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Memories Off (中)

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Memories Off (中) ◆MjBTB/MO3I



坂井悠二がどういうプロセスを辿り、空を飛ぶシャナ達を発見するに至ったか。
それは別段複雑な事情があったわけでもなく、運の向きが良かった事によるものが比重を占めていた。

きっかけは浅羽と伊里野が再会し、悠二が水前寺の行動の手助けをした後のこと。
彼は、事を成した水前寺に対して贈るべきであろう言葉を、未だ見つけられずにいた。
水前寺が沈んでいる姿に対し、どうすればいいのか。それが坂井悠二には判断出来なかったのだった。
付き合いがもう少し長ければとも思い、同時に自分が“紅世”に関する知識を持っていながら何も出来ない事が恨めしい。
あの伊里野という少女と浅羽という少年を見て、それからどうするかを選ぶのは水前寺自身。
彼が何も言わない限り、こちらから動く事は出来ないのだ。実に手持ち無沙汰を感じざるを得ない状況だ。
浅羽という少年を一人で見送った以上、このままどこかまた水前寺と二人で行動するわけにも行かないわけで。

やはりこうなると、自分に出来ることは付近の偵察くらいのもの。自分達を狙う存在がいないかのチェックだ。
そう決めた瞬間に悠二は既に動いていた。まずは水前寺に、少しだけ離れた場所へ移動する旨を伝える。
そして了承を得られた瞬間に思うが侭に作戦開始。建物の天井へと登り、続いて更に高い場所へと上っていく。
アクションゲームの主人公の様な挙動でそれを続け、とにかく高く、なおかつ辺りを見渡せる場所へと進む。
結果、最後には数階建てのマンション、その屋上へと立った悠二。
人外の動きに慣れ始めた自分が、ありがたくもあり少し恐ろしかった。

そして迅速な行動が功を奏したのは次の瞬間。
彼は人よりも優れ始めていた視力と“存在の力”を感じ取る能力で、シャナの居場所を発見できたというわけである。


そんな嬉しい再会を経て、今。
まずは全員が各々、今までに取ってきた行動と今までに見てきた事を軽く報告したのだが、その所為だったのだろう。
水前寺が近くにいると知った島田美波という同世代の少女が、ろくに話も聞かずに彼の元へと走って行ってしまったのだ。

フリアグネが、百貨店に……?」
「うん、間違いない。あいつは御崎市での戦いの時と同じ行動を取ってるみたい」
「だが一つだけ違うのは、貴様の言う“少佐”という人間が下についているということか……」
「フリアグネを利用しているとは言ってたけどね、彼は」
「そんなの不可能よ……あいつは人間を麦の穂程度にしか考えてないのに。その少佐っていうのは人選を、"王選"を間違ってる」

そうして残された“紅世”の関係者である三名は彼女を追う事に。
しかし彼女がいなくなったことで逆に、更に濃い話を展開させる事が出来ていた。

「今思えば、呼び止められなかったあのトーチの炎も、フリアグネのものに間違いは無かった。
 気付くのがもう少し早ければ、あやつらに存在の力を与え、この会話に混ぜる事も出来たのだろうが、惜しかったな」
「僕がシャナ達を呼び止めたタイミングが最悪だったかな。ごめん……今思えばこっちも精神的にちょっと参ってたのかも」
「いや、悠二の所為じゃない。どっちにしろあのまま飛んでたら……うん、あの子が先に壊れてたかもしれないし。結構本気で……」
「えっと確か、島田さんだっけ? 具合悪そうだったよね……水前寺の話を聞いたらケロッと治っちゃったみたいだけど」
「思えば延々と揺られていたからな……あの少女の体も労わるべきであった」

とにかくこの関係者三名が邂逅出来た事は、実に幸運であり大きな収穫だった。
少なくとも、フリアグネの話を聞くことが出来ただけでも万々歳なのだ。
自分達は決して迷うことなく一歩ずつ進む事が出来ているのだ、悠二は改めて確信をした。
出来ればこのまま行動を共にし、近々フリアグネ討滅にも乗り出すが吉、という案も浮かびかける勢いだ。

「しかし……百貨店か……」

しかし、それだけでは行かないのが現実の厳しいところ。
確かにこの豪華メンバーが揃った現状、そうしたいのは山々だしそうするべきだと思う。
けれど今は違う。行動を共にするのはともかく、このままフリアグネの元へと突撃するのは、絶対に違うのだ。
と、ここで三名は遂に美波へと追いつき、水前寺が休息を取っているベンチ近くに彼女を伴って到着。
それをいい景気と見て、悠二は彼女達から少し距離を離し、それからシャナ達の前で自身の希望的観測をばっさりと切り捨て始めた。

「とりあえずシャナ、アラストール……折角会えたばかりだけれど、僕達はこれから再び別れるべきだと思う」
「……やっぱり、か」
「む……一筋縄ではいかぬか、やはり」

悠二の言葉の意図。シャナとアラストールはその真意を理解してくれたらしい。

「流石にあの水前寺がいつも通りに好調だったとしても、フリアグネとの戦いにつき合わせるのは絶対に駄目だ」
「うむ……同じく島田美波にも、一度神社へと帰還してもらうべきだろうな……シャナ?」

悠二がフリアグネ討滅の為の電撃作戦を、ここまで来て立案しない理由及び要因。
それは互いがここまで連れて来てしまったあの一般人二名、水前寺と美波の身を案じてに他ならなかった。
悠二は水前寺に振り回されながらもその行動を黙認していたが、シャナの身の上話を聞いて決意したのである。

「うん、わかってる……温泉のときの二の舞だけは、私は絶対に、踏みたくない……!」

邂逅直後に聞いたシャナの身の上話に出てきた、櫛枝実乃梨木下秀吉という可憐な少女。
彼女らが命を落とした事実とそこに至った理由は、決して無視出来なかった。
故に悠二は、ここでシャナ達と行動を共にする事に今は固執しない、という勇気ある決断をしたのだ。

「だがここに来てフリアグネを見逃すなど、あまりにも危険であろう。どうするというのだ?」

しかし決断だけで現状はプラスへと動きはしない。詳細が決まらなければ、話にならないのが今のこの状況だ。

「……今のところは、シャナが水前寺達を神社へと帰還させて、その間に僕が百貨店に先行する案を考えてる」
「悠二が……!? 危険よ! だったら私が……!」
「駄目だ。何せフリアグネの下にはあの“少佐”がいる。君を一人では行かせられない!
 少佐は君を利用するつもりだ……彼の最終目的が未だに判らない以上、君が向かうのは悪手だ」
「で、でも悠二はまだ実戦には早い! 今も“銀”の事があるし……万一の事がないとは言えないじゃない!
 フリアグネがどんな奴かなんて、人質にまでなったことのある悠二なら解ってるはずなのに、どうして!?」

シャナ達が今をどうするべきかを練るに辺り、最も大きな壁となる男。
本名不明の彼を示す呼称は“少佐”のみ。彼の立ち位置は、フリアグネの部下。
国籍、生年月日、年齢、職業、全て不明。そして彼が抱いている最終目的も、何もかもが不明。

未知数にも程がある彼の存在は、シャナ達が安息を得る為の道筋を明らかに阻害していた。
鋭い瞳は猛禽類、地に立つ姿は肉食獣。力強さと聡明さを併せ持っているであろう彼は、どう考えても危険だ。
少なくとも、シャナにとっては。

「多少のリスクを背負うものの……僕がフリアグネに気付かれずに少佐とのみ接触すれば、話は変わる」

しかし自分はまだ、フリアグネはともかく少佐になら生かされる理由があるのだ。

「フリアグネに対する抑止力……つまり君を呼ぶ為の駒なのだと、僕は彼から告げられた。
 これを活かさない手は無い。少佐を上手くコントロールし、彼の思惑を封じる策を、今から練る」
「つまり、どういう……」
「シャナには水前寺達を先に神社に送ってもらう。その間に僕は百貨店へ潜入、どうにかして少佐とコンタクトを取る。
 そして彼の思惑通りに君を連れてくると告げて時間を稼ぎ、君がフリアグネとぶつかるまでに、少佐の動きを僕が制限する」
「確かに貴様の言う“少佐”はただの人間であり、その作戦も不可能ではないだろうが……」
「それでも危険よ! あの“狩人”と一緒なら、危険な宝具を持っていてもおかしくない。それに"海水と淡水の話"だって……!」

シャナの語気が段々と荒いものになっていく感触を覚えるが、それでも悠二は続ける。
これは確実な勝利を目指す為の大きな試練なのだと、そう確信しているが故に。

「水前寺達をここから離しながらフリアグネの行動を阻害し、かつ少佐の手札を増やさないのが理想なら、現状はこれしかない。
 そもそも僕達には、フリアグネ討滅の前にクリアしておかなければならない条件が多すぎるんだ。このままだと確実に出遅れる」
「一種の賭けだな。しかも貴様が一方的に危険な、分の悪いものだと言わざるを得ない」
「その通りだよアラストール。けれど、少佐を野放しにしたままシャナを一人で行かせるなんていう愚行よりは、ずっといい」
「そうか……では我はもう何も言わぬ。貴様の大胆な作戦に救われた事も、一度や二度ではないのが現実だ」
「ありがとうアラストール……ねえシャナ、僕は君に万一の事が起こって欲しくないんだ。解ってくれないかい……?」
「でも、姫路瑞希を探す約束だって……」
「シャナ……!」

あの少佐の行先が善か悪かどちらであろうとも、彼がシャナを“討滅の道具”でしかないと認識していることに変わりは無い。
だからこその作戦内容だ。少佐とコンタクトを取る事で、近々訪れるであろう恐ろしき"彼らの時間"までの一歩を、少しでも遠ざける。
例え不可能かもしれなくとも、少佐がシャナに対する考えを改めるよう説得するプランも含んでの、今回のこの作戦。
肝心な部分がふわふわしているものの、“徒”との戦いは常々こんなもの。事前にじっくりと作戦を練られた事の方が少ないくらいだ。
フリアグネの部下が今や少佐一人ではないという可能性すらあれど、そこはもう自分の地力でどうにかするしかないだろう。

「悠二……」

これまでになく迷い、惑っているシャナの答えを悠二は静かに待つ。
水前寺に対してまずはどう声をかけようかと迷っているのであろう、シャナに似た表情を浮かべる美波を視界の端に捉えながら。

「わかった。わかった悠二! あの自転車に乗ってた人間の方が戻ってきたら決行する! 絶対に、すぐに戻るから……!」
「うん。絶対だ」
「だから……死なないで……」
「うん、それも……絶対だ!」

苦渋の決断だと言わんばかりに不安な表情を浮かべていたシャナは、それでも了承してくれた。
仕方なく、なのだろう。けれどそれでも構わない。シャナにここまでさせた事の謝罪は、この後で必ずする。
今はただ自分に出来る最善を尽くすまでなのだ。

「まぁまずは、水前寺達がシャナの言う事を聞いてくれるかが第一の賭けか……」

そう呟いて振り返ると、目を閉じている水前寺の傍で仁王立ちしている美波と目が合った。
彼女はすぐに目を反らすと、離れていても判る大きなモーションで息を深く吸い始める。
どうやら荒っぽい方法で水前寺の覚醒を促すつもりのようだ。

「お互い、大変だな……」

彼女のあの不器用さを目にしてしまうと、この時点で賭けは少し分が悪い気がしてしまった。


       ◇       ◇       ◇


寝たいときに限って眠れない。人間誰しも、そんな経験はあるだろう。
水前寺が現在進行形で悩んでいるのはそれに近い。

現在彼は緩やかにまどろみながらも、深い眠りには至られない状態を彷徨っていた。
よく考えれば当然だ。浅羽と伊里野の事を考えながら、ゆったりと眠れるなどありえないのだ。
しかしそれでも自分の為に、睡眠をしようとどうにか気張る。だが気張れば気張るほど意識してしまい、目が覚めそうになる。
永遠にも思えるサイクル。負の連鎖に対し水前寺が抗える術は無い。半分睡眠出来ている事自体が、もう充分凄いくらいなのだが。
目を閉じ、耳を塞いで辺りの情報をシャットアウトするものの、そんな事は無意味だった。

「……! ……っ、…………!!」

しかもそれだけに飽き足らず、つくづく運が悪いことに状況は更に悪化した。
瞼を閉じて暫くした頃、なんだか騒がしくなってきたのである。物理的に。
暗闇の向こうから激しい声が聞こえてくる。超うるさい。マジでうるさい。
耳をふさいでいるのと、なんやかんやで現実逃避から未だ完全に戻ってこない脳のおかげで、言葉も聞き取れない。
凄く中途半端な状態のまま、聞こえてくる声に苦しむ水前寺。

「! っっ! ……!」

どうしたどうした何があった何が。何が起こってるんだこんなときに。
眠らせてくれ。おれはもう良いんだ、引き止めないでくれ。
今は生憎SOS団団長の気分じゃあないんだ。皆大好き水前寺部長というわけにはいかないんだ。

「水前寺ぃっっっ!!」
「ふぉあっ!?」

だが水前寺は目覚めた。理由など判らないが、唐突に言葉を聞き取れたのが理由だ。
そう、彼は耳が捉えた言葉の内容とその音量に驚き、閉じていた両目を見開くと同時に上半身が勝手に飛び起きたのである。
激しく聞き覚えのある声だった。芯の通った、活発な印象を覚えさせるすっきり感。
ゆらゆらと歩く酔っ払いにすら"気をつけ"と敬礼をさせてくれやがりそうな、強気の話し方。
そんな要素が詰め込まれた声が自分を呼んでいると知った瞬間、体が勝手に動いてしまったのだ。

しかし声の主の名が出てこない。寝ぼけたままの眼と脳は、どうにも働きが鈍すぎる。
確かテレビで似たような声の有名人を見たことがあったような気がしたのだが、思い出せるだろうか。
えっと、確か苗字が清水か水橋かで、それから名前が、

「あんた、何やってんの……?」

違った。目の前にいたのは、清水でも水橋でもない。島田だ。
そう、島田美波。水前寺目掛けて大声を出していたのは、あの"島田特派員"だったのだ。
その後ろでは、紅色の髪の少女が坂井悠二と一緒に立っている姿が見える。
まさか坂井悠二の言っていたシャナというのはあの少女のことなのだろうか。
現実逃避的にそんな風に推理をするもすぐにやめ、もう一度視線を戻す。

やっぱり目の前にいるのは、島田美波本人だった。


       ◇       ◇       ◇


映画館へ、映画館へ、ただ今は映画館へ。
浅羽は走る。夕焼けで紅く染まっていく街の中を、ひたすら走っていく。
ペダルをこいで、こいで、こいで、こぎまくる。
伊里野はいつか消える。それももうすぐだと聞いた。だからもう何も考えない。
今はただ、伊里野の傍に居続けるだけだ。その権利に、その義務に、かじりつくのだ。


少し、時間を戻しての話。

水前寺による送迎が終了した直後、伊里野が"映画館へ行きたい"と望んでいる事を聞いた。
ついでに改めてもう一度、伊里野が消えてしまいそうになっていることを聞いた。
詳しい理由や仕組みは聞かされなかった。ただ、水前寺ともう一人の誰かの表情が、本気だった。
ただ、それだけだった。けれど、

「じゃあ、今から映画館に行きます……二人きりにしてください、伊里野と」

こう宣言する為の理由としては、充分過ぎた。彼らの言葉を信じるには、充分過ぎたのだ。
水前寺は少し迷っているようだった。当然だろう、部員が独断で動くと言うのだから。

「わかった。もう、おれはこれ以上は動かん。浅羽特派員に託そう」

それでも水前寺は了承してくれた。わがままを聞いてくれたのだ。
程なく、名前の知らないもう一人の誰か――年齢が読めない顔立ちだが多分先輩――が、ママチャリタイプの自転車を用意してくれた。
つまりこれで映画館に行けということなのだろう。理解力が低い自分でも理解出来る。これこそ、自分に託された武器なのだ。

「近辺にはこの一台しかなくてね。僕らは自分で使うことになるし……。
 ごめんね、どうにか二人乗りで頑張って欲しい……彼女は、伊里野ちゃんは任せた」
「はい! ありがとうございます、えっと……」
「悠二。坂井悠二だ」
「ありがとうございます、坂井さん!」
「浅羽特派員、道中気をつけろよ」
「はい部長!」

正直なところ片手運転で二人乗りは危ないと思ったけれど、もうあまり時間がないというので了承。
"まだ映画の時間じゃないのに"、と疑問を浮かべる伊里野に「先にサイクリングに行こう! 二人っきりで!」と嘘の理由を説明。
幸運にもその理由が嬉しかったらしく、微笑んで頷いてくれた伊里野。彼女を後ろに乗せ、しっかりと体に捕まってもらった。
そこで遂にペダルを踏み始めたが、やはり細やかな段差やら何やらで自転車全体が振動し、片手だけで支えられなくなりそうになる。
まるで自転車の乗り方を覚えたばかりの子どものようだった。いや、もしかしたら比べるのも失礼かもしれない。もちろん子どもに。
まずい、このままでは倒れて伊里野に怪我をさせてしまう。どうにかしなくては、どうにか、どうにか、急いで。
折れている右腕を無理矢理に動かし、結局両手運転に切り替えた。が、死ぬほど痛かった。
痛い、凄く痛い、超痛い。自分を組み伏せたあの男の人を恨むばかりだ。くそう、覚えてろ、ぶん殴ってやる。くそう、痛い。くっそう。
けれどそれでも根性で、どうにかバランスを整えることに成功。これならどうにかなるぞ、と安堵の溜息をついた。
瞬間、背中に柔らかいもの――伊里野に付いている女性特有のそれ――が当たっている事に気付く。
またもバランスを崩しかけた。伊里野が小声で「だいじょうぶ?」と問いかけてきた。大丈夫だ、顔が真っ赤な事以外は。
湯掻いている蟹の様に赤くし、男性特有の生理現象を起こさんとする正直な体に抗いながらペダルを漕ぐスピードを速める。
どうにかなった。後は既に決めている道筋通りに進み、映画館に向かうだけだ。
振り返れば、水前寺と坂井悠二の姿が次第に遠くなっていく。自分は前へと進みだしているのだという、何よりの証明だった。

そして、今に至る。


出発以降は真っ直ぐ南方へと向かっていた浅羽達は、"C-4"の橋に辿りついていた。
この川を横断する一つ目の橋を渡り、城の敷地内を進んでいくというのが当初の予定である。
何せ早い。ここを無事平穏に南下すれば、後はもう一度橋を渡って、映画館に向かえば良いだけである。
普通はそうする。急いでいるなら誰だってそうする。多少危険だがそれでもリターンは大きいのだから。
しかし、今回はそうもいかなかった。

「もえてる……」
「だね……キャンプファイアーみたいだ」

対岸にあるホテルが、読んで字の如く見事に燃え盛っていた。比喩ではない、本当に炎に包まれているのだ。
何がどうなってこうなったのかは解らない。及び知らぬ超自然的な理由なのかもしれないし、人が起こしたことなのかもしれない。
だが理由などどうでもいい。考えるべきなのは、あれが燃えていることによる損失だ。

冷静に考えろ。
多分、あんなことになっているということは人が沢山集まっていてもおかしくないだろう。
野次馬というわけではないが、とにかく人の目を引くのは確かなわけで。
そして釣られてやってきた中に、危険な人間が紛れ込んでいるとも限らないのだ。

最高の近道が出来なくなった。いきなりの予定変更だ、頭が痛い。
仕方が無いので橋は諦め、そのまま川沿いに下っていく事にした。
電波塔の近辺まで向かった後に、そこからD-5の南側にある橋を渡って西へ進むという寸法だ。

「あさばとえいが、ってはじめて。すごく、たのしみ……」
「えっ……あ、ああ。うん、そうか、そうだよね。そう、だね」

そんなドタバタしたルート変更を行って少しした時、伊里野がぽつりと呟くように話しかけてきた。
"映画が初めて"で、楽しみだと。彼女は後ろに乗ったままそう言ったのである。

初めて、だって? おかしい。だって映画は一度行ったことがあるのに。
どうしてこんな事を言うのか。いや、待てよ。まさか、考えたくは無いが、そういうことなのだろうか。

浮かんだ疑問点を反芻する内に、この会話の感触に覚えがあったことに気付く。
そして確信する。驚くほどすんなりと、その答えに至った。そうだ、間違いない。今の伊里野は"そういうこと"なのだ。
水前寺達は恐らく、今の彼女を見ても何がどうなっているのかわからなかっただろう。だが自分には理解出来る。自分なら解る。

この伊里野の姿は、軍部からの逃避行開始後しばらくした頃の"それ"と同じだ。
園原から離れて暫くした頃に八つ当たりをされた後。もっと特定するならば、今の彼女は"獅子ヶ森駅にいた伊里野加奈"そのもの。
つまり彼女の記憶は、"浅羽と初めてのデートをする日"にまで、再び逆行しているのだ。

間違いない。挙動、目、話し方、そして話題。全てがあのときと一致している。
浅羽以外の人間を拒絶するまでではない事と、今自転車を漕いでいる浅羽を"浅羽"だと認めている事だけが、あの時との違いだ。
今は電話越しでないが、時空は繋がっている。その代わり、まるで"バッグの中のイヤホン"の様に奇妙で複雑な事になっているのだが。
伊里野が暢気ともいえるような要望を唱えた理由が、今更ながら遂に理解出来た。
彼女の時間は初デートの時にまで遡っていて、伊里野は獅子ヶ森駅のときと同じ様にずっと自分を待ち続けていたのだ。
まさか今更気付くなんて。もっと早く気付いているべきだろうに!

そうなると、自分はどうするべきなのだろう。
この状況下で、映画館に向かっている最中に何をすればいいのだろう。
何か気の利いたことでも話せられればいいのに、何も思い浮かばない。
彼女が満面の笑みを浮かべていられるような事が出来ればいいのに、何も思いつかない。
伊里野の記憶は"浅羽と出会って間もない時期"なのだ。思い出話すら大して満足に出来ないという事なのだ、つまりは。

どうした、これが最後なんだぞ。映画館に間に合うかどうかも解らないんだぞ。
今すぐに後ろの彼女が消えてしまってもおかしくないんだぞ。
もっと言えば、無防備な姿をスナイパーに捉えられてもおかしくないんだぞ。
そりゃあお前が園原から逃げていたときは、適当に話を合わせるだけでよかっただろう。
伊里野はすぐに離れないと知っていたから。逃げて逃げて逃げ切れば、永遠に二人きりになれると考えていたから。
だが今は違う。今は何者かから逃げているわけでもない。どう足掻こうが最後は消える運命なんだ。
奇跡でも起きない限り、彼女は時間を止めたままで淡雪の如く消えてしまうんだ。UFOの夏なのに淡雪、傑作じゃないか。
考えろ浅羽直之。考えて、考えて、考えろ、諦めるな。諦めたら試合終了などという温いものではないのだから。
こんなものはもはやロスタイムに過ぎない。本当に最後で最後のボーナスタイムでしかないのだ。
どうにかしろ、何とかしろ、やるべきことを思いつけ。後悔したくないのならば。

「どんな、映画やってるだろうね」
「あさばとなら、どんなのでもいい」

結局何も思い浮かばず、浅羽は取り留めの無い話をするに至った。
浅羽が話し、伊里野が答え、浅羽が話し、伊里野が答える、それだけの時間が過ぎていく。
他人が見れば勿体無いと口にするだろう。だが今の浅羽にはこれが精一杯だった。

自信が、失われていく。彼女の記憶の日に合わせた気の利く行動など出来るものかと、自分の無力に悔しさを覚える。
ここで早くも浅羽は、"自分ではダメかもしれない"という弱い考えを抱くに至っていた。


       ◇       ◇       ◇


あの赤髪の少女こそが、坂井悠二の求めていたシャナという人物だった事。
そのシャナの力を借りて美波達は空を飛び回り、悠二と水前寺を探し続けていた事。
途中でシャナが進路を変え、そのおかげでこうして再会が出来たという事。
再会後にどうするかの指示は既に受けているという事。
そしてもう一人の捜索対象である"姫路瑞希"が見つからないという事。
ついでに"涼宮ハルヒ"のあれこれも進展なし、という事。

あれから水前寺は、こういった類の事件・事実などを美波から長々と聞くことになった。
単独行動をしていた間、彼女達はどうも大変だったらしい。すまんと素直に謝る。
それに対し美波はというと、"まぁ見つかったわけだし良いわよもう"、と一言。存外慈悲深かった。

「まぁ、アンタをこってり絞るのはウチじゃなくてヴィルヘルミナさんの仕事だしね」
「む……確かにそうかもしれん。だがすまん、今はまだ帰れん。帰るわけにはいかんのだ」

いつもの勢いがなく、重い表情。
常とは違う自分の態度を敏感に感じ取ったのだろう、美波は深く溜息をつく。

「あのさ……何があったの?」
「ああ、いや」
「さっきウチらが見た“トーチ”と関係あるんでしょ? 何があったの?」

ストレートな質問がまず一つ放たれ、ついつい言葉を濁してしまう。
すると、まるでそれを狙っていたかのように追撃の言葉が飛んできた。
このままでは終わらんぞという意思が透けて見える。
流石は特派員と認めた女。こういうところもしっかりしている。
相変わらずの力強さだと、改めてそう思った。

もういい、ここまでだ。そもそも島田美波から今までの事を隠す意味など無いのだ。
彼女後ろに立っているシャナと悠二の姿を一瞬見てからまた視線を戻し、水前寺は全てを話した。
そしてその上で言う。もうすぐだから放っておいてくれ、と。自分が選択したのだからもうこれで良い、気にせんでくれ、と。
正直もうしんどいのだ、と俯き加減で呟く。

そんな感じでしばらく一人で喋りまくって、身の上話は終わった。人に愚痴を言うのは初めてだったと思う。
顔を上げて見てみれば、美波は微かに震えていた。怒っているのだろうか。
確かに彼女の性格ならば、男の愚痴などそう好きでもないだろうから仕方が無いかもしれない。
だが私は謝らない。キリッ。なんつって、ははは、はは……はっ、なっ、ちょっ! えぇ!?

「ああああだだだだ! あだだだだだだだだだだ! 島田特派員! 痛い! 痛いぞ! メーデーメーデー!」

突然関節技を決められた。痛い。
一体何をするんだ島田特派員! と抗議しつつ、どうにか技を振り払う。

「何腐ってんのよ! 馬鹿じゃないの!?」
「腐っ……!? いきなり痛みを与えてきて何を言うか!」
「うるさいうるさいうるさい! アンタおかしいわよ! いつもなら"島田特派員、どうしてここに?"とか真っ先に聞くだろうにそれもなし!
 口を開けば諦めの言葉ばかり! もうがっかりよ! ウチを慰めてくれたアンタはどこにいったの!? 強引な水前寺邦博はどこにいったわけ!?」
「な……っ! そ、それを今言うか!」
「今言わないでいつ言うのよ! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿ぁ!」

どうやら"愚痴るという行動自体"にではなく、水前寺の"態度と行動に対して"怒りを覚えたらしい。
だがそんな事を言われたところでどうしろというのか。的外れな怒りにしか思えないのが水前寺の正直な感想だ。
挙句には傷心中のこちらを思いきり罵った挙句に関節技を決め、なおもこちらに襲い掛かってきている。

五月蝿いのはどちらの方だ。君におれの心がわかるとでも言うのか。傲慢ではないのかそれは。
異常に腹が立ってきた。今まで鬱屈状態のまま所為か、無性に派手に暴れたい。
浅羽と伊里野の初デートの最後、浅羽妹と死闘を繰り広げたときの様に、喧嘩を繰り広げたい。
そう思ったときには既に、ゴングが脳内で響き渡っていた。"「喧嘩を繰り広げた」なら使ってもいい"。
早速、お返しのストレートパンチを繰り出してやった。奇襲じみた戦法が幸いし、華麗にヒットした。

「理由は告げたはずだ! おれはもう良いんだ! 浅羽特派員の姿を、知覚したくはないのだ!」
「いったたた……アンタ、それって早い話が逃げってことじゃない! 現実逃避っていうのよそれ!」
「違う! 戦略的撤退だ!」
「ふ……ふざけんなこの……負け犬ー!」

更に続けて、水前寺は思いのたけをぶつけて追撃に移った。
関節技では分が悪いので、長いリーチを活かした当身に持ち込む算段である。
しかし一方の美波の方も関節技一辺倒ではない。こちらと同じ様に拳や蹴りも持ち込んでくるつもりらしい。
あっという間に拳や脚が交錯し合い、二人の動きは激しい戦闘へと発展した。
殴ったり殴られたり、蹴ったり蹴られたり、関節を決めたり決められたりしている。
それでも口は動き続けるから、不思議だ。

「何も知らないからそんなことを言えるのだよ島田特派員! そうやって、部外者の立場から見るから!」
「部外者だとぉー!? ウチをSOS団の団員とかいうのにしたのは、特派員にしたのはどこのどいつなんじゃー!」
「身内がトーチになったわけでもあるまい! ただの死別とはわけが違うのだ! それもわからずに……!」
「わかってるわよ!」

互いの言葉と技がぶつかり合って、互いにボロボロになっていく。恐ろしい勢いだ。
視界の端では悠二とシャナが何事かとこちらを見ている。だがそれでも喧嘩は止めない、止まりはしない。
気付けば水前寺は髪型が崩れ、美波はリボンがどこかに行ってしまったのかポニーテールではなくなっている。
しかし互いにそれも眼中に無い。今はとにかく、互いが互いをマットに沈めたいと思うばかりなのだ。マット無いけども。

「わかっていない! ヴィルヘルミナ女史の話を聞いて、解ったふりをしているだけに過ぎんくせに!」
「うるさい! ウチの頭の中を勝手に決め付けないでッッッ!」

この会話を合図にしたかの如く、遂に水前寺はとどめとばかりに思い切り力を込め、踏み込み、拳を放った。
喧嘩関連の武勇伝は無いものの、敵を倒すなら十分過ぎると思う、そんなパンチだ。当てる、当てる、絶対に当てる。当ててやる。

「この件に関してはっ、もうっ……口出しをするなぁああぁあッッ!」
「絶ッッッッッッ対に断る!」

しかし、受け流された。
怒りに任せただけの拳は見事にテレフォンパンチへと化けてしまっていたらしい。
何をどうされたのかは解らないが、とにかく体勢を大きく崩されてしまっている。

「全部解ってるわよ……辛いのは解ってるわよ……! あんたがどうしようもなかったってのも、ちゃんと……!
 だって、そうじゃないと…………そうじゃなけりゃ、本気でアンタとこうして喧嘩したりなんかっ! しないッッッ!」

バランスを崩して倒れていくその瞬間は、目に映る全てがとても緩慢に動いていた。
増しに増した集中力が成せる業だと、何かの本で読んだ事がある。今の自分の状態はそれか。
だが体は動かない。動かそうと思っていても、相手の気がそれを許さないとでも言うかの様に。
しかしなまじ集中しているおかげで、相手の言葉だけははっきりとよく聞こえた。
そして、

「Halten Sie den Mund! Der Narr!!(その口閉じてろ! この馬鹿野郎ッ!!)」

水前寺の左頬に、美波の怒りの鉄拳がクリティカルヒットした。
関節技でもないのによく効いた。カウンターだったことだけが理由ではないだろう、きっと。
一瞬宙に浮かんで、背中からばったりと景気よく倒れた。幸運にも頭は打っていないが、代わりに打ち付けた背中が痛い。

「アンタに……っ! アンタに教えてあげるからっ! 静かに聴きなさい!」

だがまだ終わらなかった。まるで修羅と化したのではないかと見紛うほどのオーラを纏い、美波が近付いてくる。
彼女はその体の上で馬乗りの態勢を取った。更にこちらの襟首を掴んでくる。とどめを刺すつもりかもしれないと思い、歯を食いしばった。
だが、かと思いきや彼女はそのまま動きを停止する。それから無言で見詰め合うと、彼女は大きく大きく息を吸い込み、

「ウチはヴィルヘルミナさんだけじゃない、あそこのシャナにも"ほんとうのこと"を聞いた! でもウチは現実から逃げるつもりは無いわ!
 現実から逃げて、知らないまま過ごし続けるのだけは、絶対に嫌だから! あんただってそんな奴だったはずでしょうが!
 真実を恐れんな! 新聞部の部長でしょ!? ジャーナリストなんでしょ!? こんな特ダネ目の前にして、腐ってんじゃないわよ馬鹿ぁー!」

こう叫んだ。聞き逃したという言い訳を予め封殺する為か、それとも叫ばずにいられなかったのか。またはその両方かもしれない。
耳の奥がきいんと鳴って、不快感を伴う音が暫く収まらずに残留し続ける。毎度お馴染み、耳鳴りという現象だ。
そして同時に、美波の言葉が頭の中で大きく跳ね回っていた。耳鳴りを伴って、止まる事の無い輪舞を繰り返している。


真実を、恐れるな。ジャーナリストだろうが、か。


そうだ。自分は新聞部部長兼SOS団団長。ジャーナリストであり、同時に皆を纏め上げるべき"部長"なのだ。
そんな自分が何をしていると言うのだ。どうしてこんな弱い考えに飲み込まれていたと言うのだ。
浅羽が男を見せていたというのに。たった一人の女の為に動き始めたというのに、自分は何をしていたのか。
ただただ恐怖と後悔を覚えていただけではないか。ちっとも前に進もうとせず、立ち止まるばかり。
なんたる失態。数十年経たなくても黒歴史だ。水前寺邦博として、あってはならぬ大事件だ。

動かなくては。
今からでも遅くは無い。
きっと、きっとまだ間に合う。
否、これから間に合わせてみせる!

「きゃっ」
「っと、すまん」

美波も疲弊していたのだろう。こちらが上半身を起こすと、上に乗っていた彼女はそれだけで倒れてしまった。
それでも互いに体を起こしあい、立ち上がる。どう見たってぼろぼろで、無様な姿だ。
けれどそれでも今は構わなかった。むしろ妙な爽やかさが体を駆け巡っている。

「ありがとう、島田特派員。目は覚めた」
「……っ!」

髪がぐしゃぐしゃのままな美波の頭をそっと撫で、歩き始める。
目標はすぐそこにいる坂井悠二とシャナ、そしてアラストールとやらだ。

「坂井クン」
「何だい?」
「……ほんとうのこと、をもっと詳しく聞かせてくれ。女史の説明は簡単簡素簡潔過ぎてダメだ。
 実例を見せてくれたわけでも無し……このままでは、伊里野特派員を忘れてしまうかもしれん。それは困る」

本当に今更ながらのお願いだと思う。
無理なら無理で、いつでも地面に頭をこすり付ける所存である。

「敢えて僕は何も言わなかったけど……そう、か。彼女を、忘れたくないかい?」
「ああ……当然だ」

けれど、悠二は責める事も煽る事もせず、話を聞いてくれている。
隣にいるシャナも何も言わない。何も言わずに、いてくれている。

「大切な人だから?」
「それも、あるがな……だが、それだけじゃない」

ふぅ、と一度大きく溜息をついて間をおく。言いたい事をどう言葉にしようかを考えるためだ。
肉体的な意味の疲労に苦しんでいる身なので苦労するかと思ったが、一寸の間を置くだけで驚くほど言葉が生まれてきた。

「島田特派員の言葉で目が覚めたよ。うむ、今ならば強く自信を持って言える。
 おれはSOS団の団長であり、そして元々はジャーナリスト。そう、新聞部の"部長"だ!
 だからこそ見届けなくてはならない! 現実に起こることを認め、その全てを記憶し記録する義務がある!
 そして同時に、部長として特派員の未来をこの目で確認し、受け止める事も……そうだ、それが出来なくて何が部長か!」

そうだろう? と最後に振り返って美波に同意を求める。
「うっさいえらそーに」、と笑いながら返された。なるほど、こういうのも悪くはない。

「……良いのかい?」
「全てを知る覚悟も、それを覚え続ける覚悟も出来た。記録と記憶はジャーナリストの仕事。そうだろう?
 だから頼む、おれに真実を、全てを細かく教えてくれ……おれは、"そういう未来"を選びたい。浅羽特派員の為にも、だ」
「……ああ! わかった!」

再会して、言い争って、喧嘩して、わかりあう。
なんだか安い青春ドラマのようだと、水前寺は一瞬そんな感想を抱く。
だがこういうのもたまには良いと、そう思えた。

夕焼けの光が強くなってきた。時間は、確実に進んでいる。


       ◇       ◇       ◇






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