こんばんは、旅の方。一晩のご縁ですが、よろしくお願いいたします。
私ですか? ……私は、名もない占い師でございます。
いえ、本当に名乗るほどの者ではございません。それよりも、せっかくこうして宿で相部屋になるというご縁があったのです。宿屋にまつわる、こんな話はいかがでしょう?
私ですか? ……私は、名もない占い師でございます。
いえ、本当に名乗るほどの者ではございません。それよりも、せっかくこうして宿で相部屋になるというご縁があったのです。宿屋にまつわる、こんな話はいかがでしょう?
私が世界中を旅していた頃のことです。あれは、もう何年前のことになるでしょうね。
とある王国での王位継承の争いや、怪しい教団の暗躍や、魔界の門が開いたなどという埒もない噂話……そんなものとはまるで縁のない大陸の、それは穏やかな村に、私は足を踏み入れました。
もう夜も遅くのことでしたので、その晩は、その村一番の大きな宿屋に泊まることにしたのです。
翌朝、目を覚ました私のところに朝食を運んできてくれたのは、小さな女の子でした。歩くたびにぴょこぴょこ揺れる、二つのお下げが記憶に残っています。
聞いてみると、その子は宿屋の娘さんでした。時折、こうして宿屋のお手伝いをしているとこのこと。
感心な話ですよね。
「おはようございます。お目覚めはいかがですか?」
そう澄ました顔で私に言ってのけた顔の、愛らしかったこと。
年に似合わず、背伸びした口調で精一杯話す様子がかわいらしくて、私はついつい吹き出してしまいました。
その子は真っ白なほっぺをふくらませて、
「人の顔を見ていきなり笑い出すなんて、失礼だわ!」
と拗ねてしまいました。
とある王国での王位継承の争いや、怪しい教団の暗躍や、魔界の門が開いたなどという埒もない噂話……そんなものとはまるで縁のない大陸の、それは穏やかな村に、私は足を踏み入れました。
もう夜も遅くのことでしたので、その晩は、その村一番の大きな宿屋に泊まることにしたのです。
翌朝、目を覚ました私のところに朝食を運んできてくれたのは、小さな女の子でした。歩くたびにぴょこぴょこ揺れる、二つのお下げが記憶に残っています。
聞いてみると、その子は宿屋の娘さんでした。時折、こうして宿屋のお手伝いをしているとこのこと。
感心な話ですよね。
「おはようございます。お目覚めはいかがですか?」
そう澄ました顔で私に言ってのけた顔の、愛らしかったこと。
年に似合わず、背伸びした口調で精一杯話す様子がかわいらしくて、私はついつい吹き出してしまいました。
その子は真っ白なほっぺをふくらませて、
「人の顔を見ていきなり笑い出すなんて、失礼だわ!」
と拗ねてしまいました。
もちろん、私はすぐに謝りました。レディの自覚のある女性は、たとえ幼くてもそう扱うべきだというのが、私の信条ですからね。……もっとも、レディというには、その子のひざこぞうに擦り傷が作ってあるのを見ないふりしなければなりませんでしたが。
ともあれ、その子はすぐに機嫌を直してくれて、私にこんなふうに尋ねてきました。
「あなたは魔法使いなの? 不思議な装束を着ているけれど」
「私はしがない占い師ですよ。魔法使い、というのとは違います」
「じゃあ、魔法は使えないの?」
簡単なものなら少々は使えますが、と答えると、少女の瞳はパッと輝きました。
「ねえ、お願い! 私にも、魔法の使い方を教えてくれません?」
おやおや、と思いました。旅の道すがら、簡単な呪文を教えることもありましたが、こんな小さな生徒さんは初めてです。けれども、目の前の輝いた瞳が曇るのを見たくなくて、私は思わず、いいですよと答えていました。
ともあれ、その子はすぐに機嫌を直してくれて、私にこんなふうに尋ねてきました。
「あなたは魔法使いなの? 不思議な装束を着ているけれど」
「私はしがない占い師ですよ。魔法使い、というのとは違います」
「じゃあ、魔法は使えないの?」
簡単なものなら少々は使えますが、と答えると、少女の瞳はパッと輝きました。
「ねえ、お願い! 私にも、魔法の使い方を教えてくれません?」
おやおや、と思いました。旅の道すがら、簡単な呪文を教えることもありましたが、こんな小さな生徒さんは初めてです。けれども、目の前の輝いた瞳が曇るのを見たくなくて、私は思わず、いいですよと答えていました。
教えることにした呪文は、「メラ」。
初級中の初級呪文、攻撃系魔法の教則本の一番最初に載っている呪文です。
この世の理と、呪文を司る精霊たちの話に入る前に、当然のことながら私は彼女に尋ねました。
「どうして呪文を使いたいと思うのです?」
この子に限ってそんなことはないとは思いましたが、人を傷つけるような目的で安易に呪文を使いたがる子供には、やはり呪文は教えられません。
きっと、便利だから、とか、子供らしい好奇心でちょっと使ってみたい、とか、そんな答えを予想して尋ねたのですが、返答は私にとって意外なものでした。
初級中の初級呪文、攻撃系魔法の教則本の一番最初に載っている呪文です。
この世の理と、呪文を司る精霊たちの話に入る前に、当然のことながら私は彼女に尋ねました。
「どうして呪文を使いたいと思うのです?」
この子に限ってそんなことはないとは思いましたが、人を傷つけるような目的で安易に呪文を使いたがる子供には、やはり呪文は教えられません。
きっと、便利だから、とか、子供らしい好奇心でちょっと使ってみたい、とか、そんな答えを予想して尋ねたのですが、返答は私にとって意外なものでした。
彼女の答えは、こうでした。
「私ね、冒険がしたいの」
「冒険?」
「うん! ……あのね、宿屋に来るお客さんたちの中には、旅人が多いでしょう。その人たちが、私に旅先での色んな話を聞かせてくれるのよ。そのたびに、思うの。――世界ってなんて広くて、大きいんだろう。なんてたくさんの不思議を隠していて、なんていっぱいの冒険を与えてくれるんだろう」
そう語る彼女の瞳は、遠くを見るように澄んでいました。
「だからね、私、いつか世界中を冒険したいわ。綺麗なものも、そうでないものも、たくさんたくさん見たい。
世界が呼んでいるような気がするの。――冒険には、自分の身を守るために、呪文が使えた方がいいでしょう。
だからね、私は呪文を習いたいの!」
そのときの少女の瞳の色を、私は一生忘れないでしょう。
まだ背伸びをしなければテーブルに肘さえつけない、小さな少女が抱えている、大きな夢。その夢の美しさに、感動を覚えたせいもあるでしょう。
けれど何より、彼女を待ち受ける無限の未来に、私は胸をつかれるような思いがしたのです。そう、彼女の人生はまだどうとも形が定まっておらず、だからこそ、これからどんな人物にもなれる。どんな道をも選べる。
大人になった私ではもう手に入れることの出来ない、彼女が持つ無限の可能性に、ふと懐かしさにも似た眩しさを感じたのでしょう。
心の中で、私は自分でも思わずのうちに、祈っていました。
――どうかこの子の未来が幸せでありますように。
まだ形の定まらない未来に、限りない幸福が待ち受けている可能性もあれば、それは考えも出来ないような不幸が訪れるという可能性の裏返しでもあるのです。
占い師の私の目に、彼女はこの先、波乱万丈の人生を送るという相が出ていました。だからこそ、いっそう強く願わずにいられなかったのです。
「私ね、冒険がしたいの」
「冒険?」
「うん! ……あのね、宿屋に来るお客さんたちの中には、旅人が多いでしょう。その人たちが、私に旅先での色んな話を聞かせてくれるのよ。そのたびに、思うの。――世界ってなんて広くて、大きいんだろう。なんてたくさんの不思議を隠していて、なんていっぱいの冒険を与えてくれるんだろう」
そう語る彼女の瞳は、遠くを見るように澄んでいました。
「だからね、私、いつか世界中を冒険したいわ。綺麗なものも、そうでないものも、たくさんたくさん見たい。
世界が呼んでいるような気がするの。――冒険には、自分の身を守るために、呪文が使えた方がいいでしょう。
だからね、私は呪文を習いたいの!」
そのときの少女の瞳の色を、私は一生忘れないでしょう。
まだ背伸びをしなければテーブルに肘さえつけない、小さな少女が抱えている、大きな夢。その夢の美しさに、感動を覚えたせいもあるでしょう。
けれど何より、彼女を待ち受ける無限の未来に、私は胸をつかれるような思いがしたのです。そう、彼女の人生はまだどうとも形が定まっておらず、だからこそ、これからどんな人物にもなれる。どんな道をも選べる。
大人になった私ではもう手に入れることの出来ない、彼女が持つ無限の可能性に、ふと懐かしさにも似た眩しさを感じたのでしょう。
心の中で、私は自分でも思わずのうちに、祈っていました。
――どうかこの子の未来が幸せでありますように。
まだ形の定まらない未来に、限りない幸福が待ち受けている可能性もあれば、それは考えも出来ないような不幸が訪れるという可能性の裏返しでもあるのです。
占い師の私の目に、彼女はこの先、波乱万丈の人生を送るという相が出ていました。だからこそ、いっそう強く願わずにいられなかったのです。
彼女の人生のこの先で、何かの救いになればいいと思いながら、私は「メラ」の呪文を彼女に教えました。
彼女は驚くほど利発で、物覚えが早く、なまじな大人よりもずっと早く呪文が使えるようになりました。人一倍熱心に呪文を覚えようとしていた彼女は、今でも私の一番の生徒です。
……その後、彼女がどうなったかはわかりません。私も旅を続けねばならず、その村に滞在したのはほんの短い間のことでしたからね。
ただ……私が村を出る日、じっと涙をこらえて私を見送ってくれた彼女の姿は、ずっと覚えています。こちらが心配になるくらい、ぐっと強く歯を食いしばっていながら……
あの空色の瞳から、こらえきれなくなった涙が、一粒、二粒こぼれ落ちたときのことを、私はきっと忘れないでしょう。
今でも、思い出すたびに祈らずにいられません。
どうか、もう今では大人になっているだろう彼女が幸せでいるように。どうかどうか、幸福であるように。……。
彼女は驚くほど利発で、物覚えが早く、なまじな大人よりもずっと早く呪文が使えるようになりました。人一倍熱心に呪文を覚えようとしていた彼女は、今でも私の一番の生徒です。
……その後、彼女がどうなったかはわかりません。私も旅を続けねばならず、その村に滞在したのはほんの短い間のことでしたからね。
ただ……私が村を出る日、じっと涙をこらえて私を見送ってくれた彼女の姿は、ずっと覚えています。こちらが心配になるくらい、ぐっと強く歯を食いしばっていながら……
あの空色の瞳から、こらえきれなくなった涙が、一粒、二粒こぼれ落ちたときのことを、私はきっと忘れないでしょう。
今でも、思い出すたびに祈らずにいられません。
どうか、もう今では大人になっているだろう彼女が幸せでいるように。どうかどうか、幸福であるように。……。
……ふふ、詮のない話をしてしまいましたね。我にもあらず、つい長話になってしまいました。
おや? でもあなた、私の話を気に入ってくださったようですね。なんだかとても、優しい表情をしていらっしゃる。
そういえば、旅の方。あなたがさきほど眺めておられた、銀色のリボン。
昔、あの少女がつけていたリボンと、そっくり、瓜二つでしたけれど?
おや? でもあなた、私の話を気に入ってくださったようですね。なんだかとても、優しい表情をしていらっしゃる。
そういえば、旅の方。あなたがさきほど眺めておられた、銀色のリボン。
昔、あの少女がつけていたリボンと、そっくり、瓜二つでしたけれど?
