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2月14日。今日が何の日か、知らない日本人はまずいまい。
いたとしたらそれは田舎に住む老人くらいなものだ。
愛情、嫉妬、憐憫、憤怒、同情、悲嘆、絶望。
あらゆる感情が縦横無尽に交差する。


―――そう、今日はバレンタインデーだ。

世の中の女たちは目当ての男に手作りチョコで愛の告白をしようとする。
好きでもない同僚や知り合いにコンビニで買った義理チョコを渡す。
とりあえずここは流れ的に、と適当にチョコをばら撒いてみる。
べっ、別にあんたのためじゃないんだからっ、とツンデレしてみる。

世の中の男たちは身なりを整え、チョコがもらえないかとそわそわする。
毎年のことだと、気取りながら貰ったチョコを山のように集めてみる。
思わぬ女から本命のチョコを貰い、どうしたらよいか思わず戸惑う。
前日にチョコを買い集め、当日にわざわざ持ってきてカモフラージュする。

たった一日のこのイベントに、女も男も気を使ってしまう。
このイベントには何の意味があるのだろうか?
好きな人に対する男女の愛の誓いの日?
世の中の非リア充への壮大なる嫌がらせ?
チョコレート業界の隠された陰謀?
それとも、意味なんてそもそもないのだろうか。

だが、これだけは確かに分かる。



今日この日、日本中は戦場と化す。



前置きもほどほどに、話を始めるとしよう。
今日の朝はやたら早く目覚めてしまった。
普段の起床時刻より1時間近く早い。
これはあれか、俺が今日を楽しみにしてることの表れか。
…まったく、滑稽なもんだ。

今日がバレンタインデーだからって普通早起きするか?
しねぇだろ、どんだけだよ。どんだけ心待ちにしてんのよ。
まぁ確かに?期待してないと言えば嘘になるけど?
チョコレート欲しくないかと言われれば欲しいよ?
でも早起きってなんだよ。朝からなにかするのかよ。
おかしいね、ちゃんちゃらおかしい。
そう思いながら俺は顔を洗うために洗面所へと向かった。


「おはようございます衛様。今日は随分早起きですね」

洗面所へ向かう途中、台所にいたノクに声を掛けられた。
既に朝食の準備が整っているのか、おいしそうな香りが漂っている。
今日のメニューは味噌汁、サケの塩焼き、白米、漬物。
なるほど朝食って感じだな。
俺はノクに適当に返事を返し、洗面所に向かう。


シャワーの音が聞こえる。鼻歌も。
どうやらエルらしい。朝のランニングの後に汗を流しているってところか。
普段はこの時間帯は寝てるから全然知らなかったな。
まあ気にしないで顔を洗うとするか。

蛇口をひねり、顔を洗う。この季節の水は恐ろしく冷たい。
おかげで目が完全に覚めた。すっきり爽快。
だがタオルを用意するのを忘れてしまった。
目が開けられないため記憶だけで棚の位置を把握する。
自分の部屋だ。間違えるはずもない。余裕だ。
俺は勢いよく扉を開け放った。

……扉?


「お、お前はぁ……朝っぱらから何をやっているんだぁ―――!!!」


エルの叫び声と共に、俺の頬に突然激しい痛みが走る。
どうやらエルのビンタが俺の頬に炸裂したようだ。
ああ成る程、俺棚からタオルを取り出そうとして風呂のドア開けちゃったのね。
よくやるよねこれ、ってねぇよ!!!
うっかり間違えて風呂のドア開けちゃうってどんだけラッキースケベ!?
上条さんも真っ青だよこりゃ!

…一応目を瞑っていたということで、エルには許してはもらえた。
だがまだ機嫌が悪いようで大きな音を立てながらドアを閉めてしまった。
俺は未だに痛みの残る頬をさすりながら、今度こそタオルを取り顔を拭いた。
そして少しだけ惜しいことをしたと後悔してみる。
反省はしない。



「「「「ハッピーバレンタイン!」」」」

朝食を食べ終えて、身支度を整えて少しのんびりしていた頃、そう声を掛けられた。
振り返ってみると、そこにはノク、キッシー、エル、トリシャの四人がいた。
そしてノクの手には丁寧に包装された箱がある。

「衛様、これは私たちからです。受け取ってください」

「みんなでつくったんだよおとーさん」

「……食べて」

「ふん……何で私が…ブツブツ」

おお愛する家族達よ、ありがとう。
感謝しながらノクからチョコレートの入った箱を受け取った。
エルはさっきのことを気にしているのか、そっぽを向いている。
だがそんなことは些細なことだ。
今、この瞬間、俺はチョコレートを手にした!
雰囲気としてはカーチャンがチョコくれるのと似てるけれど。
でも全然違う!もういろいろと違うんだ!
亀とスッポンくらいの違いがあるんだ!

ははは見たか世の中の男共よ。俺は今チョコを手にした。
しかも普通のじゃない、バレンタインデーのチョコだ!
これは特別だ。今日という日においてとても特別なものだ。
これを持っているだけで今日の俺は勝ち組だ。
これがあるというだけで俺は優越感に浸れる。
これのおかげで充実した一日を過ごせる。


ありがとうファミリーたち。
ありがとうチョコレート。
ありがとうバレンタインデー。

「それでは衛様、いってらっしゃいませ」

「いってらっしゃーい」

「……いってら」

「お、お前なんかさっさと行ってしまえっ…!」

愛する家族達に見送られながら、俺は意気揚々と部屋を出た。
大事な大事なチョコレートを、ポケットに入れたままで。



クラスは殺伐とした空気に包まれていた。
…だろうと、最初は思っていた。

だが実際はそんなことはなく、至って普通の空気だ。
むしろ男子達がやたら喜んでいるように見える。
おかしい。この雰囲気は実におかしいぞ。
この日にクラスが殺伐とするのはコーラを飲んだときにゲップが出るのと同じくらい確実なのに。
何故だ?どうしてだ?クラスの空気が、何でこんなにもいいんだ。

その答えは、待たずとも出た。


「やぁおはよう衛くん。今日が何の日だか知っているかい?知っているよねキミなら」

クラスの入り口で呆然と立ち止まっていた俺に声を掛けてきたのは委員長だった。
委員長は手に紙袋を持ち、やたらと楽しそうな顔をしている。
委員長の持つ紙袋からはなんだか甘ったるい香りがしてくる。

「やっぱり気になるかい?この袋の中身が。ご明察だよチョコレートだ」

委員長は流石だねといった顔をしながら俺を見ている。
いや、別に答えてないし。

「三連休だったからね、クラスの男子生徒全員分のチョコレートを作ったんだ。
 どうせ作るんだったら一度にたくさん作ったほうが安上がりだからね」

すごい考え方だな委員長。
安くなるからってクラスの男子全員分のチョコを作るとは。
逆に手間隙かかって面倒じゃないのか。

「細かいことは気にするなよ。チョコレート、欲しくないのかい?」

いや欲しい。超欲しい。
たとえ愛がこもってなくとも。
たとえクラス全員への義理でも。
委員長の手作りチョコならば是が非でも欲しい。
……だが、少し引っ掛かることが。


「よしよし欲望に忠実なのはいいことだ。それじゃあチョコレートをあげよう。
 僕の手作りチョコレート、『ひとつ380円』だよ」


流石だよ。恐るべし委員長。ここで金稼ぎをするとは。
そのお金大好き精神には感服する。
しかし高くはないかその値段。
デパートの高級チョコとどっこいどっこいだぞ
そんな値段で買う奴がいるのかよ。



そう思いながら俺は財布から500円玉を取り出した。



放課後、現時点で俺は2つのチョコレートを所持している。
ファミリーに貰ったのと、委員長から買(ry 貰ったものだ。
多いとは言えないが、収穫としては十分すぎるだろう。
やったぜ今年の俺。

しかし本命とも言える銀からまだチョコを貰っていない。
一緒に昼食を食べていたときにはそんなことは一度も言ってなかったし。
今日は何の日だっけ?とか聞いても煮干しの日と答えられた。
そんな日があるのか、とか思ったら実際あるらしい。
煮干しの日を知っていてバレンタインデーを知らないわけがない。
だがこれ以上無理矢理聞いてもなんだか催促しているみたいになる。
仕方なくその話は終わりにした。

そして放課後会おうと思ったら、さっさと寮に帰ってしまったらしい。
電話を掛けてみても一向に出る気配がない。
なんなんだ俺、嫌われてるのか?
ヤバイな、最近委員長と仲良くしすぎたかな。
それとも七坂先輩にセクハラしすぎたかな。
身に覚えはいくらでもある。



いろいろと考えながら歩いていたら、突然誰かが現れた。

「お前のチョコを嫉妬の炎で燃やしに来た。死ね」

黒いフードつきのマントを被った奴が現れた。
おおかたしっと団とかいう奴等だろ。大体分かる。
正直今日はこういった人達には会いたくなかった。
だが死ねとか言われて大人しくしている俺じゃない。
悪いが、抵抗させてもらおう。





数分後。
気づいたら俺は地面に倒れていた。
なんなのこいつやたら強いんだけど。
これが嫉妬の力か。負の感情ってスゲーな。
いつの間にか俺の持っていたチョコは二つともあいつの手の中にあった。

そしてそいつは俺を見て不気味にニヤリと笑いながら。



二つのチョコを焼き払った。



放課後、現時点で俺はひとつもチョコレートを持っていない。
先ほどまでは二つ持っていたが、両方とも焼かれた。
悔しいとか、惨めだとか、そういうことは一切感じなかった。
…というと嘘になるが。

……寒い。日も大分落ちてきた。
夜の風が冷たく俺に吹き荒ぶ。
身体的な寒さだけじゃない。
心の中もとても寂しくて寒い。
なんだか目頭が熱くなってきた。

部屋に帰ろうか。そんなことを思っていたとき。
俺の携帯がポケットの中で鳴り始めた。
着メロを聞いて急いで電話に出る。

『あ、もしもし衛?あのさ、今から屋上来れない…?』

電話の主は銀だった。着メロで分かっていたが。
俺はそれに答えて電話を切り、急いで屋上へと向かった。



息を切らしながら階段を登る。
2段、時には3段ほど階段を抜いて登る。
屋上までがやたらと遠くに感じる。
でも俺は走った。いつもよりも早く。
数分と経たずに屋上に着いた俺は屋上の扉を開けた。

「ごめんね?急に呼び出したりなんかしちゃって」

そこには、私服姿の銀がいた。
寒いからなのかは分からないが、少し顔が紅潮しているようだった。

「えっとさ、実はチョコレート作ってたんだけど、休みの日じゃ完成しなくって。
 でさ、今日急いで帰って続きやってたらこんな時間になっちゃって…。
 ……はい、ハッピーバレンタイン♪」

銀が差し出したのは可愛らしい包装のされたチョコレートだった。
チョコレートを受け取ろうとする俺の手は無駄に震えていた。
しっかりとチョコを受け取り、そのまま銀を抱きしめる。
何故かはわからないけど、自然とそうしていた。

「ふ、ふええっ!?な、なにするのさ衛!?」

……とても、暖かい。
身体だけじゃない。心の中まで温まっていく気がする。
普通の恋愛物とかだったら、ここで「好きだ」だとか「愛してる」だとか言うんだろう。
でも流石にそれを口にするのはいささか、いやとんでもなく恥ずかしい。
だからといって何か小難しい、気の利いた言葉を言えるわけでもない。
ただ単純に、今の気持ちを伝えることしかできない。



「……ありがとうな、銀」

「…うんっ♪」


~おしまい~
最終更新:2012年03月02日 01:24