地上20階、地下不明、世界でも有数の所蔵量を誇る図書館だった。
広大な敷地に様々な建築物が存在する魔術学園だが、その中でも特徴的な建物の一つが旧図書館塔である。
1000を越える年月で蒐集され続ける書物。たび重なる地下への改築。その全貌を知るものは既に居ない迷宮と化している。
また大量の魔導書の影響か、内部には怪異が巣食い、更にし通常では起こり得ない現象が多発する異空間となっていた。
あまりに危険な為に生徒の利用は許可制になっており、貴重な書物を発掘する旧図書館塔探索部が発足している。
地上部分は9割方探索が完了しているが、地下は依然として手付かずの状態である。
探索は非情に苛酷であり、大規模な探索でも死傷者が後を絶たず――
―魔術学園施設案より抜粋―
旧図書館塔は本校舎から北に数?離れた場所にある。
恐ろしく古い建物であり、白く美しい石造りは1000年の年月で黒く変色していた。
ビーニャは今日、ここで捜し物をする予定である。
旧図書館塔には世界的に見ても貴重な文献が無数に眠っている。
規模が大きすぎるのが難点だが、その労力に見合うだけの書物が読める。
ビーニャは暇さえあれば足を運ぶ程度に、この場所が気にいっていた。
薄暗く静かな旧図書館塔。
地上1階は無数の書棚が広がる。
視界の全てが書棚で埋まっている。
呼吸音すらあまり反響しない。
書棚へと吸い込まれて。
恐ろしく静寂が充ちる整った世界。
同時に、不気味でもあった。
しかしビーニャは気にしない。
迷わずに足を進め、書棚に目を向ける。
地上部の主だった本は全て目を通している。
得られる知識が少ない階層にあまり用は無い。
各階を繋ぐ階段は狭く、灯りも無い。
足を踏み外せば何処までも落ち続けそうな、螺旋を描く闇。
上り下りが面倒なので大抵の学生は飛んで移動するのだが。
ほとんど使われる事のない石造り階段が、寂しげだった。
地下10階より下に降りると、流石に怪異の数も増えてくる。
周りの書に影響を与えないように、それらを討ち滅ぼす。
地下20階に辿り着く。
ここからは無数の照明が不規則に天井や壁に設置されている。
七色の良く言えば幻想的な、悪く言えば安定感の無い光が周囲を照らし出す。
あの狂気的な装飾には意味があるのか、それとも制作者の遊びか――
それを調べてみるのも面白いかもしれないとビーニャは考えながら。
階段近くの書棚から漁り、興味が惹かれた本を手に取る。
何冊か積み、隅にある机と椅子が並べられたスペースに運ぶ。
そこで、机の上に置かれていた物に気付いた。
表紙も裏表紙もない、ボロボロの書物。
自分が置いたものではない。
誰かの置忘れだろうかと小首を傾げ――反転
意識が落ちる。
それは眠りに落ちる感覚にも似ていて。
意識が、深いどこかへと落ちていく。
暗闇だった。
たゆたう暗闇の中で漂う。
あらゆる深淵の知識が駆けめぐる闇。
知識の海の中心に私はいて、けれど。
私は、どこにもいない。
私の手は
私の足は
私の胸は
私の顔は
私の心は、どこにあるの。
たゆたう暗闇の中で漂う。
誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。
どこにもいない、私への呼びかけが――
『ようこそ、私の領域へ』
声が響く。
声という形の知識が流れ込む。
それの姿は正しく認識できなかった。
暗闇がそれを覆い、隠しているから。
『あらためてようこそ、お嬢さん』
『まずは話をしよう、時間は無限にある』
『ここで万の言葉を語る時間も、現実では刹那にも満たない』
『甘い紅茶と甘いお菓子を用意してる』
『話をしよう、お嬢さん』
――たゆたう暗闇の中で――
――私は誰かと会話する――
『この図書館塔は、世界有数の建築物だ』
『さぞ素晴らしい知識の宝庫と思っていると、後悔するがね』
『悪夢のような怪異の出現、狂ったように捩れ続ける内部空間』
『それは我々の様な力持つ書が、一か所に集められた為とも言われるが』
『だが違う、“はじめからこうなるように”仕向けられていただけだ』
『わかっているのだろう、お嬢さん?』
『ここは、完成された知識の魔窟だ』
――そうかも――しれませんね――
『そうさ、可愛いお嬢さん』
『愛すべき贄よ』
──ええ──そうですね――
――たゆたう暗闇の中で――
――私は何かと会話する――
『我々は人間を害する、そうするようにできている』
『我々を作った狂人にそう定められているんだよ、お嬢さん』
『我々は現象だ。だから我々はそう在るしかない、人間を害する現象として』
『だが私は、どんな肉体的苦痛も与えない』
『苦痛は感じない、悲しみも感じない、何も感じない』
『誰より優しく、ただ終わらせる』
『これは慈悲だ』
――慈悲ですか――
『そうさ、君たちの大好きな優しさと世界に満ちる愛さ』
『君もそう思うだろう、お嬢さん?』
――いいえ――
『うん?』
――いいえ――違います――
――そうでしょう――
――あなたはこう言っている――
――歩みを止めろと――ここで終われと――
『そうだよ、お嬢さん』
『君もここで歩みを止める』
――私は――私は止めません――
『愚かなお嬢さんだ』
『ここは私の領域だと言っただろう?』
『君はもう、どこにもいくことはできない』
──それがあなたの手ですか――
――長話が好きかと思えば――
──見事に罠に――
──かかってしまいましたね――
『さあ、良い子はもう眠る時間だ』
――ええ――そうですね――
『わかってくれたか、お嬢さん』
――ええ――─
――あなたが何を言っても――
──私には届きませんが――
『何……?』
――時間は充分にありました――
――あなたはずっと──
──私に仕掛けていた――
――そして、私も――
――時間は充分にありました――
――あなたを既に掴んでいます――
『何を言う。何を言うんだ、お嬢さん』
『私の領域で私に敵う存在などない!お前のすべては!』
『私が喰らう!お前の魔力も、精神も、肉体も、魂も、すべてだ!』
――確かに――ただの人間ならそうでしょう――
ビーニャは瞼を開き、手を伸ばす。
暗闇へ。
あるいはその奥で蠢くものへと。
『馬鹿なッ!!なぜ、なぜ人間が!!』
『なぜだ!?』
叫び声をあげる影が、姿を見せる。
空間を軋ませながら全身が露わになる。
無数の書物で構成されたそれは、生物ではない。
その淀んだ眼が、人間の精神を抉る。
その淀んだ牙が、人間の精神を砕く。
いびつに歪んだ蜂の如き異形。
ビーニャはそれを知っている。
それは、狂人が生み落とした知識の怪物。
甘い声で人々を呼びかけ、その精神を抉り貪る。
旧図書館塔内で多くの探索者が犠牲となった悍しき存在。
数多存在する人を喰らう魔導書に宿る、暗きもの。
――あなたに――
知識の怪物、魔導書へと。
ビーニャは手を伸ばす。
――私を止める事は出来ません――
『ならば証明してやろう!愚かな人間よ!』
ビーニャへと魔導書が叫びを放つ!
咆哮が、空間に亀裂を走らせる。
それはただの死をもたらすだけではない。それはすべてを殺し尽くす。
痛みも苦しみも与えず、眠る様に人へ安らかなる死をもたらすのだ。
死の弾幕。それこそが知識の怪物の真の武器。
『死ね!』
けれど、けれど。
――遅い――
『何ィィィィ!?』
けれどまだ、ビーニャは。
傷ひとつなく、立っている。
死に汚されたのは、虚空のみ。
『人間如きがァァァァァ!!』
――喚かないでください――
魔導書に宿る精霊は高次元の精神生命体。
物理的に破壊する事は出来ない。故に、人間には殺せない。
現世で魔導書を破壊しようにも、即座に精神を殺されるだろう。
――確かに――人間があなたを滅ぼすことは難しいでしょう――
けれど、けれど。
――けれど私は――人間ではない――
ビーニャはルニャの魔力から作られた分身だ。
人の様に振る舞うが、その本質はやはり人ではなく。
唸り声をあげ荒れ狂う知識の怪物に意識を傾ければ。
伸ばされた小さな手が――魔導書の精霊を捉える。
――だから私は――あなたにこう言ましょう――
――残 念 で し た ね――
『───────────────────!』
あまねくを照らす、光の矢が放たれる。
穿ち、貫き、知識の怪物を消し飛ばす。
叫び声を上げる暇もなく。
光の矢に穿ち貫かれた魔導書の精霊は崩壊した。
構成するすべてを、何の痕跡も残さず、消し飛ばされて。
儚い燐光を、舞い散るように残して。
たゆたう暗闇を照らして──
旧図書館塔地下20階の机と椅子が置かれたスペースで。
一冊の表紙も裏表紙もない、ボロボロの書物があった。
いびつな魔法陣が魔導書を取り囲み、頁が分散する。
花吹雪のように舞う頁が、幾重にも重なり合う。
ヒトガタを作り上げた頁が、幻惑の様に宙に溶けて。
概念空間より現世へとビーニャは帰還した。
それはビーニャの予想を超えていた。
魔導書の意思を消し飛ばした光に周囲の暗闇が反応。
あり得ないほどの光が巡る。
欠損部部を補うように。暗闇を照らし出す。
気付けば、ビーニャを中心に魔導書が再構築されて。
魔導書の精霊として、ビーニャは変異を果たしていた。
「……………」
まあ、なるようになる。
半ば開き直って積み上げた本を読む事にした。
そしてその日は幸い(?)にも。
にゃにゃ坂騒動が起きており、ビーニャが注目される事は無かった。
最終更新:2012年03月02日 01:15