さて、そろそろ大切な話題に入ろう。
以前の内容も大切なのだが、ここで改めて感じてもらいたいことがある。
絵を描くことを「楽しい」と感じているか。
絵を描けない人にとっては、絵を描くこと自体が「苦痛」であり、「やりたくない」と感じられる。
しかし、以前から絵を描ける人でも、練習して徐々に描けるようになった人でも、
いつでも「楽しい」と感じられるわけでは決してない。
いつでも「楽しい」と感じられるわけでは決してない。
時として「面倒くさい」と感じることが必ずあるのである。
「楽しくない」ときに絵は描けない。
楽しくないときや、気が乗らないときには、絵を描くのをやめたほうがよい。
画力の上達を考えるうえで「根性論」は役に立たない。
徹夜で勉強して身につくものでもない。
少しでも嫌なものを感じているときには、絵を描くべきではない。
無理に描こうとすれば、自分の絵が嫌いになってしまう。
「楽しい」ときに絵を描く。
こう言われても難しいかもしれない。
なぜなら、「楽しい」というのは意図的に作り出すのではなく、
絵を描いている過程で、ふと、感じるものであるからだ。
絵を描いている過程で、ふと、感じるものであるからだ。
言い換えれば、「楽しいから描く」のではなく、「描いたから楽しい」というわけだ。
しかし「結果的に楽しくなるようにせよ」と言われても、どうすればいいかわからないだろう。
むしろ「楽しくなるためにはどうすればいいのか?」という疑問だけが残る。
疑問に対する答えは、自分自身で体験して得るしかない。
「絵を描くことの何が楽しいのか」を説明することは不可能に近い。
私の知識や理解が不足しているわけではなく、説明するのに無理があるからであり、
人それぞれ性格、態度、意識の持ち方、感覚などが異なっているものに対して
「これが楽しい」などと答えを導き出すことはできないのである。
人それぞれ性格、態度、意識の持ち方、感覚などが異なっているものに対して
「これが楽しい」などと答えを導き出すことはできないのである。
「楽しい」と感じること自体が大切。
「キャラクターの目を描くのが楽しい」
「髪の毛を描くのが楽しい」
といった、絵の部分的な要素については説明できるかもしれない。
「髪の毛を描くのが楽しい」
といった、絵の部分的な要素については説明できるかもしれない。
しかし大切なのは、「何が」「どこが」楽しいかではない。
「楽しい」と感じること自体が大切なのである。
ここで「楽しい」という前向きで活発な感覚を「生かす」ように働きかけることが狙いである。
「流れに乗った」「コツをつかんだ」と言い換えることもできる。
この「楽しい」という感覚があるうちに、さらなるステップアップを目指すことが
上達への近道であり、視野を広げ、技術に磨きをかけるチャンスなのだ。
上達への近道であり、視野を広げ、技術に磨きをかけるチャンスなのだ。