部で暴れる低レベル能力者達の姿。
具体的には、更にその層から"根っからの犯罪者気質"の能力者を除いて抽出した、"能力の低さに苦しむ者達"だ。
彼らは自分達の力ではどうにも出来ない高い壁、そして受け入れがたい現実から逃避する為に、能力を行使して犯罪に手を染めていた。
突然突きつけられた"低能力者"というレッテルと、生涯を"それ"と付き合っていく運命に憤りと怖れを感じ、暴走してしまった為である。
勿論、本人の努力ではそんな壁は乗り越えられる――常盤台中学の"超電磁法(レールガン)"、御坂美琴の如く――のだが、それはまた別の話。
そんな不逞な輩を裁き、そして捌くのが"風紀委員(ジャッジメント)"であり、その一員である白井黒子の仕事だった。

だから、そんな人間に触れる機会が多かったからこそ判る。
ティーはきっと"今"を怖がっているのだ。"自分に才能が無い"という現実を突きつけられた(と喚いている)不逞の輩と同じ様に、だ。
大切な人を失ったという今が、これからは彼のいない人生を送っていかねばならないという現実が怖くて、怖くて、怖くて、受け入れがたいのだ。
そうでなくては、彼女の急なこの宣言は、何だというのだ。
元から口数の少ないティーの事。本気に本気を足して更に二でかけるような事ならば、既に黙って行動を起こしているはずなのだから。

「とはいえ……これも同じく私の主観。真実は彼女本人に訊かねば、断言は出来ません。
 "私は私であってティーでも猫でもないのですから、主観的な見解には誤りがあるかもしれません"」

シャミセンへの皮肉の言葉もそこそこに、黒子はまとめに入る。
目の前の猫がいう"風力"が強くなっている実感が、そこにはあった。

「ですが結局、そこのお猫様にどう言われようが、私は今彼女を止めなければならない事実に変わりはありません。
 よくよく考えればそれは至極単純であり真実そのもの。先程の仮定の話によって揺らぎはしましたが、今はそう断言出来ます」

松明に塗られているのが、本当に可燃性の液体なのか否なのか。それは確かに断言は出来ないけれど。
だが、いや、だからこそ黒子はティーを止めようと、再び動く。

「ティー。あなたはきっと知らないだけですの。だから貴女は、怖かったのでしょう?
 あのクルツさんに"生きろ"と言われても……どうやって生きればいいかがわからない事に、恐怖していたのでしょう?
 大切な人を失った世界をどう生きるのかが解らなくて、今あなたの心は不安定に浮遊している。少なくとも私には……そう見えます」

居所を失っているティーに対する、クルツの説明不足が忌まわしい。
幼い子どもにはきちんと説明だてる事も重要だというのに。
しかし今はそういうことが言いたいのではない。だからこそ自分は、しっかりと説明をせねばならない。

「じゃあ、どうすればいい?」

ほら、こうやって、

「あのひとをわすれて、いきていけってこと? それはいや。ぜったいにことわる」

彼女は少し、勘違いをしているようだから。

「違いますわ。貴女は根からまず間違っています」

きちんと導いてやらねばならない。
それが、彼女と最初に出会った自分がやらねばならぬ事だ。

「復讐を企てない事と、その人の事を忘れる事。この二つは、同じではありませんわ。
 "仇討ちは武士の華"など今は昔。過激な行動など起こさずとも……彼を想い、彼の分まで生きる事が、弔いになる」

ティーは、シズを弔う方法を知らない。
彼への大切な想いを抱いて生きる事自体が既に彼の為の行動なのだ、ということがわかっていない。
心中という選択肢を最初に選んだのも、今思えばその証拠であるとも取れる。
彼女は"彼の為にも何もしない"という選択肢を選ばないのではなく、その選択肢自体を知らないだけなのだ。

「そんなの、わたしは」
「いずれ解る事ですわ。そして、いずれ解ると言うことはつまり、"これから生きていかねば解らないということ"。
 ……無駄に命を捨てるのはおやめなさい。彼を追い、彼だけの為に死ぬなんて……思い出の中で、じっとしているだけですの」

"やはり、帰ってからもう一度話をするべきでしょうね"、と心底そう思う。
黒桐鮮花の件についてもまだ明確に正しい言葉は浮かばないが、それもきっと、そうすることで解決できるはず。
話そう。今度はクルツも交えてきっちりとだ。その為にも、と黒子はティーに右手を伸ばした。
意味は言うまでも無い。一緒に帰ろう、というメッセージ。
そしてそれだけではなく、言葉も続ける。

「"貴女が彼の事を想い続けている限り、ただそれだけで彼は貴女の心で生きている"という事を、貴女もいつか理解する日が来る。
 "彼が本当に死ぬとき"とは、"誰にも思い出されることがなくなった"時。貴女の今の行動は、彼自身を真に殺害する事と同義ですの」

ティーがこの手を取ってくれる事を、祈りながら、

「忘れないということは、それだけで素敵な事ですから」

言葉を重ね、松明を吹き消す風になれるよう努めた。


       ◇       ◇       ◇


「いない……どこか奥にでも入り込まれたかもしれない」
「参ったものだ……あの遺体も含めて、の話だが」

一方変わってシャナと美波、そしてアラストール。
彼女達は、結局あの謎の少女を追いかけて百貨店の近くにまでたどり着いていた。
現在はその巨大な建物の上空で静止。上空から俯瞰している状態である。
だが辺りは発展している事もあってか背の高い建物も多く見られ、全てを見通すのは少々骨が折れた。
これはどうももっと深く探索しなくては、という結論を出し、百貨店近くを鳶の様にぐるぐると飛行するシャナ。
しかもそんなときに限って、外に遺体が一つことに気付いてしまう。
見知った背格好でも顔でもないことから、どうも知り合いではない。
ついでに、誰にどうやられたかも不明。だが恐らく百貨店で何かあったのだろうとは簡単に予測出来た。

「検死でもするべきかもしれんな」
「うん。さっきの人間に関係あるかもしれないし……じゃあ、高度を下げる」
「えっと、こういうときなんていうんだっけ……"Kuwabara, Kuwabara."……だっけ?」

"まさかあの少女が殺したのだろうか"、という説までもを浮かべつつ、シャナはゆっくりと降下を開始した。
島田美波を吊ったままの状態であるため、その速度は遅い。
この場に落下傘部隊が同席していたら、全員に先を越されていくだろう。
通学路を徐行する車の様な速度を保っている今は隙だらけ極まりないため、辺りを注視し警戒を怠らないのも忘れずに。

「ん?」

その判断は正解だったのだろう。今度は百貨店の屋上で何者かが歩いている姿が目に入った。
仲良く一列に設置された何台かの自動販売機の前を、ゆらりゆらりと横切っている。
性別は先ほど発見した遺体とは違い、女性だった。そしてその右手には大きな鋏がある。
力なく動くさまは、どこか夢遊病に苛まれる人間のようにも見える。
こんなときに次から次へと、と悪態をつきかけたとき、ふと目が合った。

「いや、違う……!」
「ぬぅ! シャナよ、あれは!」
「え、何?」

だがその謎の人物の顔を見て、シャナ達は自身の間違いに気付いた。
女性の顔には生気が無いとは思っていたが、それは当然のこと。
何故なら"彼女"はいわゆる有機生命体ではなく、無機物だったからだ。
人形。否、あれはマネキンだ。女性型のマネキンが、勝手に動いている。
更に言えばもっと違う。あれはただのマネキンではない。ましてや怪奇現象でも、都市伝説でもない。

「燐子か!」
「どうしてこんな所に……まさか!」
「だから何!? やばいの!?」

何の変哲も無いマネキンの、特に機能が備わっているわけではない作り物の瞳が、こちらを完全に捉える。
その瞬間、シャナとアラストールは見覚えのあるモノを目撃した。

「……ッ!」

視覚で捉えたもの、それはマネキンが宿している"白い炎"だった。
シャナは目を見開いたまま動きを止めてしまうが、同時にその脳裏にとある“王”が浮かび上がった。
その王は雪の様に白いスーツを着た優男。衣服と同じくらい白い炎を纏い、様々な宝具でシャナを追い詰めた実力を持っていた。
近代では五指に数えられる強大な“紅世の王”であり、フレイムヘイズ殺しの異名で恐れられていた圧倒的強者。

愛に生き、愛に殉じた彼の名は、フリアグネという。

間違いない、彼の燐子だ。
そう察した瞬間、百貨店からフリアグネの殺気を感じ取った。ビリビリとした重圧の激しさは全く笑えない。
建物越しであるにも関わらず、あの王のこの冴え。ここを根城にしていると見てまず間違いないだろう。
御崎市での先の戦いを再演しようとしているのならば、ここは絶対に捨て置けない。ここで討滅せねば、確実に危ない!

「「シャナ!」」

アラストールと美波の声で、思考中だったシャナが我に帰る。見ればあの燐子が、槍投げの要領で大きな鋏を投げつけてきていた。
直線的な動きに何とか対応し、持ち手の部分をキャッチするシャナ。すぐさまお返しとばかりに相手に投げつける。
鋏は狙い通りの機動を描いて燐子の頭部に命中。相手は沈黙し、それ以上動く事は無かった。あまりにもあっけない最期である。

「弱い……」
「うむ、恐らくはあの人類最悪が口にした"淡水と海水"の範疇であると言う事かもしれん」
「ね、ねぇ? で、結局なんだったの!?」
「でもあの炎の色は間違いなく……!」
「うむ、あの狩人と見て間違いないだろう……それは我も同意見だ。シャナよ、追跡対象は惜しいがここは……」
「ねぇちょっと、だから一体何!? さっきのは何なの!?」
「そうね……島田美波の為にも一旦引く! あのどこに行ったか解らない人間二人が百貨店に入ってなければいいけど……」
「うむ、今は確実に護られる者から護るべきだ。奴に見つかっている可能性もあるが、一度体勢を立て直すぞシャナよ」
「おーい」
「「後で説明はする」」
「……Jawohl(了解)」

一般人を伴った状態では、強敵の根城の近くになど長居は無用。結局彼女らは、来た道を戻る事となった。
再び高度を上げるとそのまま空中で機動を変え、その場から飛び去っていく。
追跡していた対象の少女のことは諦めざるを得なかったのは、実に惜しかったのだが。
街の上空をとんぼ返り。この島田美波との"まるで拷問スタイル"な飛行も、もはや慣れたものだ。

「……ん?」

そう考えながら何度羽ばたいた頃だろう。地上をふと見下ろしたとき、南下している二名の人間を目撃した。
急いでブレーキをかけ、そうしてよく見ればただの二人組ではない。その内一人はまさかのトーチである。
二人は自転車に乗っている。川沿いに進んでいる様で、百貨店に立ち寄る気配は無い。

「あの女のほうはトーチね。しかも、もう後しばらくしない内に消えそう……男のほうは普通だけど」
「逆に不可解だな。そればかりか、怪我を負ってはいるものの致命的ではないのもおかしい……接触するか?」
「けっ、消さないわよね!? 消さないわよねシャナ!?」
「うるさい! ああ、もう……それにしても全然こちらに気付かないわねあの二人」
「我々の高度の事もあるだろうが、何より必死なのだろう。少年の方は特に、動きや表情からその必死さが見受けられる」
「難儀なものね……じゃあどうにか気付いてもらうしか……」

気付くのが遅かった事と、すれ違った瞬間のシャナの飛行スピードも手伝ってか、少し位置が遠い。
恐らくコンタクトを取りたければ、近付きつつも派手に行動を起こすしかないだろう。
再びとんぼ返りの準備。そして自身の存在をアピールせんと、大きく息を吸い込んだ。

「シャナ!」

だがその行動に待ったをかけるかの如きタイミングで、別方向から声が聞こえてきた。
美波にとっては見当がつかず、そしてシャナとアラストールには聞き覚えのある少年の声が響く。
その聞き覚えがあるにも程がある声を前に、進行を止めて振り向くシャナ。
視線の先は小さなアパートの屋上。そこに、少年が一人立っている。
少年の名は坂井悠二。そう、つまりはシャナやアラストールが望んでいた邂逅が、遂に今ここで成されたということだった。
空中で忙しく軌道を変え、今度は悠二に近付くシャナ。美波はされるがままにされ、先程から具合が少し悪そうだったがそれは今は無視。
そして一方の地上では、必死なあまり周りの声が聞こえてなかったらしい自転車乗り二名がその場から離れて行ってしまっている。

「ゆ、悠二! 無事だったの!?」
「シャナ、良かった! アラストールも!」
「うっぷ……ちょ、ちょっとシャナ、アラストール! あの二人行っちゃったわよ! あともっと穏やかに……」
「う、うむ! 無事は無事だが……この邂逅で自転車に乗ったトーチを取り逃がした」
「自転車……ああ、それなら僕達の関係者だ!」
「僕"達"……?」

しかしその分大きな収穫はありそうだ。
というよりは、収穫があってくれないと困る流れであった。


       ◇       ◇       ◇


浅羽と伊里野の再会をプロデュースしたあの後、水前寺は彼と彼女を二人きりにして見送るという道を選んだ。
それはあの浅羽が、"伊里野の願いを叶えたい。ぼくは二人きりで映画館に行く"、と表明したからであった。
こんな場所で無力な人間が二人でのんびりデートと洒落込むなど愚の極みであり、そんなことは誰でも理解出来る事実である。
それに、可愛い特派員達がリスクの高い道を行こうとしているのならば、部長としてはノーを突きつけるべきだとも思う。
だが結果的に水前寺は、浅羽達二人の旅を許した。二人の意見を尊重し、全てを任せる道を選んだのだ。
理由など大量だ。

浅羽が本当に本気だったのもある。
伊里野だって浅羽と二人きりになった方が嬉しいだろう、と結論を出したのもある。
この二人の間には、もはや自分が入る余地など一切無いのだろうと理解出来たのもある。
最期くらい部員の願いを叶えてやらなくて何が部長か、という別方向での責任感に燃えたのもある。
そして。
どうせこのまま伊里野は消えてしまうのだから好きにしろ、と投げやりに考えてしまったのもある。
あまりにも儚げで、下手を打てばこのまま目の前から消失するであろう伊里野をこれ以上見たくなかったのも、ある。
浅羽を理由にして、目に見える現実を地平の向こうへ追い返してしまいたかったのも、ある。

そんな様々な思いを抱いたままに決断を下してから、どれくらい時間が経っただろう。
水前寺は今、珍しいことにこれ以上ないほど無気力な姿を晒していた。
ベンチに横になってただただぐったりしている姿には、彼の持つ覇気といった類のものが感じられない。
当然それは、とある事情の為今ここにいない坂井悠二にもばっちり見られている。だがそれすら全く気にしなかった。

そう。今回の出来事と選択は、破天荒な彼の心にもかなりダメージを与えていたのである。
悠二から伊里野の現状を聞いてから現在まで、かなりな痩せ我慢を決行していたのだが、それも限界が近い。
そうして心が随分と堪えたがために、こうして惰眠を貪る様な休息を続けているのだ。

苦楽を共にしていたと言える"伊里野特派員"が消えてしまうという現実。
消えると解っていて、それでも伊里野と一緒にいることを選んだ浅羽を煽るような自分の行動。
そして危険を承知で二人を見送るという、蛮行にも思える選択。
短い時間の中で告げられた事実と、正しいと思いつつも危険も孕んでいることも承知の発想。
浅羽と伊里野を"せめて最期は二人きりにしてやる"という、危険やリスクは承知での選択肢。
そしてその選択肢のおかげで嫌でも実感させられた、"結局はそれ以上に自分に出来ることは何も無かった"、という現実。
今までの"伊里野がいた"という当たり前の日常に戻れなくなる、という確実な未来。

水前寺の鋼の心をも疲弊させるには十分な要素が揃っている。
品揃えは抜群で、在庫もたんまりだ。取り寄せだってもってこい。
水前寺が何も言わず、何も言えずに立ち止まるのも頷けるだろう。
しかしそれだけではない。水前寺をここまで追い詰めた要素はまだある。

「…………はぁ」

結局、伊里野が消えて悲しむ浅羽の姿を見たくなかった水前寺は、彼に「ほんとうのこと」の詳しい説明をしなかった。
"理解をする間を与えなかった"以上、伊里野が消えたとき浅羽が彼女のことを忘れるであろう事を理解していたが、その上でである。
浅羽は存外に弱い。あの伊里野が消えてしまっては、心が壊れてしまうかもしれない。そうでなくとも暗雲を落とすのは明白だろうと予測出来る。
故に水前寺は浅羽に何も言わなかった。いっそ伊里野を認識出来なくなる方が、本人の幸せになるかもしれないと考えたのだ。

だがそれはある種の巧妙な罠。それこそが、水前寺が背負う一番のストレスを作り出すきっかけだった。
自分で選んだ道で、かつ今更だというのは理解している。
だから本来はこんなことで迷う資格は無いと承知で、けれどもしんどさを覚える。

浅羽を弱いといっておきながら、その実一番弱かったのは、自分。
"伊里野が消えた事実を前に苦しむ浅羽"を見たくないと思って"この選択をした"にも関わらず、
それと同時に、このまま"伊里野の事を綺麗さっぱり忘れた浅羽"を受け入れる勇気すらも無かったのだ。
伊里野を失って悲しむ浅羽も見たくなくて、伊里野を忘れた浅羽も見たくない。
どちらも不可能なのに求めてしまう、哀しき性。忌まわしいものだと思う。

そこで水前寺は今、このまま浅羽と同じ様に"忘却の彼方へと沈む道"を選び取ろうとしていた。
そうすれば自分も浅羽と共に、伊里野のことを忘れられるからだ。浅羽の姿を見ても、何の疑問も後悔も持たなくなるからだ。
何せ辛いのだ。逃げたいのだ。全て忘れてしまいたいのだ。何もかもが無かった事に出来るなら、それが一番いいとすら思えたのだ。
正直なところ自分は紅世の王やらなんやらをまだ目撃していない状況であり、非現実的な技を実際に食らったり観察したわけでもない。
どうも宇宙人にも関係無さそうな話題であったのも手伝って、この自分の頭と言えども理解に達していない部分も少なくないのである。
ヴィルヘルミナ曰く、理解度――今は仮にこう表現する――が低い、または少ない人間は忘却の渦に巻き込まれるという。
つまり、今の自分ならば伊里野加奈を忘れる事が出来る可能性が高いという事だ。

そこから"このまま忘れた方が辛い思いをしなくて済むならばもうそれで良いか"、という結論に至るまでは実にスピーディーだった。
伊里野の事を、この出来事を心に刻んだままならば、恐らくは想像以上にしんどい思いをしてしまうに違いないから。
だから、もう何も無かった事にする。
我ながら弱気だと思う。まだ二十年に満たなくとも常人のそれよりは遥かに濃い、そんな水前寺邦博の人生の中で初めて抱いた感情だ。
数十年後に今の自分を思い出したなら、きっと黒歴史扱いするかもしれない。いや、覚えてないのだから歴史も何も無いわけだが。

もう良い、もう疲れた。もうこの件についてはノーコメントで行こう。
ああ、このまましばらく仮眠としゃれ込むのも悪くないかもしれない。
目覚めた頃には伊里野は消失し、もうこのことに触れなくても済むというわけだ。
恐らくはその頃にはとっくに浅羽と悠二も共に戻ってきているはずだろうし、何の問題はない。
よし、その作戦でいこう。いっちゃおう。自分に出来ることはやりきったのだから。
例えてみれば、100円玉一枚でラスボスにまで進んだものの、最後はわからん殺しで見事に撃沈。
これが自分の進んだルートだったのだ。今の自分にはお似合いのオチだ。
それじゃあ、もうこれでさようなら。お疲れ様でした、今日のお勤めはここまでです。
おやすみなさい。はい、目ぇ閉じたー。


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